2019年3月7日

【3.11フクシマ事変】東日本大震災7年/福島第一原発事故7年

地震や津波や火山噴火は有史以前より幾度も繰り返されてきたこと。だが「原発事故」「放射能汚染」というのは…

「タイムラインでみる原発事故 #あの日あなたは」
https://www3.nhk.or.jp/news/special/shinsai7portal/timeline2011/
>2011年3月11日の東電福島第一原発事故の発生から「88時間」を中心に、2018年の今と「同じ時刻」の出来事を表示していきます。

東日本大震災 あの日から7年

「東日本大震災 あの日から7年」
東日本大震災から7年。被災地は今。あの日の教訓を私たちはどう生かしていけばいいのか。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/shinsai7portal/


低線量区域のモニタリングポスト撤去へ(2018/3/21)

そういえば…

>福島県が業者に委託して設置した77台のモニタリングポストで、異常に高い数値を示すなどの不具合が続き、県が業者に改善を指示
>不具合がある機器が33台と一向に改善されないため、福島県は、業者に契約の解除を通知

という問題がかつてあって…


NHK「東日本大震災アーカイブス」
https://www9.nhk.or.jp/archives/311shogen/


40年後の未来へ 福島第一原発の今

「40年後の未来へ 福島第一原発の今」
東京電力福島第一原発事故の関連ニュースと、原発周辺の海水の放射性物質の測定値をお伝えしています。
https://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/


「震災7年トップ」
https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000549.html

「震災7年」
https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000547.html

「東日本大震災」
https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000019.html

「福島第一」
https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000020.html



福島民報「東日本大震災」
「震災から7年」アーカイブ
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2018-3-7years/
「福島第一原発事故」アーカイブ
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/NuclearAccident/


「東日本大震災」のニュース(2NN)
「福島第一原発」のニュース(2NN)


東京新聞 原発取材班
@kochigen2017
https://twitter.com/kochigen2017
>東京新聞原発取材班の公式アカウントです。日々の記事だけでなく、福島をはじめ各地の原発関連取材での画像も発信しています。つぶやきは必ずしも東京新聞を代表したものではなく、リツイートも賛意を示すものとは限りません。




(関連エントリ)
読売社説「政府一体で風評対策に取り組み福島復興を加速させよ」
2011.3.11 フクシマ FUKUSHIMA 福島事変[震災6年]★2
安倍首相「復興の主役は、前を向いて歩む一人一人の人だ」
ラベル 原発事故


(№318 2018年3月11日)

177 件のコメント:

  1. 社説
    大震災7年 復興加速へ的確な対処が要る
    2018年3月11日6時1分

     ◆避難した住民の帰還促す工夫を◆

     東日本大震災から7年を迎えた。

     震災関連死も含めた死者・行方不明者は、2万2000人を超える。犠牲になった人たちの冥福めいふくを改めて祈りたい。

     政府は、震災から10年が経過する2021年3月を復興事業の一つの区切りと位置付ける。今は後半の「復興・創生期間」に当たる。3年後に向け、残された課題に的確に対処せねばならない。

     ◆利用予定なしが60%

     岩手、宮城、福島3県の沿岸部をのみ込んだ津波の被害からの回復は、表面上は進んでいる。高台移転のための宅地造成と復興住宅の建設は、いずれも計画の90%以上が完了している。

     仮設住宅も解消されつつある。被害が甚大かつ広範囲だったため、復興が遅れていた自治体でも、事業は大きく進展している。

     岩手県陸前高田市では、浸水した地盤をかさ上げして造成した中心地で、大型商業施設が昨年4月に先行オープンした。

     かさ上げ面積は計125ヘクタールに上り、商業施設や公共施設に加えて、宅地が配置される。市は20年度の事業完了を目指す。

     難題は、造成が進んでも将来の街の姿が見通せないことだ。

     地権者を対象に、市が実施した調査では、宅地用のかさ上げ地の60%で、当面は利用予定のない実態が判明した。既に別の場所で住宅再建を果たしている、といった理由が多いという。

     同様の問題は他の自治体でも顕在化している。巨額の国費を投入した復興事業が、結果として空き地を生みかねない。被災地以外の住民や企業にも積極的に活用を呼びかけ、にぎわいの復活につなげることが大切だ。

     震災後、各自治体が大規模な事業を一斉に手がけた結果、資材や人手の不足が生じた。工事に長い時間を要し、その間に多くの被災者が別の場所に移った。

     南海トラフ巨大地震などの発生も想定される中で、復興事業のあり方を改めて議論する時期に来ているのではないか。

     街の再生が進まないという点では、東京電力福島第一原子力発電所の周辺地域はより深刻だ。

     原発事故で、11市町村に避難指示が出された。9市町村では既に、放射線量が高い帰還困難区域を除いて、指示が解除されている。

     しかし、必ずしも住民の帰還にはつながっていない。富岡町や浪江町に戻った住民は、昨春の解除から1年近くを経た現在でも、3%程度にとどまっている。

     中心部こそ銀行や複合商業施設が営業しているものの、それ以外の地区では商店が閉鎖されたままといった光景が広がる。

     ◆子育て世代呼び込もう

     医師や看護師の不足で、医療機関の診療科は限られている。介護施設も十分なサービスを提供できていない。こうした状況では、避難先での定住を選択する住民の心情も理解できる。

     復興庁の調査で、「戻らない」と明確に回答している住民は、富岡町や浪江町で半数ほどだ。

     4月からは、富岡、浪江、飯舘など5町村で公立小中学校が再開される。通学予定の児童生徒数は原発事故前の3%程度で、避難先からの通学も少なくない。

     児童生徒の定着には、子育て世代を呼び込むための施策の推進が不可欠だ。若い世代が戻らなければ、地域の将来は展望できない。保育所や宅地の整備に重点的に取り組む必要がある。

     就労のあっせんや生活相談などの支援が、帰還するかどうか、態度を決めかねている避難者を後押しすることになろう。

     第一原発のある大熊、双葉両町などでは、避難指示が続く。先行的に除染などを進める特定復興再生拠点区域での指示解除は、22~23年を目途めどとする。それまで避難者が待てるのか。重い課題だ。

     ◆再生には地域一体で

     被災地域を再生するのに、市町村ごとの取り組みでは限界がある。傷んだインフラ改修などの業務が加わり、自治体職員の負担も震災前より格段に増している。

     市町村の枠を超え、第一原発周辺が一体となって復興を進める。この発想で地域全体を底上げしたい。市町村に分散する医療機関や福祉施設などを集約して充実させることも必要だろう。政府や福島県は、調整役を果たすべきだ。

     新たな産業振興も重要である。政府は、再生可能エネルギーやロボットなど、幅広い分野の産業集積を図る「福島イノベーション・コースト構想」を掲げる。

     雇用を創出し、魅力ある地域へと生まれ変わってもらいたい。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180310-118-OYT1T50108

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    1. 3月11日 編集手帳
      2018年3月11日5時0分

       季節外れの記憶で恐縮だが、何年か前、東京・銀座の街でふと、夏風にさらさらと音をたてる七夕飾りに足を止めた◆通りかかる人が色とりどりの短冊に願いごとを書き込んでいた。その中の一つに目が留まった。<けんちゃんが天国でしあわせに暮らせます様に 母>。家族に先立たれた人の願いだろう。祈りだろう◆七夕に限ることではあるまい。今生の別れは一日として人の胸のうちを去るはずはなく、立ち止まっては祈る――それがつらい別れをした人の暮らしにちがいない。東日本大震災から、きょうで7年になる◆宮城県気仙沼市の元消防士、佐藤誠悦さん(65)の記事を先日、社会面(東京版)で読んだ。妻の厚子さん(当時58歳)の遺体は6日後、海岸で見つかった。その死が信じられず、人工呼吸や心臓マッサージをしようとしたとき、長男の声で我に返ったという。別れの記憶とともに過ごす日々はこれからもつづく◆吉野弘さんの詩にこんな一行がある。<「歩」は「止」と「少」から出来ています>。立ち止まっては、祈る。祈ってはまた、少しだけ前に進む。それが「歩く」ことなのだろう。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180311-118-OYTPT50040

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    2. [スキャナー]福島帰還 生活の不安…東日本大震災7年
      2018年3月11日5時0分

       東京電力福島第一原発事故が起きた福島県の復興は、これからが本番だ。避難指示が解除された市町村で、住民の帰還に向けた取り組みが本格化する。雇用、インフラ、福祉……。何げない「暮らし」は、実際には複雑に組み合わさっている。いったん動きが止まった暮らしを再起させるには、複数の課題を同時に解決していくほかにない。(福島支局 大月美佳、相本啓太)

      「新産業」雇用未知数

       福島県の沿岸部を中心に進む国家プロジェクトがある。再生可能エネルギー開発など、新産業の集積を図る「福島イノベーション・コースト構想」だ。南相馬市と浪江町で整備が進む「福島ロボットテストフィールド」は目玉の一つ。災害現場などで活用する無人機や重機ロボットの実用化に取り組む施設で、新年度中に一部が稼働する。総工費は155億円になる。

       県内では今、産業復興と雇用創出を図る大型事業が次々と動き出している。しかし、狙い通りに事が運ぶとは限らない。

       国の予算134億円を使い、2016年11月に県がオープンさせた「ふくしま医療機器開発支援センター」(郡山市)。開発研究から安全性試験までを行える設備がそろい、人材育成や販路拡大も支援する施設だ。県内には原発事故前から、大手メーカーの生産拠点もあり、「復興のシンボルになる」と県が構想した。

       だが、ふたを開ければ、17年度の利用は、見込みの3分の1以下の約50件。3億円と見込んだ収入は3900万円にとどまり、6億円の赤字。想定の2倍にふくらんだ。「応援したい気持ちはあるが、正直、自社施設で足りる」というのが大手メーカーの反応だ。県産業創出課は「突出した施策を打ち出さなければ、と焦るあまり、収支見込みが甘くなったかもしれない」と打ち明ける。早速、運営の見直しを迫られている。

       福島の復興を掲げた産業振興は、ほとんどが先端技術分野。農業や漁業で生計を立ててきた沿岸部の住民が地元に戻っても雇用に直結するかは未知数だ。帰還促進につなげるには、メリットを示す必要がある。

       11市町村に出された避難指示は、昨春までに、9市町村で帰還困難区域を除いて解除されたが、解除区域の居住者は、原発事故前の15%の約1万1000人(3月1日時点)に過ぎない。公共サービスが立ち行かなくなる可能性もある。

       原発周辺の双葉郡8町村のうち、広野、楢葉、富岡、大熊、双葉5町は水道企業団をつくっている。16年度の水道料収入は、事故前の4分の1。東電からの賠償金で赤字を穴埋めしている。「賠償が打ち切られれば、その5年後には、値上げを余儀なくされる。住民が納得してくれるかどうか」と担当者が頭を抱える。

       復興のペースは町ごとに異なる。5町で唯一、避難指示が出なかった広野町の幹部は、「これまで足並みをそろえてやってきた。『損をするから、うちだけ抜ける』とは言い出しにくい」と語る。ただ、5町の利害が深刻にぶつかれば、解散・再編といった議論が浮上するのは避けられない。

      医療・介護施設が激減

       医療介護の施設の再開や、人員確保も大きな課題だ。避難指示が出された区域では、病院が7か所から1か所、診療所は55か所から19か所に激減した。

       福島市で避難生活を続ける飯舘村の男性(65)は、昨春、村に戻った両親の体調に気をもむ。ともに84歳。村には介護のデイサービス施設がない。男性は、村外施設に介護ヘルパーを依頼している。「余生を村で過ごしたい気持ちは痛いほど分かるが、いずれ、自分のところに来てもらうしかない」

       せっかく戻った住民が、再び故郷を離れざるをえなくなる。そんな事態も起き始めている。

      自治体の青写真 「楽観」懸念も

       いまだ避難指示が続く帰還困難区域も、これから動き出す。核となるのは、優先的に避難指示解除を目指す「特定復興再生拠点区域」(復興拠点)だ。福島第一原発が立地する双葉、大熊と、浪江、富岡の4町の拠点計画がすでに、国の認定を受けている。

       復興拠点の総面積は約2500ヘクタールで、帰還困難区域全体の7%を占める。4町は、解除目標から5年後の2027~28年、拠点人口を原発事故前の3割に当たる計7700人と試算する。各町は「避難者らへの意向調査などを踏まえた」などとするが、すでに解除された自治体の実態からすると、楽観的過ぎるとの指摘も出ている。

       ただ、4町が試算する拠点人口7700人のうち3割は、廃炉関連の作業員ら、帰還者以外の転入者が占めると想定している。ある町の幹部は、「新住民」と呼び、新たな町の主役になると期待する。避難先での生活になじんだ「元住民」より、動向が計算しやすいというわけだ。

       しかし、原発事故前のコミュニティーが大きく変わるのは必至だ。

       元福島大教授で地方自治総合研究所の今井照あきら・主任研究員(64)は「福島では風景が一変する大規模事業が続く。性急に形だけ整備するのではなく、時間をかけて身の丈にあった取り組みをするべきだ。住民の多くが一度に帰るわけではないので、長期的な展望が一層重要だ」と指摘している。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180311-118-OYTPT50080

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  2. 東日本大震災7年 約6割が「自分は今も被災者」
    3月9日 17時27分

