2023年2月26日

【震災11年】東日本大震災/東京電力福島第一原発事故(2011.3.11)

( 【3.11フクシマ事変】東日本大震災7年/福島第一原発事故7年 の続き)
(【震災8年】東日本大震災/東京電力福島第一原発事故(2011.3.11) 改題)
(【震災9年】東日本大震災/東京電力福島第一原発事故(2011.3.11) 改題)
(【震災10年】東日本大震災/東京電力福島第一原発事故(2011.3.11) 改題)

時間は止まったまま… そして、一人去り二人去り、やがて誰もいなくなって、その記憶や面影は忘却の彼方へ消え去る。

https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/

https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000019.html

(追記3/8 2022)
--------------------------

読売新聞「震災10年」
https://www.yomiuri.co.jp/feature/titlelist/%E9%9C%87%E7%81%BD%EF%BC%91%EF%BC%90%E5%B9%B4/

NHKニュース「福島第一原発」
https://www3.nhk.or.jp/news/word/0001453.html

(追記2/5 2021)
--------------------------------------

NHK震災9年ニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000977.html

(追記3/9 2020)
--------------------------

6割の人が今も心身への影響 東日本大震災 被災者アンケート
2019年3月7日 4時11分 NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190307/k10011838391000.html

東日本大震災 あの日から8年
東日本大震災から8年を迎えた被災地の現状は。あの日の教訓をどういかしていけばいいのか。NHKNEWSの震災ポータルサイト。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/shinsai8portal/

NHK「震災8年」ニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000763.html

NHK「東日本大震災」ニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000019.html

NHK「福島第一」ニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000020.html

40年後の未来へ 福島第一原発の今
〈 原発事故 海水リアルタイムモニター 〉
https://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/



世界三大原発事故
スリーマイル」「チェルノブイリ」「フクシマ



(書きかけ)




野口悠紀雄「日本は、福島原発事故の処理という困難極まりない課題を抱えている。7年後でも収束には程遠いだろう。現場では、多くの人が放射能と戦っているはずだ。そして、故郷の家に戻れない人々も多数残っているだろう。こうした国で、なぜオリンピック開催がお祭り騒ぎになり得るのか、私は理解に苦しんでいる」(2013年9月)
http://essays.noguchi.co.jp/archives/979


しょせんは目くらましのための「お祭り騒ぎ」なのさ…
昔「パンとサーカス」、当世「グルメと芸スポ」。
家畜ペットを飼い慣らすには、エサと遊びが大事、これ不変普遍の基本原理



(№392 2019年3月7日)

192 件のコメント:

  1. 福島第一原発 放射性物質の放出量が前年比2倍に
    2019年3月8日 4時08分

    福島第一原子力発電所から放出されている放射性物質の量についてNHKがまとめたところ、ことし1月までの1年間の放出量が推計で、前の年と比べて2倍近くになっていることがわかりました。放出量は基準値を大きく下回っているものの、東京電力は廃炉作業によって一時的に増えたのが原因ではないかとしています。

    東京電力は8年前の原発事故のあと、1号機から4号機の原子炉建屋から放出されている放射性物質の量について、現在は「対策を講じているので大幅に減ってきている」と説明しています。

    NHKでは、東京電力の公表資料を基に計算したところ、いずれも推計で、去年1月までの1年間の放出量は4億7100万ベクレルほどだったのに対し、ことし1月までの1年間の放出量は9億3300万ベクレルほどに上り、2倍近くになっていることがわかりました。

    これについて東京電力は、1号機のがれきの撤去作業や、2号機の原子炉建屋の放射線量を測る調査にともなう作業での際、放射性物質を含むちりが舞ったからではないかとしています。

    ただ、1時間当たりの放出量は国の基準を基に東京電力が厳しく定めたレベルを大きく下回っているということで、東京電力は「8年間の大きなトレンドでは減少傾向だが、廃炉作業によって一時的に増えたのが原因とみられる。放射性物質が広がらないよう対策を講じたい」としています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190308/k10011839681000.html

    返信削除
  2. 福島第一原発の廃炉「しっかりきれいに」福島県知事
    2019年3月8日 4時16分

    福島第一原子力発電所の廃炉をめぐり、東京電力の責任者が先月、さら地にするまで作業を行うか東京電力だけでは決められないとの考えを示していましたが、福島県の内堀知事は「しっかりきれいにしてほしい」と述べて、施設の解体・撤去などを求める考えを示しました。

    福島第一原発の事故から8年を迎えるのを前に、福島県の内堀知事がNHKのインタビューに応じました。

    この中で内堀知事は、先月、東京電力の責任者が福島第一原発の廃炉作業を、普通の原発のようにさら地にするまで行うかは今の段階では決められず、議論を進めていく必要があるとの考えを示したことについて触れました。

    内堀知事は「廃炉を行ったあと、そこをしっかりきれいにしていただきたい。本当の意味で復興を遂げるにはきれいにしてもらうことが何よりも重要だ」と述べ、建屋の解体・撤去とともに廃炉の最大の難関となっている燃料デブリを取り出し、県外での処分を求める考えを示しました。

    事故から30から40年かけて行うとする福島第一原発の廃炉について、おととし示された工程表では、燃料デブリの取り出しを2021年に始めるなどと直近の作業内容しか示されておらず、東京電力も「廃炉」の意味について、何をどこまで解体するのか、敷地をさら地に戻すのかなどを明確にしていません。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190307/k10011839691000.html

    返信削除
  3. 復興庁の後継組織の設置明記 担当閣僚も配置検討へ
    2019年3月8日 9時56分

    政府は8日の閣議で、東日本大震災からの新たな復興の基本方針を決定し、「復興・創生期間」が再来年3月末で終了するのと同時に設置期限を迎える復興庁について、後継組織を設置することを明記し、担当閣僚も置く方向で検討を進める方針です。

    それによりますと、原発事故の影響が残る福島県について、政府が復興の総仕上げと位置づける「復興・創生期間」が再来年3月末で終了したあとも、国が前面に立って復興を進めるとしています。

    そのうえで、原発の廃炉に向けて国内外の英知を結集し、必要な対策を着実に進めるとともに、住民の帰還のため教育や医療など生活に必要な環境整備を推進するとしています。

    一方、岩手県や宮城県について、住まいの再建やインフラの復旧はおおむね完了したとして、今後は被災者の心身のケアや生活相談のほか、地域の活性化に向け産業の振興や移住者の促進などに重点的に取り組むとしています。

    そして「復興・創生期間」の終了する再来年3月末が設置期限となっている復興庁について、「各省庁の縦割りを排し、政治の責任とリーダーシップの下で復興を成し遂げるための組織を置く」として、後継組織を設置することを明記し、政府は担当閣僚も置く方向で検討を進める方針です。

    復興へ全力で取り組む

    安倍総理大臣は、閣議に先立って総理大臣官邸で開かれた復興推進会議で、「発災からまもなく丸8年となり、復興の『総仕上げ』、福島の『本格的な復興』に向けて、確固たる道筋をつける重要な局面を迎えている」と述べ、「復興・創生期間」の残り2年間で復興を成し遂げるため、全力で取り組むよう全閣僚に指示しました。

    また復興庁について、「後継組織は、政治の責任とリーダーシップの下で復興を成し遂げるための組織を置くことを念頭に、その具体化を進めてほしい」と述べました。

    そして、東日本大震災の発生から8年となるのを前に、9日、岩手県を訪問する考えを示しました。

    渡辺復興相「復興後の方向性具体化に取り組む」

    渡辺復興大臣は閣議のあとの記者会見で、「基本方針には『復興・創生期間』における取り組みに加え被災自治体や被災者が安心できるよう、初めて『復興・創生期間』後の復興の基本的方向性を示した。これに基づき、残り2年間で復興を加速化させるとともに、期間後の復興の基本的方向性の具体化に取り組んでいきたい」と述べました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190308/k10011839861000.html

    返信削除
  4. 東日本大震災8年 “復興 進んでいない” 被災者の6割余
    2019年3月8日 14時31分

    東日本大震災からまもなく8年となるのを前に、NHKが岩手・宮城・福島の被災者にアンケートを行ったところ、復興は進んでいないと感じている人が6割余りにのぼりました。特に、地域の経済について、復興を実感していない人が多く、産業の再建が課題となっています。

    NHKは、去年12月からことし1月にかけて岩手・宮城・福島の被災者や、原発事故の避難者など、合わせて4400人余りにアンケートを行い、全体の36%に当たる1608人から回答を得ました。

    この中で、震災前に暮らしていた地域の復興の状況をどう感じるか尋ねたところ、「まったく進んでいない」が8.6%、「思ったよりも遅れている」が54.5%と、合わせて63.1%にのぼりました。

    一方、「思ったよりも進んでいる」が27.4%、「復興は完了した」が2.6%でした。

    分野別では、「道路や鉄道などの交通インフラ」の復興について、「実感がある」と「やや実感がある」が合わせて49.4%にのぼった一方で、「地域経済」の復興については、「実感がある」と「やや実感がある」は合わせて13.5%にとどまり、「実感がない」と「あまり実感がない」が合わせて47.8%にのぼって大きく上回りました。

    また、国が復興の総仕上げと位置づける「復興・創生期間」が残すところ2年余りとなり、今後、計画どおりに復興が進むと思うか尋ねたところ、「そう思わない」が26.2%、「あまりそう思わない」が39.4%と、合わせて65.6%にのぼりました。

    インフラや公共施設の復興が進む一方で、地域経済が低迷して復興の遅れを感じる人が多い現状が浮き彫りになっています。

    自由記述の中で、岩手県大槌町の57歳の男性は「震災後まもない頃は、震災前より活力のある街を作るという希望を持っていたはずだったが、復興事業が大幅に遅れ、仮設住宅での生活が6年にも7年にもなることで、希望のエネルギーが大きく減少したように思う」とつづっています。

    福島県浪江町から埼玉県上尾市に避難している53歳の男性は「町の人口減少が止まらない。子育てのために親が避難先に住民票を移したり、団塊の世代が70歳を超えて死亡が増えたりして、今のペースだと30数年後に人口がゼロになり、町が消える日が来るのではないかと思う」と回答しています。

    気仙沼の復興状況は

    気仙沼市の震災前の中心部は気仙沼港の周辺で水産業関連の事業所や飲食店が建ち並び、地元経済の中心地でしたが、震災の津波でその多くが流され、いまもさら地が目立っています。

    気仙沼市は国が定めた復興・創生期間が終わる2021年までの期間に多くの復興事業を集中させました。

    しかし、工事業者の人手不足や土地を所有する住民の合意が遅れるなどして計画よりも工事が遅れ、中心部の土地区画整理事業の進捗率(しんちょく)は61%にとどまりました。

    復興が長期化する間に、市の人口はこの5年間でおよそ7%減少しています。

    一方で、気仙沼市では去年11月、港の入り口に飲食店や土産品店が入る商業施設がオープンしたほか、隣接する土地では、夏までに観光物産センターや屋台村がオープンする予定です。

    中心部の商業施設の運営を担当する第三セクターのまちづくり会社の千葉裕樹さんは「まだ、商業地としての設備や環境が十分に整っているとは言い難いですが、今のペースでは遅いので、これからもっと急ピッチで進めてほしい」と訴えています。

    “復興 まだまだ感じていない” 水産加工会社

    気仙沼市でわかめや昆布の加工品を作る水産加工会社を経営する原田浩之さんは、市の中心部にあったホテルや土産品店などに商品を卸していました。

    創業100年余りの老舗で商売は安定していたということですが、震災の津波で、原田さんの店は流されてしまいました。

    原田さんは震災から1年後から事業を再開し、今もプレハブ小屋で営業を続けていますが、中心部のホテルや土産品店などかつての取引先は次々と廃業し、商売は先細りしています。

    原田さんは「市内の取引先などの廃業が続いていて、いま、売り上げは震災前の半分以下になりつつあります」と話していました。

    原田さんには震災前の事業の借入金が1000万円近く残っていて、店を本設するには国の補助金を活用したとしても500万円の自己資金が必要で、今のところその余力はありません。

    復興の実感について原田さんは「工事が続いているということは復興に進んでいるということなのかもしれないが、私は復興したとはまだまだ感じていません」と話しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190308/k10011840401000.html

    返信削除
    返信
    1. 東日本大震災から8年 3県で3000人余が仮設生活
      2019年3月8日 17時47分

      東日本大震災の発生から8年となりますが、岩手・宮城・福島の3県では3000人余りが今でもプレハブの仮設住宅での暮らしを余儀なくされています。

      岩手・宮城・福島の3県のまとめによりますと、先月末の時点でプレハブの仮設住宅で暮らしている人は、去年の同じ時期と比べて9575人減って3073人となっています。

      県別では、岩手県で1969人、宮城県で388人、福島県で716人となっています。

      震災のあと最大で11万人以上がプレハブの仮設住宅で暮らしていましたが、自力での住宅再建や災害公営住宅の建設が進んで退去する人が増えました。

      一方で、震災から8年となる今でも多くの人が仮住まいの不自由な生活を続けていて、岩手県の一部の地域では土地のかさ上げなど土地区画整理事業の遅れが課題となっています。

      かつてないほど長期にわたる仮設住宅での暮らしや生活の再建に向けたサポートが今でも必要となっています。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190308/k10011840671000.html

      削除
  5. 原発事故8年で避難指示解除へ 大熊町で住民説明会
    2019年3月9日 14時59分

    東京電力福島第一原発が立地する福島県大熊町では、来月一部の地域で避難指示が解除される見通しです。9日から始まった住民説明会では、引き続き生活への支援を求める意見が出ていました。

    大熊町には、今も全域に避難指示が出されていますが、来月、町の南西部にある大川原地区と中屋敷地区で避難指示が解除される見通しです。
    福島第一原発の立地自治体としては、初めての解除となります。

    大熊町では9日から住民への説明会を開き、避難先になっている福島県会津若松市の仮庁舎には住民およそ20人が集まりました。

    説明会では、ことし6月には、コンビニエンスストアが地区にオープンするなど、生活環境の整備について国や町の担当者が説明していきました。

    今後の見通しについて、予定通り2つの地区の避難指示を解除する方針は伝えられましたが、具体的な日にちについては住民からの意見を踏まえて国と協議するとのことで、示されませんでした。

    住民からは「無人になった住宅が、いのししに荒らされているので対策をとってほしい」「解除後も避難を続ける住民を含め生活支援を継続してほしい」といった意見が出ていました。

    住民説明会は郡山市といわき市でも開かれます。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190309/k10011841621000.html

    返信削除
  6. 首相「被災者の心のケアなど支援に取り組む」岩手 陸前高田
    2019年3月9日 18時14分

    東日本大震災の発生から11日で8年になるのを前に、安倍総理大臣は津波で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市で、住民の交流を目的に開設されたカフェを視察したあと、引き続き被災者の心のケアなどの支援に力を入れていく考えを示しました。

    安倍総理大臣は岩手県釜石市を訪れ、南北2つに分かれていた路線が今月23日から1つの路線につながる三陸鉄道リアス線の釜石駅で、運転士の技能を高めるための訓練運転の列車に試乗しました。

    また安倍総理大臣は、まちの中心部が津波で大きな被害を受けた陸前高田市を訪れ、震災後、地元の医師や女性たちが、住民の交流を目的に開設したカフェを視察しました。

    このカフェでは、高齢者の生きがいづくりの催しも開催しているということで、安倍総理大臣は、ヨガの教室に参加し、地元の人たちと一緒に体を動かしていました。

    一連の視察を終えたあと、安倍総理大臣は記者団に対し、「この8年間、被災地にとってさまざまな困難があったと思うが、道路や鉄道が開通するなど復興が着実に進んでいる姿をこの目で確かめることができた」と述べました。

    そのうえで、「被災者の心のケアなどにしっかりと取り組んでいかなければならない。今後も被災地の声に耳を傾け、復興につなげていきたい」と述べました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190309/k10011841801000.html

    返信削除
    返信
    1. 復興相 被災者の心のケアに重点的に取り組む考え強調
      2019年3月10日 11時43分

      NHKの「日曜討論」で、渡辺復興大臣は、東日本大震災から11日で8年になるのを前に、今後は被災者の心のケアに重点的に取り組むとともに、原発事故の影響が残る福島県から避難している人たちの帰還に向けた環境整備を図る考えを強調しました。

      この中で渡辺復興大臣は、東日本大震災から11日で8年になるのを前に、被災地の現状について「インフラの整備はおおむね完成を迎えているが、いわゆる『心の復興』はこれから始まる。関連団体の力も借りながら、しっかりと国としても後押ししていきたい」と述べ、今後は被災者の心のケアに重点的に取り組んでいく考えを強調しました。また、政府が復興の総仕上げと位置づける「復興・創生期間」が再来年3月末で終了するのと同時に設置期限を迎える復興庁について「あと2年あるので、それまでは全力で復興の加速化を進めてもらいたい。その後は、復興の基本方針に組織の存続を明記したので、具体的な内容は自治体と相談して決めていきたい」と述べました。

      一方、渡辺大臣は、原発事故の影響が残る福島県について、避難している人たちの帰還に向けた環境整備を図るとともに、浪江町で建設が進められている水素の製造工場を世界有数の水素の供給基地に位置づけ産業の集積につなげたいという考えを示しました。

      宮城 村井知事「2021年以降も財政支援継続を」

      宮城県の村井知事は、東日本大震災からの復興に向けた財源について「復興基金は2020年度末で140億円くらいになり、毎年70億円ずつ切り崩しているので、国の支援が終わると2年間で資金はなくなる。国が重要な部分の予算を補ってくれれば、基金を残して、被災した人たちを長くサポートできる」と述べ、『復興・創生期間』が終わる2021年度以降も財政支援を継続するよう国に求めました。

      岩手 達増知事「被災地物産品の情報が伝わっていない」

      岩手県の達増知事は、東日本大震災からの復興に向けた今後の課題について「建設事業がピークを越え、そこに投じていた予算や人を観光や水産といった本来伸ばすべき産業に回せるようになってきた。外国人観光客を含めて、にぎわいを作ることで人口減少対策に臨みたい。一方で、水産業の販路の拡大には、東北の被災地の物産品の情報が国内にも海外にも伝わっていないのが課題だ」と述べました。

      福島 内堀知事「震災関連死なくす対策継続」

      福島県の内堀知事は、長引く避難生活で体調が悪化するなどして死亡する「震災関連死」が後を絶たないことについて「被災者の精神的な疲労を軽減する心のケア、生活習慣病などを予防する健康支援、避難者の孤立化を防ぐ見守り態勢の強化の3つを柱として継続的に取り組みたい」と述べました。また、復興庁の後継組織について「司令塔としての大臣を設置して、リーダーシップを発揮することができる態勢を確保することが大切だ」と述べ、国が前面に立って福島の復興に最後まで責任を果たすよう求めました。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190310/k10011842401000.html

      削除
  7. どこにどういったカネを流すスキームなんだか…

    とある学会員たちにとってのここぞとばかりのシノギの機会となったり…

    返信削除
  8. 東日本大震災 義援金200億円の台湾へ日本人留学生が感謝
    2019年3月10日 21時44分

    東日本大震災から11日で8年になるに合わせて、台湾で学ぶ日本人の留学生らが台北で催しを開き、多くの義援金などを寄せてくれた台湾の人たちに、感謝の気持ちを伝えるとともに被災地の状況を紹介しました。

    東日本大震災のあと台湾からは200億円以上の義援金などが寄せられ、台湾ではこうした支援に感謝する催しが日本人留学生らによって毎年開かれています。

    ことし会場となった台北駅の地下街の広場には家族連れなど大勢の人が集まり、黙とうがささげられました。

    日本人留学生らは今回の催しを前に宮城県や福島県を訪問していて、被災地の人たちからの台湾への感謝の思いを伝えました。

    そして、震災で亡くなった中学生の息子との思い出を大事にしたいと自宅を建て直した遺族や、風評被害に負けたくないと安全にこだわって野菜の生産を続ける福島の農家の取り組みなどを紹介しました。

    催しに訪れた台湾の女性は「感謝の気持ちを忘れない日本の人たちの思いに心を打たれた。東北の被災地の様子も大きく変わったようなので来年は旅行に行ってみたい」と話していました。

    仙台市出身で台湾の大学に通う齋藤菜々子さんは「台湾の支援で新たに頑張ろうと思えた被災地の人に代わって感謝の気持ちを伝えたかった。日台の絆を今後も深めていきたい」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190310/k10011842851000.html

    返信削除
  9. [スキャナー]震災8年 長引く食品輸入規制
    2019/03/10 05:00

    24か国・地域 風評被害根強く

     東京電力福島第一原発事故に伴う日本の農産物・食品に対する輸入規制が、東日本大震災から8年を迎える今も24か国・地域で続いている。安全性が確認されているにもかかわらず、根強い風評被害で輸出を阻まれるケースもある。意欲ある農家にとって収入増の障壁となり、政府が掲げる輸出拡大にも影を落としている。(経済部 石黒慎祐、武田泰介)

    ■足かせ

    福島県沖でとれた魚介類の試食会。水産物の輸出規制も一部の国・地域で残る(2日、東京・築地で)=佐々木紀明撮影

     「福島産を規制する国が減れば、さらに販路を拡大できるのに」

     福島県桑折町の果樹園「はねだ桃園」の代表、羽根田幸将さん(29)は肩を落とす。現在はタイ向けにモモを輸出し、今後はインドネシアやベトナムへの輸出を計画している。

     果樹園は福島第一原発から50キロ以上離れている。安全性に問題がないにもかかわらず、福島県産であることを理由に、日本産農産物の最大の輸出先である香港などに輸出ができない。

     羽根田さんは「輸出可能な国に出荷し、福島産が安全なことを知ってもらうことで、規制国が少しでも減ってほしい」と話す。

     原発事故後に放射性物質への不安から導入された輸入規制は、一時は最大で54か国・地域に上った。徐々に緩和されてきたが、今も有力市場であるアジアを中心に残っている。

     規制は、〈1〉福島や周辺の県など一部地域からの輸入を停止〈2〉一部の品目に限って輸入を停止〈3〉検査証明書の義務付けなど条件付きで容認――の三つがある。最も厳しい〈1〉の輸入規制は、中国や香港、米国、台湾、韓国など8か国・地域で採用されている。

    ■外交カード

     中でも「最も厳しい姿勢」(政府関係者)を見せているのが中国だ。福島など10都県の全ての農産物・食品の輸入を停止している。政府は再三にわたって緩和を働きかけ、昨年11月には新潟県産のコメに限って解禁された。「緩和の有無は共産党指導部が決める。政治判断も絡んでくる」(政府関係者)と、緩和が外交カードに使われているとの見方もある。

     台湾では2018年11月、福島など5県産の輸入停止を巡る住民投票が行われ、継続支持が多数を占めた。韓国は8県からの水産物輸入を停止中で、世界貿易機関(WTO)から是正勧告が出たが、今も係争中だ。

     東大総合防災情報研究センターの関谷直也准教授が17年に行った意識調査では、日本産の食品を「積極的に避けている」と答えたのは中国で77%、台湾で54%と、米国の29%、英国の26%を大きく上回った。「アジアの新興国では食の安全に対する意識が高まり始めたばかりで、風評に過敏に反応している側面がある」(専門家)との指摘もある。

    ■安全アピール

     規制が撤廃・緩和された国でも、輸出が困難になる事例もある。福島県は18年3月、震災後初めてタイ向けにヒラメなどを輸出。現地でPRイベントを開く予定だったが、「福島の魚は汚染されている」などと誤った情報がインターネットで出回り、中止に追い込まれた。

     政府は、風評被害の払拭ふっしょくに向け、外交の場で規制の緩和・撤廃を働きかけているほか、各国で説明会を開催するなど地道な取り組みを続ける。日本貿易振興機構(ジェトロ)は海外のメディア関係者を被災地に招き、安全性をアピールしている。

     今後のカギとなりそうなのが、安全性に関する基準を満たした農産物・食品を国際的に認証する制度「グローバルGAP」の活用だ。農薬の使用状況や土壌、労働環境など、細部にわたる審査を経るが、日本の農家では取得がほとんど進んでいない。

     福島県は、GAPの取得費用を補助するなど、後押ししている。20年の東京五輪・パラリンピックの選手村などで提供される食材はGAP取得が必要で、風評払拭に向けたアピールの場にしたい考えだ。
     

    非関税障壁 通商協定で協議必要

     最近は環太平洋経済連携協定(TPP)や日本と欧州連合(EU)の経済連携協定(EPA)が相次いで発効し、日本は農産物の輸出拡大の好機を迎えている。2018年の農林水産物・食品の輸出額は前年比12・4%増の9068億円で、19年に1兆円に引き上げる目標も「完全に視野に入った」(菅官房長官)。

     しかし、検疫上の理由から、輸入を制限する国・地域もあり、「非関税障壁」は依然として残っている。TPPの加盟国では、豪州やカナダ向けにモモを輸出することができない。メキシコ向けには豚肉、シンガポールやマレーシア向けでは鶏肉が規制されている。

     日欧EPAでは欧州向けの肉類の関税が撤廃されたが、現状で輸出が認められているのは、「神戸牛」などのブランド力のある牛肉のみで、豚肉や鶏肉は輸出できない。

     政府はEUの現地調査を受け入れるなど緩和を求めてきたが、近年、鳥インフルエンザや豚とんコレラなどの家畜伝染病が国内で発生したこともあり、EU側は規制を継続している。

     日本総合研究所の三輪泰史エクスパートは「通商協定の枠組みで、非関税障壁についても、加盟国の共通の課題として積極的に協議するべきだ」と指摘する。
    https://www.yomiuri.co.jp/economy/20190309-OYT1T50308/

    返信削除
  10. 震災8年、今なお5.2万人避難 - 2019/3/10
    https://news.yahoo.co.jp/pickup/6316621

    返信削除
    返信
    1. 避難なお5万2千人=東日本大震災、11日で8年
      3/10(日) 17:57配信 時事通信

      東日本大震災から11日で8年となるのを前に、福島県いわき市の久之浜で慰霊碑を見詰める親子=10日

       東日本大震災は11日、発生から8年を迎える。

       復興庁によると、避難者は1年前に比べ約2万人減少し5万1778人(2月7日現在)。福島では、東京電力福島第1原発事故の影響でなお約3万2600人が県外で避難生活を送る。11日は、平成で最後となる追悼の集いが被災各地で開かれる。

       警察庁によると、死者は8日現在、12都道県の1万5897人、行方不明者は2533人。復興庁が公表している、震災による負傷の悪化などで亡くなった「震災関連死」を合わせると、犠牲者は2万2100人を超える。

       政府の復興・創生期間が終了する2020年度末まで残り約2年となった。沿岸部では、防潮堤や復興道路「三陸沿岸道路」の建設が進み、不通が続いていたJR山田線宮古-釜石も第三セクター三陸鉄道(岩手県宮古市)に移管され、今月23日に運行が始まる。インフラ面の復興は着実な歩みを重ねている。
      https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190310-00000078-jij-soci

      削除
  11. 原発事故対応 最大81兆円試算 - 2019/3/10
    https://news.yahoo.co.jp/pickup/6316556

    返信削除
    返信
    1. 福島第一事故の対応に最大81兆円 シンクタンクが試算
      3/9(土) 23:52配信 朝日新聞デジタル

       東京電力福島第一原発事故の対応費用が総額81兆~35兆円になるとの試算を民間シンクタンク「日本経済研究センター」(東京都千代田区)がまとめた。経済産業省が2016年に公表した試算の約22兆円を大きく上回った。

       81兆円の内訳は、廃炉・汚染水処理で51兆円(経産省試算は8兆円)、賠償で10兆円(同8兆円)、除染で20兆円(同6兆円)。

       経産省試算との大きな違いは、汚染水の浄化処理費用を約40兆円と大きく見積もったことや、除染で発生する土壌などの最終処分費用を算入したことなど。また、この汚染水を、水で薄めたうえで海洋放出する場合は、廃炉・汚染水処理の費用が11兆円になり、総額も41兆円になるとした。

       これに加えて事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)を取り出さずにコンクリートで封じ込める、いわゆる「石棺」方式を採用した場合は、廃炉・汚染水の費用が4・3兆円になり、総額も35兆円になるとした。ただ、「石棺」方式は、かつて「復興やふるさとへの帰還をあきらめることにつながる」などと問題になったことがある。

       同センターは2年前、総額70兆~50兆円に膨らむとの試算を出したが、その後の汚染水処理や除染などの状況を踏まえ、再試算した。試算を示したリポートはこの費用の増加を踏まえ、「中長期のエネルギー計画の中で原発の存否について早急に議論、対応を決めるときではないか」と指摘した。(小森敦司)
      https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190309-00000074-asahi-soci

      削除
  12. 社説
    大震災8年 残された課題に一段の注力を
    2019/03/11 05:00

    ◆人口減踏まえた対応策を探れ◆

     東日本大震災の発生から8年になる。

     死者・行方不明者は1万8430人に上り、関連死も3700人を超える。未曽有の災害は平成史に深く刻まれた。犠牲になった方々の冥福めいふくを改めて祈りたい。

     震災発生後、政府は復興に要する期間を10年間と見積もった。後半5年の「復興・創生期間」も残り2年となっている。

     残された課題の解決に一段と力を注がねばならない。

    ◆住民の孤立を防ごう

     甚大な津波被害を受けた岩手、宮城、福島3県では、被災者の生活の基盤となる住宅の再建事業がゴールに近づいている。

     復興住宅は計画の98%にあたる約3万戸が完成し、宅地造成の進捗しんちょく率も90%を超えている。

     震災1年後に11万人以上に及んでいた仮設住宅団地の避難者は、3000人台に減少している。政府は岩手、宮城県について、2年程度での仮設解消を見込む。

     懸念されるのは、移転先で孤立する住民が目立つことだ。

     マンション型の復興住宅には、高齢世帯が多く、孤立死が報告される。地元自治体が、NPOなどの協力を得て展開してきた見守り活動も、時間の経過とともに縮小される傾向にある。

     移転してきた被災者と地元住民との交流を促す取り組みが欠かせない。多くの住民が集うイベントの開催や自治会運営への支援を通じ、コミュニティーの形成を後押ししていくことが望まれよう。

     津波の被災地では、大規模なかさ上げで造成された宅地の利用にめどが立たないことも、依然として大きな課題である。

     岩手県陸前高田市では、宅地用のかさ上げ地の約66%で、当面は利用予定がないという。

     いかに街の魅力を高めるか。さらに知恵を絞らねばならない。

     岩手県の宮古―釜石間の鉄路が今月下旬、三陸鉄道リアス線として復旧する。釜石市はラグビー・ワールドカップの会場となる。

     一過性の話題に終わらせず、こうした機会を地域の活性化に役立てていくことが大切である。

     東京電力福島第一原発の周辺地域では昨年から、公共施設や住宅を集約し、住民の帰還に備える取り組みが始まった。

    ◆実効性ある整備計画に

     放射線量が高い帰還困難区域の一部を「特定復興再生拠点」として、優先的に除染する。

     帰還困難区域全体を除染するには膨大な時間と費用がかかる。各町村内で地域を絞り、再生を図るのは現実的な措置と言える。政府は着実に除染を進めるべきだ。

     ただし、復興再生拠点の避難指示解除は3~4年後になる。

     ほぼ全域が帰還困難区域の双葉町では、昨秋の調査に避難住民の6割超が「戻らないと決めている」と回答した。医療や福祉に不安があるといった理由が多い。

     不安を解消するには、実効性のある地域再生の青写真を避難住民に示す必要がある。

     医療機関や商業施設などをどう整備するか。具体策に踏み込んだ計画の策定が不可欠だろう。

     避難指示が解除された地域でさえ、住民が戻る動きは依然として鈍い。帰還率が比較的高いとされる楢葉町でも、現在の居住者は震災前人口の半数弱だ。

     こうした現状を踏まえれば、除染後の帰還困難区域についても楽観はできまい。

     第一原発周辺では大量の除染土が発生し、農地などに積み上げられている。帰還促進のため、その処分は喫緊の課題である。

     飯舘村では、放射線量の低い除染土を使って農地を造成し、花などを栽培する試みがスタートした。除染土で低地をかさ上げし、通常の土で覆う。丁寧な説明で住民の理解を得ながら、再利用を広げていくことが大切だ。

    ◆息の長い支援が必要だ

     自治体がばらばらに復興を進めるのではなく、分散する医療機関や介護施設などを集約する。連携して商業施設を誘致する。多くの住民が戻らないことも視野に入れた方策を、検討すべき時期に来ているのではないか。

     2年後に設置期限を迎える復興庁については、後継組織の設置が閣議決定された。安倍首相は、「復興が成し遂げられるまで国が前面に立つ」と強調している。

     被災地には息の長い政府の支援が要る。中でも、原発事故の傷痕が深い福島の復興に向けた取り組みは、完了時期が見通せない。

     後継組織の体制は今後、政府・与党内で検討が進められる。復興という重い責務を担える組織を作らねばならない。
    https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20190310-OYT1T50183/

    返信削除
  13. 東日本大震災8年 人口急減が地域再生の足かせに
    2019年3月11日 6時03分

    2万2000人以上が犠牲となった東日本大震災の発生から11日で8年です。被災地では災害公営住宅など住まいの復興事業はほぼ完了しましたが、移り住んだ先での孤独死や健康への影響が課題になっているほか、震災のあと急速に進む人口減少が地域経済の再生や生活再建の足かせとなっています。

    8年前に発生した東日本大震災では、警察庁のまとめで災害関連死を含め少なくとも2万2131人が犠牲となり、総務省消防庁によりますと12万棟余りが全壊しました。

    ことし1月末の時点で災害公営住宅の建設は計画の98.4%に達し、高台への移転やかさ上げ工事が終わった宅地も計画の94.5%となり、住まいに関わる復興事業は完了しようとしています。

    一方、大きな被害を受けた岩手、宮城、福島の3県の災害公営住宅では、誰にもみとられずに亡くなる「孤独死」が去年1年間で76件と、前の年より4割近く増え、移転先での環境変化になじめず睡眠障害や心理的苦痛などを引き起こす「リロケーションダメージ」と呼ばれる健康影響が深刻になっています。

    人口は、震災前と比べて、
    ▽宮城県女川町が40.7%、
    ▽宮城県南三陸町が34.1%、
    ▽福島県川内村が31.5%減少するなど、少なくとも20の自治体で10%以上減少し、地域経済の再生や生活再建の足かせとなっています。

    さらに、職場や学校で震災後の新入職員や震災を知らない子どもが増える中で、記憶の風化を防ぎ、教訓を次の世代につないでいく取り組みも求められています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190311/k10011842951000.html

    返信削除
    返信
    1. 東日本大震災8年「収入減った」が被災者の半数超
      2019年3月11日 6時12分

      東日本大震災から8年となるのを前にNHKが岩手・宮城・福島の被災者にアンケートを行ったところ、5割余りの人が震災前と比べて収入が減ったと回答しました。街や住まいの復興が進む一方で生活ぶりは厳しく、暮らしの再建が課題となっています。

      NHKは去年12月からことし1月にかけて、岩手・宮城・福島の被災者や原発事故の避難者など、合わせて4400人余りにアンケートを行い、全体の36%にあたる1608人から回答を得ました。

      この中で、現在の収入が震災や原発事故の影響を受けているか聞いたところ、震災前と比べて「収入が減った」という回答が53.9%と半数を占めました。「震災の影響はない」が25.6%、「収入が増えた」が5.3%でした。

      収入が減った理由について、複数回答で尋ねたところ、
      ▽「職を失った」が最も多く35%に上ったほか、
      ▽「行政などの支援が減った」が13.9%、
      ▽「転職・転業で給与が下がった」が11.8%、
      ▽「事業の不振」が11.3%、などとなっています。

      収入が減ったことによる生活への影響について複数回答で尋ねると、
      ▽「趣味やレジャーを減らした」が61.5%、
      ▽「食費や水道・光熱費を削った」が52.5%、
      ▽「生活を維持するために借金をした」という回答も6.8%ありました。

      街や住まいの復興が進む一方で、生活ぶりは依然として厳しい人が多く、暮らしの再建が課題となっています。

      自由記述の中で、岩手県宮古市の62歳の女性は「なりわいのためにした借金の返済を滞らせるわけにはいかないが、思い描いていたほどの売り上げには至っていない。あすの支払いをどうしようかということで頭がいっぱいだ」とつづっています。

      仙台市の災害公営住宅に住む69歳の女性は「10年後には家賃が3倍に増えると説明を受けました。家を失い、医療や介護の自己負担が増える中、年金だけで暮らしていけるか不安です」と回答しています。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190311/k10011842961000.html

      削除
    2. 東日本大震災8年 漁業関係者は本格操業願う 福島 いわき
      2019年3月11日 11時47分

      福島県沖では原発事故から8年がたつ今も安全性が確認された海域や魚種に限定した形での試験的な漁が続いていて、漁業関係者たちは本格的な操業ができる日を待ち望んでいます。

      福島県いわき市にある沼之内魚市場では11日も水揚げされたヒラメなどが次々に持ち込まれ、競りにかけられていました。

      福島県沖では原発事故から8年がたつ今も安全性が確認された海域と魚介類に限定した試験的な漁が続いていて、徐々に対象魚種や操業日数は増えていますが、県漁連のまとめによりますと去年1年間の水揚げ量は事故が起きる前の15%余りにとどまっています。

      小型船で漁業を行っているいわき市の坂本新一郎さんは「1歩1歩進みながら8年でここまで来ました。事故前の状況に戻るにはどのくらいかかるかわかりませんが、1日も早く本格操業ができるよう願っています」と話していました。

      また底引き網漁に携わっているいわき市の伊藤政明さんは「原発の影響がなくならないかぎり魚の値段も回復せず、うまくいかないです。本当は毎日操業したいし、以前のような活気を早く取り戻したい」と話していました。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190311/k10011843351000.html

      削除
    3. 帰還困難区域の神社に防護服姿で参拝 福島 双葉町
      2019年3月11日 12時10分

      原発事故にともなって町の広い範囲が帰還困難区域に指定されている福島県双葉町では去年、建て直された神社に地元の人が防護服姿で参拝に訪れていました。

      参拝に訪れていたのは、双葉町細谷地区の副区長で、現在は福島県郡山市に避難している田中信一さん(68)です。

      双葉町は町の面積のほとんどが原則、立ち入りできない「帰還困難区域」に指定されていますが、田中さんをはじめ町外に避難している地元の人たちが心のよりどころとして残そうと、震災で壊れた神社を建て直し、去年の夏、8年ぶりに例大祭を開きました。

      そして、原発事故から8年の11日、田中さんは1人、防護服姿で神社を訪れ、地域の復興と地区の人々の無病息災を静かに祈っていました。

      田中さんは「ふるさとが失われていくのは本当に寂しいです。私たちがここで暮らしていたことを示す神社には、毎年、参拝していきたいです」と話していました。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190311/k10011843461000.html

      削除
    4. 東日本大震災と原発事故8年 全国で今も5万人以上が避難生活
      2019年3月11日 12時34分

      東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から11日で8年です。被災地では住宅の再建がおおむね進む一方で、依然として全国で5万人以上が避難生活を余儀なくされ、人口減少や高齢者の孤立なども課題となっています。

      8年前の平成23年3月11日午後2時46分ごろ、東北沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、東北や関東の沿岸に高さ10mを超える津波が押し寄せました。

      犠牲者2万2131人(震災関連死含む)

      警察庁のまとめによりますと、今月8日現在で死亡が確認された人は合わせて1万5897人、行方不明者は合わせて2533人となっています。

      復興庁によりますと、長引く避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」と認定された人は去年9月末までに3701人で、震災による犠牲者は「震災関連死」を含めて少なくとも合わせて2万2131人となっています。

      進む住宅再建

      住宅の再建はおおむね進み、ことし1月末までに、自宅を失った人などが入る「災害公営住宅」は計画の98.4%にあたる2万9212戸が完成し、高台への移転や地盤のかさ上げ工事で完成した宅地は合わせて1万7227戸と計画の94.5%に達しています。
      残る課題 今も5万人が避難余儀なくされる
      一方、課題も多く残ります。

      福島県では立ち入りが厳しく制限されている「帰還困難区域」が7の市町村にあり、住民の帰還の見通しが立っていないほか、岩手県と宮城県の一部の地域では、土地のかさ上げなどの土地区画整理事業が遅れています。

      避難を余儀なくされている人は復興庁の先月時点のまとめで全国で5万1778人に上り、震災直後のおよそ47万人から徐々に減少しているものの、避難生活はかつてないほど長期化しています。

      また、国勢調査を基にした自治体のデータを使いNHKが震災前の平成23年3月1日から先月1日までの人口の増減をまとめたところ、岩手、宮城、福島の35の自治体のうち、震災前と比べて10%以上人口が減った自治体は20と半数以上に上り、人口減少に歯止めがかかっていません。

      残る課題 増える孤独死

      NHKの調査で、岩手、宮城、福島の災害公営住宅で誰にもみとられずに「孤独死」した人は高齢者を中心に去年1年間で76人と、前の年より4割増えたことが分かり、高齢者の孤立も課題となっています。

      残る課題 原発内の堆積物どう取り出す

      3基の原子炉でメルトダウンが起きるという世界最悪レベルの事故が発生した福島第一原発では先月、「燃料デブリ」とみられる堆積物に初めて触れることができ、廃炉最大の難関とされるデブリの取り出しに向け、調査や検討が進められています。

      燃料デブリは溶け落ちた核燃料が構造物と混じり合ったもので、福島第一原発2号機では先月初めて、格納容器の底でデブリとみられる堆積物に直接触れる調査が行われました。

      調査では小石状の堆積物を持ち上げることができましたが、粘土状に見えた堆積物は硬く、動かすことができませんでした。

      来年度は2号機だけでなく、1号機でも少量の堆積物をサンプルとして取り出すなどの内部調査が行われる予定で、国と東京電力は調査結果を踏まえて、来年度中にどの号機からどんな方法でデブリを取り出すかを決め、2021年から取り出しを始める計画です。

      残る課題 出続ける汚染水

      福島第一原発1号機から3号機で溶け落ちた核燃料を冷やすために原子炉に注がれた水が建屋の地下にたまり、そこに山側からの地下水が流れ込むなどして汚染水が発生し続けています。

      対策として、地下水をくみ上げたり、周辺の地盤を凍らせて氷の壁で囲み地下水の流入を抑える「凍土壁」を建設したりして、汚染水の発生量は減っています。
      しかし、原発の敷地内のタンクに保管されている汚染水を処理したあとの水は112万トン、タンクの数は948基に上っています。

      この水の処分について原子力規制委員会は、国の基準以下に薄めて海に放出する方法が合理的だとしていますが、去年8月、福島県などで開かれた公聴会では地元の漁業者などから「風評被害」を理由に海に放出するなどの処分に反対する意見が相次ぎ、最終的な処分方法は決まっていません。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190311/k10011842891000.html

      削除
  14. 原発事故から8年「汚染水」が今も大きな課題に
    2019年3月11日 13時03分

    事故から8年となる今も福島第一原発で大きな課題となっているのが「汚染水」です。

    なぜ汚染水が出てくる?

    1号機から3号機では溶け落ちた核燃料を冷やすため、原子炉に水を注ぐ必要があります。これが核燃料に触れることで、高濃度の汚染水となって建屋の地下にたまっているのです。

    さらに山側からの地下水が建屋に流れ込むなどして、建屋内の汚染水は、2015年度の平均で1日490トンずつ増え続けていました。

    汚染水減らす対策は?

