( 【訃報】梅原猛、橋本治、堺屋太一、竹村健一… の続き)
平成の向こう側、昭和は遠くなりにけり…
(2026年10月23日 13:13 NHKニュース)
https://news.web.nhk/newsweb/na/nd-20261023de64176
>「限りなく透明に近いブルー」や「コインロッカー・ベイビーズ」など、現代社会が抱えるひずみなどをテーマに数多くのベストセラーを生み出した作家の村上龍さんが今月17日、亡くなりました。74歳でした。
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5/28(木) 10:10配信 共同通信
https://news.yahoo.co.jp/articles/6863eef44b03c1758d73ec9371e0058e7672cc5a
>「ものぐさ精神分析」などの著作で知られた思想家の岸田秀さんが25日、老衰のため死去した。92歳。香川県出身。
(書きかけ)
(№688 2026年5月28日)
思想家の岸田秀さん死去、92歳 「ものぐさ精神分析」
返信削除5/28(木) 10:12配信 共同通信
「ものぐさ精神分析」などの著作で知られ、独自の「唯幻論」を唱えた思想家で和光大名誉教授の岸田秀(きしだ・しゅう)さんが25日、老衰のため死去した。92歳。香川県出身。葬儀は近親者で行う。
少年期に幻覚など神経症状に苦しんだ経験を踏まえて心理学を志し、1956年に早稲田大を卒業後、同大大学院を経てフランスに留学。ストラスブール大で精神分析を学んだ。
帰国後、フロイトの精神分析学を基に「唯幻論」を展開。「人間は本能が壊れ、幻想の世界に迷い込んだ動物である」と主張し、自我や家族、宗教、国家や歴史、性など、人間に関わるあらゆる現象の解明を試みた。
70年代から和光大で教壇に立ち、77年発表の主著「ものぐさ精神分析」が話題を呼んだ。「幻想の未来」「嫉妬の時代」「唯幻論大全」など著書多数。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8645f1af8a9f3702a42098fdf36ade5a3544b87a
岸田秀さん死去、92歳 「ものぐさ精神分析」
削除5/28(木) 11:09配信 時事通信
「ものぐさ精神分析」などの著書で知られる心理学者で思想家の岸田秀(きしだ・しゅう)さんが25日、老衰のため東京都内の自宅で死去した。
92歳だった。香川県出身。葬儀は親族のみで行う。喪主は妻朱実(あけみ)さん。
早稲田大大学院修了。フロイト理論を独自に発展させ、「人間は本能が壊れた動物である」と主張した。1977年発表の「ものぐさ精神分析」が話題を呼んだ。自我や家族、歴史などは全て幻想の下に成り立つという「唯幻論」を唱え、文明批評を繰り広げた。その他の著書に「嫉妬の時代」「性的唯幻論序説」「心はなぜ苦しむのか」など。和光大名誉教授。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d7278f0a9da136e9fdc4ffa41e208465a236887b
思想家の岸田秀さん死去、92歳 独自の唯幻論を展開 「ものぐさ精神分析」など
削除5/28(木) 11:26配信 産経新聞
「ものぐさ精神分析」などの著作で知られ、独自の「唯幻論」を唱えた思想家で和光大名誉教授の岸田秀(きしだ・しゅう)さんが25日、老衰のため死去した。92歳。香川県出身。葬儀は近親者で行う。
少年期に幻覚など神経症状に苦しんだ経験を踏まえて心理学を志し、昭和31年に早稲田大を卒業後、同大大学院を経てフランスに留学。ストラスブール大で精神分析を学んだ。
帰国後、フロイトの精神分析学を基に「唯幻論」を展開。「人間は本能が壊れ、幻想の世界に迷い込んだ動物である」と主張し、自我や家族、宗教、国家や歴史、性など、人間に関わるあらゆる現象の解明を試みた。
和光大で教壇に立ち、52年発表の主著「ものぐさ精神分析」が話題を呼んだ。「幻想の未来」「嫉妬の時代」「唯幻論大全」など著書多数。
https://news.yahoo.co.jp/articles/46062dbce5a8cf8e3cd77c7d8482edd7c7d16cc5
心理学者・評論家の岸田秀さん死去 「ものぐさ精神分析」
削除5/28(木) 12:03配信 朝日新聞
「ものぐさ精神分析」の著者として知られる心理学者・評論家の岸田秀(きしだ・しゅう)さんが25日、老衰で死去した。92歳だった。葬儀は近親者で行う。
香川県出身。精神分析の視点から、組織や社会、国家などを論じたことで知られる。和光大学で教授を務めた。
雑誌「ユリイカ」の連載をもとにした1977年の評論・随筆集「ものぐさ精神分析」では、言語や性など、文化の多様な側面を考察。人間は本能の壊れた動物という前提のもと、自己や国家など、すべてが幻想である、という独自の「唯幻論」をかかげ、注目を集めた。
同書のほかに、社会をにぎわせた事件などを「嫉(ねた)み」に着目して読み解いた「嫉妬の時代」、国家や民族が直面する「精神分裂」を描いた「二十世紀を精神分析する」、「幻想の未来」などの著書がある。対談集や共著、翻訳書も多い。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9aca098557ab8b1f1d6efb67f69dbed244c99858
「ものぐさ精神分析」の岸田秀氏が死去、92歳…フロイトの理論もとにした「唯幻論」提唱
削除5/28(木) 17:51配信 読売新聞オンライン
「ものぐさ精神分析」で知られた精神分析学者で、和光大名誉教授の岸田秀(きしだ・しゅう)氏が25日、老衰のため死去した。92歳だった。告別式は近親者で行った。