    東日本大震災の発生からまもなく7年になるのを前に、NHKが岩手・宮城・福島の被災者にアンケートを行ったところ、自分は被災者だと今も感じている人がおよそ6割に上っていることがわかりました。専門家によりますと、阪神・淡路大震災の調査と比べ2倍以上だということで、専門家は仮設住宅に1万2000人余りが今も暮らしているなど、復興の遅れが背景にあると指摘しています。

    NHKは去年12月から先月にかけて、岩手・宮城・福島の3県の被災者や原発事故の避難者、合わせておよそ5700人を対象にアンケートを行い、全体の3割余りにあたる1932人から回答を得ました。

    この中で、自分が被災者だと意識しなくなった時期について尋ねたところ、被災者だと今も感じている人が59%に上りました。

    同様の調査は阪神・淡路大震災の際、兵庫県立大学の木村玲欧准教授のグループが行っていますが、木村准教授によりますと、発生から7年の時点で被災者と意識していた人は兵庫では28%で、岩手・宮城・福島では阪神・淡路大震災の2倍以上に上っているということです。

    内閣府によりますと、阪神・淡路大震災では5年後の平成12年1月に仮設住宅の入居者がいなくなりましたが、岩手・宮城・福島の3県によりますと、先月末の時点で合わせて1万2000人余りがプレハブの仮設住宅で暮らしているということです。

    自由記述の中で岩手県陸前高田市の75歳の女性は「いまだに仮設生活を続けています。自分の家に住んで初めて復興の一歩だと自覚しているので、今は身も心も足踏み状態です。早く自分の家に暮らしたいです」とつづっています。

    木村准教授は「東日本大震災では、地震と津波で非常に広い地域が被災したため、今も仮設住宅に住んでいる人が多く、復興の遅れが被災者意識に大きく影響していると考えられる。住まいの再建を目指すことが復興の大きな一歩で、そのうえで、阪神・淡路大震災を教訓に住まいだけではなく、地域のつながりを作っていくことが必要だ」と指摘しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180309/k10011358421000.html

    https://koibito2.blogspot.jp/2013/09/blog-post_5570.html?showComment=1520598671957#c6220226429515863711

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  3. 2万2081人 関連死含めた東日本大震災の死者・行方不明者
    3月11日 4時33分

    東日本大震災で、警察がこれまでに確認した死者と行方不明者は1万8434人となっています。また、避難生活などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は、国のまとめで3600人以上と「関連死」を含めた震災による死者と行方不明者は2万2000人を超えています。

    警察庁によりますと警察によって死亡が確認された人は、合わせて1万5895人です。

    ・宮城県9540人
    ・岩手県4674人
    ・福島県1614人
    ・茨城県24人
    ・千葉県21人
    ・東京都7人
    ・栃木県と神奈川県 各4人
    ・青森県3人
    ・山形県2人
    ・北海道と群馬県 各1人

    死亡した人の99%は身元が確認されましたが、岩手県と宮城県では依然として62人の身元がわかっていません。

    また、警察に届け出が出ている行方不明者は、合わせて2539人です。

    ・宮城県1223人
    ・岩手県1116人
    ・福島県196人
    ・千葉県2人
    ・青森県と茨城県 各1人

    一方、復興庁によりますと避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は、去年9月末の時点で少なくとも合わせて3647人です。

    ・福島県2202人
    ・宮城県926人
    ・岩手県464人
    ・茨城県41人
    ・千葉県4人
    ・神奈川県と長野県 各3人
    ・山形県2人
    ・東京都と埼玉県 各1人

    福島県と茨城県では「震災関連死」で亡くなった人が津波など震災の直接の影響で死亡した人の数を上回っています。

    これで東日本大震災による死者と行方不明者は、「震災関連死」を含めて少なくとも合わせて2万2081人となっています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180311/k10011359931000.html

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  4. 東日本大震災と原発事故から7年 依然7万人以上が避難生活
    3月11日 5時20分

    東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から11日で7年です。被災地では住宅の再建がある程度進む一方、依然として全国で7万人以上が避難生活を余儀なくされているほか、人口の減少や高齢者の孤立なども課題となっています。

    7年前の平成23年3月11日、午後2時46分ごろ、東北沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、東北や関東の沿岸に高さ10メートルを超える津波が押し寄せました。

    警察庁のまとめによりますと9日の時点までに死亡が確認された人は12の都道県の合わせて1万5895人、行方不明者は6つの県の合わせて2539人となっています。

    また、復興庁によりますと去年9月末までに長引く避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」と認定された人は、10の都県で、少なくとも合わせて3647人で、震災による犠牲者は、「震災関連死」を含めて少なくとも合わせて2万2081人となっています。

    災害公営住宅 “高齢者の孤立”も

    震災の直後、最も多い時でおよそ47万人いた避難者は、復興庁の先月13日時点のまとめで全国で7万3349人と、復興事業の遅れなどによりいまだ多くの人が避難生活を余儀なくされています。

    一方、津波などで自宅などを失い、自力で再建できない人のための災害公営住宅は、ことし1月末までに計画の94%にあたるおよそ2万8000戸が完成しました。

    4万6000人余りの被災者が仮設住宅などから移り住んでいますが、住人の高齢化率は41.3%と1人暮らしの高齢者が孤立するなどの問題が出ています。

    “人口10%以上減” 自治体のほぼ半数に

    国勢調査を基にした自治体のデータを使い、NHKが震災前の平成23年3月1日から先月1日までの人口の増減をまとめたところ、岩手、宮城、福島の35の自治体のうち、震災前と比べて10%以上人口が減った自治体は17とほぼ半数に上りました。

    また、福島県では、放射線量が比較的高く今も立ち入りが制限されている「帰還困難区域」を除くほとんどの地域で去年までに避難指示が解除されましたが、関係する9つの市町村によりますと避難指示が解除された地域に住民票を登録している人のうち、実際に住んでいると見られる人の割合は先月の時点でおよそ15%となっています。

    福島第一原発ではいま

    3基の原子炉でメルトダウンが起きるという世界最悪レベルの事故が発生した福島第一原発では、廃炉最大の難関とされる溶けた核燃料と構造物が混じった「燃料デブリ」の取り出しに向けた検討が進められています。

    このうち3号機では、去年7月に行った水中を進むロボットの調査で、原子炉を覆う格納容器の底に岩のような黒い塊などが堆積しているのが見つかり、東京電力は初めて燃料デブリの可能性が高いと評価しました。

    また、ことし1月には、2号機でも格納容器の底に「燃料デブリ」と見られる小石状の堆積物があることが確認されたほか、原子炉内にあった核燃料を束ねるケースの取っ手が落ちているのが確認されました。

    東京電力は、こうした調査結果を踏まえて、格納容器の中の水位は低いままで空気中で取り出す「気中工法」という方法を軸にデブリを取り出すとしていますが、この方法では放射性物質が飛散するおそれがあるため、安全対策の徹底が課題です。

    国と東京電力は燃料デブリについて、取り出し方法の具体的な検討を進め、2019年度には、最初に取り出す号機を確定し、2021年に取り出しを始めるとしています。

    一方、核燃料を冷やすために原子炉に注がれた水が高濃度の汚染水となって建屋の地下にたまり、そこに、山側からの地下水が流れ込むなどして汚染水は増え続けています。

    対策として地下水をくみ上げたり、周辺の地盤を凍らせて氷の壁で囲み地下水の流入を抑える「凍土壁」を建設したりして汚染水が増えるペースは遅くなっています。

    しかし、原発の敷地内のタンクに保管されている汚染水を処理したあとの水はおよそ100万トン、タンクの数は850基ほどに上っていて最終的な処分方法は決まっていません。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180311/k10011360011000.html

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  5. 福島第一原発 データで振り返る7年と今
    3月11日 6時39分

    「3基の原子炉がメルトダウン」という世界最悪レベルの事故。東京電力・福島第一原子力発電所の7年をデータで振り返ります。

    事故直後の放射性物質の放出量は

    事故で外部に放出された放射性物質の量について、東京電力は原発周辺で測ったデータやシミュレーションを基に試算を公表しています。

    事故発生翌日の平成23年3月12日から31日までの間に放出されたヨウ素131とセシウム137は、合わせて90京ベクレルとみられます。これは、チェルノブイリ原発事故で放出された放射性物質の17%余りに当たります。

    翌4月の放出量は4兆ベクレルと、当初の1000分の1以下に減ったと推定されています。

    放射性物質の放出量 低下傾向も微量の放出続く

    その後も放射性物質の放出量の低下傾向は続いていますが、事故から7年たった現在も完全になくなったわけではありません。

    東京電力が原発周辺での観測を基に計算した1号機から4号機の原子炉建屋からの放出量です。

    (すべて3月時点の平均)
    ・1年後 毎時340万ベクレル
    ・2年後 毎時250万ベクレル
    ・3年後 毎時130万ベクレル
    ・4年後 毎時120万ベクレル
    ・5年後 毎時27万ベクレル (評価方法見直し)
    ・6年後 毎時2万5000ベクレル

    そして、ことし1月時点では毎時13万ベクレルとなっています。
    ことしは去年よりも増えていますが、東京電力は日によって放出量が異なるため変動の範囲だとしていて、全体としては減少傾向だとしています。

    放射線量の値は

    原子炉建屋からおよそ1キロ離れた福島第一原発の正門で計測される放射線量の値は、今月はじめに1時間当たり1マイクロシーベルト程度となっていて、去年とほぼ変わっていません。

    同じ地点で東京電力が観測を始めた、事故直後の3月下旬には1時間当たり最大で236マイクロシーベルトが観測されていて、7年前と比べて200分の1以下になっています。

    福島第一原発の敷地内では正門付近を含め、防護服の必要がないエリアが、ことしから敷地全体の95%になっています。

    作業員 1日当たり平均5000人

    廃炉の作業に当たる東京電力や協力会社の作業員の数は、ことし1月時点では、1日当たり平均5000人となっています。

    作業員は去年4月以降、およそ5000人から5500人前後で推移していて、ピークだった3年前の3月時点に比べると、2500人程度少なくなりました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180311/k10011360081000.html

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  6. 福島第一原発 半径80キロ圏の放射線量 平均約74%減少
    3月11日 7時25分

    東京電力・福島第一原子力発電所から半径80キロの地域でヘリコプターを使って行われている、地表付近の放射線量の調査について、原子力規制委員会は、去年秋に測定された値が、事故が起きた年の秋に比べて平均でおよそ74%減少したとしています。

    原子力規制委員会は、福島第一原発の半径80キロの地域で、ヘリコプターを使っておよそ300メートル上空から放射線の調査を行っていて、測定された地上1メートルの1時間当たりの放射線量を9つの色に塗り分けた地図を作成しています。

    それによりますと、現在とほぼ同じ測定方法になった事故から7か月後の平成23年10月の調査では、年間の被ばく線量に換算すると避難指示解除の目安となる20ミリシーベルトにあたる1時間当たり3.8マイクロシーベルト以上の黄色や赤の範囲が原発から北西方向に30キロを大きく超えていました。

    それが6年後の去年9月の最新の調査では、30キロより外側で1時間当たり3.8マイクロシーベルト以上になっている範囲は狭まり、飯舘村や浪江町の一部になっています。

    規制委員会によりますと、この2つの調査結果を80キロ圏全体で比較すると放射線量は平均でおよそ74%減少したということです。

    このうち63%は、時間の経過に伴って放射性物質が放射線を出さない別の物質に変化したことによるもので、残りの11%はそれ以外の要因によって起きたと推計されています。

    放射線量の測定について規制委員会は、大熊町や双葉町など避難指示が出されている自治体から依頼された合わせて5つの町と村で、おととしから専用の車両などで移動式の測定を行っています。

    測定の結果は、避難指示の解除や帰還の検討の参考にできるよう、航空機による調査よりも詳しい地図にして公表しているほか、自治体に提供しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180311/k10011360091000.html

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  7. “復興庁の後継組織が必要” 組織の在り方や役割検討へ 自民
    3月11日 4時35分

    東日本大震災からの復興政策を担う復興庁は、設置の期限が3年後に迫っています。自民党は、原発事故のあった福島県の復興には、中長期的に対応にあたる復興庁の後継組織が必要だとして、近く、具体的な組織の在り方や役割について検討を始め、政府への提言をまとめたい考えです。

    復興庁は、震災の発生から10年となる2021年3月末が設置期限になっていますが、原発事故のあった福島県では、避難指示が出された地域が再生しない限り復興にはならないとして、継続的な支援を求める声が出ています。

    これを受けて、自民党の東日本大震災復興加速化本部は、福島県を復興・再生させるために中長期的に対応にあたる、復興庁の後継組織が必要だとして、近く、具体的な組織の在り方や役割について検討を始める方針です。

    また、震災後も、熊本地震や九州北部豪雨など大規模な災害が相次ぎ、南海トラフの巨大地震や首都直下地震も想定されることから、防災・減災対策を強化するための体制も合わせて議論し、政府への提言をまとめたい考えです。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180311/k10011359991000.html

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    1. 復興庁の後継組織と心のケアの在り方検討 吉野復興相
      3月11日 11時39分

      NHKの番組「日曜討論」で、東日本大震災からの復興の総仕上げと政府が位置づける「復興・創生期間」が3年後に終わることについて、吉野復興大臣は、復興庁の後継組織の議論とあわせて、心のケアを柱の一つとした支援の在り方を検討していく考えを示しました。

