2018年5月3日

太陽系探査「月、火星、そしてその先まで」国際会議

「国際宇宙探査フォーラム」@東京(2018.3.3)

「バベルの塔」と、「汝自身を知れ」と…

「月、火星、そしてその先まで」太陽系探査の国際会議
2018年3月3日 18時38分 NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180303/k10011350651000.html

>日本やアメリカなどおよそ50の国の閣僚などが新たな宇宙探査の協力態勢を話し合う国際会議が都内で開かれ、月・火星、そしてその先まで、太陽系の探査活動の拡大は国際コミュニティーで広く共有されている目標であることを確認した」などとする共同声明が採択されました。

>政府は去年の年末に今後の宇宙政策のスケジュールなどを示す宇宙基本計画の工程表を改訂し、各国が協力して行う月面の有人探査に日本が参加できるよう、ことしから技術面や国際的な協調の在り方を検討する方針を打ち出しています。

月の有人探査実現へ 首相が各国に協力呼びかけ
2018年3月3日 13時48分 NHKニュース

日本やアメリカなどおよそ50の国の閣僚などが宇宙探査の方向性を話し合う国際会議に安倍総理大臣はビデオメッセージを寄せ、月面の有人探査などの実現のため各国に協力を呼びかけました。

日本やアメリカ、中国、ロシアなどおよそ50の国や国際組織から閣僚や宇宙機関の代表が集まり、今後の宇宙探査の方向性を話し合う「国際宇宙探査フォーラム」が3日、東京都内で開かれ、安倍総理大臣はビデオメッセージを寄せました。

この中で安倍総理大臣は「宇宙フロンティアは今、衛星通信や地球観測をはじめ、私たちの生活に欠かせない社会インフラを形づくっている。さまざまな国際共同プロジェクトで培った技術力と信頼関係のうえに、国際協力を一層強化すべきだ」と述べました。
そのうえで「ともに月へ、その先へと歩みを進めましょう。皆様とともに国際宇宙新時代に向けた議論を一気に加速させたい」と述べ、月を周回する宇宙ステーションの建設や月面の有人探査の実現のため、各国に協力を呼びかけました。

政府は去年の年末に今後の宇宙政策のスケジュールなどを示す宇宙基本計画の工程表を改訂し、各国が協力して行う月面の有人探査に日本が参加できるよう、ことしから技術面や国際的な協調の在り方を検討する方針を打ち出しています。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180303/k10011350411000.html

新たな公的資金タカリ利権の創出ミッションでしかないな。

遅れてやってきた「アポロ計画」

>アポロ計画「巨費の成果は石なのか」

そういえば、「はやぶさ」も…

それにしても…

宇宙探査に民間企業はどう関わる 都内で国際会議
2018年3月2日 19時34分 NHKニュース

宇宙探査の国際的な協力態勢を話し合う「国際宇宙探査フォーラム」が3日に開かれるのを前に、民間企業が今後の宇宙探査にどう関わっていけるのかを考える国際会議が都内で開かれました。

この会議はアメリカや中国など40以上の国や国際機関から閣僚や関係者が出席して、今後の宇宙探査の在り方を話し合う「国際宇宙探査フォーラム」が3日に開かれるのを前に行われました。

会議には先月、火星に向けロケットを打ち上げたアメリカのベンチャー企業「スペースX」やNASA=アメリカ航空宇宙局の新たな有人宇宙船を製造している「ロッキード・マーチン」の担当者など、世界各国から500人余りが参加しました。

会議では、まず、日本のベンチャー企業「ispace」の代表が「宇宙産業の最大の課題はコストで、地球から部品や燃料を持っていくのではなく、月の資源を効率的に使うことができれば、ビジネスのチャンスがある」と述べ、月の水資源から宇宙船の燃料を作り出すことが、宇宙での経済活動を創出する最初のステップになるという見解を示しました。

また、ロッキード・マーチンの担当者からは「宇宙でビジネスを展開するにはばく大な投資が必要で、初めは政府の支援が欠かせない。また、法律や統一した規格を作るなど民間企業がビジネスに参入しやすくなる環境も必要だ」という意見が出されました。

一方、スペースXの担当者は「私たちは人間が危機を迎えた時に何百人ではなく何百万人もの人が宇宙に行ける交通システムを持っておくことが重要だと考えている。そのうえで、ビジネスとして成り立つにはどうすればいいのか考えている」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180302/k10011349801000.html


人類の危機にあたっては、「ノアの箱舟」で地球から避難する、そのための宇宙交通システムを開発しなければならないっ!(笑)。

「度を越すなかれ」

こりゃおそらく、ルーピーな夢想家と香具師興行師と詐欺師ペテン師の巣になっているな。くわばらくわばら、誠実賢明マトモな人間は、けっして近寄ることはないだろう。


「宇宙 探査」の検索結果(NHKニュース)



(書きかけ)



宇宙政策 - 内閣府
http://www8.cao.go.jp/space/

宇宙基本法に基づき、宇宙開発利用に関する施策を総合的かつ計画的に推進するため、宇宙開発戦略本部が設置されています。 内閣府では、宇宙開発利用に関する政策の企画及び立案並びに総合調整、準天頂衛星システムの開発・整備・運用等の施策の実施等を担当しています。



21世紀も、あいかわらず、オカルトと錬金術の世紀であることには変わりがないらしい。ま、「錬金術」の意味はだいぶ様相がちがっているが…

昔の錬金術師は鉛を金に変えるが、現代の錬金術師はコトバをおカネにかえる。

「科学」はいまや、「現代の錬金術」のツール(道具)であり、私はそれを「オカルト」ならぬ「おカルト」と呼ぶのである。

太古より、人という生き物は、コトバの記号の広大無辺な大宇宙の真っ只中に生きる、まさにファンタジーの住人なのである。

そして、宙を彷徨う迷妄と蒙昧…

「大東亜会議」、今「宇宙フォーラム」(笑)。


(関連エントリ)
現代版「ノアの箱舟」@国土交通省&IHI
https://koibito2.blogspot.jp/2017/03/blog-post.html


(№315 2018年3月3日)

88 件のコメント:

  1. 「国際宇宙探査フォーラム」の共同声明 政府が原案
    2月28日 4時07分

    政府は来月、宇宙探査の国際的な協力態勢を話し合う「国際宇宙探査フォーラム」を東京で開くことにしていて、「月、火星、そしてその先までの探査活動の拡大を目標に有人探査を持続可能な形で構築する」などとする会議の共同声明の原案をまとめました。

    宇宙探査の国際的な協力態勢を話し合う「国際宇宙探査フォーラム」は来月3日に東京で開かれ、林文部科学大臣のほかアメリカや中国など40以上の国や国際機関から閣僚や関係者が出席する予定です。

    今回の会議では、2024年までの延長が決まっている国際宇宙ステーション計画以降の宇宙探査に向けた新たな国際協力の枠組みの整備が主要なテーマで、政府は会議での採択を目指す共同声明の原案をまとめました。

    この中では、新興国や民間企業も宇宙開発に積極的に参入している状況を踏まえ、「探査をめぐる新たな情勢を歓迎する」としています。
    そのうえで「月、火星、そしてその先まで、太陽系への探査活動の拡大が広く共有される目標であり、無人だけでなく有人による探査を持続可能な形で構築することが重要だ」としています。
    さらに、「将来世代による最大の利益と利用のため、宇宙環境の保存・保護に取り組む」などとしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180228/k10011345601000.html

    https://koibito2.blogspot.jp/2016/09/blog-post.html?showComment=1519836267932#c2209101420744219549

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  2. [論点スペシャル]今なぜ月を目指すのか
    2018年1月17日5時0分

     政府は昨年12月、国際協力による月の有人探査への参加を目指す方針を決定した。1969年に米アポロ計画で人類が初めて月面を踏み、来年で半世紀となる。最後の月の有人探査は72年だ。なぜ今、月の有人探査が再び動き出しているのか。日本が国際協力に参加する意義は何か。専門家3人に聞いた。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180116-118-OYTPT50415

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    1. 「日本抜き」外交に不利益…前駐米大使 藤崎一郎氏

       ふじさき・いちろう 日米協会長。1969年外務省入省。2008年5月から12年11月まで駐米大使。国際宇宙探査を議論する文部科学省小委員会の主査を務める。70歳。=撮影・高橋美帆

       日本には宇宙開発の技術はあるが、単独で有人探査を進めるのは、資金面で現実的ではない。日本が参加するには国際宇宙ステーション(ISS)のような、宇宙分野で各国が協力する枠組みが必要になる。

       米国はオバマ前大統領時代、自国の力で火星への有人飛行を目指す意思を表明した。中国やインドなどの新興国も独自にロケットを開発し、有人探査に参入してきた。宇宙分野は近年、国際協調の枠組みが不透明になっていた。

       だがトランプ政権に交代後の昨年春、米航空宇宙局(NASA)は月の上空に基地を作る「深宇宙探査ゲートウェイ構想」を掲げた。9月にロシアが協力を表明し、直後にペンス米副大統領が「米国人宇宙飛行士を再び月面に送る」と明言して、局面が一気に変わった。

       11月の日米首脳会談で、両国は宇宙探査を進める考えで一致した。私が議長役を務めた宇宙開発に関する文部科学省の有識者会議は、この流れに乗ることが重要という認識で一致し、構想への参画を通じて月の有人探査を検討すべきだとする報告書をまとめた。

       月の有人探査は、科学調査だけが目的ではない。月での生活が人体に及ぼす影響を調べたり、燃料となる資源を月で探したりするなど、人類がより遠い宇宙を目指すステップになる場が月だ。月を抜きに他の天体の有人探査を目指すのは合理的ではない。ゆえに米国の政権が代わっても、米国がこの流れを再び変えるとは考えにくい。

       大航海時代のポルトガルやスペインが未知の新大陸を探したように、国が宇宙を目指す流れは止められない。流れに乗り遅れれば、新たな枠組みができた時にルール作りに参加できず、後から入ることも極めて難しい。宇宙の重要な問題の決定から日本が外され、中国が加わるかもしれない。

       外交にはスピードが大切な時もある。「日本があの時に入らなかったから乗り遅れた」と後悔するような事態を起こすわけにはいかない。ただ多額の資金については、丁寧な議論が欠かせない。日本のISS関係の年間予算は約400億円だ。まずは、その範囲内に抑えるのが妥当だろう。

       外国のトップは日本との関係を、両国間にある安全保障や経済など個別問題に対処する取り組みと、協力しあう共同計画で把握する。宇宙での国際協調は、外交面で大きな利点がある。

       今年3月には東京で「国際宇宙探査フォーラム(ISEF)」が開かれ、各国で今後の宇宙開発や資源活用などの基本原則を議論するほか、宇宙に関心のある学生や若者向けのイベントも行われる。ホスト国の日本がリーダーシップを発揮し、今後の国際宇宙探査の流れを作ってもらいたい。(科学部 船越翔)

       ◆ 深宇宙探査ゲートウェイ構想 =2020年代後半を目標に、宇宙飛行士の居住スペースやロボットアームなどを備えた基地を月の周回軌道に作る。月面探査の拠点、将来の火星有人探査への中継拠点となることを想定している。日本は24年までISS計画に参加予定で、同構想への参加は25年以降の有人探査の基本方針となる。

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    2. 他の惑星到達へ足がかり…宇宙飛行士、京都大特定教授 土井隆雄氏

       どい・たかお 1985年、宇宙開発事業団(現宇宙航空研究開発機構)初の宇宙飛行士に、毛利衛さん、向井千秋さんと共に選抜された。宇宙飛行は97年と2008年の2回体験した。63歳。=撮影・長沖真未

       1997年11月20日、地球を飛び立ったスペースシャトル・コロンビアの窓から外を見ると、真っ暗な宇宙に横たわった地球が、丸い地平線から青い光を放っていた。目を落とすと白い雲と青い海が広がる。写真で見たよりもはるかに美しい光景に感動した。さらに日本人として初めて船外活動を行ったのは、素晴らしい経験だった。

       米国が主導する月の有人探査計画に日本が参加を目指す方針が決まったことは、宇宙の素晴らしさにじかに触れた人間の一人として、大変うれしく思う。日本人宇宙飛行士が月に行く道が開かれれば、若い人たちに大きな夢を与えるだろう。もしチャンスをもらえるなら、私が挑戦したいくらいだ。

       日本は、スペースシャトルでの船外活動やISS計画への参加などを通じて、有人宇宙活動に関する様々な技術を培ってきた。ISS計画では、宇宙での科学実験や、H2Bロケットで打ち上げる無人補給船「こうのとり」の輸送技術などの面で大きく貢献しており、他国に信頼されている。ISSにある日本の実験棟「きぼう」の建設や運用もその一つだ。

       ISSの運用は2024年までの延長が決まったが、その後は未定だ。だがこれまでの技術の蓄積で、人類はそろそろ次の宇宙探査へ進む準備ができたと思う。それは人類が地球の近くを離れ、月や、火星など他の惑星へ行くことだ。月や惑星への到達は、人類の新しい世界を切り開く、宇宙開拓時代の始まりだ。

       私は宇宙飛行士を経て16年に京都大特定教授に就任し、「有人宇宙学」という新しい学問分野を創り出した。人類が将来、宇宙に活動領域を広げ、宇宙で持続可能な社会を作るためには、何が必要なのかを体系的に研究する学問だ。

       人類が他の惑星を探査したり、宇宙で生活したりするためには、克服すべき課題が多い。例えば惑星に行くためには、飛行士がスペースシャトルやISSでの滞在期間よりはるかに長い数年の単位で宇宙に滞在する必要が出てくる。宇宙の放射線や無重力状態が、数年間で健康に与える影響は未知数だ。

       地球の上空約400キロ・メートルを周回するISSは、食料など必要な物資を地球から定期的に輸送している。しかし月や惑星を目指す宇宙船では、簡単には輸送できない。食料や水、燃料、生活に必要な物資を宇宙で確保する手段が不可欠だ。私も研究を通じて、月の有人探査や惑星到達に貢献したい。

       月の有人探査は米国の主導で進められようとしているが、日本が主導する部分も持つべきだ。日本の技術も生かせるだろう。人類や世界の利益に、日本がさらなる貢献をすることができる。

       政府は米国の構想への参加を通じて、有人宇宙活動の具体的な将来像を描く必要がある。有人宇宙探査時代に必要な次世代の人材を、今から育てるべきだ。(科学部 竹内芳朗)

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    3. 費用対効果 見極めが重要…作家 川端裕人氏

       かわばた・ひろと 元日本テレビ記者で、旧科学技術庁や気象庁などを担当。「夏のロケット」「青い海の宇宙港」など、宇宙に関する小説やノンフィクション多数。53歳。=撮影・米田育広

       私たちは普段、たかだか半径数メートル以内のことを考えながら生活している。でも近い将来、夜に月を見上げた時に、「あそこに日本人がいる」と思うかもしれない。ぞくっとしませんか。それは自分の意識がいきなり地球を飛び出して、うわっと広がる感覚だ。月は肉眼で毎日じっくりと見られる存在で、人間が宇宙に出て行く最初の一歩として、とても分かりやすいと思う。

       私たちは宇宙の分野で日本は一流国と思っているが、必ずしもそうではない。わずか10年前、一部の専門家は「中国の技術は不安定で、日本には及ばない」と言っていたが、あっという間に追い抜かれた。今やインド、アラブ首長国連邦など様々な国が参入し、日本がやらなくても、いずれ他の国がやってしまう。それなら現状で先行している日本が、やらない選択肢はない。

       宇宙で大きな動きがあると、それに影響を受けた世代が必ず生まれる。日本で言えば、小惑星探査機「はやぶさ」の地球への帰還に夢中になった小中学生たちが、大学生や社会人になる。宇宙関連分野に進む若者が、きっと現れるだろう。宇宙飛行士の毛利衛さんや土井隆雄さんの活躍を見て魂が震えた人たちもいるはずだ。月の有人探査は次世代の子供たちにポジティブなメッセージを直接届ける方法になる。

       宇宙には、国を超えて心を一つにする力がある。宗教や価値観が違っても、私たちは一緒に宇宙を見上げることができる。取材で出会った中米グアテマラの人は「米国は嫌いだがアポロ計画は偉大で、1000年後の人類史にも記される」と話していた。日本が参加することは、人類史にとっても大きな意味を持つ。

       宇宙分野の中でも有人探査はシンボル的な意味合いがあり、人々の宇宙開発への関心を維持するためにも必要になる。ただ巨額の投資に見合ったリターンがあるかどうかは、丁寧に分析しなくてはいけない。

       子供や学生たちに与える教育上の効果や、月で採掘できる資源がどれくらい見込めるか、宇宙産業への経済波及効果など。様々な価値の広がりはあるが、それをきちんと数字で示し、議論しなくてはいけない。

       宇宙のような未知の世界に飛び出すことは、本能として止められないと思う。だが人類の活動が火星まで広がり、自立が可能になると、人類や生物が地球上とは別の進化を始めるかもしれない。そうした生命倫理的な観点での検討も深掘りしてよいのではないか。

       宇宙やロケットを扱った近未来の物語を書いてきたが、現実がどんどん小説に追いついてきていると感じる。僕もいつか月に行って、初の「SFではない月面小説」を書いてみたい。(科学部 船越翔)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180116-118-OYTPT50415

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  3. 社説
    月探査参加へ 日本の宇宙技術を磨く好機だ
    2017年12月5日6時10分

     日本人宇宙飛行士が月面に降り立つ足がかりとなるのだろうか。

     米国が計画している月上空の宇宙基地建設構想に、日本も参加を目指すことになった。政府の宇宙政策委員会が、宇宙基本計画の工程表改訂案に方針を盛り込んだ。

     日本人宇宙飛行士による月探査も念頭に、「国際協力による月への着陸探査活動の具体化を図る」との取り組みも明記した。

     可能性に満ちた改訂案だ。宇宙開発に挑む次世代の育成につながる。宇宙先進国の現状を間近に学べるだけに、日本の基礎技術力を高める好機となろう。

     宇宙基地構想で日本が実現すべき分野として、政府は、基地内の空気・水の浄化や月面での掘削技術などを挙げている。

     有人宇宙船の開発などは、実現間近の米国に任せて、構想に不可欠な部分を担う。日本の存在感をアピールする狙いがある。

     宇宙技術を高度化できれば、人工衛星製造やロケットの打ち上げ受注で信頼性が向上して、国際競争力が強まる。素材の開発や遠隔制御技術など、幅広い裾野産業の活性化にも貢献しよう。

     日本の宇宙関連予算は年3000億円前後だ。厳しい財政下で月を目指すには、国際協力による効率的な開発が現実的である。

     構想参加にあたっては、民間の開発力が欠かせない。米国では、政府主導の開発が減っている。ロケットのコストは大幅に下がり、来年には、2社が新たな有人宇宙船の運用を始める。日本も、政府丸抱えの体制を見直す時期だ。

     安全保障の観点からも、月探査での国際協調の意義は大きい。

     ロシアは、2024年までの運用が決まっている国際宇宙ステーション(ISS)に続く基幹プロジェクトとして、月探査を目指している。米露は既に、連携することで合意している。

     トランプ米大統領は先月来日した際、安倍首相と宇宙探査での協力強化で一致した。日米露などが参画するISSに次ぐ国際プロジェクトでも、日本の役割に期待していることの表れだ。

     月探査には、中国やインドなどの新興国も高い関心を寄せ、探査機を送り込んでいる。大きな成果を上げるためには、ISSよりも幅広い国際協力の枠組みを構築することが重要になる。

     日本がホスト国となって、東京で来春、約60か国が参加する国際宇宙探査フォーラムが開催される。国際連携の調整役として、政府の手腕が問われよう。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20171204-118-OYT1T50121

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  4. 宇宙探査に国際ルール…環境保護やデータ公開
    2018年3月1日5時0分

     月や火星などの天体の保護や科学データの無料公開を柱とする、宇宙探査に関する新しい国際指針の全容が28日明らかになった。3月3日に東京都内で開かれる宇宙関係の閣僚級会合「国際宇宙探査フォーラム(ISEF)」で合意する。月や火星の探査を巡る各国の動きを踏まえたもので、民間企業との協力も盛り込む。指針は1967年に発効した宇宙条約以来、半世紀ぶりに作られる国際的な基本ルールとなる。

     フォーラムの開催は2014年の米ワシントンに続き2回目。今回は日米欧、ロシアや中国など約50か国・地域の閣僚や宇宙機関のトップらが参加し、探査の際に守るべき指針「国際宇宙探査の原則」と、探査の目標などを示す「共同声明」を取りまとめる。