香川県出身。早稲田大で心理学を学び、同大大学院を経てフランスのストラスブール大に留学。和光大教授を務めた。人間は本能が壊れたため、神や国家、民主主義などの「幻想」にすがって生きているという、フロイトの理論をもとにした「唯幻論」を提唱し、思想界で反響を呼んだ。
1977年刊行の「ものぐさ精神分析」では、個人を対象にしたフロイト流の精神分析を、国や社会、文化に適用する方法で多くの読者をつかんだ。評論家としても、新聞などで広く発信した。「官僚病の起源」「幻想の未来」など多くの著書を残した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a25688c2b3b245c181979c1c68893794e8f9a342
岸田秀氏を悼む…文芸評論家 三浦雅士
削除2026/06/09 05:00
「本能の壊れた動物」 人間と世界の解明
岸田秀の 訃報ふほう に接し、強い衝撃を受けた。一九七〇年代の濃密な記憶が一瞬にして消え去る感覚に襲われた。
岸田秀氏は5月25日、92歳で死去(2003年、東京都内で)
私は一九六九年から八一年まで詩誌「ユリイカ」、思想誌「現代思想」の編集をしていた。パソコンはもちろん、FAXさえ普及していなかった。原稿は手書き、依頼も集稿も自宅に伺うのが普通の時代。毎月一度はご自宅に伺わねばならない著者は何人もいた。いまや半世紀を経るが、一九八七年の澁澤龍彦、二〇一二年の吉本隆明、一七年の大岡信の死去のときには、思えば、これが見納めと意識する対面は果たしていた。二四年の高階秀爾、谷川俊太郎死去のときにも覚悟する余裕はあった。亡くなる数か月前にはお目にかかっていた。
だが、岸田秀は違っていた。〇五年に聞き手をつとめた共著『靖国問題の精神分析』を刊行して以来、お目にかかっていなかった。亡くなってあらためて読み直したが、日本、中国、アメリカという三か国を精神分析してみせる見事な国際関係論である。いまこそ読み返されるべき名著だと痛感した。私はといえば、しかし、岸田理論を浮き彫りにするためとはいえ、ことさら異を 称とな える言辞を 弄ろう しているのである。そのお 詫わ びもかねて近い機会にお目にかかりたいと思いながら二十年を過ごしてしまった。訃報に 狼狽ろうばい した理由だ。千歳船橋のご自宅の記憶が生々しく 甦よみがえ り、同時にその記憶の中心が見る見るうちに消えてゆくことに 茫然ぼうぜん とした。
人づてに才能を聞いて依頼に伺ったのは一九七四年。「ユリイカ」十一月号「ホモセクシュアル」特集号に寄稿していただいた。翌年一月から「ものぐさ精神分析」を連載していただいたのは、話に魅了されたからで、まったく新しい物書きだと直感した。フロイト理論を吸収し尽くして、すべて自身の言葉で語る。
引用に頼る学者とは違っていた。「人間は本能の壊れた動物」なのであり社会も政治も文化もその穴埋めに形成されたのだという理論で、人間とその世界を縦横無尽に解明してゆく。感嘆するほかなかった。『ものぐさ精神分析』は刊行されてただちにベストセラーになった。
身についた思想を語る思想家は少ない。新しい思想家誕生を見る思いだった。
一時は流行遅れになった精神分析が、今世紀に入って神経科学と結びつき一気に 蘇よみがえ った。神経科学そのものが目を見張る勢いのAI(人工知能)産業と結びついていたのだから、勢いが違う。
本年初頭、大規模言語モデルが登場してAIが人間の知性を超えるに至ったと、ダリオ・アモデイらAI界の大物たちが口を 揃そろ えて語り、世界の話題になった。岸田秀は「人間は本能の壊れた動物」というが、AIには初めから本能がない。そもそも性別を知らないAIに精神分析はどのように対応するのか。考えればじつに奥の深い問題だ。岸田秀に 是非ぜひ 聞いておきたかったが、いまは熱烈な後継者の登場を待つばかりだ。不在が身に 沁し みる。(日本芸術院会員)
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20260608-GYT8T00132/
すべては唯の幻というのであれば、それは仏教の「諸行無常」と「一切皆空」の焼き直し(言い換え)でしかない。結局何も新しいことは言っていない、時代を超えられない、その時は新しく感じたかもしれないが、やがて風化して忘れ去られる言説(論説)でしかないだろう。
返信削除英文学者の小田島雄志さん死去 95歳 シェークスピア全戯曲翻訳
返信削除2026年6月15日13:24
訃報
シェークスピアのすべての戯曲を現代の日本語に翻訳したことなどで知られる英文学者で文化功労者の小田島雄志さんが、6月8日、老衰のため亡くなりました。95歳でした。
小田島さんは旧満州の出身で、東京大学で英文学を学んだあと、母校の大学で教壇に立ちながら、多くのイギリスの戯曲を翻訳し、国内に紹介しました。
中でも、シェークスピアについてはすべての戯曲を翻訳した全集を手がけたことで知られ、国内での多くの上演で取り入れられました。
例えば『ハムレット』では、「生きるべきか、死ぬべきか」で知られるせりふを「このままでいいのか、いけないのか」と訳すなど、生き生きとした現代の日本語を用いるのが特徴となっています。
また、東京芸術劇場の館長を務めたほか、評論家として演劇の魅力を広く伝えたり、私費を投じて小田島雄志・翻訳戯曲賞を創設したりするなど、長年にわたって演劇界に貢献してきました。
1995年には紫綬褒章を受章し、2002年には文化功労者に選ばれています。
関係者によりますと、小田島さんは今月8日、老衰のため亡くなったということです。95歳でした。
https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015150271000
歌手で俳優の美輪明宏さん死去「ヨイトマケの唄」など知られる
返信削除2026年6月28日10:32
(2026年6月28日14:09更新)
訃報
「ヨイトマケの唄」などで知られる歌手で、俳優や演出家としても長年活躍してきた美輪明宏さんが今月20日、老衰のため亡くなりました。91歳でした。