      この中で、吉野復興大臣は、東日本大震災からの復興の総仕上げと政府が位置づける「復興・創生期間」が3年後の2021年3月に終わることについて、「被災した私は、今も津波の映像を見ることができない。これから心のケアがいちばん大事だ」と述べました。

      そのうえで吉野大臣は「復興庁の後継組織の議論も始まっているので、その中に組み込んでいきたい」と述べ、復興庁の後継組織の議論とあわせて、心のケアを柱の一つとした支援の在り方を検討していく考えを示しました。

      また、吉野大臣は、福島県の被災した沿岸部にロボット産業などを集積させる「福島イノベーション・コースト構想」について、「国をあげて構想を推進していく。将来、必ずやロボット産業が日本経済を引っ張っていく。その中心が福島だという思いで期待している」と述べ、先進産業の育成を復興につなげたいという考えを強調しました。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180311/k10011360311000.html

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  8. 世界最悪レベルの事故 廃炉への闘いは
    3月11日 21時12分

    3基の原子炉でメルトダウンが起きるという世界最悪レベルの事故が起きた福島第一原発。最新の工程表では廃炉作業には最長で40年かかる見込みです。廃炉への闘いはまだまだ長い道のりが続きます。

    廃炉作業完了 最長2051年

    事故から7年となることしは、取り出し方法の具体的な検討を進めるほか、3号機で使用済み燃料プールから核燃料を取り出す作業を行う予定です。

    福島第一原発では6つの原子炉のうち、1号機から3号機までの3基で核燃料が溶け落ちる「メルトダウン」が起き、1号機と3号機、それに4号機で建屋が水素爆発しました。

    国と東京電力が去年9月に2年ぶりにまとめた最新の工程表では、すべての廃炉作業が完了するには最長で40年(~2051年)かかるとしています。

    中でも重要なのは、事故当時、それぞれの建屋の最上階に設けられた使用済み燃料プールからの「核燃料の取り出し」と、溶け落ちた核燃料と構造物が混じった「燃料デブリ」の取り出しです。

    4号機は取り出し完了

    事故当時、運転停止中だった4号機では、すべての核燃料が燃料プールに移されていてメルトダウンを免れ、4年前に核燃料の取り出しが完了しています。

    3号機・ドーム型カバー完了

    一方、1号機から3号機は、メルトダウンの影響で建屋の中が激しく汚染されたため、除染やがれきの撤去が進められています。

    作業が最も早く進む3号機では先月、核燃料を取り出すために必要なドーム型のカバーや、クレーンなどの設置が完了しました。

    東京電力は、燃料プールから核燃料を取り出す作業を3号機では、遠隔操作の訓練を行うなど準備を進めたうえでことし秋ごろから実施。

    1号機と2号機では2023年度からそれぞれ始める計画です。

    最大の難関はデブリ取り出し

    次に「燃料デブリの取り出し」という廃炉工程の中で、最大の難関とされる作業についてです。

    東京電力はこれまで、燃料デブリの取り出しに向けてロボットを使った調査を行っていて、2号機や3号機の原子炉内部では燃料デブリと見られる塊が見つかっています。

    2号機は強い放射線

    2号機では、ことし1月、原子炉を覆う「格納容器」の底で、「燃料デブリ」と見られる小石状の堆積物があることが確認されました。
    また、原子炉内にあった核燃料を束ねるケースの取っ手が落ちているのが確認されています。

    さらに、原子炉の真下では、最大で1時間当たり8シーベルトの、人を寄せつけない極めて強い放射線が測定されました。

    3号機の黒い塊

    3号機では去年7月、魚のマンボウに見立てた調査ロボットを原子炉の真下に当たる範囲に投入し、内部の状況を調べました。

    すると、格納容器の底に、事故の前にはなかった岩のような黒い塊などが堆積しているのが見つかりました。

    東京電力は燃料デブリの可能性が高い塊が確認されたと評価しました。

    一方、1号機は去年3月、調査が行われましたが、燃料デブリは確認できませんでした。

    気中工法どこまで実現?

    燃料デブリの取り出しにあたって大きな課題となるのが、核燃料から出る極めて強い放射線の影響や放射性物質の飛散です。

    これらを防ぐため、これまで、格納容器を水で満たす「冠水工法」と呼ばれる方法が検討されてきましたが、国と東京電力は、水位は低いままで空気中で取り出す「気中工法」という方法を軸に廃炉に取り組むとしています。

    ただ、この方法では放射線の影響や放射性物質の飛散をどれだけ抑え、安全対策を徹底できるかが課題です。

    今後の工程

    国と東京電力は燃料デブリについて、2019年度には最初に取り出す号機を確定。2021年に取り出しを始めるとしています。

    経済産業省原子力発電所事故収束対応室は「使用済み燃料プールからの核燃料の取り出しなど、一部、工程が遅れているところはあるが、全体が大きく遅れているという認識はない。今後も作業の進捗(しんちょく)にとらわれることなく、安全第一に着実な廃炉を実施していく」としています。

    事故から7年を前に会見した原子力規制委員会の更田委員長は「事故は7年間続いている」と述べました。
    「燃料デブリ」の取り出しについても「少なくとも出口が見えたり、山頂が望めるところまで登ってきたというわけでは全くない」とも述べています。

    廃炉への闘いは、まだまだ長い道のりを一歩ずつ歩むことになりそうです。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180311/k10011360941000.html

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  9. 福島県以外の7県の除染土 再生利用も検討へ
    3月12日 4時11分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う除染で、福島県以外の東北と関東の7つの県で取り除いた土は、処分の基準がないため、今も公園や校庭などに保管されたままになっています。環境省は年内にも基準を作り、埋め立て処分を急ぐとともに、土の再生利用についても検討することにしています。

    7年前の原発事故に伴う除染は、福島、岩手、宮城、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉の合わせて8つの県で行われてきました。

    環境省によりますと、このうち、福島県以外の7つの県の除染で取り除いた土の量は合わせておよそ33万3000立方メートルで、処分に関する国の基準がないため、公園や校庭など2万8000か所余りに保管されたままになっています。

    環境省は来月以降、茨城県東海村と栃木県那須町で、土を地中に埋めて周辺の放射線量などを測定する実証事業を行い、安全性を確認したうえで年内にも基準を作り、埋め立て処分を急ぐ方針です。

    さらに、保管されている土に含まれる放射性物質の濃度が比較的低いため、環境省は、埋め立てる量の削減に向けて、土を建設資材などとして再生利用することができないか検討することにしています。

    県別の除染土保管量

    環境省によりますと、原発事故のあと、福島県以外の東北と関東の7つの県の除染で出た土の量を県別に見ますと、栃木県では2万3997か所に11万987立方メートル、千葉県では1631か所に10万1149立方メートル、茨城県では1035か所に5万4154立方メートル、宮城県では149か所に2万8694立方メートル、岩手県では312か所に2万6460立方メートル、埼玉県では48か所に7284立方メートル、群馬県では783か所に4602立方メートルが保管されています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180312/k10011361071000.html

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  10. 「在日米国大使館 福島第一原発 80キロ圏 避難勧告 3月16日」
    https://www.google.co.jp/search?q=%E5%9C%A8%E6%97%A5%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E4%BD%BF%E9%A4%A8+%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%99%BA+80%E3%82%AD%E3%83%AD%E5%9C%8F+%E9%81%BF%E9%9B%A3%E5%8B%A7%E5%91%8A+3%E6%9C%8816%E6%97%A5

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    1. 2011年3月17日 / 15:40 / 7年前
      米政府、自国民に原発半径80キロ圏内からの退避勧告

       [ワシントン 16日 ロイター] 米政府は16日、日本の地震に伴う原発事故が深刻化していることを受け、米国民に対して福島原発から半径80キロ圏内から退避するよう勧告した。

       さらに米国務省は16日、チャーター機を東京に向かわせ、米国人の日本出国を支援するとともに、東京、名古屋、横浜にいる約600人の大使館スタッフの家族の自主的出国を承認したことを明らかにした。

       国務省は「米国民に対して、日本への旅行を延期し、日本国内の米国民は出国を検討すべきだ」としている。

       ホワイトハウスのカーニー報道官は「津波の後、状況は悪化している。被害が拡大する可能性があり、原子炉から放射能が放出される恐れがある」と述べた。   

       オバマ米大統領は16日、菅直人首相と電話で会談し、地震や津波の被害から日本が回復できるようあらゆる支援を行うと表明した。ホワイトハウスが声明で明らかにした。

      ホワイトハウスは「大統領は菅首相に対して、核分野の専門技術など、米国が提供する追加的な支援について説明した」としている。

       一方「菅首相は、原発事故の悪化を食い止め、事態を制御下に置くことを目指した日本の行動に関する現状について、大統領に説明した」という。  

       米政府が米国民に対して、福島原発から半径80キロ圏内から退避するよう勧告しているのに対し、日本政府は、原発から半径20キロ以内の住民に退避を勧告。20キロから30キロの住民に対しては、屋内退避するよう求めている。 

       米国の原子力規制当局者は、過熱している原子炉を冷却する能力に疑問を呈し、「現場では放射線のレベルが高く、作業員が近づくことは困難だ。放射能を浴びれば短時間で致死量に達する可能性がある」と語った。
      https://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-20099420110317

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  11. 「福島第一原発事故 放射性プルーム」
    https://www.google.co.jp/search?q=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85+%E6%94%BE%E5%B0%84%E6%80%A7%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%A0

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    1. 福島第一原発事故による放射性物質の拡散 - Wikipedia
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E6%94%BE%E5%B0%84%E6%80%A7%E7%89%A9%E8%B3%AA%E3%81%AE%E6%8B%A1%E6%95%A3

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    2. >福島県内は航空モニタリングの結果からセシウム137の蓄積量はおよそ1ヶ月半(4月29日時点)で最大1470万Bq/㎡となり、チェルノブイリ原子力発電所事故の計測結果の340万Bq/㎡を大幅に超え[要出典]、ベラルーシ移住対象レベルの55.5万Bq/㎡を超える地域が、いわき市の北部から伊達市の南部にかけて広がる事になった。

      >3月15日に広域規模の本格漏洩が始まる事となった。福島及び関東全圏への汚染濃度からみても、大半がこの日に集中したと考えられる(3月21日等にも放出されたが比較した場合少ない)。

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    3. >2011年3月17日・18日・19日の3日間米国エネルギー省は米軍の航空機2機で空中測定システム(Aerial Measuring System:AMS)により福島第一原発を中心に周辺約40km圏内、地上高さ1mにおける放射線濃度測定を行った。これにより原発から北西方向約30kmまで放射線濃度125μSv/hを超えるなどの測定結果を得た。

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  12. 福島 大熊町 復興拠点区域で除染始まる
    3月14日 16時23分

    東京電力福島第一原発の事故により広い範囲が「帰還困難区域」に指定されている福島県大熊町で、住民が暮らせる環境を目指す「特定復興再生拠点区域」の除染作業が始まり、14日その様子が報道関係者に公開されました。

    放射線量が比較的高く立ち入りが厳しく制限されている「帰還困難区域」では、国が自治体の計画に基づいて、一部を「特定復興再生拠点区域」に認定し、住民が暮らせる環境を目指して除染やインフラ整備などが行われます。

    福島県大熊町では、福島第一原発からおよそ7キロ離れた大野幼稚園のグラウンドで今月9日から除染作業が始まり、14日その様子が報道関係者に公開されました。

    グラウンドは、およそ7000平方メートルの広さで、作業員は人の背丈ほどに伸びた草を機械を使って刈り取り、今後は地表の土を削り取って新しい土で覆う予定だということです。

    大熊町の特定復興再生拠点区域はJR大野駅を中心にしたおよそ860ヘクタールの範囲で、水道や道路の復旧のほか、住民から申請された建物の解体を行い、4年後の春ごろまでの避難指示解除を目指します。

    特定復興再生拠点区域で除染が始まったのは、双葉町に次いで2か所目で、来年度は浪江町と富岡町でも除染が始まる予定です。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180314/k10011364951000.html

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    1. ベトナム人実習生が除染作業「事前説明なかった」
      3月14日 16時15分

      発展途上国の外国人が日本で働きながら技術を学ぶ技能実習制度で来日したベトナム人の男性が、福島県内で原発事故に伴う除染作業をさせられたとして、支援団体は制度の趣旨に反していると訴えています。

      14日、東京都内でベトナム人の24歳の男性と支援団体が記者会見を行いました。
      それによりますと、男性は、平成27年9月に発展途上国の外国人を対象にした技能実習制度で来日し、実習先として岩手県内の建設会社で働いていたということです。

      しかし、会社の指示で半年間、福島県郡山市内で原発事故で汚染された土を削り取るなどの除染作業に携わったということです。また当時、避難指示区域に指定されていた川俣町内などで建物の解体工事を行ったということです。

      男性によりますと、除染作業について会社から事前に説明はなく、国の規則で定められた特別教育も行われなかったということです。

      男性は、去年11月に支援者に助けを求めたということで、「除染作業だとわかっていれば、絶対に日本に来なかった。将来、自分や子どもに影響が出ないか不安だ」と話しました。