    東京電力は汚染水を減らすために建屋に流れ込む地下水を抑えようと対策に取り組んできました。

    ▽建屋の上流側で地下水をくみ上げて海に流す「地下水バイパス」や、
    ▽建屋周辺の井戸で地下水をくみ上げる「サブドレン」と呼ばれるもので、地下水が流入する量を減らしてきたのです。

    さらに汚染水対策の柱として2016年3月から運用が始まったのが「凍土壁」です。建屋の周辺の地盤を凍らせて氷の壁で取り囲み、地下水の流入を抑える対策で、パイプに氷点下30度の液体を流しておよそ1.5キロの氷の壁を作り、東京電力は2017年11月、おおむね完成したとしました。

    この効果について、東京電力は発生する汚染水の量は凍土壁がない場合に比べ、1日およそ95トン減少しているという試算を公表し、一定の効果があると評価しています。

    これらの対策で、1日490トン発生していた汚染水の量は180トンに減りました。

    しかし、凍土壁について、会計検査院は去年3月、最終的な経費が国からの補助金およそ345億円を含む562億円にのぼるとしたうえで、「凍土壁の整備による効果を適切に示す必要がある」と指摘し、東京電力は引き続き、費用対効果の検証を求められています。

    タンクには大量の水

    くみ上げられた汚染水は専用の設備で放射性物質を取り除く処理が進められていますが、トリチウムという放射性物質は、取り除くことができません。

    原発の敷地内で保管されている汚染水を処理したあとの水は112万トンで、タンクの数は948基にのぼり、このうち、89%の100万トン近くがトリチウムなどの放射性物質を含む水です。

    こうした水は今も増えていて、東京電力は2020年末までに137万トンを保管できる建設計画を示していますが、タンクの建設に適した用地が限界を迎えつつあるといいます。

    福島第一原発の廃炉では取り出した燃料デブリを保管する場所など、今後の作業で一定規模の土地が必要になるからだとしています。

    水をどうするか検討は難航

    国の有識者会議は、トリチウムなどを含む水の処分を検討していて、2016年には海への放出や地中への処分など5つの方法のうち、トリチウムの濃度を基準以下に薄めたうえで、海に放出する方法が最も早く、低コストで処分できるとする評価をまとめています。

    しかし、去年8月に福島県内などで開かれた公聴会では地元の漁業者などから「風評被害」を理由に海に放出するなどの処分に反対する意見が相次ぎました。

    さらにたまり続けている水にはトリチウム以外の放射性物質も基準を超えて含まれていることについて東京電力が十分、説明してこなかったことにも批判が集まり、東京電力はことし1月、専門家などで作る委員会から「いまだにコミュニケーションが効果的にできていないことが不満だ」と指摘を受けました。

    処分に対する風評被害の懸念に加え、東京電力や国の情報公開への消極的な対応が問題を複雑化させたと言えます。

    トリチウムなどを含む水の取り扱いはどうすべきなのか。地元の人だけでなく、国民の幅広い理解が欠かせない問題です。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190311/k10011843521000.html

    返信削除
    返信
    1. 二酸化炭素を地下に封じ込めできるんなら、汚染水なんかお茶の子さいさいだろうにね…

      削除
    2. 「二酸化炭素 地中封じ込め」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E4%BA%8C%E9%85%B8%E5%8C%96%E7%82%AD%E7%B4%A0+%E5%9C%B0%E4%B8%AD%E5%B0%81%E3%81%98%E8%BE%BC%E3%82%81

      削除
    3. [震災8年]デブリ除去 長期戦
      2019/03/11 05:00

       東京電力福島第一原子力発電所の事故では、1~3号機で炉心溶融(メルトダウン)が起きた。2号機では2月、溶融燃料と炉内構造物が混ざった「核燃料デブリ」とみられる堆積たいせき物を、物を挟む道具「トング」のような装置でつかんで動かすことに成功した。デブリの取り出しに向けた第一歩となったが、一方で、固くて動かない場所もあった。これらをどう除去するのか、まだ多くの難関が立ちはだかる。(科学部 稲村雄輝)


      新装置で調査…「硬い岩」動かせず

       「動くことがわかったのは、大きな成果だ」。東電の小野明・廃炉・汚染水対策最高責任者は、2号機のデブリ接触調査についてそう語る。

       2号機では昨年1月、原子炉格納容器の底部に、燃料集合体の部品や、デブリとみられる大量の堆積物が見つかった。今年2月13日の接触調査では、トング状の装置で堆積物をつかみ、動くかどうかを確かめた。

       格納容器の壁面を貫く配管から、最長15メートルまで伸びるパイプを差し込み、パイプの先端に取り付けた装置を格納容器の底部に向けてつり下げた。

       炉心直下の作業用の床と、その下の格納容器底部の計10か所で堆積物に触れた。このうち7か所では、小石のような形の堆積物や、金属の破片のようなものをつかんで、持ち上げることができた。

       東電の担当者は「同じような形のデブリであれば、つかんだり吸引したりして、取り出すことが可能だとわかった」と説明している。炉心直下の放射線量は、最大で毎時8シーベルトだった。

       一方、10か所中3か所は、堆積物を動かすことができなかった。外見から粘土のように軟らかいものと予想されていたが、実際には硬い岩のようなものだった。作業用の床に付着している堆積物の一部も、固まっていて動かなかった。

       2号機では2019年度後半に、英国製のロボットアームを使ってデブリを少量採取し、硬さや組成などを分析する計画だ。

       1号機と3号機でも、原子炉格納容器内の調査や、デブリ取り出しの工法の検討が続いている。

       1号機はまだデブリが見つかっていない。19年度前半に、ロボットによる調査が予定されている。1号機の格納容器内は水位が2メートルほどあるため、水中ロボットを使う。放射線の一種、中性子線の測定や、デブリの採取など、用途の異なる6種類の水中ロボットを投入する計画だ。

       3号機の格納容器内は水位が1号機よりも高く、約6メートルある。17年7月、潜水ロボット「ミニマンボウ」による調査で、底部付近にデブリとみられる堆積物が見つかった。デブリを取り出すには、水を抜き取って水位を下げる必要があると考えられており、その具体的な方法を検討中だ。

      2号機が先行か

       政府は1~3号機のうち最初にデブリを取り出す号機を19年度中に決め、21年中に取り出しを始める予定だ。経済産業省幹部は「調査が先行している2号機が最有力」と指摘している。

       政府の計画では、廃炉完了の目標時期は41~51年。21年のデブリ取り出し開始は、気の遠くなるような長い作業の始まりに過ぎない。
       

      プール燃料取り出しへ…3号機、無人機器で試験

       1~3号機では、原子炉格納容器内のデブリとは別に、使用済み核燃料貯蔵プールにも燃料が残っている。プールで安定的に冷却されているが、今も熱と放射線が出ている。これらの燃料も撤去して、デブリ取り出しなどのより困難な廃炉作業のリスクを下げる必要がある。

       3号機のプールでは、4月以降に燃料の取り出しが試験的に始まる。プールのある原子炉建屋最上階は放射線量が高いため、作業は無人機器で行う。

       東電は当初、昨年秋から3号機のプールの燃料を取り出し始めることにしていた。水素爆発で吹き飛んだ原子炉建屋の上部にドーム屋根を設置し、準備を進めた。しかし、燃料取り出し用の機器に不具合が相次いで見つかり、その原因調査や部品交換などで予定が大幅に遅れた。

       1、2号機のプール燃料は、23年度をめどに取り出し作業が始まる計画だ。1号機では水素爆発で散乱した建屋上部のがれきの撤去作業が進む。2号機では建屋上部の解体に向け、放射線量調査などが行われた。


      津波再来を警戒…千島海溝地震で10メートル恐れ

      福島第一原発では津波対策強化のため、建物の開口部に水密扉を設置する作業が進められている(2月22日)

       福島第一原発は東日本大震災で高さ約15メートルの津波に襲われ、全電源を喪失してメルトダウンに至った。現在の状態で再び高い津波が来ると、原子炉建屋などの建物の地下に滞留する汚染水が、津波の引き波などで海に漏れ出す恐れもある。

       政府の地震調査研究推進本部は、北海道太平洋側の千島海溝沿いで発生が予想される超巨大地震への警戒を呼びかけている。東電がこの地震による津波の高さを計算したところ、福島第一原発では最大で10・3メートルとなり、原子炉建屋などのある海抜8・5メートルの敷地が浸水する可能性がある。

       このため東電は、地下につながっている建物の開口部に水密扉を取り付けるなどの津波対策の工事を始めている。1~4号機の海側には2019年度から、海抜11メートル、全長600メートルの防潮堤を建設し、20年度中の完成を目指している。

       汚染水と、汚染水からトリチウム以外の放射性物質を除去した「処理水」の扱いも課題だ。福島第一原発の敷地内には、汚染水や処理水を貯蔵するタンクが林立している。その数は900基を超えており、新たにタンクを設置する場所の確保が難しくなってきているという。

       政府の有識者会議は、海洋放出なども含めた処理水の処分方法について、2年以上にわたって検討を続けているが、地元の反発などもあり、結論は出ていない。
      https://www.yomiuri.co.jp/science/20190310-OYT1T50160/

      削除
  15. 福島第一原発周辺地区はかつての景色が一変
    2019年3月11日 13時51分

    福島第一原発を囲むように大熊町と双葉町で整備される除染廃棄物の中間貯蔵施設は用地の交渉や施設の建設工事のほか、廃棄物の搬入も進められています。

    このうち双葉町の細谷地区では住宅の解体などが進められ、かつての景色が一変しています。

    11日は副区長を務める田中信一さん(68)が地区の様子を見に訪れ、大型のクレーンが立ち並ぶ変わり果てたふるさとの風景を見て回りました。

    田中さんの自宅も今月中に解体が予定されていて、田中さんは荒れ果ててしまった部屋の中に入り、50年余り住んだ思い出の家をさびしそうに見つめていました。

    見慣れたふるさとが変わっていく姿に田中さんは「田畑や住宅が広がっていた面影は全く見当たりません。涙が出てくるくらいさびしく思います」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190311/k10011843631000.html

    返信削除
    返信
    1. じじい部隊が最後の仕事「あとは次の世代に」 福島 大熊町
      2019年3月11日 18時05分

      立ち入りが厳しく制限されている福島県大熊町の帰還困難区域では、地域の清掃作業などを続けてきた男性たちのグループが、最後の仕事にあたりました。

      このグループは、大熊町から地域の管理業務を委託された臨時職員の男性6人で、平均年齢が66歳と高いことから、「じじい部隊」と呼ばれています。

      6年前から、住民が避難して不在となった地域で道路や水路の管理、それに清掃作業などにあたってきましたが、来月、一部の地区で避難指示が解除される見通しとなり、新しい役場の業務が始まるのにあわせて、今月いっぱいで活動を終了します。

      震災から8年の11日は、帰還困難区域を通る用水路の点検作業を行い、くわなどを使って落ち葉などのゴミを集める作業にあたりました。

      そして、津波で12人が亡くなった熊川地区に移動すると、花を手向けてメンバー全員で海に向かって黙とうをささげました。

      リーダーの鈴木久友さん(66)は「メンバー全員がこれまで無事故で活動を続けられてよかったです。あとは次の世代に託します」と話していました。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190311/k10011844171000.html

      削除
    2. 自分らが目先の欲でいい目をみようとしたために、子や孫世代の「ふるさと」を奪い去った間違いをおかしてしまった愚かなる世代…

      自業自得、因果応報というほかない。

      削除
  16. 震災発生から8年間の地震活動「依然 活発な状況」地震調査委
    2019年3月11日 20時57分

    政府の地震調査委員会は、東日本大震災の発生から現在までの地震活動について検討し、「依然として活発な状況にあり、今後も長期間にわたり余震域やその周辺では強い揺れや津波に見舞われる可能性がある」とする見解を示しました。

    政府の地震調査委員会は11日、定例の会合を開き、東日本大震災の発生から8年間の地震活動などについて検討しました。

    委員会によりますと、岩手県沖から千葉県東方沖にかけての「余震域」とされる範囲で、この1年間に震度1以上を観測した地震の数は震災前と比べ1.5倍程度と、今も活発な状態が続いているというとです。

    先月、地震調査委員会は東北から関東にかけての日本海溝沿いの領域ではマグニチュード7クラスの大地震が発生する確率は、最大で90%程度以上という評価を公表しています。

    この評価も踏まえたうえで、委員会は「余震活動は徐々に低下しているものの依然として活発な状況にあり、今後も長期間にわたり強い揺れや津波に見舞われる可能性がある」とする見解をまとめました。

    地震調査委員会の委員長で東京大学地震研究所の平田直教授は、「8年たった現在も避難生活をおくるなど不自由な生活をしている方もいると思う。ただ、地震の影響は今も続いている。東北沖や日本海溝沿いでは引き続き注意してほしい」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190311/k10011844451000.html

    返信削除
  17. 7県の除染土 今も2万8000か所で保管 処分への理解 課題に
    2019年3月12日 5時14分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う除染で、福島県以外の東北と関東の7つの県で取り除いた土は、処分の基準がないため、今も住宅の庭や公園など約2万8000か所に保管されたままになっています。環境省は、基準を策定し、埋め立て処分を行う方針ですが、住民の理解をどのように得ていくかが課題になっています。

    8年前の原発事故に伴う除染は、福島、岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉の8つの県で行われました。

    環境省によりますと、このうち福島県以外の7つの県の除染で取り除いた土の量は、合わせて32万9000立方メートル余りで、処分に関する国の基準がないため、今も住宅の庭や公園の地中など合わせて約2万8000か所に保管されたままになっています。

    環境省は、これらの土について、保管されている場所と同じ市町村内で集約したうえで埋め立て処分を行い、管理していく方針を示していて、去年秋から、茨城県東海村と栃木県那須町で、土を地中に埋めて周辺の空間放射線量などを測定する実証事業を行っています。

    環境省は、実証事業の結果をもとに、処分の基準を来月以降できるだけ早く策定し、埋め立て処分を急ぐことにしています。

    一方で、埋め立て処分について、住民の理解をどのように得ていくかが課題になっていて、環境省は、埋め立てる量を削減するため、土を公共工事の資材などとして再生利用することができないか検討することにしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190312/k10011844601000.html

    返信削除
    返信
    1. 原発事故の除染土 福島県内で今も身近な場所に置かれたままに
      2019年3月7日 4時06分

      東京電力福島第一原発の事故に伴う除染で出た土などは、福島県内では事故から8年がたつ今も、10万か所を超える住民に身近な場所に置かれたままになっています。保管の長期化に、住民からはいち早い撤去を求める声があがっています。

      福島県内の除染で出た土や草木などは住宅の庭や駐車場など住民に身近な場所に保管されたあと、農地などの仮置き場に集められて、福島県双葉町と大熊町に整備中の中間貯蔵施設に運び込まれます。

      施設への搬入は4年前に始まりましたが、施設は一部しか完成しておらず、これまでに運び込まれた量は搬入の予定量の17%にとどまっています。

      環境省などによりますと、福島県内では原発事故から8年となる今も、土などが住宅の庭や駐車場など10万4938か所と仮置き場933か所に置かれたままになっています。

      環境省は中間貯蔵施設の整備が進んでいるとして、新年度は、今年度の倍以上の量を施設に運び込む計画で、帰還困難区域を除く地域で保管されている土などについて、2022年3月までに搬入をおおむね終えることを目指すとしています。

      こうした対応に住民からは「身近な場所からできるだけ早く撤去してほしい」、「対応が遅すぎる」などという声があがっています。

      環境省は「安全を最優先にして中間貯蔵施設への搬入を速やかに進め、住民の生活圏からいち早くなくしたい」としています。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190307/k10011838501000.html

      削除
    2. 福島第一原発の盛り土に使えばいいだけなのに…

      山盛りにして放置するのが一番の得策だ。

      削除
    3. 平成23年(2011年)のモニュメントの「古墳」として、そのまえに「過ちは繰り返しませぬから」の石碑でも建てておくこったな。

      削除
  18. [スキャナー]福島第一 遠い廃炉
    2019/03/12 05:00

     東京電力福島第一原子力発電所の事故から、8年が経過した。現場では1日4000人以上の作業員が、終わりの見えない困難な作業を続けている。敷地内は除染で放射線量が下がったものの、汚染水を浄化処理した「処理水」の処分方法は決まらず、タンクが所狭しと並ぶ。2041~51年の完了を目指す廃炉工程は、まだ始まったばかりだ。(科学部 稲村雄輝)

     
    増える処理水 処分未定

    汚染水を浄化した「処理水」などのタンクが林立する福島第一原発(2月13日、関口寛人撮影)

     「処理水の処分方法についての選択が大きな課題。東京電力は当事者としての判断と見解を示すべきだ」。原子力規制委員会の更田豊志ふけたとよし委員長は11日、都内での原子力規制庁職員に対する訓示の中で、処理水の扱いを決められない東電への不満を述べた。

     福島第一原発では、炉心溶融(メルトダウン)が起きた1~3号機の原子炉建屋の地下などに高濃度の汚染水が滞留している。そこに地下水が流入し、1日あたり50~100トンの汚染水が発生している。

     複数の浄化装置で汚染水から放射性物質を除去しているが、水素の一種である放射性物質「トリチウム(三重水素)」は除去できない。このトリチウムなどが残った水を「処理水」と呼び、敷地内のタンクに貯蔵し続けている。

     これまでに発生した処理水の量は計約100万トンで、タンクの数は汚染水も合わせて約950基になっており、タンクを建設する場所が不足しつつある。

     政府の有識者委員会は2年以上にわたり、海洋放出などの処分方法を検討しているが、風評被害の懸念から結論を出せないでいる。東電は「政府の方針決定を待つ」との立場で、具体的な解決策を示していない。

     福島第一原発の平日1日あたりの作業員は、4000~6200人。タンクの増設・解体やがれき撤去、除染など、様々な作業が休むことなく続く。事故直後は顔の全面を覆うマスクや防護服の着用が必要だったが、除染が進み、敷地の96%は簡易マスクと一般の作業服でよくなった。防護服が必要なのは、原子炉建屋周辺などごく一部だ。

     それでも、作業員の不安は解消されていない。東電が昨年9月、作業員約5000人にアンケートをしたところ、廃炉作業に不安を感じている人は約42%で、前年より3・2ポイント増えた。

     不安の理由は「先の工事量が見えないため、いつまで働けるかわからない」「被曝ひばくによる健康への影響」などが多かった。原発事故の避難者の作業員も多く、被曝のリスクを負いながらも、廃炉作業に収入源を頼らざるをえない現実などが背景にあるとみられる。
     

    溶融燃料の除去 最難関…米スリーマイル・旧ソ連チェルノブイリ 他国の事故データ活用

     廃炉の最大の難関は、溶融した核燃料と炉内構造物が混ざった「核燃料デブリ」の取り出しだ。2号機では先月、原子炉格納容器内でデブリとみられる堆積たいせき物の一部を、遠隔操作でつかんで持ち上げることに成功した。しかし、岩のように硬く、動かせない堆積物もあった。今後、これらを安全に砕いたり削ったりする技術の開発が必要だ。堆積物付近の放射線量は最大で毎時約8シーベルトで、仮に人間が1時間被曝すると死亡する恐れがある。

     政府の廃炉工程表では、最初にデブリを取り出す原子炉を2019年度中に決め、21年内に取り出しを始める予定だ。日本原子力学会「廃炉検討委員会」委員長の宮野広・法政大客員教授は、「工程ありきではなく、デブリの特徴や必要な技術開発を見極めた上で、取り出しに着手するべきだ」と話す。

     1979年に炉心溶融事故が起きた米国のスリーマイル島(TMI)原発2号機では、事故発生から11年かけて溶融燃料の取り出しを終えた。

     溶融燃料が原子炉圧力容器を突き破った福島第一原発とは異なり、TMIは圧力容器内にとどまった。容器に水を張って作業をしたため、水で放射線を遮蔽しゃへいできたほか、破片が周囲に飛び散るリスクを抑えることができた。原子炉などの解体は、隣の1号機の運転終了後になる見込みだ。

     86年に爆発事故が起きた旧ソ連のチェルノブイリ原発の場合、溶けた燃料が原子炉建屋の地下まで流れ込んだ。溶融燃料の取り出しは困難で、コンクリートで建屋を覆って閉じ込める「石棺」方式を採用した。石棺の老朽化が進んだため、現在は鉄製のシェルターで全体を覆っている。

     福島第一原発では、溶融燃料が原子炉格納容器などのコンクリートに触れ、分解や浸食が起きたとされる。チェルノブイリでも溶融燃料とコンクリートが反応した。

     日本原子力研究開発機構は、福島第一原発の溶融燃料の特徴を推定する研究を進めている。同機構の鷲谷忠博・研究推進室長は、「他国の事故のデータや、福島第一原発で今後採取する溶融燃料の分析を通じて、取り出し方法の検討に役立てたい」と話している。
    https://www.yomiuri.co.jp/science/20190311-OYT1T50362/

    返信削除
  19. 原発事故で放出のセシウム 大半は森林の地中にとどまる
    2019年3月13日 4時10分

    東京電力・福島第一原子力発電所の事故から8年。事故では大量の放射性セシウムが放出され、その多くは森林に積もったとみられていますが、大半が地中にとどまっていることが研究機関の調査でわかりました。

    日本原子力研究開発機構によりますと、福島第一原発の事故では大量に放出されたセシウムのうち、およそ70%は森林に積もったとみられ、除染が進んでいないことから、周辺の住宅や農地などに影響が出ないか懸念されています。

    原子力機構では、平成28年までの4年間、福島県川俣町と川内村の森林で土壌などに残るセシウムについて調査しました。その結果、セシウムは土壌の表面から10センチ以内の深さに90%以上が残り、森林から周辺に流出する量は年間で0.1%程度とごくわずかで、大半が地中にとどまっていることがわかりました。

    一方、周辺の河川の水に含まれるセシウムの濃度は、1リットル当たり1ベクレル未満で、飲料水の基準の10ベクレルと比べると大幅に下回っていました。ただ、淡水魚のヤマメからは、食品の基準となる1キログラム当たり、100ベクレルを超える比較的高い濃度のセシウムが検出されることがあり、原子力機構は詳しく調査する必要があるとしています。

    原子力機構では「福島県内の農林水産業の再開や、帰還したいという住民の不安に応えられるよう、調査を続けていきたい」としています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190313/k10011845971000.html

    返信削除
  20. 「トモダチ作戦」被ばく訴訟で控訴 米連邦裁の請求却下で
    2019年3月13日 19時25分

    東日本大震災の直後にアメリカ軍が行った支援活動「トモダチ作戦」に参加し被ばくしたとして、空母の乗組員などが東京電力に対し治療費などを求めていた訴訟で、今月に入りアメリカの連邦裁判所が却下したことを受けて、一部の原告が控訴しました。

    東日本大震災の直後のアメリカ軍の支援活動「トモダチ作戦」をめぐっては当時の空母の乗組員などが被ばくして損害を受けたとして、東京電力に対して治療費などを求める訴訟をアメリカの連邦裁判所で3件、起こしています。

    このうちカリフォルニア州南部地区の連邦裁判所で起こされた2件の訴訟については今月4日、裁判所が請求を却下していました。

    東京電力によりますと、このうちの1件で原告が今月8日に控訴したということで、239人が治療費に充てるための少なくとも10億ドル(日本円で1100億円余り)の基金をつくることなどを求めているということです。

    東京電力は「控訴審においても適切に対処していく」とコメントしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190313/k10011847231000.html

    返信削除
    返信
    1. 「トモダチ作戦」で被ばくの訴訟 アメリカで2件が却下
      2019年3月6日 20時35分

      東日本大震災の直後にアメリカ軍が行った支援活動「トモダチ作戦」に参加し、被ばくしたとして、空母の乗組員などが東京電力に対し治療費などを求めた2件の訴訟をアメリカの連邦裁判所が却下したことがわかりました。

      東日本大震災の直後のアメリカ軍の支援活動「トモダチ作戦」をめぐっては、当時の空母の乗組員などが被ばくし、損害を受けたとして東京電力に対して治療費などを求める訴訟をアメリカの連邦裁判所で現在、3件起こしています。

      東京電力の発表によりますと、このうちカリフォルニア州南部地区の連邦裁判所で起こされた2件の訴訟については、今月4日、裁判所が請求を却下したということです。

      一方コロンビア特別区の連邦裁判所で起こされている1件の訴訟は今も続いているとしています。

      これについて、東京電力は「原告側は控訴や新たな訴訟を起こす可能性があり、動向を見極めながら引き続き対応していく」とコメントしています。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190306/k10011838371000.html

      https://koibito2.blogspot.com/2018/12/blog-post_31.html?showComment=1551883223081#c3652249443072735546

      削除
  21. 原発事故の指定廃棄物 8都県で最終処分の見通し立たず
    2019年3月16日 4時28分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故で、東北から東海にかけての11の都県で放射性物質を含む焼却灰や汚泥などの「指定廃棄物」が発生しましたが、このうち栃木や千葉など8つの都県では、事故から8年がたった今も最終処分の見通しが立っていません。

    「指定廃棄物」は原発事故で発生した放射性物質を含むごみの焼却灰や汚泥、稲わらなどで、放射性物質の濃度が1キログラム当たり8000ベクレルを超えるものを国が指定します。

    環境省によりますと、「指定廃棄物」は去年12月末の時点で、東北から東海にかけての11の都県で合わせて21万8170トンに上り、ごみの焼却施設や下水処理施設、それに農地などに一時的に保管されています。

    環境省は「指定廃棄物」を発生した都内や県内で処理することにしていて、福島県以外で量が多い栃木、千葉、宮城の3県については専用の処分場を1か所ずつ建設する計画を立て候補地を示しています。

    しかし事故から8年がたった今も地元の反対などで建設は始まっておらず、最終処分の見通しが立っていません。

    「指定廃棄物」は時間の経過とともに放射性物質の濃度が下がって基準を下回り、国が指定を解除すれば、一般の廃棄物として処理できるため、環境省は新潟、東京、岩手、静岡、それに神奈川の1都4県については、既存の処分場も活用しながら処理する方針です。

    しかし活用する処分場や処分の時期などについて、自治体との協議が進んでおらず、1都4県でも最終処分の見通しが立っていません。

    環境省は「地元の理解を得て早期の処理を目指したい」としています。

    一方、茨城県と群馬県では7年後までに多くの「指定廃棄物」の放射性物質の濃度が基準を下回ると試算されているため、今の場所で保管を続け、基準を下回ったものから既存の処分場で処理する方針です。

    各都県の指定廃棄物量
    「指定廃棄物」の量が最も多いのは福島県で、全体の9割近くを占める19万425.7トン。
    次いで栃木県が1万3533.1トン。
    千葉県が3710.9トン。
    茨城県が3535.7トン。
    宮城県が3291.1トン。
    群馬県が1186.7トン。
    新潟県が1017.9トン。
    東京都が981.7トン。
    岩手県が475.6トン。
    静岡県が8.6トン。
    神奈川県が2.9トンです。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190316/k10011850411000.html

    返信削除
  22. 除染土の再生利用「国民への情報発信が不十分」 専門家会議
    2019年3月19日 23時59分

    福島県内の除染で出た土を全国で再生利用する国の方針について、専門家が話し合う会議が開かれ、出席者から、国民への情報発信が不十分だなどという意見が相次ぎました。

    福島県内の除染で出た土について、環境省は、2045年までに福島県外に運び出して最終処分するとしていて、その量を減らすため、放射性物質の濃度が一定の基準を下回ったものを全国の公共工事などで再生利用する方針です。

    環境省は、福島県の南相馬市と飯舘村で安全性を確認するための実証事業を進めていて、19日に都内で開かれた専門家の検討会で、その現状を報告しました。

    それによりますと、南相馬市で行っている実証事業では、事業の開始前と、除染で出た土を使って盛り土を築いたあとを比べても、周辺の空間の放射線量や大気中の放射性物質の濃度に大きな変化がなかったということです。

    検討会では、住民への周知についても取り上げられ、専門家からは「技術的な安全性は理解できるが、どのように国民に理解してもらうかが課題だ」という意見や、「情報発信が不十分で、理解の醸成をどう図るか具体的に検討すべきだ」という意見が出ました。

    検討会の座長を務める東京農工大学大学院の細見正明教授は「環境省は自治体や教育機関と連携して、再生利用について多くの国民が知る機会を増やしていく必要がある」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190319/k10011854111000.html

    返信削除
  23. 現実問題、切迫した状況を前にしたとき、「いい人」っていうのはてんで役に立たない能無しだ。

    返信削除
  24. 福島 大熊町長 避難指示一部解除の意向 原発立地自治体で初
    2019年3月20日 16時12分

    福島県大熊町の渡辺利綱町長は、原発事故のあと町の全域に出されている避難指示を、新しい役場が開庁する来月14 日の前に解除したい意向を示しました。

    福島県大熊町は、原発事故から8年がたったいまも全域に避難指示が出され、このうち、居住制限区域の大川原地区と、避難指示解除準備区域の中屋敷地区について、来月の解除を目指して除染などが進められてきました。

    渡辺利綱町長は、新しい役場が来月14日に開庁することを念頭に、「開庁式の前のできるだけ早いタイミングで避難指示を解除する方向で検討している」と述べ、来月の前半にも、大川原地区と中屋敷地区の避難指示を解除したい意向を示しました。

    福島第一原発が立地する自治体の一部で避難指示が解除されるのは初めてで、政府との協議をへて、正式に日程が決まる見通しです。

    2つの地区は、面積が町全体のおよそ40%にあたり、住民は先月末現在、140世帯374人で、3.6%となっています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190320/k10011854801000.html

    返信削除
  25. 原発事故後の牛肉出荷制限 解除を申請 栃木県
    2019年3月20日 20時42分

    栃木県は、東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと出ている県産の牛肉に対する出荷制限の指示について、これまでの全頭検査で安全性が確認できたとして国に解除の申請を行いました。

    福島第一原発の事故の影響で、基準を超える放射性物質が検出された農林水産物には国による出荷制限の指示が出され、安定的に基準を下回った場合、解除されます。

    栃木県産の牛肉は現在も出荷制限が続いている品目の1つで、県が実施する全頭検査を経て出荷されていますが、この検査で安全性が確認できたとして、県は20日付けで国に解除の申請を行いました。

    県によりますと、原発事故から5か月後の平成23年8月に全頭検査を開始して以降、基準値を超えた牛は1頭もないということで、国は近く指示を解除する見通しです。

    栃木県は解除後も1年間は消費者への安全性をPRするため全頭検査を継続する方針です。

    牛肉は、福島県、岩手県、宮城県でも出荷制限の指示が続き、全頭検査を行ったうえで出荷されています。

    県畜産振興課は「牛肉の出荷制限の解除は県の畜産業の復興につながる大きな前進だ。今後スムーズに解除され、栃木のおいしい牛肉を多くの人に食べてほしい」と話しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190320/k10011855291000.html

    返信削除
  26. 震災復興特別交付税 1200億円余を交付へ
    2019年3月22日 12時43分

    東日本大震災で被災した自治体の財政を支援するため、半年に一度交付される震災復興特別交付税の今月分として、総額1200億円余りが関係する自治体に交付されることが決まりました。

    震災復興特別交付税は、東日本大震災で被災した自治体の財政を支援するため、国が半年に一度、毎年3月と9月に交付しています。

    総務省は、道府県分でおよそ357億円、市町村分でおよそ850億円の総額およそ1208億円を今月25日に関係する自治体に交付することを決め、石田総務大臣が閣議で報告しました。

    このうち、道府県別の交付額は、福島県が155億円余りと最も多く、次いで、宮城県がおよそ108億円、岩手県がおよそ61億円などとなっています。

    市町村別でみると、宮城県石巻市がおよそ110億円と最も多く、次いで宮城県女川町が64億円余り、岩手県陸前高田市がおよそ56億円などとなっています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190322/k10011856651000.html

    返信削除
  27. 福島 大熊町の一部地域で来月避難指示解除 原発立地自治体で初
    2019年3月26日 11時08分

    東京電力福島第一原発の事故のあと、福島県大熊町の全域に出されている避難指示が、来月10日に一部の地域で解除されることが決まりました。福島第一原発が立地する自治体で避難指示が解除されるのは初めてです。

    これは国の原子力災害現地対策本部長をつとめる磯崎経済産業副大臣や大熊町の渡辺町長などが26日記者会見し明らかにしました。

    それによりますと、大熊町では福島第一原発の事故のあと全域で避難指示が出されていますが、放射線量が下がったとして来月10日の午前0時に一部の地域で解除されることが決まりました。

    解除されるのは、町の中心部から南西に離れた大川原地区と中屋敷地区で町全体の面積のおよそ40%に当たります。

    2つの地区には、先月末の時点で140世帯の374人が住民票を登録していて、町全体の3.6%となっています。

    大熊町役場は、およそ100キロ離れた会津若松市にある仮庁舎で業務を行ってきましたが、来月14日に大川原地区に建設された新しい庁舎が開庁し、5月7日から業務を始める予定です。

    福島第一原発が立地する大熊町と双葉町で避難指示が解除されるのは初めてとなります。

    渡辺復興相「帰還に向け環境整備を支援」

    渡辺復興大臣は閣議のあとの記者会見で、「来月14日に予定されている大熊町役場の新庁舎の開庁と合わせて、復興に向けた明るい動きだ。復興庁として、町の要望を真摯(しんし)に聞きながら、 避難指示が解除される区域の住民の帰還に向けた環境整備と、町の復興を引き続き支援していきたい」と述べました。

    鈴木副知事「復興へのスタート」

    大熊町の一部での避難指示解除について、福島県の鈴木正晃副知事は、「あくまでも到達点ではなく復興へのスタートだ。戻ってきた住民が安心して暮らせる環境を整えることが重要で、県としてもインフラの整備などに積極的に関わっていきたい。国にも支援を引き続きお願いしたい」と述べました。

    渡辺町長「ようやく一歩」

    町の一部での避難指示解除について、大熊町の渡辺利綱町長は、「役場の開庁式が行われる4月14日の前に避難指示が解除されることになり、喜ばしく感じている。ようやくここまで来た、ようやく一歩を踏み出すという気持ちが強い。大熊町の新たなまちづくりを進めていくためにきちんと取り組んでいきたい」と述べました。

    町民は…

    福島県大熊町では、来月避難指示が解除される2つの地区を除くすべての地域が放射線量が比較的高い帰還困難区域に指定されていて、今後も避難指示が継続されます。

    大熊町から避難し、会津若松市の仮設住宅で暮らす武澤友治さん(72)は自宅が帰還困難区域にあり、放射線量を下げるための除染も行われていません。

    武澤さんは、「今回の避難指示の解除はあくまで一部の地域で行われ、町民全員が帰ることができるわけではありません。避難指示が解除されても町には病院や学校はなく、若い人は戻らないのではないかと思います。今後も広い範囲で除染を行ってもらえるように行政にはきちんと取り組んでもらいたいです」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190326/k10011860871000.html

    返信削除
    返信
    1. もうとっくに住民が生活し暮らす「自治体」は崩壊して、ゾンビ自治体と化している…

      削除
  28. 福島第一原発3号機 核燃料取り出し作業 来月中に開始へ
    2019年3月29日 4時12分

    福島第一原子力発電所3号機の使用済み燃料プールから核燃料を取り出す作業について、これまでたびたび延期されていますが、東京電力は来月中に開始を目指すと発表しました。

    福島第一原発3号機の使用済み燃料プールには、566体の核燃料が残されていて、東京電力は燃料をつり上げる設備や機器などに不具合が相次いだことから、工程を見直し、今月末の取り出し開始を目指して作業を進めてきました。

    しかし、先月28日に機器の不具合が発生した影響で、作業の開始を延期しています。

    東京電力では燃料をつり上げる設備や機器などに電気を送るケーブルの接続部に、異物が混入したのが原因とみて調べていますが、部品を交換し、機器の復旧は完了していることから、来月中の取り出し開始を目指すということです。

    3号機の燃料プールからの核燃料の取り出し開始について、東京電力は事故の年につくられた計画で2014年末としていましたが、たびたび計画は延期され、当初の計画からは4年以上遅れています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190329/k10011865141000.html

    返信削除
  29. 福島 大熊町の避難指示 10日に一部解除 正式決定
    2019年4月5日 10時48分

    東京電力福島第一原発の事故のあと、福島県大熊町の全域に出されている避難指示が今月10日、一部の地域で解除されることが正式に決まりました。福島第一原発が立地する自治体で避難指示が解除されるのは初めてです。

    政府は、5日、原子力災害対策本部の会議を持ち回りで開き、福島県大熊町のうち、南西部の大川原地区と中屋敷地区について、放射線量が下がったとして今月10日に避難指示を解除することを決めました。

    福島第一原発が立地する自治体で避難指示が解除されるのは初めてです。

    避難指示が解除されるのは、町全体の面積のおよそ40%にあたり、町は、大川原地区に建設した新しい庁舎を今月14日に開庁して、来月から業務を始めることにしています。

    原子力災害対策本部の副本部長を務める世耕経済産業大臣は、閣議のあとの記者会見で「避難指示の解除はゴールではなく、復興に向けたスタートだ。帰還環境の整備などに全力で取り組んでいく」と述べました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190405/k10011873701000.html

    返信削除
    返信
    1. もう自治体は崩壊してるよ。若い人はだれももどらない。

      削除
  30. 帰還困難区域の桜並木 花見用バスを特別運行 福島 富岡町
    2019年4月6日 12時15分

    原発事故のあと「帰還困難区域」として立ち入りが制限されている福島県富岡町の桜並木がある地区で6日一日にかぎって花見用のバスが特別に運行され、大勢の人たちが見頃を迎えた桜を車窓から楽しみました。

    福島県富岡町の夜の森地区にはソメイヨシノおよそ400本が2キロ余りにわたって植えられていて8年前の原発事故のあと、ほとんどが帰還困難区域となり、住民であっても許可がなければ立ち入ることができません。

    6日は一日限定で花見用のバスが許可を受け、特別に運行されました。

    午前中から大勢の人たちが列を作って用意された10台の大型バスに乗り込み、バスが桜並木のトンネルに入ると見頃を迎えた桜を車窓から眺めたり写真に収めたりしていました。

    福島県桑折町の男性は「40年ぶりに見た桜並木はきれいでとても感慨深かった」と話していました。

    富岡町からいわき市に避難している70代の女性は、「夜の森の桜は地元の誇りです。きょうは全国から見物の人が来てくれてうれしい」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190406/k10011875181000.html

    返信削除
    返信
    1. 帰れないところに「花見」のためだけに通りすがりで帰ってくる…

      泣けてくるね。

      削除
  31. 福島 大熊町 一部地域で避難指示解除へ
    2019年4月9日 20時42分

    東京電力福島第一原発の事故のあと、福島県大熊町の全域に出されていた避難指示は、10日午前0時に一部の地域で解除されます。福島第一原発が立地する自治体で避難指示が解除されるのは初めてです。

    10日午前0時に避難指示が解除されるのは、福島第一原発から南西に7キロほど離れた、福島県大熊町の大川原地区と中屋敷地区です。

    面積は合わせておよそ30平方キロメートルと町全体の40%ほどにあたります。

    除染などによって放射線量が下がったため、原発事故から8年がたって避難指示が解除されることになりました。

    避難指示が出されていても日中は自由に出入りができましたが、住民が自宅に宿泊する時には国に登録が必要でした。

    避難指示の解除で、宿泊する際にも登録は必要なくなります。

    福島第一原発が立地する大熊町と双葉町で避難指示が解除されるのは初めてです。

    避難指示の解除に伴って、来月7日からは大川原地区に建設された新しい役場庁舎で業務が始まるほか、ことし6月には災害公営住宅で50世帯の住民が生活を始める予定です。

    先月末の時点で2つの地区に住民票を登録しているのは367人と、町民全体の3.5%にとどまりますが、大熊町ではこの地区を拠点に復興を進めていきたいとしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190409/k10011878571000.html

    返信削除
    返信
    1. 福島 大熊町 一部で避難指示解除 原発立地自治体で初
      2019年4月10日 12時40分

      東京電力福島第一原発の事故のあと、福島県大熊町の全域に出されていた避難指示は10日午前0時に一部の地域で解除されました。福島第一原発が立地する自治体で避難指示が解除されたのは初めてで、町役場の連絡事務所では職員が住民への手続きの説明などに追われていました。

      避難指示が解除されたのは、福島第一原発から南西に7キロほど離れた大熊町の大川原地区と中屋敷地区です。

      面積は合わせておよそ30平方キロメートルと町全体の40%ほどにあたります。

      除染などによって放射線量が下がったため、原発事故から8年がたって避難指示が解除されました。


      住民はこれまで自宅に宿泊する際、国に登録が必要でしたが、10日からは宿泊する際にも登録の必要がなくなります。

      町役場の連絡事務所では、常駐する職員が訪れた住民に行政手続きについて説明するなど対応に追われていました。

      福島第一原発が立地する大熊町と双葉町で避難指示が解除されたのは初めてで、町はこの地域を中心に復興を進めるとしています。

      来月7日からは大川原地区にできる新しい役場庁舎で業務が始まります。

      6月には災害公営住宅で50世帯の住民が生活を始めることになっていて、コンビニエンスストアもオープンし、スーパーや病院がある隣の富岡町と結ぶ巡回バスの運行も始まる予定です。

      一方、国や大熊町などが去年1月に行った住民の意向調査では、町に「戻りたい」と考えている人は12.5%にとどまっており、町の基幹産業だった農業の復興や教育環境の整備など多くの課題があります。

      帰郷の住民「いずれ子どもとお酒飲むのが夢」

      大熊町の大川原地区で生まれ育ち、70年以上暮らしてきた佐藤右吉さん(79)は、ふるさとに戻るための「準備宿泊」が認められた去年4月から自宅での宿泊を国に申し込み、定期的に大川原地区にある自宅で生活してきました。

      今月に入ってからは毎日、自宅で生活し、避難指示が解除された10日午前0時も自宅で迎え、朝からは畑の手入れを行いました。

      佐藤さんは、避難先だった会津若松市の仮設住宅で飼い主がわからないまま取り残されていたしば犬を譲り受け、今は一緒に生活しています。

      新潟県で暮らす小学生の孫に犬の写真を送ったところ、子どもたちが、幸福や福島の「福」の字から「ふく」と名付けたということで、孫にも大川原地区に来て犬と遊んでもらいたいと考えています。

      佐藤さんは「朝起きてやっと避難指示が解除されたんだと思い、ホッとしました。震災前のようにはいかないかもしれませんが、町に戻ったり立ち寄ったりした人たちと再会できるのが、今から楽しみです。子どもや孫たちもいずれは大川原地区に来て一緒にお酒を飲むのが夢です」と話していました。

      渡辺町長「ようやくスタート地点」

      渡辺利綱町長は「震災と原発事故から8年がたち、ようやく復興のスタート地点に立てたという思いだ。時間はかかると思うが、一歩一歩復興に向けて取り組みたい」と述べました。

      今後の課題については「優先順位をつけることは難しいが、町に戻る人は高齢者が多く、医療・福祉のほか、日常の買い物ができるよう対応していきたい」と述べ、生活基盤の整備に取り組む方針を示しました。

      町外で暮らす住民が引き続き大半を占めることについては「避難先でそれぞれの生活が確立されているのが現状ではあるが、『戻りたい』と思ったときにすぐに戻れるような環境づくりに努めたい」と話していました。

      臨時駐在所を開設へ

      福島県警察本部は大熊町の避難指示が解除された地区に来月、臨時の駐在所を開設することを決めました。

      原発事故の前、大熊町大野地区にあった双葉警察署の「大熊駐在所」は今も帰還困難区域の中にあり、閉鎖が続いています。

      10日、大熊町の大川原地区と中屋敷地区の2つの地区で避難指示が解除されたことに伴い、県警察本部は町役場の連絡事務所として使っている大川原地区の建物を借りて、来月29日、臨時の駐在所を開設することを決めました。

      駐在所には日中は警察官1人が常駐し、夜間は町内のパトロールの際、パトカーが立ち寄ります。

      福島県警察本部の向山喜浩本部長は「臨時の駐在所が、町に帰還する、あるいは帰還を検討している住民の方々に、安心・安全を目に見える形で示すものとなり、住民の帰還と町の復興を後押しするものとなることを願っています」とコメントしています。

      警察がパトロール

      大熊町の一部の地域では警察が早速パトロールを行いました。

      10日、隣の富岡町にある双葉警察署の警察官4人が町内をパトロールしたり、帰還した住民の家を訪問したりしました。

      大川原地区に住む75歳の男性は「まだ住民の姿が少ないので、パトロールに注力してほしい」と話していました。

      来月から大熊町に駐在する双葉警察署地域交通課の佐伯哲巡査は「住民の皆さんに顔と名前を覚えてもらえる関係をつくり、大熊町の復興を治安の面から支えたい」と意気込んでいました。

      町の連絡事務所では

      大熊町役場の連絡事務所では職員たちが行政手続きにあたっていました。

      原発事故当時にあった大熊町の役場は立ち入りが厳しく制限されている帰還困難区域にあるため、町は会津若松市の仮庁舎で業務を行っているほか、3年前から大川原地区に役場の連絡事務所を設けて、住民票の発行など行政手続きを担ってきました。

      10日も、常駐する職員が事務所を訪れた人たちに転入や転出などに関する説明を行うなど、朝から業務にあたっていました。

      この連絡事務所は、大川原地区に建設した新しい役場庁舎での業務が来月から始まることに伴い、今月いっぱいでその役割を終えます。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190410/k10011879181000.html

      削除
  32. 福島 大熊町 一部で避難指示解除 戻る人わずか 暮らしどうなる
    2019年4月10日 19時50分

    東京電力福島第一原発の事故のあと、福島県大熊町の全域に出されていた避難指示が10日、一部の地域で解除されました。福島第一原発が立地する自治体で避難指示が解除されたのは初めてですが、町に戻る人は一部にとどまっていて、生活環境の整備などが課題となります。

    10日午前0時に避難指示が解除されたのは、福島第一原発から南西に7キロほど離れた大熊町の大川原地区と中屋敷地区です。

    面積は合わせておよそ30平方キロメートルと町全体の40%ほどに当たります。

    除染などによって放射線量が下がったため、原発事故から8年がたって避難指示が解除されました。

    町民はこれまで自宅に宿泊する際、国に登録が必要でしたが、10日からは宿泊する際にも登録の必要がなくなります。

    町内では慣れ親しんだふるさとで散歩や庭いじりなどをする人の姿が見られ、役場の連絡事務所では、職員が訪れた人たちに行政の手続きなどを説明していました。

    福島第一原発が立地する大熊町と双葉町で避難指示が解除されたのは初めてで、町はこの地域を中心に復興を進めるとしています。

    来月7日からは大川原地区にできる新しい役場庁舎で業務が始まります。

    また6月には災害公営住宅で50世帯が生活を始めることになっていて、コンビニエンスストアもオープンし、スーパーや病院がある隣の富岡町と結ぶ巡回バスの運行も始まる予定です。

    一方、国や大熊町などが去年1月に行った意向調査では町に「戻りたい」と考えている人は12.5%にとどまっており、生活環境の整備や町の基幹産業だった農業の復興などが課題となります。

    役場の連絡事務所長「これから復興が始まる」

    大熊町の役場の連絡事務所が開所した当時から所長を務めてきた武内佳之さんは「ようやく避難指示の一部が解除され、復興がこれから始まるんだなと思います。連絡事務所の役割は果たせたと思うので、これからは建設される新庁舎を中心に復興が進み、新庁舎が町民にとって心のよりどころのようになればいいなと期待しています」と話していました。

    8年後には住民2600人が目標

    福島県大熊町では町の面積の62%の地域で避難指示が続きます。

    放射線量が比較的高く立ち入りが厳しく制限される「帰還困難区域」です。

    この区域の17%に当たる8.6平方キロメートルの地域について、町は先行して避難指示解除を目指す「特定復興再生拠点区域」として、3年後の2022年春までに避難指示を解除できるよう除染を進めています。

    JR常磐線の大野駅周辺の、かつて商店や住宅が並んでいた従来の町の中心地で、帰還した住民や原発の廃炉作業員のための住宅のほか医療機関や工業団地などを整備する計画です。

    また、来年3月までにJR常磐線の全線が再開するのに合わせて、大野駅周辺と駅から大川原地区に至る道路などで避難指示を解除して、常磐線を利用できるようにする予定です。

    大熊町には原発事故が起きる前に1万1000人余りが住んでいましたが、町は8年後の2027年には2600人が住むことを目標に、まちづくりを進めることにしています。

    暮らしは 学校は 放射性物質は

    福島県大熊町に住民登録のある1万人余りのうち、今回、避難指示が解除される地区の対象の人数は367人です。

    ことし6月から入居が始まる災害公営住宅には74人が入る予定で、今後、より多くの住民が戻るためには生活環境の整備が課題です。

    避難指示が解除された地区にはまだスーパーやガソリンスタンド、病院などはなく、隣の富岡町などに通う必要があります。

    ことし6月には、コンビニエンスストアがオープンし、ほかにも飲食店などが入る商業施設や福祉施設などが整備される計画はあるものの、完成には1年ほどかかる見通しです。

    また町は幼稚園と小学校、それに中学校の一環教育を行う学校を3年後に設置することを目指しています。

    町に戻る人の多くは高齢者の見込みで、移動手段も課題になっています。

    町は、災害公営住宅と富岡町にある商業施設や医療機関を結ぶ巡回バスを、ことし6月から運行することにしています。

    町の基幹産業だった農業も、除染のため栄養分を多く含んだ土がはぎとられ、風評も根強いことから本格的な再開には時間がかかる見込みです。

    町内では、コメの実証栽培が行われているほか、大川原地区には新たに植物工場が建設されてイチゴの栽培が始まる予定です。

    放射性物質への住民の不安の解消も課題です。

    避難指示が解除された地区の住宅や道路など生活圏の除染はほぼ完了したものの、地区の大部分を占める山林は除染が行われておらず、住民からは不安の声が聞かれます。

    国や町などが去年1月に行った住民の意識調査では、戻りたいと考えている人は12.5%にとどまった一方、戻らないと決めている人は59.3%にのぼりました。

    かつてのような規模の人口がない中で、生活の利便性の向上や医療環境などの整備、それに生活圏の周辺の除染を求めて、町は県や国に支援を要望していくことにしています。

    今後の住宅整備は

    福島県大熊町の新たな復興の拠点となる大川原地区には現在、災害公営住宅50戸の整備が進められています。

    これらは1期分で、ことし6月から入居が始まり、町によりますと抽選で選ばれた、子どもからお年寄りまでの74人が、新たな生活を始める予定です。

    そして来年春、2期分として44戸が完成することになっています。

    一方、ことし10月には、移住してきた人が住むことができる再生賃貸住宅40戸が整備される予定です。

    「戻るのは困難」の声多く

    福島県会津若松市の災害公営住宅で避難生活を続ける大熊町の住民からは、町に戻るのは難しいという声が多く聞かれました。

    かつての町の中心部だった下野上地区の75歳の男性は「少しの面積であっても避難指示が解除されたことは意味があると思います。

    しかし、一緒に避難してきた母親をここで介護しなければならず、大熊町の自宅の取り壊しを申請したところなので、少し複雑な気持ちです」と話していました。

    また、原発に近い夫沢地区の78歳の男性は「住んでいた地区は解除の見込みすら立っていません。町の一部で避難指示が解除されたといっても今までとは全く違うふるさとになってしまいました」と話していました。

    すでに「町に帰らない」決断した人も

    福島県大熊町の避難指示が解除された地区の町民の中には、さまざまな事情から、町に帰らないという決断をした人もいます。

    大熊町の中屋敷地区の元農家、渡部剛さん(90)は、84歳の妻と福島県郡山市で避難生活を続けながら、生まれ育ったふるさとに帰ることを強く望んでいました。
    しかし帰ったあとの暮らしには不安があり、妻の介護や90歳という年齢を考えて帰還を諦めました。

    自宅近くの田んぼは、原発事故のあと、手入れができず、草木が生い茂り、荒れ果ててしまいました。
    また避難指示が解除された地区でも森林については除染が行われず、渡部さんが所有する森林も今後、除染が行われるか不透明だということです。
    ふるさとに帰ってもかつての暮らしは戻らないとして、渡部さんは、60年以上住み慣れた自宅を解体しました。

    渡部さんは「若くて体が丈夫だったら帰ることができますが、自分の年を考えれば、帰っても農業はできないし、生活が成り立たない。大熊町に帰りたい気持ちでいっぱいだが、あきらめるしかない」と話していました。

    国や町などが去年行った町民の意向調査では、帰るかどうか、判断がつかないと考えている人が3割近くいます。帰りたいと思う人が帰ることを選択できる環境を整えることが課題になっています。

    双葉町 来春の避難指示解除目指す

    福島第一原発が立地するもう一つの自治体、福島県双葉町は、いまも町の全域で避難指示が続いていて、来年春に町の北東部とJR双葉駅周辺の一部で、避難指示の解除を目指しています。

    双葉町は大熊町の北側にあり、町の面積の96%は「帰還困難区域」に指定され立ち入りが厳しく制限されています。

    残る4%にあたる町の北東部は、放射線量が比較的低い「避難指示解除準備区域」になっていて、除染は完了し、来年春の避難指示の解除を目指しています。

    このエリアは、日中は自由に立ち入ることができ、町は産業復興の拠点と位置づけて企業団地を形成しようと土地の整備や企業誘致を進めています。

    また、JR常磐線が来年3月までに再開されるのに合わせて、双葉駅の周辺でも駅前などごく一部で避難指示が解除される見通しです。

    一方、駅の周辺に広がる、町役場や学校などがある中心部で、町の面積の1割にあたるエリアは、「帰還困難区域」の中で先行して避難指示解除を目指す「特定復興再生拠点区域」に指定され、3年後の2022年春の避難指示の解除を目指しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190410/k10011879681000.html

    返信削除
    返信
    1. 生活の基盤がもうよそでできてしまったら、もはやもどってくる理由は希薄になってしまっているだろうに…

      削除
  33. 東日本大震災8年2か月 被災地の子ども3割減少
    2019年5月11日 19時24分

    東日本大震災の発生から11日で8年2か月です。宮城県内で震災の津波で被災した地域では、ほとんどの小中学校が再建されましたが、児童・生徒の数が、震災前に比べて最大で8割、平均で3割減少している実態が、NHKの調べで分かりました。

    東日本大震災では、宮城県内で11の市と町にある61の小中学校が津波で被災しましたが、この8年余りで、校舎の復旧や学校の統合など、ほとんどの小中学校が再建されました。

    NHKは、市と町に取材し、再建されて現在は56校となった小中学校の児童・生徒の数を震災前と比較しました。
    その結果、震災前の平成22年5月には1万6537人でしたが、去年5月には1万1571人と、人数にして4966人、率にして、3割減少していることが分かりました。

    このうち、最も減少率が高い石巻市の雄勝中学校は、震災前は100人いた生徒が8割以上減少して14人となりました。
    このため、部活動は、野球やサッカーなど6つの部が廃止され、現在はバドミントンだけになりました。

    また、山元町では、津波で被災した2つの小学校の児童数が震災前の406人から去年5月には197人と半分以下になりました。
    このため、町内の内陸部にある2つの小学校も含めた合わせて4校で、10年後をめどに統合することを決めました。
    これにより学区は南北に11キロと広範囲になり、通学手段の確保が課題となっています。

    人口減少に詳しい東北大学の島田明夫教授は「子どもの減少は地域の担い手に関わる重要な問題だ。地域の特性を把握したうえで、住民のニーズにあったまちづくりを進める必要がある」と話しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190511/k10011912081000.html

    返信削除
  34. 福島 川内村 避難指示全面解除から3年 移住が増加
    2019年6月14日 14時41分

    東京電力福島第一原発の事故による避難指示が福島県川内村ですべて解除されてから14日で3年です。川内村には首都圏などから移住する人が多く震災のあと移り住んだ人は現在、村で暮らす人の4分の1近くに上ることが分かりました。

    福島第一原発の事故により、川内村では面積のおよそ4割の地域に避難指示が出され、一時、ほぼすべての住民が村の外に避難しました。

    避難指示は一部が平成26年10月1日に、残りは3年前の6月14日に解除されました。

    住民票を登録していたのは原発事故当時は3038人でしたが、今月1日の時点では2599人と400人以上減少しました。このうち、実際に村で暮らしている人は2095人と全体の80%余りとなっています。

    一方、川内村では、首都圏などから移住する人が多い傾向があります。村に移住してくる人の数はこの3年間、毎年100人前後で推移し、震災のあと、村に移り住んだ人は合わせて486人と、現在、村で暮らす人の4分の1近くに上ります。

    これについて川内村は、復興事業や原発の廃炉に関わる人の転入や、補助金などを活用した工場の進出などが背景にあるとみています。

    遠藤雄幸村長は、「新たに村に来る働き盛りの世代を支える環境を整えて、復興の先を見据えた『持続可能な村づくり』に取り組みたい」と話しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190614/k10011952451000.html