美輪明宏さんは長崎市で生まれ、16歳でプロの歌手となって銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」を拠点に活躍し、1957年に「メケ・メケ」がヒットしました。
美輪さんはシンガーソングライターとしても早くから活動し、日雇い労働をする母親の姿をうたった1960年代の代表曲「ヨイトマケの唄」は2012年にNHKの紅白歌合戦でも披露され、大きな話題を呼びました。
また、劇作家の寺山修司に見いだされ1967年に舞台「毛皮のマリー」などに主演して注目され、その後は、懇意にしていた三島由紀夫が戯曲化した「黒蜥蜴」や、エディット・ピアフの人生を描いた「愛の讃歌」など数多くの舞台に立ちました。
舞台の多くではみずから演出を手がけ、演劇界でも長年にわたり、圧倒的な存在感を示してきました。
「黒蜥蜴」は1968年に美輪さんの主演で映画化され、妖艶な演技で話題となりました。
味わい深い語り口にも定評があり、2014年放送のNHKの連続テレビ小説「花子とアン」でナレーションを担当したほか、宮崎駿監督のアニメーション映画「もののけ姫」ではモロの君の声を担当し、迫力のある演技を見せました。
10歳のころの長崎での被爆体験をはじめ差別や貧困などさまざまな困難に向き合ってきた美輪さんは人生相談に答える著書や番組への出演も多く、豊富な人生経験をもとに語られる厳しくも温かいアドバイスが幅広い世代からの人気を集めました。
美輪さんは、2019年に脳梗塞をわずらったあとも、テレビの出演や執筆活動などを続けてきました。
公式ホームページや所属事務所によりますと、美輪さんは3か月ほど前から体調を崩し、自宅で静養してきましたが、今月20日、老衰のため亡くなったということです。
91歳でした。
「こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありません」
公式ホームページでは、美輪さんが生前に残した直筆メッセージが公開されました。
メッセージには
「こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありません
この世のすべての問題を解く鍵は愛です
愛があれば戦争なんか起こりません」
と書かれていました。
ホームページではメッセージに込めた美輪さんの思いについて「世界各地で戦争や災害が起き、地震や洪水など大きな災害も後を絶ちません。そのたびに多くの尊い命が理不尽に奪われる悲しい世の中になってしまいました。美輪の願いは、この世からあらゆる差別、偏見をなくし、すべての人が平和で明るく楽しく生きていける共生社会の実現でした」などとつづっています。
日本被団協 田中重光さん「人の命を大切にする人」
美輪明宏さんは10歳のとき長崎で被爆し、自身の被爆体験や平和への思いを発信してきました。
美輪さんが亡くなったことについて、長崎の被爆者で、日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の代表委員を務める田中重光さんは、NHKの取材に対し、「有名になる前に長崎市の労働者の集まりで歌っている姿を見たことがあり、本当に自由で庶民目線を持っている人だと感じたことを覚えています。東京に出てからも人の命を大切にする人で、平和の大切さを発信していると思っていたので残念です」と話していました。
長崎市の平和公園では悼む声が聞かれました。
長崎市の70代の女性は「いつも長崎のことを考えていたのではないかと思います。戦争のことや戦時中、長崎がどんな目にあったかを知っている人でないと発信できないことがあり、そういう人たちがいなくなっていくということを実感しています」と話していました。
長崎市出身で、今は福岡県に住む50代の男性は「戦争や平和について直接訴えるというよりも、もっと普遍的なことを大きな表現の方法で伝えてこられた方だと思うので尊敬していました。いろいろ大切なことばを残していただき、ありがとうございましたと伝えたいです」と話していました。
東京都から平和公園を訪れていた30代の男性は「以前、紅白歌合戦で被爆体験などをモチーフにした歌を歌っていたのを見たことがありました。私は美輪さんのように発信まではできないので、長崎や広島、沖縄などいろいろなところに行って祈りをささげることしかできませんが、戦争や原爆のことについて忘れずに後世に伝えていきたいです」と話していました。
https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015162931000
[時代の証言者]ヨイトマケの心 美輪明宏
削除https://www.yomiuri.co.jp/feature/titlelist/%E3%83%A8%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%81%AE%E5%BF%83%E3%80%80%E7%BE%8E%E8%BC%AA%E6%98%8E%E5%AE%8F/
>「神武以来の美少年」と騒がれ、1960~70年代は常に文化の先端にいた。差別と闘い、情愛を歌い、人生指南に人が群がる。性を超えて独特の美と迫力を兼ね備えた麗人は、時代をどうとらえてきたか。
「ヨイトマケの唄」美輪明宏さん死去、91歳…「オーラの泉」辛口トークで人気・「もののけ姫」声優も
削除2026/06/28 10:40 (2026/06/28 13:15更新)
シャンソン歌手で俳優の美輪明宏(みわ・あきひろ、本名・丸山明宏=まるやま・あきひろ)さんが20日、老衰のため亡くなった。91歳だった。
美輪さんが残した言葉
長崎市出身。国立音大付属高校を中退してプロ歌手となり、シャンソン喫茶「銀巴里」などに出演する。1957年には「メケ・メケ」がヒット。母親への愛情を赤裸々に歌い上げた「ヨイトマケの唄」をヒットさせ、地位を確立した。