      支援団体によりますと、ほかにも除染作業に携わっている実習生がいるということで、「技能実習制度が労働力の確保に使われており、趣旨に反している。ごまかしはやめるべきだ」と訴えています。

      法務省「処分対象の可能性も」

      今回の訴えについて制度を所管する法務省入国管理局は、「個別の事案には答えられないが、一般論として事前に提出された技能実習計画の作業内容と著しく異なっていた場合、不正行為にあたり、処分対象となる可能性がある」としています。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180314/k10011364931000.html

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    2. 大熊町の復興拠点 懸命除染
      2018年3月14日15時0分

       環境省は14日、東京電力福島第一原発事故で全町避難が続く福島県大熊町の「特定復興再生拠点」(復興拠点)で進めている除染作業などの様子を報道陣に公開した。

       復興拠点は、帰還困難区域の中で、住民の帰還環境を国が優先的に整備する場所。昨年12月から整備が進められている同県双葉町に続き、大熊町では今月9日、整備が始まった。14日は、作業員らが幼稚園周辺などで草刈りをした。

       大熊町の復興拠点は、JR常磐線大野駅のある町中心部や国道6号沿いなどの約860ヘクタールで、町面積の1割を占める。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180314-118-OYTPT50333

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  13. 原発事故で京都に避難 きょう集団訴訟判決 国の責任焦点に
    3月15日 5時40分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故で、京都府に避難した人など、およそ170人が、生活の基盤が失われたとして、国と東京電力に慰謝料などを求めた集団訴訟の判決が15日、京都地方裁判所で言い渡されます。全国で行われている集団訴訟では、国に責任があるかどうかで裁判所の判断が分かれていて、どのような判断が示されるか注目されます。

    原発事故のあと、福島県から京都府に避難した人など174人は、生活の基盤を失い、精神的苦痛を受けたとして、国と東京電力に総額8億4000万円余りの慰謝料などを求める訴えを起こしました。

    裁判では、国と東京電力が大規模な津波を予測し、被害を防げたかどうかや、国の審査会の指針で示された慰謝料の対象地域や金額が、妥当かどうかなどが争われました。

    住民側は、平成14年に政府の地震調査研究推進本部が、巨大地震の可能性を示したことを根拠に、国と東京電力は津波を予測できたのに、必要な対策をとらなかったなどと主張しました。

    一方、国と東京電力は、平成14年の予測は抽象的で、これに基づいて対策をとったとしても、事故は防げなかったなどと主張しました。

    原発事故で避難した人などが、国と東京電力を訴えた集団訴訟では、これまでに3件の判決が言い渡され、国の責任を認めたのは2件、認めなかったのは1件と判断が分かれています。

    判決は、15日午前10時に京都地方裁判所で言い渡され、どのような判断が示されるか注目されます。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180315/k10011365481000.html

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    1. 原発避難者訴訟、国と東電に賠償命令
      2018/3/15 10:17
      ©一般社団法人共同通信社

       東京電力福島第1原発事故の影響で避難した住民の集団訴訟の判決で、京都地裁は15日、国と東電の双方の責任を認め、賠償を命じた。
      https://this.kiji.is/346825002047767649

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    2. 原発避難、国と東電の責任認め賠償命じる判決
      2018年3月15日10時29分

       東京電力福島第一原発事故で福島県や千葉県などから京都府に避難した57世帯174人が、国と東電に総額約8億5000万円の損害賠償を求めた集団訴訟で、京都地裁は15日、国と東電の責任を認め、両者に賠償を命じる判決を言い渡した。

       全国で起こされた約30件の同種訴訟で、4例目の判決。国の責任も認めたのは3例目となる。

       裁判では、〈1〉国と東電は津波の発生を予見できたか〈2〉賠償額や賠償対象を示した国の指針は妥当か――が主な争点となった。今回の原告の9割以上は避難指示区域外からの自主避難者で、うち10世帯29人は賠償対象外の栃木、茨城、千葉など5県から避難した住民ら。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180315-118-OYT1T50054

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    3. 原発避難集団訴訟 国と東電に賠償命じる判決 京都地裁
      3月15日 10時14分

      東京電力福島第一原子力発電所の事故で、福島県から京都府に避難した人などおよそ170人が生活の基盤を失い、精神的苦痛を受けたと訴えた集団訴訟で、京都地方裁判所は国と東京電力に賠償を命じる判決を言い渡しました。全国で行われている集団訴訟で、国の責任を認める判決は、これで3件目です。

      原発事故のあと、福島県から京都府に避難した人など174人は、生活の基盤を失い精神的な苦痛を受けたとして、国と東京電力に総額8億4000万円余りの慰謝料などを求める訴えを起こしました。

      裁判では、国と東京電力が大規模な津波を事前に予測し、被害を防ぐことができたかどうかや、国の審査会の指針で示された慰謝料の金額が妥当かどうか、それに原告の多くが暮らしていた避難指示の対象区域の外からの避難が妥当かどうかなどが争われました。

      国や東京電力は、当時の科学的な水準では大規模な津波を予測できず、事故の責任はないなどと主張していました。

      15日の判決で、京都地方裁判所の浅見宣義裁判長は、国と東京電力の責任を認め、賠償を命じました。

      原発事故で避難した人などが国と東京電力を訴えた集団訴訟では、これで4件の判決が言い渡され、国の責任を認めたのは去年の前橋地裁と福島地裁に続いて3件目です。

      原告弁護士「一部勝訴」と書かれた旗掲げる

      判決の言い渡しのあと、京都地方裁判所の正門前では原告の弁護士が「一部勝訴」、「三度国の責任を認める」と書かれた旗を掲げました。裁判所の前に集まった大勢の支援者からはまばらな拍手が起こり、「一部勝訴」という文字を見て、複雑な表情を浮かべる人もいました。

      原子力規制庁「十分な理解得られなかった」

      今回の判決について、国の原子力規制庁は「国の主張について裁判所の十分な理解が得られなかったと承知している。今後については関係省庁とともに対応方針を適切に検討する」とコメントしています。

      全国の原発避難集団訴訟は30件超 原告は1万2000人余り

      原発事故で避難した人などが国や東京電力に慰謝料などを求めている集団訴訟は、全国で30件を超えています。

      福島第一原発の事故で避難した人たちや福島県で暮らしている人たちは、国や東京電力に対して集団訴訟を起こし、国や弁護団などによりますと、件数は少なくとも31件、原告の数は1万2000人余りに上っています。

      裁判では、国や東京電力に津波を予測して事故を防ぐ責任があったかどうかや、東京電力が行っている賠償の基準が妥当かどうかが争われています。

      去年3月に前橋地方裁判所で言い渡された、集団訴訟で初めての判決では、国と東京電力の責任が認められ、3800万円余りの賠償が命じられました。

      次に判決が言い渡された千葉地方裁判所では、国の責任は認められず、東京電力に賠償の増額が命じられましたが、3件目となった福島地方裁判所では国と東京電力の責任が認められ、判断が分かれました。

      また先月、東京地方裁判所では、福島県南相馬市小高区などの住民が賠償の基準が妥当ではないと訴えた裁判では、ほとんどの原告に1人当たり300万円の賠償の増額が認められました。

      16日は東京地裁で別の裁判の判決が、そして今月22日には福島地方裁判所いわき支部で双葉町などの住民が起こした裁判の判決が言い渡される予定で、裁判所の判断が注目されます。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180315/k10011365871000.html

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    4. 原発避難集団訴訟 国と東電に賠償命じる判決 京都地裁
      3月15日 13時20分

      東京電力福島第一原子力発電所の事故で、京都府に避難した人などが生活の基盤を失い、精神的苦痛を受けたと訴えた集団訴訟で、京都地方裁判所は国と東京電力の責任を認め、174人の原告のうち110人に総額およそ1億1000万円の賠償を命じました。全国の集団訴訟で、国の責任を認めた判決は、3件目です。

      原発事故のあと、福島県などから京都府に避難した人など174人は、生活の基盤を失い精神的な苦痛を受けたとして、国と東京電力に総額8億4000万円余りの慰謝料などを求める訴えを起こし、裁判では、国と東京電力が大規模な津波を事前に予測して、被害を防ぐことができたかどうかなどが争われました。

      15日の判決で、京都地方裁判所の浅見宣義裁判長は、「平成14年に政府の機関が公表した将来の地震の評価によって、国は大規模な津波を事前に予測できた。東京電力に対し敷地の高さを超える津波への対策を命じなかったのは、規制権限を行う義務に反し、違法だ」と指摘し、国の責任を認めました。

      そのうえで、自主的な避難で生じた損害も個別の事情に応じて賠償すべきだとして、国と東京電力に対し、原告のうち110人に、総額およそ1億1000万円を賠償するよう命じました。

      言い渡しの最後に浅見裁判長は、「双方意見はあると思いますが、受け入れられるのであればこの判決が達成されることを願っている」と語りかけ、早期の解決を促しました。

      原発事故で避難した人などが、国と東京電力を訴えた集団訴訟では、これで4件の判決が言い渡され、国の責任を認めたのは去年の前橋地裁と福島地裁に続いて3件目です。

      原告弁護士「一部勝訴」と書かれた旗掲げる

      判決の言い渡しのあと、京都地方裁判所の正門前では原告の弁護士が「一部勝訴」、「三度国の責任を認める」と書かれた旗を掲げました。裁判所の前に集まった大勢の支援者からはまばらな拍手が起こり、「一部勝訴」という文字を見て、複雑な表情を浮かべる人もいました。

      原告弁護団「64人への支払い棄却は予想外」 控訴へ

      判決について、原告の共同代表を務める福島敦子さんは、「国の責任が認められたことは評価できる。国は真摯(しんし)に向き合って、私たちと話し合ってほしい。京都の裁判は各地で行われている集団訴訟の中では始めのほうにあたり、今後につながる」と述べました。

      同じく共同代表を務める萩原ゆきみさんは、原告が主張していた年間1ミリシーベルトの被ばくによる健康被害が認められなかったことについて、「なぜ私たちだけが汚染された土地で暮らしていかないといけないのか。主張が認められず悔しい」と声を震わせながら話していました。

      原告弁護団の事務局長を務める田辺保雄弁護士は、国の責任が認められたことを評価した一方で、「原告174人のうち64人への支払いが棄却されたことは予想外で残念だ」と述べ控訴する考えを明らかにしました。

      東電「内容を精査し対応を検討」

      判決について東京電力は、「原発事故で福島県民をはじめ、広く社会に大変なご迷惑とご心配をおかけしていることについて、改めて心からおわび申し上げます。本日、言い渡された判決については、今後内容を精査し対応を検討していきます」とコメントしています。

      原子力規制庁「十分な理解得られなかった」

      今回の判決について、国の原子力規制庁は「国の主張について裁判所の十分な理解が得られなかったと承知している。今後については関係省庁とともに対応方針を適切に検討する」とコメントしています。

      全国の原発避難集団訴訟は30件超 原告は1万2000人余り

      原発事故で避難した人などが国や東京電力に慰謝料などを求めている集団訴訟は、全国で30件を超えています。

      福島第一原発の事故で避難した人たちや福島県で暮らしている人たちは、国や東京電力に対して集団訴訟を起こし、国や弁護団などによりますと、件数は少なくとも31件、原告の数は1万2000人余りに上っています。

      裁判では、国や東京電力に津波を予測して事故を防ぐ責任があったかどうかや、東京電力が行っている賠償の基準が妥当かどうかが争われています。

      去年3月に前橋地方裁判所で言い渡された、集団訴訟で初めての判決では、国と東京電力の責任が認められ、3800万円余りの賠償が命じられました。

      次に判決が言い渡された千葉地方裁判所では、国の責任は認められず、東京電力に賠償の増額が命じられましたが、3件目となった福島地方裁判所では国と東京電力の責任が認められ、判断が分かれました。

      また先月、東京地方裁判所では、福島県南相馬市小高区などの住民が賠償の基準が妥当ではないと訴えた裁判では、ほとんどの原告に1人当たり300万円の賠償の増額が認められました。

      16日は東京地裁で別の裁判の判決が、そして今月22日には福島地方裁判所いわき支部で双葉町などの住民が起こした裁判の判決が言い渡される予定で、裁判所の判断が注目されます。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180315/k10011365871000.html

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    5. 原発自主避難に賠償命令 1・1億円…京都地裁 国・東電に責任
      2018年3月15日15時0分

       東京電力福島第一原発事故で、福島県や千葉県などから京都府に避難した57世帯174人が、国と東電に総額約8億5000万円の損害賠償を求めた集団訴訟で、京都地裁は15日、国と東電に対し、原告のうち110人に計約1億1000万円を支払うよう命じた。国の指針で賠償対象外とされた原告の7割も救済した。

       全国で起こされた約30件の同種訴訟で、4例目の判決。国の責任も認めたのは前橋、福島両地裁に続き3例目となる。

       浅見宣義のぶよし裁判長は判決で、国の地震調査研究推進本部が2002年7月に公表した地震活動の長期的な予測について「国の専門機関が地震防災のために公表した見解」と合理性を認め、大規模な津波の到来は予見できたとした。そのうえで、国は遅くとも06年末までに東電に対し、行政指導などの規制権限を行使すべきだったと指摘。東電と同等の賠償責任がある、とした。