     読売新聞が入手した文案によると、指針では、無秩序な資源開発などを避けるため、「宇宙空間と天体の保護」を明記する。探査で得られる新たな発見や観測データは、産業の発展にもつながることから、データの無料公開と各国での共有を求めている。

     また、民間での宇宙産業への関心の高まりを受け、探査の成果を生かした「新たな市場やサービスの創出」を進め、経済発展に貢献するとの方針も盛り込む。

     月を巡っては、米国による月上空への基地建設の構想がある。中国やインドも本格探査に乗り出し、民間では月面で水などの資源探査の計画が進む。

     火星や小惑星についても、日米欧などが無人探査機を送り込んでいる。指針は、こうした探査において、一定の秩序を求める。

     一方、共同声明では、日米露と欧州が中心となり運用している国際宇宙ステーション(ISS)の次の段階として、月や火星、さらに遠い天体の探査を共通目標として掲げる。

      国際指針の主なポイント

     ▽宇宙環境を維持するため、宇宙空間と天体を保護

     ▽探査で得られた科学データを無料で公開、共有することを促進

     ▽新たな市場、商業サービスを創造し、経済を拡大

      宇宙条約  月などの天体を含む宇宙空間の探査・利用の原則を定めた条約。国連総会で1966年に採択され、翌年に発効した。宇宙空間の探査や利用の自由を認めるとともに、国家による領有の禁止、天体の利用は平和目的とすることなどが明記されている。

      新興国の台頭で利害衝突を懸念

     宇宙環境の維持などをうたう探査の指針を、国際宇宙探査フォーラム(ISEF)でまとめる背景には、中国やインドなどの新興国や、民間企業の探査が活発化している現状がある。

     冷戦時代の米ソに象徴される、国家間の競争の場だった宇宙開発は現在、産業振興など実利が見込める段階にある。ただ、参加者の増加につれて利害がぶつかる恐れが高まり、新たなルールを作る必要が出てきた。

     指針は文部科学省が中心となり、各国と調整を進めて作成した。拘束力はないが、政府関係者は「守らねば国際社会の信用を失う。今後の議論の出発点となる『東京原則』だ」と話す。

     月の資源探査などが今後具体化した場合、詳細な国際ルールや法整備が不可欠だ。宇宙産業の健全な発展に直結するだけに、日本政府には今後も積極的な関与が求められる。(科学部 船越翔)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180228-118-OYTPT50426

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    1. 宇宙探査に国際ルール…天体の保護やデータ公開
      2018年3月1日6時9分

       月や火星などの天体の保護や科学データの無料公開を柱とする、宇宙探査に関する新しい国際指針の全容が28日明らかになった。

       3月3日に東京都内で開かれる宇宙関係の閣僚級会合「国際宇宙探査フォーラム(ISEF)」で合意する。月や火星の探査を巡る各国の動きを踏まえたもので、民間企業との協力も盛り込む。指針は1967年に発効した宇宙条約以来、半世紀ぶりに作られる国際的な基本ルールとなる。

       フォーラムの開催は2014年の米ワシントンに続き2回目。今回は日米欧、ロシアや中国など約50か国・地域の閣僚や宇宙機関のトップらが参加し、探査の際に守るべき指針「国際宇宙探査の原則」と、探査の目標などを示す「共同声明」を取りまとめる。

       読売新聞が入手した文案によると、指針では、無秩序な資源開発などを避けるため、「宇宙空間と天体の保護」を明記する。探査で得られる新たな発見や観測データは、産業の発展にもつながることから、データの無料公開と各国での共有を求めている。

       また、民間での宇宙産業への関心の高まりを受け、探査の成果を生かした「新たな市場やサービスの創出」を進め、経済発展に貢献するとの方針も盛り込む。

       月を巡っては、米国による月上空への基地建設の構想がある。中国やインドも本格探査に乗り出し、民間では月面で水などの資源探査の計画が進む。

       火星や小惑星についても、日米欧などが無人探査機を送り込んでいる。指針は、こうした探査において、一定の秩序を求める。

       一方、共同声明では、日米露と欧州が中心となり運用している国際宇宙ステーション(ISS)の次の段階として、月や火星、さらに遠い天体の探査を共通目標として掲げる。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180228-118-OYT1T50094

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  5. 高校生“火星で飛べる飛行機”開発に挑戦!
    2018年3月3日 19:01 日テレNEWS24

    月や火星探査に向けて各国共通のルール作りを話し合う「国際宇宙探査フォーラム」が、日本で初めて開催されている。各国政府や民間企業が続々と宇宙開発に乗り出す中、ある高校生のチームが、火星でも飛べる飛行機の開発に挑戦している。

         ◇

    3日朝、世界40か国以上の閣僚や宇宙機関のトップが一堂に会し、国際会議が始まった。

    安倍首相「いま再び月、そして、その先へと歩みを進めましょう」

    各国の熱い視線が月や火星に向けられる中、次世代の宇宙開発を担う若手の育成も大きなテーマの一つだ。

         ◇

    先月末、東京・江東区の都立科学技術高等学校で、この国際会議に向けて準備を急ぐ高校生たちがいた。放課後、何やら真剣な表情で額を寄せ合う生徒たち。地球とは環境が異なる火星で飛行機を飛ばすにはどんな翼が適しているか、試作品をつくっては実験を繰り返しているのだ。

    「羽がこう傾くか、こう傾くか」「ここに乗っけた時に、安定しないから…」

    チームを率いるのは、リーダーの伊藤武龍さん(17)。国際会議という大舞台でこれまでの成果を発表するため、詰めの作業に追われていた。

         ◇

    火星は、地球と比べて重力が3分の1、大気密度は100分の1しかなく、飛行機を飛ばすには地球の33倍の「揚力(浮く力)」が必要となる。そこで生徒たちが考案したのが、回転ローターを取り付けた翼。ローターを回すことで翼の上下に空気の流れを作り出し、浮く力を大きくする試みだ。

    伊藤武龍さん「こいつ(ローター)を実験中に回すと、その回転で空気を巻き取ってくれる。流れを作ることで、飛行機が飛ぶために必要な上に働く力がより大きくなる」

    翼に使う材料はほぼ全て生徒たちの手作り。バランスを取るためにレーザー加工機で鉄板を裁断し、重りを作る。そして、軽くて空気抵抗の少ない特殊なカバーを翼に貼り付ける。これで翼が完成した。

    この翼を扇風機やストローで手作りした風洞実験装置にセットして、風を送りながら重さを量る。翼の重さが軽くなればなるほど、浮く力が大きくなった証拠だ。結果は、マイナス93グラム。これまでの実験結果より、ほんの少しだが機体を浮かせる力が増えていた。

    伊藤武龍さん「目指すところは、やっぱり、初の火星探査飛行機を僕たちがつくるというところを目指してやっていきたい」

         ◇

    そして3日、全国から選ばれた高校生7チームが、宇宙探査をテーマに英語で研究成果を発表する。いよいよ伊藤さんたちの順番が回ってきた。

    ──この翼はモーターの回転で揚力を発生させる仕組みです。

    伊藤武龍さん「英語ってだけで、こんなに緊張するんだって感じでした。でも、すごく貴重ないい経験になったので、チャレンジしていきたい」

    ゆくゆくは火星へ向かうロケットや探査機の開発にも挑戦したいと意気込む高校生。大きな夢の実現に向けて一歩を踏み出している。
    http://www.news24.jp/articles/2018/03/03/07387119.html

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  6. 「月、火星、そしてその先まで」太陽系探査の国際会議
    3月3日 18時38分

    日本やアメリカなどおよそ50の国の閣僚などが新たな宇宙探査の協力態勢を話し合う国際会議が都内で開かれ、「月・火星、そしてその先まで、太陽系の探査活動の拡大は国際コミュニティーで広く共有されている目標であることを確認した」などとする共同声明が採択されました。

    この会議には国際宇宙ステーションに参加する日本やアメリカ、ロシアなどのほか、独自に宇宙開発を進める中国など、およそ50の国や国際組織から閣僚や宇宙機関の代表が出席しました。

    会議では宇宙探査に参入する国や企業が相次ぐ中で、宇宙探査の共通の原則について議論され、共同声明が採択されました。
    共同声明では、宇宙探査は地球上の全市民の経済成長と社会福祉に貢献するとしたうえで、月・火星、そしてその先まで、太陽系の探査活動の拡大は国際コミュニティーで広く共有されている目標であることを確認した、などとしています。

    政府は去年の年末に今後の宇宙政策のスケジュールなどを示す宇宙基本計画の工程表を改訂し、各国が協力して行う月面の有人探査に日本が参加できるよう、ことしから技術面や国際的な協調の在り方を検討する方針を打ち出しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180303/k10011350651000.html

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  7. 宇宙探査の拡大、国際目標=閣僚級会合で共同声明-東京

     将来の宇宙探査に関する国際協力の在り方を話し合う閣僚級会合「第2回国際宇宙探査フォーラム」(ISEF2)が3日、東京都内で開かれ、月や火星など宇宙探査の拡大が国際的な共通目標であることを確認する共同声明を採択した。第3回会合は2021年ごろ、イタリアで開かれる。
     フォーラムは米国やロシア、欧州のほか、中国やインドなど宇宙新興国を含む45カ国・機関が参加。国際協力による宇宙探査の促進などを話し合った。
     共同声明は宇宙探査を「人間の活動領域を拡大する重要な挑戦」と位置付けた上で、国家的な投資の必要性や産業界も含めた国際協力の重要性などを再確認。目標として月、火星探査や、その先の太陽系探査を掲げた。(2018/03/03-19:41)
    https://www.jiji.com/jc/article?k=2018030300521&g=eco

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  8. 月や火星探査で国際協力…ISSから主舞台移す
    2018年3月3日20時44分

     宇宙探査の国際連携を議論する閣僚級会合「国際宇宙探査フォーラム」は3日、月や火星、さらに遠くの太陽系への探査活動を共通の目標とする共同声明をまとめ、公表した。

     国際協力による探査の主舞台を、日米露などによる国際宇宙ステーション(ISS)から、月や火星とする方向性が示された形だ。

     東京都内で開かれたフォーラムに参加した45の国や宇宙機関の代表が合意した声明には、米国主導の月上空基地構想や中国、インド、民間などの月探査計画を踏まえ、新たな参加国や民間との連携、持続的な探査の実現などが明記された。

     また、探査の際に守るべき指針「国際宇宙探査の原則」(東京原則)もまとめ、天体の保護、科学データの無料公開、新たな市場や商業サービスの創出などを盛り込んだ。林文部科学相は終了後の記者会見で、「世界の流れとして、月探査を進めるという大きな方向性を示せた」と強調した。

     共通目標と原則が定まったことで、今後の国際協力による探査に弾みがついたが、ルールづくりや予算面での課題が残った。

     各国による探査が具体化した際に最大の焦点となりそうなのが、新たに見つかった資源の取り扱いだ。1967年に発効した宇宙条約では資源開発について規定がなく、今回の東京原則でも触れていない。

     米国は2015年、民間の宇宙資源の利用や販売を認めた国内法を成立させた。宇宙資源開発を積極的に進めるルクセンブルクも、民間が得た資源の権利を保障する法律を制定済みだが、日本では具体的な議論はこれからだ。

     合意した原則をもとに、詳細な共通ルールづくりを各国間で今後進める。宇宙関連の法律に詳しい水島淳弁護士は「(全ての国への便益などを定めた)宇宙条約の理念を生かしつつ、現実に即したルールを策定することが重要だ」と話す。

     日本政府の宇宙関連予算は年間約3000億円。ISSで年間350億~400億円程度の負担が、次期月探査ではさらに巨額になる可能性がある。ISS自体も、25年以降どうするか方針が決まっていない。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180303-118-OYT1T50103

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  9. 月・火星探査で国際協力…宇宙フォーラム 科学データ公開 原則に
    2018年3月4日5時0分

     宇宙探査の国際連携を議論する閣僚級会合「国際宇宙探査フォーラム」は3日、月や火星、さらに遠くの太陽系への探査活動を共通の目標とする共同声明をまとめ、公表した。国際協力による探査の主舞台を、日米露などによる国際宇宙ステーション(ISS)から、月や火星とする方向性が示された形だ。

     東京都内で開かれたフォーラムに参加した45の国や宇宙機関の代表が合意した声明には、米国主導の月上空基地構想や中国、インド、民間などの月探査計画を踏まえ、新たな参加国や民間との連携、持続的な探査の実現などが明記された。

     また、探査の際に守るべき指針「国際宇宙探査の原則」(東京原則)もまとめ、天体の保護、科学データの無料公開、新たな市場や商業サービスの創出などを盛り込んだ。林文部科学相は終了後の記者会見で、「世界の流れとして、月探査を進めるという大きな方向性を示せた」と強調した。

    資源開発課題残る

     共通目標と原則が定まったことで、今後の国際協力による探査に弾みがついたが、ルールづくりや予算面での課題が残った。

     各国による探査が具体化した際に最大の焦点となりそうなのが、新たに見つかった資源の取り扱いだ。1967年に発効した宇宙条約では資源開発について規定がなく、今回の東京原則でも触れていない。米国は2015年、民間の宇宙資源の利用や販売を認めた国内法を成立させた。宇宙資源開発を進めるルクセンブルクも、民間が得た資源の権利を保障する法律を制定済みだが、日本では具体的な議論はこれからだ。

     合意した原則をもとに、詳細な共通ルールづくりを各国間で今後進める。宇宙関連の法律に詳しい水島淳弁護士は「(全ての国への便益などを定めた)宇宙条約の理念を生かしつつ、現実に即したルールを策定することが重要だ」と話す。

     日本政府の宇宙関連予算は年間約3000億円。ISSで年間350億~400億円程度の負担が、次期月探査ではさらに巨額になる可能性がある。ISS自体も、25年以降どうするか方針が決まっていない。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180303-118-OYTPT50514

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  10. [想う2018]再び月へ行く大義は…千葉工大惑星探査研究センター所長 松井孝典さん 71
    2018年2月28日5時0分

     1960~70年代のアポロ計画で、月へ人を送った米国。トランプ政権は再び月へ人を送ると発表し、2019会計年度の予算教書でもその姿勢を示した。日本も米国の計画に参加する方針だ。来月3日、各国の高官などが宇宙探査を議論する国際フォーラムも東京で開かれる。月・火星研究の第一人者で、宇宙政策作りにも関わる松井孝典さんは何を想おもうのか。(編集委員 知野恵子)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180227-118-OYTPT50451

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    1. 地球上に問題山積/人類、文明への課題 考察必要

        文明

        〈米国は、月の上空に基地を造るための主要部分を2022年に打ち上げ、23年に米国人宇宙飛行士を飛行させる。その後、月面探査、火星有人飛行へと発展させるという。松井さんが委員長代理を務める政府の宇宙政策委員会は、米国の計画に参加する方針を認めた。しかし米国は詳細な費用や内容を明らかにしていない〉

       昨年秋、トランプ大統領来日の際に、宇宙で協力するという大枠を安倍首相とのトップダウンで決めた。具体策は当事者で、ということだろう。

       米国が詳細な計画を示せないのは当たり前だ。大統領が代わるたびに、有人宇宙飛行の目標を、月、火星、小惑星と変えてきた。今度は月だ。そんなにふらふらしていたら、実現に向けた戦略を立てられるはずがない。

       米国には、中国が月面に基地を造ったらえらいことになる、という危機感がある。「月の上空」ではなく、「まず月面に基地を」となるかもしれない。

       大事なのは、深い考察だ。

       アポロ計画から50年もたって、なぜまた月へ人なのか。宇宙へ出ていかねばならない人類史的、文明史的な課題とは何なのか。真剣に考えるべきだろう。

       アポロ計画は、人類史上、文明史上、すごいことを成した。

       地球上の知的生命が、地球の重力を突破して宇宙に出て、再び戻ってきた。宇宙にぽっかりと浮かぶ地球の姿を人々に見せた。僕たちは初めて外からの視点を得た。

       科学や技術はもちろん、人生観、世界観、哲学、宗教、芸術などあらゆるところに影響を与えた。あの事業が成功したことで20世紀は終わった、という人もいる。僕も同感だ。

       あの時と今では、決定的に社会の雰囲気が違う。

       アポロの頃は、科学や技術とともに文明も進歩する、未知のことに挑戦する、という空気があった。米ソ冷戦という国際情勢もあったが、月へ人を送ることを熱烈に支持する国民がいた。

       今はどうか。地球上に問題は山のようにある。米国民の大多数の賛同を得るのは難しいと思う。

       日本人飛行士が月面に立てるかもしれない? 日本がかなりの分担金を出すなら、何年かに1回ぐらい連れて行ってあげますよ、と米国は言うかもしれない。だが、今の日本の財政状況では無理だ。国民にアンケートしてみるといい。たとえあなたの年金を削ってでも、日本人を月に立たせたいですか、と。

       技術者や研究者がやりたい、宇宙飛行士が行きたい、宇宙ファンが喜ぶ、では国民は納得しない。

       来月3日、各国の高官や宇宙機関の長が集まる「国際宇宙探査フォーラム」が開かれる。どこまで踏み込んだ議論ができるか。それが最初の試金石になる。

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    2.   お月さん

        〈1986年、松井さんは英科学誌「ネイチャー」に、海の誕生を解明した「水惑星の理論」を発表、世界に名をとどろかす。89年には、日米ソ欧の科学者会合で国際協力での火星探査を呼びかけた。惑星探査の「顔」になってきた〉

       僕は月を「お月さん」と呼ぶ。研究者として一人前になることができたのは、お月さんのおかげだからだ。呼び捨てになんかできない。

       大阪万博が開かれた70年、僕は東大理学部の地球物理学科を卒業し、大学院へ進んだ。太陽系の中でどのようにして地球ができたのか。起源と進化を研究したかった。だが、行ってみると、そんな場ではないとわかった。地震、火山、気象、海洋など研究は細分化されていた。太陽系なんか研究ではない、という雰囲気だった。自分には居場所がないと感じた。

       そんな時だ。教授の「タケキン」さんから声がかかった。「月の石、面白いからやろうよ」。タケキンさんとは、後に科学雑誌「ニュートン」の初代編集長になる竹内均ひとしさんだ。

       米航空宇宙局(NASA)は、宇宙飛行士が持ち帰った月の石を、世界の科学者に配布した。皆すごく興奮していた。NASAへ出かけた東大教授は、金塊でも入れるようなかばんに、20グラムほどの小さなかけらを収め、大切に持ち帰ってきた。

       皆、競って分析に取り組んだ。面白いことがわかった。月の表面が最初はどろどろに溶けていたことだ。当時は、地球も月も、生まれた時は冷たかったと考えられていた。

       タケキンさんには、この謎を解く仮説があった。約46億年前、宇宙空間を漂うガスやチリが集まって初期の地球が生まれた。そこにたくさん小さな天体が衝突し、月も生まれた。その時の熱と関係しているのではないか。

       仮説を証明するために、僕たちはコンピューターで計算を繰り返した。地球ができるには時間がかかり、熱は宇宙に拡散する。しかし、地球よりも小さく、短時間でできる月には熱が残り、表面が溶けるという結果が出た。

       その論文がすごい反響を呼んだ。米国の学会に出席すると、僕の周りに科学者が集まってくる。僕はまだそれしか論文を書いていないというのに。

       米国はそういうところだとわかった。学会の重鎮だからえらいなんて考えない。大事なのは実績。これならやっていける。

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    3.   赤い雨

       僕は人間が宇宙へ行くことにはあまり興味がない。月・火星探査の究極の目的は、我々はどこから来たのか、どこへ行くのか、広大な宇宙の中で孤独な存在なのか。その答えを探ることだと思っている。

       2013年4月、僕はスリランカに調査に出かけた。赤い雨が降ったからだ。「血のような雨が降った」という報道や、隕石いんせきも降った、衝撃音が聞こえた、などの情報もあった。

       宇宙から何かが地球に飛来したのではないか。世界の古典には、そういう現象が幾つも記載されている。

       僕は現地で雨のサンプルを入手した。赤い色の正体は、微生物の細胞のような物質だとわかった。宇宙の生命か、と期待したが、遺伝子分析をすると、地球生まれの微生物と判明した。地球から一度宇宙へ出て、戻ってきたのだろう。

       探査機を飛ばせば、地球の微生物が宇宙にばらまかれる。自然の営みによって宇宙まで舞い上がるものもある。宇宙は天体から出ていったもので満ちている。僕らの生命の起源が、宇宙からやってきたと考えても不思議ではない。