美輪明宏さん(1998年10月撮影)
寺山修司や三島由紀夫らとの交流でも知られた。「毛皮のマリー」「黒蜥蜴」などで創造的な舞台を作り上げた。98年には「双頭の鷲」の演技で第5回読売演劇大賞優秀男優賞を受賞した。
テレビ番組での独自の人生観に支えられた辛口トークが若い世代に支持された。江原啓之さんとパーソナリティーを務めたテレビ朝日系のトーク番組「オーラの泉」が人気となった。
独特の存在感で映画にも活躍の場を広げ、宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」「ハウルの動く城」には、重要な役で声優として出演した。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20260628-GYT1T00074/
利根川進さん死去 86歳 日本人初のノーベル生理学・医学賞受賞
返信削除2026年7月16日6:41
(2026年7月16日10:10更新)
訃報
体を守る免疫の一種「抗体」ができる仕組みを解明し1987年に日本人で初めてノーベル生理学・医学賞を受賞したアメリカのマサチューセッツ工科大学教授の利根川進さんが、今月11日亡くなりました。86歳でした。
利根川さんは名古屋市出身で、京都大学理学部を卒業したあと、スイスのバーゼル免疫学研究所などを経てアメリカのマサチューセッツ工科大学の教授を務めました。
利根川さんは免疫の仕組みの解明に遺伝子レベルで取り組み、ウイルスや細菌などに対してさまざまな抗体を作り出していることを発見し、免疫学の長年の謎を解明したとして大きな注目を集めました。
こうした一連の研究が評価され、1987年に日本人として初めてノーベル生理学・医学賞を受賞しました。
利根川さんの研究はこれにとどまらず、マサチューセッツ工科大学ではノーベル賞を受賞した免疫学とは異なる「脳」の機能の解明に乗り出し、近年も記憶のメカニズムなどの研究に積極的に取り組んでいました。
大学によりますと、利根川さんは今月11日に亡くなったということです。
86歳でした。
MIT研究所長“科学界など人々への影響力は計り知れず”
利根川進さんが所属するアメリカのマサチューセッツ工科大学、ピカワー学習記憶研究所のミリアム・ハイマン所長は「利根川進さんほど生物学に対する私たちの理解を根本から変えた科学者はほとんどいない。彼の知的な大胆さや並外れた創造力、そして根源的な問いへのたゆまない探究心は、免疫学と神経科学の両分野において、新たなフロンティアを切り開いた。科学界、そして彼のそばで一緒に働くことができた人々への彼の影響力は計り知れません」とコメントしています。
指導受けた奥山輝大教授「好奇心のかたまりのような人」
アメリカのマサチューセッツ工科大学で利根川進さんの指導を受けた東京大学定量生命科学研究所の奥山輝大教授は「好奇心のかたまりのような人で、子どものように純粋に科学を楽しむ姿が印象的でした。厳しい面もありましたが、研究者として1番影響を与えてくれたサイエンスにおける父のような存在で、心にぽっかり穴があいたような気持ちです」と話していました。
https://news.web.nhk/newsweb/na/na-k10015178081000
ノーベル生理学・医学賞の利根川進さん死去、86歳…生物学の常識覆す発見で日本人初の受賞
削除2026/07/16 07:07 (2026/07/16 20:55更新)
免疫で重要となる「抗体」が作られる仕組みを解明し、1987年に日本人として初めてノーベル生理学・医学賞を受賞した米マサチューセッツ工科大(MIT)教授の利根川進(とねがわ・すすむ)氏が米東部時間11日、死去した。MITが同15日に発表した。86歳だった。
インタビューに答える利根川進さん(2014年)
名古屋市生まれ。京都大理学部を卒業後、渡米して分子生物学などを学んだ。71年にスイスのバーゼル免疫学研究所に移籍し、免疫の研究に打ち込んだ。
人間やマウスといった動物は、体に侵入した病原体などの異物に対し、免疫細胞が抗体というたんぱく質を作り、体から排除する。免疫システムはほぼ無限の種類の抗体を作ることができるが、約2万個しかない遺伝子で抗体がどう作られるのかは大きな謎だった。
利根川氏は、マウスの免疫細胞が成熟する過程で、遺伝子の断片が再編成されて多種多様な抗体が作られる仕組みを発見し、76年に発表した。遺伝子がダイナミックに組み換わるという発見は生物学の常識を覆した。
その後、脳科学に転じ、意識や記憶のメカニズム解明に取り組んだ。81年からMIT教授。2009~17年に理化学研究所脳科学総合研究センター長を務めた。1984年文化勲章。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20260716-GYT1T00071/
日本人初の宇宙飛行 秋山豊寛さん死去 元TBS記者 84歳
返信削除2026年9月1日 15:14
訃報
日本人として初めて宇宙飛行を行った元TBS記者の秋山豊寛さんが先月、亡くなったことがわかりました。
84歳でした。
https://news.web.nhk/newsweb/na/nd-20260901de47618
「北の国から」脚本家の倉本聰さん死去 91歳
返信削除2026年9月28日 10:15
(2026年9月28日 13:14更新)
訃報
北海道の雄大な自然の中で暮らす家族を描いて人気を集めたテレビドラマ「北の国から」など、多くのドラマや舞台の脚本を手がけた脚本家の倉本聰さんが今月18日、多臓器不全のため亡くなりました。
91歳でした。
倉本さんは東京の出身で、大学を卒業後にニッポン放送に入社し、4年間勤務したあとフリーの脚本家として活動を始めました。
その後、1974年に放送されたNHKの大河ドラマ「勝海舟」では途中まで脚本を務めたほか、民放でも「前略おふくろ様」など多くのテレビドラマや舞台の脚本を手がけました。