       国は避難者らへの賠償基準を定めた中間指針で、福島県内14市町村の避難指示区域と、区域外の県内23市町村を賠償対象とし、東電はこれに基づき慰謝料を支払っている。これに対し、今回の原告の約2割にあたる10世帯29人は賠償対象外の栃木や茨城など5県からの自主避難者。原告側は裁判で被曝ひばく線量が年間1ミリ・シーベルト超ならば避難は相当として原則1人550万円の賠償を求めていた。

       判決は「低線量被曝の知見には未解明の部分が多い」と、これを退けたが「各自がリスクを考えて避難したとしても社会通念上、相当な場合はあり得る」と指摘。賠償対象外の原告も▽原発からの距離▽避難指示区域との近接性▽地元自治体の自主避難の状況――などを考慮し、避難が妥当な場合がある、とした。そのうえで、過去の訴訟で認められていた茨城県に加え、新たに栃木、千葉両県からの自主避難者を含む賠償対象外の21人に約2万~約370万円の支払いを認めた。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180315-118-OYTPT50289

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    6. 原発事故 避難者の集団訴訟 国と東電に賠償命じる 東京地裁
      3月16日 15時27分

      福島第一原発の事故で東京に避難した住民など40人余りが起こした裁判で、東京地方裁判所は「国と東京電力は津波による事故を予測する義務があった」として責任を認め、総額5900万円余りの賠償を命じる判決を言い渡しました。国と東京電力に対する判決は5件目で、1件を除き、国の責任が認められています。

      原発事故のあと福島県から東京などに自主的に避難した人たちや福島県いわき市の住民など47人は、精神的な苦痛に対する慰謝料や避難先での生活費などとして、国と東京電力に6億3000万円余りの賠償を求めました。

      裁判では、国と東京電力が巨大な津波を予測できたかどうかなどが争われました。

      16日の判決で、東京地方裁判所の水野有子裁判長は「東京電力は平成14年に政府の機関が公表した地震の評価に基づいて津波を予測する義務があり、対策をとっていれば事故は回避できた。国も事故を予測し、規制権限を行使する義務があった」と指摘し、国と東京電力の責任を認めました。

      そのうえで、避難指示が出ていなかった地域でも、放射線量が低くなるまでの一定の期間は避難するのは合理的だったと認め、国と東京電力に対して、原告のうち42人に総額5900万円余りを賠償するよう命じる判決を言い渡しました。

      判決の中で、裁判長は賠償が必要な理由について、「住民たちは生活の本拠を自由な意思によって決定する権利が侵害された」と指摘しました。

      原発事故をめぐる集団訴訟では、15日も京都地方裁判所で、国と東京電力に賠償を命じる判決が言い渡されています。国と東京電力に対する判決は5件目で、千葉地方裁判所の1件を除き、いずれも国の責任が認められています。

      弁護団「決着ついた」

      判決のあと、原告側は会見を開き、弁護団によりますと、今回の判決では避難した子どもが受けたいじめによる精神的な苦痛も慰謝料の根拠として認められたということです。

      弁護団の共同代表を務める中川素充弁護士は「国の責任を認める4件目の判決となり、決着がついたと考えています。原発事故における国の法的責任は、もはやゆるぎないもので、無用な争いはこれ以上避けるべきではないか」と述べました。

      また、原告団長の鴨下祐也さんは「特に国の責任が認められたことがうれしいです。今も避難生活が続き、苦しんでいる被害者に対して、国は加害責任に基づいた施策をとってもらいたい」と話しました。

      また、子どもと一緒に避難した原告の40代の女性は「自分が避難したことが、正しい判断だったのかわからなくなることもあり、7年間とても苦しかったですが、司法の場で当時の判断が正しかったという結果を得ることができ、とてもうれしいです」と話していました。

      原子力規制庁「理解が得られなかった」

      今回の判決について、国の原子力規制庁は「国の主張について裁判所の十分な理解が得られなかったと承知している。今後については、関係省庁とともに対応方針を適切に検討する」とコメントしています。

      また、5件の集団訴訟の判決のうち、4件で国の責任が認められたことについて、「件数に関係はなく、それぞれの裁判所が判断したものと認識している」としています。

      東京電力「対応を検討」

      判決について東京電力は「福島第一原発の事故で福島県民をはじめ、広く社会の皆様に大変なご迷惑とご心配をおかけしていることについて、改めて心からお詫び申し上げます。今後、判決内容を精査し、対応を検討してまいります」というコメントを出しました。

      全国で30件超の集団訴訟

      原発事故で避難した人などが、国や東京電力に慰謝料などを求めている集団訴訟は全国で30件を超えています。

      福島第一原発の事故で避難した人たちや福島県で暮らしている人たちは、国や東京電力に対して集団訴訟を起こし、国や弁護団などによりますと、件数は少なくとも31件、原告の数は1万2000人余りに上っています。

      裁判では、国や東京電力に津波を予測して事故を防ぐ責任があったかどうかや、東京電力が国の指針に基づいて行っている賠償の基準が妥当かどうかが争われています。

      去年3月に前橋地方裁判所で言い渡された集団訴訟で初めての判決では、国と東京電力の責任が認められ、3800万円余りの賠償が命じられました。

      次に判決が言い渡された千葉地方裁判所では国の責任は認められず、東京電力に賠償の増額が命じられましたが、3件目となった福島地方裁判所では、国と東京電力の責任が認められました。

      そして、15日、京都地方裁判所でも国と東京電力の責任を認める判決が言い渡され、国の指針では賠償の対象外とされていた栃木県や千葉県の住民も訴えが認められました。

      一方、東京電力だけを訴える裁判も起こされ、先月、東京地方裁判所で慰謝料を国の指針より増額するよう命じる判決が言い渡されました。また、今月22日には、福島地方裁判所いわき支部で双葉町などの住民が、東京電力に対して起こした裁判の判決が言い渡される予定です。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180316/k10011367711000.html

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    7. 原発避難 5900万賠償命令…東京地裁 国の責任認定4件目
      2018年3月17日5時0分

       東京電力福島第一原発事故で福島県から東京都などに避難した17世帯計47人が、国と東電に計約6億3400万円の損害賠償を求めた集団訴訟の判決が16日、東京地裁であった。水野有子裁判長は、自主避難した原告ら42人に計約5900万円を支払うよう国と東電に命じた。

       原告団によると、全国に避難した約1万人が国と東電に賠償を求めて約30件の集団訴訟を起こしており、国の責任を認めた判決は今回で4件目となる。

       判決によると、国の地震調査研究推進本部は2002年7月、「マグニチュード8クラスの津波地震が30年以内に20%程度の確率で発生する」との長期評価を公表。判決はこれを踏まえ、「国と東電は02年中には東日本大震災の巨大津波と同程度の津波を予見する義務があった」とした。

       その上で、東電について「遅くとも06年末には津波対策を始めるべきだったが、具体的な対策に着手しなかった」とし、防潮堤建設や配電盤の高台設置など「少なくとも一つは対策を取るべきだった」と指摘。国についても「安全対策を講じるよう東電に命じる義務があった」などとした。

       一方、原告の大半を占める原発20キロの避難指示区域外からの自主避難者について、判決は「健康被害の危険から逃れるため、避難するかどうかという選択を迫られること自体が居住の自由を侵害する」と判断。損害額を1人あたり42万円~約406万円と算定した。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180317-118-OYTPT50147

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  14. 自主的に逃げてんのにな…

    まともに「逃げれ」と言ってたら、補償費用が膨張するだけして、国も東電もつぶれてまうな。

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  15. いったん電源喪失してしまうと、安全に停止させることができない、その炉心臨界の暴走をとめられない、そういうシステムだったということ。

    動かすにも、休止するにも、電気が必要なシステム、究極の「電力依存型」巨大システムというのは、人類文明の象徴といえるのかもしれん。

    電力をパーソナル個別化できるようになれば、それは必要なくなるのだが…

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  16. 東電、首都圏で年内にもCM再開
    7年ぶり、原発事故で自粛
    2018/3/19 18:19
    ©一般社団法人共同通信社

     東京電力が、福島第1原発事故を受けて2011年から自粛していた首都圏でのテレビコマーシャル(CM)や新聞広告を、年内にも約7年ぶりに再開する方向で検討していることが19日分かった。電力・ガス市場の競争激化を背景に積極的な宣伝が必要と判断した。都市ガス事業をPRしたい考え。事故を起こした東電の広告が、消費者らにどのように受け止められるかが焦点だ。

     営業販売を担う東京電力エナジーパートナーが主体となり、協議を進めている。CMは電気とガスのセットで割安なプランを紹介するような内容になる見通しだ。今年に入り首都圏の電車内では映像広告を流し始めた。
    https://this.kiji.is/348395803863483489

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    1. 広告代理店とマスゴミにわざわざ金流しこむのは何のため?

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    2. 業務の内容を通知するなら、もってる顧客名簿にDM送付で用が足りるんじゃないのか。

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  17. “サルコジ元仏大統領 捜査当局が身柄拘束”
    3月20日 18時01分

    フランスの複数のメディアは、サルコジ元大統領が2007年の大統領選挙でリビアから違法な選挙資金を受け取った疑いがあるとして、20日、捜査当局に身柄を拘束されたと伝えました。

    フランスの新聞、ルモンドなど複数のメディアによりますと、フランスの捜査当局は、サルコジ元大統領が2007年のみずからの大統領選挙で当時のリビアのカダフィ大佐側から違法な選挙資金を受け取った疑いがあるとして、元大統領の身柄を拘束し、調べを進めているということです。

    これに対して、サルコジ氏側からは今のところ反応は示されていません。

    フランスのメディアは、リビアからの資金について、2013年から捜査が続けられてきたと伝えています。

    サルコジ氏は、みずからの陣営が絡んだ選挙違反に関する情報を違法に入手した疑いで2014年にも身柄を拘束されたことがありますが、このときは、まもなく拘束を解かれていました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180320/k10011372651000.html

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    1. サルコジ元仏大統領を拘束
      大統領選巡る違法資金で取り調べ
      2018/3/20 18:33
      ©一般社団法人共同通信社

       【パリ共同】フランス捜査当局は20日、過去の大統領選を巡る資金不正事件で、ニコラ・サルコジ元大統領(63)の身柄を拘束し、取り調べを始めた。リビアの独裁者だった故カダフィ氏側から巨額の資金提供を受けた疑惑に関する取り調べとの情報もある。フランスのメディアが伝えた。

       保守系政党を率いたサルコジ氏は2007年の大統領選に勝利し、12年の大統領選で左派、社会党のオランド氏に敗北した。両選挙の資金に不正があったとして、司法当局が複数の疑惑の捜査を進めていた。
      https://this.kiji.is/348760844337316961

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    2. 「サルコジ アレバ」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B8+%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%90

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    3. 「アレバ MOX燃料 福島第一 3号機」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%90+%EF%BC%AD%EF%BC%AF%EF%BC%B8%E7%87%83%E6%96%99+%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80+3%E5%8F%B7%E6%A9%9F

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    4. 仏サルコジ元大統領を身柄拘束 違法な選挙資金受け取った疑い
      3月20日 21時27分

      フランスの捜査当局は、サルコジ元大統領が2007年の大統領選挙でリビアのカダフィ大佐の側から違法な選挙資金を受け取った疑いがあるとして身柄を拘束したことを明らかにし、長年取り沙汰されてきた疑惑の解明につながるのか注目されています。

      フランスの捜査当局は20日、NHKの取材に対し、ニコラ・サルコジ元大統領(63)が2007年のみずからの大統領選挙で、当時、リビアで独裁体制を敷いていたカダフィ大佐の側から違法な選挙資金を受け取った疑いがあるとして元大統領の身柄を拘束し、調べを進めていることを明らかにしました。

      これに対し、サルコジ氏側からは今のところ反応は示されていません。

      サルコジ氏はみずからの陣営が絡んだ選挙違反に関する情報を違法に入手した疑いで2014年にも身柄を拘束されたことがありますが、この時は、まもなく拘束を解かれました。

      フランスのメディアは、リビアからの資金をめぐる疑惑については2013年から捜査が続けられ、その額は日本円にして数億円に上ると伝えていて、今回の身柄拘束が疑惑の全容解明につながるのか、今後の捜査の行方が注目されています。

      サルコジ氏は2007年から5年間大統領を務め、去年の大統領選挙でも立候補を目指しましたが、その前の年に行われた野党・共和党の予備選挙で敗れました。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180320/k10011372931000.html

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    5. 金に抜け目のないやつだったんだろうなあ…

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    6. 「アレバ」のニュース
      https://www.2nn.jp/word/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%83%90

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  18. 国の基準値以下の放射性廃棄物 宮城県で初の試験焼却
    3月20日 14時01分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴って発生した放射性物質で汚染された木材や牧草などのうち、濃度が国の基準値以下で一般の廃棄物と同様の方法で処理できるとされている廃棄物について、実際に燃やして周辺環境に問題がないことを確かめる試験焼却が、宮城県内では初めて、角田市の施設で始まりました。

    試験焼却を始めたのは、宮城県南部の2市7町で作る仙南地域広域行政事務組合です。

    角田市にある焼却炉では、20日午前0時から、地域の農家に保管されていたしいたけ栽培用のほだ木が一般のゴミとまぜて燃やされ、職員たちがモニターを使って状況を監視していました。