    返信削除
    返信
    1. もともとの住民は、あの忌まわしい記憶から逃げるのだ…

      削除
  35. 復興庁 福島県の復興を中心的に担う組織として存続調整
    2019年6月24日 4時09分

    再来年3月末で設置期限を迎える復興庁の後継組織について、政府は原発事故の影響が残る福島県の復興を中心的に担う組織として、実質的に復興庁を存続させる形をとる方向で与党側との調整を進めています。

    再来年3月末で設置期限を迎える復興庁の後継組織について、政府はことし3月、閣議決定した復興の新たな基本方針で「各省庁の縦割りを排し、政治の責任とリーダーシップの下で復興を成し遂げるための組織を置く」と後継組織を置くことを明記しました。

    そして政府は、後継組織について、原発事故の影響が残る福島県の復興を中心的に担う組織として、実質的に復興庁を存続させる形をとり、担当閣僚も置く方向で与党側との調整を進めています。

    ただ、自民党内には、防災から復興まで切れ目なく対応する組織を設ける必要があるとして、後継組織に内閣府の防災を担当する部署を統合する案も残っています。

    これについて政府は、防災への対応は各府省庁にまたがるほか、災害時は総理大臣官邸が司令塔となって迅速に対応する必要があるとして慎重な姿勢で、夏の参議院選挙のあとに予定される、自民・公明両党の復興加速化本部の提言の取りまとめに向けて最終的な調整を進めることにしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190624/k10011965941000.html

    返信削除
  36. 「復興再生」なんていう現実遊離のスローガン掲げて広げた風呂敷はなかなかたためないだろ…

    返信削除
  37. 東日本大震災復興交付金 12市町に約43億円
    2019年6月27日 10時14分

    復興庁は27日、今年度初となる東日本大震災の被災地への復興交付金として、岩手、宮城、福島など5つの県の12市町に対し、およそ43億円を交付すると発表しました。

    復興庁は27日、東日本大震災の復興事業を財政的に支援するため、今年度初の復興交付金として、岩手県、宮城県、福島県など5つの県の12市町に、およそ42億9000万円を交付すると発表しました。

    このうち主な事業として、岩手県の陸前高田市や宮城県の山元町などで集団移転先の団地と市街地を結ぶ道路整備事業に合わせて18億2000万円余り、宮城県石巻市で被害を受けた家屋や店舗の土地を集約し、商業施設や居住施設を合わせた複合施設を建設する費用などとして6億4000万円余りを交付するとしています。

    また、新規事業では石巻市で大型車両などの通行で壊れた道路を補修する費用として、およそ1億5000万円、盛岡市で災害公営住宅の周辺道路を舗装する事業として560万円を盛り込んでいます。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190627/k10011970701000.html

    返信削除
  38. 東日本大震災の被災地 9年ぶりの海開きへ準備
    2019年7月15日 13時13分

    東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県や宮城県の海水浴場では9年ぶりの海開きを迎えるのを前に、海辺の清掃活動や海の安全を願う神事が行われました。

    岩手 釜石 根浜海岸

    岩手県釜石市鵜住居町の根浜海岸では今月20日、9年ぶりに海開きが行われます。

    15日は地元の親子連れなどおよそ40人が集まり海辺に流れ着いた流木やゴミなどを拾い集めました。

    釜石市内で唯一の海水浴場だった根浜海岸は東日本大震災の津波で砂浜が削り取られるなどの被害を受けましたが、県が砂を盛る工事などを進め海岸の一部のおよそ150メートルの区間で遊泳が可能になりました。

    海水浴を楽しめるのは今月20日から来月12日までで期間中はシーカヤックやシュノーケリングの体験なども予定されています。

    参加した小学5年生の女の子は「小さいときに東日本大震災があったため、これまでは海をあまり身近に感じませんでした。海水浴がどんな感覚なのか楽しみです」と話していました。

    清掃を企画した根浜MINDの廣田一樹さんは「多くの人にきれいな海を見てもらい、海の楽しさを感じてほしい」と話していました。

    岩手県は来年夏までには残りの砂浜の復旧工事も完了させる予定です。

    宮城 気仙沼 小泉海水浴場

    一方、宮城県気仙沼市の海水浴場では9年ぶりに海開きを迎えるのを前に、関係者が神事を行って海の安全を願いました。

    気仙沼市本吉町の小泉海水浴場は東日本大震災の津波で砂浜が削り取られ閉鎖されていましたが、防潮堤の建設と砂浜の復旧工事が終わり、週末の今月20日、9年ぶりの海開きを迎えます。

    海岸では15日、海の安全を願う神事が行われ、地元の観光協会の関係者などおよそ40人が玉串をささげました。

    小泉海水浴場はかつては環境省が選ぶ快適な海水浴場の百選にも選ばれ、毎年、およそ5万人が訪れていたということで、海開きが地元の活性化につながると期待されています。

    本吉町観光協会の芳賀勝寿会長は「海開きを行うことになって大変うれしいです。海水浴の方には安全に気をつけながら楽しんでもらいたいです」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190715/k10011993661000.html

    返信削除
  39. 「イノブタ」急激に増えたとは言えない(福島県)
    9/4(水) 16:13配信 福島中央テレビ

    イノシシと豚が交配して生まれる「イノブタ」について、「震災で急激に増えたとは言えない」とする結果を、福島大学の研究グループがまとめた。
    原発事故で避難指示が出された区域では、子どもをたくさん産む家畜の豚と野生のイノシシが交配することで、「イノブタ」が増えているのではないかと懸念されていた。
    福島大学の研究グループが、大熊町や浪江町などに生息するイノシシ338頭のDNA分析を行った結果、イノブタの割合は5%ほどだった。
    研究グループは「割合からみると、震災で急激に増えたとは言えない」との見方を示している。
    *福島大学共生システム理工学類・兼子伸吾准教授
    「増えてるイノシシっていうのは、ブタがかけ合わさったからではなく、イノシシそのものとして増えている」
    一方で、イノブタも含めたイノシシの分布範囲は広がっていることから、研究グループでは「今後も監視は必要」としている。
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190904-00000279-fct-l07

    返信削除
    返信
    1. 「イノブタ」
      https://news.yahoo.co.jp/search/?ei=UTF-8&p=%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%96%E3%82%BF

      削除
    2. 「イノブタ」分布拡大か...二本松で個体発見 原発事故で野生化
      9/5(木) 8:43配信 福島民友新聞

       東京電力福島第1原発事故による住民避難で野生化した家畜のブタと、野生イノシシが交雑した「イノブタ」の分布が、原発事故の帰還困難区域や旧避難区域の外にも拡大している可能性があることが、福島大の研究グループの調査で分かった。研究グループが4日、発表した。原発から40キロ以上離れた二本松市でも個体が見つかったという。
       研究は、福島大大学院共生システム理工学研究科の兼子伸吾准教授(41)と同研究科博士後期課程2年のドノバン・アンダーソンさん(26)らの研究グループが、原発周辺自治体や二本松、福島の両市などで捕獲した345頭のイノシシのDNAを分析。2017(平成29)年に行った調査では大熊、浪江両町など原発から20キロ圏内を中心にブタ由来の遺伝子を持つ個体が見つかっていたが、18年に行った今回の調査ではさらに生息域が拡大し、原発から40キロ以上離れた場所でも同様の遺伝子を持ったイノブタが見つかったという。
      https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190905-00010000-minyu-l07

      削除
    3. イノブタ生息域拡大 二本松で確認、食害警戒
      9/5(木) 9:28配信 福島民報

       福島大共生システム理工学類の兼子伸吾准教授(41)らの研究グループは、東京電力福島第一原発事故に伴う避難区域で野生化した家畜のブタとニホンイノシシの交雑で生まれた「イノブタ」が県北地方に移動し、生息域を拡大しているとの調査結果をまとめた。福島市の同大で四日、記者会見して発表した。イノブタは各地で増えているイノシシと同様、農地を掘り返すなどの被害を招くため、県など関係機関は警戒を強めている。

       調査でイノブタの生息が確認された地点は【図】の通り。原発事故による避難区域が設定された双葉郡の大熊、浪江、富岡、双葉、楢葉各町と葛尾村、近隣の相馬、田村両市、県北の福島、二本松両市の計十市町村が対象。研究グループは駆除作業などで捕獲されたイノシシのDNAを解析し、ブタ由来の遺伝子を持っているかどうかを確認した。

       二〇一四(平成二十六)年から今年までの間に計三百三十八頭を調べた。この結果、約5%に当たる十八頭がブタの遺伝子を持つイノブタだった。大半の十六頭は郡内だったが、区域外の二本松市で二頭が確認された。

       研究グループによると、イノブタは、避難区域で家畜のブタを放置せざるを得ないケースが相次ぎ、繁殖している。今回、遺伝子の調査を通して、その一部が避難区域から二本松市まで移動していたと判明した。

       避難区域内で頭数が増えたために餌を求めるなどして生活範囲を広げ、阿武隈山系を越えたとみられる。他の調査未実施の地域に移動している可能性もあるという。

       イノブタは、イノシシと生態や見た目が似ている。避難区域を越えて他の地域への移動が増えれば、農作物などへの被害拡大につながる懸念もある。

       県自然保護課によると、県内の二〇一八年度のイノシシの捕獲頭数は約三万頭で、震災前の二〇一〇年度と比べ約八倍に増えている。県イノシシ管理計画によると、県内の推定生息数は五万四千~六万二千頭に上るとされる。担当者は「市町村や猟友会などと連携し、捕獲や環境管理対策に引き続き力を入れる」としている。
      https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190905-00000007-fminpo-l07

      削除
    4. ブタのDNAとイノシシのDNAの差異の基準を定めるのもまた人の恣意性の範疇のうち…

      削除
    5. 【福島】イノブタ、震災で急激に増えたとは言えない
      https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1567585767/

      「イノブタ」のニュース
      https://www.2nn.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%96%E3%82%BF

      削除
  40. ほんとうに「DNA解析」なんぞという医科様技術でわかるものかねえ…

    結局は形態の違いで判別するしかないじゃろ。

    ブタもしょせんはイノシシの家畜化改良種で元は一緒なんだし。

    返信削除
  41. 台風19号 福島・栃木で保管の除染廃棄物91袋が流出
    2019年11月3日 5時01分

    先月の台風19号の大雨で、福島県と栃木県で保管されていた除染廃棄物91袋が近くの川に流れ出ていたことがわかり、環境省は流出が相次いだ原因を検証することにしています。

    先月の台風19号で、福島県では国や地元の市町村が管理する除染廃棄物の袋が仮置き場から近くの川に相次いで流されていたことがわかりました。

    環境省が仮置き場すべてを点検するなどしたところ福島県で90袋、栃木県で1袋の合わせて91袋の流出が確認されたということです。

    自治体別にみますと、福島県では川内村が管理する仮置き場で44袋、田村市が管理する仮置き場で30袋、二本松市が管理する仮置き場で15袋、国が管理する飯舘村の仮置き場で1袋となっています。

    また、栃木県では那須町の住宅の敷地内で町が保管していた1袋が流されていました。

    このうち、少なくとも25袋が空の状態で見つかり、廃棄物が袋の外へ漏れ出したとみられていますが、環境省によりますと、周辺の空間線量の値に影響は見られなかったということです。

    環境省は、大雨に備えた柵を仮置き場に設置するとともに、流出が相次いだ原因を検証することにしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191103/k10012162511000.html

    返信削除
  42. 復興庁 2031年まで存続へ 設置期限を10年延長
    2019年11月6日 21時38分

    再来年3月末に設置期限を迎える復興庁について、政府は、設置期限を10年間延長し、2031年まで存続させる方針を固めました。

    東日本大震災からの復興の総仕上げと位置づける「復興・創生期間」が再来年・2021年3月末で終了し、復興庁も設置期限を迎えることから、政府は、年内に閣議決定する新たな「復興の基本方針」の骨子案をまとめました。

    それによりますと、復興庁の設置期限を10年間延長し、2031年まで存続させるとしたうえで、「現場主義」の徹底で復興の加速化を図るため、岩手復興局と宮城復興局を沿岸部に移転するとしています。

    また、復興の進捗(しんちょく)状況が異なることから、地震・津波被災地域は2026年までの5年間で、復旧・復興の取り組みを着実に実施し、役割を全うすることを目指すとしています。

    一方、原子力災害被災地域は、当面、2031年までの10年間で本格的な復興・再生に向けた取り組みを行うとしていて、折り返しとなる5年後に、復興施策の進捗状況などを踏まえ、事業の見直しを行う方針です。

    必要な財源については、東日本大震災復興特別会計と特別交付税制度を継続するなどして、手当てするとしています。

    政府は7日、被災3県の知事も参加して、復興推進委員会を開き、この骨子案を示し、意見を交わすことにしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191106/k10012166921000.html

    返信削除
  43. SBIホールディングスと福島銀行 資本業務提携へ
    2019年11月11日 9時44分

    低金利や人口減少で、地方銀行の経営が厳しくなる中、金融とITを融合したフィンテックを駆使するネット金融と地銀が組んで生き残りをはかろうという新たな動きが加速しています。ネットで証券、銀行、保険を幅広く手がける「SBIホールディングス」と福島県の地方銀行「福島銀行」が資本業務提携して最新の金融サービスを提供し収益力の強化に取り組む方針を固めました。

    関係者によりますと、ネット金融大手のSBIホールディングスは福島銀行に出資し、10%台後半の株式を保有する大株主となる方針です。

    両社は、提携をきっかけに共同の店舗をつくり、SBIが手がける投資信託や保険、住宅ローンなどを福島銀行の顧客に提供します。

    さらにSBIが強みをもつ金融とITを融合したフィンテックを駆使して新たなサービスの開発やコスト削減にも取り組み収益力の強化を目指します。

    福島銀行は11日提携を正式に決める予定で、「本日開催の取締役会に付議する予定です。決定次第、速やかにお知らせします」というコメントを発表しました。

    SBIは、全国の地方銀行との連携によって大手銀行に並ぶ新たな金融ネットワークを形成する構想を掲げ、ことし9月には島根県の「島根銀行」とも資本業務提携を決めました。

    全国の地方銀行は長引く低金利や人口減少で厳しい経営環境が続いていて、ネット金融と地銀という異色の組み合わせが金融業界の収益環境をどこまで変えることができるか注目されます。

    SBIホールディングス 地銀との連携進める

    SBIホールディングスは、ネット専業の証券会社や、銀行、保険会社を持っています。

    このうち、SBI証券は株式の売買手数料を低く抑えるなど格安の金融サービスで顧客数を増やし、口座数は400万を超えて業界トップとなっています。

    SBIホールディングスが現在、積極的に進めているのが地方銀行との連携です。

    すでに10近くの地方銀行と投資信託などの金融商品を扱う店舗の運営を共同で手がけています。

    ことし9月には、島根県の「島根銀行」と資本業務提携を決めました。

    北尾吉孝社長は地方銀行に金融とITを融合したフィンテックの新たなサービスを提供したり、システムの共通化を進めたりして大手に並ぶ金融ネットワークをつくる“第4のメガバンク構想”を掲げています。

    構想には10を超える地方銀行が関心を示しているとしていて、低金利で厳しい経営が続く地方銀行とネット金融の組み合わせが今後も広がっていくか注目されます。

    SBIはもともとはソフトバンクグループの一部門として1999年に創業しましたが現在はソフトバンクグループからは独立しています。

    福島銀行 経営改善は道半ば

    「福島銀行」は、福島市に本店を置き、ことし3月末の総資産が、7600億円余りの第二地方銀行です。

    日銀のマイナス金利政策によって企業向けの融資や住宅ローンの金利の低下が続き本業の「貸し出し」でのもうけが減少し、2017年度の決算では金融商品の運用損も重なって7年ぶりに最終的な損益が赤字に転落しました。

    このため去年、金融庁から「業務改善命令」を受け、すみやかに収益力を高め、中長期的に持続可能なビジネスモデルをつくるよう求められていました。

    福島銀行は赤字決算を受けて経営トップが交代し、その後、ほかの金融機関とATMを共同化するなどコストの削減に取り組んできました。

    昨年度の決算では黒字は確保したものの、最終的な利益は5億円余りにとどまり、経営の改善は道半ばです。

    福島県内では東邦銀行と大東銀行という2つの地方銀行との厳しい競争も続き、生き残りを模索する中、ネット金融大手との連携に踏み出すことになりました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191111/k10012172211000.html

    返信削除
    返信
    1. SBIと福島銀行 資本業務提携を正式発表
      2019年11月11日 18時25分

      ネットで証券、銀行、保険を幅広く手がける「SBIホールディングス」と福島県の地方銀行「福島銀行」が資本業務提携を決めました。両社はネット金融と地銀という異色の組み合わせで、低金利が続く厳しい経営環境を乗り切っていく考えです。

      両社が合意した資本業務提携では、福島銀行が資金力を増強するために新たに発行する株式をSBIホールディングスがおよそ11億円で取得します。

      SBIは、グループで福島銀行の株式の19%余りを保有する筆頭株主となり、今後、役員1人を派遣する方針です。

      両社は提携を通じてまず来年1月をめどに福島県郡山市に共同で店舗を設置して、SBIが手がける投資信託や保険などを提供する計画です。

      福島銀行の店舗でSBIグループの住宅ローンなども提供する方針です。

      また福島銀行は、SBIが強みを持つ金融とITを組み合わせたフィンテックを活用して印鑑などがなくてもネットで口座を開設できるシステムを導入するほか、さまざまな業務の効率化でコストを削減し、収益力の強化を目指します。

      一方、SBIは全国の地銀と連携して大手銀行並みの金融ネットワークの構築を目指しています。

      今回の提携を通じてSBIは、ネットを通じたビジネスに加え、地方で新規顧客の開拓を進めるねらいがあります。

      長引く低金利や人口減少で地方銀行は厳しい経営環境が続いていますが、ネット金融と地銀という異色の組み合わせが収益環境をどこまで改善できるか注目されます。

      福島銀行社長「デジタルにも対応の強い銀行に」

      福島銀行の加藤容啓社長は、ネット金融大手の「SBIホールディングス」と資本業務提携したことを受けて福島市の福島銀行本店で記者会見しました。

      このなかで加藤社長は「持続可能なビジネスモデルを目指すうえで、さまざまなノウハウや技術を持っている企業との連携が必要だと考えていた。その中で証券や銀行、保険をカバーし、インターネットも駆使して資産運用サービス事業も手がけているSBIとの提携が当行にとって最適だと考えた」と提携の経緯を説明しました。

      そのうえで「銀行は大変なときに助けられる存在でないといけない。財務の健全性の維持や向上を図り、台風で被災されたお客様を含め資金需要に応えるためには自己資本の増強が必要だ。提携を機にITと金融を組み合わせた技術などを取り入れ、デジタルにも対応できる強い銀行を目指したい。福島の復興、地域経済の活性化・地域創生をさらに進めていきたい」と述べました。

      SBI専務「ねらいは地方の顧客」

      SBIホールディングスの森田俊平専務は、福島銀行に出資し資本業務提携したことを受けて福島市の福島銀行本店で記者会見しました。

      森田専務は「SBIはインターネットを通じて証券や銀行、それに保険のサービスを提供しているが、私どもではアクセスできない顧客基盤が福島にはある。地元の信頼を得ている地銀と組むことで、顧客基盤を強化することができる」と述べ、提携のねらいの一つに地方の顧客開拓をあげました。

      一方、SBIは全国の地方銀行と連携して大手銀行に並ぶ新たな金融ネットワークを形成する構想を掲げています。

      福島銀行との資本業務提携はことし9月の島根県の「島根銀行」に続く2例目です。

      今後の提携戦略を問われた森田専務は「資本提携に踏み込むかどうかは相手しだいだ。福島銀行との提携が成功事例となって声をかけてもらえるなら進めていきたい。将来の日本の地銀の在り方を試行錯誤しながら一緒に作り上げたい」と述べ、さらなる提携に積極的な姿勢を示しました。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191111/k10012173171000.html

      削除
  44. 福島沿岸部の復興へ ロボットなど先端研究 復興庁有識者会議
    2019年11月14日 19時30分

    原発事故で被災した福島県の沿岸部で、国際的な教育研究拠点の整備を検討している復興庁の有識者会議は、世界一のシェアを持つ産業の創出を目指し、ロボットなど先端技術を中心として研究にあたるなどとした、中間報告案をまとめました。

    中間報告案によりますと、新たな拠点は国が運営主体となることが適当だとしたうえで、まずは研究する場所を置き教育機能を充実させながら、将来的に大学や大学院の設置を検討するとしています。

    そして、原発の廃炉に加え基幹産業である農業分野で、世界一のシェアを持つ産業の創出を目指すとして、ロボットや、あらゆるモノをインターネットにつなぐ「IoT」など先端技術を中心として、研究にあたるなどとしています。

    また、国内外の研究機関などの人材を集積させるため、研究者や家族を受け入れられる生活環境を備えたコンパクトな「研究タウン」を整備し、拡大していく好循環を目指すべきだとしています。

    復興庁は、年内に閣議決定する「復興の基本方針」に、中間報告の内容を反映させることにしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191114/k10012177731000.html

    返信削除
    返信
    1. 「復興庁」の、「復興庁」による、「復興庁」のための、「持続可能な開発目標」ネタ(笑)。

      削除
    2. 「復興庁」のニュース
      https://www.2nn.jp/word/%E5%BE%A9%E8%88%88%E5%BA%81

      https://news.yahoo.co.jp/search/?ei=UTF-8&p=%E5%BE%A9%E8%88%88%E5%BA%81

      削除
  45. 事故4日後に放棄 福島第一原発オフサイトセンター 解体始まる
    2019年11月25日 17時18分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故の際、国の現地対策本部が置かれながらわずか4日後に放棄されほとんど役割を果たせなかった、福島県大熊町にある当時のオフサイトセンターで、建物の解体作業が始まりました。

    大熊町にある当時のオフサイトセンターは、福島第一原発からおよそ5キロ離れた場所にあります。

    町が3年後に避難指示が解除されることを見込んで宅地の整備などを検討していることに伴い、建物が解体されることになりました。

    25日は、重機の先端が2階建ての鉄筋コンクリート造りの建物に打ち込まれると厚さ20センチの壁が崩れ落ちていました。

    大熊町のオフサイトセンターは、原発事故が起きた平成23年3月には国の現地対策本部が置かれ、情報収集や住民の避難などの対応にあたる最前線の拠点になりました。

    しかし、放射性物質の侵入を防ぐ対策が不十分で、室内の放射線量が上昇したことなどからわずか4日後に放棄され、ほとんど役割を果たせませんでした。

    建物の解体は来年3月までに終了し、事故対応の状況を記録したホワイトボードなどは、新たに整備される震災と原発事故の伝承施設に展示される予定ですが、事故の教訓をいかに継承していくかが課題になります。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191125/k10012190511000.html

    返信削除
  46. 福島県「浜通り」再生へ 医療関連産業・航空宇宙産業の集積を
    2019年11月25日 20時53分

    東日本大震災や原発事故で大きな被害を受けた福島県浜通り地方の再生を図るため、福島県などは、今後成長が見込まれる医療関連産業と航空宇宙産業の集積を進める方針を示しました。

    福島県浜通り地方の再生を図るため、政府は最先端の産業や技術を集める「福島イノベーション・コースト構想」を推進し、原発の廃炉やロボットの研究・開発、再生可能エネルギーの事業化を重点分野としています。

    25日、福島市で開かれた会議で、経済産業省と復興庁、それに福島県は、今後成長が見込める医療関連産業と航空宇宙産業を新たに加える方針を示しました。

    さらに、浜通りの市町村の経済水準はいまだに震災前を大きく下回っている状況で、今後も継続的な取り組みが必要だとして、地元企業の技術力と経営力の強化などにも取り組む考えを示しました。

    こうした方針は、地元からの意見も踏まえ、年内に閣議決定する「復興の基本方針」などに反映される見通しで、政府が復興の総仕上げと位置づける「復興・創生期間」が終わる再来年・3月末以降を見据え、中長期的に取り組んでいくということです。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191125/k10012190811000.html

    返信削除
  47. 福島第一原発 廃炉や将来像めぐり住民が座談会 福島 富岡町
    2019年12月7日 19時30分

    福島第一原子力発電所の現状や将来像について意見を交わす、住民が参加した座談会が福島県富岡町で開かれました。

    これは、福島第一原発の周辺住民を対象に国と東京電力がことしから企画し、7日は2回目です。29人の参加者は、福島第一原発で廃炉作業を見たあと座談会に臨みました。

    この中で、汚染水を処理したあとに出る放射性物質のトリチウムなどを含んだ水の処分に関して多くの意見があがり「事故が起きたうえに今後、水を海に流すとなればさらなる苦しみだ」とか、「近くに住んでいる身としては風評被害、そして環境への不安も払拭(ふっしょく)されていない」など、国の委員会が選択肢の1つとして示している海洋放出に否定的な声が相次ぎました。

    また、現在は廃炉の作業で多くの人が集まっているものの、数十年後、廃炉が終わったあと地域産業をどうするかについても意見があがり「一部の建屋は残して、事故の記憶を伝える観光資源としてはどうか」などのアイデアが出されていました。

    福島第一原発の周辺では、ことし4月に立地自治体として初めて、大熊町の一部で避難指示が解除され住民の帰還が始まっています。

    座談会のあと参加者は「まずは廃炉作業をミスなく進めてもらうことが大事。国と東京電力が説明する廃炉の将来像にはまだ見えないところがあり、今後も説明をしてもらいたい」と話していました。

    国と東京電力は座談会は継続するとしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191207/k10012206331000.html

    返信削除
  48. 震災8年9か月「関連死」含め 死者と行方不明者 2万2000人超
    2019年12月11日 6時28分

    東日本大震災の発生から11日で8年9か月です。これまでに確認された死者と行方不明者は1万8428人となっています。また避難生活などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は3700人以上と、「関連死」を含めた死者と行方不明者は2万2000人を超えています。

    警察庁によりますと亡くなった人は宮城県で9543人岩手県で4675人、福島県で1614人、茨城県で24人、千葉県で21人、東京都で7人、神奈川県と栃木県でそれぞれ4人、青森県で3人、山形県で2人北海道と群馬県でそれぞれ1人で、合わせて1万5899人となっています。

    死亡した人の99%は身元が確認されましたが、依然として57人の身元が分かっていません。

    また、行方不明者は宮城県で1217人、岩手県で1112人、福島県で196人、千葉県で2人、青森県と茨城県でそれぞれ1人で合わせて2529人となっています。

    一方、復興庁によりますと避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」はことし3月末の時点で福島県で2272人、宮城県で928人、岩手県で467人、茨城県で42人、千葉県で4人、神奈川県と長野県でそれぞれ3人、山形県で2人、東京都と埼玉県でそれぞれ1人の少なくとも合わせて3723人となっています。

    福島県と茨城県では「震災関連死」で亡くなった人が津波など震災の直接の影響で死亡した人の数を上回っています。

    これで東日本大震災による死者と行方不明者は「震災関連死」を含めて少なくとも合わせて2万2151人にのぼります。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191211/k10012210331000.html

    返信削除
  49. 復興庁を10年延長2031年まで 新たな「復興の基本方針」決定
    2019年12月19日 11時05分

    政府の復興推進会議が開かれ、再来年の3月末までとなっている復興庁の設置期限を10年間延長することなどを盛り込んだ新たな「復興の基本方針」を決定しました。

    政府は、東日本大震災からの復興の総仕上げと位置づける「復興・創生期間」が再来年2021年3月末で終了することから、19日、総理大臣官邸で安倍総理大臣や田中復興大臣らが出席して復興推進会議を開き、新たな「復興の基本方針」を決定しました。

    それによりますと、2021年3月末までとなっている復興庁の設置期限を2031年まで10年間延長し、岩手復興局と宮城復興局を課題が集中する沿岸部に移転するとしています。

    また地震・津波被災地域は、2026年までの5年間で残された復興事業に全力を挙げるとしたうえで、被災者の心のケアや子どもの学習支援など5年以内に終了しないものは支援の在り方を検討し、適切に対応するとしています。

    一方、原子力災害被災地域は、当面、2031年までの10年間で本格的な復興・再生に向けた取り組みを行うとし、折り返しとなる5年後に進捗(しんちょく)状況などを踏まえ、事業の見直しを行うとしています。

    そして2026年までの5年間の事業規模は1兆円台半ばと見込み、震災発生から15年間の総額は32兆円台後半になるとしたうえで、これまでに確保した財源でおおむね見合う規模だと明記しています。

    安倍総理大臣は「心のケアなどの支援が引き続き求められており、原子力災害には中長期的な対応が必要だ。一日も早い復興に向けて全力を尽くしてほしい」と述べ、来年の通常国会に必要な法案を提出する考えを示しました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191219/k10012220631000.html

    https://koibito2.blogspot.com/2016/03/blog-post_16.html?showComment=1576728961056#c6632727634842131170

    返信削除
    返信
    1. 復興庁の設置期限10年延長へ 新たな「復興の基本方針」決定
      2019年12月20日 13時23分

      再来年、2021年の3月末までとなっている復興庁の設置期限を10年間延長することなどを盛り込んだ、新たな「復興の基本方針」が20日、決定されました。

      東日本大震災からの復興の総仕上げと位置づける「復興・創生期間」が再来年、2021年3月末で終了することから、政府は、20日の閣議で新たな「復興の基本方針」を決定しました。

      この中では、2021年3月末までの復興庁の設置期限を2031年まで10年間延長し、岩手復興局と宮城復興局を、課題が集中する沿岸部に移転するとしています。

      また、地震・津波被災地域は、2026年までの5年間で残された復興事業に全力を挙げるとしたうえで、被災者の心のケアや子どもの学習支援など、5年以内に終了しないものは、支援の在り方を検討し適切に対応するとしています。

      一方、原子力災害被災地域は当面、2031年までの10年間で本格的な復興・再生に向けた取り組みを行うとしていて、進捗状況などを踏まえ5年後に事業の見直しを行うとしています。

      こうした方針のもと政府は、来年の通常国会に必要な法案を提出することにしています。

      田中復興相「自治体に安心感を持ってもらえる対応に」

      田中復興大臣は、閣議のあとの記者会見で「幅広い方々から伺った被災地の実情や要望を可能なかぎり反映できたのではないか。復興事業の規模など具体的な数字については、復興施策の進捗(しんちょく)などを踏まえて引き続き精査し、自治体の皆さんに安心感を持ってもらえるような対応をしていきたい」と述べました。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191220/k10012222041000.html

      削除
  50. 除染で出た土「安全性問題ない」 農地利用の手引き作成へ
    2019年12月19日 15時51分

    福島第一原発事故の除染で出た土の再生利用について環境省は、福島県飯舘村で行っている実証事業の結果、安全性に問題は出ていないとして、農地としての再生利用に向けて手引きを作成する方針を示しました。

    環境省は、原発事故に伴う除染で出た土のうち、放射性物質の濃度が一定の基準を下回ったものを全国の公共工事などで再生利用する方針で、昨年度から福島県飯舘村の長泥地区では農地として利用する実証事業を行っています。

    19日、専門家による検討会を開いて実証事業の進捗状況を報告しました。

    この中で環境省は、除染で出た土を通常の土で覆い、作物を試験的に栽培したところ、周辺の空間線量などに大きな変化はなく、作物から検出される放射性物質の濃度も想定より低かったとして、安全性に問題は出ていないと説明しました。

    そのうえで、農地としての再生利用に向けて、造成する際の手続きの進め方や、盛り土が崩れた場合は環境省が調査や土の回収を行うことなどを定めた手引きを作成する方針を示しました。

    環境省は、実証事業に引き続き問題がなければ飯舘村の長泥地区で来年度から準備工事を始め、再来年度=2021年度から、除染した土を使った農地の造成を始める計画です。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191219/k10012220981000.html

    返信削除
  51. 避難指示が唯一全域で続く双葉町 3月4日に初の解除で調整
    2019年12月20日 11時46分

    東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町が、町の北東部などの避難指示を来年3月4日に解除する方向で、国や福島県と調整を進めていることが関係者への取材で分かりました。双葉町は原発事故による避難指示が唯一、全域で続いていて、これが初めての解除となります。

    双葉町で避難指示の解除が予定されているのは、町の北東部の「避難指示解除準備区域」と、JR常磐線の双葉駅周辺、これらの地域をつなぐ町道です。

    町は、この地域での放射線量が十分下がっているとする専門家による町の検証委員会の報告などを受けて、避難指示の解除について国や県と協議を行っています。

    関係者によりますと、解除の日程を来年3月4日にする方向で調整が進められ、今月26日に国と県、町の最終的な協議が行われるということです。

    3月14日には、JR常磐線の双葉駅を含む区間で運転再開が検討されているほか、3月上旬には常磐自動車道の常磐双葉インターチェンジが開通する予定だということです。

    双葉町は、原発事故による避難指示が唯一全域で続いていて、これが初めての解除となります。

    また、今回の解除により、原発事故の1年後から放射線量に応じて県内11の市町村で設定された3つの避難指示区域のうち、帰還困難区域以外の区域はすべてなくなることになります。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191220/k10012222091000.html

    返信削除
    返信
    1. 原発事故 帰還困難区域での避難指示 初の解除決まる 富岡町
      2019年12月20日 12時56分

      東京電力福島第一原発の事故による避難指示が、福島県富岡町のJR夜ノ森駅周辺で来年3月10日に解除されることが決まりました。放射線量が比較的高く今も立ち入りが制限されている帰還困難区域で避難指示の解除が決まったのは、これが初めてです。

      富岡町の避難指示の解除は20日、国の原子力災害現地対策本部長を務める松本経済産業副大臣、福島県の鈴木正晃副知事、富岡町の宮本皓一町長などが会談して決まりました。

      対象の地域は、帰還困難区域に指定されたJR常磐線の夜ノ森駅の駅舎と駅前の広場周辺の1.1キロの道路で、来年3月10日の午前6時に解除されます。

      放射線量が比較的高く今も立ち入りが制限されている帰還困難区域は、福島県全体で337平方キロメートルが指定されていますが、避難指示の解除が決まったのはこれが初めてです。

      夜ノ森駅の周辺には名所の桜並木があり、富岡町の宮本町長は「避難指示を解除して駅の利用が始まれば、町を訪れる人が増えると期待している」と述べました。

      帰還困難区域の避難指示は、双葉町の双葉駅周辺で3月4日に、大熊町の大野駅周辺で3月5日に解除する方向で国や地元の自治体が調整を進めています。

      これを受けてJR常磐線は、3月14日に全線で運転を再開する見込みです。

      このほか来年3月には、双葉町の北東部の「避難指示解除準備区域」で避難指示が解除され、常磐自動車道の常磐双葉インターチェンジが開通する予定となっていて、震災と原発事故から9年で原発周辺の地域の環境が大きく変化することになります。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191220/k10012222191000.html

      削除
  52. 風化の懸念 放射線教育 文科省が実態調査始める
    2019年12月28日 21時08分

    東京電力福島第一原発の事故をきっかけに見直された学校の放射線教育。しかし、事故から時間がたつにつれ、学校では放射線を学ぶ機運が失われていると懸念する専門家もいます。文部科学省も全国の学校における放射線教育の実態調査を始めました。

    2011年の東日本大震災の時に起きた福島第一原発の事故を受けて、文部科学省は子どもたちに放射線の正しい知識を身につけてもらうため中学校の理科におよそ30年ぶりに放射線の授業を復活させたり全国の学校に副読本を配ったりして放射線教育に力を入れました。

    ところが、事故から9年近くが経過し、この副読本の使われ方について疑問の声が相次ぐようになり、文部科学省は全国のおよそ4500校を対象に授業で放射線に関する内容を扱っているかや副読本の活用状況などについて実態調査を始めました。

    文部科学省は来年3月をめどに調査結果をまとめる方針です。

    放射線教育に詳しい福島大学の山口克彦教授は「原子力発電所の事故を受けて、放射線のことを知ろうという機運が全国の学校で高まったが、時間がたつ中で風化している事実があると思う。放射線の知識は、お互いが共有していないと理解が進まないので、福島の子どもたちだけでなく、全国で学び続けることが大事だ」と指摘しています。

    岐路に立つ放射線教育

    原発事故から時間がたち、放射線教育を続けることの難しさを感じている学校もあります。

    千葉大学教育学部附属中学校では、原発事故の直後は積極的に副読本を使って放射線教育に力を入れていましたが、ここ数年は、かつてほど取り組めていないといいます。

    当時の状況を知る理科の教員がいなくなり、さらに、学校現場にネットのリテラシー教育など次々と新たな教育が求められるため、放射線教育だけに多くの時間をかけられないのです。

    三宅健次副校長は「当初は、千葉県でも農作物の汚染があるのではという心配もあり、保護者も関心があったと思いますが、最近は家庭や学校でも、そういった話題はなくなりました。教育現場は喫緊に取り組む課題がどんどん変わってきているので、そちらをどうしても優先します」と話していました。

    学び続ける福島の中学校

    一方、原発事故が起きた福島県の中学校では今も放射線教育に力を入れています。

    福島県南会津町の舘岩中学校です。

    この日中学2年の理科の授業で放射線について学ぶため、生徒は校門近くに集まりました。

    そこには放射線量を測定するため原発事故のあとに設置されたモニタリングポストがあります。

    さらに生徒たちは班ごとに線量計を使って校舎周辺の空間の放射線量を測定しました。

    結果は1時間あたり0.089マイクロシーベルトと、通常の範囲の数値でした。

    このあと生徒たちは教室で副読本を使って、自然界には宇宙から降り注ぐ放射線があることなどを学びました。

    生徒の1人は「放射線は身の周りにあることを他県の人たちにも福島に住む私たちが伝えてあげたい」と話していました。

    芳賀稔教頭は「福島県に住んでいる子どもたちも将来はいろんなところに住むようになると思う。放射線の知識を生かして自分の子どもに伝えていくことが大切だと考えている。福島県の一員として、放射線教育は非常に重要なものだと考えているので、継続的に行っていきたい」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191228/k10012231491000.html

    返信削除
  53. 福島 NEWS WEB
    双葉町に「戻りたい」は10%
    01月09日 10時13分

    原発事故にともなう避難指示が、ことし3月一部地域で初めて解除される双葉町について、復興庁が、住民に調査したところ、将来的な希望を含めて「戻りたいと考えている」とした世帯の割合は、全体の10%にとどまりました。

    東京電力福島第一原子力発電所の事故により、双葉町は、県内で唯一、全域で避難指示が続き、ことし3月4日に町の北東部など一部で初めて解除されます。
    復興庁は、解除が決定する前の去年9月下旬から10月上旬にかけて、双葉町の3057世帯を対象に住民意向調査を行い、46%にあたる1399世帯から回答を得ました。
    この中で、町への帰還の意向を尋ねたところ、「戻らないと決めている」が63.8%と最も多く、前の年の調査と比べても2.3ポイント増加しました。
    一方、将来的な希望を含めて「戻りたいと考えている」は10.5%で、こちらはわずかに減少しました。
    「まだ判断がつかない」は24.4%でした。
    「まだ判断がつかない」と回答した世帯に、帰還を判断するために必要なことを尋ねたところ、最も多かったのが「医療・介護福祉施設の再開や新設」で、およそ40%、ついで「住宅の修繕や建て替え、住宅確保への支援」がおよそ36%、「商業施設の再開や新設」がおよそ28%などとなりました。
    https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20200109/6050008543.html

    返信削除
  54. 双葉町伝統のダルマ市開催、福島 避難先のいわき市で
    1/11(土) 11:14配信共同通信

    福島県双葉町の伝統行事「ダルマ市」の露店に並ぶだるま=11日午前、福島県いわき市

     東京電力福島第1原発事故で全町避難が続く福島県双葉町の伝統行事「ダルマ市」が、多くの町民が避難する同県いわき市で11日に開かれた。

     ダルマ市は大小のだるまを販売する新春の恒例行事で、100年以上の歴史があるとされる。町民有志が伝統を継承しようと、2012年から同市で毎年開いてきた。避難先で住民らが交流を深める場にもなっている。

     会場のいわき市勿来町酒井の復興公営住宅には、約3メートルの巨大だるまを設置。約1500体のだるまが売られ、避難者や地域住民らでにぎわった。ダルマ市は2日間の日程で、12日には、だるまみこしが披露される。
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200111-00000059-kyodonews-soci

    返信削除
    返信
    1. 全町避難続く福島・双葉町の「ダルマ市」、いわき市で開催
      1/11(土) 18:00配信読売新聞オンライン

      復興住宅前で「巨大ダルマ引き」を行う双葉町民ら(11日午後、福島県いわき市で)=武藤要撮影

       東京電力福島第一原発事故で全町避難が続く福島県双葉町の新春行事「ダルマ市」が11日、同県いわき市の復興住宅「勿来(なこそ)酒井団地」で始まり、「巨大ダルマ引き」などが行われた。両側に顔を描いたダルマ(高さ約3・3メートル、重さ約700キロ)を町民ら約200人が南北に分かれて引き合い、今年は商売繁盛をもたらすとされる南が、豊年満作の北に勝った。

       同町の避難指示は今春、一部ながらも初めて解除される。町は2年後の住民帰還を目指しており、伊沢史朗町長は「いつか本来の場所でダルマ市を再開したい」と語った。
      https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200111-00050226-yom-soci

      削除
  55. 原発事故で一時全域に避難指示の福島 浪江町で成人式
    2020年1月11日 18時39分

    東京電力福島第一原発の事故で、一時、全域に避難指示が出された福島県浪江町で成人式が行われ、事故当時、小学5年生だった新成人たちが久しぶりに町で再会しました。

    浪江町は3年前に、原発事故による避難指示が町の面積の約20%で解除され、事故後、町内で成人式が行われるのはことしが3回目です。

    ことしの新成人は、原発事故が起きた時は小学5年生で、成人式には全体の3分の1に当たる61人が出席しました。

    式では新成人の代表で、東京大学で学んでいる金山裕生さんが誓いのことばを述べ、「震災後避難を余儀なくされましたが、浪江での経験や人とのつながりが今の人格を形成していると思います。いつか浪江に帰って暮らしたいと思っていますし、社会人になっても復興に携わっていきたいです」と語っていました。

    新成人たちは原発事故のあと避難し、各地の学校に通ったため、久しぶりに再会を果たした人も多くいました。

    茨城県で家族と暮らしている女子大学生は「ふるさとで成人式を迎え、久しぶりに多くの友人と会うことができて大変うれしいです」と話していました。

    体に障害があり、津波に襲われた学校から、車いすで同級生たちと避難した男子大学生は「多くの人に支えられて無事成人式を迎えられました。将来は福祉関係の仕事に就きたいです」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200111/k10012242721000.html

    返信削除
  56. プレスリリース
    伊東農林水産副大臣の国内出張について

    令和2年1月15日
    農林水産省

    伊東農林水産副大臣は、令和2年1月16日(木曜日)に、東日本大震災からの復旧・復興の現地調査のため、福島県へ出張します。

    1.概要
    伊東農林水産副大臣は、令和2年1月16日(木曜日)に、東日本大震災からの復旧・復興の現地調査のため、福島県へ出張します。

    2.日程及び場所
    令和2年1月16日(木曜日)
    ・水産資源研究内容調査
    場所:福島県水産資源研究所
    所在地:福島県相馬市光陽1-1-14
    ・水産物加工品輸出状況調査
    場所:株式会社マルリフーズ
    所在地:福島県相馬市岩子字坂脇77
    ・スマート農業実証状況調査
    場所:株式会社紅梅夢ファーム
    所在地:福島県南相馬市小高区蛯沢字藤沼160
    ・特定復興再生拠点区域調査
    場所:特定復興再生拠点
    所在地:福島県双葉郡双葉町

    3.出張者
    伊東 良孝(いとう よしたか)農林水産副大臣

    4.留意事項
    ・現地調査は公開で、カメラ撮影も可能です。ただし、特定復興再生拠点区域調査は非公開で、カメラ撮影もできません。
    ・取材を希望される方は、当日、記者証を持参の上、腕章を着用してください。
    ・福島県水産資源研究所の取材を希望される方は、長靴を持参してください。
    ・取材及び駐車場については、現地担当者の指示に従ってください。
    ・駐車スペースには限りがありますので、あらかじめ御了承願います。
    ・都合により、予定が変更されることがありますので、あらかじめ御了承願います。


    お問合せ先

    大臣官房文書課災害総合対策室

    担当者:影山、財津
    代表:03-3502-8111(内線3125)
    ダイヤルイン:03-3502-6442
    FAX番号:03-6744-7158
    https://www.maff.go.jp/j/press/kanbo/bunsyo/saigai/200115.html

    返信削除
  57. 栃木 NEWS WEB
    原発事故で14品目出荷制限続く
    03月11日 12時40分

    東京電力福島第一原発の事故の影響で、栃木県では食品から基準を超える放射性物質が検出され、事故から9年となるいまも野生のきのこや山菜など合わせて14品目で国による出荷制限が続いています。

    原木シイタケや野生のきのこなどは21の市や町で出荷制限が続いています。
    このうち、原木シイタケは、安全な栽培環境を確保できた農家が戸別に制限を解除され、これまで115人が生産を再開しましたが、多くの人が断念し事故前におよそ700人いた生産者は169人にとどまっています。
    また、タケノコも5つの市町で制限が続くほか、コシアブラやタラノメ、それにワラビなど6つの野生の山菜についても14の市や町で出荷制限が続いています。
    一方、肉類ではイノシシ肉とシカ肉が県内全域で制限されています。
    牛肉は去年3月に出荷制限が解除されましたが、県がその後も続けている自主的な全頭検査で基準を超えたものはなかったことから、検査体制の縮小を検討しています。
    原発事故から9年となるいまも一部の食品で出荷制限が続くなか、県は引き続き、安全な生産方法を指導するなど関係者への支援を続けることにしています。
    https://www3.nhk.or.jp/lnews/utsunomiya/20200311/1090006492.html

    返信削除
  58. 社説
    大震災9年 整備された基盤を生かしたい
    2020/03/11 05:00

     新型コロナウイルスの影響により、各地の追悼式典が中止される中で、東日本大震災の発生から9年を迎えた。

     死者・行方不明者や、震災後に亡くなった関連死の人は2万2000人に上る。心から哀悼の意を表したい。

     被災地では、仮設住宅団地の居住者が900人台に減る一方、復興住宅の整備や宅地造成の進捗しんちょく率は100%に近づいている。宮城県から青森県まで続く三陸沿岸道路も来年度には完成する。

     32兆円の国費を投じる被災地の生活基盤整備は、終点が見えてきたと言えよう。

     8年にわたる復興計画を終えたのが宮城県女川町だ。多くの犠牲者を出し、人口は4割減ったが、中心部のかさ上げ地には、新たな商店街ができ、週末には地元の人や観光客でにぎわう。

     住民の意見集約が早く進んだことが、コンパクトな街づくりに結びついた例だろう。

     他方、整備された基盤が生かされていない自治体もある。

     岩手県陸前高田市の造成地では現在も空き地が目立つ。津波で流された中心街に大量の土砂を運び込んでかさ上げし、60ヘクタール超の宅地を造った。だが、実際に利用されているのは半分に満たない。

     国土交通省が昨秋に行った被災3県の土地区画整理事業の調査では、約35%が未利用地だった。造成に時間がかかり、避難先で暮らす地権者が、元の土地での生活再建を諦めた例が多い。

     幅広い世代が交流できる場を設けるなど、こうした土地を活用する手立てを考える必要がある。

     ハード面に加えて、ソフト面の対策の充実も欠かせない。

     被災経験に苦しむ人は少なくない。震災直後から子供の心のケアを続けている臨床心理士によると「私の持ち物を取りに戻ったお父さんが津波にさらわれた」と今なお自分を責める女性がいる。

     ある女性は「生活再建に追われ、そのいらだちから子供に当たってしまう」と悩みを打ち明けたという。自治体や民間の福祉団体が連携して、被災家庭への訪問相談を実施するなど、今後も継続した支援が求められる。

     ここ数年、震災の記憶を伝承する取り組みが進んだ。陸前高田市には津波伝承館が誕生し、被災した消防車や体験者の手記が展示されている。宮城県気仙沼市や東松島市では、被災した校舎や駅を震災遺構として保存している。

     一人でも多くの人が震災を知ることで、風化を防ぎたい。
    https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20200310-OYT1T50339/

    返信削除
  59. 福島県内の復興工事で過剰接待 環境省が業界団体を注意
    2020年9月2日 18時10分

    福島県内の復興関連の工事で、ゼネコン3社の社員が下請けの会社から過剰な接待を受けたなどとして、環境省は業界団体に対しコンプライアンスの徹底を求めました。

    環境省の発表によりますと、平成26年度から福島県浪江町で行われた、放射性物質で汚染された廃棄物に関する公共工事では、準大手ゼネコンの安藤ハザマの元社員が、下請け会社に経費を水増しして発注し、見返りに過剰な接待や現金の提供を受けていたということです。

    この元社員はすでに懲戒解雇されています。

    環境省と安藤ハザマは、接待の詳しい内容や提供された現金の額などを明らかにしていません。
    環境省は、復興関連の工事で不正が続いているということし7月の新聞報道を受けて建設会社の調査を進めていて、大手ゼネコンの鹿島建設と清水建設からも民間企業の発注する福島県などでの工事で、社員が下請け企業から過剰な接待を受けていたという報告があったということです。

    これを受けて、環境省は2日、日本建設業連合会と全国建設業協会に対し、文書でコンプライアンスの徹底を求めました。

    環境省は「極めて憂慮すべきものと受け止めている。工事の検査や確認の強化を図っていきたい」とコメントしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200902/k10012597131000.html

    返信削除
  60. 原発事故から9年半 ふるさとへ帰還できず死去 2600人余 福島
    2020年9月9日 4時56分

    東京電力福島第一原発の事故の発生からまもなく9年半です。福島県では今も避難指示が続く「帰還困難区域」から避難した住民のうち、ふるさとへの帰還がかなわぬまま亡くなった人が少なくとも2600人余りに上っていることがNHKの取材で分かりました。

    福島第一原発周辺にあり、福島県内の7つの市町村にまたがる帰還困難区域は、今も放射線量が比較的高く避難指示が続いていて、居住は認められていません。

    この区域には、原発事故が起きた平成23年3月の時点で、2万6500人余りが暮らしていましたが、NHKが自治体に取材したところ、避難してから先月までのおよそ9年半の間に、少なくともおよそ1割に当たる2670人が亡くなったことが分かりました。