       僕はアポロ計画でこの分野に入った。そして今、アポロの次の有人月探査の話が提案されている。しかも、僕の研究者人生がもう終わりかけている時にね。お月さんを宿命のように思っている。

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    4. 温度差は大きい

       「人が宇宙へ出ていかねばならない人類史的、文明史的課題は何か」。松井さんは問う。日米首脳のトップダウンで、にわかに有人月探査の検討が始まった。だが、人々の受け止め方には大きな温度差がある。

       アポロ計画も「巨費の成果は石なのか」と批判され、途中で打ち切られた。日本はこれからどうやっていくか。松井さんたち宇宙政策委員会のかじ取りにもかかっているはずだ。(知野)

                ◇

        まつい・たかふみ  東大名誉教授、内閣府宇宙政策委員会・委員長代理。専門は地球惑星物理学。米ミシガン大客員研究員、米航空宇宙局(NASA)月科学研究所研究員、東大教授などを歴任。著書に「銀河系惑星学の挑戦」「地球システムの崩壊」など。

      https://koibito2.blogspot.jp/2016/09/blog-post.html?showComment=1519836491267#c4767252821192419865

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  11. [新書ワールド]3月5日
    2018年3月5日15時0分

    ■『日本軍兵士』吉田裕著

     アジア・太平洋戦争で死んだ軍人・軍属の戦没者のうち、少なめに見ても4割近くが餓死だという。ほかに自殺、傷病兵の殺害も多く、私的制裁は横行し、マラリアなどの病気が蔓延まんえんし、精神疾患も深刻だった。軍事史研究者の著者が長年の研究成果を通じ、被服、糧食、栄養状態の基本条件から特攻などの異常な作戦まで戦没軍人・軍属約230万人の「死の現場」を浮き彫りにする。(中公新書、820円)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180305-118-OYTPT50168

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    1. ■『2030年 未来への選択』西川潤著

       高齢化、エネルギー問題、経済の行き詰まりなど、世界が大きな転換点を迎えるなか、国際経済学者として長年の経験を持つ著者は今後について、ナショナリズムの強化、グローバル化の加速など四つのシナリオを提示。そのいずれもが我々の努力によって、よりよい未来につながる「裏シナリオ」を持つという。勇気ある賢明な行動を呼びかける書。(日経プレミアシリーズ、870円)

       ◇

       新書の書評は、文芸評論家の友田健太郎さんが担当しました。

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  12. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望 87 <1>機械好き ジグザグ人生
    2018年3月6日5時0分

    「僕の人生はジグザグだった」と振り返る石井威望さん(東京都港区で)=鈴木竜三撮影

     医師で工学者の石井さんは、ICT(情報通信技術)、都市交通システム、人工臓器など幅広い分野の研究に取り組んできた。政府の様々な有識者会議の座長も務め、日本の科学技術や産業政策の先導役を担った。石井さんが、その歩みを振り返る。

      編集委員 知野恵子

     僕の人生は本当にジグザグでしたね。軍人になる教育を受けたり、医者をしたり、工学者としてコンピューターを研究したり。通商産業省(現・経済産業省)の役人だったこともあります。日本の産業や科学技術の変化とともに歩んできました。

     《戦後の焼け野原から立ち上がった日本は、朝鮮戦争特需などで右肩上がりの高度経済成長を体験する。しかし、1970年代に入ると、社会問題化する公害、金とドルの交換を停止した「ニクソンショック」、石油危機、狂乱物価など、様々な問題に見舞われる》

     高度成長期は人間で言えば身長が伸び、体重が増えるようなものですね。いつまでもその状態は続かない。頭脳も発達しないといけない。僕はその頭脳とは、半導体、コンピューターのような情報技術(IT)だと思います。

     それを政策で実現したのが「テクノポリス(高度技術集積都市)」構想です。

     テクノポリスとは、テクノロジー(技術)とポリス(都市)を合わせた造語です。78年12月に首相に就任した大平正芳さんが提唱した「田園都市構想」を受けて始まりました。

     僕は通産省の「テクノポリス建設基本構想委員会」の座長をつとめ、80年夏に構想をとりまとめました。

     コンピューターなどの最先端技術を核に地方を活性化する、地域の特性を生かした新しい街づくりをする、といった内容です。今で言う地方創生です。

     いろいろな研究をしてきましたが、中心はやはりコンピューターです。国産コンピューターの黎明れいめい期から関わり、様々な分野で活用しながら、新しい時代へと脱皮をはかる。その過程を体験してきました。そして今なお進行中です。

     僕は機械好き、新しいもの好きです。新製品が出ると、すぐ触ってみたくなる。小型無人機「ドローン」にしろ、スマートフォン向けゲームアプリ「ポケモンGO」にしろ、まず自分でやってみます。東京・秋葉原にもよく足を運び、動向をチェックしています。

     データや論文だけでは世の中はわからない。現場に行き、自分で体験しないと。周りからは「また道楽が始まった」と笑われますがね。

           ◇

     1930年(昭和5年)、大阪市生まれ。大阪陸軍幼年学校、旧制三高を経て、東大医学部。医師免許取得後、東大工学部に学士入学。57年、通商産業省入省。58年、東大大学院工学研究科入学。東大専任講師、助教授を経て、73年教授。91年、慶応義塾大教授。専門はシステム工学。東大名誉教授、鹿島建設顧問。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180305-118-OYTPT50346

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    1. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<2>「大平研究会」は多士済々
      2018年3月7日5時0分

       テクノポリス(高度技術集積都市)構想は、1978年(昭和53年)12月に首相に就任した大平正芳さんの「田園都市構想」から生まれました。

       《1970年代に入ると、高度経済成長後の日本の姿を模索する動きが始まる。72年7月に就任した田中角栄首相は「日本列島改造論」を提唱。新幹線、高速道路建設など列島改造ブームを起こす。一方、大平正芳氏は農山村と都市の利点を生かす「田園都市」を打ち出す。開発優先のイメージの列島改造に対し、田園都市は地域を重視した落ち着いた社会作りのイメージがあった》

       大平首相は79年1月から、次々と政策研究グループを発足させます。通称「大平研究会」と呼ばれるものです。「文化の時代」「田園都市構想」「家庭基盤充実」「環太平洋連帯」「総合安全保障」「対外経済政策」「文化の時代の経済運営」「科学技術の史的展開」「多元化社会の生活関心」の九つの研究グループがありました。

       委員の顔ぶれがすごかったですね。新進気鋭の研究者が全部入っている印象でした。

       当時の肩書のまま紹介しますと、梅棹忠夫・国立民族学博物館館長、政治学者で東大教授の佐藤誠三郎さん、社会システム論が専門の公文俊平・東大教授、学習院大教授で政治学者の香山健一さん、作家の小松左京さん、1月に亡くなられた経済学の西部邁すすむ・東大助教授など、多士済々でした。40代の若手中心で、49歳だった僕も、三つのグループに入りました。

       霞が関の官僚も事務局として参加していました。僕が入った一つ、「科学技術の史的展開」グループの事務局は面白くてね。今の日本銀行総裁の黒田東彦はるひこさんが、大蔵省(現・財務省)課長補佐の肩書で入っていました。僕はこのグループの幹事役だったので、そばにいたはずですが、ほとんど印象に残っていないんですよね。

       大平首相が「ぜひやりたい」と始めた勉強会ですが、首相は80年6月に急逝されます。科学技術の史的展開の報告書はその年の7月、伊東正義・首相代理に提出しました。

       報告書で、科学技術が目指すべき道として「ホロニック・パス」を提唱しました。聞き慣れない言葉だと思いますが、全体と個の調和をはかっていく道筋を作るといった意味です。

       高度経済成長の下、日本は石炭や石油などの資源を消費し、巨大科学や巨大施設などハードを重視してきました。その結果、自然環境を破壊し、人類の生存を脅かすまでになりました。量的拡大を見直し、質的拡大をはかる方向へ行かないといけない。その鍵は情報技術だ、といった内容です。まだ「IT(情報技術)」という言葉は使われていませんでした。

       実は僕は大平研究会が始まる前に、米国のシリコンバレーへ調査に出かけています。その体験が、報告書に反映されています。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180306-118-OYTPT50392

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    2. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<3>日本にシリコンバレーを
      2018年3月8日5時0分

       大平首相の「政策研究会」が1979年に発足する少し前です。僕は米西海岸のシリコンバレーを見に出かけました。

       きっかけは、後に富士通の社長になる山本卓真さんの言葉です。当時、山本さんは技術担当重役だったと思います。

       僕は陸軍幼年学校出身です。陸軍航空士官学校出身の山本さんはそのことを知っていて、何かの折に「君は陸幼か」と話しかけてくれました。それ以来、親しくしていました。

       《山本氏は、陸軍少尉として満州で終戦を迎える。東大第二工学部卒業後、富士通入社。国産コンピューターの開発に取り組む。社長就任後もコンピューター部門に力を入れ、売上高を拡大。富士通の「中興の祖」と呼ばれた》

       山本さんは、大学では耳にしないような最前線の技術動向をつかんでいました。ある日、こんなことを口にします。

       「すごい情報を教えてやろう。集積回路(IC)革命が起きる。シリコン大革命が確実にやってくるぞ。ウチも今、若い社員を米国のシリコンバレーに送って調べさせている」

       シリコンバレーのことを聞いたのは初めてでした。

       《シリコンバレーは、米カリフォルニア州サンフランシスコ湾南岸のサンノゼ周辺一帯の通称。ノーベル物理学賞受賞者が研究所を設立したのを機に、数々の半導体企業が生まれる》

       シリコンバレーというと、情報技術(IT)関連のベンチャー企業を連想します。だが、僕が出かけた頃はまだそうではなかった。半導体を製造する会社ばかり集まっていました。

       半導体の代表的な素材がシリコンです。ICは、シリコン基板の上に、トランジスターや電気抵抗などの機能をまとめた超小型の電子回路です。工場の機械、家電など様々なものに組み込むことで、新しい製品や産業が生まれます。

       工場で生産工程を見せてもらいました。工場の人は、指先に載るような小さいものを僕に見せ、「これがICで、シリコンバレーの強さだ」と説明しました。

       しかし、見ているうちに自信が湧いてきました。日本の能力や技術なら、この程度のことは十分できる。

       70年代後半は、日本にとって危機的な時期でした。大阪万博が終わり、高度経済成長も達成した。これから何を目指したらいいか。皆、探していました。シリコンバレーを調べるうちに答えが見えてきました。

       大平首相が唱えた「田園都市構想」のハイテク版、日本のシリコンバレーを造ったらどうだろう。

       それが80年の研究会報告書や、当時の通商産業省の政策に反映されます。83年には「高度技術工業集積地域開発促進法(テクノポリス法)」が制定されます。

       日本列島が新産業を目指して胎動を始めます。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180307-118-OYTPT50398

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    3. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<4>テクノポリス 地方に熱気
      2018年3月10日5時0分

       《1983年4月、「高度技術工業集積地域開発促進法(テクノポリス法)」が成立。テクノポリス構想が動き出す。法律では、建設するための手順、国や自治体が行う助成措置などを定めた。通産省(現・経済産業省)が中心になって進めていった》

       前にもお話ししましたが、テクノポリスとは、テクノロジー(技術)とポリス(都市)を組み合わせた造語です。

       半導体、コンピューター、バイオテクノロジー、ロボットなどの先端技術産業を導入して地方を活性化しよう。産学住が結びついた新しい都市づくりを進めよう、という構想でした。

       とはいえ、最初のうちは何をやろうとしているか、理解してもらえませんでした。「ポリスだから、警察だろう」と言われたこともありました。

       それが、国や自治体が助成措置を行うとわかると、急速に変わります。いろいろなところが「ぜひウチに」と誘致に乗り出しました。

       熱心に手を挙げたのは大分県でした。

       《当時の大分県知事の平松守彦氏は通産省官僚を経て、79年初当選。「一村一品運動」を推進するなど、地域振興に努めた。連続6期当選》

       平松さんは通産省の電子政策課長だった頃から、日本はこれからは集積回路(IC)などの電子産業をやるんだ、と主張していました。郷里に戻って、大分県知事になっても、その考えを貫きます。

       大分県は東京から離れているので、田舎のように思われるかもしれません。しかし、昔から秀才が多い土地です。江戸時代に広瀬淡窓という有名な儒学者が私塾を開いていて、そこに全国から秀才が集まってきたそうです。

       その伝統を生かし、知的産業のシンボルであるICを製造しよう。大分県を半導体産業の拠点にしようと考えたわけですね。

       通産省としてはどこか1か所をテクノポリスに選ぶつもりでした。

       ところが、すぐに熊本県の細川護煕知事など、あちらこちらが名乗りを上げ出しました。日本全国が沸き立った感じです。

       僕も候補地を幾つか見に行きました。どこも自分たちのところに誘致しようと、すごい熱気でした。

       名乗りを上げたところは、開発計画を通産省に申請します。大分県の北国東地域、浜松、函館、秋田など14地域が申請しました。

       通産省は数か所に絞り込もうとしましたが、結局、条件つきで全部指定することになりました。

       国会議員などが必死に働きかけましたからね。その後も指定地域の数は増え、最終的には26になりました。

       ところで僕は、大平首相に謝らないといけないと思っていることが一つあるんです。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180309-118-OYTPT50358

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    4. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<5>首相への消極発言を後悔
      2018年3月12日5時0分

       少し話が遡りますが、僕が大平首相に申し訳ないと思っていることを話しましょう。大平首相が1979年に発足させた「大平研究会」でのことです。

       研究グループの一つ「田園都市構想」の議長の梅棹忠夫さんは、僕にとっては旧制三高の大先輩です。文系出身で技術畑ではないけれど、いち早く「情報産業」を言い出した人です。著書「知的生産の技術」や情報整理用の「京大式カード」で知られています。

       たまたま大平首相と梅棹さんと僕が3人で一緒にいた時です。首相が梅棹さんに尋ねました。「日本はこれから漢字の問題をどうしたらいいだろう」

       米国生まれのコンピューターに日本語を扱わせるのは、技術的にとても大変なことでした。特に種類が多い漢字がそうです。

       梅棹先生は技術的なことがよくわかりません。それで僕に「石井君、どう思う」とふってきました。

       大平首相は、昔からタイプライターを使っている西洋諸国と比べると、日本にはハンディキャップがある。このままだと日本は時代に取り残されてしまわないか、と心配していました。

       僕はちょうどその頃、コンピューターに文字を認識させる研究をしていました。それで「難しいですよ。この問題はね」と答えました。首相からすれば、いい返事ではないですよね。

       ところが現実の方が早く進み、日本語ワープロが売り出されます。

       《78年、東芝が初の日本語ワープロを発売。630万円もする高額商品で、一般の人には手が届くものではなかった。80年代になると様々なメーカーがワープロ市場に参入。価格が下がり、利用が拡大する》

       大平首相は80年6月に亡くなられました。もっと強気で「大丈夫ですよ」と言えば良かった。謝りたい気持ちです。実はこれ、専門家の陥りやすい癖なんですね。克服しなければならない難題をよく知っているので、自分の専門分野の実用時期を慎重に予測してしまいます。

       《大平首相急逝後、鈴木善幸首相、中曽根康弘首相が続く。中曽根首相は、行政分野の無駄を見直す行政改革を進める。テクノポリスにも「ああいう断片的な、全国にばらまくような考え方は効率が悪い。乱費にもなる」と指摘した》

       テクノポリスの競争力をつけるために、交通インフラを整備しようという話が、あちらこちらから出てきました。例えば九州で作った集積回路(IC)を汽車や船で運ぶのでは経済効率が悪い。航空機で運ぶべきだ。だから空港や道路の整備を、となるわけです。

       でも、そんな話ばかりになるとすぐに行き詰まっちゃうんですよ。結局、大事なのは人材だと、皆が気づき出します。

       新時代にふさわしい人材作りを検討する場が84年にできます。中曽根首相直属の諮問機関、臨時教育審議会です。私もそこに加わります。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180311-118-OYTPT50195

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    5. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<6>教育にIT 改革を提唱
      2018年3月13日5時0分

       中曽根内閣で行政改革の次のテーマとして上がったのが教育改革です。時代が大きく変わる中、それにふさわしい人材を育成しようというのが狙いです。

       検討する場が臨時教育審議会です。1984年9月に第1回総会が開かれ、京大学長などを務めた医学者の岡本道雄さんが会長に就きます。

       《教育を検討する場として、文部省(現・文部科学省)の中央教育審議会があった。臨時教育審議会はより幅広い視点で、政府全体として議論した。「二十一世紀を展望した教育の在り方」「社会の教育諸機能の活性化」「初等中等教育の改革」「高等教育の改革」の4部会が設けられた》

       僕は「社会の教育諸機能」の部会長になりました。

       担当した一つが、生涯学習でした。長寿化が進み、大学までの勉強では長い人生をやっていけない。途切れることなく学び、補給していく必要がある。コンピューターなんてまさにそうです。1周目だけでは足りなくてもう1周やるんだ、という前提で教育を考えましょうということです。

       そしてもう一つは、情報化、つまりコンピューターの活用です。正直言って、部会の委員たちの反応はあまり良くなかったですね。

       当時は、コンピューターが今のように普及する時代が来るとは、考えられていませんでした。

       委員の中には、コンピューターを見たことがない人もいたぐらいですから、情報化と言われてもピンとこないようでした。従来のような初等教育を中心に議論すべきだ、という考えが強かったです。

       技術革新自身がものすごい勢いで進んでいる。それに見合う勉強をしないといけない。しかし、企業の中にはそんなことを考えずに、いつまでも年功序列みたいなやり方をしているところもありました。

       積極的に学ばないと、新しいものに反対するだけの抵抗勢力になってしまいます。50歳、60歳といった後半生も見通した上で、学習機能を高めないといけない。そんなことを強調しました。

       委員の一人に、作家の曽野綾子さんがいました。意外というか、曽野さんには僕を支持する意見を言っていただきました。曽野さんは、あの頃から小説を書くのにワープロを使っていたからでしょう。部会長としては非常に心強かったです。

       会議はものすごいスピードで進みました。合宿をして集中審議をすることや、部会長だけの会議もありました。臨教審の事務局は首相官邸の隣の総理府(現・内閣府)のビルの中でした。大学よりも、もっぱらそっちが勤務先でしたね。

       《臨教審は4回に分けて答申を出し、87年8月終了。石井さんの部会は、コンピューター教育、生涯学習の中核になる高度な情報通信システムを備えた「インテリジェントスクール」などを提言した》

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180312-118-OYTPT50339

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    6. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<7>信条は「ゆっくり着実に」
      2018年3月14日5時0分

       僕は1930年(昭和5年)、大阪市で生まれました。両親は千葉県佐原の出身ですが、関東大震災後、大阪へ移ってきたそうです。

       《1937年7月、盧溝橋事件をきっかけに日本軍と中国軍が衝突し、日中戦争が勃発。41年12月には太平洋戦争が始まる》

       体が弱くて、へんとう腺が腫れるなど、子どもがかかるたいていの病気をしました。学校も休みがちで、「この子は長生きできないよ」と、周りの人がみな言っていたそうです。

       11歳上の兄、7歳上の姉との3人きょうだいですが、上2人はとても丈夫。姉は健康優良児に選ばれたぐらいです。

       体が弱いせいか、何をするにも時間がかかりました。小学校に入学した時、母が先生から「あなたのお子さんはスローモーションですね」と、言われたそうです。

       その話を母から聞かされましたが、意味がわかりませんでした。そこで兄と姉に「スローモーションと言われたんだけど」と話すと、2人がゲラゲラ笑い出しました。

       スローモーションとは、動作がゆっくりしているという英語です。当時の軍隊では行動がきびきびと「速い」ことが評価基準でした。これは最悪だとわかりました。だから、僕が一番最初に覚えた英語は「スローモーション」です。

       それが5年生になると変わります。苦手だった体操、特に鉄棒が得意になります。

       きっかけは担任の先生です。先生は国民体育大会に出てもおかしくないようなすごい鉄棒の選手でした。授業はいつも鉄棒です。

       太平洋戦争が始まり、やがて先生も出征する。そのはなむけとでもいうのでしょうか。授業では、先生の好きなことをやらせようと学校側も大目に見ていたようでした。

       僕にとっては最悪の事態です。何しろ僕は尻上がりもできませんでしたから。ショックでした。被害者という気分でした。そこで、毎朝、1人で練習をすることにしました。

       手にまめができて血がにじむ。それでもあきらめずに毎日やっていると、徐々に尻上がりできるようになりました。僕の小学校のイメージは、たった1人で鉄棒をしている光景ですね。