1977年に北海道富良野市に移住し、そこでの暮らしに着想を得て脚本を手がけた民放のテレビドラマ「北の国から」が1981年から始まりました。
ドラマは、北海道の雄大な自然の中で暮らす家族と、家族を取り巻く人間模様を描き、2002年に最終回を迎えるまで断続的に続編が放送され、21年に及ぶ人気シリーズとなりました。
また、俳優や脚本家を目指す若者たちと共同生活をしながら演技などについて指導する「富良野塾」を1984年から20年以上にわたって運営し、300人以上の後進を育てました。
さらに、2006年にはNPO法人「富良野自然塾」を設立し、森作りや自然環境について学ぶ研修事業を行うなど、環境活動にも積極的に取り組みました。
こうした功績が評価され、2000年には紫綬褒章、2010年には旭日小綬章を受章しています。
倉本さんが理事長を務める財団によりますと、倉本さんは今月18日、富良野市内の自宅で多臓器不全のため亡くなったということです。
91歳でした。
《倉本さんと親交があった方のコメント》
さだまさしさん「不器用で芸に厳しい 大恩人」
倉本聰さんが亡くなったことを受けて、テレビドラマ「北の国から」の主題歌を手がけ、長年親交がある歌手のさだまさしさんは、自身のSNSでコメントを発表しました。
このなかで、さださんは倉本さんとの思い出を振り返りながら、「せっかちで頑固で喧嘩っ早い倉本先生。大好きな紅葉も落葉も雪も待てずに秋の香りのする日に、ぷいっといなくなりました。一途で不器用で芸に厳しい倉本先生。歴史に残る名作『北の国から』の音楽を、若造の僕を信用して、ぽいっと全部任せて下さった侠気の人。大恩人でした」と感謝の気持ちをつづりました。
そして、さださんが所有する詩島を倉本さんが訪れたことを振り返り、「『北の国から』を500話まで書いてくださいとお願いしていたのに、書いてくれたのかな?詩島が気に入ったら島に籠もって『西の国から』を書いてともお願いしたのに書いてくれたのかな?もう少し仕事でご一緒したかったです。さよならは言いません。先生またね」とコメントしました。
石坂浩二さん「時代を生きる人間の姿を描き続けた」
倉本聰さんが脚本を手がけた民放のテレビドラマ「やすらぎの郷」で主演を務めた俳優の石坂浩二さんは、「テレビ草創期から、時代の変化を見つめながら、その時代を生きる人間の姿を描き続けてこられた方です。ご自身の中にあるものを、いつもご自身の言葉で書かれる方でした。世の中の価値観や流行が移り変わっても、それに合わせることなく、人間を見つめ続けていらした。その変わらない姿勢こそが、倉本さんの尊さであり、倉本さんらしさだったのだと思います。長い年月にわたり、素晴らしい作品を生み出してこられた倉本さんのご冥福を、心よりお祈りいたします」などと所属事務所を通じてコメントを発表しました。
本木雅弘さん「自然界、そして人間の営みに深い考察と愛情」
倉本聰さんの原作・脚本でおととし公開された映画、「海の沈黙」で主演を務めた俳優の本木雅弘さんは、「自然界、そして人間の営みに深い考察と愛情を持ち、先生ご自身が樹木のように落ち着いた呼吸をされている印象でした。今年の2月に富良野に行く機会があり、先生とお食事をしました。時々イタズラなことを仰りながら、和やかな笑みを浮かべていたお姿が心に残っています。どうぞ安らかに眠られますようお祈り申し上げます」などと所属事務所を通じてコメントを発表しました。
北海道でも惜しむ声
脚本家の倉本聰さんが亡くなったことを受けて、生前、倉本さんが暮らしていた北海道富良野市でも惜しむ声が聞かれました。
このうち、JR富良野駅近くで土産物店を営んでいる50代の店主は「当時のドラマを見て育った世代なので、これからもまた違うドラマなど放映されればと期待していたし、観光を盛り上げてもらう面でも必要な方だったので本当に残念のひと言です。富良野を広め、育ててくださった人なので『ありがとう』と伝えたいです」と話していました。
また、富良野市麓郷出身の20代の男性は「昔から有名な人でしたが、学校で演劇をやっていたので、話によく出てきて地元に根づいているという人でした。いまだにファンは多くいると思うので、悲しむ人もたくさんいると思います」と話していました。
札幌市でも、倉本さんを惜しむ声が多く聞かれました。
札幌市の60代の女性は「亡くなったと聞いてびっくりしました。倉本さんの作品で富良野が大好きになったので、寂しいです。北海道を愛してくれてありがとうと伝えたいです」と話していました。
札幌市の80代の男性は「倉本さんの作品は優しさがあって好きでした。大好きな方だったので本当に残念です」と話していました。
群馬県から訪れた50代の女性は「地域に根ざした作品を作ってくれていた方で、自分も母も大好きな人でした。これからもすてきな作品を作ってほしかったので本当に寂しいです」と話していました。
https://news.web.nhk/newsweb/na/nd-20260928de52785
中国 朱鎔基元首相が死去 97歳 「鉄腕宰相」とも呼ばれる
返信削除2026年8月12日 19:32
(2026年8月12日 22:31更新)
訃報
中国国営の新華社通信は、1990年代に経済改革に取り組み、江沢民元国家主席のもとで、首相を務めた朱鎔基氏が12日死去したと伝えました。97歳でした。
湖南省長沙出身の朱鎔基氏は清華大学で電機製造を専攻し、その後は経済政策を統括する国家発展改革委員会の前身の国家計画委員会や国家経済委員会などで経験を積みました。
また1987年には、江沢民元国家主席がトップの党書記を務めていた上海市に移り、その後、自らも党書記に就任しました。
中央政界には1991年に副首相として入り、よくとしには最高指導部の政治局常務委員に選ばれ、1998年からの5年間は江元主席のもとで首相を務めました。
首相就任当時、中国はアジア経済危機のさなかにありましたが、朱氏は強い指導力で高い経済成長の維持や、構造改革に取り組み、その手腕から「鉄腕宰相」とも呼ばれました。