    市町村別では、
    ▽大熊町が895人と最も多く、
    次いで
    ▽双葉町が792人、
    ▽浪江町が576人、
    ▽富岡町が362人、
    ▽飯舘村が32人、
    ▽葛尾村が12人、
    ▽南相馬市が1人で、ふるさとへの帰還がかなわぬまま亡くなる人が増え続けています。

    帰還困難区域について、政府は、一部を「特定復興再生拠点区域」に指定し、2年後から3年後にかけて避難指示を解除できるよう、除染やインフラ整備を進めていますが、残る92%の面積を占める地域では解除に向けた具体的な方針を示しておらず、住民からは、一日も早い解除を望む声が高まっています。

    遺族「無念の死が増える 政府は具体的な方向性を」

    帰還困難区域に指定されている富岡町小良ヶ浜地区の住民、佐藤健治さんは去年5月、避難先のいわき市で75歳で亡くなりました。

    左官職人や建設作業員として働いていた佐藤さんは、原発事故の前、妻と息子夫婦、孫2人の3世代6人で暮らしていて、コメ作りや孫の世話が何よりの生きがいだったということです。

    しかし、事故によって、息子の家族と離れて避難せざるを得なくなり、次第に体調が悪化していきました。

    ふるさとの小良ヶ浜地区は「特定復興再生拠点区域」に含まれていないため、避難指示解除の見通しすら示されていません。

    息子の忠一さん(47)によりますと、佐藤さんは生前、「自宅に戻りたいが戻れないもんな」と無念の思いを口にしていたといいます。

    政府は、帰還困難区域について、「たとえ長い年月を要するとしても、将来的にすべてを避難指示解除し、復興・再生に責任を持って取り組む決意」だとしていますが、忠一さんは「このままでは、父と同じような思いで亡くなる人が増える一方だ。政府は具体的な方向性を早く示してほしい」と話しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200909/k10012607851000.html

    返信削除
  61. 原発事故の記録伝える施設 きょうオープン 福島 双葉町
    2020年9月20日 5時17分

    東京電力福島第一原発事故の記録を伝える伝承施設が公立の施設としては初めて福島県双葉町に完成し、20日オープンします。

    東日本大震災と原発事故の記録を後世に伝える、県立の伝承施設「東日本大震災・原子力災害伝承館」は、ことし3月に避難指示が一部で解除された福島県双葉町に20日オープンします。

    館内には大型スクリーンが設置され、原発事故が起きた直後の地域の姿や住民の避難の様子などを映像で伝えています。

    また、行政の対応拠点となったオフサイトセンターで使われたホワイトボードや除染作業で使われる資材など、およそ150点の資料や映像で原発事故当時の混乱や長引く影響を伝えていて、地元の語り部も常駐することになっています。

    福島県は、当初、東京オリンピックの開幕に合わせてことし7月に開館する計画でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で展示映像の制作などに遅れが生じ予定より2か月ほど遅れてオープンとなりました。

    原発事故の記録を伝える伝承施設は、公立としては初めてです。

    休館日の火曜日以外は午前9時から午後5時まで開館し、入館料は大人は600円、子どもは300円です。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200920/k10012626871000.html

    返信削除
    返信
    1. 原発事故の記録伝える「伝承館」がオープン 福島 双葉町
      2020年9月20日 12時27分

      東京電力福島第一原発事故の記録を伝える、初めての公立の施設が福島県双葉町に完成し、20日、オープンしました。

      東日本大震災と原発事故の記録を後世に伝える福島県双葉町の県立の伝承施設「東日本大震災・原子力災害伝承館」は、20日、オープンし、避難先から駆けつけた地元の人たちなどが訪れています。

      オープンに合わせて伝承館の高村昇館長が、「未曽有の大災害に福島の人たちが、どのように立ち向かって復興していったかを知ってほしい」とあいさつしました。

      展示室には、行政の対応拠点となった大熊町のオフサイトセンターで使われたホワイトボードや、原発で重大事故が起きたことを国や県に知らせるファクシミリなどおよそ150点の資料や映像が、展示されています。
      館内には地元の語り部も常駐することになっていて、原発事故当時の混乱や長引く影響を伝えています。

      原発事故の記録を伝える伝承施設は公立としては初めてで、休館日の火曜日をのぞき、午前9時から午後5時まで開館しています。
      避難先から訪れた71歳の男性は「当時を思い出して背筋が寒くなる思いがしました。こうした施設で多くの人に見てもらうことは必要だと思う」と話していました。

      また千葉県から訪れた高校生は「放射性物質を取り除く作業が今も行われていることは知らなかったが、つらい思いをしている人がたくさんいることが分かった」と話していました。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200920/k10012627541000.html

      削除
    2. 「広島平和記念資料館」「長崎原爆資料館」みたいに左巻き教育の殿堂にしたいのかなあ…

      削除
    3. 震災・原発事故の教訓伝える「伝承館」、福島・双葉町に開館
      2020/09/20 19:36

      仮設住宅団地を示す標識の展示を見る来館者(20日午前、福島県双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館で)=仲田萌重子撮影

       東京電力福島第一原発事故の避難指示が3月に一部解除された福島県双葉町で20日、東日本大震災や原発事故の教訓を伝える県の「東日本大震災・原子力災害伝承館」が開館し、県内外から大勢の人が訪れた。

       県は、津波で流された道路標識や、避難指示区域となった小学校に残されたままのランドセルなど約24万点の資料を収集。このうち約150点を館内に展示し、事故当時の混乱ぶりや、転々と避難を繰り返す住民の姿、長期化する復興への歩みなどを紹介している。

       避難先の茨城県古河市から家族4人で訪れた小学3年の男児(9)は、原発事故の3か月後に生まれた。事故前、両親は双葉町に暮らしており、男児が町を訪れたのはこの日が初めて。「故郷になるはずだった双葉の様子を知ることができた。これからもっと勉強したい」と話した。

       同館は当初、東京五輪・パラリンピックに合わせて今夏に開館する予定だったが、新型コロナウイルスの影響で準備が遅れていた。
      https://www.yomiuri.co.jp/national/20200920-OYT1T50075/

      削除
  62. 復興庁 来年度予算案の概算要求 今年度より大幅減の約6330億円
    2020年9月26日 4時10分

    復興庁は、来年度予算案の概算要求について、復興の総仕上げと位置づけた期間が来年3月末で終了し、計画されていたインフラ整備が進んだことなどから、今年度より1兆円余り少ない、およそ6330億円とする方針を固めました。

    復興庁は、来年度予算案の概算要求に盛り込む、東日本大震災の復興関連予算の内容を固めました。

    それによりますと、概算要求の総額は6331億円と、今年度の要求額より1兆650億円少なくなりました。

    政府関係者によりますと、政府が復興の総仕上げと位置づけた「復興・創生期間」が来年3月末で終了し、計画されていた道路などのインフラ整備が進んだことなどから、関連する予算の要求額が大幅に減ったのが主な要因だということです。

    一方で、政府は、来年度からの5年間を「第2期復興・創生期間」と位置づけていて、今回の概算要求では、原発事故の被災地の復興・再生に4665億円を計上し、避難指示が解除された地域に帰還するための環境整備などに取り組む方針です。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200926/k10012635591000.html

    返信削除
  63. 菅首相 福島第一原発など視察「責任もって復興に取り組む」
    2020年9月26日 18時36分

    菅総理大臣は26日、福島県を訪れ、廃炉作業が続く東京電力福島第一原子力発電所などを視察しました。視察のあと、菅総理大臣は、政府として責任を持って復興に取り組むと強調し、福島第一原発で増え続けているトリチウムなどの放射性物質を含む水の処分方法について、できるだけ早く方針を決めたいという考えを示しました。

    菅総理大臣は、26日、就任後初めての地方視察として、福島県を訪問しました。

    ことし3月、9年ぶりに全線で運転を再開したJR常磐線で、午前11時過ぎに大熊町に到着した菅総理大臣は、まず、東京電力福島第一原子力発電所を訪れました。

    バスで敷地内をまわったあと、1号機から4号機までを見渡せる高台でバスを降り、廃炉作業の状況を視察しました。福島第一原発では、トリチウムなどの放射性物質を含む水がたまり続け、処分方法が課題になっていて、菅総理大臣は、処理水の入った容器を手にし、東京電力の担当者から、説明を受けました。

    そして、「大変で長期にわたる作業だと思うが、安全に、着実にやっていただきたい。国も前面に出て、全力で取り組みたい」と話していました。

    続いて、菅総理大臣は、今月20日に双葉町にオープンした、県の伝承施設「東日本大震災・原子力災害伝承館」を訪れ、住民の避難の記録や、震災後に世界各国から寄せられた支援の品を展示するコーナーなどを見て回りました。

    このあと、菅総理大臣は、復興を担う人材育成を目指して広野町につくられた、県立の中高一貫校「ふたば未来学園」を訪れ、生徒3人が、地域の課題の解決に向けて取り組んでいる学習活動の成果を発表しました。

    このうち、祖父が漁師だという、中学2年生の小野雄太郎さんは、風評被害の払拭のため、地元の漁業の魅力を伝える絵本をつくりたいと話していました。生徒たちの発表を聞いた菅総理大臣は、「目標をしっかり持って頑張っているのは本当にすばらしい。私は、『意志あれば道あり』をモットーに一生懸命頑張り、いつのまにか総理大臣になった。失敗をおそれず頑張ってほしい」とエールを送っていました。

    一連の視察のあと、菅総理大臣は、記者団に対し、「総理大臣に就任して初めての訪問先に、福島を選んだ。福島第一原発については、廃炉作業が安全で着実に進展していることを確認した。今後も復興と廃炉の両立のために、国が前面に出て、しっかり取り組んでいきたい」と述べました。そのうえで、増え続けているトリチウムなどの放射性物質を含む水の処分方法について、「今後できるだけ早く、政府として責任を持って処分方針を決めたい」と述べました。

    また、菅総理大臣は、「『福島の復興なくして東北の復興なし』、『東北の復興なくして日本再生なし』、これは私の内閣としての基本方針だ。組閣の日に、全閣僚に指示書を渡し、その中にこのことをしっかり書き込んでいる。これからも、福島や東日本大震災の復興に責任を持って、政府として取り組んでいきたい」と強調しました。

    そして、原発周辺の帰還困難区域について、「最終的にはすべて解除し、皆さんがそこに住むことができるよう、時間をかけてもやり遂げたい」と述べました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200926/k10012636291000.html

    返信削除
  64. 楢葉町 オリーブの種を宇宙へ 帰還後は復興のシンボルに
    2020年11月2日 19時21分

    東日本大震災と原発事故から10年となる来年、福島県楢葉町は、被災した際、支援してくれたギリシャのオリーブの種を宇宙に打ち上げることになりました。町は宇宙を旅したオリーブを復興のシンボルとして育てることにしていて、2日、東京・渋谷区で町長がギリシャ大使からオリーブの種を譲り受けました。

    楢葉町は、東日本大震災と原発事故から10年の節目の年となる来年、被災地の支援にあたった国や地域との交流事業に取り組む東北3県の合わせて42の自治体と一緒に被災地の記念品などを宇宙に届けて、国際宇宙ステーションから被災地の復興の姿を伝えることにしています。

    2日、楢葉町の松本幸英町長が東京・渋谷区のギリシャ大使公邸でオリーブの種を受け取りました。

    そして、コンスタンティン・カキュシス大使が、「オリーブはオリンピックでは勝利の象徴であり、平和の象徴でもあります。楢葉町が困難や逆境を乗り越えた証しとなるよう大事に育ててほしい」と述べました。
    オリーブの種は来年5月に他の自治体の記念品と一緒にロケットで打ち上げられ、1か月半ほど宇宙を旅したあと町に帰還する予定で、町はオリーブの種を復興のシンボルとして育てるほかギリシャに苗を植樹して交流の証しにしたいということです。

    松本町長は「育てたオリーブが文化や人など交流に活用できることを願っている」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201102/k10012692671000.html

    返信削除
    返信
    1. 「ノアの方舟 オリーブ ハト」
      https://www.google.com/search?q=%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%96%B9%E8%88%9F+%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96+%E3%83%8F%E3%83%88

      削除
  65. 【独自】福島に家族で移住なら200万円支給…原発周辺12市町村対象に支援金
    2020/12/13 05:00

     政府は来年度、東京電力福島第一原発の周辺12市町村へ移住する人に最大200万円の支援金を出す方針を固めた。来年3月で原発事故から10年になるが、12市町村の避難指示が解除された区域の人口は、住民基本台帳登録数の2割にとどまっている。避難者らの帰還だけでなく、新たな移住を促して地域の復興再生を進める。

     支援金の対象は、2011年の事故当時、12市町村に住んでいなかった人で、来年夏以降の支給開始を見込む。県外から家族で移住した場合は200万円(県内からは120万円)、単身の場合は120万円(同80万円)を支給する。

     移住して5年以上住むことや「就業」などが条件で、県外企業に勤務し、リモートワークをしながら12市町村で暮らすケースでも支援金を受けられる。さらに、移住後5年以内に起業する場合、必要経費の4分の3(最大400万円)を支給する。

     財源は、復興庁が県や12市町村に交付している福島再生加速化交付金などを充てる。今年6月に成立した改正福島復興再生特別措置法で移住促進策が交付金の対象となり、自民、公明両党が9月、政府に支援金創設を提言していた。

     原発事故後、12市町村には避難指示が出されるなどし、住民が各地に避難した。避難指示は順次解除されているが、住民の帰還は進んでいない。今年4月時点の解除区域の人口は約1万8000人で、65歳以上が4割を占めている。
    https://www.yomiuri.co.jp/politics/20201212-OYT1T50304/

    返信削除
  66. 福島「帰還困難区域」除染なしでも避難指示解除の仕組み導入へ
    2020年12月25日 21時00分

    原発事故に伴う福島県内の「帰還困難区域」のうち、国は地元自治体から強い意向があり、住民の日常的な生活がないことを前提に、除染をしなくても避難指示を解除できる仕組みを導入することを決めました。

    福島県では、今も立ち入りが厳しく制限されている「帰還困難区域」が7つの自治体に残っています。

    国は「帰還困難区域」のうち、早期に避難指示の解除を目指すエリアを「特定復興再生拠点区域」に指定し、2023年までの解除を目標に除染を進めていますが、この「拠点区域」に指定されていない場所は解除のめどが立っていません。

    こうした場所について国の原子力災害対策本部は25日、地元自治体から強い意向があること、住民の日常的な生活が想定されていないことを前提に、これまで「除染作業が十分に進んでいること」などとしていた避難指示解除の要件の一部を変更し、「必要な環境整備が実施されていること」という要件を盛り込んで、除染をしなくても避難指示が解除できる仕組みを導入することを決めました。

    帰還困難区域が残る自治体のうち飯舘村は、村内の一部に復興のための公園整備を計画していて、全面的な除染をせずに避難指示が解除できる仕組みを求めていました。

    一方、飯舘村以外の自治体は除染を前提に避難指示の解除を求めています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201225/k10012784681000.html

    返信削除
  67. 東日本大震災の「震災関連自殺」、10年間で240人…半数は福島
    2021/02/05 17:35

     東日本大震災が発生した2011年から20年までの約10年間で、遺書に震災のことを記しているなど「震災関連自殺」をした人が計240人に上ることが5日、厚生労働省と警察庁の集計で分かった。このうち福島県で亡くなった人は半数の118人だった。同省などは、震災による心の傷を抱えた人は今も多いとみて、相談窓口の利用を呼びかけている。

     相談は、こころの健康相談統一ダイヤル(0570・064・556)へ。
    https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/news/20210205-OYT1T50248/

    返信削除
    返信
    1. 東日本大震災の「関連自殺」、10年間で240人…半数は福島
      2021/02/05 21:17

       東日本大震災が発生した2011年から20年までの約10年間で、遺書に震災のことを記しているなど「震災関連自殺」をした人が240人に上ることが5日、厚生労働省と警察庁の集計で分かった。このうち福島県で亡くなった人は半数の118人。厚労省は震災による心の傷を抱えた人は今も多いとみて、相談窓口の利用を呼びかけている。

       厚労省などは遺書情報のほか、同震災の避難所や仮設住宅で自ら命を絶った人、同震災で自宅や職場が大きな被害を受け、後に自殺した人などを「震災関連自殺者」と定義し、11年6月から集計している。

       20年末までの震災関連自殺者は240人(男性159人、女性81人)で、地域別では福島県のほかは宮城県が58人、岩手県は54人。茨城など7都府県で計10人だった。年代別では50歳代が最多の56人で、60歳代も53人に上った。

       年ごとにみると、11年は6月以降だけで55人に上り、翌12年から17年までは毎年20人以上が亡くなっていた。18~20年も年5~16人が亡くなっており、同省は「被災地の自殺問題は今なお深刻だ」としている。

       東京電力福島第一原子力発電所事故が起きた福島県では、12年以降も自殺者が10人を超える年が目立つ。同年から相談窓口「ふくここライン」を運営する県精神保健福祉協会によると、当初は避難生活のストレスなどを訴える声が多かったが、避難指示解除などが進むにつれて、「住む場所が決められない」といった悩みも寄せられている。

       原発周辺自治体の住民や避難者らのストレス調査に携わっている福島県立医科大の前田正治教授は「故郷を離れ、孤立を深めている被災者もいる。今後も実態把握を続け、対策につなげるべきだ」と指摘する。

       厚労省は、悩みを抱える人の電話相談窓口として「こころの健康相談統一ダイヤル」(0570・064・556)を設置し、利用を呼びかけている。
      https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/news/20210205-OYT1T50248/

      削除
  68. 福島県内の除染で出た土など 県外で最終処分 “知らない”8割
    2021年2月7日 6時32分

    原発事故のあと、福島県内の除染で出た土などは、2045年までに福島県外で最終処分することが法律で定められていますが、福島県外に住む人の8割がこのことを知らないことが、環境省が行った調査で分かりました。環境省は「厳しい結果で、伝え方を改善したい」としています。

    10年前の東京電力・福島第一原発の事故のあとに行われている除染について、環境省は去年10月、インターネットでアンケート調査を行い、およそ4000人から回答を得ました。

    福島県内の除染で出た土などは中間貯蔵を始めてから30年以内、具体的には、2045年までに福島県外で最終処分することが法律で定められています。

    アンケートでこれについて尋ねたところ、福島県以外の人では、「聞いたことがなかった」と答えた人がおよそ51%。

    「聞いたことはあるが、内容は全く知らなかった」と答えた人がおよそ30%で、8割が知りませんでした。

    3年前とおととしのアンケートでも同じ質問をしていて、知らないと答えた人の割合は年々増えています。

    一方、福島県の人では、「内容をよく知っていた」が13%、「聞いたことがあり、内容も知っていた」がおよそ37%で、あわせるとほぼ半数が知っていると答えました。

    環境省の担当者は「内容が伝わっていなければどこで最終処分するかを議論することもできず、厳しい結果だと受け止めている。情報の伝え方を改善したい」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210207/k10012853671000.html

    返信削除
    返信
    1. 小泉環境相 除染土を福島県外で最終処分 国民理解へ活動強化
      2021年2月19日 21時20分

      小泉環境大臣は福島県の内堀知事と会談し、除染で出た土などを2045年までに福島県外で最終処分することに国民の理解を得るため、全国各地で対話集会を開くなど、活動を強化する方針を伝えました。

      会談は東日本大震災と東京電力・福島第一原発の事故から来月で10年になるのを前にオンラインで開かれました。

      福島県内の除染で出た土などは2045年までに福島県外で最終処分することが法律で定められていますが、去年、環境省が行った調査では、このことを知っている人が福島県外ではおよそ2割、福島県内でもおよそ5割にとどまりました。

      会談で小泉大臣はこの結果について「しっかりと反省し、改めて日本全国の課題だという意識を持ちながら協力や理解を求めていく」と述べ、新年度以降、国民の理解を得るための活動を強化する方針を伝えました。

      具体的には最終処分する量を減らすため、除染で出た土などの一部を再生利用することの必要性や安全性などについて、理解を深めてもらうための対話集会を全国各地で開くということです。

      また、全国の大学などと連携し、講義や関連する施設の見学会も行うとしています。

      会談のあと、小泉大臣は記者団に対し「対話集会はまずは東京から、私が出席する形で始めたい。法律で決まっている2045年という期限に向けて理解を得られるよう全力を注ぎたい」と述べました。

      一方、内堀知事は「県外最終処分の約束を守っていただくことが、中間貯蔵施設を受け入れた前提であり、全国の機運醸成も含め、着実に前に進めてもらえると期待している」と述べました。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210219/k10012877321000.html

      削除
  69. 福島第一原発 1・3号機で水位低下 “現状 影響はない”
    2021年2月20日 4時49分

    10年前の事故で溶け落ちた核燃料の冷却を続けている福島第一原子力発電所1号機と3号機で、核燃料がある格納容器の水位が低下していることがわかりました。東京電力は今月13日の地震が影響している可能性があるとする一方、溶け落ちた核燃料の冷却に問題はなく、外部への影響もないとしています。

    東京電力によりますと、データの監視を続けている福島第一原発の1号機で18日夜、原子炉格納容器の水位の低下が確認されました。

    詳しく調べたところ、1号機では、格納容器の底の部分から1メートル90センチほどだった水位が、40から70センチほど、3号機の格納容器でも、底の部分から6メートル30センチほどだった水位が、およそ30センチ低下したとみられるということです。

    水位は、1号機で遅くとも15日、3号機で、遅くとも17日には下がり始め、19日現在、どちらも1日数センチの低下が続いているということです。

    東京電力は、地震によって原発事故でできた損傷部分が広がるなどの影響を受け、建屋内に漏れ出る水の量が増えた可能性があるとしています。

    格納容器内部にある、原子炉の底の部分にとりつけた温度計の値が上昇していないことや、原子炉への注水が継続されていることなどから、溶け落ちた核燃料の冷却に問題はないとしています。

    また、格納容器内部の放射能のレベルのほか、構内や敷地境界の放射線量を測定するモニタリングポストなどの機器の値に異常はみられないことから、今のところ、外部への影響はないとしています。

    東京電力はデータの監視を続け、水位の低下が続く場合は、原子炉への注水量を増やすことも検討するとしています。

    原子力規制庁 “現状 影響はない”

    東京電力の福島第一原発の1号機と3号機の原子炉格納容器の水位が下がっていることについて原子力規制庁は、原子炉の温度に大きな変動はなく溶け落ちた核燃料の冷却も現状、影響はないとしています。

    原子力規制庁は引き続き、水位や温度の変化について監視を続けるとしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210220/k10012877501000.html

    返信削除
    返信
    1. 福島第一 1、3号機 水位低下…格納容器 地震で損傷拡大か
      2021/02/20 05:00

       東京電力は19日、福島第一原子力発電所1、3号機原子炉格納容器の水位が最大約70センチ低下したと発表した。いまも1日数センチの割合で低下しているという。13日の福島県沖を震源とする地震で2基とも格納容器の損傷部が広がり、原子炉建屋への漏水量が増えた可能性がある。建屋外には漏れ出ていないとみられる。

       東電は2011年の事故で炉心が溶融した1~3号機で、1時間あたり約3トンの注水を続けており、溶け落ちた核燃料は冷却できている。2号機で水位低下は確認されていない。今後、注水量の増量も検討する。

       東電が水位低下に気づいたのは18日夜。水位は1号機で最大約70センチ、3号機で約30センチ下がっていた。東電によると、東日本大震災後、余震が原因で格納容器に異常が生じた例は初めて。
      https://www.yomiuri.co.jp/national/20210220-OYT1T50064/

      削除
  70. 福島第一原発3号機 変形した核燃料 取り出す作業終える
    2021年2月20日 5時37分

    廃炉作業が進む福島第一原子力発電所3号機では、使用済み燃料プールから核燃料を取り出す作業が続いていますが、東京電力は、課題となっていた、事故で一部が変形し引き上げることができなかった核燃料を特別な装置を使って取り出す作業を終えたと発表しました。

    福島第一原発3号機では、使用済み燃料プールの中にある566体の核燃料をおととしから順次、構内の安全な施設に移す作業を行っています。

    このうち4体の核燃料は、事故の時にプールに落下したがれきによって、燃料上部にある取っ手の部分が大きく変形し、通常の装置では引き上げられないことが課題となっていました。

    このため、東京電力はメーカーと協力し、取っ手の部分が変形していても、つかんで引き上げられるよう形状を工夫した装置を開発し、今月から4体の取り出しに着手し、今週取り出しを終えたと発表しました。

    引き上げた際、健常な通常の燃料と異なり、やや傾いてつり上がる形になったということですが、安全上の問題はなく、作業を終了したということです。

    これで、3号機の使用済み燃料プールから核燃料を取り出す作業は一つの山場を越え、残された核燃料は22体となり、東京電力は来月までに、すべての取り出しを終える計画です。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210220/k10012877591000.html

    返信削除
  71. 福島第一原発1号機 原子炉格納容器の圧力低下 13日地震影響か
    2021年2月22日 6時03分

    廃炉作業が行われている福島第一原子力発電所1号機で、原子炉を収めた格納容器の圧力が低下していることがわかり、東京電力は、今月13日の地震の影響の可能性があるとして監視を続けています。外部への放射性物質の漏れはないとしています。

    福島第一原発では、水素爆発の危険性を下げるために格納容器に窒素を常時入れて圧力を高めていますが、21日午後6時ごろ、1号機の圧力が※通常の1.2キロパスカルから0.9キロパスカルまで低下しているのが確認されたということです。

    1号機では今月13日の地震のあと、格納容器の水位の低下が確認されていて、東京電力では10年前の原発事故のときにできた損傷部分が水位の低下で露出し、そこから気体が漏れ出て圧力が低下した可能性があるとしています。

    格納容器への注水は継続していて安全上の問題はないということです。

    また、構内の放射線量を測定するモニタリングポストなどの値に異常はなく、外部への放射性物質の漏れはないとしています。

    東京電力では引き続き格納容器などのデータ監視を続けるとしています。

    ※大気圧との差を計測する圧力計の値
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210222/k10012879721000.html

    返信削除
  72. 福島第一原発の地震計 去年7月に故障も修理せず 東京電力
    2021年2月22日 18時11分

    今月13日に起きた地震について、東京電力は福島第一原子力発電所3号機に去年設置した地震計が故障していて地震データが記録できていなかったことを明らかにしました。これについて原子力規制委員会は、故障を把握しながら修理をしていなかった対応には問題があるとして、東京電力に理由や経緯の報告を求めました。

    原子力規制委員会は22日、今月13日の地震による福島第一原発への影響や対応について東京電力から説明を受けました。

    この中で、東京電力は3号機の原子炉建屋に去年3月、地震計2つを設置しましたが、その後、去年7月の大雨などで故障し、今回の地震の揺れのデータが取れていなかったことを明らかにしました。

    地震計は、10年前の原発事故でダメージを受けている3号機の建屋への揺れの影響を評価するため設置したもので、東京電力は故障を把握していましたが修理を行っていませんでした。

    22日の会合では東京電力は「対応が十分ではなく貴重な地震のデータが取れなかった」と述べ、対応の遅れを認めました。

    これについて規制委員会は「地震の詳細な記録が取れなかったことは反省すべきで、対応に問題がある」などとして、東京電力に対してすぐ修理を行わなかった理由や経緯などについて報告を求めました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210222/k10012880781000.html

    返信削除
  73. 地震影響 福島第一原発 原子炉の格納容器 水位低下傾向続く
    2021年2月23日 5時05分

    東京電力は2月13日の地震の福島第一原子力発電所への影響を22日まとめ、原子炉を収めた格納容器の水位の低下傾向が続いているとしました。原子力規制委員会は注水は継続していて安全上の問題は現状ないとしたうえで監視の強化を求めました。

    福島第一原発では▼溶け落ちた核燃料を冷却するため注水をしていますが、1号機と3号機の格納容器の水位がいずれも数十センチほど下がり、その後も低下傾向にあるということです。

    ▼また、水素爆発を防ぐため格納容器には窒素が注入され圧力が高くなっていますが1号機では大気圧との差を計測する圧力計の値が1.2キロパスカルから0.1キロパスカルまで下がりほぼ大気圧になっているということです。

    東京電力は地震の揺れで10年前にできた損傷が広がり、水位と圧力が低下した可能性があるとして、監視を継続するとしています。

    ▼このほか、汚染水を処理したあとの水を保管するタンク6基が地震で最大5センチずれていたこともわかりました。

    ずれは設計の想定内ということで、水漏れは発生していないということです。

    地震後、モニタリングポストの値に変化は見られず、外部への放射性物質の漏れは認められないとしています。

    報告を受けた原子力規制委員会は核燃料の冷却や窒素注入は継続され、現状で安全上の問題はないとしたうえで監視の強化を東京電力に求めました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210223/k10012881251000.html

    返信削除
  74. 福島第一原発 除染の廃棄物処分 4000億円以上必要に 初の試算
    2021年2月26日 6時25分

    東京電力福島第一原発の事故のあとに行われた放射性物質を取り除く除染で出た廃棄物について、最終処分には4000億円以上が必要だとする初めての試算を研究者のグループがまとめました。この試算は除染廃棄物の9割以上が公共工事などで再生利用されるという条件で行われていて、再生利用が進まない場合、費用はさらに増える見通しです。

    福島県で行われた除染によって出る土や草木などは東京ドーム11杯分にあたる1400万立方メートルと推計されていて、2045年までに福島県外で最終処分することが法律で定められています。

    この最終処分の費用について「環境放射能除染学会」に所属する研究者のグループが初めて試算を行い、25日、結果をまとめました。

    この試算は国が公共工事などで進める方針の除染廃棄物の再生利用が9割以上で実現でき、処分は福島県外で行うという条件で行われました。

    その結果、最終処分が必要なのは全体の8%にあたる113万立方メートルとなり、処分場の建設や輸送などを考慮した費用は最低でも4401億円と算出されました。

    放射性物質を濃縮する処理を行って最終処分量を1900立方メートルまで減らすケースでは6756億円がかかるとされました。

    グループでは、再生利用が想定どおり進まない場合、最終処分の費用はさらに増えるとしています。
    研究グループの委員長を務めた国立環境研究所資源循環・廃棄物研究センターの大迫政浩センター長は「福島県外での最終処分や国が進める再生利用の問題は、かなり長期にわたり国民が背負い続けていかなければいけない。事故の発生から10年が経過し少しずつ関心が薄れていると感じるが、国民全体の問題とする努力が必要だ」と話しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210226/k10012886191000.html

    返信削除
  75. 高さ10mの防潮堤越えた…「津波防災の町」の誤算[記憶]<1>
    2021/02/22 05:00 震災10年

     東日本大震災には、多くの人の心をさいなみ続ける特異な一面がある。生き延びたことの後ろめたさ、だれかの命を奪い、傷つけたかもしれないミス、準備不足、想像力の欠如、落とし穴……。苦い記憶を引きずってきた被災者や当事者が、10年の節目を機に取材に応じてくれた。未来に向けた記憶の財産だ。

    防潮堤を越える津波。黒い壁となって街をのみ込んだ(2011年3月11日、岩手県宮古市田老で)(田老町漁協提供)

     「津波防災の町」を宣言した町がある。岩手県下閉伊しもへい郡田老町といった。1896年の明治三陸津波で1859人の命が奪われ、1933年の昭和三陸津波でも911人が犠牲になった町だ。

     町は住民を津波から守る大事業に乗り出し、78年度に、高さ約10メートル、全長約2・4キロの巨大なX字形の防潮堤が完成した。「夜でも逃げやすいように」と、街も碁盤目状に造り替えられ、山際には避難階段が整備された。年1回の避難訓練にも力を入れ、ハード・ソフト両面で防災対策を講じてきた。

     国内外の研究者たちから注目を集める町になった。防潮堤は、いつしか万里の長城と呼ばれるようになった。昭和三陸津波から70年となる2003年3月3日の「津波防災の町」宣言は自負の表れでもあった。

     合併して宮古市田老と名を変えたその街は、防災の町宣言の8年後、再び巨大津波にのまれ、181人の犠牲者を出した。

     「防潮堤があるから大丈夫」「津波が越えるわけがない」。こう口にして避難をしなかった人もいたという。防潮堤近くで民宿を営んでいた小幡実さん(65)は、念のためと腰を上げたが、危うかったと打ち明ける。「私も津波は来ないだろうと安心して暮らしていた」

     東日本大震災では、12都道県で1万5899人が亡くなり、いまも2526人の行方がわかっていない。死因の9割は溺死だが、津波によって引き起こされた火事や、流れてきたがれきが原因で亡くなった人もいる。

     あれから10年。田老はいま、再び巨大な防潮堤で街を守ろうとしている。今度の高さは14・7メートルある。田老だけではない。多くの被災地が大規模な土木工事によって、津波に強い街に造り替えられた。悲劇を繰り返さないために、「あの日」の記憶を読み解かなければならない。

    破られた「万里の長城」

     東日本大震災では、津波と地震で1万8000人以上の犠牲者が出た。津波に限って言えば、沖合で地震が起きたら即座に津波を連想する。これが最大の教訓だ。しかし、逃げ遅れて死の淵を歩いた被災者の経験にも、生き延びるためのヒントがあった。万里の長城と呼ばれた巨大防潮堤を築いた岩手県宮古市田老地区と、被災地最大3000人超の死者を出した宮城県石巻市から報告する。

    避難決断できぬまま

     宮古市の酒屋に生まれ、20歳代前半、田老で食料品店を営む一つ年上の男性とお見合い結婚し、3人の子どもに恵まれた。花輪節子さん(78)は、盆栽や自然石の採集など多趣味の夫・征夫ゆきおさんについてよく外出し、息子からは「金魚のフン」とからかわれた。あの日は一緒に居間でテレビを見ていた時だった。



     「おらの家は、頑丈だから大丈夫だ。防潮堤もある」。激しい揺れが収まった直後、征夫さんはこう言い切った。自宅1階は鉄筋コンクリート製。何より巨大防潮堤がある。節子さんも「これくらいの揺れなら」と思った。だが心は揺れた。

     念のため2人で外に出て様子を見ると、近所の住民が足早に避難を始めていた。「逃げとかんでいいのか」と声をかけられたが、地元消防の「津波は4メートル」との呼びかけに、征夫さんは「なんだ4メートルか」と逆に安心して家に戻った。

     いざという時に備え、節子さんは、診察券と免許証、小銭をポシェットに入れて腰に巻いた。夫婦でテレビやタンスなど居間の家財道具を押さえている時、再び強い揺れに襲われた。節子さんは「さすがに逃げっぺし」と声をかけたが、征夫さんは「おらの家が流れる時は田老は全滅だ」と動こうとしなかった。

     避難することなく、また大きな揺れが来て2人は玄関を出て外の様子を見た。征夫さんは「やっぱりこうやって地震は収まるんだ」と話し、家の中に戻ろうとした。瞬間、背後から黒い水が押し寄せてきた。

     津波にのまれた節子さんは居間の木柱に背中がぶつかり、幸いにも押し流されずに済んだ。ただ頭まで水につかり、目を開けられない。階段を探し、四つんばいではい上がった。水は2階に達する寸前で止まったが、征夫さんの姿は見えなかった。「命てんでんこだから堪忍して」とわびた。

     水が引いた後、どうにか台所の窓から外に出て、消防に助けられた。征夫さんの遺体は震災から10日目、自宅そばで見つかった。一人暮らしの市営住宅には、お気に入りの盆栽前でほほえむ遺影が置かれている。「防潮堤があるからと安心していた。逃げるべきだったし、せめて2人で2階にいれば」

    「高台へ」拒んだ夫は

     佐々木トモさん(84)は、20歳代半ばで漁師町の田老に嫁いだ。2人の子供は独立し、老後は自宅の畑で野菜や花を育てる日々だった。足腰が弱くならないようにと防潮堤の上を歩くのが日課で、年1回開かれる地域の運動会にも毎年元気に参加した。散歩を終え、世間話でもしようと友人宅の玄関に手をかけた時、地震が起きた。



     慌てて家から飛び出してきた友人と抱き合った。そのまま揺れが収まるのを待って向かいの自宅に戻ると、夫の正夫さん(当時82歳)も散歩から帰ってきたところだった。防災行政無線は津波の高さを3メートルと知らせていた。

     「高台に行くべし」。トモさんは再三説得したが、正夫さんは玄関に座ったまま、「防潮堤を越えるわけがない」と腰を上げようとしない。腕も引っ張ったが、「うるさい」と腕を振り払われ、扉を閉められ鍵もかけられてしまった。

     仕方なく正夫さんを残し、300メートルほど離れた公民館の裏にある高台を目指した。地区の避難訓練には何度も参加し、震災2日前の三陸沖で起きた地震の際も訓練通りに逃げていた。トモさんにとって体になじんだ避難ルートだった。

     小さな地震でも津波を警戒することが身についていた。

     きっかけは嫁ぐ前の母親の言葉。田老より内陸の山あいで育ったトモさんは、「田老は津波がおっかねぇところ」「地震から30分くらいで津波が来る」と口酸っぱく言われた。それを50年間忘れずにいた。

     高台への上り坂を上って、「ここまで来れば大丈夫」と安心した時だった。振り返ると眼下の公民館の周りが黒褐色の津波にのみ込まれていた。腰が抜け、高台にいた住民が駆け寄り助けてくれた。「あと2~3分遅れていたら」

     夫は約3週間後、津波で約130メートル流された自宅の中で見つかった。4歳の時に昭和三陸津波に遭遇し、親に背負われて山に逃げたと言っていた正夫さん。「お父さん、それを覚えていたのに……。防潮堤があるからと油断したんだと思う。一緒に逃げてくれれば死ななかった」

    内陸で見つかった巨石。推計140トン。海岸にあったものが流されたものだという(岩手県宮古市で)=山田助教提供
    140トン巨石 470メートル押し流す

     最大16メートル超の津波に襲われた宮古市の内陸で、巨大な石が見つかっている。横幅6・5メートル、高さと奥行きは2・5メートルほど。元の場所から470メートル流された巨石だ。

     筑波大などの研究チームが、密度などから推計した石の重さは約140トン。この重量や表面積などから解析したところ、石を運んだ津波の速さは、少なくとも秒速8メートルと割り出された。陸上男子800メートルの世界記録に匹敵する速度だ。津波を視認した後では、逃げ切れない可能性が高い。

     巨石の周囲には、海岸線から流れてきた消波ブロックや損傷した防潮堤など、1メートル以上あるコンクリート片や石が233個確認された。当時筑波大生として調査にあたった信州大助教の山田昌樹さん(31)(地質学)は「石を見て津波の威力や速さのすごさに驚いたことを覚えている」と振り返る。

     忘れずにいたいのは、災害時は思ったようには動けないということだ。

     一般人の平均的な歩行速度は、時速3・6キロ(分速60メートル)。国土交通省が東日本大震災時の避難速度を調査したところ、平均は2・24キロ(同37メートル)と3分の2に低下していた。避難場所へ向かう途中で余震で立ち止まったり、迷ったりした可能性が考えられるという。さらに、乳幼児や高齢者などと一緒に逃げた場合は、1・66キロ(同28メートル)と極端に遅くなっていた。

     安全な場所に避難するための所要時間と行動範囲は限られている。津波は沖合で発生した後、徐々に減速するが、到達後でも秒速8メートル程度。もう一度繰り返すと、見てから逃げても間に合わない。

    返信削除
    返信
    1. 津波急襲 決死の生還

      校舎に火の手 裏山へ

       美しい海岸が間近にある石巻市南浜町で、高橋政樹さん(66)は生まれ育った。町を出ることなく、17歳で地元の鉄工所に就職し、船や車の部品作りに汗を流してきた。両親と息子の4人暮らし。その日は、仕事の買い出しのため市内で軽トラックを運転中だった。貝やカニをとって遊んだ海で異変が起きるとは思わずに。



       「女川に6メートルの津波」。カーラジオから切羽詰まった女性の声が何度も聞こえてきた。高橋さんは、当時86歳だった足の弱い父清人さんと母やよゑさん(89)が心配で急いで自宅に戻った。両親はけがもなく家も大丈夫だったが、すぐに2人を乗せて避難場所に指定されている門脇小学校に逃げた。息子とも合流した。

       いったん職場に向かい、無事を報告。引き返すと校庭には約30人の住民が集まっていた。倒壊の恐れから体育館にも入れずにいたところ、異様な音が聞こえた。

       バキバキバキ――。海岸の方を見ると土煙が上がり、家々や電柱がまるでドミノのように倒れていた。思わず「津波だ」と叫んだ。校舎入り口に住民が殺到した。高橋さんも両親を気遣いながら向かった。最後尾で階段に足をかけると、灰色の水が入ってくるのが見えた。

       必死に3階まで上がり一息ついた後、様子を見ようと屋上に上がって絶句した。街は水につかり、炎上する家屋が浮かんで迫ってきた。「ここも火事になる」。両親のもとに戻り逃げようとすると、教室の窓が炎のオレンジ色で染まっていた。死を覚悟した。

       住民を救ったのは、裏山と職員の機転だった。日和山という小高い山がそばにあり、校舎2階裏にはベランダのような部分があった。ただ山までわずかに届かない。そこに職員が持ってきた教壇を橋代わりに架けた。教壇の長さはわずか2メートル程度だが、下の濁流を見ながら住民は渡り切り、裏山に逃れた。雪が降る日だった。気が抜けたやよゑさんが尻餅をつき、「お尻が冷たい」と漏らした。高橋さんの口からクスッと笑いが漏れた。助かったとようやく実感した。

       門脇小は高さ2メートルまで浸水し、3階まで延焼。大津波警報が出た際、児童が224人いたが日和山に避難していた。校舎は傷痕を残して部分保存され、来年度に公開される予定だ。

      車水没 工具で脱出

       同市門脇町の雁部がんべ勝征さん(76)は、先輩に連れられて入った居酒屋で店員だった8歳年上の芳子さんを見て「きれいな人だ」と一目ぼれし、結婚した。50歳を前に設備工事会社を起こした。週6日は働き、昼は自宅で愛妻の料理を食べてまた職場に戻る。いつも通りに迎えた午後だった。



       「これはただ事じゃねえなあ」。雁部さんは会社の倉庫ですさまじい揺れに遭い、慌てて外に飛び出した。会社は海まで約300メートルと近いが、津波は想像すらしなかった。

       揺れが収まるのを待って車で数分の自宅に戻ると、芳子さんは無事でほっとした。自宅前で近所の人と雑談をし、会社に戻ろうと車で家を出たところだった。

       海の方から「ゴゴゴゴ」と重低音が聞こえた。津波だと直感し、自宅に戻ろうとハンドルを切った。ルームミラーを見ると津波が映っていた。次の瞬間、濁流にのまれた。前後左右、別の車やがれきが衝突してきて、ガンガンと音を立てた。

       200メートルほど流され、駐車場で止まった。ドアは水圧で開かずフロントガラスを蹴ったが割れない。みるみる周囲の水かさは増し、完全に水没。車内に水が入るのも時間の問題だった。

       「もう終わりだな」と観念した時、後部が流れで押し上げられたのか、車体が前を下に垂直になった。すると何かが運転席の足元に落ちてきた。見るとトランクにあったパイプレンチ。手に取り、必死にリアガラスをたたき続け、穴を開けると手でこじ開けて外に出た。近くに高台に上る階段が見えた。波間のがれきや車を踏み台にしてなんとかたどり着いた。気がつくと両手は血だらけだった。

       芳子さんは見つかっていない。花が好きで温室でサボテンを育てていた。「根元から優しく水をかけてよ」と、よく注意された。津波が来るまで時間はあった。「俺はなぜ、おっかあを連れてすぐ逃げなかったのか」。後悔が消えることはない。

      「自ら守る」意識作り必要

       内閣府などは震災後、津波避難の実態を調べるため大規模な調査を実施している。津波に対する認識や避難行動の有無など計34問で、岩手、宮城、福島の沿岸自治体の1万1400人が回答した。結果からは住民の危機意識の差が読み取れる。

       例えば、避難したかどうかを聞いた設問には、80%の人が「避難した」と回答する一方、「避難しなかった」という人が14%に上った。理由として、「揺れ具合から津波が来ないと思った」「過去に津波が来なかった」と回答する人もいた。根拠のない考えから危険を過小評価する「正常性バイアス」という心理作用が働いたとみられる。調査の対象は生存者だけなので、死者や行方不明者の場合、避難しなかった割合はもっと多かったとも推測できる。

       「今後教訓とすべきこと(複数選択)」との設問では、「家族と避難について話し合うこと」が67%で最多だった。津波災害の経験者たちは、日頃から避難場所など約束事を決めておくことが必要だと認識を改めている。

       東京大総合防災情報研究センターの田中淳・特任教授(災害情報論)も「自宅に迎えに行かない」など家族間のルールを作っておくことが効果的とし、「まずは自分の命を守ることを考えられるように日頃から、家族で話し合っておくことが大切」と話す。

       注意すべきは、想定される南海トラフ地震や日本海側の津波は到達までの時間が短い点だ。津波注意報や警報が出たタイミングで避難を始めることが望ましいと指摘する。

       「揺れたら念のために避難する」「警報が出たら必ず避難する」。田中さんは正常性バイアスに陥らないために、「避難する具体的な引き金(きっかけ)を明確に決めておく」ことを勧めている。

       (グラフはいずれも内閣府などの調査を基に作成。質問項目によって回答者の母数は異なる。小数点以下は四捨五入し、合計が100%にならないことがある)

       取材・斉藤新、土谷武嗣、鶴田裕介、長谷川三四郎
       デザイン・佐久間友紀
      https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210221-OYT1T50124/

      削除
  76. 「原発から少しでも遠くへ」…双葉「町ごと県外避難」[記憶]<2>
    2021/02/23 05:00 震災10年

     東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町は、2011年3月の原発事故で、自治体として唯一、県外に町役場ごと避難した。

    さいたまスーパーアリーナに到着した双葉町の人たち(2011年3月19日)

     当時は7140人が住んでいた。原子炉建屋の水素爆発が相次ぎ、放射線量が上昇するなか、町を突き動かしたのは「原発から少しでも遠くへ」という切迫した思いだった。最初の爆発から1週間後の3月19日、住民約1200人が大型バスなどに分乗して、福島を後にした。

     向かった先は210キロ離れた埼玉県だ。さいたま市の「さいたまスーパーアリーナ」から、3月末には加須市にある旧県立高校の町役場兼避難所へ移り、被災者たちは畳を敷いた教室に集団で3年近く暮らした。

     なぜ県外へ。それもなぜ埼玉だったのか――。関係者の証言から浮かび上がるのは、町長の孤独な決断と、紙一重でつながる幾つもの偶然だった。

    被曝の恐怖 苦難の移動

     2011年3月11日、東日本大震災の津波と東京電力福島第一原発事故で被災した福島県双葉町。情報が寸断された状況下で、複合災害に見舞われた原発立地町のトップが選んだのは、「役場と町民が一緒に県外に集団避難する」という険しい道だった。選択の背景には、未曽有の危機と被曝ひばくへの強い恐怖があった。

    11~12日…轟音 空から断熱材の破片

     あの日の午後4時過ぎ、双葉町役場4階の窓から見た光景を、当時総務課長だった高野泉さん(69)は後に、ノートにこう記している。

    《黒い壁となった津波が一瞬で押し寄せた。波は人を、町を、そして原子力発電所をのみ込んだ》

     巨大津波を前にぼう然と立ち尽くした。町役場や小中学校、公民館は、逃げてきた人々でごった返した。

     その頃、原発は危機に直面していた。稼働中の原子炉は地震で緊急停止したが、非常用発電機が水没し、電源を喪失。核燃料を冷却できなくなった。

     原発から町役場へ伝えられたのはファクスによる情報だけだった。町長の井戸川克隆さん(74)は「何が起きているのか、正確に理解するのが困難だった」と振り返る。

     夜、国から第一原発3キロ圏に避難指示が出た。メルトダウン(炉心溶融)が起きていたが、国と東電はその可能性を公にしなかった。東電の武藤栄副社長(70)が町役場へ説明に訪れたのは12日未明。原発の状況について、「確認中」と繰り返した。同席した高野さんは「情報が錯綜さくそうしているのかも」と感じたが、事故の発生を想像することはなかった。

     夜明け近い午前5時頃、事態が一変した。役場で窓の外を見た職員が叫んだ。「総務課長、白装束がいる」。駆け寄ると、白い防護服を着た警察官らが集結していた。原発で重大なことが起きていると気づいた。

     原発周辺の空間放射線量が急上昇していた。国は朝、避難指示を10キロ圏に拡大した。町に対し、県から川俣町へ避難するよう連絡があった。川俣は双葉から北西に約50キロ。井戸川さんは、防災行政無線で、マイカーで逃げるよう呼びかけた。

     約4000人は川俣の小学校など7か所へ向けて避難した。他の人は親戚などを頼って県内外に散った。

     避難を見届けた井戸川さんと高野さんら職員3人は、近くの高齢者施設へ救助に向かった。正面玄関で逃げ遅れたお年寄りをマイクロバスに乗せようとしていた時、轟音ごうおんが鳴り響いた。

     ドォーン――。

     1号機建屋が水素爆発した。施設内に逃げ込むと、数分後、黄色っぽい断熱材の破片が日光を遮るほど降ってきた。裏口からお年寄りを避難させた後、井戸川さんらも川俣に入った。夜には、避難指示が20キロ圏に広がった。井戸川さんは打ち明ける。「町民を被曝させてしまった。今でも申し訳ない気持ちだ」

    13~16日…ヨウ素剤 独自判断で服用

     13日、町は放射線への不安に揺れていた。川俣の避難所では、甲状腺被曝を軽減しようと、ヨウ素剤が町民に投与された。

     本来は被曝前に飲むもので、県の指示もなかったが、保健師から相談を受けた井戸川さんは「責任は私が負う」と断行した。39歳以下の町民845人が粉末ヨウ素剤をシロップで割って飲んだ。県の被曝検査(スクリーニング)も行われたが、一部が検査を受けただけで「問題なし」とされた。井戸川さんは不満だった。

     翌日、3号機建屋が水素爆発。夕方には、避難所の窓際にあった線量計の針が振り切れた。もう我慢ができず、直接交渉しようと井戸川さんは県の災害対策本部がある福島市へ向かった。