    今回燃やされるほだ木は、放射性物質の濃度が1キロ当たり8000ベクレル以下で、国は一般のゴミと同じように処理できるとしています。

    組合では、20日から1日に1トンずつのほだ木を5日間にわたって焼却しながら施設周辺の放射線量を測定し、問題がないことが確認されれば、さらに牧草などおよそ30トンを8か月程度かけて試験焼却することにしています。

    宮城県内で汚染廃棄物の試験焼却が行われるのはこれが初めてで、事務組合では測定結果をホームページで公表することにしています。

    また、この地域には焼却の対象となる汚染廃棄物が農家などにおよそ7000トン保管されていて、今回の結果を受け、本格的な焼却を行うかどうか改めて検討されることになります。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180320/k10011372281000.html

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    1. ガスにしてばらまいて薄めるのと、焼却灰として濃縮廃棄物とに分離…

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  19. 福島県の低線量区域のモニタリングポスト撤去へ 原子力規制委
    3月20日 16時11分

    福島第一原子力発電所の事故を受けて福島県内の学校などを中心に設置された放射線量を測定するモニタリングポストについて、原子力規制委員会は、来年度から、避難指示が出ている自治体などを除き、線量が低くなっている場所のモニタリングポストを撤去することになりました。

    原子力規制委員会は、福島第一原発の事故後、福島県内の学校や保育園などを中心におよそ3000台のモニタリングポストを設置し、放射線量を測定しています。

    しかし、事故から7年がたち放射線量が下がった場所も多く、規制委員会は来年度から3年かけて、避難指示が出るなどしている12の市町村を除く場所で基準を下回った場所にあるおよそ2400台を撤去することを決めました。

    撤去の基準は、1年間の平均で1時間当たりの空間線量が0.23マイクロシーベルトを下回っている場所で、除染の基準と同じです。

    これについて、規制委員会は去年12月、各自治体から意見を聞いたところ、「児童や生徒、保護者の安心のため、除染で出た土壌の搬出が終わるまで設置を継続すべき(福島県)」とか「避難区域に隣接する地域では不安もあるので一律に撤去を進めることは反対だ(二本松市)」といった声が上がったということです。

    規制委員会は、モニタリングポストは学校や保育園以外にも各地に設置されているとしたうえで、今後、説明会を開き、地元の要望を踏まえて対応していきたいとしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180320/k10011372451000.html

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    1. 福島 NEWS WEB
      線量測定設備約2400台撤去へ
      03月20日 16時51分

      福島第一原子力発電所の事故を受けて福島県内の学校などを中心に設置された放射線量を測定するモニタリングポストについて、原子力規制委員会は、来年度から、避難指示が出ている自治体などを除き、線量が低くなっている場所のモニタリングポストを撤去することになりました。

      原子力規制委員会は福島第一原発の事故後、福島県内の学校や保育園などを中心におよそ3000台のモニタリングポストを設置し、放射線量を測定しています。
      しかし、事故から7年がたち、放射線量が下がった場所も多く、規制委員会は、来年度から3年かけて、避難指示が出るなどしている12の市町村を除く場所で基準を下回った場所にあるおよそ2400台を撤去することを決めました。
      撤去の基準は、1年間の平均で、1時間当たりの空間線量が0.23マイクロシーベルトを下回っている場所で、除染の基準と同じです。
      これについて規制委員会は去年12月、各自治体から意見を聞いたところ、「児童や生徒、保護者の安心のため、除染で出た土壌の搬出が終わるまで設置を継続すべき」とか「避難区域に隣接する地域では不安もあるので、一律に撤去を進めることは反対だ」といった声が上がったということです。
      規制委員会は、モニタリングポストは学校や保育園以外にも各地に設置されているとしたうえで、今後、説明会を開き、地元の要望を踏まえて対応していきたいとしています。

      今回、原子力規制委員会が撤去の方針を示したのは、「リアルタイム線量測定システム」と呼ばれるモニタリングポストです。
      高さ1メートルほどの白い円柱のそばに太陽電池のパネルと放射線量を示す電光掲示板が設置されているもので、県内全域に3000台あまりが設置されています。
      県内ではこれとは別に銀色の箱形の「可搬型モニタリングポスト」と呼ばれる機器が620台あまり全域に設置されていますが、こちらは当面、撤去されません。
      また、生活圏を2キロメートル四方で区切って人の手で測定を行う「メッシュ調査」や、路線バスに設置されたGPS機能がついた測定器で継続した測定を行う「走行サーベイ」など、現在県が行っている測定も続けられることになっています。
      これらの測定結果は県のホームページで確認することが出来ます。

      原子力規制委員会が福島県内の大部分のモニタリングポストを撤去する方針を示したことを受けて、福島県放射線監視室の酒井広行室長は、「福島県民にとっては、数値が見えることで安心できる部分がある。生活になじんでしまっていて子どもの不安解消や風評対策にもなるので、場所によっては測定を維持してほしいと考えている。一気に減らすのではなく、地域の住民と協議しながら少しずつ進めていくようお願いしたい」と述べました。
      モニタリングポストは数は減るものの県全域で残されることになっていて、酒井室長は「廃炉が終わるまで継続して監視していくので安心してもらいたい」と話しています。

      モニタリングポストの大部分が撤去される方針が示されたことについて、福島市の街の人たちに話を聞くと、賛成と反対に意見が分かれました。
      このうち73歳の女性は「ずっと福島市に住んでいますが放射線の健康への影響はないと思いますし、維持費もかかるので撤去しても問題ないと思います」と話していました。
      また小学4年生の女の子は、「事故が起きたあとは放射線が怖いと感じていたことを覚えています。今は全く気にしていないのでなくてもいいです」と話していました。
      一方、残して欲しいという声も多く聞かれました。
      3歳と7歳の子どもがいる40歳の母親は、「数値が見えることで安心して子どもを外で遊ばせられるので、学校や公園には残してほしいです」と話していました。
      68歳の女性は「モニタリングポストが撤去されると、まるで原発事故がなかったことのようにされてしまう気がするので残したほうがいいと思います」と話していました。
      https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20180320/6050000470.html

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    2. モニタリングポストといえば…

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    3. モニタリングポストで不具合か=放射線量で異常値-福島県

       福島県が放射線量を測定するため県内に設置したモニタリングポストの一部で、一時的に異常に高い値が示されていたことが7日、分かった。周囲のポストで異常値は出ておらず、県は機器に何らかの不具合があったとみて調べている。
       県によると、今月から試験運用が始まった新設のモニタリングポスト78台のうち、南相馬市や葛尾村などにある約30台で、不具合が発生した可能性がある。2台は通常の1000倍ほどの値を示し、他も数値が安定していないという。
       異常値は運用初日の1日から出ていた。県は機器本体や、データ送信で障害が発生した可能性が高いとみている。(2015/04/07-19:37)
      http://www.jiji.com/jc/zc?k=201504/2015040700760


      モニタリングポスト不具合 福島県が契約解除を通知
      2015年4月23日 6時55分

      福島県が今月から運用を始めた放射線量を計測するモニタリングポストで実際よりも異常に高い数値が記録された問題で、県は機器の不具合が一向に改善されないとして委託先の業者に契約の解除を通知しました。

      これを受けて、原子力規制委員会はホームページで公表していた77台分の放射線量のデータを削除する措置を取りました。
      この問題は、福島県が業者に委託して今月設置した77台のモニタリングポストで、異常に高い数値を示すなどの不具合が続き、県が業者に改善を指示していたものです。
      しかし、今月20日の段階で不具合がある機器が33台と一向に改善されないため、福島県は22日、業者に契約の解除を通知しました。
      県によりますと新たな機器で計測を始める際、機器の健全性について調べた結果を業者が提出しておらず、県の担当者も催促や確認を怠っていたということです。
      記者会見した県の樵隆男危機管理部長は、「モニタリングポストの不具合は直らず、業者に契約の解除を通知した。県にも問題があり、申し訳ない」と謝罪しました。
      これを受けて原子力規制委員会と福島県はホームページで公表しているデータのうち、77台分について、今月1日からのデータを削除し、今後の対応を検討することにしています。
      http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150423/k10010057511000.html

      http://koibito2.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html?showComment=1429791109518#c3441100734768089982

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    4. 官邸ドローン、放射性物質、福島第1原発、モニタリングポスト不具合…
      https://koibito2.blogspot.jp/2015/04/blog-post_25.html

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    5. 2020年度までに撤去 避難区域外モニタリングポスト 規制委|福島民報
      http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2018/03/post_15936.html

       東京電力福島第一原発事故に伴い避難区域が設定された12市町村以外の放射線監視装置(モニタリングポスト)約2400台の撤去について、原子力規制委員会は空間放射線量の低い地域から作業を始め、2020年度末までに完了させる。装置の一部は12市町村内に移設する。20日に開いた委員会で決めた
       12市町村以外の大部分の地域は平均線量が毎時0.20マイクロシーベルトで、国が除染の長期目標とする毎時0.23マイクロシーベルトを下回っている。線量に大きな変動がなく安定しているため、規制委は継続的な測定の必要性は低いと判断した。毎時0.23マイクロシーベルトを上回る一部地域では運用を継続する方針。
       規制委は、各市町村から撤去順の変更などについて要望があれば柔軟に対応するとしている。約2400台とは別に中長期的な期間で線量を把握するために設置している約600台の運用は継続する。

      (2018/03/21 11:47カテゴリー:福島第一原発事故)

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    6. 3月20日のニュース

      福島県の低線量区域のモニタリングポスト撤去へ 原子力規制委
      3月20日16時11分更新

      福島第一原子力発電所の事故を受けて福島県内の学校などを中心に設置された放射線量を測定するモニタリングポストについて、原子力規制委員会は、来年度から、避難指示が出ている自治体などを除き、線量が低くなっている場所のモニタリングポストを撤去することになりました。

      原子力規制委員会は、福島第一原発の事故後、福島県内の学校や保育園などを中心におよそ3000台のモニタリングポストを設置し、放射線量を測定しています。

      しかし、事故から7年がたち放射線量が下がった場所も多く、規制委員会は来年度から3年かけて、避難指示が出るなどしている12の市町村を除く場所で基準を下回った場所にあるおよそ2400台を撤去することを決めました。

      撤去の基準は、1年間の平均で1時間当たりの空間線量が0.23マイクロシーベルトを下回っている場所で、除染の基準と同じです。

      これについて、規制委員会は去年12月、各自治体から意見を聞いたところ、「児童や生徒、保護者の安心のため、除染で出た土壌の搬出が終わるまで設置を継続すべき(福島県)」とか「避難区域に隣接する地域では不安もあるので一律に撤去を進めることは反対だ(二本松市)」といった声が上がったということです。

      規制委員会は、モニタリングポストは学校や保育園以外にも各地に設置されているとしたうえで、今後、説明会を開き、地元の要望を踏まえて対応していきたいとしています。
      https://www3.nhk.or.jp/news/genpatsu-fukushima/20180320/1611_monitoringpost.html

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    7. ま、最初からデタラメな数値が出る設定の機器が設置してある場所はさっさと片付けたほうがよいな。

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  20. 福島 NEWS WEB
    除染 帰還困難区域を除き終了
    03月20日 20時26分

    原発事故のあと福島県内で行われてきた除染について、福島県は、放射線量が高く立ち入りが制限されている「帰還困難区域」を除いて、19日までに終了したと発表しました。

    福島県内では、原発事故のあと放射性物質を取り除くための除染が、避難指示が出た地域では国が、それ以外では36の市町村が発注して行ってきました。
    国が発注した除染は、放射線量が高く立ち入りが制限されている「帰還困難区域」を除いて、去年3月までに終了していました。
    市町村の除染は、今年度も12の市町村で引き続き行われてきましたが、福島県は、19日までにすべて終了したと、20日、発表しました。
    福島県では平成23年度から7年近くにわたり除染が行われてきましたが、これで「帰還困難区域」を除き、計画した除染がすべて終了したことになります。
    今後は、放射線量が依然高い地点では国や市町村が追加の除染を行うところもあるほか、帰還困難区域の特定復興再生拠点区域に限り、インフラの整備とともに除染が進められます。
    https://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/20180320/6050000477.html

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  21. 東電に6億円超の賠償命令 原発避難の集団住民訴訟
    3月22日 17時52分

    東京電力福島第一原子力発電所の事故で、福島県の避難指示が出された地域の住民などが、住み慣れたふるさとでの生活を奪われたと訴えた裁判で、福島地方裁判所いわき支部は東京電力に対し、216人の原告のうち213人に合わせて6億1000万円余りの賠償を命じる判決を言い渡しました。

    原発事故の影響で避難指示が出された福島県双葉郡や南相馬市の住民など216人は、住み慣れたふるさとでの生活を奪われたことや、避難に伴う精神的苦痛に対する慰謝料などとして、東京電力におよそ133億円の賠償を求める訴えを起こしました。

    裁判では東京電力が国の指針に基づいて支払った慰謝料の額が妥当かどうかなどが争われました。

    判決で福島地方裁判所いわき支部の島村典男裁判長は「原発事故でふるさとの地域は大きく様変わりし、地域住民の密接な人間関係や精神的なよりどころを失った。被ばくに対する偏見から避難先でのいわれなき差別的な扱いを受けるなど、過酷な避難生活を強いられていた」と指摘しました。
    そのうえで、ふるさとを失ったことや避難に伴う精神的苦痛に対する慰謝料を総合的に評価して、原告のうち213人に合わせて6億1000万円余りの賠償を命じました。
    このうち避難指示が出された地域の住民について、国の指針に基づく慰謝料に加え、1人当たり150万円の増額を認めましたが、避難先での家財の購入費用などの支払いは認めませんでした。