また2001年のWTO=世界貿易機関への加盟に向けた交渉を主導するなど中国経済の発展に大きく貢献したとされています。
朱氏は2017年の共産党大会に姿を見せていましたが、最近は動静が伝えられることがほとんどありませんでした。
新華社通信によりますと、朱氏は12日、病気のため北京で死去したということです。
97歳でした。
https://news.web.nhk/newsweb/na/nd-20260812de43497
https://koibito2.blogspot.com/2026/06/2026-8-3.html?showComment=1786542726297#c2488873009126747579
[追悼抄]激動期彩った人気政治家…朱鎔基さん 元中国首相 8月12日、病気で死去、97歳
削除2026/10/20 05:00
北京で記者会見する朱鎔基さん(2001年3月)=ロイター
政治運動に巻き込まれて失脚しながらも復活を果たし、首相として中国の高速成長に道筋をつけた。激動の時代を彩ったスター政治家だった。
1988年4月、上海市長候補として臨んだ演説の映像がある。上気した顔で「性格はせっかちで、リーダーの資質に欠けている。仕事の結果を急ぎ、部下に厳しく当たってしまう」との自己分析を披露している。
直言型の性格は自らにも災難をもたらした。若手幹部の一人だった58年、「職場での3分間の発言が不用意だった」(本人)ため、毛沢東が進めた反対派弾圧運動「反右派闘争」の標的となった。党復帰が許されるまで約20年間の下積みが続いた。
だが、ここから逆転の人生が始まる。92年、党中央委員(閣僚級)、党政治局員を飛び越し、党最高指導部の政治局常務委員へ異例の昇格を果たした。98年、69歳で首相の座に就いた。
94年の訪日時に渡辺美智雄前外相(当時)の通訳を務めた日本の元外交官は、当時の体験を忘れられない。「通訳に四苦八苦していると、あの目をかっと開き、にらみつけてきた。『おい若いの、しっかり訳せ』と言われているようで、生きた心地がしなかった」
当時の中国は、89年の天安門事件で欧米などから厳しい目を向けられる中、経済改革と国内市場の開放で国家の立て直しを図る時期だった。保守派を中心とした国内の激しい反対を押し切り、自ら米国に乗り込んで2001年の世界貿易機関(WTO)加盟を実現。交渉妥結に慎重な部下を、机をたたいてどなりつけたエピソードは有名だ。
経済改革は、大量の失業者と貧富の格差拡大、官僚の汚職横行も生み出した。「朱氏は、経済発展の恩恵は全人民が受けるべきだという視点がなかった」(米スタンフォード大の呉国光教授)という批判もある。
それでも、03年の首相退任後も人気は根強かった。香港の民意研究所が実施した中国と台湾の政治家対象の人気投票では、調査が終了した23年まで12年間にわたって首位を守り続けた。 「行く手に地雷原が、万丈の 深淵しんえん があろうとも、私は勇往 邁進まいしん する」「退任の際、全国の人民が汚職官僚ではなかったと言ってくれれば、それで満足だ」
内外記者会見で語られたこうした生きた言葉は、中国の現体制下では「ありえない」(党関係者)。中国は経済発展とともに自由な国に変わっていくのではないか――。当時、国内外に漂った熱気を人々は今も懐かしむ。(台北支局 竹内誠一郎)
亡くなられた方々
→脚本家 倉本聰くらもとそう (本名・ 山谷馨やまやかおる )さん(9月18日、多臓器不全で死去、91歳)→英人気作家 ジェフリー・アーチャーさん(10月5日死去、86歳)→作家 黒井千次くろいせんじ (本名・ 長部舜二郎おさべしゅんじろう )さん(10月12日、肺炎で死去、94歳)
https://www.yomiuri.co.jp/national/20261020-GYT1T00001/
作家の村上龍さん死去「コインロッカー・ベイビーズ」74歳
返信削除2026年10月23日 13:13
(2026年10月23日 17:04更新)
訃報
「限りなく透明に近いブルー」や「コインロッカー・ベイビーズ」など、現代社会が抱えるひずみなどをテーマに数多くのベストセラーを生み出した作家の村上龍さんが今月17日、亡くなりました。74歳でした。
村上龍さんは長崎県佐世保市出身で武蔵野美術大学に在学中の1976年、アメリカ軍基地がある東京・福生市を舞台に退廃的な若者たちの姿を描いた「限りなく透明に近いブルー」でデビューし、芥川賞を受賞しました。
また、1980年の「コインロッカー・ベイビーズ」は生後まもなく駅のコインロッカーに捨てられた2人の子どもの生きざまを描き出してベストセラーとなるなど、現代社会が抱えるひずみや闇をテーマにした作品を数多く発表しました。
小説のほかにも、政治や経済、それに教育など社会問題を論じるエッセーも手がけ、2003年に発表した「13歳のハローワーク」は中学生に向けて600種類以上の職業を図鑑のように紹介し、好きなことを仕事にするための道筋を示したもので、ベストセラーとなりました。
村上さんは、ことし3月まで民放の経済番組への出演を続けるなど精力的に活動していましたが、今月17日、自宅で亡くなったということです。
74歳でした。
小川洋子さん“新しい文学を切り開いた”
小説家の小川洋子さんは、およそ10年にわたって村上さんとともに芥川賞の選考委員を務めました。
村上さんが亡くなったことについて小川さんはNHKの取材に対し「私が10代で小説を書き始めたときに華々しくデビューされ、自分たちが本当に新しいと思う文学を切り開かれた印象でした。新刊が出たときに買う喜びを味わったのが龍さんと春樹さんでした」と振り返りました。
また、村上さんの代表作「コインロッカー・ベイビーズ」については「本当にショックを受けた小説でした。人間の隠しておきたいものをえぐり出す容赦のない感じは、読み手を立ちすくませる威力がありました」と語っていました。