       1年ぐらいたつと、体を折り曲げずに鉄棒を中心に大きく円を描くように回る「大車輪」もできるようになりました。マットなんてない時代でしたから、着地の時にしょっちゅう足をくじいていましたが。

       全校でも大車輪ができる生徒は3人しかいませんでした。その1人です。体操の評価が学年でトップクラスになりました。

       すると世の中がらっと変わりましたね。下級生は僕を英雄を見るようなまなざしで見て、尊敬してくれる。それまでのどん底から一躍ヒーローです。

       それ以来、「スロー・アンド・ステディー(ゆっくりと着実に)」が、僕の信条になりました。(編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180313-118-OYTPT50320

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    7. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<8>弱兵 幼年学校の辛酸
      2018年3月15日5時0分

       僕は大阪府立高津こうづ中学校に1年通った後、大阪陸軍幼年学校の試験を受け、合格しました。1944年(昭和19年)4月に入学します。

       《陸軍幼年学校は、エリート将校の養成を主眼とした全寮制の学校で、生徒年齢は旧制中学相当。東京、大阪、熊本、仙台などに設けられた。志願者が多く、試験の倍率は高かった》

       陸軍幼年学校出身だと言うと、教え子からは「先生は軍国主義なんですか」と聞かれます。でもそんなつもりはありませんでした。

       子ども時代の僕は病弱でした。体重も30キロ・グラムしかない。こんな体格では軍隊とは無縁だと思っていました。

       ところが、戦争で人が不足するようになると、僕のような弱兵もぎりぎりで試験に通りました。当時の陸軍の劣化を象徴していたと思います。

       陸軍幼年学校は、大阪の南部、金剛山の裾野にありました。楠木正成が築いた千早城の近くです。

       生徒が整列して並ぶと、体の小さい僕は、いつも前の方でした。小長啓一さんという、後に田中角栄首相の秘書官や通産省(現・経済産業省)事務次官を務める方が同期生にいました。僕が第4組で彼は第5組。整列すると、よく隣同士になりました。

       前にもお話しした通り、僕の動きはスローモーションです。モタモタしていて集合に遅れる。

       幼年学校では遅刻すると、「石井威望、遅れました」と大声で言わないといけない。かっこわるいですよね。その上、就寝前の点呼の後で叱られます。

       ある時、このままではいけないと、一念発起して早く行きました。ところがその晩も「石井は遅れた」と叱責しっせきされました。結局同じことでした。失望しましたね。

       剣術、柔道の授業でもつらいことがありました。

       この頃は伸び盛りの時期で、年の差はとても大きい。30キロ・グラムしかない僕が、健康優良児の60キロ・グラムぐらいある先輩と取り組むわけです。いつもひどい目にあいました。まあ、いい社会勉強になりましたがね。

       幼年学校は、時にすごいスパルタ教育をしていました。

       例えば、非常の際に呼び集められる非常呼集訓練です。遅れた生徒は、氷水を入れたプールで泳がされます。

       遅刻常習犯の僕は、恐怖で震え上がりました。僕の目には、上官の命令で真っ先に飛び込む人がライオンみたいに見えました。

       その後で熱いお風呂を使わせてくれるので事故は起きませんでしたが。むちゃな教育をしていたものです。今なら問題になるかもしれません。とは言え、そういう訓練を重ねているうちに、だんだん体力と自信がついてきました。

       そんな日々でしたが、1945年8月、終戦を迎えます。幼年学校も廃止されます。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180314-118-OYTPT50448

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    8. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<9>湯川、朝永、江崎育てた恩師
      2018年3月17日5時0分

       太平洋戦争が終わり、陸軍幼年学校は解体されました。僕は、幼年学校に入る前に通っていた大阪府立高津こうづ中学に戻ります。今の府立高津高校です。

       大阪市のど真ん中、天王寺区にありました。大坂冬の陣の時に、真田幸村が陣を構えたといわれる真田山のそばです。町工場が集まる東大阪も近く、同級生のほとんどが中小企業や商家の子どもでした。

       iPS細胞(人工多能性幹細胞)でノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥さんのお父さんの章三郎さんも同級生です。章三郎さんは後に、東大阪でミシンの部品を作る工場を営みます。

       《戦後の教育改革で、学制は小学校6年、中学3年、高校3年、大学4年の「六三三四制」へ変わる》

       1947年、僕は試験に合格して旧制第三高等学校に進みます。ちょうど旧制と新制の入れ替わり時期でした。僕たちで旧制は最後。その後は、京大の教養部になります。

       三高に入学すると、これまでとはうってかわって本当に自由でした。何をするのも自己責任。大人の扱いです。陸軍幼年学校とは天と地の差です。

       こんな世界があるとは知りませんでした。世の中は全部軍隊であり、そこで生き残らないといけないと思ってきました。ところが、そうじゃないと知って驚きました。世の中の価値基準ががらっと変わった。ショックもいいところでした。

       自由を満喫しすぎて繁華街の祇園にいりびたり、退学した友人もいました。

       三高は学問をするのに良い環境でした。特に物理学の吉川泰三先生が素晴らしかった。若くして三高の教授になられた方です。

       人柄が温厚で、講義がとても丁寧でした。実験も見せてくれて、物理への興味を湧かせてくれました。僕たちは「たーちゃん」と呼んでいました。

       吉川先生が物理を教えた学生には、ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹さんと朝永振一郎さんがいました。

       物理学の講義は、古色蒼然そうぜんとした階段教室で行われていました。ある日、その教室で先生が僕たちに話しかけてきました。「今日、湯川君がノーベル賞をもらったから祝電を打っておいたよ」。そして座席を指さし、「湯川君はいつもこのへんで講義を聞いていたんだ」。その後で先生は少し声を潜めて続けました。「実はね、もう一人すごいのがいるんだよ。朝永君っていうんだ」。その時、僕は初めて朝永さんのことを知りました。

       吉川先生の教え子には、やはりノーベル物理学賞を受賞する江崎玲於奈さんもいます。

       《湯川さんは49年、朝永さんは65年、江崎さんは73年にノーベル物理学賞を受賞する》

       3人ものノーベル賞学者を育てた教授は、世界でもまずいないのではないでしょうか。

      (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180316-118-OYTPT50381

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    9. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<10>車の運転、ラジオ修理学ぶ
      2018年3月19日5時0分

       1947年に旧制第三高等学校に入学し、受験勉強から解放されました。時間に余裕ができた僕は、車の運転とラジオ修理を学ぼうと考えました。

       できたばかりの自動車学校に行くと、戦前の古いフォード車が1台あるだけ。僕以外の人は皆、トラックの運転免許を取るために来ていました。「なんで学生が来るんだ」と不思議がられました。

       僕はこれからは自動車の時代だと感じていました。日本は航空機大国でしたが、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)から航空機の研究や製造を禁止されます。なら、自動車工業で日本を復興しよう。そういう機運が生まれつつありました。

       《戦後、日本は物資不足に悩まされる。ガソリンの入手は難しかった。一方、電力供給はだぶつき気味。電力を消費する工場が空襲で破壊されたり、家電製品がほとんどなかったりしたためだ。政府は電気自動車を推奨。東京電気自動車(現・日産自動車)などが電気自動車を売り出した》

       自動車学校へ行く前、焼け野原の大阪で、電気自動車を運転したことがあります。その車を運転している人に頼んで、やらせてもらいました。

       空襲で道路がめちゃくちゃになっているし、操作も難しい。少し走るとがれきに乗り上げてしまいました。「危なっかしくて見ちゃいられない」と、すぐに降ろされてしまいました。

       ラジオ修理は、復興には情報が欠かせないと考えたからです。

       《占領軍はラジオ放送を重視、良質なラジオを供給するよう日本政府に命じた。商工省(現・経済産業省)、日本放送協会、メーカーなどの関係者でラジオ受信機を検討、「国民型受信機」の規格が発表される》

       戦時中も空襲警報などの情報を得るために、ラジオを聞いていました。しかし、ほとんどメンテナンスがされていなかったので、故障しているラジオがいっぱいありました。これをどうすれば直せるか。学校の先生は、そういう実用的なことはわからない、と言います。

       ある日、小さなみすぼらしい電器店に、「ラジオ修繕教えます」と書いた紙が貼ってありました。月謝はえらく高かったけれど、親をおがみ倒して、ラジオ修理の見習いになりました。半年もたたないうちに覚え、人から修理を頼まれるようになりました。

       当時のラジオはコップぐらいの大きさの真空管を使っていました。スイッチを入れると発熱するので、すごく暑い。扇風機もないので、夏は上半身裸で修理していました。

       大阪市内に日本橋という、東京の秋葉原みたいなところがあります。店の人と顔見知りになると、「米国人が新しい真空管を売ってくれるよ」などと情報をくれる。部品を買うのも、勉強になりました。

       授業料は高かったけれど、修理するとお礼をもらえるので、1年ぐらいで元がとれた感じでしたね。(編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180318-118-OYTPT50160

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    10. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<11>医師に合格 「次は工学」
      2018年3月20日5時0分

       旧制第三高等学校を卒業し、1950年に東京・本郷の東大医学部へ入学しました。医師を志したのは、やはり子どもの頃から体が弱かったためでしょう。

       《日本では明治以来、大学と医学専門学校で医学教育が行われてきた。戦後、医師過剰になる。海外から引き揚げてきた軍医や開業医に加え、戦争末期に医専を増設して医師を速成したからだ。連合国軍総司令部(GHQ)の指示で抜本的改革が行われ、51年以降、6年制の大学教育に統一された》

       教授陣には、江戸時代の医師・緒方洪庵やキリスト教思想家の内村鑑三の子孫の方々もいるなど、そうそうたる顔ぶれでした。

       医学部1年生は、朝から晩まで解剖に明け暮れます。

       解剖は8人ごとのグループで行います。グループを意味するドイツ語「グルッペ」と呼んでいました。

       1年間かけて一人の死体を解剖し、徹底的に人体の構造を学びます。

       毎週、教授からグルッペごとに口頭試験がありました。解剖した体に教授が手を伸ばし、「この名前は」と聞きます。するとラテン語で答えないといけません。例えば筋肉だと「ムスクルス」です。

       体の構造や部位を覚えるだけでも大変なのに、ラテン語の長い名前まで全部暗記しないといけない。ラテン語は世界の医師の共通語だからですが、大変でした。ほかに講義や顕微鏡実習もあり、本当に毎日忙しかったです。

       最初は死体に近寄るのも怖かったです。ところが、時間がたつと、そばでお昼の弁当も食べるようになりました。人間は慣れるものですね。

       同級生には、人工心臓で著名な渥美和彦さん、国立国際医療センター総長を務めた高久史麿さん、国立小児病院院長を務めた小林登さん、鹿児島大学長を務めた井形昭弘さんなどがいました。彼らとはずっと付き合いがあり、人生の様々な節目で助けてもらうことがありました。

       2年生で病理学や薬理学を学び、3年生になると患者さんの診察もします。

       朝8時から講義を受け、10時から午前いっぱい外来の患者を診ます。初めての診察の時は、恐れおののき、緊張しましたね。どういう患者さんが来るかわかりませんし、教授からは所見を求められます。見落としていることがあれば、「どういう診断をしているんだ」と叱られます。

       その後、インターン(研修医)になり、東大病院の全科を回りました。当時は入院患者の尿や便の検査もインターンの朝一番の仕事でした。今なら検査専門の会社がやりますがね。

       55年に医師国家試験に合格しました。普通なら医師の道を歩むのですが、僕は東大工学部へ学士入学します。最初からそうしようと決めていました。

       周りの人は随分けげんに思ったようです。実はこれは、敗戦体験から生み出した僕なりの戦略です。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180319-118-OYTPT50399

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    11. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<12>生存のための「3条件」
      2018年3月21日5時0分

       医学部を卒業し、工学部へ行く。敗戦体験を踏まえて、僕なりに考え抜いてのことです。

       僕は陸軍幼年学校2年生の時に終戦を迎えました。陸軍という組織が完全に崩壊し、目の前で世の中ががらがらと変わりました。

       自分はこれから何をよりどころにして生きていけばいいのか。15歳の子どもらしい散漫な考えですが、生存のための3条件が浮かびました。

       軍隊にしろ会社にしろ、組織がなくなることがある。たとえそうなったとしても一人の人間として生きるためには、「移動」「情報」「健康」が必要だと考えました。

       少し説明しましょう。「移動」は、戦地から戻ってきた人を目の当たりにして感じたことです。

       終戦の時、11歳上の僕の兄はインドネシアにいました。大阪の商業学校を卒業して就職しましたが、軍に召集され、一兵卒として中国へ出征しました。その後、フィリピンへ派遣されます。日本軍が捕虜を残虐に取り扱った「死の行進」で有名なバターン半島で銃弾を浴び、負傷しました。除隊になり、インドネシアのスラバヤで倉庫業の仕事をしている時に終戦を迎え、居留外国人として抑留されます。1年ほどして日本に戻ってきました。満州(現中国東北部)に派遣された僕のいとこは、かなり遅れて帰ってきました。

       満州から生還した陸軍幼年学校の先輩によると、軍は日本が負けると知っていて、体調が悪い人を飛行機で先に帰らせたそうです。飛行機で帰れなかった人はシベリアに抑留されました。

       移動手段が確保できたかどうか。それが生死を分け、人生を変えました。移動が大事という考えにつながりました。

       そして情報。情報はつまるところ電波なんです。軍隊は、いろいろな短波放送を受信できるラジオを持っていました。飛行機にも積んでいました。

       戦争中、偵察のため飛んでいた航空兵が、操縦しながら米国の放送を聞いていたそうです。ジャズがとても良かったと言っていました。この話からわかるように、国境を越えた情報が電波に乗って入ってきます。

       それと暗号です。陸軍幼年学校時代の教官に暗号の士官がいたり、いとこが陸軍の暗号解析班にいたりしたため、僕も暗号に興味を持っていました。情報が重要。そう考えました。

       3番目は僕自身が体が弱かったこともありますが、インパール作戦の悲惨さが、確信させました。

       《インパール作戦は、英領インドのインパール攻略を狙った作戦。1944年3月に日本軍が始めた。食糧も装備も不足した無謀な計画だったため、多数の死者を出した》

       この作戦で、多くの人が病気で死にました。その大部分が餓死や栄養失調だったそうです。

       まず医学部で健康について学び、移動や情報を工学部で学ぶ。そう考えたわけです。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180320-118-OYTPT50315

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    12. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<13>入省しても東大で勉強
      2018年3月22日5時0分

       1957年、僕は東大工学部を卒業し、通商産業省(現・経済産業省)に入ります。国家試験に合格して採用されました。

       卒業論文のテーマは原子力船の設計でした。

       《50年代から60年代にかけて、世界の関心が原子力を動力に使う船に集まった。旧ソ連、米国、旧西ドイツ、日本で開発が行われた》

       50年代前半の日本は朝鮮戦争の特需に沸きました。ただ、当時の産業は、繊維を中心にした軽工業です。僕が入省した頃は、機械などの重工業へ軸足を移そうとしていました。

       職場はまさにその重工業局でした。上司からは、日常業務だけでなく勉強をしろ、と言われました。

       新しい知識を学ぶために、週に何度も東大に通いました。休日でもないのに、丸一日、本を読んでいることもありました。

       職場の宴会にも出ません。勉強のためなら、本も自由に買うことができました。特に洋書は、当時はとても高額だったので、ありがたかったですね。

       他の役所の管轄だとか、せせこましいことは一切言わない。国家のためになればいいんだ、そのための人材を育てているんだ、という空気がありました。今ではちょっと信じられないほどおおらかで、太っ腹でした。給料は安いけれど、とても恵まれた職場でしたね。

       僕は工作機械を担当しました。工作機械とは、あらゆる機械や部品を作るのに使います。つまりモノ作りを支える基盤です。

       その頃の現場感覚では、海外の工作機械がとても優れていて、日本は逆立ちしてもかなわない。200年、300年そういう状態が続くと悲観していました。

       工作機械が悪ければ、メイド・イン・ジャパンの製品が良いものになるわけがありません。皆、外国製の機械を買いたがりました。ただ当時の日本は外貨が少なく、外国から購入するのは大変なことでした。

       《64年以前の日本は、外貨資金割り当て制度を採っていた。輸入代金の決済に必要な外貨資金の割り当ては、通産相の許可を受けることが必要。それがないと外国為替銀行の輸入承認を受けられなかった》

       まず通産相の許可をもらわないといけない。その判を押すのが僕の仕事でした。ある意味、要職です。

       ところが、僕は大学に行っていて、なかなかつかまりません。係官が席にいない。工作機械を早く使いたい人たちは、やきもきしていたようです。

       僕の11歳年上の兄も大阪で中小企業を経営していました。弟が皆さんに迷惑をかけてはまずいと思っているようでした。

       僕がすごい権限を持っていると勘違いして、クリスマスプレゼントを送ってくる人もいました。職場に行くと、机の上にチキンの丸焼きやケーキなんかがたくさん置いてある。

       同じ職場の家庭持ちの人に全部あげたら、すごく喜ばれましたね。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180321-118-OYTPT50175

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    13. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<14>真夜中の人工心臓実験
      2018年3月24日5時0分

       通商産業省(現・経済産業省)で1年働き、1958年に僕は東大の工学研究科大学院へ戻りました。安田講堂に近い工学部2号館に研究室がありました。

       教授からは「君は医学部出身だから」と、放射線の遮蔽しゃへいに関する研究テーマを与えられました。

       僕の研究室は、建物の中で一番悪い部屋でした。ガス漏れがあったり、変な臭いがしたり。でも、誰も来ないし、まあこんなところだから、人様にご迷惑はかけないだろう。一人で好きなように実験や研究をやっていました。

       ところが、そこで実験をさせてほしいという人が出てきました。医学部の同級生で、下宿も一緒だった親友の渥美和彦さんです。渥美さんが「お前の研究室、誰も来なくてあいているなら使わせてくれよ」と言い出しました。

       渥美さんは医学部卒業後、東大付属病院で心臓外科医をしていましたが、病院ではできない実験がありました。人工心臓です。

       《50年代後半から日本でも人工臓器の研究が始まった。人工血管、人工心肺、人工腎臓、人工弁などがテーマとなった》

       心臓がダメになったら助からない。だから人工心臓を、と考えたようです。ただ、人工臓器の中でも心臓は、相当難しいと思われていました。

       実験に犬やヤギを使うことも、病院ではやりにくかった理由のようです。

       親友だったし、この時彼はもう結婚していて、僕はよく奥さんの手料理を食べさせてもらっていました。その恩義もあったので、くどかれちゃいましたね。許可をとり、一緒に実験をすることになりました。僕は設計とか測定とか、実験に必要なものを作る役目を引き受けました。

       実験は真夜中にもしました。渥美さんは昼間は東大病院で患者さんを診る第一線の心臓外科医です。夜しか時間がとれません。渥美さんと僕を含めて4、5人でやっていたかな。

       当時、人工心臓に挑んでいる研究者は世界にほとんどいませんでした。ちょっと頑張ると、人工心臓での生存時間の長さの世界記録が出ます。やりがいがありましたね。

       夜中に実験をして、下宿に戻るのは朝の3時とか4時でした。大学から歩いてすぐのところに下宿していましたが、夜は大学の門が閉まっちゃうんですよ。これが困った。先輩に道路に出る秘密の抜け道を教えてもらってからは、解決しましたがね。

       ただ、そこで警官に出くわすこともありました。こんな時間にそんなところから出てくるなんて、不審者じゃないか、何かを盗んできたんじゃないか、と疑われることもありました。

       その地域をよく回っている警官は、事情を知っているので見逃してくれます。よく知らない警官は厳しく尋問するわけです。

       豪傑ぞろいですから、逆に「なんだ、知らないのか。お前は新米だろう」と切り返したりしていました。(編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180323-118-OYTPT50327

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    14. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<15>NASAからもスカウト
      2018年3月26日5時0分

       1961年、31歳で結婚しました。東大大学院生でした。教授に連れられ、ホテルで見合いをしました。

       妻の久美子は、父親の仕事の関係でニューヨークで生まれました。米国市民権を持っているので、パスポートは米国籍です。国際結婚なんだ、と友人たちに冗談で言っていました。