     だが、県自治会館内の本部は「混乱して指揮系統がめちゃくちゃ」に見えた。「県には頼れない。自分でやるしかない」と諦めて川俣に戻った。

     15日朝には、4号機建屋も水素爆発した。国は原発20~30キロ圏に屋内退避指示を出した。井戸川さんは町幹部の会議で「川俣から町民を移動させたい。200キロ圏内での屋内退避がいい」と突如宣言した。高野さんも初耳だった。貴重品も持たずに逃げてきた町民のことを心配した。

     この頃、東京で情報誌編集長をしていた舘野操子みさおこさん(65)は、避難者を受け入れる全国の自治体情報を集めていた。井戸川さんのいとこが経営していた町づくり会社で働いた縁で、町民らとも親しかった。

     群馬県片品村の受け入れ情報を井戸川さんにメールで伝えたのは翌16日。井戸川さんは「原発から200キロ離れた片品村が最大1000人受ける。18日に移動したい」と告げた。高野さんは聞き返した。「片品ってどこですか」

     井戸川さんは同日夜、新潟県柏崎市長の会田洋さん(73)にも電話で受け入れを要請している。同じ原発立地自治体として交流があった。会田さんは承諾した。

    17日…受け入れ 埼玉県即決

     17日は双葉町の運命を決める一日になった。

     実は、片品村は福島県南相馬市からも受け入れを要請されていた。受け入れ可能人数1000人に対し、要請は双葉2000人、南相馬1000人。村が福島県庁に調整を依頼し、南相馬の受け入れが決まった。井戸川さんは、村から断りの電話を受けた。

     舘野さんは、井戸川さんの依頼で、また避難先を探した。「さいたまスーパーアリーナ」(さいたま市)が受け入れると知り、埼玉県庁に電話した。応対したのは、都市整備政策課主幹の西村実さん(58)。前日の受け入れ発表を受け、電話が殺到する中、舘野さんの話は予想外の大きさだった。2000人規模。「すごい要請が来た」。周囲に伝わるよう大声を出した。

     だが、アリーナの受け入れ想定は最大2500人。双葉町だけでいっぱいになる恐れがある。横にいた幹部は、両手で×印をつくった。電話を切った後、学生時代に第一原発を見学した経験があった西村さんは、「双葉は原発の地元。断れませんよ」と説得し、副知事の広畑義久さん(60)の判断を仰ぎに行った。

     広畑さんは国土交通省のキャリア官僚で、福島第二原発がある富岡町出身。実家にも避難指示が出ていた。幹部の報告を半ばで打ち切ると、幹部らを連れて知事室へ向かった。

     知事の上田清司さん(72)は即決した。「是非もない。受け入れよう」。舘野さんの電話から30分もたっていなかった。連絡を受けた井戸川さんは「町民をまとめて安全な場所に移動させられる」と安堵あんどした。

     アリーナの開放は3月末まで。埼玉県は次の避難先を探し始めた。

    さいたまスーパーアリーナで始まった双葉町民の避難生活

    18日~…川俣からバス40台で

     18日朝、町の幹部ミーティングが始まった。高野さんのノートには、井戸川さんの言葉が書き留められている。「いよいよ移動する。今度行くところは1か所に集合できる」

     高野さんは「埼玉はちょっと遠すぎる」と戸惑った。新年度予算や人事など、総務課長として重要案件を抱えていた。この時もまだ「すぐに町に帰れるだろう」と思っていた。役場には公印やパソコン、議会資料を置いてきたままだ。どうやって役場を再開させるのかで頭がいっぱいだった。

     当時、川俣の避難所には約2400人の町民がいた。幹部らは各避難所で埼玉への再避難を告げた。ガソリンスタンド経営吉田俊秀さん(73)は「驚いたが、遠くに逃げることに異論はなかった」と振り返る。

     埼玉行きに賛同したのは半数の約1200人。町の人口の2割弱だった。人々を乗せた40台のバスは19日午前、川俣を出発し、午後にはアリーナに到着した。

     役場と町民が初めて1か所で暮らす集団生活は、月末まで続いた。

    返信削除
    返信
    1. 旧校舎 肩寄せた1400人

      3月30日~…教室に畳 職員室に役場

       アリーナの後、埼玉県が用意したのは、加須かぞ市郊外にある閉校した旧騎西きさい高校だった。県立の旧高校校舎で唯一、耐震基準を満たし、敷地は約5万4000平方メートルと屈指の広さ。5階建て校舎に二つの体育館、食堂、合宿所もあった。

       入居に際し、町が最も神経を使ったのは「部屋割り」だった。担当した町生涯学習課主幹の今泉祐一さん(65)は、高齢者や体調の悪い人をトイレ近くの教室に優先配置しつつ、なるべく行政区や集落の単位でまとめるようにした。トラブルを防ごうと、人間関係の情報も頭に入れた。

       埼玉側も受け入れ態勢を整えた。寝泊まりする教室には畳を敷くよう指示。地元畳店が協力し、中古の畳約1000枚を3日ほどでかき集めた。春休み中の大学生や高校生らがほこりだらけの教室を掃除し、畳を運び込んだ。

       教室ごとに給湯ポットを備え、廊下の手洗い場に、せっけんや歯ブラシ、タオルを置く棚も設けた。和式トイレに設置できるポータブル洋式トイレも用意し、校舎外には仮設トイレを置いた。校舎近くには洗濯機を10台設置した。

       入居日は3月30日と31日。町民がバスやマイカーで旧校舎に到着すると、大勢の市民が出迎えた。掲げる横断幕には、「双葉町の皆さん 心からお待ちしておりました」の文字。疲れ果てた多くの町民の目から涙がこぼれた。吉田さんの妻、岑子たかこさん(76)は、水が張られた田んぼを見て目頭が熱くなった。「もうすぐ田植えが始まるんだ」。古里と重なる風景に心が安らいだ。

       4月1日には、旧校舎2階に町の埼玉支所が置かれた。校長室が町長室、職員室と事務室が役場職員の執務室になった。市は支援対策本部を組織した。大橋良一市長(73)は「双葉町の皆様を市民と同等に扱いたい。最後の一人まで私たちは支援を続ける」と宣言した。

      教室の避難所で暮らす高齢女性

      校庭で行われた盆踊り

      「双葉町元気農園」で野菜を収穫する避難者ら

      仕切りにかけられた正月飾り

      ~14年3月…代表者決め要望集約

       再避難に合わせ、旧騎西高校に合流した町民もいた。当初、アリーナでの避難者を上回る1400人超が寝食を共にし、普通教室には一時、20人前後が暮らした。

       1人あたりのスペースは1~2畳で、布団の周りを取り囲むように支援物資や私物が並んだ。着替えスペースもなく、女性はトイレや布団の中での着替えを余儀なくされた。後日、廊下に段ボールで囲った「更衣室」ができた。

       風呂もなかった。6月、ボイラー付きの本格的な仮設風呂がグラウンドに設置されるまで、市内の温浴施設を往復するマイクロバスが走った。

       食事は朝昼晩の3食、「生徒ホール」で弁当が支給された。高齢者が1階で弁当をもらって4階、5階と階段を上がっていくのも大変で、各階の踊り場には休憩用のイスがあった。

       「朝から掃除をし出すので眠れない」「廊下の冷蔵庫で冷やしていたビールがなくなった」「好きなテレビが見られない」――。集団生活ゆえの苦情が相次ぎ、町民同士のけんかもあった。

       不満を少しでも解消しようと、4月上旬、教室ごとに代表者を決めて町側と話し合う会議が始まった。毎日午前8時15分、校舎1階の昇降口近くに集まり、約20人の代表者と町職員が顔を合わせた。町側は生活支援情報などを伝え、町民側は要望を集約して伝えた。

       町と埼玉県側との会議も毎日あり、改善策を協議した。支援を受ける側の町から伝えにくいことは、加須市が口添えしてくれた。エアコンや仮設風呂の設置などが実現した。市の支援対策副本部長だった野本政之さん(67)は「困ったことも、町側から埼玉県へは強く言いづらい。その思いを代弁するよう心がけた」と振り返る。

       入居者は次第に減っていった。みなし仮設の賃貸物件や福島県内のプレハブ仮設に入ったり、埼玉県内の公営住宅に移ったりして、2か月後には1001人、11年12月には半分以下の662人になった。

       町役場の本庁機能も13年6月に福島県いわき市に移転。旧校舎の避難所閉鎖が決まるとさらに加速し、13年12月には7人に。避難所は14年3月に閉鎖され、旧校舎は埼玉県に返還された。現在は、人工芝グラウンドを持つ埼玉県サッカー協会の施設になっている。

      帰還希望 町民の1割

       県外避難は、全町避難が続く双葉町の行く末に大きな影響を与えた。

       町によると、今年1月末時点で県外避難の割合は41%に達する。同じ原発が立地する大熊町でも23%で、避難指示が出た自治体の中でも突出している。

       県外の避難先は41都道府県330市区町村に広がり、特に埼玉は最多の778人が暮らす。旧騎西高校での生活をきっかけに、その後住宅を購入した人も多い。

       町の復興は遅れた。昨年3月には避難指示が一部解除されたが、町民の帰還開始目標は来春で、大熊町より3年遅い。

       役場の本庁機能をいわき市に移した伊沢史朗町長(62)は「住民の安全を守るため県外に避難したことは間違っていなかったと思う。ただ、行政と議会が早い段階で福島に戻れなかったことが、他の避難自治体と比べて復興が遅れることにつながってしまった」と指摘する。

       町と復興庁による町民の意向調査では、帰還を希望する町民はわずか1割。6割超が「戻らない」と答えた。伊沢町長は「今後は、町外に住み続ける人々のサポートが大きな課題だ」と語る。

       ※取材・竹田淳一郎、大月美佳 デザイン・安芸智崇
      https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210222-OYT1T50227/

      削除
  77. 「電車はまだか」怒声上がる駅構内…東電、手探りの計画停電へ[記憶]<3>
    2021/02/24 05:00 震災10年

     2011年3月11日、東日本大震災の直後。東京・内幸町の東京電力本社で、関東地域の電力供給を監視していた社員らに衝撃が走った。管内の発電所の多くが停止し、電力供給が一挙に途絶えた。

    計画停電で列車の運行本数が減り、人であふれるJR横浜駅(2011年3月17日撮影)

     大規模停電を防ぐには、電力需要を強制的に減らす「計画停電」に踏み切るしかない。だが、東電にも政府にも経験はなく、準備はゼロ。震災で不安にかられる国民に、どう異例の措置を受け入れてもらうか。暗中模索が始まった。

     首都圏は、当たり前のように享受してきた電気を制限される生活に直面した。

     JR東日本では、大動脈の東海道線など通勤・通学客が多い路線が午前中に運休し、山手線などの都心の主要路線も2割程度に間引き運行された。

     ホームや駅構内は人であふれ、駅の外まで長蛇の列ができた。「電車はまだ来ないのか」「出社できない」などと怒声が上がり、車両のドアが閉められないほど人が押し寄せた駅もあった。

    首都圏 1000万キロ・ワット不足

     「1分1秒でも停電を起こしてはならない」。電気を送ることが使命だと教育されてきた東京電力の社員にとって、意図して停電を起こすなど想定したことのない事態だった。首都圏など幅広い人々を混乱に陥れた東電の計画停電は、東電にとっても、電力業界を所管する経済産業省にとっても、初めての経験の連続で、すべてが手探りで進められた。首都圏の鉄道網を支えるJR東日本や命を預かる医療機関は、突如発表された計画停電に綱渡りの対応を迫られた。

    全域ブラックアウト迫る

     3月11日の震災直後。東京電力本社14階の中央給電指令所にアラームが鳴り響いた。電力供給の司令塔となるこの部屋の大型モニターには、異常を示すランプが点滅。発電所が次々に停止し、出力を示す数値は「0」が並んだ。

     「訓練でも見たことがない。信じられない光景だった」。当番で勤務していた社員は振り返る。

     福島県内の原子力発電所7基だけでなく、首都圏の13基の火力発電所が停止した。供給力5200万キロ・ワットのうち約4割の2100万キロ・ワットを失っていた。

     本社に勤務していた別の社員は「福島の原子力発電所は自動停止したという一報が入り、一度は皆ほっとしていた」と話す。ただ、時間とともに津波被害などで多くの発電所がすぐには再稼働できないことが分かってきた。

     これだけ多くの発電所が一度にダウンしたことはない。電気が足りなくなることは明らかだった。

     電気は、需要と供給の量を一致させなければ、大規模停電(ブラックアウト)を引き起こす。首都圏全域の停電を回避するため、部分的に供給をカットする必要があるとの見方が浮上し始めた。地域ごとに輪番で停電させる「計画停電」だ。戦後の混乱期以後は例がない。

     11日夜、担当副社長らが協議を重ねた。「震災の影響で需要はかなり落ちる」として、計画停電に踏み切るべきではないとする意見と、「予測は困難。万が一足りなくなるとブラックアウトする」として実施すべきだとする意見に分かれた。次第に深刻の度を増していった福島の原発の状況と合わせ、東電内では「二つの想定外が同時進行していた」(東電OB)という。

     なんとか回避する道を探るため、社員らは電力をかき集める作業も急いだ。かろうじて動く火力発電所では通常の出力を超える発電に踏み切った。中部電力や、工場などで自家発電を持つ企業には融通を要請した。

     12、13日は土日で工場などが活動を止めるため、乗り切るめどが立った。だが、週明け14日は、どうやっても1000万キロ・ワットが足りない。

     「計画停電をさせていただきたい」。担当副社長らが霞が関にある経済産業省資源エネルギー庁を訪れたのは12日午前4時頃のことだった。

    事前調整なし 混乱

    計画停電について記者会見する東京電力の清水正孝社長(左)ら(2011年3月13日撮影)

     電力業界を監督する経済産業省も、計画停電が何を意味するのか、当時は知らなかった。対応に当たった経産省元幹部は「まさか日本でこんなことが起きるとは思わなかった」という。

     米カリフォルニア州などで例があるが、日本では経験がない。そのうえ大震災の直後。国民にさらに混乱を強いることは避けたい。「本当に必要なのか」と何度も確認したが、東電側は「これしか方法がありません」と懇願した。ブラックアウトをひとたび起こせば、復旧には数日かかる。首都機能をマヒさせるわけにはいかなかった。

    変電所単位5グループ

     13日午後8時20分。東電の清水正孝社長が震災発生後、初の記者会見に臨み、14日早朝からの計画停電の実施を発表した。「停電回避に向け全力で取り組んできたが、このような事態を招き、誠に申し訳ない」と頭を下げた。

     東電所管の1都8県を区市町村ごとなどで五つのグループに分ける。1日を約3時間ずつ七つの時間帯に分け、停電する時間を順番に割り当てる計画だった。

     しかし、想定外ですべてが初めての経験。不眠不休でわずか2日で作り上げた計画には、不備が多く、説明は二転三転した。グループ分けした市町村の一覧には、合併などで既になくなっていた自治体名もあった。自治体や鉄道会社などとも事前の調整なく発表したため、「どうなっているんだ」と問い合わせが殺到した。

     「東電に任せていたら大混乱になる」(経産省幹部)と、経済産業省も対応に動いていた。

     「命を守る病院は外すべきだ」「金融システムが大混乱になるので日本銀行は外さなければ」「自衛隊の基地は国防の要だ」。関係省庁などから、停電対象から外さなければならない重要施設の要望が押し寄せていた。担当外の職員約100人を集めた「計画停電チーム」を急造し、要望を東電と調整した。

     結局、14日午前は、大企業などが協力して電力需要を大幅に落としたこともあり停電はせずに済んだ。ただ、告知した通りに停電が起きなかったことで、社会から東電への不信感はかえってふくらむことになる。

     実施が始まっても、告知していた地域以外で停電が起きるなど不手際が相次ぎ、東電幹部は首相官邸に何度も呼び出され叱責しっせきを受けた。

     計画停電は、3月28日まで32回行われ、影響した世帯は延べ約6870万に上った。

    拒否感残る

     大混乱と、市民や企業、地方自治体などからの反発という苦い経験を経て、政府内には、計画停電に対する拒否感が強く残った。

     2018年9月の北海道地震では、道内最大の火力発電所が損傷して停止し、道内全域が停電する「ブラックアウト」が起きた。解消された後も、電力の供給が需要を下回る恐れがあったため、経済産業省と北海道電力で計画停電を検討した。道内を60区域に分割し、2時間ごとに電気を止める案だった。しかし、首相官邸が難色を示し、立ち消えになったという。

     当時、北電や官邸と調整にあたった関係者は「官邸から、絶対に計画停電をやらせるなという強い意思が伝わってきた」と明かす。

    電柱単位で調整可能に

     「準備ゼロ」だった反省を踏まえ、東電では現在、万が一に備える体制が整えられている。福島沖を震源とする今月13日の地震でも複数の火力発電所が停止して供給力が不足したが、一部地域への送電を遮断して調整し、管内の停電は約3時間で復旧させた。

     計画停電の手続きも明確化し、全社的な訓練も定期的に実施している。11年当時は、大規模な変電所単位でのグループ分けしかできなかったが、主要な電柱単位で細かく停電の範囲を操作できるようにした。医療機関や、国の重要施設を除外することもできる。

     市民への告知が不十分だったことも混乱を増幅させた。このため、計画停電の際には、住所を入力すればグループ分けや停電時間を確認できるホームページを用意した。

     現在、計画停電の責任者を務める西塚健司・給電計画グループマネジャーは「10年前は多くの利用者に迷惑をかけた。震災で、最悪の事態に備えることを学んだ」と話す。

    返信削除
    返信
    1. 鉄道・病院 綱渡りの対応

      踏切動かず 始発直前「運休」

       東電の記者会見から1時間半余りがたった13日午後10時頃。「電車は自家発電で動かせても、踏切や信号が動く保証はない」。JR東日本本社(渋谷区)の緊急会議で、停電の影響が報告されると、居並ぶ幹部らが顔をしかめた。

       JR東は、自社の発電所で運行に必要な電力の6割をまかなっており、当初、間引き運転などで電力を余らせ、計画停電エリアに送電すれば運行を継続できると期待した。しかし、一部の踏切や信号は東電の電気でしか作動せず、設置されている非常用電源も確実に動く保証がないことが判明した。

       「こうした踏切はどこにあるのか」「改札や無線なども同じ状況なのではないか」。各部署で多数の会議が夜を徹して続いた。JR東は、自営の電力で確実に対応できる山手線全線と中央、京浜東北の一部など計5路線のみを動かし、しかも本数を通常の2割程度に絞る間引き運転で対応することを決定。マスコミを通じて発表したのは、始発が30分後に迫った14日午前4時だった。

       首都圏の鉄道網はマヒ状態に陥った。運休した路線の駅では、通勤できない会社員らが携帯電話で話し込み、バスやタクシー待ちの列をつくった。間引き運転した路線では駅への入場制限も実施され、改札を通過するまで1時間以上かかる事態も発生。なかなか来ない電車に利用者らのいら立ちが高まった。

       結局、この日は計画停電の大半が見送られ、運行範囲を順次拡大したが、混雑は終日続いた。

      「毎日がダイヤ改正」

       現場の混乱の裏で、JR東本社に詰めていた運行担当者らは翌日以降の対応に頭を悩ませていた。

       計画停電エリアは自治体ごとに5グループに分けて公表されたが、東電は停止する変電所を発表しておらず、変電所から電気をもらう駅のうち、どこが影響を受けるのかがわからなかった。

       そこで、JR東の各支社で担当者を決め、東電側に毎日電話をかけて翌日の稼働状況を聞き取り、本社に集約。東電が鉄道事業者に配慮する姿勢をとっていたため、電話係は時に「その変電所は影響が大きい。稼働できないか」などと交渉役も務めたという。

       こうした情報を基に、1都8県の全路線について運行状態を決定。まずは、東電の電気でしか動かない踏切がある相模線や両毛線などの郊外路線は、停電と送電が繰り返されて踏切が動かなくなる恐れがあり、当面は全面運休と決めた。

       自営の電力だけで全面稼働しない駅については停電中は路線ごと運休し、電力不足が懸念される路線は、運行本数を減らす運転制限を行うこととした。こうした状況をまとめた図を毎日作成。図では「運転不可」「運転制限」となった路線を停電グループごとに色を変えて線で囲むなどした。複数グループにまたがる駅もあり、完成した図は複雑を極めたという。

       この図を基にダイヤを設定し、さらに、日によっては停電しない場合もあったため、2パターンのダイヤも用意した。「毎日がダイヤ改正のようだ」。担当者は口々にそう言い合った。

       国土交通省からは「空港へのアクセスは確保してほしい」「この路線は本当に動かせないのか」などと要望も寄せられた。

      自営電力化進める

       思わぬ事態も発生した。

       踏切は停電すると遮断機が下りたままになるため、当面運休とした相模線や両毛線などの一部で交通渋滞が発生したのだ。JR東は急きょ、これらの踏切へ社員を派遣。遮断機を上げて柱に縛り付ける「使用停止措置」をとった。

       JR東に対する計画停電は、3月15~28日のうち9日間で計25回実施された。15日以降は、自営電力で対応可能な山手線や埼京線、京浜東北線など12路線はおおむね若干の間引きで済んだが、千葉や群馬、神奈川西部では運休や5割程度の間引きが続き、市民生活に大きな影響が出た。

       JR東は震災後、様々な設備や施設について、東電の電力から自営の電力への切り替えを進め、非常用電源の拡充も図ってきた。

       安田一成・電気ネットワーク部長(55)は「鉄道会社の使命を果たせず、忸怩じくじたる思いだった。今は計画停電にも対応可能となった。今後も対策を強化していく」と語った。

      患者220人 透析日程変更

       医療機関では手術予定の変更などのほかに、透析治療でも負担を強いられた。

       人工透析を実施していた西新井病院付属「成和腎クリニック」(東京都足立区)。3月14日夕、臨床工学技士・梶川友学さん(38)は2日後に迫った計画停電に向けた緊急会議で口を開いた。

       「自家発電で透析するのは無理だ。停電がない早朝や深夜帯を使ってしのぐしかない」 クリニックは日曜日を除き、午前9時半から夕方や夜まで人工透析を実施する。近くの系列クリニックも合わせて患者は計約220人。患者は1回4時間、週に3回の人工透析が必要で、約60床の使用スケジュールは隙間なく組まれていた。

       停電しても自家発電で対応できるが、人工透析は様々な機器で大量の電気を使ううえ、電源切り替え時に故障するリスクもあった。

       梶川さんらは早朝や深夜帯の透析実施を決断し、翌日、スケジュール変更の検討に入った。計画停電は最大で1日2回、計7時間20分にのぼり、約100人の透析時間と重なった。患者220人のうち約150人は病院の送迎車で自宅とクリニックを往復しており、うち約20人は車いすの患者だ。6台しかない車で効率的に送迎できなければ、容体悪化を生じかねない。

       梶川さんらは足立区の地図を拡大コピーし、患者宅の場所にシールを貼った。

       「車いすの4人を大型車で送迎しよう」「道が細くて入れない」「このルートは一方通行で実現できない」――。難解なパズルを解くようにプランを練った。

       スケジュールができたのは午後6時頃。翌午前4時スタートの患者もおり、急いで全員に電話連絡した。「明日の朝4時ですか!」「無理です。変えてください」。不満を言う患者には、理由を説明し、なんとか納得してもらったという。

       クリニックは2015年、西新井病院内に機能を移した。透析は1回で100リットル以上の水を使うため、貯水槽を新設して300トンを確保し、断水にも備える。

       安部裕之院長(63)は「透析時間変更の必要性など初めて認識することが多かった。記憶を風化させず、訓練を徹底して災害に備えたい」と話した。

      店舗や工場 休業も…食品・日用品不足に

       首都圏では、スーパーの休業や工場の操業停止なども相次ぎ、市民生活に大きな影響が出た。

       百貨店やスーパーでは、復旧時にエレベーターや空調の点検に時間がかかるなどとして、休業や営業時間短縮を実施する動きが広がった。

       NECやホンダなどの大手メーカーも、従業員の出勤のめどが立たないことや、工場の再稼働に時間がかかることなどから一部の操業を中止。食品や日用品の製造も影響を受け、店頭で品不足が発生した。

       各地で信号機が消え、警察官が手信号で誘導した。

       ※取材・川口尚樹、木瀬武、山下智寛、波多江一郎 デザイン・遠藤牧子
      https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210223-OYT1T50160/

      削除
  78. 原子炉建屋が次々爆発、吉田所長は政府に訴えた…福島「レベル7」の惨事[記憶]<4>
    2021/02/25 05:00 震災10年

     2011年3月11日夕、東京電力福島第一原子力発電所は東日本大震災に伴う津波で、原子炉の冷却に必要な電源を失った。1~3号機の炉心が溶融し、まず12日午後に1号機原子炉建屋が爆発した。2日後の14日午前、3号機建屋で激しい爆発音と噴煙が上がった。建屋付近の屋外で補修作業をしていた東電社員たちは、数百メートル北西の免震重要棟に走って逃げた。

    爆発して噴煙を上げる福島第一原発3号機(2011年3月14日)=福島中央テレビ提供

     14日夜、2号機の炉心に注水するために起動していた消防車の燃料が切れ、冷却が難しくなった。「炉心が溶け、同じようなプラントが三つできる。すさまじい惨事です」。同原発の吉田昌郎所長(故人)は電話で政府に訴えた。

     15日朝、もう1棟の建屋が爆発した。身構えていた2号機ではなく、原子炉に核燃料を装填していなかった4号機建屋だった。国際的な尺度で最悪の「レベル7」と暫定評価された。

    原子炉3基 次々と溶融

     2011年3月11日に始まった東京電力福島第一原子力発電所事故は、原子炉3基が炉心溶融した未曽有の原子力災害だった。東日本大震災の津波で電源設備が水浸しとなり、原子炉を冷やせなくなった。必要な情報が共有されないまま、対策は後手に回り、3基の原子炉を収容する建屋が次々と爆発した。

    電源全滅 想定せず

     「1、2号機、SBO(ステーション・ブラックアウト=電源喪失)です!」「3、4号機も!」。11日午後3時35分に津波の第2波が襲来した直後、免震重要棟の緊急時対策本部に連絡が入り、電話を受けた本部員たちが報告した。

     地震発生時に運転中だった1~3号機では、自動停止した原子炉の崩壊熱を冷やす必要があった。だが地震で送電鉄塔が倒壊するなどして外部電源が途絶えただけでなく、津波で炉心冷却の命綱だった非常用ディーゼル発電機も止まった。

     「10条を通報します」。同原発の吉田昌郎所長はテレビ会議システムで東京の本店に伝えた。全交流電源の喪失を示す原子力災害対策特別措置法10条だ。

     非常時の手順書には、電源が全滅した時の記述が見当たらない。「バッテリーを集めよう」。制御盤の計器類を担当するチームの発案で業務車両などからバッテリーを外し、停電で真っ暗な中央制御室で計器に接続した。

     吉田を補佐していた同原発幹部は、バッテリーを集める部下を見ながら焦燥感にかられた。「この事故は100メートル走なのか、42・195キロも走るマラソンなのか」。1号機では電力なしに水を循環させる非常用冷却装置が止まり、核燃料が損傷していた。

    1号機建屋 水素爆発

     断続的に計測していた1号機の格納容器の圧力が11日午後11時50分頃、設計圧力を大きく上回った。格納容器が壊れれば、膨大な放射性物質をまき散らす大惨事になる。

     東電は格納容器から蒸気を強制的に排出し、圧力を下げる「ベント」を決断する。中央制御室から操作できないため、2人1組の決死隊が高い線量下の建屋を進み、配管の弁を開こうと試みた。同時に建屋の外側からも可動式の装置などを操作し、12日午後2時半頃、排気筒から白煙が出た。

     だが、午後3時36分、1号機建屋は水素爆発した。中央制御室は揺れ、天井板が落ちた。運転員の一人は脳裏に「死」がよぎったと振り返る。

     12日夜、1号機の原子炉を冷やすため、消防車を使って海水を注入し始めた。だが、東電本店が政府に忖度そんたくし、注水を中止するよう指示する事態も起きた。吉田は指示に従うふりをして注水を継続させた。

    冷却機能喪失 2・3号機も

     1号機の対応に苦闘している中、今度は3号機の状況が悪化した。13日未明には冷却装置の運転を続けられなくなった。

     「ドン」。14日午前11時1分、3号機の原子炉建屋が爆発し、社員ら11人が、がれきで負傷した。当初は「40人以上が行方不明」という連絡が免震重要棟に届いた。

     近くの建屋で作業していた東電社員の一人は爆発音を聞いた。「早く逃げたい」。降り注いだがれきの山を避けながら走った。

     14日午後1時半頃、今度は2号機の冷却装置が止まる。原子炉内の圧力を下げ、外から注水して冷やさねばならない。中央制御室では配管の弁を開こうとしたが、なぜか開かない。

     何度も操作を試み、午後6時過ぎ、重要な弁が開いた。炉内の圧力が下がった瞬間に注水を始めれば、再び冷却できる。だが、今度は注水用の消防車の燃料が切れているのが分かった。

     吉田は政府高官に電話した。「水が入らなかったら、炉心が溶けてチャイナ・シンドロームになる。すさまじい惨事です」

     「チャイナ・シンドローム」とは、核燃料が溶けて原子炉の底部を貫通する「メルトスルー」状態を意味する言葉だ。米国の原子炉で溶融燃料が生じると、やがて地球の中心部を通過し、中国まで到達するという寓話ぐうわだ。1979年の映画の題名に使われ、世界に広まった。

     15日午前6時10分頃、爆発音が生じた。3号機の水素が配管を通じて4号機建屋に流入し、爆発した。2号機では建屋側面のパネルが1号機の爆発の衝撃で開き、水素が外部に放出されていた。2号機は偶然、爆発を免れたものの、大量の放射性物質が飛散した可能性が高い。

     吉田らは4号機の報告より先に、2号機が壊れたと判断した。最低限の要員を除く約650人が約11キロ・メートル南の福島第二原発に一時退避した。

     政府も東電も原子炉3基を制御できず、旧ソ連・チェルノブイリ原発事故と並ぶ「レベル7」という最悪の事態となった。

     吉田は11年12月に所長を退き、13年7月に亡くなった。東電は現在も、溶け落ちた核燃料を取り出せていない。

     12年9月に新設された原子力規制委員会は、事故を教訓に国内原発の対策強化を求める新規制基準を作った。19年夏時点で電力各社が想定する対策費は計5兆円を上回った。

     (肩書は当時、敬称略)

    返信削除
    返信
    1. 米原子力規制委員会(NRC)元委員長のグレゴリー・ヤツコ氏(本人提供)

      すべての面でミスあった…米原子力規制委元委員長 グレゴリー・ヤツコ氏

       東京電力福島第一原発事故を、海外の規制当局はどう受け止めたのか。発生時に米原子力規制委員会(NRC)の委員長だったグレゴリー・ヤツコ氏は当時を振り返り、情報共有の重要性を指摘した。

         ◇

       東日本大震災が起きた時、米国は早朝でワシントンの自宅にいた。NRCから連絡を受け、すぐにオフィスに行ったが、当時は津波が米西海岸の原発に影響するかが焦点だった。その後、時間の経過とともに状況が明らかになり、12日に起きた1号機の水素爆発で状況が管理不能な状態になっていることが分かった。

       東電は原子炉に水を運ぼうと奔走したが、うまくいかなかった。政府も正しく指導できなかった。すべての面でミスがあった。大事故の初期段階は何をすべきか把握しにくく、間違いを犯す。正しい選択は困難だ。

       我々も「4号機で使用済み核燃料貯蔵プールの水がなくなった」と誤って判断した。テレビ報道に頼る部分もあり、情報が足りないと不満を抱く米政府関係者は多かった。状況が明らかになるにつれて、日本の対応は格段に改善された。

       事故後に設置された日本の原子力規制委員会は独立性が高く、日本の重大事故への対処能力は高くなった。だが、あらゆる事故を防げるわけではないことを念頭に置き、政策を選択する必要がある。

       事故から学ぶべきことは多い。私の関心は燃料の状態だ。どう溶けて、今はどこにあるのか。それを知ることで事故時の原子炉の挙動を精度よくモデル化できる。事故を理解して深い洞察が得られれば、さらなる対策を講じることもできる。

       Gregory Jaczko 専門は素粒子物理学。米議会の科学フェローなどを経て、2009~12年にNRC委員長。現在は、再生可能エネルギー関連企業の最高経営責任者(CEO)を務める。50歳。

       ※取材・高田真之、天沢正裕、船越翔 デザイン・佐久間友紀
      https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210224-OYT1T50247/

      削除
  79. 津波含まず「1万人レベルの死者想定」…報告に首相衝撃、政府の初動混乱[記憶]<5>
    2021/02/26 05:00 震災10年

    大きな揺れに襲われた参院決算委員会(2011年3月11日)

     2011年3月11日、菅直人首相は参院決算委員会で、自らの外国人献金問題について厳しい追及を受けていた。午後2時46分、天井からつり下げられたシャンデリアが大きく揺れ、委員会室は騒然となった。

     「今までに経験したことがない揺れだ。被害はどの程度だろうか」。菅は今後の対応を思い巡らせた。

     4分後、委員会は休憩に入り、菅は首相官邸地下の危機管理センターに直行した。センターでは伊藤哲朗内閣危機管理監や各省庁の緊急参集チームが情報収集に当たっていた。菅より前に到着した枝野幸男官房長官は「1万人レベルの死者が想定されています」と伝えられた。「津波は含むのか?」と聞き返すと、「含みません」との答えに衝撃を受けた。

     かつてない大災害の初動に当たった政府だったが、この時点でまだ原発事故は起きていなかった。(敬称略、肩書は当時)

    情報求めて 視察強行

     2011年3月11日の東日本大震災による津波は、福島県の東京電力福島第一原子力発電所をおそい、未曽有の原発事故につながった。次々と起こる想定外の事態に、政府の初動は混乱した。(敬称略、肩書は当時)

     地震発生から約50分後、津波によって福島第一原発の1~4号機は全交流電源喪失に陥った。

     「核燃料が冷却できず、炉心溶融(メルトダウン)につながる」。東京工業大出身で、原発の仕組みに知見があった菅かん直人首相は、報告を聞いて背筋が凍った。

     官邸は、原発の格納容器から蒸気を強制的に排出し、圧力を下げる「ベント」を急ぐとの連絡を東電から受けた。しかし、いくら待ってもベントを行ったとの報告が上がってこない。原子力安全・保安院の説明も要領を得ず、菅のいら立ちは募った。

     このため、菅は、首相官邸執務室などに関係者を直接呼び入れ、状況把握に動いた。しかし、その情報は司令塔となる危機管理センターにほとんど伝わらず、初動が乱れる一因となった。

     翌12日早朝、菅はヘリコプターで福島第一原発に向かった。枝野幸男官房長官は「やめた方がいい。政治的にたたかれる」と強くいさめたが、菅は押し切った。

     免震重要棟では、徹夜疲れの作業員らが床に横たわり、戦場のような光景が広がっていた。菅は会議室で吉田昌郎所長らと向き合うと、「何でベントができないんだ」と声を荒らげた。時間がかかるとの説明に菅は納得できなかったが、「最後は決死隊を作ってでもやります」という吉田の言葉に矛を収めた。

     国会事故調査委員会の報告書(12年7月)は首相の視察をこう指摘した。

     「現場の士気を鼓舞したというより、自己のいら立ちをぶつけることで、作業に当たる現場にプレッシャーを与えた可能性もある」

     ベントは行われたものの、1号機の建屋は12日午後、水素爆発を起こした。14日には3号機の建屋も同様の爆発で大破した。

     「東電が福島第一原発から撤退したいと言っている」

     15日未明、菅は官邸執務室で枝野や海江田万里経済産業相らからこの話を伝えられると、「撤退なんてありえない」と語気を強めた。菅の脳裏には、小松左京の小説「日本沈没」がイメージとしてよぎった。

     明け方、菅は東電の清水正孝社長を官邸に呼び、撤退しない意向を確認。政府と東電の統合本部を作るために、東京・内幸町の東電本店に足を運び、幹部らを前に「日本が成立しなくなる。撤退はありえない」とまくし立てた。

     撤退の申し出については、官邸側と東電の認識が食い違っている。東電は「作業に直接関係ない社員を一時的に退避させることについて、いずれ必要になるため検討したいとの趣旨で、全面撤退を申し出たことはない」と説明する。

     15日に4号機の建屋が水素爆発し、事態は緊迫の度を増した。目下の懸案は3号機と4号機の燃料プールへの注水だった。ここには使用済み核燃料が保管されており、干上がると大量の放射性物質が放出されることになる。陸上自衛隊ヘリによる放水が17日に実施されたほか、生コン圧送機などによる放水も成功し、当面の危機を脱することができた。菅は「本当に紙一重だった」と、当時を思い起こす。

    極秘の最悪シナリオ

     危機が落ち着きつつあった20日頃、菅は細野豪志首相補佐官から「最悪を想定したアプローチが必要だ」と進言され、内閣府原子力委員会の近藤駿介委員長に報告書作成を依頼した。これが25日に提出された「福島第一原発の不測事態シナリオの素描」、いわゆる「最悪のシナリオ」だ。

     その内容は衝撃的だった。4号機の使用済み核燃料プール冷却が不可能となり、大量の放射性物質が放出。原発から半径170キロ圏内が「強制移転」、首都圏を含む同250キロ圏内が「任意移転」の対象となる――。

     近藤からは「可能性は低い」と説明されたが、国民の動揺を懸念し、共有は一部の政権幹部にとどめた。

     シナリオを想定した動きは水面下で進んだ。その一つが、26日に任命された馬淵澄夫首相補佐官が指揮をとった「スラリー計画」だ。

     スラリーとは砂と水を混ぜた流動体のことで、これを使い、爆発後に原子炉を封じ込める計画の準備が福島第二原発で秘密裏に行われた。スラリーを運ぶ配管は1キロ超。遠隔操作の重機も用意したが、屋外での作業要員は、失敗すれば高い放射線量にさらされる危険と隣り合わせの計画だった。準備が整ったのは5月16日。幸いにも計画が実施されることはなかった。

         ◇

     4月に入ると、復興に向けた動きが始まった。

     5日夜、五百旗頭いおきべ真・防衛大学校長の携帯電話に菅から着信があった。首相の諮問機関となる復興構想会議の議長の打診だった。

     大学教授や宮城、岩手、福島の被災3県の知事ら計15人で構成された会議は、14日の初会合から大荒れとなった。五百旗頭は、政府から原発事故を議題から外すよう要請されていたが、異論が噴出した。「福島を排除するような会議なんかやめてしまえ」。涙を流しながら訴える委員もいたが、五百旗頭は「全体の復興から福島を切り捨てることはない」と理解を求めた。

     会議では復興の財源となる「震災復興税」などでも激論が交わされたが、6月25日、復興構想7原則を掲げた最終報告書を答申した。

     五百旗頭はこう振り返る。

     「トンネルの先に出口の光が少しでも見えたら、人は頑張って歩ける。その光を示すことができたのではないか」

    民主内で「菅降ろし」

     震災直前まで、菅政権は外国人献金問題で野党・自民党などの厳しい追及を受けていたが、震災発生で政治休戦となった。

     こうした中、菅は3月19日、自民党の谷垣禎一総裁に直接、電話をかけた。

     「国の危機に対して入閣して責任を分かち合ってほしい」

     政策の話がないままの「大連立」の要請は、谷垣には唐突に映り、これを断った。

     4月の統一地方選で与党が敗北すると、民主党内で、小沢一郎元代表のグループを中心とした「菅降ろし」の動きが本格化した。前年の代表選を戦った菅と小沢の確執はくすぶっており、震災1か月でその不満が噴き出した。谷垣は「与党の体をなしていない。内閣不信任決議案を突きつけるしかない」と腹を決め、6月1日に自民党など野党3党で不信任案提出に踏み切った。民主党内の造反を見据えた動きで、可決が視野に入っていた。

     だが、翌2日の採決直前に事態は急転した。

     菅は、民主党を共に創設した鳩山由紀夫前首相と会い、「一定のメドがついた段階で辞める」と約束した。菅が党代議士会で早期退陣を示唆したことで、民主党の不信任案賛成は2人にとどまり、大差で否決された。

    取材・石川有希子、依田和彩、中山潤 デザイン・吉田均
    https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210225-OYT1T50208/

    返信削除
  80. 園児を親元へ、「その後」は誰も考えていなかった…引き渡し直後に津波[記憶]<6>
    2021/02/27 05:00 震災10年

    大槌町の中心部を襲う津波。煙のように町に迫った=大槌町提供

     岩手県大槌町の大槌保育園(現おおつちこども園)の園長、八木沢弓美子さん(55)は園児108人を連れて、約150メートル先のコンビニエンスストア駐車場へ急いだ。2011年3月11日、大きな揺れの後だった。

     駐車場は、地震が起きた時の避難先で、園児を引き渡す場所になっていた。前の国道では、車の渋滞が始まり、脇に止まった車から、園児の親たちが降りてきた。

     八木沢さんのそばで泣きべそをかいていた5歳の女の子は、母親へ駆け寄り、「バイバーイ」と手を振った。八木沢さんは町中心部の高台へ向かうという母親の車を見送った。

     引き渡して安心したのはつかの間だった。「津波だ!」の声が聞こえた。21人の保育士らは園児を抱え、裏山を登った。山から見えた町は黒い水にのまれ、火に包まれた。

     八木沢さんが衝撃の事実を知ったのは数日後。引き渡した園児9人が津波にのまれていた。

    親子で犠牲 園長の無念

     岩手県大槌町の大槌保育園(現おおつちこども園)では、保護者に引き渡した園児9人が津波の犠牲になった。園は抜き打ちの避難訓練を行うなどし、保育士らの防災意識を高めてきた。しかし、避難した後のことを誰も想定していなかった。園児の命を守ることを前提とした引き渡しは、死角になっていた。

    訓練通りに避難誘導

     激震が襲った時、園には0~6歳の108人がいた。卒園文集を作っていた年長組以外は、昼寝から起きたばかり。当時副園長だった八木沢弓美子さん(55)(現園長)が「逃げるよ」と声をかけ、園舎を回ると、園児らは防災ずきんをかぶり、庭に出ようとしていた。ほかの保育士ら20人は歩けない乳児を抱きかかえた。

     園では、国の基準で義務づけられている月1回の避難訓練とは別に、「シークレット訓練」を行っていた。いつ実施するのか、保育士にも知らせない。

     初回は震災2か月前。昼寝の時間に非常ベルを鳴らすと、保育士も園児もパニックになった。その反省から各保育士が担当する園児を決めた。1か月後に行った給食中の訓練はうまくいった。

     その経験もあって、地震後、避難場所のコンビニエンスストア駐車場へ向かう保育士たちの動きはスムーズだった。訓練で「おんぶして」とだだをこねていた子も、地震に驚き泣いていた子も、黙って保育士についてきた。

    駐車場で引き渡し

    園児たちが一時避難したコンビニ周辺にも、がれきが押し寄せた(2011年3月12日)=大槌町提供

     駐車場には、園児らの到着前に、保護者が集まっていた。保育士は手分けして、園児を引き渡した。

     《この時、10キロ離れた釜石港には、津波が押し寄せていた》

     八木沢さんは同僚と携帯電話のワンセグで、釜石港の映像を見ていた。駐車場は、園より3メートル高い海抜7メートル。津波の被害想定区域外で「大丈夫」と思っていた。そばには、ピンク色のパジャマに赤いジャンパーを羽織った鬼原環たまきちゃん(当時5歳)がいた。「怖いよ」と、八木沢さんの左脚にしがみついていた。

     「ここにいた」。しばらくして、母啓子さん(同29歳)がやって来た。環ちゃんは笑顔を取り戻した。軽乗用車には、小学生の兄と姉。卒園生の2人は八木沢さんにほほ笑んできた。

     「(町中心部にある高台の)城山公園に避難しようかな」という啓子さんに、「そこなら大丈夫ね。気をつけて」と見送った。コンビニ前の国道では、釜石方面の上り坂は車が連なっていたが、大槌の中心部方面の反対車線は流れていた。

     《町中心部では、城山へ向かう車の渋滞が起きていた》



     八木沢さんが海から迫る煙を見たのは、環ちゃん家族を見送った後だ。

     引き渡しをしていない園児40人を連れて、釜石方向へ国道を上がった。「ゴーッ」という音とともに、鉄道の橋脚から水が噴き出すように迫り、家の屋根が流れてきた。

     「山に上がるよ!」。八木沢さんのかけ声で、保育士は園児をおぶったり、抱きかかえたりした。斜面に道はない。伐採された木の切り株をつかみ登った。

     数メートル上がった斜面で、園児を囲んで座った。園舎もコンビニも濁流につかっていた。日が落ち、雪が降るなか、大槌の街を炎が包み、火柱が上がるのが見えた。

     《町中心部の車の列は、津波にのまれていた》

     八木沢さんは園児を連れて避難できたことにほっとしていた。引き渡した子も「親元なら安心」と思っていた。やがて、救急車や消防車が救助にやってきた。

    焼けた車「ごめんね…」

     防災ずきんをかぶった小さな子供の遺体がある――。八木沢さんが一報を受けたのは震災の4日後だった。遺体安置所で、ブルーシートにくるまれた小さな遺体が、親元に返した園児の一人だと確認して、何が起きたのか初めてわかった。

     5月上旬には、焼け焦げた軽乗用車の中から環ちゃんの母啓子さんと兄、姉の遺体が見つかった。環ちゃんは見つかっていなかったが、そばにピンク色のパジャマの切れ端があった。

     八木沢さんは車が見つかった場所に駆けつけ、捜索を見守っていると、小さな骨が出てきた。拳を握った状態の右手。両手で包むと、土から掘り返されたばかりで温かかった。「どれだけ怖かっただろうか。ごめんね」。心の中で何度も謝った。見つかったのは右手だけだったが、DNA鑑定で環ちゃんとわかった。

     引き渡した園児のうち、犠牲者は環ちゃんを含め9人に上る。うち3人はいまも行方がわからない。「引き渡し後を考えていれば」「町の渋滞に気づいていれば」。保育士をやめようと何度も思った。

     半年後、環ちゃんと仲良しだった女の子が「先生、(環ちゃんに)帰んないでって言えばよかったじゃん」と泣き叫んだ。「そう言えばよかったよね」と一緒に泣いた。園内に貼られた犠牲になった子の写真に、花やおやつを供える園児をみて、「子供なりに乗り越えようとしている。私も前を向かないと」と自らに言い聞かせた。

     園は震災後、引き渡しをしないことにした。津波警報が発表されたら、保育士の車に分乗し、内陸の福祉施設へ避難する。警報が解除されるまで返さない。

     「9人の犠牲をむだにしてはいけない」。八木沢さんの左脚には、環ちゃんがしがみついた、小さな手の感触が今も残っている。

    対応ルール化「落とし穴」も

     宮城県石巻市でも、引き渡し後とみられる保育園児17人が犠牲になっている。

     文部科学省は引き渡しについて「立地条件や地域の事情が異なる」として、指針などを示していない。だが、震災後、幼稚園や学校を対象にしたマニュアル作成の手引に、引き渡しに関する項目を設け、状況に応じて「保護者とともに学校にとどまる対応も必要」と明記した。

     一方、引き渡しの手順やルールを決める動きは広がっている。文科省によると、2018年度時点で、小学校の95%、幼稚園の87%がルールを策定していた。11年度と比較すると、小学校は12ポイント、幼稚園は14ポイント上昇した。

     避難訓練の一環で引き渡しの訓練を行っている場合もあるが、義務づけられている避難訓練は、保育園が月1回、幼稚園が年2回で、所管法令によって頻度が異なるという課題もある。

     慶応大の大木聖子准教授(地震学)は、引き渡しを前提にしたルールに警鐘を鳴らす。「余震が続く中、命の危険があっても親は迎えに行くのか。親が迎えに行けない場合はどうするのか。『落とし穴』はないのか、と親も問題意識を持つべきだ」

     取材・押田健太、宮下悠樹 デザイン・柳平彩乃
    https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210226-OYT1T50274/

    返信削除
  81. のみ込まれた海辺の病院…入院患者40人、1人も助からず[記憶]<7 最終回>
    2021/02/28 05:00 震災10年

     リアス式海岸の小さな入り江にあった宮城県石巻市の市立雄勝病院は、2005年に同市と合併した旧雄勝町の住民が主な利用者だった。本館と新館がL字形につながり、1、2階は外来フロア。3階の病室からは、穏やかな雄勝湾が一望できた。

    震災前の雄勝病院=宮城県提供

     あの日、3階の病室には40人の入院患者がいた。医師や看護師、市職員を含む事務職ら30人が忙しくしていた。午後2時46分、震度6強の地震が発生し、直後に発令された大津波警報の予想高さは6メートル。3階なら安全だ。駐車場の車を高台に移動した方がいいかな。そんな雰囲気がすぐに一変した。

     医師や看護師らは入院患者を屋上に上げようとしたが、到達した津波は16メートルを超え、建物ごとのみ込んだ。医師、看護師、職員らで生き残ったのはわずか6人。入院患者40人は1人も助からなかった。

    自分の命か患者の命か

     入院患者40人の多くは寝たきりで、全員避難が不可能なことは明白だった。医師、看護師らを含め、64人が犠牲になった宮城県石巻市の市立雄勝病院。事務職の男性(55)は患者を助けようとしたが、自身も津波にのまれ、翌朝に救助されるまで、運良く乗り込んだボートで海上を漂流した。「どうしようもなかった。どうすれば良かったのか……」。あの日、助かった関係者が重い口を開いた。

    屋上移送直後に津波

     男性職員は地震発生時、本館1階の事務室にいた。大津波警報が発令されたが、実際に津波が来るか、どこか半信半疑でいた。その2日前にも地震があり、石巻には約50センチの津波が到達したが、海面から高さ5・9メートルの防潮堤があるため、「津波が来た」という認識はなかった。まさか3階や屋上にまで達するとは想像もしていなかった。

     念のため、海抜3メートルにある病院の駐車場から、少し離れた高台の総合支所に車を移動させた。歩いて病院へ戻る途中、側溝から「ゴボゴボ」という音が聞こえた。「地震で水道管が破裂したのかな」。その数秒後、病院前の防潮堤を津波が乗り越えるのが見えた。