その上で、「先輩の作家が亡くなるというのは先頭に立って自分たちの先を行っている背中が見えなくなったようで、心細い感じがします」と村上さんの死を悼みました。
https://news.web.nhk/newsweb/na/nd-20261023de64176
作家の村上龍さん死去「コインロッカー・ベイビーズ」 74歳
削除2026年10月23日 13:13
(2026年10月23日 20:56更新)
訃報
「限りなく透明に近いブルー」や「コインロッカー・ベイビーズ」など、現代社会が抱えるひずみなどをテーマに数多くのベストセラーを生み出した作家の村上龍さんが今月17日、亡くなりました。74歳でした。
村上龍さんは長崎県佐世保市出身で武蔵野美術大学に在学中の1976年、アメリカ軍基地がある東京・福生市を舞台に退廃的な若者たちの姿を描いた「限りなく透明に近いブルー」でデビューし、芥川賞を受賞しました。
また、1980年の「コインロッカー・ベイビーズ」は生後まもなく駅のコインロッカーに捨てられた2人の子どもの生きざまを描き出してベストセラーとなるなど、現代社会が抱えるひずみや闇をテーマにした作品を数多く発表しました。
小説のほかにも、政治や経済、それに教育など社会問題を論じるエッセーも手がけ、2003年に発表した「13歳のハローワーク」は中学生に向けて600種類以上の職業を図鑑のように紹介し、好きなことを仕事にするための道筋を示したもので、ベストセラーとなりました。
村上さんは、ことし3月まで民放の経済番組への出演を続けるなど精力的に活動していましたが、今月17日、自宅で亡くなったということです。
小川洋子さん“新しい文学を切り開いた”
小説家の小川洋子さんは、およそ10年にわたって村上さんとともに芥川賞の選考委員を務めました。
村上さんが亡くなったことについて小川さんはNHKの取材に対し「私が10代で小説を書き始めたときに華々しくデビューされ、自分たちが本当に新しいと思う文学を切り開かれた印象でした。新刊が出たときに買う喜びを味わったのが龍さんと春樹さんでした」と振り返りました。
また、村上さんの代表作「コインロッカー・ベイビーズ」については「本当にショックを受けた小説でした。人間の隠しておきたいものをえぐり出す容赦のない感じは、読み手を立ちすくませる威力がありました」と語っていました。
そのうえで、「先輩の作家が亡くなるというのは先頭に立って自分たちの先を行っている背中が見えなくなったようで、心細い感じがします」と村上さんの死を悼みました。
島田雅彦さん“あなたのような世紀の遊び人は当分現れない”
村上龍さんが亡くなったことを受けて、作家の島田雅彦さんは自身のXで「村上龍さん、あなたが書くスケールの大きい人騒がせな小説が大好きでした。あなたのような世紀の遊び人は当分現れないでしょう。あの世でも色々やらかしてくれると思いますが、ひとまず中上さんによろしく」と記しました。
「中上さん」は、村上さんと同じ時代に活動し、1992年に亡くなった芥川賞作家の中上健次さんで島田さんは、村上さんと交流があった中上さんの名を挙げて、その死を悼みました。
「ジャパネットたかた」高田明さん“大切な人亡くした”
村上龍さんが亡くなったことを受けて、出身地の長崎県佐世保市では村上さんを悼む声が聞かれました。
佐世保市に本社がある通販大手「ジャパネットたかた」の創業者の高田明さんは村上さんが出演する民放の経済番組で2016年と2019年に本人から取材を受けたということです。
高田さんは番組での取材について、「派手な感じではありませんが、ビジネスの世界における核心を突くような質問をする人でした。自分たちが足りていないと認識している部分についても質問してきますが、それをマイナスと捉えられないようにする優しさがありました」と振り返りました。
そのうえで、高田さんは「佐世保という街から小説でたくさんの方に影響を与えた偉大な人が生まれたことは本当に誇りで、大切な人を亡くしたという思いで残念です。いま思えば、『プライベートで一緒にワインでも飲みましょう』と誘うことがなぜできなかったんだろうと思います」と話していました。
出身校 佐世保北高校の生徒“まだ作品残せたのでは”
村上龍さんの出身校で、自伝的小説『69 sixty nine』の舞台にもなった長崎県の佐世保市の佐世保北高校では村上さんを悼む声が聞かれました。
村上さんのデビュー作『限りなく透明に近いブルー』などを読んだことがあるという2年生の男子生徒は、「村上さんの小説は若者をテーマにしたものもあって、共感できる作品でした。亡くなったというニュースを知って衝撃を受けています。まだこれからも作品を残せたのではないかと思いますが、村上さんが残した多くの作品をこれからも読んでいきたいと思います」と話していました。
書店に村上さん追悼コーナー ファン「唯一無二の作家」
作家の村上龍さんが亡くなったことを受けて、東京 新宿の書店では23日夕方、急きょ、村上さんの作品を集めた追悼コーナーが設けられました。
追悼コーナーには「限りなく透明に近いブルー」や「希望の国のエクソダス」など13冊の作品が並べられ、村上さんのファンだという人たちが足を止めていました。
訪れた20代の女性は「村上さんの作品は読み始めたばかりでしたが最近も新作が出ていたところでショックを受けています。これからもさらに読み進めたいと思います」と話していました。
30代の男性は「亡くなったことがまだ受け止めきれずにいます。現実を真摯に文学に落とし込んでいた方だと思います。この週末は村上さんの小説を読み返したいです」と話していました。
また、50代の男性は「世界の中で日本社会を捉え、社会全体を小説に落とし込もうとする、今までも、この先にも唯一無二の作家だったと思います」と話していました。