       63年にカナダのトロント大学へ留学します。

       行きは船旅です。横浜港で大勢が見送ってくれたので、出征兵士にでもなったような気分でした。13日ほどかけて米ロサンゼルスに着き、そこから飛行機でトロントに向かいました。

       留学先にカナダを選んだのは、日本人があまりいないところへいきたかったからです。実際には、思ったよりも日本人留学生がいて、親しくなりました。

       そして、もう一つの条件は、一定レベル以上のコンピューターがあること。地方大学にはまだコンピューターがない時代でした。

       僕は大学の医学部と工学部を卒業していたので、それがすごく評価されました。特にコンピューターを専攻していたことが大きかった。コンピューターの活用が、重要になっていた時でした。

       《40年代後半からコンピューターの開発が進む。50年代以降、米IBMの大型コンピューターが世界を席巻するようになる》

       トロントには1年余りいました。当時、米政府はコンピューターを使える有能な人材を探していました。特に米航空宇宙局(NASA)です。

       《米ソ冷戦時代の61年、ケネディ米大統領は「60年代中に人を月へ送る」と宣言。巨額の予算を投じてアポロ計画を推進し、69年、有人月面着陸に成功した》

       地上ではやりにくい実験も、コンピューターの中なら可能です。大統領が掲げた期限が迫る中、月と地球の間を安全に行き来させるための計算や、様々な模擬実験など、仕事がたくさんありました。

       NASAや米政府は、研究者が発表する論文に着目していました。

       僕が論文を書くと、それを読んでNASAの人がすぐに会いにやって来る。空軍や海軍の人もスカウトに来ました。コンピューターが、宇宙開発でも軍事でも重視されていることがよくわかりました。

       示された好条件には驚きました。ただ、日本でも大型コンピューターが動き出し、東大からも帰国を促されていました。留学中に助教授に昇任もしていました。結局、日本に戻ろうと決めました。

       帰りは、航空機で羽田に着きました。驚きましたね。1年ちょっと留守にしている間に、高度成長時代の日本は様変わりしていました。ビルや高速道路がどんどんできていて、違う国に来たみたいでした。

       僕が初めて高速道路を見たのはロサンゼルスでした。猛スピードで走る車に、米国の圧倒的な力を見ました。日本もそういう時代を迎えつつあるのだろうかと感じました。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180325-118-OYTPT50194

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    15. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<16>競争力 ソフトあってこそ
      2018年3月27日5時0分

       カナダ留学を終えて日本に戻り、本格的にコンピューターに取り組みました。

       留学する前の日本は、コンピューターの黎明れいめい期でした。東大は、1959年に7000本の真空管を使った「TAC」というコンピューターを作りました。僕はこれを使って計算し、大学院の修士論文を書きました。その後、米IBMの大型コンピューターを使います。ただ使いたい人が多くて、使えるのは夜中のすいている時間帯でした。

       ところが日本に戻ると、すっかり状況が変わっていました。大きなコンピューターがふんだんに使えるようになっていました。

       そんな折、コンピューターの将来について、医療関係者に講演する機会がありました。

       留学中、カナダや米国の病院が診察などにコンピューターを使う様子を見て来ました。今後、コンピューターの需要が一番あるのが、病院ではないか、とも言われていました。

       そこで、講演で「これからは病院でもコンピューターをどんどん使うようになりますよ」と話しました。

       その時の聴衆の反応が、いまだに忘れられません。みんなどっと笑ったんです。冗談だと思ったんですね。

       当時はコンピューターは大学などで研究用に使う、というイメージでした。それ以外の使い道は想像もできないようでした。

       帰国直後だったので、僕も日本の雰囲気を知らずに、つい無警戒に話してしまいました。従来のやり方を守ってきた人には、こういう話は嫌がられるんだ。その時気づきました。

       ただ不快に思う人がいても、この頃からコンピューターを使った産業が日本でも興るんです。

       《60年、国鉄のオンライン座席予約システムが稼働。64年の東京オリンピックでは、オンライン情報システムが導入され、選手登録、記録集計などに利用された。65年には国内初のオンラインバンキングシステムが、三井銀行で使われる。コンピューターの活用が社会に広がっていく》

       僕が通商産業省(現・経済産業省)で働いた時に担当した工作機械も、コンピューターで制御するようになります。ただそのためのソフトウェアが必要です。

       工作機械メーカーは、ソフトを作る人を購入先に派遣しました。しかし、その費用がべらぼうに高い。その上、派遣された人が工作機械を知らないなんてこともありました。

       工作機械を見たことがなくてもソフトを作ることはできます。ただ、出来上がったものは現場にぴったりと合わない。当たり前ですね。

       すると現場から「俺が作る」と言う人が出てきました。経営者の息子などの若者で、ソフト作りを勉強したのです。結局、彼らの作ったものの方が優れていて、業績も上がりました。

       機械だけでなく、良いソフトもあって初めて競争力になる。現在にもつながる教訓です。(編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180326-118-OYTPT50330

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    16. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<17>自動運転の芽 万博で実験
      2018年3月28日5時0分

       1970年、大阪で万国博覧会が開かれました。ここで僕は、産業界の人たちと一緒に、今何かと注目されている「自動運転」のルーツとなる実験をしました。通商産業省(現・経済産業省)の進めた「新都市交通システム(CVS)」の実用化研究です。

       《大阪万博は「人類の進歩と調和」をテーマに、70年3月15日から9月13日まで開催された》

       この実験の話が始まったのは、60年代の終わり頃だったと思います。将来の日本の産業を模索していた通産省から相談を受けた僕は、コンピューターで制御する新都市交通システムを提案しました。

       その頃、自動車の技術が成熟する一方、社会では様々な問題が起きていました。

       《50年代半ば以降、国内では自動車が急速に普及。それに伴って、公害、事故、渋滞が深刻化した。交通戦争という言葉も生まれた。70年には、交通事故の死者数が1万6765人に達する》

       僕は40歳手前で、ちょうど研究者として脂がのっている時でした。

       問題を根本的に改善する技術はないだろうか。しかも、自動車は日本の産業の中心になりつつある。安全と産業を両立させるには、どうしたらいいのか。

       考え出したのが、コンピューターで自動車を制御して、安全な運転を可能にすることでした。

       米国でもこうした研究が行われていました。その実験を万博でやってみたわけです。

       業界団体の日本自動車工業会は大阪万博で二つの展示館を出しました。

       その展示館の前に「交通ゲーム広場」を作りました。

       広場に縦横6本ずつの碁盤の目のような走路を設け、コンピューターで制御した2人乗りのミニカー17台を走らせました。

       ミニカーの操縦席の指示盤には、直進、左折、右折のうち、進むことができる方向が示されます。

       衝突を回避しながら目的地を目指します。万博にやって来た子どもたちに乗ってもらいました。

       今の天皇陛下も、見に来られました。

       当時はコンピューターのことをわかる人がほとんどいなかったので、僕が説明役を務めました。皇太子さまと秋篠宮さまもお二人でミニカーに乗られました。

       ちょうど大学紛争の時期でした。大学で落ち着いて研究できる状態ではありません。それだけにここでの研究に熱心に取り組みました。一種のお遊びのようなものでしたが、きちんとデータがとれました。

       ただ、かなり苦行でした。交通ゲーム広場は、木がないので木陰がありません。夏はものすごく暑いのです。人間だけでなく、機械も耐えられず、故障してしまうことがありました。

       そのデータと考察を論文にまとめ、73年に、米国の電気・電子技術に関する学会「IEEE」から論文賞をもらいました。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180327-118-OYTPT50414

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    17. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<18>愛すべき先人との交流
      2018年3月29日5時0分

       東大助教授になると、政府の様々な審議会の委員に、と声がかかりました。医学と工学を学び、通商産業省(現・経済産業省)の役人もしていたので、頼みやすかったのかもしれません。

       そうした場などを通じて、様々な方々と交流する機会を得ました。忘れがたいのがソニー創業者の一人、井深大さんです。

       井深さんは、試作品を作ると、誰かを驚かせたい、という気持ちがあったようです。ある日、銀座の高級フランス料理店でごちそうする、と誘ってくれました。喜んで出かけました。

       席に着くと、テーブルの上に水を入れたコップが置いてありました。井深さんは僕にイヤホンを渡し、つけてみるよう促しました。すると、突然パリーンとコップが割れた音がしました。「水がこぼれる」。僕があわてると、井深さんは手を叩たたいて喜びました。

       本当に真に迫った音でした。スピーカーの性能が飛躍的に上がったことを示したかったのでしょうね。ちゃめっ気がありました。

       零ゼロ戦の設計者の堀越二郎さんともお話しする機会がありました。堀越さんは、僕の大学院時代の指導教官と同じぐらいの年頃でした。指導教官たちは戦時中は技術将校だったり、飛行機や潜水艦のテストをやったりしていました。

       指導教官を通じて、一緒に食事をと誘われました。僕は零戦の話を聞けると期待しました。ところが、堀越さんは、集団で飛んできた鳥が、一斉に方向転換できるのはなぜだろう、などと動物学的な話ばかりされる。零戦の話はゼロでした。

       《1960年代末の大学紛争の影響で、日本では産学連携が70年代まで停滞していた。80年代以降、その関係に変化が生まれ、産学連携が重要視されるようになる》

       73年に教授に昇進しました。80年代に入ると、大学も象牙の塔を気取っていては、立ちゆかなくなると感じました。経済、行政、文化など様々な分野の知り合いに、工学部で講演してもらうことにしました。

       井深さんにも来てもらいました。いくら勧めても座ろうとせず、立ったまま2時間も話されました。

       印象深かったのは、最初に作ったテープレコーダーが売れなかった苦心談です。値段の高さもありましたが、最大の理由は使い道がわからなかったことらしいです。最初に売れたのは、おでん屋さんだそうです。録音した音楽を伴奏に客が歌う。今のカラオケですね。

       テープに磁気粉を均一に塗るにはタヌキの胸毛がいいと聞き、高いハケを買ったこともあるそうです。

       大企業のソニーも、戦後の小さなベンチャー企業から始まりました。井深さんは、その歩みを若い人たちに言い残しておこうと強く思っているようでした。

       講義は好評で、工学部の講堂を使ったのですが、いつも満席でした。教授や他学部からも聞きに来ました。

       劇団四季の創設者で演出家の浅利慶太さんの時は、東大の女性秘書の方がいっぱい来ましたね。(編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180328-118-OYTPT50421

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    18. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<19>「本田流」お月見も型破り
      2018年3月31日5時0分

       前回、ソニー創業者の井深大さんのお話をしましたが、財界にはもう一人、忘れがたい方がいます。ホンダの創業者の本田宗一郎さんです。

       本田さんは1977年に「本田財団」を設立し、現代文明などを討議する場を設けました。そこで本田さんと知り合いました。

       会議場で議論をしていた時です。僕は胸につけていた名札を落としてしまいましたが、気づきませんでした。ふと見ると、誰かが僕の足元にかがみこんで何かごそごそやっている。そして立ち上がると、「はい」と、僕に名札を渡してくれました。本田さんでした。

       驚きましたね。本田さんと言えば、浜松の町工場を世界の自動車産業に育てた立志伝中の人物です。その方がこんなに気さくだとは思いませんでした。以来、親しくなりました。

       本田さんは、やることなすこと型破りでした。

       ある秋の日、急に本田さんに呼び出されました。「宇宙飛行士が我が家に来ているので、お月見をしよう」と言うのです。

       行ってみると、米国のアポロ計画で月面を歩いたユージン・サーナンさんがいました。さすがにこれには驚きましたね。

       《サーナン飛行士は72年のアポロ17号で船長を務め、月面を歩行。以後月面を歩いた人はおらず、「月面着陸した最後の人」と呼ばれる。2017年死去》

       3人で月を見ました。感動的でしたね。本田さんぐらいになると、月見もすごいものだと思いました。

       本田さんは発想が豊かで、すぐに試す実験家でした。思いつきのような感じで、こんな実験をしたらどうか、と部下に言う。中にはどう見ても物理法則に反するようなものもある。部下がいくら「無理です」と言っても、本田さんはきかない。部下が困り果てていると「石井先生に聞いてみろ」と言うそうです。よく本田さんの部下から連絡をもらいました。

       91年に読売新聞の月刊誌「THIS IS 読売」編集部に頼まれて、井深さんと本田さんの対談の司会をしたことがあります。

       場所は品川のソニー本社でした。ソニーもホンダも戦後のベンチャー企業で、粗末な建物から歩み出しました。本田さんは部屋に入るなり、井深さんに「おい、立派になったなあ」と言っていました。

       「創業者の志」が対談のテーマでしたが、「気」の話で盛り上がりました。気は中国思想などの用語で、目には見えないけれど人体などに影響を及ぼすとされています。井深さんは気を感じると言い、本田さんの手の上に、自分の手をかざしました。本田さんが「感じないね」と答えると、意外そうにしていました。

       本田さんはその時はとてもお元気でしたが、3か月後に亡くなられました。

       お二人とも本当にのびのびやっておられる。日本のモノ作りは、こういう方々が引っ張ってこられたのだと痛感しました。(編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180330-118-OYTPT50301

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    19. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<20>長寿社会 短期間に到来
      2018年4月2日5時0分

       東大教授時代の1985年2月、厚生省(現・厚生労働省)が、「人生80年型社会懇談会」を発足させました。座長は歴史学者の木村尚三郎・東大教授、座長代理を僕が務めました。

       この頃、女性の平均寿命が80歳を超え、男性も74・78歳になりました。

       人はほぼ60歳ぐらいで死ぬ、それ以上の年寄りが増えることはない、という前提で日本は社会制度などを作ってきました。それが通用しない時代を迎えつつありました。

       《厚生労働省の調査では、日本人の平均寿命は、47年は男性50・06歳、女性53・96歳。その後右肩上がりに延び続け、2016年は男性80・98歳、女性87・14歳になった。60年には男性84・19歳、女性90・93歳になると推計されている》

       高齢化が起きていると、同窓会の席でいち早く僕たちに教えてくれたのが、東大医学部の同級生だった井形昭弘さんでした。

       井形さんは鹿児島大学長を務めた後、国立の長寿科学研究センター創設に関わるなど、老年医学に取り組みました。

       自分の周りを見ても、高齢化を身近に感じることがありました。

       当時、東大教授の定年は60歳でした。条件を満たした人には定年後、名誉教授の称号が与えられます。昔は寿命が短かったので、生存している名誉教授は非常に少なかったです。

       僕がまだ若い教官だった頃、年に1度「名誉教授を囲む会」を開いていました。名誉教授が1人か2人来られて、その周りを現役の教官で囲むというものです。

       ところがある時気づくと、名誉教授がどんどん増え、まるで現役教官が名誉教授に「囲まれる会」のようになっていました。

       日本の特徴は、欧米などと比べて、短期間に高齢化が進んでいることです。これは間違いなく、日本に変革を迫る内圧になると感じました。

       高齢者の定義の曖昧さも気になりました。

       かつて人生50年の時代がありました。僕が少年だった頃の感覚では、腰が曲がったり、動作が遅くなったりして、明らかにお年寄りと感じさせる人は60代でした。

       しかし厚生省の懇談会の頃になると、60代は第一線ではつらつと活躍している。かつてのイメージとはほど遠くなっていました。物理的な時間で老年を定義するのでは実態に合わない。

       厚生省懇談会の報告書では、コンピューターなど科学技術の活用、安全な生活環境や都市環境作り、高齢化社会を前提とした雇用の在り方、などを提言しました。

       《90年代に入ると、双子の長寿姉妹、成田きんさんと蟹江ぎんさんが話題になる。91年にダスキンのコマーシャルに起用され、「きんは100歳100歳。ぎんも100歳100歳」のキャッチコピーが流行する》

       政府も昨年から「人生100年時代構想会議」を設け、経済、社会システムなどを検討しています。

       きんさん、ぎんさんが特別ではなくて、当たり前の時代に入ったようです。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180401-118-OYTPT50220

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    20. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<21>郵便番号処理と画一教育
      2018年4月3日5時0分

       1991年春、東大を退官し、慶応義塾大環境情報学部の教授になりました。慶応湘南藤沢キャンパス(SFC)です。

       この学部は90年に新設されました。21世紀の実学を目指し、情報技術(IT)や外国語に力を入れています。

       この頃日本では、大学などの研究者がインターネットを使い始めていました。コンピューターとネット抜きでは、やっていけない時代を迎えつつありました。

       94年2月に、僕は郵政省(現・総務省)の郵政審議会の会長になりました。ここで取り組んだのが、郵便番号の7ケタ化です。

       《郵便物を効率よく配送するために、68年7月に郵便番号が導入された。人がしていた振り分け作業を、機械にさせるものだ。3ケタまたは5ケタの番号だったが、郵便物の増加、合理化促進のために、7ケタへの移行が検討された》

       僕は長年、手書き文字をコンピューターに読み取らせる研究をしていました。当初から郵便番号に関わっていたわけです。

       スピードや経済性から見れば、番号の文字数が増える方が望ましい。配る側にとっても楽になります。

       一方で、数字をたくさん書くのは面倒だとか、顧客データ修正に多額の費用がかかる、といった批判も出ましたね。ただ、98年に実施されると、1か月で記載率が7割になるなど、7ケタ化は順調に進みました。

       機械で郵便番号を読み取るところを見学させてもらうと、驚くほどのすごいスピードです。湘南藤沢キャンパスは、情報技術を中心に据えています。学生たちに「ぜひ郵便番号の仕分けを見学しなさい。あれが情報や通信の原点だから」という話をしました。

       郵便番号を高速処理できるのは、ある意味、日本の画一教育のおかげです。

       画一教育というと、枠にはめ込む、個性が育たない、など否定的に言われます。でも良い面もあります。

       日本人の手書きの数字は一律にそろっています。しかし海外では、数字が個性的に書かれているので、機械で読み取ることが難しいのです。例えば「8」という数字の書き方なんて、もうむちゃくちゃです。上と下に丸を書いてつなげたりとかね。

       日本は戦後、義務教育を中学校まで延ばしました。それがこういうところに、ものすごくきいていると痛感しました。

       審議会会長として、郵政行政全体を眺める立場になって、郵便局の果たしている役割は大変なものだとわかりました。「ユニバーサルサービス」と言って、全国どこでも一律にサービスが提供されます。そこだけ見たら大変な赤字ですがね。

       97年には郵政審議会で、「郵便局ビジョン2010」をまとめました。当時盛んになっていた郵政民営化論に、こういう重要な点を見落としてはいけないとくぎを刺しました。

       《2001年に就任した小泉純一郎首相は民営化を推進。07年に日本郵政グループがスタートした》

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180402-118-OYTPT50361

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    21. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<22>社会に根付いてきたIT
      2018年4月4日5時0分

      IT戦略会議との合同会議であいさつする森首相(左から2人目)と、出井・戦略会議議長(左端)=2000年

       2000年7月、森喜朗首相のもとで「IT(情報技術)戦略会議」が発足しました。議長はソニー会長の出井伸之さん。僕もメンバーになりました。産業界や研究者だけでなく、岐阜県知事の梶原拓さんも入っていました。

       《1995年のパソコン用基本ソフト「ウィンドウズ95」の発売後、インターネット利用が拡大していく。ITが経済や暮らしに欠かせなくなる中、振興策や法律などの基盤整備の検討が急がれていた》

       経済の構造改革を考えようという時、IT抜きには考えられなくなっていました。

       森首相の前任の小渕恵三首相がITに熱心でした。2000年7月の九州・沖縄サミットのテーマの一つに据えようとしていました。残念ながら小渕さんは病気で退任され、5月に亡くなりました。森首相はその政策を引き継いだわけです。

       首相官邸での会議には、当時、内閣官房副長官を務めていた安倍晋三首相も出席していました。僕は安倍さんのお父さんの晋太郎さんのことはよく知っていました。

       安倍晋太郎さんが、通商産業相(現・経済産業相)をやっておられた82年のことです。秋葉原を見たいと言い出され、東大教授だった僕が同行を頼まれました。

       《80年代に入ると、NEC、富士通など国内メーカーが個人向けのパソコン販売に力を入れる。操作は難しく使う人は限られていたが、パソコンや周辺機器を購入する人々で、東京・秋葉原の電器街がにぎわった》

       秋葉原は家電安売りの街から、パソコン販売の拠点へと変わりつつありました。外国から人が来ると、必ず秋葉原へ行く。パソコンなどの電子機器を所管する通産省のトップとして、視察が必要と考えたようです。

       車に一緒に乗り、白バイに先導されて秋葉原へ行きました。商店街の人たちも集まっていろいろ説明してくれました。印象的だったのは、最近あちらこちらに秋葉原のような場所ができて困る、という話です。