    原発事故で避難した人などが国や東京電力を訴えた集団訴訟では、これで7件の判決が言い渡され、いずれも国の指針を上回る賠償が命じられています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180322/k10011374571000.html

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    1. 原発避難訴訟、東電に賠償命令…福島地裁支部
      2018年3月22日20時19分

       東京電力福島第一原発事故で避難指示区域となった福島県双葉郡の住民らが、住み慣れた古里を追われたなどとして、東電に約130億円の損害賠償を求めた集団訴訟の判決が22日、福島地裁いわき支部であった。

       島村典男裁判長は、原告77世帯216人のうち213人に計約6億1240万円を支払うよう東電に命じた。

       原告側の弁護士によると、同種の訴訟は全国で約30件あり、判決が出たのは7例目。いずれも東電の賠償責任を認めている。

       原告らは事故当時、後の避難指示区域や旧緊急時避難準備区域に居住。国の指針に沿って東電が支払った慰謝料の額が妥当だったかや津波の予見可能性、対策を巡る東電の過失の有無が裁判の争点となった。

       原告側は、古里を追われた「ふるさと喪失慰謝料」や、避難に伴う精神的苦痛に対する「避難慰謝料」などを請求していたが、判決では、「平穏な生活を害され、過酷な避難生活を強いられた」として、二つの慰謝料を包括的に評価して金額を算出。東電がこれまで支払った慰謝料に、避難指示区域の原告に150万円、旧緊急時避難準備区域の原告には70万円を原則一律で上乗せした。

       また、原告側は、津波は予見できたなどと主張したが、判決は、東電の対応について「故意や重過失までは認められない」と指摘した。

       原告側の弁護士は「増額分がわずかで、憤りや不満を覚える。司法が役割を果たしていない」と判決を批判。東電広報部は「判決の内容を精査し、対応を検討していく」とした。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180322-118-OYT1T50069

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    2. 東電に6億円超の賠償命令 原発避難の集団住民訴訟
      3月22日 17時52分

      東京電力福島第一原子力発電所の事故で、福島県の避難指示が出された地域の住民などが、住み慣れたふるさとでの生活を奪われたと訴えた裁判で、福島地方裁判所いわき支部は東京電力に対し、216人の原告のうち213人に合わせて6億1000万円余りの賠償を命じる判決を言い渡しました。

      原発事故の影響で避難指示が出された福島県双葉郡や南相馬市の住民など216人は、住み慣れたふるさとでの生活を奪われたことや、避難に伴う精神的苦痛に対する慰謝料などとして、東京電力におよそ133億円の賠償を求める訴えを起こしました。

      裁判では東京電力が国の指針に基づいて支払った慰謝料の額が妥当かどうかなどが争われました。

      判決で福島地方裁判所いわき支部の島村典男裁判長は「原発事故でふるさとの地域は大きく様変わりし、地域住民の密接な人間関係や精神的なよりどころを失った。被ばくに対する偏見から避難先でのいわれなき差別的な扱いを受けるなど、過酷な避難生活を強いられていた」と指摘しました。

      そのうえで、ふるさとを失ったことや避難に伴う精神的苦痛に対する慰謝料を総合的に評価して、原告のうち213人に合わせて6億1000万円余りの賠償を命じました。

      このうち避難指示が出された地域の住民について、国の指針に基づく慰謝料に加え、1人当たり150万円の増額を認めましたが、避難先での家財の購入費用などの支払いは認めませんでした。

      原発事故で避難した人などが国や東京電力を訴えた集団訴訟では、これで7件の判決が言い渡され、いずれも国の指針を上回る賠償が命じられています。

      原告弁護団「極めて残念な判決」

      判決のあと、原告弁護団は福島県いわき市で記者会見を開きました。原告の弁護団の幹事長を務める米倉勉弁護士は「今回の判決でふるさと喪失の慰謝料を損害の要素として認めたことは前進だった。しかし、判決では避難に伴う慰謝料と区別されず、ふるさと喪失の要素がどの程度で認められたのかわからないほか、認められた慰謝料の金額も被害の実態に伴わない低い水準で極めて残念な判決だった」と述べました。

      原告の一人で福島県南相馬市の國分富夫さんは「この裁判では、裁判官が現地検証を行ったり、全世帯で本人尋問を行ったりと被害の実態を丁寧に訴えてきたので期待をしていた。しかし、判決の内容を見るとこんなことが許されるのかという思いです」と述べました。

      原告の弁護団は、控訴するかどうかは原告と相談して決めていきたいとしています。

      東京電力「内容精査し対応検討」

      判決について東京電力は、「原発事故により福島県民をはじめ、広く社会に大変なご迷惑とご心配をおかけしていることについて、改めて心からおわび申し上げます。判決については今後、内容を精査し、対応を検討していきます」とコメントしています。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180322/k10011374571000.html

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    3. 原発避難者訴訟で東電に賠償命令
      2018/3/22 14:07
      ©一般社団法人共同通信社

       東京電力福島第1原発事故で避難区域となった、福島県の8市町村から避難した住民の集団訴訟で、福島地裁いわき支部は22日、東電の責任を認め賠償を命じた。
      https://this.kiji.is/349419426212545633

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    4. 東電に賠償命令も上積み少なく
      避難者訴訟、福島いわき支部判決
      2018/3/22 17:44
      ©一般社団法人共同通信社

       東京電力福島第1原発事故の避難者訴訟で東電に賠償を命じた福島地裁いわき支部は22日、「過酷な避難生活で精神的損害を受けたのは明らかだ」として、原告216人のうち213人に計約6億1千万円の支払いを認定した。地域社会そのものが奪われたことへの「ふるさと喪失」慰謝料も認めたが、大部分は東電が賠償済みとして大きな上積みはなかった。

       同種の集団訴訟で東電への賠償命令は7件連続。島村典男裁判長は判決で、原告が請求した避難に伴う慰謝料と「ふるさと喪失」慰謝料を合わせて算出。住民1人当たり1600万~250万円としたが、東電が既に支払った分を差し引いた。
      https://this.kiji.is/349469253567054945

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    5. だまって立ち去る自由と、再生復興と帰還の政策と、「避難」の勝手自由な判断と…

      事故直後に即座にソロバンはじいた連中がいたんじゃないのかな…

      それにあわせた避難区域設定…

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    6. 原発避難者の東京訴訟で双方が控訴
      3月29日 21時30分

      福島第一原発の事故で東京に避難した住民などが起こした裁判で、国と東京電力は、総額5900万円余りの賠償を命じられた東京地方裁判所の判決を不服として控訴しました。一方、原告側も、賠償の額が不十分だとして全員が控訴し、東京高等裁判所で改めて審理されることになりました。

      原発事故のあと、福島県から東京に自主的に避難した人など47人は、精神的な苦痛に対する慰謝料や避難先での生活費などとして、国と東京電力に6億3000万円余りの賠償を求めました。

      東京地方裁判所は、今月16日の判決で、「国と東京電力は津波による事故を予測する義務があった」として責任を認め、総額5900万円余りを賠償するよう命じました。

      29日、国と東京電力は、この判決を不服として控訴しました。
      一方、原告側も、裁判所が認めた賠償の額が不十分だとして全員が控訴し、東京高等裁判所で改めて審理されることになりました。

      原発事故をめぐって住民が国と東京電力に対して起こした集団訴訟では、地裁で言い渡された4件の判決に対して、いずれも双方が控訴していて、各地の高裁がどう判断するかが今後の焦点です。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180329/k10011384381000.html

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    7. 訴訟にうつつをぬかす連中はしょせんはみな暇人…

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  22. 世界最古の原発 再稼働…脱原発スイス「60年運転」に転換
    2018年3月22日15時0分

     【ジュネーブ=笹沢教一】現役の加圧水型軽水炉(PWR)としては世界で最も古く、原子炉鋼材の問題で運転を停止していたスイス北部のベツナウ原子力発電所1号機(出力38万キロ・ワット)が20日、3年ぶりに再稼働した。同原発を運営する電力会社アクスポが明らかにした。

     スイスは脱原発を掲げているが、現状では電力の4割を原子力に依存し、ベツナウ1号機の発電量だけで5%を担う。最古の原発を退役させず、長期運転することで電力供給を維持し、代替電源にかかるコストを抑える効果がある。

     これまでの計画では、既存の原発5基は運転50年をめどに順次停止し、最も新しい北部のライプシュタット原発が運転50年を迎える2034年に脱原発を達成する見込みだった。

     しかし、アクスポは今回再稼働させたベツナウ原発でスイス初となる「60年運転」を実施する方針だ。既定路線からの大きな転換にあたり、脱原発政策のさらなる見直しにつながる可能性もある。

     同原発は運転開始が1969年7月で、2015年の検査で原子炉圧力容器の鋼材に異常が見つかった。アクスポは「異常とされたものは、製造時からあった材質のばらつきで問題はない」との調査結果を16年に規制当局に提出。当局の検証を経て、今月6日に再稼働が政府承認された。

     原発の運転期間は法律で定められていないため、50年に拘束力はなく、今回のように電力会社の経営判断で方針転換できる。米国や日本は最長60年までの運転を認めている。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180322-118-OYTPT50231

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  23. [震災7年]校長だけの卒業式 浪江の小学校 児童帰還願い 今月29日
    2018年3月24日15時0分

     東京電力福島第一原発事故後に休校している福島県浪江町の小学校で、児童が戻る日を待ち、校舎の管理を2年間続けてきた男性校長がいる。校庭の雑草を刈り、埃ほこりまみれだった校舎を掃除し、「学校便り」も発行してきた。任期は今月いっぱい。避難先の学校を巣立つ子供たちを思いながら、29日には校長だけの「卒業式」を開く。

     浪江町立苅野小の阿部裕美ひろみ校長(57)は2016年春、町教委から「校長」の辞令を受けた。原発事故後、浪江町は全町避難指示が出て17年春に解除されたが、現在、同小に通う児童はいない。阿部校長は普段、避難先の同県二本松市の町教委庁舎に勤務し、校区内に住民票を残したまま避難が続く児童への対応や学校施設の管理をしている。

     就任後、すぐに苅野小を見に行き、荒れ果てた校舎にショックを受けた。教室内は物が散乱し、クモの巣が張っていた。校庭は、トラックが頻繁に出入りする除染作業の基地。「このままにしてはおけない」と一人で片付けを始めた。

     電気も水道も使えないため、行政に給水車を用意してもらい、東電職員らと教室の床を水拭きした。児童の学用品は個人別に整理し、教室で保管した。周辺の除染作業が終了して車両の出入りがなくなると、校庭のセイタカアワダチソウが胸の高さまで伸びた。「彼岸には墓参りで地元の人が帰ってくる。雑草だらけの学校は見せたくない」と草刈りに没頭し、花壇に町花のコスモスを植えた。

     学校への思い入れは日ごとに強くなり、「学校本来の日常を取り戻したい」と考えるようになった。職員室の黒板に作業予定を記し、避難している住民らを対象に行った学校見学会の様子などを紹介した「学校便り」も作成した。

     昨年7月に開いた「終業式」では、つなぎ姿で校庭の式台に立ち、「アリさん、イモムシさん、夏休みはいい思い出をたくさん作ってください」と、児童らの顔を想像してあいさつした。「こっけいに見えるかもしれないけど、児童がいなくても学校を守るのが職責。困難に立ち向かう姿勢を見せることが教育者の務め」と真剣な表情で語る。

     町は4月、「なみえ創成小・中学校」を新設する。児童・生徒を集約して学校を再開させるが、苅野小は休校のままとなる予定。29日の「卒業式」は、自分自身にとっての節目でもある。スーツを着てこんな式辞を読み上げるつもりだ。

     「それぞれの避難地で小学校を巣立ちゆく卒業生の皆さん。震災と原発事故被害にも負けず、勉強や運動に励み、心も体も大きく成長したことでしょう。努力を忘れず、自分の夢に向かって羽ばたいてください」
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180324-118-OYTPT50373

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  24. 3月24日 よみうり寸評
    2018年3月24日15時0分

     つややかな黒に塗られた木地に、朱や金色の模様が映える。素朴な木彫りの三春駒は、いまにも嘶いななきそうな迫力がこもる福島県の郷土玩具である◆東日本大震災後、復興への願いも込めて各地から注文が相次いだ。東北新幹線が停車するJR郡山駅の土産物店では、会津地方の赤べこ、起き上がり小法師こぼしなどと共に並ぶ◆7年を経て、その福島で「足元からの風化」が懸念されている。福島市のある小学校では、地元で放射線量が高くなった理由が「分からない」と答えた6年生が少なくないという。放射線に関する授業を受け、「なぜ家族で沿岸部から引っ越してきたのか、初めて理解できた」と語った子もいた◆将来、県外などで心ない偏見に接する可能性もある。震災後に生まれた児童も増えるなか、原発事故や避難の経緯、放射線の知識をきちんと伝えていく必要があろう◆風化の防止は、全国の学校で徹底しなければならない。花の季節を迎える駒のふるさとを家族で訪ね、いまの福島に触れる体験もお勧めしたい。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180324-118-OYTPT50299