追悼コーナーを設置した紀伊國屋書店新宿本店の池上晃子さんは「村上さんの訃報は突然でショックを受けました。場面が想像できる分かりやすい描写が魅力で、幅広い世代に読まれている作家でした。これからも村上さんの作品が長く読まれ続けてほしいと思います」と話していました。
木原官房長官“時代の深層に問い投げ続けた”
木原官房長官は午後の記者会見で「芥川賞を受賞して以来、数多くの作品を通じて社会の光と影、人々の希望と不安を鋭く描き出し、日本文学に大きな足跡を残された。時代の深層に問いを投げ続けた作家だった。紡がれたことばの数々はこれからも多くの読者に読み継がれ、人々の心に生き続けるものと考えている」と述べました。
https://news.web.nhk/newsweb/na/nd-20261023de64176
村上龍さんが死去、74歳…「限りなく透明に近いブルー」で芥川賞・村上春樹さんと「ダブル村上」称される
削除2026/10/23 13:06 (2026/10/23 19:20更新)
「限りなく透明に近いブルー」をはじめ、現代社会の闇やゆがみをえぐる小説を発表し続けた作家の村上龍(むらかみ・りゅう、本名・龍之助)さんが17日、死去した。74歳だった。葬儀は近親者で行った。
1952年、長崎県佐世保市生まれ。高校卒業後、米軍基地のある東京都福生市に暮らす。その体験をもとに武蔵野美術大在学中の76年、退廃した日々を送る若者たちを描く「限りなく透明に近いブルー」で群像新人文学賞を受賞し、同作で芥川賞も射止めた。
コインロッカーに捨てられた子供たちが生きる姿を疾走感あふれる文章でつづる「コインロッカー・ベイビーズ」、世界恐慌に 翻弄ほんろう される日本で若者たちが台頭する姿を描く87年の「愛と幻想のファシズム」など話題作を次々と刊行。作家の村上春樹さんとともに「ダブル村上」と称された。
98年に本紙連載の「イン ザ・ミソスープ」で読売文学賞、2000年に「共生虫」で谷崎潤一郎賞を受賞。子供たちに様々な職業を紹介した03年の「13歳のハローワーク」や、北朝鮮の特殊部隊が福岡ドームを占拠する05年の「半島を出よ」もベストセラーとなった。テレビ番組「カンブリア宮殿」に長年、出演するなど幅広く活躍した。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20261023-GYT1T00201/
作家の村上龍さん死去、悼む声相次ぐ…テレビで共演の作詞家の秋元康さん「エネルギッシュな方でした」
削除2026/10/23 21:07
作家の村上龍さんの死去に関連し、様々な関係者がコメントを出した。
◇
「カンブリア宮殿」出演時の村上龍さん(右)と小池栄子さん
テレビ東京系「カンブリア宮殿」で共演するなど交流のあった作詞家、秋元康さん(68)は事務所を通じてコメントを発表。「ニューヨークに住んでいた頃、一緒にチャイナタウンへご飯を食べに行ったり、飲みに行ったりしました。ベロベロになるまで飲んだ後、ホテルまでお送りしたら、『これから小説を書く』とおっしゃって、驚いたことがあります。エネルギッシュな方でした」などと悼んだ。
テレビ東京は、同局の経済報道番組「カンブリア宮殿」で村上さんが2006年から今年の3月まで20年にわたりインタビュアーを務めたことに触れ、「この間一度も番組をお休みすることなく、作家ならではの鋭い視点で様々な話を引き出し、他に類を見ない経済番組の形を作っていただきました。多大なるご貢献に最大限の感謝の思いをお伝えします」とのコメントを発表した。
同番組への最後の出演では「死&生」とのメッセージを、勇退にあたっては「作家は、死なず、ただ立ち去るのみ」との言葉を残した。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20261023-GYT1T00401/
村上龍さん死去、韓国の東亜日報「時代の不安を率直に描き出した」…海外メディアも相次ぎ訃報伝える
削除2026/10/23 21:55
【ソウル=藤原聖大、広州=遠藤信葉】作家の村上龍さんが死去したことを受け、海外メディアも相次いで 訃報ふほう を伝えた。
韓国の東亜日報は「韓国や世界中の読者から追悼の声が相次いでいる」と突然の死を惜しんだ。韓国日報は「(村上さんの)作品は時代の不安を率直に描き出したものとして評価されている」と報じた。
中国のネットメディア澎湃新聞は村上さんについて「多くの作品が中国語に翻訳されている日本人作家の一人」と紹介し、「現実の中にある個人の困難を記録するとともに、社会構造がいかに個人の選択を形作るのかを問い続けた」と評した。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20261023-GYT1T00412/
「日本の喜劇人」「本音を申せば」 評論家 小林信彦さん死去
返信削除2026年10月23日 20:52
訃報
「日本の喜劇人」などのエンターテインメント評論や、週刊誌の名物コラム「本音を申せば」などで知られる評論家で作家の小林信彦さんが今月19日、都内の病院で多臓器不全のため亡くなりました。93歳でした。
小林信彦さんは1932年に東京で生まれ、大学を卒業後、江戸川乱歩に見いだされ出版社に就職し、ミステリー雑誌の編集長になりました。
1964年に、小説「虚栄の市」で作家としてデビューし、創作のかたわら、テレビのバラエティ番組や映画の製作にも関わりました。
榎本健一などの喜劇人の素顔を描き、「中原弓彦」名義で発表した「日本の喜劇人」は、芸術選奨新人賞を受賞するなど、エンターテインメント評論の第一人者としても知られました。
1998年にスタートした「週刊文春」の名物コラム「本音を申せば」は、2021年まで、23年間にわたり連載が続けられるなど、コラムニストとしても活躍しました。
出版社によりますと、小林さんは今月19日、都内の病院で多臓器不全のため亡くなったということです。93歳でした。
https://news.web.nhk/newsweb/na/nd-20261023de64560