       例えば、新宿駅西口にもそういう店が並んでいます。競争相手が増えて、心穏やかならざる様子がうかがえました。パソコンが主要な産業になってきた証しだと感じました。それから約20年。一層重要な産業になり、期待も大きくなったわけです。

       IT戦略会議の会合で、僕はサイバー空間の安全性をどう確保するか、そのための教育はどうあるべきか、といった課題を提起しました。一般社会でも、何がどう悪用されるかわからない。ましてサイバー空間は顔が見えません。安全確保ができて初めて実用化したと言えるのではないか。そう主張しました。

       あまり反響がなかったですね。期待が大きかったので、マイナス面は見たくなかったのかもしれません。

       会議のメンバーの中では、ソフトバンク社長の孫正義さんと、ウシオ電機会長の牛尾治朗さんが同意してくれました。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180403-118-OYTPT50337

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    22. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<23>QRコード 本の限界破る
      2018年4月5日5時0分

      機械好き、新しいモノ好きの石井さんは、腕時計型端末「アップルウォッチ」を2台活用している=鈴木竜三撮影

       僕もメンバーを務めたIT(情報技術)戦略会議は、2000年11月に「IT基本戦略」をまとめ、政府がそれを決定しました。

       当時、日本はIT分野で韓国やシンガポールに後れをとっていました。そんな中、政府が「日本をこう変えていく」と戦略で宣言したわけです。これはすごく大きかったですね。翌年1月には、「IT基本法」も施行されます。

       《基本戦略は、「5年以内に世界最先端のIT国家」となることを目標に掲げた。そのために超高速インターネット網の整備、電子商取引のルール作り、電子政府の実現などを盛り込んだ。IT基本法では、IT革命推進の基本理念などを定めた》

       ITを活用して社会をどう変えるか。僕は「QRコード」に注目しました。この記事の末尾につけられている四角い模様のことです。これをスマートフォンなどで読み取ると、インターネットにつながり、様々な情報を得ることができます。

       QRコードは今ではいろいろな分野で使われていますが、もともとは生産技術でした。1994年にトヨタグループの「日本電装(当時)」が開発しました。

       トヨタは在庫を持たない「かんばん方式」で生産管理をしています。その際、書類の代わりにQRコードを使おうと考えたわけです。

       QRコードと似たようなものに、「バーコード」があります。

       ただ、バーコードは横方向にしか情報を格納できません。QRコードは縦横に格納できるので、たくさんの情報を扱えます。

       しかもバーコードよりも汚れに強いし、一部が欠けても情報を読み取ることができます。

       僕は、こういう特質を持つQRコードを本で使ってみたいと思いました。

       紙の本には限界があります。文章、写真、図で説明を尽くしても伝わらないことがあるからです。一緒にテレビのような動画を見せれば、分かりやすくなる可能性があります。

       そこでQRコードです。13年に出版した著書「複素数『解』の時代」の随所にQRコードを載せました。

       例えば、小型無人機「ドローン」が出てくるページにQRコードをつける。それを読み込ませると、ドローンを操縦している動画につながるというわけです。

       紙の本にすごい可能性を与える技術だと思います。本とは何なのかを問いかけ、将来の本の姿を考えるきっかけにもなります。

       今や、多くの人がスマートフォンやタブレット型端末を使っています。QRコードを使う環境が整備されたと言えます。

       徹底的に活用しているのが中国です。中国では様々なものにQRコードをつけ、現金ではなくスマートフォンで決済するようになってきています。

        (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180404-118-OYTPT50474

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    23. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<24>人材育成「30年先」見据え
      2018年4月7日5時0分

       中国の人が現金を使わずに、スマートフォンとQRコードで決済をしているという話を前回しました。

       中国は今、情報技術(IT)分野でメキメキと頭角を現しています。ITベンチャーと言えば、これまでは米国のシリコンバレーでした。ところが最近は、中国南東部・深センのITベンチャーが活躍しています。話題の小型無人機「ドローン」製造で世界最大手のベンチャー企業も、その一つです。

       僕の大学の教え子たちも、深センによく足を運びます。新しいことに挑む人たちが集まっているからです。シリコンバレーで1か月かかることが、深センでは1週間でできる。速さがここまで違うと勝負にならない。そう言っています。

       僕は様々な分野の研究や、人材育成に取り組んできました。痛感するのは、研究成果を実用化するのにも、人材を育成するのにも、長い時間がかかることです。

       例えば僕は2015年に米国の電気・電子技術に関する学会「IEEE」から、社会インフラ特別賞をもらいました。すでにIEEEからは、大阪万博の新都市交通システム(CVS)実験の論文賞を1973年にもらっています。2015年の賞は、その研究成果を実用化につなげた技術革新の点で、評価されました。

       《コンピューターで車の走行を制御するCVSの本格的な実験は、通商産業省(現・経済産業省)関連の機械振興協会が中心になって71年から始めた。東京・東村山市に設けた実験場で走行実験を行った》

       僕はこのプロジェクトの全体をとりまとめる役をしました。日立、東芝、日本電気、富士通など主立ったメーカーが参加しました。車が絶対に衝突しないようにコンピューターで制御する実験です。車間をどのぐらいまで詰めることができるのか、などを試しました。

       実験で培った技術は、地下鉄や新幹線などいろいろなところで活用され成長しました。新技術を社会に取り入れていくのには、時間がかかるわけです。

       今、上下左右を撮影できる全天周カメラの利用が広がっています。その画像を地球儀のような球体ディスプレーに表示すると、これまで見たことがない視点の光景を映し出せます。

       なんでそんなものが必要なのか、と言われることもあります。でも、子どもたちに見せるとすごくいい反応が返ってきます。こういうところから次世代の産業や発想の芽が生まれると思います。

       人材育成は、最低10年先、長ければ30年先を目指して取り組む必要があります。今のIT社会も、80年代後半の臨時教育審議会でコンピューターの活用をうたったことが、ようやく実ってきたと感じています。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180406-118-OYTPT50298

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    24. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<25>21世紀の主役は生命科学
      2018年4月10日5時0分

       人材育成は10年先、30年先を見据えて、というお話を前回しました。

       そのためにも、いつ頃、どの分野で、どんな技術が実現するかという「科学技術予測」が欠かせません。それがないと、どんな人材を育てたらいいかがわからないからです。

       科学技術予測は、1971年に科学技術庁(現・文部科学省)が「技術予測」の名前で始めました。

       《以来、約5年ごとに結果を公表している。最新版は、2015年発表の第10回予測。「ウナギを大量生産して出荷」は2025年に、「生涯にわたって感染を予防するインフルエンザワクチン」は30年に、「地上と宇宙を結ぶ宇宙エレベーター」は40年に実現、など様々な予測をしている》

       米国の調査研究機関「ランド研究所」が作った「デルファイ法」で予測しています。様々な分野の専門家に技術課題と実現時期を尋ね、その集計結果を見せて、もう一度実現時期を尋ねるというものです。

       当初から非公式にこの予測に関わってきました。前にもお話ししましたが、僕は国家公務員試験に合格して、就職先に通商産業省(現・経済産業省)を選びました。科技庁からも「ウチに来ないか」と誘われました。その時の知り合いや、大学の先輩もいたので、よく科技庁を訪ね、技術予測の検討などもしました。

       実際にデルファイ法をやってみると、大きな問題があるとわかりました。調査票を郵送でやり取りしていたので、答えを出すのに1年ぐらいかかることです。

       その頃、半導体の技術がすごい勢いで進んでいました。1回尋ねて結果を見せ、再び尋ねる時には、もう製品になって発売されていたなんてこともありました。

       現実に追い越されていては、未来予測とは呼べません。破竹の勢いで進む分野には、郵送方式は適さないとわかりました。

       《科学技術予測は第10回から、インターネットでの回答に切り替わった》

       予測するだけでなく、優秀な人材を発掘し、育てていくことも大事です。

       思い出深いことがあります。読売新聞主催の「ゴールド・メダル賞」の選考委員をした時のことです。この賞は、優れた業績を上げた若手に贈られます。

       04年に僕たちは、山中伸弥さんに賞を贈りました。山中さんはその後、京大教授になり、8年後の12年にノーベル生理学・医学賞を受賞します。人材発掘に成功した例だと思います。

       山中さんを選んだ背景には、僕が21世紀の先端技術の主役は生命科学だと思っていることがあります。

       自分が医師で工学者だからかもしれませんが、一見かけ離れている生命科学とコンピューターには共通点があると思います。「情報」を扱う点です。どちらも50年代から発展しました。

       これまではばらばらに進んできました。しかし、生物が持つDNAなどの「情報」と、情報を取り扱うコンピューターを融合することで、今までなかった領域が生まれるでしょう。研究も産業も大きく変わります。そのための人材がこれから必要になると思います。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180409-118-OYTPT50203

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    25. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<26>利用者が革新促す時代に
      2018年4月11日5時0分

       2000年代に入ると、僕は東京海上研究所など、企業の研究所で理事長や所長を務めます。04年4月には、NTTドコモが創設した「モバイル社会研究所」の初代所長になりました。

       《1999年2月、ドコモは携帯電話からインターネットに接続する「iモード」サービスを開始した。利用が爆発的に増加し、携帯は「話す道具」から「使う道具」へ変化する》

       便利さが増す一方、問題も出てきました。そこで研究者を集め、携帯の功罪、社会的影響などを検証し、改善策を提言しました。

       iモードの技術で日本は、世界の先頭を走っていました。ところが08年に国内で米アップルのスマートフォン「iPhone(アイフォーン)」が発売されると、一気にスマホ時代になります。iモード携帯は「ガラケー」と呼ばれます。

       僕は09年まで所長を務めていたので、ドコモの経営陣ともよく話をしました。彼らも、いずれスマホが市場を席巻すると予見していました。しかし、かなり先と見ていました。切り替えが遅れたのは残念です。

       10年になると、アップルからタブレット端末「iPad(アイパッド)」が売り出されます。高齢者も大いに関心を持ちます。でもどうやって使っていいかわからない。

       僕は10人ほどの高齢者を対象に操作法などを教える「iPadサロン」を、11年と12年に開きました。

       11年はあまりうまくいきませんでした。iPadを持っていない人が多かったので、販売会社から借り、講習もしてもらいました。しかし入門的な説明で、活用方法がわかりません。

       そこで、12年は、参加者にまずiPadで何をしたいかを、僕たちが一人一人聞き取りました。端末の購入にも同行し、各種設定のお手伝いをしました。販売店の人は、立て板に水のように説明しますが、高齢者が理解できるようなものではありませんから。

       ここに、日本が情報技術(IT)産業を育てるヒントがあると思います。使い手が何をしたいのか、そこにこたえる仕組みを作ることです。企業も目配りをし、努力する必要があります。

       スマホにしろタブレット端末にしろ、高齢者に欠かせない道具です。特に災害時ですね。

       1995年の阪神大震災では、インターネットが情報提供に使われました。2011年の東日本大震災では、短文投稿サイト「ツイッター」が活用されました。

       ツイッターの日本語版は08年に始まりました。僕も「会議中」とつぶやいてみました。正直、どんな意味を持つ技術かわかりませんでした。ところが東日本大震災では、被災情報伝達や救援活動に使われました。時にデマも流れますが、社会に根付き出しました。

       新技術を考え、作るのはこれまでは企業や技術者でした。IT時代は、使い手がどう使うかが大事です。利用者が技術革新を促す「ユーザーイノベーション」という、歴史的な構造変化が起きていると思います。

       (編集委員 知野恵子)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180410-118-OYTPT50383

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    26. [時代の証言者]先端技術の案内人 石井威望<27>最終回…人間と技術 調和に幸あり
      2018年4月12日5時0分

      上下左右を撮影できる全天周カメラの画像を、球体ディスプレーに表示。「いつも時代より早いと言われてきた」と石井さん=鈴木竜三撮影

       夏がくると僕は88歳になります。

       前にもお話ししましたが、子ども時代は病弱で、「この子は長生きできない」と言われていました。自分でもそう思っていました。口の悪い親戚に「威望さん、まだ生きているんですか」なんて、からかわれることもあります。

       長生きの秘訣ひけつですか? 子どもの時から信条にしている「スロー・アンド・ステディー(ゆっくりと着実に)」ですかね。無理はしません。それと、好奇心を持ち続けることでしょう。

       僕は医学と工学を学び、いろいろなことに興味を抱くようになりました。米国では「ダブルメジャー」と言って、専門を二つ持つことは普通です。しかし日本ではなかなか理解してもらえない。

       僕の結婚披露宴の時にも、親友が「結婚を機に心を入れ替え、専門を一つに絞るように」とスピーチしました。わかっちゃいないな、と思いました。

       大事なのは全体の調和をはかることです。部分部分は優れていても、全体としてどうか。システム工学で欠かせない考え方です。

       例えば歯を全て義歯に換えれば、老人でも硬いものを食べることができます。だからといって、若い時と同じようにばりばり食べていたら、体を壊します。胃腸の機能が、年齢に応じて衰えているためです。それを忘れてはいけません。

       《今、コンピューターの世界では、AI(人工知能)が注目を集める。人間から職を奪うなどの懸念の声もある》

       コンピューターが導入されて以来、言われてきたことですね。1970年代末に経済協力開発機構(OECD)が、コンピューターなどの電子機器が雇用に悪影響を及ぼす、と指摘しました。当時は同じような意見の人が多かったです。ところが、少したつと「工業力の高度化と経済発展には、不可欠」と変わります。

       AI導入で失職する例も出るとは思います。何の工夫や努力もせず、今のままでいい、と放置していればそうなるかもしれません。変化に対応できるように生涯、学び続ける必要があります。

       一方で、コンピューターはもっと人間のそばで使われるようになると思います。

       代表格が、腕時計のように身に着ける「ウェアラブル」コンピューターです。

       体に埋め込んで使う「インプランタブル」の時代も来るかもしれません。ぎょっとするかもしれませんが、心臓ペースメーカーや人工内耳など、機械を体に埋め込むことは実用化しています。全体の調和をはかる視点がますます欠かせなくなります。

       工学と医学が結びつき、人類に幸せをもたらす。僕の歩みがそれに役立てばいいな、と思っています。

                ◇

       この連載は、編集委員の知野恵子が担当しました。コピーサービス(有料)は読者センター((電)03・3246・2323)へ。14日から「日米の絆 加藤良三」が始まります。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180411-118-OYTPT50396

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  13. 《国民の平均寿命。厚生労働省によると、1921~25年にかけて日本人の平均寿命について調査した記録では、男性が42.06歳、女性が43.20歳となっていた。こうした時代に敷津は、衛生状態がよくなることなどで100年後の日本人は「80~90歳まで生きることができるようになる」と予想した。

     2017年7月に同省が発表した16年の日本人の平均寿命は、男性が80.98歳、女性が87.14歳で、ほぼ的中している。

     人口についても、おおよその規模を見通していた。

     1920年の日本の人口は、約5600万人。敷津は100年後の人口を「1億8000万人」と予想した。総務省によれば、17年12月現在(概算値)で1億2670万人。的中はしそうにないが、「78億人」などの数字に比べれば、大まかな数字をつかんでいたと言えるだろう。

    雑誌挿絵で書かれた東京都千代田区の神田川にかかる万世橋の予想図(左)。空には「巡査用飛行機」が飛んでいる/右は現在の万世橋付近
    雑誌挿絵で書かれた東京都千代田区の神田川にかかる万世橋の予想図(左)。空には「巡査用飛行機」が飛んでいる/右は現在の万世橋付近

     敷津の予想は、航空機1機当たりの旅客数にまで及んでいた。敷津はそれを「200人乗りから600人乗りになる」と見込んだ。

     エアバス・ジャパン(東京都港区)によると、現在、国内の航空会社で最も使われている同社の機体は「A320」で乗客は100~200人。最も収容人数の多い「A380」は500人前後で運用されているという(全席エコノミーなら853人分の座席設置が可能)。

     驚くべきは、数の的確さだけではない。世界初の旅客機が飛んだのは1919年。第一次世界大戦(14~18年)の直後で、航空機は主に武力として注目され、「乗客を運ぶ」という用途自体がまだ定着していなかったのだ。

     「百年後の日本」にも航空機に関する予想は多く寄せられたが、そのほとんどは「警察が使う」「郵便を運ぶようになる」などの内容だった。敷津の予想も「ロンドンまで2週間で往復」などと飛行時間は的外れであったが、旅客機が普及するという考えそのものが、多くの人たちの頭には浮かばなかったようなのだ。》
    http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180105-OYT8T50023.html?page_no=3&from=yartcl_page

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    1. 2020年の日本、100年前にここまで見通した男
      読売新聞メディア局編集部 河合良昭
      2018年01月09日 15時00分
      http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20180105-OYT8T50023.html

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  14. 日本人が月面に立つ日
    3月7日 18時50分

    今月3日、アメリカやロシア、中国など世界およそ50の国の閣僚らが集まり、今後の宇宙探査の枠組みについて話し合う国際宇宙探査フォーラムが東京で開催されました。

    アメリカの宇宙ベンチャー「スペースX」による火星向けロケットの打ち上げ成功。アメリカ政府による国際宇宙ステーションの民営化方針の発表。さらには、月周辺に新たな宇宙ステーションを建設する構想など人類の宇宙探査はいま大きな転換点を迎えています。

    宇宙探査の舞台は、この20年、地球の上空400キロにある国際宇宙ステーションでしたが、それが月、そしてその先の火星など深宇宙=ディープスペースへとフロンティアを広げようとしているのです。

    こうした中、日本も各国が協力して行う月面の有人探査に参加できるよう技術的な検討をしていくと発表しました。アメリカ、ロシアだけでなく、中国、インドなども月面の有人探査に向け活発に動き始める中、日本人は月面に立つことができるのか、いま科学技術立国としてのあり様が問われていると専門家は指摘します。激変する宇宙開発の最前線を解説します。(科学文化部記者 鈴木有)
    https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0307.html

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    1. 人類は月、火星を目指す

      国際的な宇宙探査の方向性や協力体制などについて話し合う閣僚級の会合「国際宇宙探査フォーラム」が、今月3日、東京で開かれました。

      議長国を務めたのは日本。国際宇宙ステーション計画に参加しているアメリカやロシアなどのほか、独自に宇宙開発を進める中国、インドなどおよそ50の国と国際組織から閣僚や宇宙機関の代表などが参加しました。

      会議では、当日、共同声明を発表。月、火星、その先の太陽系の探査活動が広く共有された目標であるとする内容が盛り込まれ、今後、世界各国が進む宇宙探査の方向性が示されました。

      「国際宇宙ステーションは、次の段階に移行する。月の近くに建設する宇宙ステーションに、他の国もぜひ関心を示し、参加してくれればと思っている」(アメリカ ジョナサン・マルゴリス国務次官補代理)

      「月に探査機を送り、サンプルを持ち帰ったり、月の裏側を探査したりする計画だ。アメリカの月近くの宇宙ステーションの構想には参加していきたい」(中国 呉艶華国家宇宙局副局長)

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    2. 新たなフロンティアへ

      では、いまなぜ、月や火星を目指す動きが加速しているのでしょうか。ひと言で言えば「地球のまわりは分かってきた、次は月・火星だ」ということです。

      国際宇宙ステーションに宇宙飛行士が滞在を始めて、ことしで18年。地球周辺の宇宙空間に人類が暮らすことは、すでに達成されました。

      地球周辺は宇宙開発に参入してくる民間企業に任せ、人類が滞在できる領域をさらに広げようという動きが加速しているのです。

      また、ロマンではなく、現実の問題として、真剣に取り組むべきとする声もあります。火星に向けたロケットの打ち上げを成功させ、世界を驚かせたスペースXのイーロン・マスクCEOは、地球の人口の急激な増加や環境問題などを考えると、人類は、40年から100年後に火星に住むという選択肢を持っておくべきではないかとしています。

      月や火星は住める?