     急いで病院に戻り、2階に人がいないかどうか確認して3階へ。このとき、既に1階は水没し、2階も浸水し始めていた。

     3階で合流した薬剤科部長(当時57歳)ら4人で、患者1人を広げたシーツにのせ、屋上へ避難させることになった。火災を想定した避難訓練で、シーツで包んだ患者を引きずったことはあったが、持ち上げたのはこの時が初めて。「4人でやっと」というほどの重さで、患者は「どこに連れて行かれんだべ」と不安げだった。

     何とか屋上に上がった頃には3階も浸水し、屋上まで達するのは時間の問題だった。なす術すべなく、シーツごと患者を屋上に下ろしたとき、薬剤科部長が「ごめんね、ごめんね……」とつぶやくのが聞こえた。海水が屋上に流れ込み、腰の高さになったとき、男性職員は建物にしがみついたが、結局、海中に放り出された。

               ◎

     女性看護助手(40)は、新館3階の病室で入院患者の手足浴を介助していた。大きな揺れが収まると、他の看護師と「すごかったね」と話しながら、床にこぼれた水を拭いたり、ベッドやテレビを元の位置に戻したりした。

     しばらくして、窓から外を見ると、防潮堤から波があふれ、駐車場では車同士がぶつかりながら流されていくのが見えた。「屋上に上がれ」。副院長(当時58歳)の叫ぶ声が聞こえた。

     屋上からは、本館3階の病室の窓越しにベッドで寝ている患者の姿が見えたが、それを海水が遮った。海面が屋上を越えると、目の前に流れてきた民家の屋根に向かって泳いだ。

    逃げた負い目 今も

    雄勝病院の慰霊碑

     派遣の女性事務員(47)は、本館1階の事務室にいた。どうしていいか戸惑っていると、先輩の女性市職員(当時40歳)から「それぞれ逃げてください」と言われ、上履きのまま外に出た。

     近くで工事をしていた人が「山へ逃げろ」と叫んでいた。病院を振り返らず、無我夢中で裏山を駆け上った。夜になって、病院が見えるところまで下りてくると、真っ黒な水が車を浮かべ、渦を巻いていた。避難していた近隣の人から「屋上で先生たちが津波にのまれるのを見た。全滅だろう」と聞かされた。

     「手伝って」とか「上に行こう」と言われていたら従っていたと思う。今も「患者を助けずに自分は逃げてしまった」という負い目を感じているが、「『それぞれ逃げて』という、あの一言が私の生死を分けた」。

               ◎

     雄勝病院の跡地には、犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑だけが立っている。50~100歳代の患者40人のうち、35人は3階で遺体として見つかり、3人は今も行方不明のままだ。当時、病院にいた医師、看護師、職員30人のうち、生き残ったのは6人だけだった。

     ヘリで救助された男性職員は今もこう自問する。

     「雄勝病院のように海が目の前にある病院では、津波から逃げようがない。患者の人数分のストレッチャー付きの車を用意するというのも現実的ではない。でも、患者を放って逃げるわけにはいかないという思いは、今も変わらない」

    安全と利便 立地選択苦心

     雄勝病院の医師や看護師、職員らが助かるためには、入院患者の避難を諦め、裏山に逃げるしか方法はなかった。

     「医療従事者が患者を助けようとして、それでも自分の身が危険だという時は、自分の命を守る行動を取らなくてはいけない。医療従事者なら全員知っていること」。日本災害看護学会の酒井明子理事長は「災害時の行動は状況に左右される」とした上で、そう指摘する。

     しかし、実際の場面でそうは割り切れない。元自衛官で岩手県の防災危機管理監も務めた岩手大の越野修三客員教授(防災危機管理)は、「もともと患者の生命を救うことを第一としてきた医療倫理からすると、自力で避難できない患者たちを置いて逃げるという決断は難しい」と指摘する。

     医療従事者らが自分の命か、災害弱者である患者の命かという選択を迫られないためには、結局、安全な場所に病院を建てるほかない。国立保健医療科学院の小林健一上席主任研究官(病院建築)は「どんなに対策を施したとしても、建物が津波に耐えられないことはある。津波対策は、敷地選びしかない」と断言する。

     南海トラフ地震の予測で「10メートル級の津波が2階に達し、電源が喪失する」とされた徳島県牟岐町の県立海部病院は、2017年に浸水区域外の海抜15・6メートルの場所に新病院を建築した。県病院局の担当者は「東日本大震災で津波の高さの認識が変わった」と話す。和歌山県那智勝浦町の町立温泉病院も、18年に浸水区域外の海抜9・6メートルの高台に病院を移転している。

     ただ、こうした対応と逆行する動きもある。内陸部にある静岡市清水区の桜ヶ丘病院は昨年末、老朽化に伴う移転先を、高さ2~3メートルの津波が想定される海沿いの駅前に決定した。

     同院を運営する独立行政法人「地域医療機能推進機構」の担当者は、「移転先は、利便性や敷地面積などを総合的に考えて決めた。浸水区域外を選ぶのに越したことはないが、人が来ない場所に病院は建てられない」と話し、安全性だけを考慮するわけにはいかない難しさを説明している。

     取材・松下聖 デザイン・沢田彩月 紙面構成・菊池真司
    https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210227-OYT1T50241/

    返信削除
  82. [サイエンス Report]「福島第一」の現在 見通せぬ廃炉…建屋周辺 汚染がれき散乱
    2021/02/28 05:00 震災10年

     東京電力福島第一原子力発電所に2月4日、許可を得て入った。多くの作業員が廃炉に向けた工事を進めていたが、原子炉周辺の線量は高く、炉内の溶融燃料は手つかずのまま。2011年3月の史上最悪の原子力事故からまもなく10年となる今も、廃炉の先行きは見えなかった。(安田幸一)

    今も異常な高線量 森消えタンク林立

    原発事故現場を再訪

    敷地に並ぶ処理水タンク

    地下水流入を防ぐ「凍土壁」の専用装置。地下に通じる配管に冷却剤を流し、地盤を凍らせている

    3号機の原子炉建屋上部から望む4号機原子炉建屋。水素爆発で崩れた建屋のがれきが残る(午後1時20分、福島県大熊町で)=伊藤紘二撮影

     記者は事故半年後の同年11月12日、報道陣に初めて公開された構内に、国内外の30人余りのメディア関係者と入った。水素爆発で崩れた原子炉建屋、津波で大破した巨大施設やタンク――破滅的な光景に息をのんだ。取材中、線量計が年間被曝ひばく限度に1時間で達する毎時1ミリ・シーベルトの高線量を検知し、体が震えた。

     再訪した現場は、大きく様変わりしていた。海側の護岸エリアは全面舗装され、多くの作業員や車両が行き交う。前回の取材時は全面マスクと防護服の完全防備だったが、敷地内の96%は防塵ぼうじんマスクの軽装で済むほどに線量は下がっていた。

     だが、原子炉建屋に近づくほど事故直後に時間が戻るような気持ちになった。

     水素爆発した3、4号機建屋周辺は放射能に汚染されたがれきが散乱し、毎時0・23ミリ・シーベルトを検知する異常な空間。より高線量の原子炉には近づけない。

     炉内に残る溶けた核燃料(デブリ)の処理は避けて通れないが、「デブリの状態はつかめていない」(東電担当者)。22年から、格納容器に落ちたデブリを開発中のロボットアームで「耳かき1杯分」取り出す。具体的に決まっている計画はそこまでだ。

     敷地内に広がっていた森林は跡形もなく消え、約1000基に上る巨大タンクが並んでいた。デブリを冷やして出た汚染水から、大半の放射性物質を除去した処理水を貯蔵する。現在、処理水は124万トンに達しているという。

     もはや敷地内にタンクを増設する余裕があるように見えなかった。汚染水は毎日140トン出続けており、処理水の保管先は22年秋以降に限界を迎えるというが、政府と東電は処理水の処分法について明確な方針を打ち出せていない。

     廃炉はあと30年で終える計画だが、デブリと処理水の解決という難しい工程が控える。10年後、それらの課題を乗り越えられているだろうか。今の現場から見通しはつかめなかった。

    ◆福島第一原子力発電所=福島県大熊町と双葉町に原子炉6基が立地する原発。東日本大震災による津波で電源設備が水浸しになり、1~3号機の原子炉が冷却機能を失って炉心溶融した。3棟の原子炉建屋が爆発して放射性物質が飛散。原子力事故の国際的な尺度で、最悪の事故を示す「レベル7」と暫定評価された。政府は遅くとも2051年までに廃炉を終える方針だが、溶け落ちた燃料の取り出しも着手できておらず、敷地内に処理水の保管タンク約1000基を抱える。

    重大事故・自然災害対策強化 再稼働は9基

     福島第一原発事故を踏まえ、12年9月に新設された原子力規制委員会は、原発の安全対策を強化した。

     具体的には、重大事故対策や自然災害対策を強化する原発の新規制基準を導入した。ほかに新知見を既存原発に反映させる「バックフィット」や、原発の運転期間を原則40年に制限し、一度に限り最大20年延長できる仕組みも取り入れた。

     高い独立性を与えられた規制委は、新基準に沿って厳格な審査を開始し、電力会社は新基準に適合しない原発を稼働できなくなった。21年2月現在で、規制委の審査を通過し、地元自治体の同意を得て再稼働できた原発は9基だ。

     商業原発を抱える11社によると、19年夏時点で安全対策費は5兆円を超えた。各社とも出力が小さく、対策コストに見合わない原発を廃炉にする方針だ。

     事故後、大半の国内原発で保管する使用済み核燃料の存在も焦点になった。福島の事故では原子炉だけでなく、使用済み核燃料を貯蔵するプールも冷やせなくなり、リスクとして浮き彫りになったからだ。

     政府は使用済み核燃料を再処理し、プルトニウムなどを抽出して「MOXモックス燃料」という新燃料を作る「核燃料サイクル」政策を採る。しかし、日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(青森県)が安全対策工事を終えて本格的に操業するのは23年度以降だ。

     福井県は関西電力に、県内にある原発3基の40年超運転を認めるかどうかを判断するための前提として、使用済み核燃料の県外搬出を求めている。関電は搬出先を探している。

     再処理の過程で生じる高レベルの放射性廃液をガラスで固めて地下深くに埋設する「最終処分」の予定地も決まっていない。北海道の寿都すっつ町と神恵内かもえない村の2自治体が20年10月に政府の「文献調査」に応じたばかりだ。

     政府は50年に温室効果ガスの排出量を実質ゼロにする目標を掲げる。今年中に改定する新たなエネルギー基本計画で、原子力発電をどのように位置付けるかが焦点となっている。

    安全性高まったが、住民の不信拭えず

     日本の原子力利用について司令塔の役割を担った内閣府原子力委員会で、2014年3月まで委員長代理を務めた鈴木達治郎・長崎大教授(69)に、国内の原子力発電をめぐる現在の状況を聞いた。(聞き手 高田真之)

                 ◇

     原子力規制委員会の審査により、国内の原発では厳しい地震・津波対策や過酷事故対策を講じるようになり、安全性は高まったと思う。規制委は政府から独立した形で規制行政を進めており、評価できる。

     だが、再稼働できた原発は少ない。立地・周辺住民の不信を拭えていないからだろう。原発をめぐる訴訟の多さも不信の広がりを裏付ける。東京電力柏崎刈羽原発(新潟県)の所員が中央制御室に不正進入した問題は不信を増幅させた。

     10年前の事故で安全神話は崩壊した。しかし、電力会社は審査を通過するために規制委の指示に従うばかりで、自ら安全性を高める努力を重ねているようには見えない。国も電力会社も住民の不信に向き合う姿勢が必要だ。

     2050年の脱炭素化は、簡単には達成できない。原発を巡って「好きか嫌いか」の感情論ではなく、「原子力を利用するなら新増設や新型炉の開発をどうするのか」「利用しないのなら、どのような電源構成に変えるのか」という冷静な議論を求めたい。
    https://www.yomiuri.co.jp/science/20210227-OYT8T50063/

    返信削除
  83. どこまでいっても「使用済み核燃料」廃棄物処理問題は避けて通れない。

    返信削除
  84. [地球を読む]震災10年に思う 戦場と化した復興会議…御厨貴 東大先端研フェロー
    2021/02/28 05:00 震災10年

    御厨貴氏 1951年生まれ。東京大学名誉教授。専門は日本政治史。政府の「東日本大震災復興構想会議」で議長代理、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」で座長代理を務めた

     時の政府は、大きな課題が持ち上がると、しばしば有識者会議を設ける。新型コロナウイルスの場合の「新型コロナ対策分科会」などがこれに当たる。

     はや10年前の話になったが、2011年3月11日の東日本大震災に対応したのが、同年4月14日から開かれた「東日本大震災復興構想会議」だった。議長代理を引き受けた私は、いかにも自民党政権時代の前例踏襲を嫌がる民主党政権らしいと感じた。

     例えば、委員会や有識者会議では、トップを委員長とか座長と称するのが普通だ。なぜ「議長」としたのだろうか。さらに「議長代理」が2人もいる。定数外の「特別顧問(名誉議長)」もいる。一見して頭でっかちな組織だなと思った。

     復興会議の下には「検討部会」も一つ置かれた。おいおい検討部会は枝分かれして、複数の専門分科会が横並びになると考えていたように思うが、そうはならなかった。

     震災当時の菅直人首相は、外国人献金問題で苦境に立たされていた。震災の勃発で退陣は免れたものの、強力なリーダーシップは期待できない。野党の自民、公明両党は終始、冷ややかな態度を取った。

     そんな中で発足した復興会議のメンバーは、これまた通常の審議会とは違う異色の人材ぞろいだった。

     16人のうち、知事3人、防災・建築関連3人を除くと、大半は行政や復興事業の門外漢である。特に東北地方にゆかりのある、従って思い入れの強い方々が過半を占めていた。

     議長団の政治学者3人(五百旗頭いおきべ真議長、御厨、飯尾潤検討部会長)も、いわゆる審議会人ではない。有り体に言えば、会議の進行がどうなるかや、議論の着地点が見えなかった。

     石原信雄元官房副長官から、「この審議会は、どこに着地するのかが分からない。危険だからやめた方がよい」とのアドバイスを受けたほどだ。

     「素人集団」の会議は、海図なき航海に出帆するや、たちまち「会議は踊る。されど進まず」を地でいく展開となった。メンバーが過剰な役割意識を持ったためだろうか。“踊る”という表現がぴったりとくる劇場的な様相を見せた。

     各委員は長々と自説を論じ、会議は時として5時間にも及んだ。議長団の制止も聞かず、委員の怒号が飛び交う戦場と化した。民主党政権下、官僚は委員との直接的な接触を止められていたから、説得工作も議長団が行い、大変な苦労を強いられた。〈2面に続く〉

    天皇陛下「象徴の務め」体現

     復興会議の議論が空転するうち、委員の多くが、“東北への思い”を形にしたいと思っていることが分かってきた。それは「阪神・淡路復興委員会」の下河辺しもこうべ淳委員長が、「地域への思いを語る人がいないと結局はまとまらない」と言ったことと合致していた。

     ただ“思い”を形にするのはきわめて難しい。我々議長団は、事務局のマンパワーを動員して委員の思いのたけを短冊化し、平台に載せては方向性を見いだす作業を繰り返した。普通の審議会なら言いっ放しで終わらせるようなことも、丁寧にすくい上げた。

     その結果が、6月25日に提出した「復興への提言―悲惨のなかの希望」である。各論は検討部会が各省と調整して作り上げた具体案で網羅されたが、「前文」から各論の「序」や「結び」の部分は全体として、詩のリズムと劇的セリフで満たされた雰囲気に仕上げた。国の提言としては空前絶後のことだろう。“東北への思い”を口にする委員の多数派と議長団が、かろうじて歩み寄った形だ。

     「提言」が出された後、事情を知らぬ方々からは、「自己陶酔か?」「自意識過剰!」とのお叱りを受けた。政治学者トリオが議長団にいながら心情吐露に終わったのか、という批判もあった。しかし、たまたま会議に姿を見せた菅かん首相でさえ「この会議は崩壊するのじゃないか」と独りごちたという会議の実態を考えれば、妥当な解決だったろう。10年後の今、もし同じような提言をすれば、SNSを含むメディアに“復興劇場”は徹底的にたたかれるのかもしれない。

     3・11を受けて直ちに行動を起こされたのは、天皇陛下(現在の上皇さま)だった。直後の3月16日に被災地に対して「ビデオメッセージ」を寄せられた。

     そこでは、「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います」と述べ、被災者と共に復興の道のりを歩んでいく姿勢を示された。

     「平成の玉音放送」とも称されたこの「メッセージ」が発せられた頃、実は陛下はさらなる「玉音放送」への準備過程に入られていたやに察せられる。「戦後70年」の翌年、2016年8月に公表された天皇退位の「メッセージ」である。

     メッセージの冒頭、「戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます」と語りかけられた。戦後の節目を過ぎ、平成は30年で終わりにしたいという陛下のご意思がうかがえた。「社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか」と陛下は語られた。

     そしてメッセージは「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」と続く。

     平成になり、当時の天皇、皇后両陛下は自然災害が起きるとたびたび被災地を訪れて祈り、被災者を見舞われた。被災者に、そして国民に“寄り添う”ことに全力を傾注された。

     時代の変わり目を意識して、陛下は2度のメッセージによって被災者、国民に寄り添うことこそ象徴としての務めであることを示された。東日本大震災の折に、両陛下が被災者に心から歓迎された光景は、今も忘れられない。

     かくて東日本大震災を機とする「災後の時代」の到来にあって、平成の天皇陛下は「祈り、寄り添う」行為によって、象徴としての務めを明確化させ、それを次の世代にも引き継ぐことを望まれたのだろう。

     熊本地震をはじめ、大きな自然災害は毎年のようにこの国を襲い、「災後」は常態化している。令和になって、コロナ禍という新たな災害に見舞われた。

     コロナ災害はいまだ現在進行形である。令和の天皇陛下の象徴としての務めも、コロナの「災後」にむけて明らかになっていくように望みたい。
    https://www.yomiuri.co.jp/serial/earth/20210228-OYT8T50001/

    返信削除
  85. 【独自】「鹿島」元幹部、福島復興事業で下請け複数から金銭…業者側「発注見返りに2億円」
    2021/03/01 07:29 震災10年

     福島県内で東日本大震災の復興事業を担う共同企業体(JV)の所長を務めていた大手ゼネコン「鹿島」の元東北支店幹部が、複数の下請け業者から多額の金銭を受け取っていたことが関係者の話でわかった。所得税法違反(脱税)の疑いで仙台国税局が査察(強制調査)に入り、同容疑での告発を視野に仙台地検と連携して調査を進めている。業者側は地検の任意聴取に「工事発注の見返りとして約2億円を渡した」と説明しているという。

     震災後の10年間、鹿島が福島県内で受注した建物解体や除染などの復興事業は総額3800億円(JV含む)を超える。巨額の「復興マネー」で潤ってきた下請け業者から、元請けの幹部に資金が還流していた形だ。鹿島は昨年12月、元幹部を懲戒解雇した。

     関係者によると、査察を受けているのは、鹿島東北支店(仙台市)の元営業部長。元部長はJVの所長などを務めていた2015~18年頃、東海地方の解体工事会社など複数の下請け業者から、多額の金銭を受け取り、個人の所得として税務申告していなかった疑いがあるという。

     このJVは、鹿島と三井住友建設、飛島建設の3社で結成し、15年以降、福島県富岡町の被災建物の解体など6件・計約270億円の工事を環境省から受注。鹿島はJVの代表社で、工事の多くは地元・福島の業者のほか、鹿島の「協力会社」と呼ばれる県外の業者に下請け発注されていた。

     JV所長は工事全般の責任者で、予算配分や、下請け業者の選定に大きな権限を持つ。ある下請け業者は取材に対し、元部長から事前に発注を約束されていた工事が突然、別の工事に変更されたことが何度もあったとし、「工事の選定は所長の裁量がすべて。高級クラブなどで接待攻勢をかけていた業者が優遇されていたようだ」と話す。

     元部長は18年に東北支店の営業部長に就いた。昨年2月に始まった査察に対し、金銭の受領を認めた上で、「一部は業者からの借金だった」と述べたという。

     一方、東海地方の解体工事会社の元社長は地検の任意聴取に、約2億円の提供のほか、高級クラブの飲食費を肩代わりしていたことも認めたとされる。

     読売新聞は元部長に文書などで取材を申し込んだが、回答はなかった。解体工事会社関係者は取材に「元社長が個人的に行ったことだ」と話した。鹿島は「捜査に全面的に協力している」としている。
    https://www.yomiuri.co.jp/national/20210301-OYT1T50001/

    返信削除
    返信
    1. 「鹿島建設」東北支店元幹部 下請けから多額の現金受領か
      2021年3月1日 18時32分

      東日本大震災の復興事業を請け負っていた大手ゼネコン「鹿島建設」の東北支店の元幹部が、複数の下請け業者から多額の現金を受け取っていた疑いがあることがわかりました。関係者によりますと、仙台国税局は所得税法違反の疑いで調査を進めていて、国税局に対し下請け業者の1人は「元幹部に少なくとも現金2億円を提供した」と説明しているということです。

      鹿島建設などの共同企業体は、東日本大震災の復興事業として福島県富岡町で、被災した建物の解体工事を環境省から受注していましたが、関係者によりますとこの工事などをめぐって「鹿島建設」東北支店の元幹部が、複数の下請け業者から多額の現金を受け取っていた疑いがあるということです。

      仙台国税局は元幹部が複数の業者から受け取った現金を、税務申告していなかった疑いがあるとみて、所得税法違反の疑いで関係先を強制調査するなど調査を進めています。

      国税局に対し下請け業者の1人は「元幹部に少なくとも現金2億円を提供した」と説明しているということです。

      一方、元幹部は国税局に対し、現金を受け取ったことを認めたうえで、一部は業者からの借金だったと説明しているということです。

      鹿島建設は去年12月、この元幹部を下請け業者から過剰な接待を受けていたなどとして、懲戒解雇しました。

      鹿島建設は「このような事象が発生したことは誠に遺憾で、不正防止はもとより、協力会社との公正な取引や対等な関係の確保に努めます」とコメントしています。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210301/k10012891941000.html

      削除
  86. あくまでも、個人間の仕業であって、組織が関与、あるいは組織的になされた、そういう仕組みがすでにあった、というものではないとシラをきり続けるのだろう。

    返信削除
    返信
    1. 国の公金(予算)がらみの事業だから問題にされるが、民間企業同士の仕事の発注受注関係なら、さて話はどうか。接待もよくある話じゃないのか… 世の中きれいごとだけでは回っていない。

      削除
  87. [原発と福島]刻まれる歴史<1>信じていた「明るい未来」…光と影 伝えるアーチ
    2021/03/01 05:00 震災10年

     東京電力福島第一原発事故は、深く大きな傷痕を福島に残し、歴史の層にも到達した。事故から10年。「原発と福島」第46部は、えぐられた福島の歴史に分け入る。刻まれた線は交錯し、折れ曲がり、先にも延びていた。

    一時帰宅した際、アーチの前で写真に納まる大沼さん(左)と妻せりなさん(2014年4月)=大沼さん提供

    組み上げられていく福島第一原発1号機の原子炉格納容器(1968年)=東京電力提供

    双葉町に通い続ける大沼さん

     その大型バスは福島県双葉町の街中をゆっくり進んだ。東京電力福島第一原発事故が起きた2011年の夏、立ち入りを許された町民が乗っていた。原発から約3キロ。全員が防護服を身につけていた。

     全町避難したため、地震の傷痕はそのまま。道路の亀裂、崩れた屋根。バスが商店街入り口のアーチをくぐる。車内がざわめく。「ほら、あの標語……」

     大沼勇治(44)は反射的にうつむいた。アーチには、小学6年の大沼がつくった標語が取り付けられていた。<原子力 明るい未来のエネルギー>

       ■

     福島沿岸部の歴史は、日本のエネルギー史とも重なる。茨城北部から富岡・夜ノ森まで延びる常磐炭田の採掘は幕末、いまの福島県いわき市から始まった。年間400万トンを産出し、日本の近代化を支えた本州最大のその炭田も、やがて役目を終える。

     主軸が石油に移る中、県が再び沿岸への誘致を表明したのが原発だった。1960年。米大統領が、原子力の平和利用について国連で演説した7年後だ。福島第一原発1号機は71年、営業運転を始めた。その年、炭田最大の磐城鉱業所が閉鎖された。

     76年生まれの大沼にとって、原発は身近だった。親戚は原発の仕事につき、東電の社宅から通う同級生もいた。町役場は建て替えられ、体育館や図書館が新築された。手元には、原発の写真などがあしらわれた下敷きやペンがあった。

     「原子力」の標語が宿題で出て、浮かんだのは、高層ビル群と、新幹線、明るい未来の街だった。提出した作品は優秀賞。卒業間際に表彰され、それきりだったが、高校時代に自宅近くのアーチをふと見ると、自分の標語があしらわれていた。いい気分がした。

     大学を出た大沼は、地元で不動産業を始めた。東電社員向けのアパート計画を銀行に持ち込むと、融資がすんなり通った。2010年には妻が妊娠した。大沼はアパートの増築を思い描いた。「原発と共存しよう」と思っていた。

       ■

     罪悪感とともにアーチをくぐったあの夏、大沼は母校に立ち寄った。得意だった図工の授業、夢中になったソフトボール、記憶がよみがえる。校歌もちゃんと覚えていた。失われたものの重さにうなだれた。

     カメラで撮影したが、画質が粗かった。一眼レフを新調し、避難先の愛知から通い続けた。壊れていく故郷を記録しよう。原発事故でひどい目に遭ったが、自分も加害者じゃないのか。そんな思いとも向き合い、シャッターを切り続けた。

     老朽化で落下の危険があるとして、アーチが撤去されることになったのは15年暮れ。町に問い合わせ、現場に向かった。反対は受け入れられなかったが、町は保管を約束してくれた。原発と共存しようと思った事実は消えない。このアーチは原発事故の遺構だ。大沼は町や県に訴え続けた。

     7年前、茨城県古河市に落ち着いた。妻せりな(45)、11年生まれの勇誠ゆうせい(9)、勇勝ゆうしょう(7)と暮らす。自宅周辺の避難指示が解除され、息子たちを母校に連れていった。「2人もこの学校に通うはずだったんだ」。いたずら盛りの2人が、黙って校舎を見つめていた。

     大沼の訴えが届いたのか、早ければこの春、アーチが、双葉沿岸部の東日本大震災・原子力災害伝承館に展示される。息子たちに見せて、伝えたい。かつてそう信じ切った時代があったのだ。<原子力 明るい未来のエネルギー>(敬称略)
    https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210301-OYT1T50043/

    返信削除
    返信
    1. [原発と福島]刻まれる歴史<2>建設計画 混乱の半世紀…住民に亀裂残し中止
      2021/03/02 05:00 震災10年

       福島県浪江町棚塩地区の高台ほど、数奇な運命をたどった土地を知らない。東京電力福島第一原発1号機の工事が始まった1967年の翌年、その9キロ北で東北電力が建設計画を表明した「浪江・小高原発」の予定地150ヘクタールのことだ。

       建設反対派を切り崩し、約185億円を費やして用地を確保しながら8年前、計画は中止された。福島第一原発事故が起き、究極の判断に追い込まれた。

      「福島水素エネルギー研究フィールド」周辺を歩く木幡さん。原発建設計画の用地は様変わりし、往時の面影はない(2月14日、福島県浪江町棚塩で)

       予定地の大半は、原発事故で苦しむ町に無償提供され、産業団地が造成されることになった。起工式に立ち会った地元の貴布祢きぶね神社宮司、木幡こわた輝秋(86)は、用地提供に最後まで抵抗し、地元が金のせいで壊れていくのを見た住民の一人だった。

       太平洋を見下ろすその土地にはいま、6万枚の太陽光パネルがひしめき、白い巨大タンクがそびえ立つ。「福島水素エネルギー研究フィールド」。半世紀前、原発建設を前提に買収が始まった土地の上で、太陽光発電で水を分解する世界最大規模の水素製造施設が稼働している。脱原発依存を掲げる福島の象徴である。

          ◇

       県と町は、浪江・小高原発の受け入れを表明したが、棚塩地区全140戸は反対同盟を結成した。「先祖の土地のことを勝手に決めた」ことに怒ったのだ。しかし、地区や家庭のなかで賛否が割れる。

       福島第一原発が着工すると、巨額の国の交付金や固定資産税を背景に、庁舎や体育館が続々と建設され、原発マネーの誘惑があたりに漂うようになっていた。

       東北電力は、賛成に回った地区に公民館を建てたり、農地整備も手助けしたり、町役場など働き口のあっせん、原発視察と称した接待旅行もやった。

       社員は棚塩にも頻繁にやって来た。土地のことは口にしない。作業着に長靴姿で農作業を手伝い、縁側の茶飲み話につき合い、じわじわと入り込んでいった。

       ただ、交渉は長期化し、当初79年とした運転開始目標は何度も延期された。計画は当初の4基から2基、さらに1基と縮小された。反対派のほうも徐々に切り崩され、全国の反原発団体と連携して運動を先導した男性が97年に死去すると、弱体化した。強く反対した木幡の母も年老いた。木幡は97年、約80アールの農地と山林を手放した。

          ◇

       東日本大震災の津波は、創建702年と伝わる高台の神社にこそ届かなかったが、木幡宅は全壊した。周辺の家もほとんど流され、原発事故で全町避難を余儀なくされた。

       避難指示は4年前に解除されたものの、自宅一帯は災害危険区域になり、人は住めない。木幡は、福島市で見つけた小さな中古住宅で、妻伸子(84)と静かに暮らす。

       2016年度着工・21年度運転開始を目指した東北電力は13年3月、計画の中止を発表した。「あれだけ騒いで、計画自体やめるとは」。木幡も驚く決断だった。

       浪江・小高原発と同時に建設計画が発表された女川原発(宮城県)は1984年、1号機が稼働している。棚塩で用地交渉にあたった元社員(79)は言う。「漁師町の女川と違う。農家の多い棚塩はみな土地に執着があったんだ」

       水素製造施設が立つ現地に足を運んだ木幡は、見覚えのある木や道を見ながら、うちの土地はあのあたりだったかな、と指さした。あの抵抗の日々は何だったのか。そんな疑問もよぎるが、「土地が生まれ変わって、いまは役に立っている」、そう思うことにしている。(敬称略)
      https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210302-OYT1T50023/

      削除
    2. [原発と福島]刻まれる歴史<3>DASH村 奪われた夢…開拓の地 立て直し半ばで
      2021/03/03 05:00 震災10年

      「DASH村」の出入り口で、当時を振り返る三瓶宝次さん(2月24日、福島県浪江町で)=武藤要撮影

       運命を変える南東の風が吹いた。2011年3月、東京電力福島第一原発から漏れ出た高濃度の放射性物質が、30キロ近く離れた阿武隈山地に向かい、原発と無縁な暮らしを続けてきた地域に降り落ちたのだ。

       一帯の真ん中に、所在が長く秘密にされてきた古民家があった。アイドルグループによる農村体験が話題を呼んだテレビ番組企画の「DASH村」だ。原発事故後、浪江町津島地区に所在することが明らかにされた。地主の三瓶さんぺい宝次ほうじ(84)の視点に、原発事故を重ね、津島の土地を読み返してみる。人々が一つひとつ積み上げたものが、あっけなく崩壊していく歴史の反復が見えてくる。



       国内の食糧不足が深刻だった戦後、旧津島村と葛尾村、飯舘村の国有林は、1000戸以上の入植地になった。津島の約350戸の多くは、大陸からの引き揚げ者だった。昼は「旧農家」と呼ばれる先住の田畑で働き、夜は月明かりを頼りに斧おのと鍬くわで山を切り開いた。旧農家も入植者も皆貧しく、食料を分け合いながら暮らしたという。

       旧農家に生まれた三瓶は1955年、高卒で津島開拓農協に入った。医者の夢はあきらめ、集荷と共同販売の仕組み作りに没頭した。自給自足の暮らしから脱却するためだ。国などの補助金で、住宅、道路、電気など生活基盤を整備するのも開拓農協の仕事だった。

       仕事や結婚で旧農家と入植者は交じり合い、津島の田畑は拡大した。戦後10年で、人口は約4200人に倍増した。ところが、予期せぬ衰退が待っていた。

       行政効率化を旗印に国が進めた「昭和の大合併」だ。津島は56年、沿岸部の浪江町の周縁になった。住民は、65年からの10年間で約1000人も減った。

       すでに組合を退職し、農業の傍らドライブインを経営していた三瓶に、同級生たちが「立て直せるのは、津島を知り尽くしたお前しかいない」と声をかけてきた。93年、三瓶は町議になった。人口は1000人台になろうとしていた。

       葛尾村などのように、国の財政支援を受けられる「過疎地」にもなれない。三瓶は、県の山間部振興事業に目をつけ、沿岸部の町議も説得し、2000年、事業採択にこぎ着けた。道路の舗装や水田の区画整備が進んだ。地元は「第二の開拓」に沸いた。

       企画が持ち込まれたのはその春だ。若者に人気の「TOKIO」が荒れた土地を耕し、村を作る――。開拓の地・津島の魅力を発信できるならと三瓶は土地を貸した。開拓2世の同級生らが造成に協力し、親戚がTOKIOの相手を務めた。地元は活気づいた。三瓶はその村が、津島の過疎を食い止める夢を見た。



       浪江町は原発事故後、津島の約1400人を含む全町民2万人余が県内外に散った。三瓶はその年の秋、首長らとチェルノブイリ周辺を視察し、荒廃した街を見た。「津島がこんなことになったら」。帰国後、県内外に避難する住民を訪ね歩き、結束を呼びかけた。集団訴訟の先頭に立ち、除染して土地を元通りにする原状回復を求め続けた。

       しかし10年たっても、津島地区全域94平方キロは帰還困難区域だ。2年後に「復興拠点」になる一部地域で避難指示が解除されるが、地区の2%弱でしかない。

       しびれのような合併の弊害に、原発事故が上書きされた。4年前に町議を引退した三瓶のもとに、帰還をあきらめた住民が「もう限界だ」とわびを入れてくるが、「慰めの言葉が見つからない」。仮住まいの暮らしが耐えられなくなった三瓶も昨年末、福島市に家を新築したのだ。(敬称略)
      https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210303-OYT1T50067/

      削除
    3. [原発と福島]刻まれる歴史<4>恵みの地 汚染土の山…自宅跡の桜「生きた証し」
      2021/03/04 05:00 震災10年

      自宅跡に残る桜の木の前に立つ渡部さん(2月21日、福島県大熊町で)=関口寛人撮影

       落ち葉と米ぬかを混ぜて作りあげた渡部隆繁(71)の土はいま、フレコンバッグの山の下だ。放射性物質が混じった土が入っている。隣家は消え、工場のような建物が立つ。東京電力福島第一原発から南西に3キロ。福島県大熊町の渡部宅一帯は、除染によって生じた汚染土を保管する広大な中間貯蔵施設の一部だ。

       隣家跡地に立つ建物は、汚染土をふるい分ける受け入れ・分別施設。更地になった渡部の自宅跡は、ふるい分けられた土を埋める土壌貯蔵施設になるという。

       茨城県土浦市で暮らす渡部が月に1度、こうして周辺を訪ね、カメラを向けるようになってもう9年になる。米や野菜を育てる農家の3代目。100年がかりで広げた5ヘクタールの農地や自宅を国に売った。

              ◇

       渡部が有機栽培に切り替えたのは2003年。雑草や害虫を手作業で取り除くのは大変だが、自慢の土は、うまい米を育み、全国から通販の注文が入った。その土の上に11年3月、大量の放射性物質が降り注いだ。

       県と町は14年、中間貯蔵施設の建設を受け入れた。行き場のない大量の汚染土を何とかしなければならなかった。環境省が用地取得交渉を始め、渡部のもとにも担当者がやって来た。

       故郷に戻れないなら、せめて農業を続けたかった。渡部は、代替の農地を探してほしいと要求したが、聞き入れられなかった。交渉は長期化した。

       取得済みの土地から施設の建設が始まった。「まだ契約しないのか」。そんな声も聞こえた。渡部は19年、契約書に判を押す決断をした。「福島のためには仕方ない」と自分に言い聞かせた。

       ただ一つだけ条件をつけた。桜の木には手をつけないでほしい。花好きの亡き父が、元号が平成になった年に植えたものだった。

       大熊町は、温暖な気候を生かした梨づくりが盛んな地域でもあった。江戸時代、お伊勢参りで持ち帰った苗木から始まり、開拓移民が入植した戦後に栽培が広まったという。内陸側の渡部宅から3キロほど、海に近い松本光清(72)も2ヘクタールの梨畑を持っていた。

       収穫期には、手伝いに来る近所の人でにぎわい、渡部の子供も通った幼稚園の園児たちを招き、収穫を体験させた。大熊の梨は、高級品として、香港や上海へも輸出されるようになった。「これからは世界が舞台」と高揚した。そんなとき、事故が起きた。

       環境省の担当者が交渉をしに来た。中間貯蔵施設の汚染土は30年後に県外で最終処分する約束。売りたくないなら、地上権を設定することもできると。

       だが、残りの人生を考えたとき、30年は長すぎた。松本は、売却を選んだ。畑はフレコンバッグが積まれる保管場になった。

       いまは栃木県鹿沼市に中古住宅を買って、妻と2人で暮らす。原発事故から10年となる今月11日、避難者らを支援してきたグループから、講演を依頼された。話したいことはたくさんある。梨畑、子供たちが主役の伝統芸能・稚児鹿舞ししまい、サケが遡上そじょうした熊川……、集落がそこにあった事実。

              ◇

       双葉町側を合わせ計約3000人が暮らした場所が、16平方キロに及ぶ中間貯蔵施設の用地になった。故郷の土は、汚染された土の山で覆い尽くされた。渡部は先月、そんな自宅跡に立ち、残された桜にカメラを向けた。「ここで生きた証しはこれだけ」。つぼみが膨らみかけていた。(敬称略)
      https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210304-OYT1T50062/

      削除
    4. [原発と福島]刻まれる歴史<5>ああ、ここは富岡じゃない…避難家族 悩み続け10年
      2021/03/05 05:00 震災10年

      福島県富岡町から避難したままの金成直美さん。次男が元気だった頃の写真を見返し、複雑な表情を浮かべた(2月21日、千葉県船橋市で)=池谷美帆撮影

       千葉県船橋市の団地8階の賃貸物件で暮らす金成かなり直美(55)は、ベランダで小学5年の次男の目を思わずのぞき込んだ。「飛び降りたら死ねるかな」と言ったのは、どうやら本気だ。東京電力福島第一原発事故が起きた2011年の秋。福島県富岡町から夫と2人の息子と避難してまだ数か月だった。次男は学校に行かず、うつ病で精神科に通い、自宅に引きこもり続けて今、20歳になった。

       運動会の組み体操の練習中、次男のうえに上がる子が「放射能がうつる」と嫌がったことがいじめの始まりだった。学校に行きたくない、富岡に戻りたいというのに、「放射能があるから戻れない」と説得したのがいけなかった。

       8階の部屋から引っ越したが、根明な息子がどんどん変わっていった。富岡に帰りたいとも言わなくなった。「俺は終わった人間」が口癖になってしまった。

       富岡の自宅周辺の避難指示は17年に解除されたが、知り合いも戻らず、自宅は売却した。関係が悪化した夫とは2年前に離婚した。警備会社に就職した23歳の長男が、3人で暮らせる家をローンで建ててくれた。金成も仕事を三つ掛け持ちする。コロナ禍で勤務時間が減り、貯蓄を取り崩す。

       夜は正味2~3時間しか眠れない。次男の夢をよく見る。徒競走で負けて大泣き、水泳を思い切り楽しんで友だちとピース――。目を覚まし、うろたえる。ああ、ここは富岡じゃない。

                 ◇

       小林みゆき(45)(仮名)は福島市の自宅で、通天閣を紹介するテレビを見ながら誘った。「楽しそうだね? 行こうか」。無邪気に「行きたい」と答えた3人の子を連れ、大阪へ向かったのは12年の春だ。

       5歳の次女(13)はともかく、小学5年の長女(19)と3年の長男(17)は避難だと理解したはずだ。福島市内にも放射線量の高い場所があり、児童が減っていた。1年前にも避難を考えた。それが原因で夫とはぎくしゃくしていた。

       長女と長男は部活に打ち込み、次女は関西弁のほうがうまく話せるくらいになじんだ。避難生活はうまくいっていたと小林は言う。かねて興味のあった障害者支援の仕事にもつけた。

       17年には自主避難者への家賃補助が打ち切られたが、戻るつもりはなかった。離婚が決まったこともバネに正社員の職を得た。

       そんな小林が、動悸どうきや頭痛で布団から出られなくなった。19年2月に適応障害と診断されたが、顔見知りの支援団体代表・古部真由美(48)に相談したのは6月に入ってから。しかも「長女の進路で悩んでる」と。

       話を聞くうち、古部は家事ができていないと告白された。高校3年の長女は不登校で、小林と引きこもっていた。「元気な人」の印象は崩れた。古部らは自宅を訪ね、料理を手伝った。部屋の不用品を処分すると軽トラック1台分になった。何度も促し、失業手当を受けることになった。さいわい長女は大学に進学した。

                ◇

       関西の避難者向けに生活相談を続ける古部のもとには今も、電話がやまない。小林のように限界を超えても相談しない人もいる。

       福島県によると避難者は現在3万6000人。今も支援が必要な人がいるが、10年を機に、行政の帰還者重視の姿勢は強まる。日本災害史に残る原発避難という事実が少しずつ見えなくなるおそれがある。

       船橋の金成は、避難者であることは消えないと自覚している。それでも、小さな幸せをかみしめ暮らしている。東京ディズニーランドのアルバイト。飼って8年になるコーギー犬のミッキー。先日は、餌の時間を間違えた金成を見て、次男が腹を抱えて笑った。避難は間もなく11年目だ。

      (敬称略、おわり)

      (この連載は福島支局・鞍馬進之介、仲田萌重子、石沢達洋、星野達哉、小沼聖実、高倉正樹、さいたま支局・大月美佳、編集委員・清水美明が担当しました)
      https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210305-OYT1T50020/

      削除
  88. 東日本大震災10年 「復興進んでない」が約3割 NHK世論調査
    2021年3月1日 5時39分

    東日本大震災の発生から10年になるのを前に、NHKが全国で行った世論調査で、全体の3割近くが津波による被災地の復興が『進んでいない』と感じていることが分かりました。原発事故の除染が『進んでいない』と回答した人も6割を超えていて、10年が経過する中でも、依然として復興を実感できない人がいる現状が浮き彫りになりました。

    東日本大震災からの復興や日頃の防災意識を探るため、NHK放送文化研究所は去年の11月11日から12月18日にかけて、全国の16歳以上の3600人を対象に郵送法で世論調査を行い、64.2%に当たる2311人から回答を得ました。

    “復興進まず”約3割

    この中で、津波の被災地の復興がどの程度進んでいると思うか、尋ねたところ、
    ▽「あまり進んでいない」が27%、
    ▽「まったく進んでいない」が2%で、合わせて3割近くが復興が『進んでいない』と感じていることが分かりました。

    一方で、復興が『進んでいる』と回答した人は、
    ▽「ある程度進んでいる」が61%、
    ▽「かなり進んでいる」が9%で合わせて70%に上りました。

    震災発生から5年を前に実施した前回(2015年)の調査とは調査方法が異なるため単純に比較はできませんが、『進んでいる』は前回の45%から増えています。

    “除染進まず”6割以上

    また、東京電力福島第一原子力発電所の事故の被災地の除染が進んでいると思うか、尋ねたところ、
    ▽「あまり進んでいない」が53%、
    ▽「まったく進んでいない」が12%で全体の6割以上が除染が『進んでいない』と回答しました。

    被災地現状見聞きするか

    被災地の現状を見聞きすることがどの程度あるか尋ねたところ、見聞きすることが『ない』と回答した人が
    ▽津波の被災地については52%
    ▽原発事故の処理については59%と、いずれも過半数を占めました。

    見聞きすることが『ない』という人の割合は、年代別では16歳から29歳で67%に上るなど、若い世代ほど多くなっています。

    国の復興対応の課題は?