      では実際に人類が、月や火星に住むことは可能なのでしょうか。

      月については、去年、長期滞在が実現できるかもしれないと思わせる大きな発見がありました。月の地下に、全長50キロ、つまり東京の都心から神奈川県の江の島ほどまである巨大な空洞があるとわかったのです。こうした地下空間は、月面の300度ほどある寒暖差や宇宙放射線などから身を守ることができるため、人類の活動拠点になると各国とも関心を持っています。

      また火星には、薄い大気もあり、隣の惑星でもあるため、太陽系の中ではいちばん移住しやすいと言われます。

      各国の構想や計画

      すでに各国とも、月に向けた独自の構想、計画を掲げています。

      アメリカ
      月に宇宙ステーション建設(2020年代後半)
      月面に人を送り探査

      ロシア
      月面に人を送り探査(2030年までに)
      月面に基地建設

      中国
      独自に月面に人を送り探査(2030年までに)
      月面に基地建設

      インド
      来月にも月面着陸機を打ち上げ
      月面有人探査に必要な技術開発

      UAE
      100年後までに火星移住

      このように、月周辺に宇宙ステーションを建設しようというアメリカ、月面に人を送り込むというロシアだけでなく、中国も2030年までに独自に月面に人を送り込む計画を発表しています。さらにインドも将来の月面有人探査に向け、来月にも月面着陸機を打ち上げるなど、新たなフロンティアを目指す競争は激しくなっています。

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    3. 岐路に立つ日本

      これに対し、日本は去年12月、アメリカが2020年代後半に完成を構想している月を周回する宇宙ステーションの建設や、各国が行う月面の有人探査に日本が参加できるよう技術面などで検討していくと決めました。

      予算の面などで独自にはできないが、各国と一緒に取り組みたい、という考え方です。

      なぜ、独自にはできないが、一緒にはやりたいのか。その背景には、世界の中での「日本の存在感」を低下させてはいけない、という危機感があります。

      政策研究大学院大学の角南篤副学長は「中国人宇宙飛行士が月面に立つ、あるいはインド人宇宙飛行士が月面に立つ。そしてそれをわれわれ日本人が地球上で、月から送られてくる映像をみながら、何を感じるのか、ということに尽きる。日本が乗り遅れるようであれば、それはやはり国際社会からの日本に対する信用、科学技術をベースにした信頼ですから、それを失うということになる」と指摘しています。

      国際宇宙ステーション計画では、日本は、実験棟「きぼう」の建設などで貢献し、アメリカが持つ枠から日本人宇宙飛行士の滞在枠を獲得してきました。月という新たなフロンティアでも、技術貢献によって日本人宇宙飛行士が参加していく道筋をつくることができるのか、課題となっているのです。

      独自技術で貢献を

      その鍵となる日本独自の技術。その一つが「天体への着陸の技術」です。その技術を世界に見せつけたのが、あの「はやぶさ」です。

      日本は、小惑星「イトカワ」に探査機「はやぶさ」を着陸させる難しい挑戦に成功しました。この技術を発展させ、アメリカのアポロ計画では誤差が20キロもあった着陸の精度を、数十メートルにまで縮めることを目指しています。

      月面には、水資源があると見られる場所や太陽光が絶えない場所があり、月面で人類が活動を始める上で重要な場所になります。こうした場所にピンポイントで着陸できる技術を各国とも必要としています。

      また、ドッキングの技術にも日本独自のものがあります。宇宙輸送船「こうのとり」では、国際宇宙ステーションに近づき、相対的に静止したうえで、ロボットアームでつかんでドッキングするという世界で初めての方法を確立しました。安全性が高いことから、現在運用されているアメリカの2つの宇宙輸送船も、同じ方法が採用されました。

      これらの技術を発展させ、貢献することで、各国が協力して行う月面探査に参加しようというのです。

      JAXA有人宇宙技術部門の佐藤直樹技術領域上席は「日本は少し閉塞感(へいそくかん)があり、若者の技術離れという問題もある。月から日本人宇宙飛行士が語りかけることができれば、大きなモチベーションになると思う。日本全体が一体となって宇宙探査を推進していくことが必要です」と話していました。

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    4. 宇宙探査も着実に

      こうした戦略はうまくいくのか。注目したいのは、ことし6月ごろ予定されている「はやぶさ」の後継機「はやぶさ2」の小惑星「リュウグウ」到着と、その後の着陸です。日本が培ってきた技術を使って、地球からおよそ3億キロ離れた、大きさ900メートルほどの小惑星に探査機を再び無事、着陸させられるのか。世界が注目する中、新たな挑戦を確実に成功させ、日本の存在感を高めていくことが、次なるフロンティアでの日本の活躍につながっていくと考えます。
      https://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2018_0307.html

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    5. >「日本は少し閉塞感があり、若者の技術離れという問題もある。月から日本人宇宙飛行士が語りかけることができれば、大きなモチベーションになると思う。日本全体が一体となって宇宙探査を推進していくことが必要です」

      正気でゆってんのかなあ…

      牽強付会レトリックで我田引水すぎるだろ。

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  15. 海底200mとか、地中1000mとかで、長期間(数年単位)の生活が可能であるならば、ソレを信じてやってもよいが…

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  16. 3月9日 よみうり寸評
    2018年3月9日15時0分

     1970年の大阪万博と言えば「月の石」である。米アポロ計画で持ち帰られた成果を見ようと長蛇の列ができた◆万博がテーマに掲げた「人類の進歩と調和」を象徴していた。その価値を知る米政府も各国に貸したり贈ったりと戦略的に活用していた。見せ物にとどまらず世界の専門家による分析で、月や地球の起源に迫るヒントも得られた◆再び「月の石」が注目されている。中国が今年、月の裏側に探査機を送って「石」を持ち帰る計画だからだ。「裏」からの石は初となる◆中国の国会に当たる全人代が今開かれている。政府予算案も審議され、中でも宇宙分野は重要項目と言われる。独自の宇宙ステーション建設や相次ぐ探査計画など中国の勢いを物語る◆心配なのは宇宙の軍事利用を拡大する意図が指摘されることだ。東京で今月開かれた宇宙探査の国際会議で中国は「平和利用」や「国際協力」を強調したが、額面通り受け止められたかどうか◆月の石の使い方が評価されよう。「パンダ」のように有料貸し出し?
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180309-118-OYTPT50215

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  17. 3月15日 編集手帳
    2018年3月15日5時0分

     ノーベル賞の創設者アルフレッド・ノーベルは理論研究について、実験で検証されるもののみ賞が与えられることにこだわったと伝えられる◆そんな理由から、この人物に贈られることはないだろうと論じた書籍が手元にある。「車いすの宇宙物理学者」スティーブン・ホーキング博士へ、である。宇宙の果てまでも説明するホーキング理論の場合、さて実験室はどこに設ければいいのか?◆それはジョークとして、実証が追いつかないこと自体、偉大さの証明と言えよう。権威あるその賞についても、事実そうなった。きのう英国から死去の報が伝わった。76歳だったという◆世界的ベストセラー『ホーキング、宇宙を語る』を思い出す方は多かろう。難しい数式は使わなかった。ブラックホールなどの学術語を身近にしたのをはじめ、天体に想像をはせる喜びを人々の手の届くところにした功績も大きい◆約2年前には、4光年離れた太陽系外の恒星に探査機を送る構想を発表した。すると本紙の川柳欄にこんな投稿が載った。<4光年先を旅するホーキング>野上正昭。魂は実証の旅に出かけたのかもしれない。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180315-118-OYTPT50166

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    1. ホーキング博士死去 76歳…宇宙への情熱 衰えず
      2018年3月15日5時0分

       【ロンドン=緒方賢一】「車いすの宇宙物理学者」として知られた英ケンブリッジ大教授のスティーブン・ホーキング博士が14日、英国東部ケンブリッジの自宅で死去した。76歳だった。同大が明らかにした。

       英オックスフォード大とケンブリッジ大で物理学と宇宙論を専攻。21歳で、全身の運動機能がマヒする進行性の難病「筋萎縮いしゅく性側索硬化症(ALS)」と診断され、余命2年と宣告されながら研究を続けた。

       1974年、強い重力を持つブラックホールがエネルギーを失い最後に消えてなくなるとする「ホーキング放射」を提唱。徐々に体の自由や声を失いながらもコンピューターの人工音声を通じて会話し、独創的な理論を次々に発表した。

                ◇

       ホーキング博士は2016年に太陽系から最も近い恒星に探査機を送る計画を発表したり、人工知能(AI)の未来について警鐘を鳴らしたりするなど、近年まで精力的に活動した。

       佐藤勝彦・日本学術振興会学術システム研究センター所長(72)は、「ブラックホールが蒸発するという当時の常識では考えられない理論を発表し、世界に衝撃を与えた」と話す。著書「ホーキング、宇宙を語る(邦題)」(1988年)は世界的なベストセラーになった。東京大カブリ数物連携宇宙研究機構の村山斉ひとし機構長(53)は「難解な物理学を分かりやすく伝えた」と語った。(写真はロイター)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180315-118-OYTPT50061

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    2. 「研究者のヒーローだった」…ホーキング博士 悼む声
      2018年3月15日15時0分

       【ワシントン=三井誠】英国の宇宙物理学者スティーブン・ホーキング博士=写真、ロイター=の死去を受け、14日、世界中から悼む声があがった。

       米航空宇宙局(NASA)のロバート・ライトフット長官代理は、「ホーキング博士の業績は、NASAの太陽系探査計画に大きな役割を果たしてきたし、今後も果たすだろう。若い世代だけでなく、研究者仲間にとってもヒーローだった」とたたえた。

       スイスにある素粒子研究の国際的拠点、欧州合同原子核研究機関(CERNセルン)のファビオラ・ジャノッティ所長は、「ホーキング博士の知識への情熱に、いつも感動させられた」と振り返り、「いかに勇気を持って病気に向き合うか、それを見事に教えてくれた。彼は戦士だった」と称賛した。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180315-118-OYTPT50306

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    3. 独創的な宇宙理論 ホーキング博士死去…ブラックホール蒸発 唱える
      2018年3月15日15時0分

       英国の宇宙物理学者、スティーブン・ホーキング博士が76歳で死去した。難病の筋萎縮いしゅく性側索硬化症(ALS)と闘いながら、宇宙の謎に挑んだ研究人生だった。

       ホーキング博士は独創的な宇宙の理論を次々に発表した。代表的な業績の一つが、1974年に発表したブラックホール(BH)の「ホーキング放射」だ。

       BHは重力が極めて強く、光さえものみ込む。物理学者が「BHは何も外に出られない天体」と信じていた頃、エネルギーを外に放射すると主張したのが博士だった。

       放射を続けると、BHは蒸発して消える。「あり得ない」という批判は、緻密ちみつな論理構成が理解されるとともに減り、物理学者が理論の重要性に気づいた。

       大須賀健・国立天文台助教(44)は「ホーキング放射はまだ観測されていないが、現代物理学の支柱となる一般相対性理論と量子力学に沿った理論で、多くの研究者は正しいと考えている」と話す。

       蒸発が特に問題になるのは質量が比較的小さいBHで、宇宙初期に形成されていたとされる。早稲田大の前田恵一教授(67)は「誕生後間もない宇宙の研究に影響を与え、宇宙論など物理学の基本的な考え方を発展させる役割を果たした」と話す。名古屋大の杉山直教授(56)は「ブラックホールが蒸発した宇宙はどうなるか。宇宙の未来予想図も変えた」と語る。

      難解な物理 魅力的に語る…佐藤勝彦・東大名誉教授

       直感とひらめきに満ちた研究者だった。相対性理論で研究を始めたが極微の世界を扱う量子論を取り入れ、新しい宇宙の姿を描いた。

       ホーキング放射では、真空のゆらぎから粒子と反粒子ができ、一方がブラックホールに取り込まれ、もう片方が出ることで質量が失われる、と提唱した。このゆらぎは宇宙初期に原始星や銀河が生まれる種になっており、現在の宇宙論にも大きな影響を与えている。ただ実証は極めて難しく、本人が「加速器実験でミニブラックホールの蒸発を見られればノーベル賞だね」と、語っていたほどだ。

       続いて唱えた無境界仮説は、宇宙の始まりに果てがない、とする説だ。宇宙誕生時の急膨張(インフレーション)の始まりを矛盾なく説明できる点で高く評価される。

       一緒にスウェーデンで山奥の湖にヘリコプターで行ったり、カナダで氷河の見物をしたりした。車いすを降り、介助者に抱っこされた状態で移動した。好奇心に満ち、あらゆる経験を積みたいと思っていたのだろう。

       行動派の博士は、南極にも足を運んだ。夕食の時「次は宇宙?」と尋ねると、答えは「(重力がほとんどない)宇宙は、身体障害者にとって最も心地よい環境だろう」。優れたジョークの使い手でもあり、講演は落語を聞いているかのように、笑いが絶えなかった。難解な物理や宇宙の話をなぜあれほど魅力的に、かみ砕いて語ることができたのか、不思議でならない。(聞き手・野依英治)

           ◇

       さとう・かつひこ 東京大名誉教授。72歳。宇宙誕生時の「インフレーション」理論の提唱者。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180315-118-OYTPT50212

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    4. 死去したホーキング博士の著書に注文殺到
      3月15日 18時22分

      難病と闘いながら、宇宙や生命の起源などについて研究を続けたイギリスのスティーブン・ホーキング博士が亡くなって一夜明けた15日、ホーキング博士の著書を出版した会社では、書店からの注文が相次ぎ、対応に追われています。

      ホーキング博士は21歳のとき、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病と診断され、会話ができなくなってからは、コンピューターを介して意思を伝えるなどして研究を続け、1988年に出版された「ホーキング、宇宙を語る」は日本を始め、世界各国でベストセラーとなりました。

      ホーキング博士が亡くなってから一夜明けた15日、日本語訳の著書を出版する都内の出版社では、書店などからの注文が相次ぎ、急きょ、在庫を都内や近郊の書店に発送したほか、1万5000冊の重版を決めたということです。

      早川書房の伊藤浩さんは「一般向けの科学書の先駆け的な存在で、科学のすそ野が広がるきっかけになりました。今も研究や執筆を続けていたので、亡くなったのはとても残念です」と話していました。

      また、注文した書店ではホーキング博士の追悼コーナーが設けられ、訪れた人が著書を手にとっていました。

      77歳の男性は「ハンディーのあるなしに関係なく、一科学者としてとてもすばらしい人でした」と話していました。

      患者団体代表「おかげで患者は希望失わず」

      ホーキング博士と同じ全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病の患者団体代表の岡部宏生さんは「ホーキング博士のおかげで希望を失わずにすんだ患者がたくさんいるので、感謝しています。いつも前向きでしたが大変な困難もあったと思うので、今は穏やかに自由にゆっくりとお休みになってくださいと伝えたいです」と話していました。

      また「ホーキング博士の言動の中には難病や障害のある人たちにとって、とても身近で、示唆に富んだものがたくさんあるので、それを風化させずに、生かし続けていきたいです」と話していました。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180315/k10011366521000.html

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    5. [追悼抄]とことん行動する探究者…スティーブン・ホーキングさん 英宇宙物理学者
      2018年4月1日5時0分

       ◇Stephen Hawking(3月14日死去、76歳)

        親交の深かった佐藤勝彦さん(72)が語る思い出

       好奇心の塊、そして行動する研究者だった。20代で発症した進行性の難病「筋萎縮いしゅく性側索硬化症(ALS)」と闘いながらも、やりたいことはやる。言いたいことは言う。そんな姿勢を貫いた。

       研究者が集まる国際会議では共に合間をぬって、各地の名所や秘境を訪れた。時には車いすを降り、またある時は会話を補助する道具さえ取り外して、ヘリコプターや雪上車に乗り、山奥の湖や氷河にも足を運んだ。来日した際も、かみ切りにくいサザエのつぼ焼きを、介助の女性に細かく刻んでもらって食べていた。

       「身体障害者だから」という理由であきらめることは、決してなかった。ユーモアを交えて自らのハンデを語り、知的探究を続ける姿は、同じ病気と闘う人や障害を持つ人たちに大きな勇気を与えたはずだ。

       私の長男と博士の次男が英国で同じ学校に通った縁もあり家族ぐるみの付き合いだった。長女のルーシーさんは科学ライターで、親子共著で出した子供向けの宇宙冒険物語「宇宙への秘密の鍵」はベストセラーになった。娘の活躍を誇りに思っていたようで、子供の話になるとうれしそうな「父の顔」を見せていた。

       ブラックホールが質量を失い、蒸発するという「ホーキング放射」、宇宙の始まりを物理学的に無理なく説明できる「無境界仮説」など、アインシュタインが提唱した相対性理論に量子論の考えを独自に組み込み、ひらめきとアイデアに満ちた仮説を次々と打ち出してきた。常識外れと驚かせたこともたびたびあったが、博士の信念は「宇宙の現象をきれいに説明できる数学的なモデルを作るだけ」と、揺らがなかった。

       博士の家族から送られた葬儀の知らせには、彼の研究人生を象徴する言葉が添えられていた。「私の目標はシンプルだ。宇宙を完全に理解したいんだ」(談)

       聞き手・科学部野依英治

      さとう・かつひこ 宇宙誕生時に急膨張が起きたとする「インフレーション理論」の提唱者。東京大教授などを経て、2016年から日本学術振興会学術システム研究センター所長。東京大での国際会議に博士を招くなど、40年近く交流があった
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180331-118-OYTPT50406

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  18. 自尊心と羞恥心を一切賭けることなく、たえず安直な希望を語るためのネタにとびつくマスゴミメディア…

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  19. 社説
    ホーキング博士 真理追う情熱を受け継ぎたい
    2018年3月17日6時0分

     難病と闘いながら、独創的な宇宙理論を編み出した。科学の伝道師としても活動した。旺盛な探求心を受け継ぎたい。

     「車いすの天才物理学者」として知られた英国のスティーブン・ホーキング博士が、76歳で死去した。

     宇宙の見方を変える仮説を次々と発表した。代表例の一つが、1960年代に発表した「宇宙には始まりがある」という理論だ。百家争鳴だった宇宙誕生の議論を収束させる契機となった。

     謎の天体ブラックホールに関しても、「熱を発する」との新説を提唱した。あり得ない、との批判が多かったが、緻密ちみつな理論が今では評価されている。

     後世に残る業績である。

     これらの成果を基に、著書「ホーキング、宇宙を語る」(邦題)を1988年に出版した。

     内容は決して平易ではなかったが、世界で1000万部以上のベストセラーとなった。自身の論文には数式が連なるが、著書では、ほとんど使わずに、理論を丁寧に説いた。これが幅広い読者の知的好奇心をかき立てたのだろう。

     その後も、本を出せば、多くの読者が手に取った。娘のルーシーさんと、子供向けの宇宙冒険物語も出版している。

     21歳で難病の筋萎い縮しゅく性側索硬化症(ALS)と診断された。筋力が徐々に衰え、運動や発声の能力を失った。車いすに細い体をうずめ、人工音声装置を操作して、言葉を紡ぎ出す。一つひとつの言葉が、実に重かった。

     博士は生前、「宇宙の法則を追い求める熱意や興奮を人と分かち合いたい」と、繰り返し述べていた。その純粋な思いも、世界にファンを広げた理由だろう。

     論文だけでなく、一般の人々にも研究の意義を伝える。科学の重要性を広く知ってもらうために、多くの科学者が、博士のような発信力を磨くべきではないか。

     近年、科学研究は応用や産業利用の比重が増している。博士が打ち込んだような基礎研究を持続させるためには、尚更なおさら、広く理解を得る努力が求められよう。

     博士は、専門分野に限らず、地球温暖化や人工知能など科学技術の重要課題についても関心を寄せ続け、率直な意見を発信した。

     障害を持つ人々へのメッセージも送り続けた。2012年のロンドン・パラリンピックでは、「人生がどんなに困難であろうと、成し遂げられることがある」と話し、挑戦することの大切さを訴えた。誰もが胸に刻みたい言葉だ。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180316-118-OYT1T50156

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  20. 寒冷地の恐竜 卵温め工夫…名大チーム発表 植物の発酵熱など利用
    2018年3月17日15時0分

     白亜紀末期(6600万~6800万年前)に北極圏に生息していた恐竜は、植物が分解される際に出る発酵熱を利用するなどして卵を温めていた可能性が高いと、名古屋大学などの研究チームが発表した。恐竜が生息地をどう広げていったのかを考える手がかりになる。論文が英科学誌「サイエンティフィック・リポーツ」に掲載された。

     多くの恐竜は親が卵を抱かず、太陽熱などを利用して卵を温めていたことが知られている。白亜紀末期は今よりも温暖だったとされるが、比較的寒冷な北極圏でどうやって温めていたのかは謎だった。

     チームは、親が卵を温めない種類の鳥やワニなどの巣を参考に、世界各地で見つかった恐竜の巣の化石192例を分析。その結果、〈1〉卵を砂に埋めて主に太陽熱で温める〈2〉土に含まれた植物の発酵熱で温める〈3〉親が抱く――といった方法をとっていたと推定された。太陽熱を利用した恐竜の巣は比較的暖かい地域に分布していたが、発酵熱や親による抱卵を利用したものはシベリアなど北極圏にも分布していた。