    震災における「国の復興対応の課題」について複数回答で訪ねたところ、
    ▽「原発事故への対応」が76%と最も多く、
    ▽次いで「住宅再建への支援」が62%、
    ▽「被災地の産業への支援」が57%、
    ▽「心のケアへの支援」が51%
    ▽「復興予算の使い道」が45%などとなりました。

    この結果について、被災地の状況に詳しい兵庫県立大学の木村玲欧教授は「10年という年月が経過していても、震災からの復興はまだ道半ばだと言える結果だ。『復興が進んでいない』と回答した人がいる原因は何かを検証し、被災者が新しい生活や日常を取り戻すために、長期的に支援していくことが必要だ」と指摘しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210301/k10012890601000.html

    返信削除
  89. 原発事故の放射性物質、52京ベクレル放出…森林に残る[歳月]<4>
    2021/03/04 05:00 震災10年

     東京電力福島第一原子力発電所事故で放出された放射性物質は、気体状のものを除いて52京(京は1兆の1万倍)ベクレルと推定されている。風で陸側へ飛んだ放射性物質の約7割は、福島周辺の森林に降り注いだ。森林は大部分が「除染」されていない。放射性物質は自然に「崩壊」しつつも一部は樹木や土、水、動植物の間を循環しており、住民の生活にも影響を残している。

     福島第一原発事故は、国際的尺度で最悪の「レベル7」と暫定評価されている。1986年のチェルノブイリ原発事故に続き2例目だ。放出された推定52京ベクレルの放射性物質は、チェルノブイリの7分の1程度だったとみられる。メルトダウン(炉心溶融)を起こした1~3号機の原子炉内から、「プルーム」と呼ばれる放射性物質を含む大気の塊となって断続的に放出された。

     福島第一原発事故では水素爆発が起き、格納容器の蒸気を排出して圧力を下げる「ベント」などの操作も行われた。プルームは、その時々の風向きや雨雪などの天気に応じて様々な移動パターンをたどったことが研究で明らかになっている。

     キヤノングローバル戦略研究所の堅田元喜かたたげんき・主任研究員らによれば、2011年3月12~21日に大規模な拡散と、地上の汚染が計8回あった。

     放出原因として注目されがちなのは水素爆発だ。だが、爆発が起きた12日(1号機)は降雨がなく、14日(3号機)はその直後の風向きが海方向だった。このため地上への落下は、実は比較的多くなかった。

     一方で、14日夜以降、東北、関東地方の広い範囲に放射性物質が運ばれていた。特に落下量が多かったのは福島原発から北西方向だ。2、3号機の格納容器が損傷し、15日午後から16日朝にかけて格納容器の圧力低下に伴う漏出が起きた上、降雨も重なって落下量が増えたという。

     環境への影響を考える際には、放射性物質が自然に崩壊して半分の量になるまでの時間(半減期)を考慮する必要もある。放出された放射性物質には様々な種類があり、気体状のキセノン133は大気中を漂う間にまもなく放射線を出さない物質に変化し、ヨウ素131もすぐに変化した。しかし半減期が約2年のセシウム134、約30年のセシウム137は今も放射線を出し続けている。

     堅田主任研究員は「研究で放射性物質が風で運ばれるプロセスはある程度わかった。だが雨や霧に取り込まれて森林に落下した量についてはわからないことも多く、さらなる研究が必要だ」と話している。

    セシウム 土壌へ移行

    ウナギなどを採捕する福島大の和田准教授(中央)ら(昨年11月27日、福島県大熊町で)

     福島県の森林面積は約97万ヘクタールにも上り、森林率は71%と高い。森の放射性物質はどうなったのか。

     森林総合研究所の分析では、スギやヒノキの場合、場所によって異なるが原発事故直後に75%の放射性セシウムが葉や幹に付着。その後は雨に洗い流されるなどして、落ち葉や土壌への移行が進んだ。セシウムは土に強く吸着して動きにくくなる性質があり、2019年夏時点では80%が土壌に含まれているという。

     一方でこの10年、放射性物質の崩壊現象が起き、放射線量は減少している。県の測定では県内の森林の平均放射線量は11年8月に毎時0・91マイクロ・シーベルトだったが、20年3月には同0・2マイクロ・シーベルトまで低下している。

     土壌に移ったセシウムは食物連鎖を通じて生き物の間を循環する。例えばイノシシは植物の根やミミズなどを食べる際、土壌中のセシウムを体内に取り入れ、フンなどとして排出している。狩猟動物の放射能濃度を調べている量子科学技術研究開発機構の田上恵子グループリーダーは「セシウムは生き物が必須としているカリウムと性質が似ており、動植物に取り込まれてしまう。森の生態系の中でセシウムの循環が安定してしまったようだ」と話す。

     魚類の調査を行う福島大学の和田敏裕准教授によると、原発周辺の淡水魚は国の基準値(1キロ・グラム当たり100ベクレル)を大幅に上回る1キロ・グラム当たり1万ベクレル超ものセシウムが検出されることがある。餌となる昆虫などが吸収したセシウムをため込みやすいからで、アユやヤマメなどは県内の一部地域で出荷制限が続いている。その反面、海ではセシウムが拡散するため、海水魚は近年、基準値を超えることがほとんどない。

     放射能が生き物へ与える影響の解明も重要だ。一部の研究者はヤマトシジミやアブラムシ、アカマツなどに関して羽や枝の形などに異常があるとして、放射能との関連を疑っている。

     環境省は12~15年度にミミズなど動植物約80種を調査。現在も一部を継続しているが、異変は起きていないという。アカネズミの繁殖成功率低下の可能性を示唆する計算結果もあるが、同省は「実際の影響を示すものではない」としている。

     国立環境研究所は15~16年に帰還困難区域でシロイヌナズナの細胞を培養。99・5%のエリアは被曝ひばくによる突然変異のリスクは高くないと報告している。

    山菜・キノコ 検査続く

     福島の森林は、「住宅から20メートル以内」と一部の里山を除いて「除染」の作業が行われていない。森林で採れる山菜やキノコなどの「森の恵み」は、今もセシウム濃度が国の基準値を超えることがある。

    道の駅にある食品の放射能濃度検査機器で、農産物を検査する菅野さん(2月6日、福島県飯舘村で)

     福島県飯舘村の道の駅で先月6日、菅野クニさん(69)は自宅近くの山で採ったフキノトウを検査機器にかけ、セシウムの濃度を測っていた。約10分間で出た結果は「不検出」。菅野さんは「測り続ける生活が今の日常です」とほっとした表情で話した。

     こうした検査機器は県内各地に約120台あり、自家消費用の山菜やイノシシ肉などの食品が持ち込まれている。県は国の基準の半分である「1キロ・グラム当たり50ベクレル」を超えた件数をまとめており、「山菜・キノコ」を見ると2012年度に50ベクレルを超えた割合は45%。13~19年度は24~36%とほぼ横ばい状態が続いている。

     理由は主に半減期が長いセシウム137が森に残る影響だ。採取された場所や種類によって測定値のばらつきも大きく、森林総合研究所の小松雅史主任研究員は「一つ一つの食材の測定が今後も重要だ」と話す。

     基準値超えの食品は基本的に食べられることはない。そのため人の健康影響に関するデータはほとんどないが、例外的に帰還困難区域で17年8月に保護された70歳代男性に関する報告がある。男性は南相馬市の洞窟で2か月間、キノコや山菜、川魚を食べ、小川の水を飲んで暮らしていたが、内部被曝の測定結果は「1年当たり0・2ミリ・シーベルト相当」だった。健康影響を心配しなくていいレベルだ。

     とはいえ、セシウムは今後も生態系の中で循環し、森と共生してきた住民たちの暮らしへの影響は残る。同研究所の橋本昌司主任研究員は「良くも悪くも森はセシウムを外に漏らさずとどめてくれている。今後も注意深く観測していく必要がある」と話している。

     取材・服部牧夫、石川千佳 デザイン・谷崎純太 紙面構成・西本督
    https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210304-OYT1T50094/

    返信削除
  90. 「今でも行ってよかったと思う」、東電本店に乗り込み・事故翌日の福島入り…[語る]<1>元首相 菅直人氏
    2021/03/04 05:00 震災10年

     11日で、東日本大震災から10年を迎える。未曽有の大災害にそれぞれの立場で関わった人たちに、当時を振り返ってもらい、今後の教訓などを語ってもらう。

    首相の責任

     今年2月13日の深夜、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震がありました。東京の自宅もかなり揺れ、東日本大震災当時のことがすぐに頭をよぎりました。今も余震が続いており、10年たっても一区切りではないと感じています。

     東日本大震災は、地震と津波に加え、東京電力福島第一原発事故も引き起こした大災害でした。日本が起こした世界最悪レベルの事故に直面するなかで、事故処理を日本の責任で行えず、他国に頼むようでは、日本が国家として成り立たないという思いが常に頭にありました。米国など他国の協力は大変ありがたかったですが、前提として、できる限り自分たちの手で対処する覚悟で臨むことが、首相としての責任だと思いました。

    かん・なおと 民主党政権下の2010年6月から11年9月まで首相を務めた。現・立憲民主党最高顧問。衆院当選13回。74歳。

     東電本店に乗り込んで撤退しないよう求めたのは、こうした考えからでした。事故翌日に福島第一原発に行ったことも同様です。現場で指揮に当たる福島第一原発の吉田昌郎所長に初めて会い、強い責任感を確認することができました。批判も浴びましたが、今でも行ってよかったと思っています。

     一方、政府の原子力災害対策本部長として福島県内で避難範囲を広げる判断をした際、病院や介護老人保健施設に入院していた高齢者が避難中に亡くなったことは、今でも非常に心が痛みます。各自治体も混乱しており、こうした方々は受け入れ先を求めて長時間の移動を余儀なくされました。結果的に、一番弱い立場の人が命を落とされ、本当に申し訳なく思います。

    覆された考え

     この大事故を経て、原発に対する考えは180度変わりました。それまでは日本の技術者のレベルは高く、1979年の米国のスリーマイル島や1986年の旧ソ連のチェルノブイリの原発事故のような人為的ミスによる事故は起こさないと思っていました。だから、「日本の原発は安全です」と、ベトナムなどに原発輸出のトップセールスもしました。

     しかし、あれだけの原発事故が起きました。地震や津波が多い日本の地理的条件を考慮しない設計がされ、炉心溶融(メルトダウン)につながったのだから、まさに人為的事故です。考えが根底から覆され、この10年間、政治活動の9割方を原発問題にあて、「原発ゼロ」を目指してきました。

     大震災を経て、危機管理の要諦とは、最悪の事態をイメージし、それを回避するための方策を実行することだと痛感しています。

    共通点

     原発事故と新型コロナウイルスの感染拡大は、性質は違うものの、危機管理という観点では共通していると思います。菅すが政権は、コロナ危機で起こりうる最悪の状況を想定して、どこまで日本で拡大する可能性があり、回避するためにはどんな対策を取るべきかを明確に示していないような気がします。先日、衆院予算委員会で直接、首相にただしましたが、具体的な答えはもらえませんでした。

     大震災から10年がたちましたが、被災地の復興はいまだ途上です。津波に対応できる街づくりなどハード面では一定程度進みましたが、被災者のなりわいが再建されず、被災地の人口は減少しています。その対策として、農地に太陽光発電設備を設置する「営農型太陽光発電」の普及に取り組んでいきたいです。農業の復活と売電による収入により、人口が戻る経済的基盤を作りたいと考えています。

     ◆東京電力福島第一原発事故=東日本大震災による津波で電源が海水に浸り機能が喪失したため、1~3号機では核燃料を冷却できず、炉心溶融(メルトダウン)を起こした。原子炉建屋の爆発などにより、放射性物質が放出され、原子力事故の国際的な尺度で最悪を示す「レベル7」と暫定評価された。
    https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210304-OYT1T50006/

    返信削除
    返信
    1. 「原発ゼロ」は100年単位 危機対応の専属部署必要…[語る]<2>立憲民主党代表 枝野幸男氏
      2021/03/05 05:00

      恐怖

      えだの・ゆきお 菅(かん)内閣で官房長官として連日、記者会見を行った。野田内閣では経済産業相を務めた。衆院当選9回。56歳

       東日本大震災発生時は官房長官でした。地震と津波に加え、東京電力福島第一原発事故が起き、現在進行形でどんどん悪化する状況に「この国はどうなってしまうんだろう」という恐怖も抱きました。

       ここから得た最大の教訓は、事前の備えの重要さです。震災当時は原発事故が起きることへの十分な備えがなく、周辺住民に多大な混乱と迷惑をかけてしまいました。その反省から、内閣官房に危機管理庁(仮称)を設ける必要性があると考えています。内閣府防災担当が災害対応のノウハウを蓄積していますが、担当者が少なく、目の前の対応に追われているのが現状です。

       災害に絞らず、感染症やサイバー攻撃など大規模なリスクに迅速に対応するため、専属的に危機対応を考え、平時に様々な可能性を想定する部署が必要です。

       2012年6月、経済産業相として関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を決定しました。国内の全原発が停止する中、関西の電力需給が切迫していたために下した苦渋の決断でした。当事者として「万が一、福島第一原発と同様の事故が起こったら」という恐ろしさと隣り合わせの決断をしたからこそ、次に政権を担当する際には原発をやめる考えです。

       しかし、実際に原発をやめるのは簡単ではありません。原発をゼロにするゴールは100年単位です。核のゴミである使用済み核燃料を安定的に保管できる状況を作る必要があります。その間に、廃炉に向けた技術者の養成や、原発立地地域への新たな地域振興策の具体化、電力会社の経営安定化などを進めなければなりません。

       この10年で、被災地ではインフラなどのハード面の復興が一定程度進んだことを評価します。しかし、被災者のなりわいや地域コミュニティーの再建という面では十分とはいえません。実動部隊である自治体に、人やカネ、知恵を支援していく態勢づくりが必要です。

      情報発信

       現在、新型コロナウイルスの感染拡大という新たな危機に直面しています。東日本大震災時に官房長官を務めた経験から痛感するのは、情報発信の重要性です。

       安倍、菅すが両政権のコロナ対応では、官房長官が情報を集約して発信するケースが少ないように思います。全国一斉休校が唐突に決まったり、ワクチン接種の計画が二転三転したりするのが顕著な例です。官房長官は、平時から省庁間の調整をするのが職務です。有事の際、各省庁の情報を吸い上げて、記者会見で国民に情報発信ができるのは、官房長官以外にあり得ません。

       ◆再稼働=東日本大震災の後、原発には厳しい安全基準が課された。原子力規制委員会の審査を通過し、地元自治体の同意を得て再稼働したのは、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)や九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)など9基だ。
      https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210304-OYT1T50305/

      削除
    2. 判断力ある専門家不可欠…[語る]<3>元環境相 細野豪志氏 
      2021/03/08 05:00
      震災10年

      最悪のシナリオ 米と共有

      背骨折れる

      ほその・ごうし 民主党政権で首相補佐官、原発相、環境相などを務めた。現在は無所属だが、自民党二階派の特別会員。衆院当選7回。49歳。

       2011年の東京電力福島第一原発事故では、首相補佐官として数々の危機対応にあたりました。最も厳しかったのは、3月16日に、自衛隊ヘリによる3号機への注水ができなかった時でした。

       3号機は2日前の14日に建屋が爆発しており、東電本店内に設置された統合本部で作業開始を待っていました。北沢俊美防衛相(当時)から「線量が高く、放水を断念した」との電話を受けた時は、国家の背骨が折れるような戦慄せんりつを覚えました。

       それでも、17日には何とか注水を決行することができ、自衛隊の行動は日本を救ったと思います。警察や消防による地上からの放水も行われ、事態はようやく少し落ち着きました。

       事故発生からの一連の対応で、最悪の事態に備えた想定を作るべきだと感じました。菅かん直人首相(当時)にこの考えを進言し、菅かん氏が原子力委員会の近藤駿介委員長(当時)に依頼して報告書としてまとめられたのが、いわゆる「最悪のシナリオ」でした。首相官邸の幹部で共有しましたが、その場で回収し、公表しませんでした。あり得ないことをあえて想定したシナリオであり、公表すれば国民の動揺を招く恐れがあったからです。

       最悪のシナリオが必要だと考えた理由の一つには、米国が「4号機の使用済み核燃料プールに水が残っておらず、冷却が不可能になっている」との疑念を示していたこともあります。

      「福島を地元だと」

       日本政府として最悪の事態を事前に想定し、先手で対策をとる必要がありました。4号機のプールが冷却不可能になった場合を想定したシナリオを米国と共有するとともに、プールが瓦解しないための補強工事などの対策について説明しました。実際に4号機プールに残っていた水を採取して米国側に示すこともしました。こうした説明を丁寧に行うことで、米側の日本を見る目が変わりました。

       6月には原発相に任命され、原発内の問題に加え、周辺地域の除染の問題などについて本格的に取り組むようになりました。佐藤雄平・福島県知事(当時)から「福島を地元だと思って大臣をやってくれ」と声をかけられたことが印象深いです。

       原発事故の対応で、多くの専門家と接する機会がありましたが、専門的な知識だけではなく、限られた時間内で状況を判断する胆力が専門家には必要だと感じました。大震災から10年がたちましたが、こうした専門家はまだまだ日本には少ないのが現状で、育成が急務です。

       ◆最悪のシナリオ=福島第一原発事故を巡り、当時の菅(かん)直人首相が内閣府原子力委員会の近藤駿介委員長に作成を依頼し、2011年3月25日に提出された報告書。4号機の使用済み核燃料プールの冷却が不可能となり、大量の放射性物質が放出した場合、原発から半径170キロ圏内が「強制移転」、首都圏を含む同250キロ圏内が「任意移転」の対象となることなどが盛り込まれた。
      https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210307-OYT1T50000/

      削除
    3. 福島の食品 偏見なくす…[語る]<4>自民党元幹事長 石原伸晃氏
      2021/03/09 05:00 震災10年

      いしはら・のぶてる 第2次安倍内閣で環境相として福島県の除染事業を担当。自民党石原派会長。衆院当選10回。63歳。
      科学的知見基づき「安全」発信

      「全面協力」伝達

       2011年の東日本大震災当時、野党第1党の自民党幹事長として、被災地の状況把握に追われました。震災から2日後の3月13日には谷垣禎一・自民党総裁(当時)と2人で首相官邸を訪れ、菅かん直人首相(当時)に全面協力の意思を伝えました。

       被災地への支援では、様々な業界団体や企業とのネットワークを生かし、食料や衣類などの物資を被災地に届けてもらうよう手配するなど、自民党としてできることは何でもしました。

       しかし、当時の政権の震災対応には不満を感じていました。首相が自ら東京電力福島第一原発に出向いて現場に混乱を与えたほか、「菅かん降ろし」の動きが起きるなど民主党内の統制もとれていませんでした。その年の6月に提出した内閣不信任決議案は最終的に否決されましたが、「このままではいけない」という野党としてのメッセージを発信したという意味では、提出の意義はあったと思います。

      流通量増えず

       あれから10年がたち、津波被害にあった岩手、宮城両県の沿岸部では高台移転が進むなど、復興は進んでいると思います。

       しかし、原発事故が起きた福島県は、県産食品への風評被害が今も続いています。食品の放射性物質については震災前よりも厳しい、1キロ・グラムあたり100ベクレルという基準を設けているにもかかわらず、流通量は少ないままです。この状況は、風評被害というよりも「偏見」と言わざるを得ません。

       また、福島には日本の原風景が残る里山が多くあります。元々は、そこで採れた山菜やキノコ類が農家の人々の副収入となっていました。これらも風評被害で売れなくなった結果、里山に人が立ち入らなくなり、荒れ果ててしまいました。「偏見」をなくしていくためには科学的知見に基づいて、福島の食品が安全であるということをしっかりと発信していきたいと思っています。

       一方、この10年で国民の防災への意識は大きく変わりました。今後予想されている大震災や津波の被害に備えて各地で様々な訓練が行われており、地震保険の加入率も上がっていると聞きます。

       ただ、東日本大震災自体への国民の関心が薄れていることは心配です。2万人を超える死者・行方不明者が出たという事実は、とても大きなことです。節目ごとに当時を思い出し、今後の対策を考え直す機会にしていかなければなりません。

       ◆食品の放射性物質=国は東日本大震災後の2012年4月、食品中の放射性セシウム濃度の新たな基準値を設けた。野菜や米などの「一般食品」は1キロ・グラムあたり100ベクレル、「乳児用食品」「牛乳」は同50ベクレル、「飲料水」は同10ベクレルと定められている。
      https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210308-OYT1T50263/

      削除
    4. 緊急時へ準備 予断なく…[語る]<5>元内閣危機管理監 伊藤哲朗氏
      2021/03/10 05:00 震災10年

      原発初動 チーム置き去り

      別の指示系統

      いとう・てつろう 1972年警察庁入庁。警察庁生活安全局長、警察大学校長を経て、2006年に警視総監。08年に内閣危機管理監に就任し、11年に退官。72歳

       2011年3月11日の東日本大震災の発生直後から首相官邸地下の危機管理センターで、各省庁の幹部らによる緊急参集チームとともに初動対応にあたりました。

       政府の緊急対応の要である内閣危機管理監として、全国から被災地に警察、消防、自衛隊、災害派遣医療チーム「DMAT」を速やかに派遣するなど、地震そのものの対応は、多くの点で円滑に進みました。しかし、東京電力福島第一原発の事故対応は別でした。

       政治家や東電の幹部、原子力の専門家らが集まっていた官邸5階で、私や緊急参集チームが対応している危機管理センターとは別に、情報収集と指示が行われており、情報が分断され、初動が混乱しました。

       避難区域の指定や計画停電の実施を巡っても、我々が置き去りにされ、政治家の判断を修正したり、後追いしたりする形で対応しなければならなかったのは大きな反省点です。

       緊急事態は日常では経験しにくいため、日頃の訓練が重要です。原子力災害が起きた場合に備えた訓練は原発事故前も実施されていましたが、東電や原子力関係者が全く対応できなかったのを見ると、「大きな事故は起きないだろう」という甘えがあったと言わざるを得ません。

      経験生かし

       政府は11年12月に、福島第一原発の原子炉が「冷温停止状態」を達成したと宣言しました。私はその前から冷温停止を一つの区切りとし、内閣危機管理監の職を辞すると決めていました。12月末に退任した際、震災対応にあたった9か月間は、何年分もの長さに感じられました。

       その後の政府の災害対応については、自治体からの要請を待たずに物資を届ける「プッシュ型支援」が実施されるなど、東日本大震災の経験が生かされ、対応力は年々向上しています。

       ただ、自治体単位でみると、対策は十分とは言えません。大規模災害が起きた際に国の機関からの情報も含め被害状況を一元的に把握できる国の危機管理センターのような仕組みを充実させていくべきだと考えます。

       昨年来、政府は新型コロナウイルス感染症への対応に追われています。感染症は、災害や原子力事故と事象は違っても、危機管理という意味では同じです。各省庁の豊富な知恵を生かし、政府一体となって取り組んで、この危機を乗り越えてほしいものです。

       ◆内閣危機管理監=1995年の阪神大震災で官邸の情報集約が遅れたことを教訓に、98年に新設された。初代は安藤忠夫氏で、歴代警察庁OBが務めている。大規模災害や重大事故の際、省庁間の総合調整を担う強力な権限を付与されている。
      https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210310-OYT1T50042/

      削除
    5. 厳しい局面 最後は自衛隊…[語る]<6>元統幕長 折木良一氏
      2021/03/11 05:00

      備蓄・訓練 国民も平時から

      「阪神」の反省

      おりき・りょういち 1972年防衛大学校卒業、陸上自衛隊入隊。陸上幕僚長などを歴任し、2009年3月から12年1月まで統合幕僚長を務めた。71歳

       東日本大震災では、陸海空合わせて最大時約10万7000人の自衛官を被災地に動員しました。

       これだけの対応が可能だったのは、1995年の阪神大震災で初動が遅いと批判されたことが一つのきっかけです。その後も災害が頻発し、法整備や自治体との連携も強化され、発生したらすぐに動き出すという意識が高まっていました。

       統合幕僚長として最も厳しい判断を強いられたのは、東京電力福島第一原発事故です。当初、原子炉の状況が分からないだけではなく、首相官邸や東電がどう対応しようとしているのかの情報も不足していました。そのため、事態の深刻さを認識できておらず、東電の対応で何とか収束するだろうと思っていました。震災3日後の3月14日に3号機が爆発し、一気に危機感が高まりました。

       情報が共有されないことは、それ自体が脅威です。米軍はトモダチ作戦で、日本人目線で活動してくれた一方、米政府は原発事故を巡って発生当初、十分な情報が伝わってこないことに不信感を持っていました。あの状況が続けば、日米同盟も揺らぐことになったと思います。

       そんな中、米軍制服組トップのマレン統合参謀本部議長(当時)との電話会談で「自衛隊が前面に立たないといけない」と言われたことを今でも覚えています。米軍は自衛隊が前面に立って取り仕切るべきだと考えていたようですが、米軍と自衛隊では権限や能力が異なります。自衛隊は当時、放水活動の際に原発で活動する警察、消防の部隊との総合調整という初めての任務を与えられましたが、「調整」であり、「統制」ではありません。そもそも、自衛隊の原発に対する知見、能力は限られています。

      強い気持ちで

       それでも、最後の厳しい局面は、自衛隊が引き受ける覚悟は決めていました。3月17日には陸上自衛隊のヘリコプターによる3号機の核燃料プールへの放水を実施しました。危険を伴う任務でしたが、とにかく事故を収束させるという強い気持ちで、自衛隊員を動かしました。

       これまで自衛隊は手探りで災害対応にあたり、結果としてうまくいきました。しかし、自衛隊は四次元ポケットを持ち、どんな難題でも解決できる「ドラえもん」ではありません。人員や装備などには限界があります。災害派遣と並行して防衛・警戒任務もあります。

       南海トラフ地震などで、非常に広範囲にわたり同時多発的に被害が出た場合、東日本大震災時のように発生直後から大部隊を局所的に集中的に投入することは難しいです。どんな形にしろ自衛隊は出動してまず人命救助にあたりますが、国民も平時から物資を備蓄し、防災訓練に参加するなど、自助を基本に考え、大災害に備えてほしいと思います。(おわり)

       ◆トモダチ作戦=米軍が展開した東日本大震災の被災地支援活動。最大で兵士ら約2万4000人が投入され、自衛隊と協力しながら、食料品や水、燃料などの物資輸送や、被災者の捜索・救助活動などにあたり、原発事故への対応にも協力した。



       この連載は石川有希子、依田和彩、中山潤が担当しました。
      https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210311-OYT1T50004/

      削除
  91. 原発事故10年 OECDが事故の教訓や課題まとめ報告書公表
    2021年3月4日 6時30分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故から10年となるのにあわせて、OECD=経済開発協力機構の原子力専門機関が事故の教訓や課題をまとめた報告書を公表し、廃炉や復興に関わる政策の意思決定に住民をはじめ関係者の関与を強めていくことが欠かせないと指摘しました。

    OECDの専門機関のNEA=原子力機関は3日、東京電力福島第一原発の事故について、これまでの日本政府の取り組みや世界に与えた影響などをまとめた報告書を公表しました。

    この中で、事故を教訓に世界各国で地震や洪水といった自然災害や電源の喪失などの事態への備えが強化され、原発の安全性が高まったとしています。

    一方で事故は、原発に対する国民の信頼が簡単に失われ、取り戻すことは極めて難しいことを示したと指摘し、世界各国で政府や産業界などだけで行う原子力政策の意思決定の在り方に見直しを迫られたとしています。

    そのうえで今後の廃炉や復興に関わる政策を決めるうえで、住民や地元自治体、NGOの関与を強めていくことが信頼性や正当性を得る上で欠かせないと指摘しました。

    報告書は英語で公表され、近く日本語にも翻訳される予定です。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210304/k10012896291000.html

    返信削除
  92. 社説
    大震災10年 原発の将来像をどう描くのか
    2021/03/05 05:00

     東日本大震災から10年を迎える今もなお、東京電力福島第一原子力発電所の事故処理作業が続いている。完了まで30~40年かかると想定される。廃炉への道のりは遠い。

     原発事故や津波の影響で、福島県では一時、16万人以上が避難を強いられ、今も3万人以上の避難者が県内外で生活している。帰還困難区域は、7市町村の計337平方キロ・メートルに及んでいる。

     溶融燃料の取り出しは、放射線量が高く、作業員が近づけないため、思うように進んでいない。東電は、信頼回復のためにも、廃炉を着実に進める責任がある。

     福島第一原発の敷地には、汚染水を浄化した処理水をためるタンクが1000基以上ある。海洋放出が避けられない状況だが、海産物への風評被害を懸念する漁業関係者らが反対している。

     政府は、処理水の海洋放出が環境や人体に影響しないことを丁寧に説明しなければならない。

     震災前、全国に50基以上あった原発は、事故の影響で、老朽施設を中心に廃炉が決まった。残る33基のうち、再稼働にこぎ着けたのは9基にとどまっている。

     政府は電力需要に対する原子力発電の比率を2030年度に20~22%とする目標を掲げているが、達成はおぼつかない。

     50年までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロにする方針も打ち出した。今後、太陽光や風力を使った再生可能エネルギーの利用が伸びたとしても、二酸化炭素を出さない原発の利点は大きい。電力の安定供給にも役立つ。

     再稼働の前提となる原子力規制委員会の安全審査は、長い時間がかかる。規制委は電力会社の意見を聞きながら、安全性の確保と審査の迅速化を両立させる方法を検討すべきではないか。

     遅々として再稼働が進まない背景には、原発に対する国民の根深い不信や不安もある。政府は、今後の原発の役割を含めたエネルギー政策の議論を深め、方向性を明確にすることが大事だ。

     高レベル放射性廃棄物の処分は、原発を廃炉にするにしても避けて通れない課題だ。長く膠こう着ちゃく状態が続いていたが、北海道寿都町などが昨年、処分場建設に向けた第1段階の調査に名乗りを上げ、選定プロセスが動き出した。

     原発関連の事業は数十年単位の計画になる。落ち着いた環境で冷静に検討したい。政府は、福島第一原発の処理を着実に進めつつ、世界的な脱炭素の流れに対応する国家戦略を練ることが重要だ。
    https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20210304-OYT1T50253/

    返信削除
  93. 震災のドサクサにまぎれて何をわりこませてんだか…

    返信削除
  94. 原発避難“国の対応に過失”福島 飯舘村の住民 国と東電を提訴
    2021年3月5日 17時40分

    福島第一原発の事故からまもなく10年になります。事故直後に国が対応を誤ったことによって避難が遅れ、被ばくしたなどとして、当時、福島県飯舘村に住んでいた29人が国と東京電力に慰謝料の支払いを求める訴えを起こしました。

    福島県飯舘村に住んでいた29人は5日、東京地方裁判所に訴えを起こし、東京 霞が関で会見を開きました。

    飯舘村は大部分が原発から半径30キロ圏外で、事故直後は避難の必要はないとされましたが、およそ1か月後に計画的避難区域に指定され、一時、すべての住民が避難を余儀なくされました。

    訴えによりますと、事故直後に放射線量が高まった情報が住民に伝えられず、避難する機会を奪われ被ばくしたとして、国の対応に過失があったと主張しています。

    また、全村避難によって自宅や田畑を奪われるとともに地域のコミュニティーも壊され、ふるさとを失ったとして、国と東京電力に対し、合わせて2億円の慰謝料の支払いを求めています。

    弁護団によりますと、事故直後の被ばくに対して慰謝料を求める集団訴訟は初めてとみられるということです。
    訴えた住民の代表の菅野哲さんは会見で「この10年で病気も見つかっているが、放射線の影響がなかったか不安になり、この先も不安は続いていく。国と東京電力の責任を問いたい」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210305/k10012899821000.html

    返信削除
  95. [サイエンス Report]東日本大震災10年 続く健康調査…被曝の影響 確認されず
    2021/03/07 05:00 震災10年

     東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故により、福島県民は生活に大きな変化を強いられることになった。県は住民の健康を継続的に見守るため、六つの大規模な調査を実施。この10年で原発事故の被曝ひばくを原因とする健康被害は確認されていないと説明する。ただ、避難の影響とみられる生活習慣病や心理的苦痛などに苦しむ人は依然として多い。(服部牧夫)

    甲状腺検査に向かう家族連れ(2011年10月、福島市の県立医大付属病院で)

    福島 癒えない心身の傷

    ■「妊産婦」終了へ

     先月13日、福島市で開かれた市民向けのシンポジウム。「早産や低出生体重児、先天奇形・先天異常の発生率は全国レベルとほぼ同じだった」。福島県立医大の藤森敬也主任教授は、約10年続けてきた「妊産婦調査」結果を報告。福島の妊産婦や事故後に生まれた子供に被曝影響が出ていないことを強調した。

     原発事故で住民が被曝した福島では、健康被害への不安が広がった。一部のメディアが「子供の奇形が増える」などとあおり立てた影響も長く残った。

     だが、「基本調査」と呼ばれる全県民約200万人を対象にした外部被曝線量の推定では、事故後4か月間で調査実施者の99・8%が「5ミリ・シーベルト未満」。内部被曝(生涯の推定被曝線量)の検査でも、99%以上が「1ミリ・シーベルト未満」にとどまる。いずれも健康影響が確認されるレベル(100ミリ・シーベルト)よりはるかに低い。

     さらに、先天奇形・先天異常の発生率も一般的には3~5%とされるが、事故後8年間の妊産婦調査では2・19~2・85%と、むしろ低水準だった。また、早産率は4・8~5・8%(2017年の全国平均5・7%)、2500グラム未満の低出生体重児の発生率は8・9~10・1%(同9・4%)で、いずれも全国平均とほぼ同水準だった。

     不安解消に十分なデータが得られたとして、県の有識者会議は今年度で妊産婦調査を終了させる方針だ。藤森教授は「福島で安心して出産してもらうためにはデータを積極的に公開し、理解を広めていくことが大切だ」と訴える。

    203人が手術 過剰診断か

    ■甲状腺検査

     県は、事故当時18歳以下の約38万人を対象に「甲状腺検査」も実施している。1986年に起きたチェルノブイリ原発事故で、周辺地域の子供1万9000人以上が甲状腺がんになったことを受けたものだ。

     これまで「甲状腺がん、またはがんの疑い」と診断されたのは252人で、このうち手術を受けたのは203人。この結果について医師と放射線の専門家でつくる県の専門家部会は「放射線の影響とは考えにくい」と評価した。同じ対象者に対する1、2巡目の検査(2011~15年度)の結果解析に基づく判断だ。

     検査しなければ生涯気づかない、治療の必要のないがんまで見つけた「過剰診断」だったのではないか――。検査を巡っては、こんな指摘も専門家から出ており、有識者会議が検査のあり方を議論している。

     甲状腺検査は、将来の原発事故への教訓も残した。

     事故で飛散した放射性物質のうち放射性ヨウ素は喉の甲状腺に集まる性質があるが、放射性物質が自然に崩壊して半分の量になるまでの時間(半減期)が約8日間と短い。そのため健康への影響を把握するのに事故直後の被曝量測定が欠かせないが、測定を受けたのは、2011年3月24~30日に行われた検査での約1000人にとどまった。

     この反省から原子力規制委員会は先月から、今後の事故に備えて、甲状腺の被曝量を迅速に測定する仕組み作りを進めている。

    子や孫の将来「不安」35%

    ■関連死2313人

     一方、福島では糖尿病や高血圧といった生活習慣病に苦しむ人が増えている。

     「健康診査」では、糖尿病やその疑いがあることを示す「ヘモグロビンA1cが6%以上」の人は、40~64歳で11・8%(11年度)から15・8%(18年度)に上昇。65歳以上でも上がっていた。農作業など体を動かす機会の減少が背景にあるとみられる。

     避難指示区域の住民らを対象にした「こころの健康度調査」(19年)でも、心理的苦痛を抱える人の割合が5・7%と国内平均(3%、平常時)を上回った。避難の経験や先の見えない生活などを負担に感じた人が多いとみられ、「震災関連死」は2313人と宮城(929人)や岩手(469人)を大幅に上回る。

     今も放射能に不安を感じている人は多く、同調査のアンケートでは「被曝によって子や孫の世代に健康影響が出る可能性」について35・9%が「非常に高い」「高い」と回答。事故当時小学5年だった長女(21)を持つ浪江町の女性(55)は「将来、娘の体に不調が出たらどうしようという思いが消えない」と打ち明ける。

     福島県内の医療機関に勤める越智小枝おちさえ医師は「福島の人々は帰還が遅れ、ストレスが長く健康に影響してきた。生活支援や精神的ケアなど多面的なサポートが必要だ」と指摘している。

    岩手・宮城 生活習慣病が増加傾向…沿岸部 不眠や肥満、飲酒絡み相談も

     健康調査は宮城、岩手でも毎年、行われている。生活習慣病を抱える人の割合が高まっているほか、不眠など心の不調に悩む人も多い。

     宮城県の2019年度の調査では、65歳以上の独り暮らし世帯は34・5%(15年度比9・9ポイント増)。高血圧との回答は34%(同6・2ポイント増)、糖尿病があるとの回答は11・7%(同1・5ポイント増)に上った。「眠れない」との回答は19年度までの5年間、15~16%台で推移している。

     宮城沿岸部では、日常的な不安や不眠などの相談が年間約3万件あり、09年度比で3倍近くの状態だ。県担当者は「仮設住宅から災害公営住宅への転居など、環境変化によるストレスが主な要因ではないか」と分析。飲酒に絡む相談も年間2000件前後と高止まりしている。

     一方、岩手県では19年度、厚生労働省の事業として岩手医科大が沿岸部の住民約3600人を対象に健康調査を実施。肥満の割合は男女とも30%を超え、高血圧、糖尿病の割合は男女とも15年度比で増加していた。同大の坂田清美教授(予防医学)は「10年近くたっても住民の心身の健康問題は残されている。継続的なケアが必要だ」と話している。(井上亜希子)

    データ共有 教訓生かそう…福島県立医大 坪倉主任教授

     健康調査の現状と課題について、福島県立医科大学で放射線健康管理学講座の主任教授を務める坪倉正治さん(39)=写真=に話を聞いた。(聞き手 服部牧夫)

     健康調査の結果から、福島ではがん患者が増加したり、子や孫へ何らかの影響が受け継がれたりする状況に全くなっていない。子供の甲状腺検査でも放射線の影響は出ておらず、残りの解析で結論が変わることはないとみている。

     甲状腺の被曝量測定は約1000人にとどまったが、海外では「事故直後の全員測定は不可能」と考える研究者が多い。測定よりも早く逃げることの方が大事だからで、今後の原発事故を想定するならば避難と測定のバランスを取ることが重要だ。

     東日本大震災の被災地では健康や生活の問題が複雑に重なり、高血圧などの病気を抱える人が多いが、ラジオ体操で体を動かしたり、人々が交流したりすることで健康を維持できることもある。こうした成功事例や健康調査のデータを他の被災地と共有し、教訓を生かしていくことが大切だ。
    https://www.yomiuri.co.jp/science/20210306-OYT8T50079/

    返信削除
  96. 「理想論だけでは…」帰還前提の復興「限界」…[教訓]<3>
    2021/03/08 05:00 震災10年

    東京電力福島第一原発(奥)周辺に広がる中間貯蔵施設(2月25日、福島県双葉町で、読売機から)=大原一郎撮影

     過度な理想や目標はときに現実をゆがめる。東京電力福島第一原発事故の10年を振り返るとき、どうしても避けて通れないのが、<放射線量1ミリ・シーベルト以下まで除染>と<2051年までに廃炉完了>という二つの数値目標だ。

     事故後に慌てて、安全基準を作り始めたことが致命的だった。国際基準を参考に、帰還の目安は20ミリ・シーベルトとされた。1ミリ・シーベルトは長期の努力目標だった。政府関係者は「独り歩きして絶対基準になってしまった」と言うが、被害を受けた地元住民にとって低い値が好ましく見えるのは当然だろう。

     ただ、1ミリ・シーベルトは作業上あまりに厳しい数字だと後になってわかった。結果的に避難指示解除が遅れ、避難先での生活が長期化し、帰還が滞る要因になった、と言わざるをえない。

     こうした除染ありきの復興に一石を投じたのが、福島県飯舘村の前村長・菅野典雄さん(74)だ。昨年2月、居住を前提にしないなら、広域の除染を行わなくても、避難指示の解除ができる仕組みの導入を政府に求め、認められた。「理想論だけでは限界がある。一歩前に進むためには、現実を見ながら考えるしかない」

     福島第一原発の廃炉工程も事情は似ている。

     政府と東電が、廃炉完了を「30~40年後」と発表したのは11年12月。この10年で、炉心溶融した格納容器内部の全容解明には、途方もない時間がかかることがわかってきた。日本原子力学会からは、更地にするまで「100年」との試算も出ているが、完了目標は修正されない。

     原発周辺に建設された中間貯蔵施設の汚染土保管期限も<最長30年>のままだ。その後、県外で処分するとする約束は大丈夫か。

     今も3万人以上の避難者がいる中、帰還を前提にしてきた市町村の復興も、見直しの時期が来る。例えば浪江町の19年度財政。人件費など避けられない支出が、一般財源に占める割合を示す経常収支比率は97・8%だ。震災前より15ポイント悪化した。自由なお金がほとんどない危険ゾーンだが、多くの住民が、避難先での定着や、故郷に近い市町への転居を選択している。

     来年ようやく住民の帰還が始まる双葉町の町長・伊沢史朗さん(62)は「多くの住民に戻ってほしいが、帰還しない人をいつまでも町民として支援するのは無理がある。そういう時期に来ている」と言う。ただ、あきらめてはいない。損傷のなかった原発2基を廃炉の実証施設として残し、これから廃炉が進む世界に最先端技術を発信してはどうか。伊沢さんは思い描く。「福島のマイナスイメージをひっくり返したい」

    (社会部 安田信介、福島支局 柿井秀太郎)
    https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20210308-OYT1T50031/

    返信削除
  97. 社説
    大震災10年 東北の魅力を生かす産業に
    2021/03/08 05:00

     国の支援が先細りする中で、いかに活力ある産業を育てられるか。東日本大震災から10年を迎える被災地が直面する重い課題である。

     これまでの国の復興事業もあり、工場などの生産設備はほぼ復旧した。岩手、宮城、福島3県の製品出荷額は震災前の水準を上回った。長期に及ぶ支援と被災者の努力が実を結んだと言えよう。

     被災した漁港や農地の整備も進んだ。ただ、回復状況は地域や業種ごとに大きく異なっている。

     地域経済を支えてきた水産加工業の遅れが目立つ。震災で販路を失った影響が尾を引いている。人手不足も深刻で、外国人技能実習生に頼っているのが実情だ。

     基幹産業の盛衰は、地域の行く末を左右する。国と自治体が販路の開拓や企業間の連携を支援し、弱体化を防がねばならない。復興事業で工事を請け負ってきた建設や土木などの産業が苦境に陥らないよう目配りする必要もある。

     国は今後、原子力発電所の事故に見舞われた福島県の復興に重点を置く方針だ。支援が縮小される岩手、宮城両県は、自力で地方創生に挑むことになる。

     東北の持ち味を生かした産業を育ててほしい。沿岸部や内陸部に道路が整備された。震災前より充実した物流網を、販路の拡大につなげたい。将来にわたって持続可能な産業にするためには、地産地消の観点も重要になる。

     津波の被害を受けた土地の活用が進んでいる。岩手県大船渡市には、トマトの大規模栽培施設が作られた。宮城県の沿岸部には大型サイクリング施設などが整備され、多くの人が訪れている。

     不漁で水揚げが低迷する中で、岩手県はトラウトサーモンや銀ザケなどの養殖に力を入れ、「育てる漁業」への転換を図っている。こうした前向きな取り組みをしっかりと後押ししたい。

     福島県では、新しい産業の創出に向けた試みが進んでいる。

     国と県の主導で、ロボットやエネルギーなどの研究施設が建設された。国は各施設の研究成果を組み合わせた産業を生み出し、地域の雇用につなげたいとしている。地元企業との連携も含め、早期に具体像を示してもらいたい。

     農地は集約と大規模化が進められている。軌道に乗せるには、担い手の確保が重要になる。

     原発事故から10年が経たっても、まだ放射線量が高く、住民が帰還できない地域が残されている。再生は容易ではない。復興への長い道のりを官民で支えたい。
    https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20210307-OYT1T50209/

    返信削除
  98. 福島第一原発事故 除染土など中間貯蔵施設に予定量の75%搬入
    2021年3月9日 5時43分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故により放射性物質で汚染された土などを保管する中間貯蔵施設には、先月末までに搬入予定量の75%が福島県内各地から運ばれました。
    一方、最終処分する場所や方法は議論が進まず、課題は残されたままです。

    福島県で行われた除染事業で発生した土や草木などの廃棄物は、原発周辺の帰還困難区域を除いて、東京ドーム11杯分に相当するおよそ1400万立方メートルが発生すると推計されています。

    これらは福島第一原発周辺に整備された中間貯蔵施設に運ばれることになっていて、環境省によりますと、先月末までに予定量の75%にあたる1048万立方メートルが搬入されたということです。

    環境省は残りの搬入を来年3月までにほぼ完了させるとしていて、6年前の2015年3月に始まった県内各地からの運搬作業は終盤に入っています。

    一方、法律では中間貯蔵施設で保管したあと、2045年までに福島県外で最終処分すると定められていますが、最終処分する場所や方法の議論はほとんど進んでいません。

    環境省は最終処分の量を減らすため、汚染の程度が一定の基準を下回った土などを公共工事などで再生利用する計画で、来年度から全国各地で対話集会を開き、再生利用の必要性などを説明することにしています。

    福島以外7県 汚染土など33万立方メートル

    除染は、福島県以外では岩手、宮城、栃木、群馬、茨城、千葉、埼玉の7つの県でも行われ、放射性物質で汚染された土などは、合わせておよそ33万立方メートル発生したということです。

    去年3月現在では、宅地や農地などおよそ2万9000か所で保管されていて、この7つの県では中間貯蔵施設が整備された福島のようには集約は進んでいません。

    また、処分方法も決まっていません。

    処分方法を決める環境省は、茨城県東海村や栃木県那須町で埋め立て処分したときの影響を調べる実証事業を行うなど検討を進めています。

    このほか、放射性物質に汚染された下水の汚泥や稲わらなども福島県以外の9つの都県で2万7000トン余りが発生していて、こちらも各地で保管が続いています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210309/k10012904641000.html

    返信削除
  99. 社説
    大震災10年 最悪想定し準備と訓練怠るな
    2021/03/09 05:00

     災害列島と言われる通り、日本は毎年のように地震や豪雨、台風などの被害に見舞われている。東日本大震災で得た教訓を生かし、災害に強い社会をつくらねばならない。

     東北沖は数十年周期で比較的大きな地震が起きており、警戒されていた。だが、東日本大震災のマグニチュード9という規模は予想をはるかに上回り、甚大な津波被害を招く結果になった。

     警戒が必要なのは東北に限らない。東海から九州にかけて大きな被害が想定される南海トラフ地震は差し迫った課題だ。最悪の場合、死者は23万人と推計される。国や自治体は、避難計画の策定を含め死者を減らす努力が不可欠だ。

     津波による死者が多かった東日本大震災に対し、1995年の阪神大震災では約6500人の死者の8割は建物倒壊によるものだった。関東大震災では、約10万人の死者の9割が焼死だった。

     災害は毎回、異なる様相を見せる。規模や発生時間帯など、あらゆる事態を想定し、最悪の状況に対応できるよう、入念な準備と訓練を怠らないことが重要だ。

     日本では60年代から、専門家による地震予知に力を入れてきた。しかし、東日本大震災で明らかになったのは、確度の高い地震予知は不可能だという事実だった。

     政府は2017年、正式にこのことを認め、現実的な防災・減災対策を重視する方針に転換した。災害の発生は防げなくとも、被害を軽減し、被災後の素早い復興を可能にするための対策が、これまで以上に重要度を増している。

     海溝型の巨大地震のほか、首都圏の直下で大地震が起きる脅威もある。木造住宅が密集した地域での火災や、高層ビルの被災など、都市型の災害に警戒が要る。

     近年は豪雨による大規模な水害も多発している。被害を最小限にとどめるため、堤防やダムに頼るばかりでなく、遊水地の整備や早期避難など、流域全体で対策に取り組む「流域治水」の考え方が注目されるようになった。

     大水害の発生時には、最大250万人の避難者が出るとされる東京都東部の地域では、早めに隣県の知人宅などに退避する「広域避難」などが検討されている。エレベーターに頼る高層マンションでの停電対策も考えるべきだ。

     学校や公民館など従来の避難場所にとどまらず、地域や家庭の実情に応じて、適切な退避方法を決めておくことが大切だ。災害対策に終わりはない。柔軟な備えで安全を確保し、命を守りたい。
    https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20210308-OYT1T50247/

    返信削除
  100. 「福島産食品ためらう」過去最低8.1%…安全性担保、風化も影響か
    2021/03/09 07:33 震災10年

     東京電力福島第一原発事故の影響で、福島県産の食品の購入をためらう消費者の割合は今年8・1%となり、過去最低になったことが消費者庁の調査で分かった。同庁は放射性物質の検査によって安全性が担保されていることに加え、事故から10年がたち、風化も影響していると分析している。

     調査は、風評被害対策のため、同庁が事故から約2年後の13年2月から半年~1年ごとに実施しており、今年で14回目。被災した福島など4県と、これらの地域の農林水産物を主に仕入れている東京や愛知、大阪などの大都市圏に住む20~60歳代の男女5176人が1月、インターネットを通じて回答し、先月26日に結果が公表された。

     放射性物質を理由に福島県産の食品購入をためらう人の割合は昨年の調査から2・6ポイント減り、初めて1割を下回った。初回の19・4%から比べると、半分以下となった。東北3県(福島、宮城、岩手各県)の購入をためらうとした人は6・1%、東北全域では2・2%で、いずれも過去最低だった。
    https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/news/20210309-OYT1T50090/

    返信削除
  101. 東日本大震災10年 福島の農業産出額や水揚げ量 震災前下回る
    2021年3月10日 4時51分

    東日本大震災から11日で10年です。被災地では農地や漁港などの復旧が進んだものの、福島県では農業産出額や水揚げ量が震災前の水準を下回っています。

    農林水産省によりますと、10年前の地震や津波によって農地や農業用施設、漁港などの農林水産関係の被害総額は、被災3県を中心に2兆4426億円に上りました。

    震災から10年となることし1月までに農地や漁港などはほぼ復旧し、2018年の農業産出額は、震災前の2010年と比べて岩手県は19%、宮城県は16%、それぞれ上回る一方、福島県では9%下回りました。

    特に福島第一原子力発電所周辺の12市町村では、震災前のおよそ3割にとどまり、農業者に対する意向調査でも、半数以上が農業再開の意向がない、または再開は未定だと答えています。

    また、水産業では、被災3県の主要な漁港でのことし1月までの年間の水揚げ量は震災前の69%にとどまっています。

    風評被害に加え、最近の不漁なども影響しているということです。

    このうち、試験操業が行われている福島県沖の沿岸漁業や海面養殖については、出荷制限が去年、すべて解除されたものの、水揚げ量は、震災前の17%にとどまっています。

    このほか、林業では被災3県の丸太の生産量は震災前を超える水準まで回復しましたが、福島県や宮城県などの一部の地域では原木しいたけや野生のきのこなどの出荷制限が続いています。

    農林水産省では、土地の集積を進めて農業の担い手の確保を図るほか、風評被害の払拭(ふっしょく)や販路の開拓などの支援を続けていく方針です。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210310/k10012906621000.html

    返信削除
    返信
    1. 福島原発事故から10年 農水産物などの風評被害今も続く
      2021年3月10日 4時53分

      東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から11日で10年となりますが、福島県産などの食品に対する風評被害は今も続いています。

      政府は被災地を中心に、農林水産物などの放射性物質の濃度を継続して調べています。

      震災後の2011年度に行われた最初の検査では、基準値を超えたのは全体の3.4%で、コメや野菜、果物、水産物など幅広い品目に及びました。

      今年度は、去年12月現在で基準値を超えたのは、一部のきのこや山菜類などで全体の0.025%まで減少しました。

      日本の基準値は国際的なルールと比べて10倍厳しいうえ、基準値を超えると出荷が制限されるため、政府は十分に安全性が確保されているとしています。

      しかし、消費者を対象にした調査では、放射性物質を理由に福島県産の食品の購入をためらうとした人の割合は8.1%、被災3県は6.1%で、調査を開始した8年前の半分以下まで下がりましたが、風評被害は今も続いています。

      また、海外では、震災後、最大で54の国と地域で日本産の一部の食品の輸入が規制されましたが、これまでにカナダやオーストラリアなど39の国で撤廃されました。

      しかし、依然として香港や中国、台湾、韓国など6つの国と地域が福島県産などの一部の食品について輸入の停止を続けているほか、EUとイギリスなどが、放射性物質の検査証明書の提出などを求めています。

      政府は食品の安全性に関する情報を積極的に発信し、国内外で風評被害の払拭(ふっしょく)に努めていくとしています。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210310/k10012906601000.html

      削除
  102. 福島第一原発事故 「将来の健康影響可能性低い」 国連が報告書
    2021年3月10日 7時31分

    放射線が人体に与える影響を分析する国連の科学委員会は、10年前の東京電力福島第一原子力発電所の事故による影響について報告書をまとめ、「被ばくが直接の原因となる健康への影響が将来的にみられる可能性は低い」と指摘しました。

    放射線の影響に関する国連の科学委員会=UNSCEARは9日、福島第一原発の事故による被ばくの状況や影響を分析し、報告書を公表しました。

    それによりますと、被ばくと住民の健康への影響について、「被ばくが直接の原因となる発がんなどの健康への影響が将来的にみられる可能性は低い」と指摘しています。

    そして、被ばくした子どもの間で甲状腺がんが増えている原因は、高感度のスクリーニングによる検査を行った結果だと指摘していて、いずれの年齢層でも被ばくが原因の甲状腺がんの増加はみられそうにないと分析しています。

    また、福島第一原発の作業員についても、白血病とがんの発生が増えることはみられそうにないと結論づけています。

    科学委員会は、福島第一原発の事故による影響などについて2013年にも報告書をまとめ、「被ばくによるがんの増加は予想されない」などと結論づけましたが、今回、その後のデータを追加して分析した結果、全体として2013年の報告書の結論がおおむね確認できたとしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210310/k10012906801000.html

    返信削除
    返信
    1. 福島原発事故、「がん増加する可能性は低い」…国連科学委が論文や調査から見解
      2021/03/09 22:42
      震災10年

       世界の放射線医学の専門家らが参加する「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」は9日、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響に関する新たな報告書を公表した。住民の避難経路などを精査した結果、被曝ひばく線量は高くないと推定し、「将来にわたり被曝を直接原因とするがんなどの健康影響が増加する可能性は低い」と予測した。

       同委員会は原発事故の影響などについて、世界中の論文や調査を基に見解をまとめている。2013年にも同事故の報告書をまとめたが、論文などが少なく暫定評価にとどまった。今回は500本超の論文などを検討。甲状腺の平均被曝線量は、原発周辺から避難した1歳児で2・2~30ミリ・シーベルトと推計、13年報告の15~83ミリ・シーベルトより大幅に減った。

       報告書は福島第一原発事故の歴史的評価とされ、各国政府が被曝管理に生かす基礎資料となる見通し。

       同事故を巡っては、チェルノブイリ原発事故で1万9000人超の子供が甲状腺がんになったことから、福島県が事故当時18歳以下だった約38万人を対象に甲状腺検査を実施。252人ががんやその疑いと診断されたが、その原因について県の専門家部会は「放射線の影響とは考えられない」と結論付けた。今回の報告書も同様の見解を示し、治療しなくても死亡などに至らないタイプのがんを高精度の検査機器で見つけた「過剰診断」の可能性があると指摘した。
      https://www.yomiuri.co.jp/science/20210309-OYT1T50297/