     真鍋真・国立科学博物館標本資料センター長の話「卵の温め方を工夫できる恐竜たちを中心に生息地を広げていったのだろう。恐竜の生態を考える上で重要な成果だ」
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180317-118-OYTPT50283

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    1. 今となっては、ほんとうに「恐竜」っていう生き物が実在していたのかさえ定かではない。

      ある程度の大勢のヒトビトが一斉に結託して口裏合わせて「ある」と言っているにすぎない戯言だったら、はたしてそれを否定することができるか、という問題。

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  21. 宇宙開発利用大賞の農林水産大臣賞に青森県のコメ栽培
    3月20日 18時45分

    宇宙空間を利用した先進的な取り組みで大きな成果をあげた個人や団体に贈られることしの宇宙開発利用大賞の農林水産大臣賞に、人工衛星が撮影した田んぼのデータを解析し、コメの品質を向上させた青森県の取り組みが選ばれました。

    宇宙開発利用大賞は、宇宙産業の拡大を目的に、宇宙空間を利用した先進的な取り組みで大きな成果を収めた個人や団体に毎年、内閣府が贈っているもので、ことしの表彰式が20日、都内で行われました。

    このうち、農林水産大臣賞は、人工衛星が撮影した田んぼの画像を解析することでコメの品質を向上させた青森県の取り組みが受賞しました。
    人工衛星で田んぼを撮影すると、コメの中に味を決めるたんぱく質の量がどのくらい含まれるのかわかるということで、肥料の量や収穫の時期を調整し、ベストのタイミングでコメを収穫し、品質の向上につなげるものです。
    この方法で収穫している青森の「晴天の霹靂(へきれき)」は、平成26年の登場以降、全国で生産されたコメのおいしさを評価する「食味ランキング」で最高の「特A」評価を毎年獲得しているということです。

    「衛星画像利用でおいしい米」青森県の取り組みは

    青森県では、人工衛星が撮影した田んぼの画像を解析することで、いつ稲を刈り取ればおいしいコメが収穫できるのか判断できる技術を研究してきました。

    青森県によりますと、コメは収穫時期が遅れると味が落ちてしまう一方、収穫が早いと量が確保できないため、おいしいコメを最も多い量得るためには刈り取りのタイミングが重要になります。
    この判断は、これまで農家の経験や勘で決められてきましたが、田んぼごとにばらつきが出るなどして品質のよくないものが混ざってしまうのが課題でした。

    青森県では、産業技術センターが収穫予定時期の20日ほど前に、人工衛星が撮影した県内の田んぼなど3000平方キロメートルの画像を毎年購入し、解析しています。

    解析では、田んぼごとの稲の生育状況に加え、コメの味の決め手となるたんぱく質がどのくらい含まれているのかを衛星画像の赤外線のデータを使って調べます。
    このたんぱく質が少ないほどコメは粘りけが強く食味が増しますが、肥料を多く与えすぎるとたんぱく質の量が増え、味が落ちるということです。
    衛星の画像を使えば、田んぼごとにたんぱく質の含有量を見て肥料の量を調節でき、生育状況もみながら収穫時期を決めることが可能だということです。

    青森県産業技術センターの境谷栄二部長は「農家は後継者不足などで1人当たりの栽培面積がさらに増えていくことが考えられるので、衛星のデータを活用して品質のいいコメを作ってもらいたい」と話していました。

    稲作農家「農業は劇的に変わる時代」

    青森県平川市の工藤憲男さん(65)は、34ヘクタールの田んぼのうち10ヘクタールで晴天の霹靂を栽培しています。
    スマートフォンのアプリを操作し、青森県産業技術センターが提供する収穫の適切な時期を示す地図を見ながら刈り取りを行うということです。

    以前は、田んぼを見回り葉っぱの色などを見て、農家としての経験から収穫時期を決めていました。
    衛星の画像から適切な収穫時期がわかると聞いた当初は本当に宇宙からわかるのか疑問を持ったということですが、実際に田んぼをみてアプリの指摘が的確だとわかり驚いたということです。

    工藤さんは「これまで頑張ってきたけど、どうしても『特A』を取ることができなかったが、『晴天の霹靂』を栽培し、初めて口にしたときにその味に感動し、絶対『特A』評価を得られると確信した。データで一目でわかるのは生産者としてありがたく、このようなことができるようになるとは思ってもみなかった。GPSを使ってトラクターをまっすぐ走らせる技術なども進んでいて、農業は劇的に変わる時代だと感じている」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180320/k10011372741000.html

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    1. 一種の「信者」だから、まっすぐ一途にわき目も振らず突き進むのみ…

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  22. 宇宙開発のベンチャー企業育成に1000億円の出資枠創設へ
    3月20日 18時46分

    宇宙開発に取り組むベンチャー企業を育成するため、安倍総理大臣は、政府系金融機関などを通じ、新たに1000億円規模の出資枠を創設する考えを表明しました。

    宇宙空間の利用推進に貢献した個人や団体をたたえる政府主催の宇宙開発利用大賞の表彰式が20日、東京 千代田区で開かれ、安倍総理大臣や松山科学技術担当大臣が出席しました。

    この中で、安倍総理大臣は「宇宙開発は民間のベンチャーが次々参入し、誰もがチャレンジできる分野になった。この世界的な劇的な変化をわが国が先頭に立って力強くけん引する」と述べたうえで、宇宙開発に取り組むベンチャー企業を育成するための支援策を公表しました。

    それによりますと、政府系金融機関などを通じて新たに1000億円規模の出資枠を創設するほか、JAXA=宇宙航空研究開発機構の研究者など宇宙開発のノウハウを持つ人材をベンチャー企業に紹介する仕組みを整備するなどとしています。

    政府は、宇宙産業への民間企業の新規参入を促し、2030年代の早い時期に市場規模をおよそ2兆5000億円程度に倍増させる目標を掲げています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180320/k10011372751000.html

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    1. 宇宙ベンチャーへ資金1千億円
      首相表明、人材確保後押し
      2018/3/20 19:26
      ©一般社団法人共同通信社

       安倍晋三首相は20日、東京都内で開かれた宇宙分野に関する政府主催のイベントであいさつし、宇宙開発のベンチャー企業の成長を後押しするため、今後5年間で官民合わせて1千億円の資金を供給する考えを表明した。宇宙航空研究開発機構(JAXA)や大手企業の専門家らがベンチャー企業でも働けるよう、人材確保の仕組みを構築すると強調した。

       政府は2030年代早期に、宇宙産業の国内市場規模を約2兆4千億円に倍増させる目標を掲げている。日本政策投資銀行や官民ファンド「産業革新機構」などが資金供給を担う。
      https://this.kiji.is/348775000398038113

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    2. 「産業革新機構」のニュース
      https://www.2nn.jp/word/%E7%94%A3%E6%A5%AD%E9%9D%A9%E6%96%B0%E6%A9%9F%E6%A7%8B

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    3. 宇宙事業に1000億円支援=人材・技術を民間に-安倍首相

       安倍晋三首相は20日、東京都内で開かれた宇宙利用・開発に関するシンポジウムに出席し、ベンチャー企業の宇宙事業参入を支援するため、2018年度からの5年間に官民合同で約1000億円を拠出する計画を表明した。
       首相は「広大な宇宙は新しいビジネスがどんどん生まれる大いなるフロンティアだ」と指摘。宇宙航空研究開発機構(JAXA)の技術者が民間企業で働けるようにするなど、人材・技術の民間移転を促進していく方針も示した。計画には、新事業の実現可能性調査や特許出願に関する支援も含まれている。(2018/03/20-19:25)
      https://www.jiji.com/jc/article?k=2018032001084&g=soc

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  23. 米の宇宙基地構想に欧も参加
    2018年3月22日15時0分

     米国が2020年代後半の完成をめざしている月上空の宇宙基地建設構想に、欧州宇宙機関(ESA)が参加する方針を示した。構想には日本も参加する意向で、ロシアが協力する方針を表明している。

     ESAのヨーハンディートリッヒ・バーナー長官が3月上旬に東京で開かれた閣僚級会合「国際宇宙探査フォーラム」に出席した際、米航空宇宙局(NASA)側と協議したことを明らかにした。バーナー長官は「(基地の)居住空間を作ることに関心がある」と語った。

     米国の宇宙基地建設構想では、月面探査の拠点や、将来の火星有人探査の中継拠点を作ることを掲げている。基地には、宇宙飛行士の居住スペースや燃料の補給設備などを備えるという。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180322-118-OYTPT50145

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  24. JAXA新理事長に山川宏京大教授
    3月27日 14時35分

    JAXA=宇宙航空研究開発機構の新しい理事長に、内閣府の宇宙政策委員会の委員を務める山川宏京都大学教授が就任することになりました。

    JAXAの理事長は現在、元新日鉄の副社長の奥村直樹氏が務めていますが、今月末で任期が切れるため文部科学省は後任の人選を進めてきました。

    林文部科学大臣は27日開かれた閣議で、山川宏京都大学教授をJAXAの新しい理事長として起用することを報告し、了解されました。

    山川教授は52歳。
    平成5年に東京大学大学院の博士課程を修了後、現在のJAXA宇宙科学研究所でM5ロケットの開発などに携わり、日本の宇宙政策を担う内閣府の宇宙政策委員会の委員も務めています。

    山川教授の人事は来月1日の発令で、JAXAの4代目の理事長に就任します。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180327/k10011380831000.html

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  25. 日本の浄水 宇宙へ挑戦…尿の飲料化 ISS試験へ
    2018年3月31日15時0分

    NASAより小型で省電力

     宇宙航空研究開発機構(JAXAジャクサ)は、宇宙での長期滞在に欠かせない高性能の浄水装置の開発に乗り出した。米国が主導する月上空の基地での利用を目指し、まず今年末にも国際宇宙ステーション(ISS)に装置を打ち上げて実証試験を始める。

     ISSでは、宇宙飛行士が生活するのに必要な水を、地球からロケットで運搬しているほか、飛行士の尿を飲料水に再生して確保している。

     しかし、地上400キロ・メートルのISSでも水1リットルを運ぶのに300万円以上の費用がかかるとされる。38万キロ・メートル離れた月上空の基地が実現した場合、輸送コストが大きな課題となるため、高性能の浄水装置が求められていた。

     現在、ISSでは米航空宇宙局(NASA)の浄水装置に頼っているが、尿から飲料水を作り出す「再生率」は75~85%だった。これに対し、JAXAと国内の水処理装置メーカーが共同開発している新装置は、消費電力はこれまでの半分、大きさは4分の1となる。高温高圧で尿に電気を通して不純物を処理する特殊な技術を使って、再生率85%以上を達成できる。

     JAXAは、地上試験でめどがついたため、ISSの日本の実験棟「きぼう」に装置を持ち込んで初の実証試験を行うことにした。また往復3年かかる将来の火星探査も見据え、地上でも今年から装置を連続運転させて耐久性を確かめる。

     日本政府は昨年末、月上空基地建設構想への参加を目指す方針を発表、日本が貢献できる主要な技術の一つとして「環境浄化技術」を挙げた。JAXAにはこうした技術貢献を通じ、将来の日本人飛行士の月面探査を実現させる狙いがある。

     JAXA有人宇宙技術センターの伊藤剛さん(46)は「今回の試験は、将来日本の技術を搭載してもらうための正念場となる。また、地上でも、災害時などにこの装置は役立つかもしれない」と話している。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180331-118-OYTPT50255

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  26. 「勝者なし」月面探査レース、賞金なしで再開へ
    2018年4月7日10時56分

     米国のXプライズ財団は5日、3月末に終了させた月面探査国際レースを再開する方針を発表した。

     レースには日本の民間チーム「ハクト」などが参加したが、期限内に月探査を実行できるチームがなく「勝者なし」で終了していた。

     前回のレースはグーグルがスポンサーとなり総額3000万ドル(約32億円)の賞金が注目を集めた。新たなレースは現時点では賞金なしで、同財団はスポンサーを募集している。勝者を決めるルールは今後数か月以内に決めるという。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180406-118-OYT1T50085

    https://koibito2.blogspot.jp/2017/03/blog-post.html?showComment=1515889226377#c7494032232465784719

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  27. 世界消費量の数百年分存在 日本の海底にレアアース 研究チーム
    4月10日 18時49分

    ハイテク製品に欠かせない希少な金属「レアアース」が、日本の排他的経済水域の海底に世界の消費量の数百年分存在しているとする研究成果を早稲田大学などの研究チームがまとめました。

    早稲田大学の高谷雄太郎講師と東京大学などの研究チームは、日本の排他的経済水域にある南鳥島の南側およそ2500平方キロメートルの範囲の25か所で海底の泥を採取し、ハイテク製品に欠かせない希少な金属「レアアース」がどのくらい存在するのか調べました。

    その結果、ハイブリッド車のモーターに使われる「ジスプロシウム」や液晶テレビに使われる「テルビウム」などのレアアース15種類が、合わせて1600万トン余り存在するとわかったということです。

    これは、世界の消費量の数百年分に相当するということで今後、研究チームでは国内の企業とともに、海底にあるレアアースを効率的に海上に引き上げる技術の開発を進めたいとしています。

    高谷講師は「レアアースは、いまでも中国が85%を供給しているが最先端の基幹産業を持つ日本にとって自前の資源があるのは大きい。実際に採取できるよう技術開発を進めたい」と話しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180410/k10011397811000.html

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    1. 学歴エリートの用いる戦法の肝は…
      https://www.google.co.jp/search?q=%E5%AD%A6%E6%AD%B4%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E7%94%A8%E3%81%84%E3%82%8B%E6%88%A6%E6%B3%95%E3%81%AE%E8%82%9D%E3%81%AF%E3%80%81%E8%87%AA%E3%82%89%E3%81%AB%E9%83%BD%E5%90%88%E3%81%AE%E3%81%84%E3%81%84%E6%89%8B%E6%AE%B5%E3%82%92

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    2. ひとの欲に巧妙につけこんで、一度だまされた人は何度でもだますことができる、という鉄則に忠実に従って…

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  28. 宇宙エレベーター「実験は半分成功」…静岡大
    2018年4月14日19時26分

     静岡大は12日、宇宙と地球の間で人や物資を運ぶ「宇宙エレベーター」の実験で、輸送用の昇降機が伝うケーブルが宇宙空間で20~30メートル伸びたとみられると発表した。

     ケーブルは最大100メートル伸ばす計画で、「実験は半分成功した」としている。

     宇宙エレベーターは、宇宙と地球の間に長さ数万キロのケーブルを渡し、ロケットに頼らずに人や物質を往復させる未来の技術で、工学部の山極やまぎわ芳樹教授や能見公博教授らのグループが研究を続けている。

     静大は2016年12月、国際宇宙ステーション(ISS)から、大学が製作した衛星「STARS(スターズ)―C」(愛称・はごろも)を宇宙に放出。衛星は約10センチ角の箱を二つ合わせた形で、片方の箱の内部に合成繊維製のケーブル(直径0・4ミリ)を巻いた状態で収納している。宇宙空間で二つの箱を分離し、片方の箱に向かってケーブルを伸ばしながら、宇宙エレベーターの実用化に必要な基礎データを集める計画だった。

     実験では、宇宙でケーブルが伸びる様子を撮影し、衛星の位置情報を全地球測位システム(GPS)で取得する予定だったが、通信状況が万全でなく、どちらも失敗だった。

     ただ、米戦略軍が一般公開している通信データから、ケーブルが20~30メートル伸びたと推測できたという。衛星は、3月2日夜から3日未明にかけて大気圏に再突入し、燃え尽きた。

     山極教授は12日、浜松市中区城北の浜松キャンパスで行った報告会で、「静大初の衛星を完成させ、最後まで運用を行った。最低限のことはできた」と話した。

     静大では今年度中に、能見教授らのグループが、別の二つの超小型衛星の間にケーブルを伸ばし、それに沿って昇降機を移動させる実験を行う予定だ。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180412-118-OYT1T50140

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    1. だれも「実用化」できるだなんて思っちゃいないだろうに…

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  29. 大量の氷 月に埋蔵?…隕石に痕跡示す鉱物 東北大など
    2018年5月3日5時0分

     地球上に落下した月の隕石いんせきから、月の地下に大量の氷が埋蔵されている可能性を示す鉱物を発見したと、東北大などの研究チームが2日、発表した。

     記者会見した東北大学際科学フロンティア研究所の鹿山かやま雅裕助教は「これまで月の北極や南極の周辺地域にしか水や氷がないと考えられていたが、それ以外の水の痕跡を示すものだ」と説明した。

     発表によると、この鉱物は「モガナイト」。生成するのに水が必要とされる。研究チームは、アフリカ北西部に1万7000年前に落下したとされる月の隕石を分析した結果、モガナイトを発見した。

     隕石は、彗星すいせいなどが月に衝突した際に舞い上がった月の地中深くの岩石を含んでいると考えられ、研究チームは、モガナイトの含有量から岩石1立方メートルあたり18・8リットルの水分があったと推定。月の地下は低温なため、氷の状態で存在する可能性があるとしている。

     宇宙航空研究開発機構(JAXAジャクサ)宇宙科学研究所の春山純一助教(月惑星科学)は「これまで彗星などによって月に水が運ばれたとする説があったが、それを裏付ける成果だ。月のどこにどれだけ水があるのか分かっておらず、探査が必要だ」と話している。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180503-118-OYTPT50071

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    1. 月の地下に大量の氷埋蔵か、隕石に痕跡示す鉱物
      2018年5月3日8時41分

       地球上に落下した月の隕石いんせきから、月の地下に大量の氷が埋蔵されている可能性を示す鉱物を発見したと、東北大などの研究チームが2日、発表した。

       記者会見した東北大学際科学フロンティア研究所の鹿山かやま雅裕助教は「これまで月の北極や南極の周辺地域にしか水や氷がないと考えられていたが、それ以外の水の痕跡を示すものだ」と説明した。

       発表によると、この鉱物は「モガナイト」。生成するのに水が必要とされる。研究チームは、アフリカ北西部に1万7000年前に落下したとされる月の隕石を分析した結果、モガナイトを発見した。

       隕石は、彗星すいせいなどが月に衝突した際に舞い上がった月の地中深くの岩石を含んでいると考えられ、研究チームは、モガナイトの含有量から岩石1立方メートルあたり18・8リットルの水分があったと推定。月の地下は低温なため、氷の状態で存在する可能性があるとしている。

       宇宙航空研究開発機構(JAXAジャクサ)宇宙科学研究所の春山純一助教(月惑星科学)は「これまで彗星などによって月に水が運ばれたとする説があったが、それを裏付ける成果だ。月のどこにどれだけ水があるのか分かっておらず、探査が必要だ」と話している。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180503-118-OYT1T50002

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    2. 宇宙をまたにかけた詐欺師ペテン師どもめが…

      またナニゲにトンデモな悪だくみをしてるらしいじゃないか…

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  30. 火星探査機打上げ成功 将来の有人探査にも期待
    5月5日 23時11分

    惑星が誕生した当初の特徴を残すとされる火星の内部構造を詳しく調べるNASA=アメリカ航空宇宙局の新しい探査機が打ち上げられ、地球などの起源に迫ることができるとして注目されています。

    NASAが開発した新しい火星探査機「インサイト」を搭載したロケットは、アメリカ西部カリフォルニア州のバンデンバーグ空軍基地から、現地時間5日午前4時すぎ(日本時間午後8時すぎ)に打ち上げられました。

    インサイトはおよそ1時間半後に切り離され、打ち上げは成功しました。インサイトは11月下旬に火星に着陸したあと、火山や地表の寒暖差によって引き起こされる地震を観測するほか、およそ5メートルの深さまで温度計を入れて、地下深くから伝わる熱を記録します。

    火星は地球と異なりプレートの活動がなく地殻変動が少ないことから、45億年以上前に誕生した当初の特徴を残していると考えられています。インサイトは地震や熱の伝わり方を分析して、地中の岩などの物質の密度や構造など火星の内部を詳しく調べることで、地球を含む惑星の起源に迫ることができるとして注目されています。

    インサイトの観測データは将来の火星の有人探査にも役立つと期待され、打ち上げに先立って行われた記者会見で、NASAの担当者は「地球と比較することで惑星がどう形成されてきたかわかる。有人探査のためにも重要な任務になる」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180505/k10011428351000.html

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