      削除
    2. 国連の「科学委員会」…

      気候変動、エマージングディジーズ(パンデミック)…

      削除
    3. 「現実」を「創造(創作捏造)」するヒトビト。

      削除
  103. 社説
    大震災10年 惨禍の教訓を次代につなごう
    2021/03/11 05:00

    ◆復興の成果と課題を検証せよ◆

     東日本大震災から10年を迎えた。死者・行方不明者は2万2000人を超える。震災の体験を語り継ぎ、次代の教訓としなければならない。

     巨大な津波が海辺の街をのみ込んだ。家や車が押し流され、人々が逃げ惑う。壊滅的な打撃を受けた被災地の姿が脳裏に蘇よみがえる。

    ◆記憶の風化を防ぎたい

     政府主催の追悼式が11日、東京都内で行われる。今年が最後で、天皇、皇后両陛下が臨席し、天皇陛下がお言葉を述べられる。

     地震発生時刻の午後2時46分、亡くなられた方々への哀悼の意を込めて、黙祷もくとうを捧ささげたい。

     岩手、宮城、福島の3県で進められてきた生活基盤整備がほぼ終了し、住宅や道路は復旧した。震災後に造成された土地に新しい家や施設が立ち並び、惨禍の痕跡さえ見つけられない地域もある。

     防潮堤の建設や造成した高台への集団移転などの複合的な対策によって、被災地で暮らす人々の安全性は格段に高まった。

     あの日、津波に襲われた被災地を見て、再生はかなわないと感じた人も多いだろう。30兆円超の予算を投じた事業は、被災者のひたむきな努力と相まって、確かな成果を残したと言える。

     震災を機に、全国の自治体がハザードマップや避難計画の策定などを進めてきた。露あらわになった防災の弱点を克服するためだ。

     それでも、地震や豪雨災害が起きる度に、新たな課題が浮上する。ハードとソフトの両面から減災対策を追求し、災害に強い国づくりを進めなければならない。

     時が経たつにつれ記憶の風化は進む。読売新聞の世論調査では、被災地への国民の関心が薄れていると感じる人が9割を超えた。

     教育現場で震災の教訓を伝えることが大事だ。資料保存の取り組みや語り部活動を支えたい。記憶を次の世代に伝え、未曽有の体験と向き合い続けることは、将来の被害軽減につながるはずだ。

    ◆災害に強い街づくりを

     震災後、政府は「創造的復興」の理念を強調した。単なる復旧ではなく、地方創生を先導するような復興を図るとの趣旨だった。

     現実には多くの被災地で、住民が避難先から戻らず、造成地に空き地が広がっている。人口減と高齢化が進み、基幹産業である水産加工業の回復は滞っている。

     理念の実現を阻んだ要因は、どこにあるのか。国は復興事業の成果と課題を検証してほしい。

     当時の民主党内閣は、復興事業費の全額を国費で賄う措置を取った。自治体に重荷を負わせないという狙いだったが、逆に、事業内容の吟味が甘くなり、肥大化につながったことは否めまい。

     国費で作られた施設の維持管理費は今後、自治体が支出することになる。高齢化の進展に伴って、社会保障費も増えるだろう。自治体が財政負担に耐えられるのか、十分な検討が必要になる。

     住民との合意が不十分なまま、巨大な防潮堤が建設された街もある。海が見えなくなった古里に、喪失感を覚える人は多い。

     災害の発生直後は、生活再建に追われる被災者が街づくりに異を唱えることは難しい。かといって、合意を尊重して復興に時間をかけすぎれば、避難先から戻れなくなる人が増えてしまう。

     このジレンマを解消するには、自治体と住民が平時から復興のあり方を話し合う「事前復興」の取り組みが重要になる。

     被害想定を踏まえ、被災した場合の街づくりの方向性を定め、指揮命令系統や手順を決めておく。事前に青写真を描くことは、円滑な復興の実現に資するだろう。

     東京電力福島第一原子力発電所事故が起きた福島県は、再生への道筋を見いだせずにいる。

     約3万6000人の避難者が今も県内外で暮らしている。放射線量が高く、住民が戻れない帰還困難区域はバリケードで封鎖され、朽ちた家が取り残されている。

    ◆福島再生も地域主体で

     原発の廃炉には30~40年を要する。溶融燃料を取り出す作業は思うように進まず、処理水の海洋放出は風評被害への懸念から、実施の見通しが立っていない。

     国はロボットなどの研究施設を沿岸部に集積した。新たな産業を創出して日本の競争力を高め、成果を世界に発信するという。すでに500億円超を投じたが、目標としている地域の雇用に結びついているとは言い難い。

     国が事業の先頭に立つのは当然だが、理想を追い求めるあまり、住民を置き去りにしては、再生はおぼつかない。地域の声に耳を傾けながら進めることが重要だ。
    https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20210310-OYT1T50212/

    返信削除
  104. 福島 新スローガンは『ひとつ、ひとつ、実現する ふくしま』
    2021年3月12日 21時05分

    福島県は東日本大震災と原発事故から10年がたった福島の復興を内外に発信する新しいスローガンとして、『ひとつ、ひとつ、実現する ふくしま』を掲げ、PRを進めると発表しました。

    これは12日、内堀知事が発表しました。

    福島県は、震災と原発事故のよくとし「ふくしまから はじめよう」をスローガンに掲げ、複合災害から立ち直って新しい社会を創造していく決意をこれまで内外に発信してきました。

    そして、11日で発災から10年となったことから、新しいスローガン『ひとつ、ひとつ、実現する ふくしま』を12日から掲げていくと発表しました。

    内堀知事はメッセージに込めた思いについて「10年で、『はじめる』から『かなえる、実現する』に軸足を移すことを明確にした。大きなプロジェクトのみならず身近な取り組みまで、ひとつひとつ結果を出していき、これからの5年、10年で、福島の本当の復興が見えてくるようにしたい」と話していました。

    スローガンに合わせて、青や赤、緑など7つの色を使い、福島県の地図をかたどったカラフルなロゴデザインも発表されました。

    福島県は、ロゴをあしらった缶バッジやマスク、ステッカーなどを作成し、これを身につけてPRする「広報隊」を県内外から募っています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210312/k10012912511000.html

    返信削除
  105. [スキャナー]維持費急増、悩む自治体…被災地インフラ
    2021/03/11 06:49
    震災10年

    水道管 女川、総延長13倍に

    宮城県女川町で進められた高台の造成(2015年9月5日)

    町内の高台には災害公営住宅などが建設された(17年3月10日)

     東日本大震災の被災地では、高台や内陸への集団移転などによって、上下水道や道路の維持管理費が大きく増えた。復興事業として新たに整備されたインフラは、40~50年後に一気に更新時期を迎えることになり、巨額の費用が必要になる。復興を終えようとしている被災地の自治体は、新たな課題を突きつけられている。(盛岡支局 中根圭一、冨田駿)

    ■職住分離

     「維持管理費が膨大になり、先が見通せない」。宮城県女川町の職員は頭を抱える。同町では新たに整備された水道管は160キロ、下水道管は3・6キロ。総延長はそれぞれ震災前の13倍、3倍に延びた。

     同町では震災後、沿岸部を商業エリア、高台を居住エリアにする「職住分離」の街づくりを進めてきた。高台には16地区、計約300戸が整備され、住民が住む区域は広がった。水源から高台の各家庭への距離は長くなり、維持管理費は上下水道合わせて、年間4000万円増えた。

     岩手県釜石市。2019年にラグビー・ワールドカップの試合会場の一つとなった「釜石鵜住居うのすまい復興スタジアム」が立つ地域には、20キロの下水管が新たに敷設された。元々は下水道が未整備で、浄化槽を使っていた。震災後、地盤を高くする「かさ上げ」工事が行われ、下水道を引いた。市全体の下水道管は1・5倍に増え、年間の維持管理費は1000万円増えた。

    ■費用捻出

     釜石市は維持管理費を捻出するため、現在約420人いる職員のうち53人を、25年度までに削減する目標を決める方針だ。

     宮城県南三陸町は水道料金を見直し、24年度に8%程度値上げする予定だ。今後40年間の上水道の更新費用は年平均5・6億円と試算するが、今の財政状況では、年1億円程度が限界だという。町の担当者は「これまでのような国の支援は期待できない。町民に協力してもらうしかない」と話す。

     被災地では市町村管理の道路も613キロ増えた。高台造成を49か所で行った宮城県気仙沼市では、高台に住む約900世帯から数万円を徴収し、その一部を道路管理費に充てている。

     市内の道路は震災前より計32キロ延びた。山林を切り開いた道路ののり面は、除草作業などが必要で、年500万円の費用がかかる。同市住宅課の熊谷理仁主事は「維持管理費をどう確保するかは中長期的な課題。今後も住民の協力を得て、やりくりを続けたい」と語る。

    人口減、更新も不安

    ■耐用40~50年

     維持管理費のほか、将来の更新費も問題となる。水道管は40年、下水道管は50年が耐用年数とされる。被災地の自治体は40~50年後に迎えることになる。

     上下水道は、住民から徴収する使用料金で運営するのが原則だが、足りない場合は市町村税などが充てられる。ただ、人口減に伴い、料金収入や税収が減っていて、更新が進まない状況が、全国各地で起きている。

     厚生労働省によると、全国に張り巡らされた水道管72万キロ(18年度時点)のうち、耐用年数を超えているのは17%。老朽化すると、ボルト部分がさびて漏水し、道路の陥没などにつながるという。

     下水道も今後、老朽化が急速に進む。国土交通省によると、全国の総延長48万キロのうち、耐用年数を超えるのは5%(19年度)。29年度には16%、39年度には35%に達する見通しだ。

     被災地では、復興事業の長期化に伴い、仙台市やその周辺を除く自治体の人口減が一気に加速している。

     岩手、宮城、福島3県の沿岸37市町村では20年までに、人口が約12万4000人減った。そのうち、4万7000人は岩手県の12市町村だ。人口減少率は16・9%で、3県で最も高い。12市町村の新年度の市町村税総額(見込み)は、前年度より計約10億円少ない。

     女川町では、今後40年間で、下水道施設の更新費用が7億8800万円かかると試算する。人口は4000人(40%)減った。下水道の担当職員は「町の財政を考えると、更新費用を一度に捻出することは難しい」と漏らす。

     釜石市では今まさに、被災を免れた地域の下水管が更新時期を迎えている。付け替えには、年数億円が必要だ。国の補助があるとはいえ、負担は重い。人口は震災前より7600人(19%)減った。市の担当者は「目の前の課題解決で精いっぱい。新設した分の更新まで頭が回らない」と苦悩する。

     被災地以外では、将来の負担増を考慮し、浄化槽の設置を進める地域もある。浄化槽は10日ほどで設置ができ、下水道より工期は短い。常葉大の小川浩名誉教授(環境工学)は「下水道の更新より、各家庭に浄化槽を設置した方が安く済む場合がある。将来の負担を考えると、復興の手段としては有効だ」と指摘する。
    https://www.yomiuri.co.jp/national/20210310-OYT1T50217/

    返信削除
    返信
    1. 【独自】復興インフラ維持管理費、年間131億円増…高台移転で
      2021/03/11 07:54
      震災10年

       2万2000人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災から11日で10年となる。津波で被災した岩手、宮城、福島3県で行われた高台への集団移転は計約1万2500戸が対象となる大事業となった。しかし、宅地開発に伴って、インフラの新設を余儀なくされ、上下水道と道路の維持管理費は震災前より年間131億円(50%)増えた。人口減少が続く被災地では、費用の捻出が課題となる。

       読売新聞は1~2月、3県の沿岸37市町村を取材、上下水道と道路の延長や維持管理費を震災前後で比較した。その結果、簡易水道を含む上水道が1081キロ(8%)、下水道が997キロ(10%)、市町村管理の道路が613キロ(3%)増えたことがわかった。三つの総延長は2691キロで、東京―グアム間を超える距離になる。

       被災地では地盤を高くし、現地再建する「かさ上げ」などの復興事業が行われた。高台移転は造成した住宅地へ水道管や道路をつなげる必要があり、距離が増えた。

       県別にみると、宮城県が上下水道、道路とも最も距離が伸びていた。高台や内陸に移転した地区は186で、岩手県の88、福島県の47より多かった。

       被災した上下水道管や道路の復旧費や新設費は、復興交付金などの国費で賄われた。一方、維持管理費は自治体の負担になる。

       上下水道と道路を40年後に更新した場合の費用を算出していた自治体は34市町村あり、その総額は2兆2305億円に上る。34市町村の2018年度予算の歳入額の合計(1兆9084億円)を上回る。人口減が続く被災地の自治体からは「市民税や固定資産税の収入が減り、新たな予算の確保は難しい」(岩手県大船渡市)との声が上がる。

       一方、東京電力福島第一原発事故の避難指示区域が残る福島県大熊町では、下水道管の93%にあたる65キロが休止になった。放射性物質で汚染された土砂を一時保管する中間貯蔵施設(約1600ヘクタール)が住宅地跡に建設されたためだ。

       自治体施設の維持管理に詳しい岩手大の南正昭教授(都市計画)は「この10年間は、街の生活機能を復活させる必要があった。今後はインフラ維持にかかる費用を下げる努力が自治体に求められる。中長期的に街の機能を集約することなども考えるべきだ」と話す。
      https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/news/20210310-OYT1T50224/

      削除
  106. チェルノブイリ原発事故から35年 廃炉への具体的なめど立たず
    2021年4月26日 7時33分

    旧ソビエトのウクライナにあるチェルノブイリ原子力発電所で、史上最悪の原発事故が起きてから26日で35年となリます。事故を起こした原発は、放射性物質の飛散を防ぐための巨大なシェルターに覆われるなど対策が続いていますが、廃炉に向けた具体的なめどは依然として立っていません。

    チェルノブイリ原子力発電所では1986年4月26日、試験運転をしていた4号機で爆発が発生して、大量の放射性物質が放出されました。

    この事故で、消火作業に当たっていた消防署員などおよそ30人が大量の放射線を浴びて死亡したほか、多くの子どもたちが甲状腺がんを発症するなど、ウクライナだけでなく同じ旧ソビエトのベラルーシやロシアにも健康被害が広がりました。

    事故が起きてから26日で35年となり、現地では犠牲になった人たちを追悼する催しなどが行われることになっています。

    爆発を起こした4号機は「石棺」と呼ばれるコンクリートなどの建造物で覆われたあと、2019年には「石棺」を外側から覆う巨大なシェルターも設置されるなど、放射性物質の飛散を防ぐための対策が続いています。

    ただ、原発の担当者はNHKに対して「200トン以上ともみられる核燃料をどうすべきか。諦めずに一歩一歩進むしかない」と話すなど、廃炉に向けた具体的なめどは依然として立っていません。

    廃虚など見学する観光客が急増

    事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所から30キロ以内の区域は、今も立ち入りが禁止されています。

    当時、原発で働いていた人やその家族などが住んでいた町・プリピャチでは、アパートや政府庁舎などの建物が放置されたままとなっています。

    事故をめぐっては、2019年にアメリカのテレビ局が制作したドラマが、当時の状況を細部にわたって再現しているとして大きな話題となりました。

    これもきっかけとなって、当局の許可を得て30キロ以内の区域に入るヨーロッパやアメリカからの観光客が急増し、ウクライナ政府によりますと、2019年には、前の年を70%も上回る10万人以上が訪れました。

    現在は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、外国人観光客の姿はあまり見られませんが、プリピャチなどにはウクライナ人のツアー旅行客が多く訪れ、廃虚となった建物などを見学していました。

    観光客の男性は「人のミスによって、いかに多くの人が家を追われたり亡くなったりしたのか、理解することができた」と話していました。

    ウクライナのゼレンスキー大統領は、現地を観光地として開発する方針を示していて、世界遺産の登録を目指すことも検討しています。

    中絶迫る医師から逃げて出産した女性は

    チェルノブイリ原発から3キロほど離れた町プリピャチには、原発で働いていた人やその家族などおよそ5万人が住んでいましたが、事故を受けて全員が避難しました。

    ウクライナの首都キエフの郊外に住むマリーナ・バラノワさん(60)もその1人です。

    事故当時、勤務先だった原発の作業員の寮で寝ていたというマリーナさんは「大きな音で目が覚めました。原発のほうは火花が飛んでいるようで、赤やオレンジ色、黄色に染まっていました」と話していました。

    マリーナさんは当時、妊娠中で、事故の影響が胎児にも及ぶおそれがあるとして、医師から人工妊娠中絶を強く迫られたといいます。

    しかし、出産を強く望んだマリーナさんは病院から逃げ出し、別の医療機関で長男のアルテムさんを出産したということです。

    マリーナさんによりますと、当時は、人工妊娠中絶を医師から迫られる女性がほかにもいたということです。

    マリーナさんの息子でキエフの銀行に勤める34歳のアルテムさんは、時々虹色の円のようなものが見えることがあるなど視覚に障害があると訴えています。

    マリーナさんは「息子がいてくれて幸せを実感しています」としたうえで「天が与えてくれたすべてのことを受け入れて生きていかなければなりません」と話していました。

    一方マリーナさんは、僅かな年金と毎月800円ほどの政府からの支援金だけが生活の頼りで、政府に対して被災者への支援を拡充してほしいと訴えていました。

    こうした人たちを支援する活動をしているのが、みずからもプリピャチ出身でキエフに住むオレーナ・パンチュクさん(48)です。

    オレーナさんは、ジャーナリストとして被災者のことを記録に残す活動をしていて、当時の体験や今の生活の悩みなどを聞き取っています。

    オレーナさんは、政府がチェルノブイリを観光地として開発する方針を示していることに関して「観光客が自撮りをしたりSNSなどに投稿したりしていますが、被災した人たちの存在を忘れないでほしい」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210426/k10012997401000.html

    返信削除
  107. 菅首相「住民帰還に向け具体方針決めたい」福島の帰還困難区域
    2021年7月20日 18時58分

    福島第一原発の事故に伴う避難指示が続く帰還困難区域のうち、解除の見通しが立っていない地域について、菅総理大臣は住民の帰還に向けた具体的な方針を決めたいという考えを示しました。

    自民・公明両党の東日本大震災復興加速化本部は20日、自民党の根本元厚生労働大臣と公明党の井上副代表らが菅総理大臣と面会し、提言を行いました。

    提言では東京電力福島第一原発の事故に伴って、避難指示が続く帰還困難区域のうち、解除の見通しが立っていない地域については、必要な除染を行って、2020年代のうちに希望する人すべてが帰還できるようにすべきだなどとしています。

    これに対し菅総理大臣は「帰還や必要な除染に関する方針を、具体的に決めていきたい」と応じました。

    また、菅総理大臣は、福島第一原発の放射性物質を含む処理水を海に放出する方針をめぐり、安全性の担保や風評被害対策に全力で取り組む考えも伝えました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210720/k10013150391000.html

    返信削除
  108. [東日本大震災11年]帰らぬ住民「無人島だ」…医療体制 脆弱なまま
    2022/03/01 05:00

     東京電力福島第一原発事故による避難指示が解除されても、住民の帰還に向けた動きは鈍い。戻ってくる住民はわずかで、その多くは避難先に子供や孫らを残したまま。かつて地域では当たり前だった3世代同居は姿を消そうとしている。ようやく戻っても、医療機関が整っていないことを理由に、再び古里を出て行く高齢者もいる。

    こんなはずでは

    2022年2月15日 津波にのまれ、いまは更地が広がる。2017年3月に避難指示が解除された

    2009年 鼓笛パレードをする子供たち =「大字誌ふるさと請戸」から

     ソメイヨシノが2キロ以上続く並木道で知られる福島県富岡町夜の森地区。2017年4月に避難指示が地区の一部で解除されたのに伴い、宗像誠政さん(81)夫婦は、同県いわき市から帰還した。桜の美しさはかつてと変わらないが、家族ぐるみで付き合っていた近所の人たちはいない。住宅は軒並み取り壊され、更地になったり、廃炉や除染の作業員らのアパートになったりしている。「あの頃は楽しかった。『復興』とは名ばかりだな」とため息をついた。

     町の人口は住民票ベースでは1万人を超えているが、実際の居住人口は事故前の1割強。その多くは廃炉作業などに携わる作業員だ。事故前に住んでいた「帰還者」だけでみると、5・2%(838人)にすぎない。

     国道はトラックが行き交い、商業施設もできた。それなりに復興の足取りも感じられる。ただ、自宅近くの小学校は取り壊され、高齢者向け施設への建て替え工事が進む。子供たちの元気な声が響くことはない。

     宗像さん宅は事故前、3世代5人暮らしだった。子供夫婦や孫らは避難先の栃木県栃木市に定住し、一緒に戻らなかった。妻(82)は夜の森に戻った後に脳出血を患い、町外の病院に入院している。

     更地に囲まれた自宅にぽつんと一人きり。誰とも話さない日が何日も続く。5年前、住民がこれほど戻らないなんて想像できなかった。後悔はしたくないが、「こんなはずじゃなかった」と思ってしまう。

     19年4月に避難指示が解除された大熊町大川原地区の災害公営住宅に暮らす横山純一さん(70)は、避難指示解除に向けて準備が進む町中心部の自宅と行き来している。自宅周辺では、特例で寝泊まりができる「準備宿泊」が昨年12月から始まった。準備宿泊に登録しているのは46人に過ぎず、人と会うことはまずない。「まるで無人島みたいだ」。壊れた町に戻るのは簡単じゃないと痛感している。

    再避難

     復興庁などが昨年、帰還困難区域がある6市町村に行った住民意向調査では、「既に戻っている」「戻りたい」は全体平均で3割にとどまった。帰還を判断する条件や帰還後の生活で必要なことは、医療や介護の充実が最も多かった。ただ、解除された地域の医療体制は心もとない。

     県などによると、避難指示区域となった11市町村では、事故前に病院は7か所あったが、現在は1か所のみ。診療所と歯科を含めても浪江町や富岡町、大熊町などで激減し、全体で75から24に減った。病床数も大熊町で500床がゼロになるなど縮小したままだ。

     浪江町で一人暮らしをする女性(74)は事故後、神奈川県の長男宅などに身を寄せ、解除後の18年に浪江町へ戻った。帰還後、腰を痛めて歩くことがつらくなり町内の診療所に通ったが、専門の整形外科医が来るのは月1回だけだった。このため、自らハンドルを握り、町外の病院まで通う。

     事故前、浪江町には約2万人が暮らし、20の医療機関があった。しかし、いまでは医師が常駐する診療所は1か所だけ。歯科は2か所あるが、薬局は一つもない。薬を受け取るために、10キロ北にある南相馬市まで出向く。帰還前、医療体制がここまで 脆弱ぜいじゃく だとは認識していなかった。「将来、車を運転できなくなったら暮らしていけない」と、まもなく南相馬市に引っ越すことにした。また避難生活に逆戻りだ。

     鈴木好道さん(67)も持病を抱え、浪江町からいわき市の病院に月1回、検査に通う。「解除後の医療体制が整わなければ、帰還した高齢者がまた避難先に戻っていく流れが本格化してしまう」。自らも古里での暮らしに限界を感じつつある。

     住民避難に詳しい立命館大の丹波史紀教授(社会福祉論)は「帰還者が定着するには、医療の充実が欠かせない。訪問やオンラインの診療を増やしながら、県が入院病棟のある病院を整備すべきだ」と語った。

    帰還率わずか8% 7市町村

     福島第一原発周辺の11市町村に出された避難指示は2014年4月以降、除染などによって放射線量が低下した地域から解除されている。

     避難指示が現在も続いているか、既に解除された地域に住民登録している人は今年1月時点で、原発事故前の約7割にあたる6万5064人。この数字には住民票を置いたまま他地域へ避難している人や、廃炉作業などで一時的に住民票を移した人が含まれている。

     高齢化率は34.9%で、事故前より10.1ポイント上昇した。子育て世代を中心に、職場や学校のある避難先に住民票を移す動きが相次いでいるためとみられる。

     11市町村のうち7市町村は、避難指示解除後に元の地域に戻った「帰還者」を集計している。合計は3226人で、事故前の8.6%にとどまる。帰還者全体の6割は高齢者だ。帰還者の割合が最も高いのは、14年4月に解除された田村市都路町地区東部で54.4%。大熊町は町中心部の解除が今春の予定で、現時点の帰還率は1.3%だ。6月以降に一部地域の解除を予定している双葉町では、今も全町避難が続いている。

     政府は昨年、移住によって人口を増やすため、原発周辺の市町村に県外から移住する人に対して、最大200万円を給付する制度を始めた。
    https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/feature/20220228-OYT1T50163/

    返信削除
  109. 社説
    大震災11年 産業創出で被災地の振興を
    2022/03/10 05:00

     2万2000人を超える死者・行方不明者を出した東日本大震災から明日で11年となる。犠牲になった方々の 冥福めいふく を祈るとともに、教訓を語り継ぐ決意を新たにしたい。

     津波で被害を受けた被災地では、30兆円超をかけた住宅や道路などの整備がほぼ完了した。

     昨年末には仙台市と青森県八戸市を結ぶ全長359キロの「三陸沿岸道路」が全線開通し、三陸の魚を全国に届ける大動脈としての役割も期待されている。

     東京電力福島第一原子力発電所の事故後、福島県の11市町村に出された避難指示は7割の地域で解除された。原発のある大熊、双葉両町でも中心部の避難指示が近く解除される予定で、帰還準備のため住民が暮らし始めている。

     被災地の復興は、着実に進んでいるといえる。

     ただ、課題も鮮明になってきた。多くの被災地は高齢化や人口減という共通の悩みを抱えている。特に心配なのは、原発事故の傷痕が今も深い福島県だ。

     避難先での新しい生活が定着し、避難指示が解除されても故郷に戻らない被災者は多い。戻った人の大半は高齢者で、帰還しても医療や介護に不安を感じているという。働く場所がなく、帰りたくても帰れない人もいるだろう。

     地域の再生には、暮らしを支える環境の整備に加え、雇用を生み出し、住民の帰還や移住を促す取り組みが不可欠だ。

     原発周辺の沿岸部を、ロボットや航空宇宙など最先端産業の集積地にする国家プロジェクト「福島イノベーション・コースト構想」はその中核になるだろう。

     すでに約270の企業が集まり、東京五輪の聖火リレーで使われたトーチの燃料には、福島県浪江町にある世界最大級の施設で作られた水素が使用された。国は、県外からの移住者に最大200万円の支援金を支給している。

     産業が創出されれば、外部からの新しい定住者の増加も期待できる。ただ、地元の人々を置き去りにしてはならない。国や県は、地域住民の雇用や地元企業の参入につながる仕組みづくりを進出企業に働きかけていく必要がある。

     震災から10年を超え、追悼式典の開催を取りやめた自治体が相次いでいる。政府主催の追悼式も昨年が最後となった。

     式典はなくなっても、震災の記憶は次代に伝え続けていかねばならない。日本が災害大国であることを認識し、「備え」を忘れないようにすることが大切だ。
    https://www.yomiuri.co.jp/editorial/20220309-OYT1T50321/

    返信削除
  110. 福島 大熊町 避難指示の一部解除目指し造成工事の安全祈願
    2022年3月12日 17時36分

    ことし春に避難指示の一部解除を目指す福島県大熊町で、産業や生活の拠点とする地域の造成工事が始まるのを前に、関係者が安全を祈願しました。

    大熊町では、立ち入りが厳しく規制されている帰還困難区域のうちおよそ860ヘクタールが「特定復興再生拠点区域」に指定され、避難指示解除に向け除染やインフラの整備が先行して進められてきました。

    12日はこのうち下野上地区のおよそ42ヘクタールで商業施設や住宅などを建設する土地の造成工事が始まるのを前に、安全祈願祭が行われました。

    地区にあるJR大野駅近くの広場に町や工事の関係者が集まり、吉田淳町長などがくわ入れをして工事の安全を祈りました。

    町などによりますと、この地域では地元企業などが入るオフィスビルや商業施設、それに住宅の建設を進め、令和6年度から順次利用できるようにする予定で、令和9年度には2600人の居住を目指すということです。

    吉田町長は「ようやくここまで来たという思いと、いよいよこれからだという思いがある。この場所は町の中心部だったので、開発に力を入れてにぎわいを取り戻したい」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220312/k10013527891000.html

    返信削除
  111. 政府「福島国際研究教育機構」来年4月設立へ 基本構想を決定
    2022年3月29日 12時01分

    政府の復興推進会議が開かれ、福島県への設置を検討している「福島国際研究教育機構」について、ことし9月までに具体的な設置場所を決定したうえで、来年4月の設立を目指すなどとした基本構想を決定しました。

    政府は29日、総理大臣官邸で復興推進会議を開き、原子力発電所の廃炉や震災からの復興などの研究を行うため福島県に新たに設置する「福島国際研究教育機構」の基本構想を決定しました。

    それによりますと、具体的な設置場所については東京電力福島第一原子力発電所の事故によって避難指示が出された12の市町村への立地を基本とし、市町村の提案を踏まえた県の意見を尊重して、国がことし9月までに決定するとしています。

    また機構の敷地面積は10万平方メートル程度の想定で来年4月の設立を目指し、この夏をめどにさらに具体的な研究内容などを定めた基本計画を策定するとしています。

    会議の最後に岸田総理大臣は「福島の復興の夢や希望となるとともにわが国の科学技術力、産業競争力の強化に資するものとすることが重要だ。来年4月の機構設立に向けて各省庁横断で準備態勢を整えるなど、積極的に対応いただきたい」と述べました。

    西銘復興相「地元の期待に応えられるように取り組む」

    西銘復興大臣は閣議のあとの記者会見で「福島県に足を運ぶたびにこの機構に対する期待は強いものがあると感じるので、地元の課題のみならず世界的な課題の解決に資するようなものにしたい。来年4月の機構の設立に向けて、地元の期待に応えられるようにしっかり取り組んでいく」と述べました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220329/k10013556901000.html

    返信削除
  112. 福島 葛尾村の帰還困難区域 一部で避難指示解除を正式決定
    2022年6月3日 11時17分

    政府は、原発事故のあと原則として立ち入りが禁止されている福島県葛尾村の帰還困難区域について、今月12日に一部で避難指示を解除することを正式に決めました。
    帰還困難区域で住民が帰還できるようになるのは初めてです。

    政府は3日、総理大臣官邸で岸田総理大臣と閣僚らが出席して、原子力災害対策本部と復興推進会議の合同会議を開きました。
    そして、東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で避難指示が出され、原則として立ち入りが禁止されている福島県葛尾村の帰還困難区域について、今月12日に一部で避難指示を解除することを正式に決めました。

    帰還困難区域で住民が帰還できるようになるのは初めてです。

    今回避難指示が解除される地域は、葛尾村の帰還困難区域全体のおよそ6%にあたり、政府が住民が生活できる「特定復興再生拠点区域」に認定し除染などを行ってきました。
    岸田総理大臣は「多くの方々がいまだ避難先での生活を強いられている中、残された帰還困難区域の避難指示の解除は、福島の本格的な復興・再生を実現するための重要な課題だ。引き続き大熊町や双葉町などの『特定復興再生拠点区域』の避難指示の解除に向けた手続きを進め、福島の復興をさらに加速させていく」と述べました。

    そのうえで関係閣僚に対し、葛尾村以外の「拠点区域」でも避難指示を解除できるよう除染やインフラ整備などに全力であたるほか、それ以外の地域についても帰還の意向のある人が全員帰還できるよう丁寧に意向の確認などを進めるよう指示しました。

    西銘復興相「非常に重要な一歩」

    西銘復興大臣は閣議のあとの記者会見で「今回の避難指示の解除は非常に重要な一歩だ。今後もほかの『特定復興再生拠点区域』の避難指示解除に向けて支援していく。拠点区域外については住民の方々に帰還希望があるか、アンケートをとっていくことになるが、1回聞いただけでは答えが出ることはないと思うので、複数回、意向を確認しないといけない」と述べました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220603/k10013655511000.html

    返信削除
  113. 福島 葛尾村 帰還困難区域の一部 避難指示解除 初の住民帰還へ
    2022年6月12日 17時26分

    東京電力福島第一原発の事故で避難指示が出ていた福島県葛尾村の帰還困難区域の一部で12日、避難指示が解除されました。立ち入りが厳しく制限された帰還困難区域で住民が帰還できるようになるのは初めてです。

    葛尾村では原発事故の影響で避難指示が出され、村の面積の2割に当たる東部の野行地区が帰還困難区域となりました。

    このうちの6%に当たる0.95平方キロメートルの県道沿いの地域が「特定復興再生拠点区域」に認定されて先行して除染などが行われた結果、空間の放射線量が十分低下したなどとして12日午前8時に避難指示が解除されました。

    雨が降る中、作業員が野行地区と別の地区を結ぶ道路に設置されたバリケードを開けると車両が通っていきました。

    村によりますと、この地域に住民票を登録しているのは30世帯82人ですが、帰還を希望しているのは4世帯8人にとどまっています。

    今後、帰還する住民などをどのように増やしていくかや基幹産業となっている農業の再生が課題となります。

    篠木弘 村長「この地域が心休まる場所になればいい」

    篠木弘 村長は「11年余り避難生活が続き、住民の皆さんにはさまざまな苦労があったと思う。帰る、帰らないの判断は難しいが、この地域が心休まる場所になればいいと思います」と話していました。

    自宅再建の住民「地区再生のためにもここで暮らす」

    今回、避難指示が解除された地域で自宅を再建し、帰還への準備を進めてきた半澤富二雄さん(69)は「避難指示の解除はうれしいが、まだ課題が山積しているので、これからの野行地区をどう立て直していくか考えていかなければならない。この地区が好きなので、地区の再生のためにもまたここで暮らし、四季の変化を感じながらのんびり過ごして行きたい」と話していました。

    帰還困難区域 これまでの経緯

    帰還困難区域を抱えているのは福島県の7つの市町村で、その面積は、12日に避難指示が解除された地域を含めておよそ337平方キロメートルに上ります。

    葛尾村の野行地区は原発事故後、比較的、放射線量が高かったため平成25年3月に立ち入りが厳しく制限される帰還困難区域となりました。

    その後、平成30年5月にこの区域の6%ほどを国が特定復興再生拠点区域と認定し、優先的に除染やインフラ整備を進め、12日、避難指示を解除しました。

    村は、この地域の大部分を「農業再生ゾーン」と位置づけ水田の整備などを進めるほか、かつての集会所のあった場所を「中心地区再生ゾーン」として住民の交流の場とする計画です。

    ただ、この地域に帰還を希望している住民は4世帯8人にとどまっています。

    30世帯のうち27世帯がすでに自宅を取り壊す

    12日に避難指示が解除された地域には30世帯が住民票を登録していますが、27世帯は震災と原発事故後、自宅を取り壊しています。

    このうち大澤義伸さん(68)と大澤さゆりさん(67)夫婦は12日、自宅のあった場所を訪れました。避難生活中に亡くなった母、ヨシエさん(当時86)の遺影を持ち、さら地となった場所にたたずみながら避難指示が解除されたことを報告しました。

    大澤さん夫婦は原発事故後、避難先を転々としましたが、今は葛尾村からおよそ30キロ離れた福島県三春町の災害公営住宅で暮らしています。年齢的に自宅を再建することは難しいと考えていて、葛尾村から離れた病院などに通うこともできないとして帰還は諦めていると言います。

    ただ、ふるさとの避難指示が解除されたことで、かつての住民たちが集まって交流する機会ができるのではないかと考えています。

    夫の義伸さんは「家はないですが、ふるさとを見せたいと思って遺影を持って来ました。母は避難生活中、帰りたいと口癖のようにいつも言っていました。連れて来たかったがそれもできずに悔しいです。もう少し早ければまた気持ちが違っていたかもしれないですが、いまさら解除と言われても帰れないです」と話していました。

    妻のさゆりさんは「解除まで長かったと感じます。お母さん、やっと解除の日を迎えたよ、長かったねと言いました。帰るのは難しいですが、今後この地域を守っていくのは私たちにかかっているのかなと思います」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220612/k10013668201000.html

    返信削除
  114. 福島 大熊町の帰還困難区域 一部で避難指示解除を正式決定
    2022年6月28日 12時25分

    政府は、原発事故のあと原則として立ち入りが禁止されている福島県大熊町の帰還困難区域について、30日に一部で避難指示を解除することを正式に決めました。
    帰還困難区域で住民が帰還できるようになるのは2例目となります。

    政府は28日午前、原子力災害対策本部を持ち回りの形式で行いました。

    そして、東京電力福島第一原子力発電所が立地し、原発事故のあと避難指示が出され、原則として立ち入りが禁止されている福島県大熊町の帰還困難区域について、30日に一部で避難指示を解除することを正式に決めました。

    大熊町では、現在、町のおよそ6割が帰還困難区域となっていて、このうちおよそ2割にあたる地域について、政府が、住民が生活できる「特定復興再生拠点区域」に認定し除染などを行ったため、今回、避難指示が解除されることになりました。

    帰還困難区域で住民が帰還できるようになるのは福島県葛尾村に続いて2例目となります。

    西銘復興相「本格的な復興に向けた大変重要な一歩」

    西銘復興大臣は閣議のあとの記者会見で「避難指示を解除する大熊町の『特定復興再生拠点区域』は震災前の町の中心部であり、町の本格的な復興に向けた大変重要な一歩であると認識している。復興庁としては避難指示の解除後もしっかりと支援したい」と述べました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220628/k10013691741000.html

    返信削除
  115. 「自治体」はもうとっくの昔に、放射能汚染で崩壊してしまったと諦めることが肝要である。

    返信削除
    返信
    1. 「政治」は、復興再生の非現実的なお題目を唱えるばかりで、まだ現実にはきちんと向き合っているとはいえない。

      削除
  116. 原発事故で3か月しか住めなかった自宅、「ようやく」戻れる…活気願い夫婦が新たな一歩
    2022/06/30 17:38

     東京電力福島第一原発を抱える福島県大熊町のかつての中心部で避難指示が解除され、再び人が住めるようになった。町役場や病院、商店が集まる地域だったが、帰還困難区域になり、傷んだ建物が解体されて空き地が目立つ。原発事故から11年が過ぎ、町民の帰還意欲が冷え込む中、大切な思い出を胸に戻る人もいる。

    JR大野駅を清掃する伏見明義さん(右)と妻の照さん(24日朝、福島県大熊町で)=富永健太郎撮影

     「ようやくという思いがある。若者が来たくなるような町になってほしい」。解除地域の自宅に戻る予定の伏見明義さん(71)は30日朝、妻の照さん(69)とJR常磐線大野駅を訪れ、町の委託で2年前から毎日続けている駅の清掃作業に汗を流した。

     同県相馬市生まれの伏見さんは、幼い頃に両親が離婚し、同市の児童養護施設に入った。小学校入学前に結核を患い、大熊町中心部の県立大野病院に入院。「知らない町や病院が嫌だった」が、院内学級の児童とすぐに仲良くなった。家族のように接してくれる町内の友人一家もおり、中学2年まで続いた入院生活は寂しくなかった。

     原発が来る前の町は林業が盛んで、大野駅前に材木が積まれていた。駅の裏山の池では友達とザリガニ釣りに夢中になった。病院前にあった売店のおばさんがくれた大福の甘さを今も覚えている。「大熊がふるさと。よい思い出ばかりで忘れられない場所なんだ」

     中学卒業後に集団就職で上京。28歳の時、少年時代を過ごした大野病院に用務員として就職した。東日本大震災が起きた日は、約30年勤めて退職する伏見さんの送別会が予定されていた。「ついの住み家」として建てた自宅は、原発事故で3か月しか住めなかった。

     隣町の田村市に避難。避難所となった体育館を訪れた菅直人首相(当時)に声をかけられ、「家に帰りたい」と訴えた。2019年、避難指示が解除された大熊町大川原地区の災害公営住宅に入ったが、立ち入り制限が続く中心部は荒れ果て、住宅は次々に解体された。原発周辺には、除染で出た汚染土を保管する中間貯蔵施設ができた。

     照さんとは避難生活中に出会い、15年5月に結婚した。災害公営住宅で猫5匹と暮らす夫婦は、伏見さんが原発事故前に建てた家に家具を少しずつ運び、新生活の準備を進めている。

     町に人が戻り、かつてのにぎわいを取り戻すのは難しいと思っている。それでも夫婦で毎朝駅の掃除をしていて、新しい家が1軒建ったことに気づいた。伏見さんは「時間はかかるだろうが、街が徐々に活気を取り戻していく姿を見守りたい」と話した。
    https://www.yomiuri.co.jp/shinsai311/news/20220630-OYT1T50249/

    返信削除
  117. 福島の除染作業 未実施の帰還困難区域でも着手を 自民が提言案
    2022年8月29日 5時46分

    福島第一原発の事故による「帰還困難区域」のうち除染作業を進めていない地域について、自民党は大熊町と双葉町の一部で来年度から除染作業に着手するよう求める提言案をまとめました。

    自民党の東日本大震災復興加速化本部がまとめた提言案では、福島第一原発事故による「帰還困難区域」のうち先行して除染作業を進めてきた「特定復興再生拠点区域」以外でも、2020年代に住民が戻れるよう意向を丁寧に把握したうえで必要な除染の範囲などを地図上に整理し効率的に作業を進めるべきだとしています。

    そして大熊町と双葉町の一部の地域では来年度から除染作業に着手するよう求めています。

    また、放射性物質を含む処理水の海への放出をめぐっては、風評被害を防ぐための情報発信の充実や基金などによる漁業者への支援を求めているほか、東京電力に対し被害の実態に見合った十分な賠償を行うよう指導することも盛り込んでいます。

    自民党は今後、公明党とも調整したうえで、来月にも与党の提言として岸田総理大臣に提出することにしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220829/k10013792201000.html

    返信削除
    返信
    1. 表向きは、避難住民のためと称して、取り巻き企業にせっせと利益誘導かね?

      削除
  118. 東日本大震災から11年半 長期的な課題は残されたまま
    2022年9月10日 10時38分

    東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から11日で11年半です。
    津波の被災地では住まいやインフラの復興が進んだ一方、地域のにぎわいをどう取り戻すかや原発事故からの復興など長期的な課題が残されたままです。

    11年半前の3月11日、東北沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し高さ10メートルを超える大津波が押し寄せ、東京電力福島第一原子力発電所は3基の原子炉が次々にメルトダウンを起こし、多くの住民が避難を余儀なくされました。

    東北地方では宮城、岩手、福島、青森、山形の5県で合わせて1万5838人が亡くなり、2520人の行方が今もわかっていません。

    また復興庁によりますと、避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」はことし3月末の時点で、東北地方で合わせて3735人となっています。

    「関連死」を含めた死者と行方不明者は少なくとも2万2093人にのぼります。

    また福島県では震災と原発事故のあと県内外で避難生活を続けている住民は9日現在で2万9208人となっています。

    津波による被害を受けた被災地では住まいの再建や道路や港などのインフラの復旧はほぼ完了していますが、岩手県で区画整理事業として整備された沿岸部の多くの土地が空き地となっているほか、岩手県や宮城県では水産業など経済の再生が道半ばで地域のにぎわいを取り戻し、どう持続させていくかが大きな課題となっています。

    また岩手県と宮城県それに福島県では最大クラスの津波が発生した場合の新しい浸水想定がことし発表されました。

    このうち岩手県と宮城県の想定では震災を上回る範囲で浸水が予想されていて多くの被災地では震災での被害を基準にまちづくりを進めてきたため、すでに作成した地域の防災計画などの見直しを迫られています。

    一方、福島県では立ち入りが厳しく制限される「帰還困難区域」が設定された一部の自治体では先行して除染とインフラ整備を進める「特定復興再生拠点区域」が設けられ、ことし6月以降、住民の帰還が始まり、これまで帰還ができていなかった双葉町では先月30日からようやく始まりました。

    ただ県内には帰還困難区域が残されていて、拠点区域の外「拠点外」の地域の復興についてはまだ見通しが立っていません。

    また除染で出た土などについても2045年までに県外で最終処分することが法律で決められていますが、その道筋は不透明な状況であるほか来年春ごろには原発の処理水の放出が迫っていて福島の復興は解決が難しい「残された課題」に向き合う新たな段階に入ります。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220910/k10013812021000.html

    返信削除
    返信
    1. 一度壊れてしまった地域社会の生態系は、もうけっして元通りにはならないし、あらたな賑わいをつくりだすこともかなわない。現実問題、まずはそこからしか出発することができないはず。復興だの再生だのというお題目がハナからウソ偽りまみれだったということ。

      削除
    2. 壊れてしまったものは元通りにはならない、まずはそこをしっかり受け止めて、足元と現実を見据えるところから出発しなければならない。

      削除
  119. 「ダンボルギーニ」の店舗閉店へ “復興象徴の役割終え” 宮城
    2022年10月24日 15時27分

    宮城県女川町の商店街で、ダンボール製の高級車の模型「ダンボルギーニ」を展示してきた店舗が、その役割を終えたとして来月、閉店することになりました。

    この模型は石巻市のこん包会社が制作し、東日本大震災から4年後、JR女川駅前に新たに整備された商店街の店舗で展示されてきました。

    タイヤのホイールやワイパーなどの細部まで精密に再現されていて、観光客や地元の人から本物そっくりの”ダンボルギーニ”と話題となり、復興の象徴として親しまれてきました。
    しかし、震災から11年が経過し、その役目を終えたとして、来月3日をもって閉店することになりました。

    制作したこん包会社の社長、今野英樹さんは「震災を引きずらず新たなフェーズに移っていこうという思いで幕引きを決めました。閉店までまだ時間があるので見に来てほしい」と話していました。

    会社では閉店後「ダンボルギーニ」を女川町内で展示できる場所を検討しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221024/k10013868491000.html

    返信削除
  120. さすがに「組み立てキット」販売は、本家が許さないのだろう。

    返信削除
  121. 除染土の再生利用 福島県外での実証事業 年度内開始は見送り
    2023年2月25日 5時26分

    福島県内の除染で出た土の再生利用に向け、県外で計画されている実証事業について、環境省は当初、住民の理解を得たうえで今年度中にスタートさせる方針でしたが、地元の反発の声を受けて年度内の事業開始は見送り、住民への説明会を改めて開くなど理解の醸成に努めることにしています。

    東京電力・福島第一原子力発電所の事故の除染で出た土について、環境省は放射性物質の濃度が基準を下回ったものを公共工事などで再生利用する方針で、東京 新宿の「新宿御苑」と、埼玉県所沢市の「環境調査研修所」で、福島県外で初めての実証事業を行う計画です。

    環境省は当初、住民の理解を得たうえで今年度中に事業をスタートさせる方針を示していましたが、去年12月にそれぞれ開催した住民説明会で「なぜここが選定されたのか」や「情報が不十分だ」などの疑問や意見が寄せられたということです。

    また、所沢市では、地元町内会で反対意見が多数を占めたことから市長が難色を示しています。

    こうした地元の反発を受けて、環境省は年度内の事業開始を見送り、説明会での疑問や意見に文書で回答を示したり、改めて説明会を開催したりして理解の醸成を進める方針です。

    環境省は「まず地元住民への説明を尽くしたうえで、開始の時期について改めて判断していく」としています。

    専門家「納得感持ってもらい進めることが前提」

    公共事業などの住民の合意形成の問題に詳しい産業技術総合研究所の保高徹生研究グループ長は、今回の実証事業の進め方について「住民が不安に思っている状態で、事業を進めてしまうと、その後、さまざまな課題が出てくることになるので、しっかりとした納得感を持ってもらったうえで進めることが前提だ」と指摘しています。

    そのうえで「福島県の負担を少しでも軽くするためという社会的意義があると思うので、実証事業をここで行う意義や必要性を分かりやすく伝えることが重要ではないか」と話しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230225/k10013990461000.html

    返信削除
  122. コンクリ損傷 未知の原因か…福島第一原発1号機 規制庁、東電に模擬実験求める
    2023/02/26 05:00

     東京電力福島第一原子力発電所の1号機で昨年見つかった原子炉格納容器内のコンクリート損傷が、どのようなメカニズムで生じたのか議論されている。原子力規制庁は、東電に対し、2011年の事故で溶け落ちた核燃料などを含むとみられる 堆積たいせき 物の採取・分析や、同じ成分のコンクリを使った模擬実験などを求めている。

     東電は昨年2月から、1号機の格納容器内を水中ロボットで調査している。5月には、原子炉本体(原子炉圧力容器)を支える円筒形の土台「ペデスタル」の外側で、堆積物が底部に積もっているのを発見。さらに、空洞をはさんで高さ約1メートルの場所にも堆積物が棚のような状態に固まっているのを見つけた。ペデスタルは、空洞の脇の部分だけコンクリートが溶けてなくなり、鉄筋が露出していた。

     原子力規制庁によると、コンクリは〈1〉核燃料の熱〈2〉高温の水や水蒸気〈3〉核燃料が出す電磁波――などで溶ける。しかし、いずれも棚状の堆積物や鉄筋を残してコンクリだけ溶けたことをうまく説明できず、未知のメカニズムで発生した可能性があるという。

     二ノ方寿・東京工業大名誉教授(原子炉工学)は「これだけの大規模な炉心溶融事故は前例がなく、メカニズムの特定には時間がかかるだろう。似た状況を仮定した実験も困難なので、まずは堆積物の組成を詳しく調べることが重要だ」と話している。
    https://www.yomiuri.co.jp/science/20230225-OYT8T50098/

    返信削除
  123. 死者不明者3000人超「昭和三陸津波」90年 岩手で犠牲者追悼
    2023年3月3日 23時44分

    昭和8年に「昭和三陸津波」が起きてから3日で90年となり、大きな被害が出た岩手県宮古市の田老地区の防潮堤で、地元の人たちが犠牲者を追悼しました。

    「昭和三陸津波」は昭和8年3月3日に発生し、大津波が三陸沿岸を襲って死者と行方不明者が3000人を超えました。

    発災から90年となった3日、911人の犠牲者が出た宮古市田老地区では追悼の催しが開かれ東日本大震災後にかさ上げされた防潮堤に集まっておよそ200個の灯籠を1つずつ丁寧に並べました。

    そして午後5時半前からライトやろうそくに火をともし、全員で黙とうをささげたあと、鐘の音を鳴らして犠牲になった人たちを悼みました。

    参加した地元の女子高校生は「被災した人たちは当たり前の日常が簡単に崩れ、つらい思いをしたと思う。この祈りを亡くなった方への弔いと未来への道しるべにするため、後世に語り継いでいきたい」と話していました。

    催しの主催者で、親族が犠牲になったというNPO「津波太郎」の大棒秀一理事長は「東日本大震災のことは覚えていても、昭和三陸津波の風化は著しい。大きな被害が再び出ないよう教訓を伝えていきたい」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230303/k10013998161000.html

    返信削除