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  25. 「見ざる聞かざる言わざる」
    https://www.google.co.jp/search?q=%E8%A6%8B%E3%81%96%E3%82%8B%E8%81%9E%E3%81%8B%E3%81%96%E3%82%8B%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%81%96%E3%82%8B

    三つの叡智…

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  26. 音楽通じた教育プログラム創設のアブレウ氏が死去 ベネズエラ
    3月26日 15時21分

    音楽を通じて子どもたちの社会性を育み、東日本大震災の被災地の復興支援にも役立てられた教育プログラムを立ち上げた、南米ベネズエラの経済学者のアブレウ氏が死去し、追悼式にはマドゥーロ大統領も参加してその功績をたたえました。

    オーケストラや合唱などを一緒に楽しむことで子どもたちの社会性を育む教育システム「エル・システマ」は、およそ40年前に創設され、日本を含む世界50か国以上に広がっています。

    「エル・システマ」を立ち上げたベネズエラの経済学者で、文化相を務めた経験もある、ホセ・アントニオ・アブレウ氏が78歳で死去し、25日に首都カラカスで追悼式典が開かれました。

    式典にはマドゥーロ大統領も参加し「彼の死去は大変悲しいが、大きな業績を残してくれた」と述べ、参列者たちは拍手を送ってアブレウ氏の功績をたたえました。

    「エル・システマ」は東日本大震災の被災地の復興支援にも役立てられ、岩手県大槌町や福島県相馬市では、プロの音楽家が子どもたちに楽器の演奏を教える取り組みが導入されています。

    「エル・システマジャパン」の菊川穣代表理事は、NHKの取材に対し「アブレウ氏が被災地のことを気にかけていたことを思い出します。彼の遺志を引き継ぎ、活動を続けていきたい」と話しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180326/k10011379081000.html

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  27. 消音器の詰まり原因か 第一原発水素爆発

     原子力関係の有識者らでつくる福島事故対策検討会と京都大の研究チームは東京電力福島第一原発1、3、4各号機の原子炉建屋で起きた水素爆発について、原子炉格納容器内のガスを排出(ベント)する際、配管出口の消音器(サイレンサー)に炉心溶融で発生した粉じんや氷が詰まったのが原因とする検証結果をまとめた。ガスが外部に十分に排出されず建屋内に充満し、爆発したとしている。
     27日に大阪府の大阪大で開かれた日本原子力学会春の大会で示した。研究チームは事故当時、1~3号機格納容器内は溶融燃料により内部構造物が溶け落ちて、発生した粉じんと、水素を含んだ水蒸気が充満していたとみている。ベントによってガスは配管を通り排気筒から排出されるはずだったが、サイレンサーが大量の粉じんでふさがれ、別の配管から建屋内に逆流したと指摘。さらに、ガス内の水蒸気がサイレンサーの到達時に気圧の変化で凍結し、目詰まりしたとしている。
     研究チームは2011(平成23)年8月に1、2号機原子炉建屋の間にある排気筒周辺の配管付近で、毎時10シーベルト超の高線量が確認された経緯などを踏まえ、粉じんや高線量の氷が発生したと分析した。
     1、2号機と3、4号機は2機で一つの排気筒を使用しており、ベント用配管は排気筒の直前で合流している。東電は2011年3月12日に1号機のベントを実施した。2号機では同13、15の両日にベントを行ったが事実上、失敗に終わった。研究チームは先に実施した1号機のベントでサイレンサーが目詰まりした影響により、2号機で成功しなかったとみている。
     研究チームは、サイレンサーが多くの原発で採用されているとした上で「重大事故に備え、対応策の検討が必要だ」と訴えた。

    (2018/03/28 11:35カテゴリー:福島第一原発事故 福島民報)
    http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2018/03/post_15954.html

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  28. メガフロート 荷揚げ場に…廃炉作業用 港湾に固定
    2018年3月29日15時0分

     東京電力は、福島第一原子力発電所の港に係留中の人工浮島「メガフロート」を、廃炉作業用の荷揚げ場として再利用する方針を固めた。津波で流されて原発に衝突する危険があるためで、港湾の一部を埋め立て、その上に載せて固定する。

     メガフロートは全長約136メートル、幅約46メートル、高さ約3メートルで、中の空洞に約1万トンの水を貯蔵できる。2011年3月の事故直後、放射性物質を含む汚染水の保管場所が足りなくなったため導入。同年6月~12年11月、同原発5、6号機の低濃度汚染水を最大で約8000トン貯蔵した。

     汚染水を地上のタンクに移した後は使い道がなくなり、東電が撤去を検討していた。当初は海底に沈めることを検討したが、船舶などの海洋投棄を禁じる海洋汚染防止法に抵触する恐れがあり断念。解体すると大量の廃棄物になるため、陸上での保管も困難だった。

     そこで東電は、同原発1、2号機に面した港湾内の一部を埋め立てて、上にメガフロートを載せる方法を考えた。除染後、空洞部分にコンクリートを詰め、埋め立て地に固定。資機材を海から陸揚げする際の荷揚げ場として有効活用する。東電は近く、この案を原子力規制委員会に提案する。

     ◆メガフロート 中が空洞の金属製の箱を組み合わせた浮島。福島第一原発のメガフロートは元々、静岡市・清水港の海釣り公園として使われていたが、2011年4月、汚染水対策に追われていた東電の要請に応じて同市が貸与。12年に約5億円で東電に譲渡した。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180329-118-OYTPT50286

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  29. 仮設校舎へ「ありがとう」…飯舘の児童 閉校式
    2018年3月29日15時0分

     福島県飯舘村で、4月から認定こども園が新設され、小中学校が再開する。東京電力福島第一原発事故の避難指示解除からまもなく1年。同村は29日、村立小学校の仮設校舎の閉校式を避難先の同県川俣町で開き、児童約50人が学びやに別れを告げた。

     東日本大震災前、村には幼稚園が2園、小学校が3校、中学校が1校あった。原発事故で全村避難となり、幼稚園と小学校は2012年4月から、中学校は同8月から、福島市や川俣町の仮設の園舎、校舎に移った。

     村教育委員会によると、新たな認定こども園と小中学校には、原発事故前の15%に当たる計約100人が通うことになる。

     閉校式では、仮設校舎に6年間通った卒業生の川井泰智君(12)が「ここは仮設ではなく本当の校舎だった。ありがとう」と感謝の思いを述べた。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180329-118-OYTPT50279

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    1. 飯館村 避難指示解除で仮設校舎の閉校式
      3月29日 17時53分

      東京電力福島第一原発の事故による避難指示が去年、大部分で解除された福島県飯舘村では、村内に小学校が再建されました。これを受けて、原発事故のあと、隣町に設置され6年間授業が行われた仮設校舎で、29日、閉校式が開かれました。

      閉校式が行われたのは、隣の川俣町に設置されていた仮設校舎です。

      式では、吉川武彦校長が「プールがないことや足音が響くことなど、不便なこともありましたが、皆さんは仮設校舎をいとおしく大切に感じてくれました」とあいさつしました。

      続いて、児童を代表して6年生の川井泰智さんが「仮設校舎での6年間の経験が僕たちを支えてくれました。この経験を力にかえて、力強く歩んでいきます。ありがとう仮設校舎」と述べました。そして、児童ら、およそ100人が3つの学校の校歌を歌い、思い出の詰まった校舎に別れを告げました。

      この仮設校舎では、飯舘村の草野、飯樋、臼石の3つの小学校が授業を行っていましたが、原発事故による避難指示が去年、大部分で解除されたため、来月からは、新たに村に建設された小学校の校舎で授業が行われます。

      ただ、仮設校舎に通っていた児童のうち、村で再開する小学校に通うのは全体の7割にとどまり、残りの3割の子どもたちは、ほかの地域に生活拠点を移したことなどから、転校するということです。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180329/k10011384041000.html

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  30. 福島県内の除染で出た土の再生利用に向け手引き案
    3月29日 20時11分

    福島県内の除染で出た土の再生利用に向けて、環境省は、住民などへの情報公開や、土の流出を想定した事前の対応などを盛り込んだ手引きの案をまとめました。

    福島県内の除染で出た土について、環境省は、最終処分する量を減らすため、放射性物質の濃度が一定の基準を下回ったものは、道路や防潮堤の盛り土などとして県内外の公共工事で再生利用する方針です。

    環境省は、福島県南相馬市で安全性を確認するための実証事業を進めていて、これまでの結果をもとに、再生利用の際の注意事項などを盛り込んだ手引きの案をまとめ、29日、都内で開かれた検討会で示しました。

    それによりますと、再生利用した土の量や場所について、住民などが確認できるよう広く公開するほか、災害などで土が流出した場合の復旧工事の内容や費用の分担について、関係機関が事前に取り決めるとしています。

    また、環境省は、土を園芸作物などの農地の造成に再生利用する場合、土の放射性物質の濃度が1キロ当たり5000ベクレル以下で、その上に汚染されていない土を50センチ以上かぶせれば、住民の被ばく線量を、政府の長期的な目標である年間1ミリシーベルト以下におさえられると説明しました。

    環境省は、新年度から福島県飯舘村で土を農地の造成に再生利用する実証事業を行う予定で、事業の結果などを踏まえたうえで手引きを新年度中にまとめることにしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180329/k10011384281000.html

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  31. 福島県議会双葉郡選挙区の定数維持へ 特例法案提出
    3月29日 16時39分

    原発事故による避難で人口が大幅に減った福島県議会の双葉郡選挙区の定数を維持できるようにする特例法案が29日、衆議院に提出されました。

    特例法案を提出したのは、自民党や立憲民主党など与野党の衆議院議員13人です。

    福島県議会の双葉郡選挙区の定数は現在2ですが、原発事故で住民が避難し、選挙区の人口が10分の1まで減り、公職選挙法の規定では、来年の県議会議員選挙で隣接する選挙区と合区され定数が維持できなくなります。

    しかし、自民党や立憲民主党などは、定数を維持して被災地の復旧につなげるべきだとして、原発事故が起きる前の国勢調査の結果をもとに、定数を決めることができるとする特例法案をまとめ、29日、衆議院に提出しました。

    この法案が成立すれば、来年の県議会議員選挙では、今の定数が維持できることになります。

    自民党の逢沢選挙制度調査会長は「定数の維持は、被災地の復興・復旧、地域に住民が戻ってくるための基礎的な要件であり、今の通常国会で法案を成立させたい」と述べました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180329/k10011383951000.html

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  32. [震災7年]避難指示解除1年 帰還5%福島4町村 一歩ずつ 「活気取り戻す」
    2018年4月1日5時0分

     東京電力福島第一原発事故で、福島県浪江、川俣、飯舘、富岡の4町村に出されていた避難指示が昨年3月31日と4月1日に相次いで解除されてから1年。4町村の解除地域で暮らす住民は事故前の5・6%(1883人)にとどまる一方、古里の活気を取り戻そうと、家族を避難先に残したまま地元に戻り、汗を流している人たちがいる。

     同県いわき市で避難生活を送る鈴木秀希さん(42)は4月13日、富岡町でラーメン店を再開させる。出入り業者との交渉など準備に追われる毎日で、31日も昼食を取る時間もないほど忙しかった。

     町中心部に24歳で開業した。自家製の肉みそを使った「肉みそとんこつ」が評判となり、家族連れや原発労働者らでにぎわった。

     原発事故後、妻と生後3か月の長男を抱えて同県会津若松市に避難したが、再開を心待ちにする常連のはがきに勇気づけられ、2012年春にいわき市で店を開いた。16年春、帰還準備のため一時的に自宅に寝泊まりできるようになると、富岡での再開を決意。「自分が古里にできることは店を開くことだけ。それでにぎわいが取り戻せたら」と話す。

     かつての店舗は解体が決まり、16年冬、近くの中華料理店を購入。傷みきった店内を改修し、帰還者が少ない中で何とかパートも確保した。4月から、いわき市に家族を残しての帰還となる。

     いま町内にある飲食店は5店舗。うち3店舗は複合商業施設内で、昼間の数時間しか営業しない。一方、町の住人の7割は一人暮らしで、20、30歳代は8割が男性という。「そんな人たちのためになれば。きっと誰かが続いてくれる」と信じている。

              ◎

     東京都内などに避難した佐々木久雄さん(68)は、自宅宿泊が可能になった16年秋に浪江町に戻った。タマネギの初収穫に向けて汗をかく。

     原発事故前は防火扉などの取り付け工事をしていた。本格的に農業に取り組むのは初めて。挑戦を決めたのは、「多くの町民がやっていた農業を、初心者の自分ができれば、町に戻る人が増えるかもしれない」と考えたからだ。農薬の散布や苗を育てるハウスの温度管理など、全て一から学んだ。

     事故前、町の農地は約3200ヘクタールあったが、17年度に出荷があったのは約6ヘクタール。出荷者は15人だけだ。

     妻の裕子さん(63)は特別養護老人ホームに入った母(90)の付き添いで、いわき市に残る。自身は改修中の自宅のわきにある離れで暮らす。

     3月30日、佐々木さんは畑に肥料をまいた。4月に苗を植え、6月の収穫を目指す。佐々木さんがトラクターを動かすと、帰還したわずかながらの町民が見に来る。「こうやって、少しずつ前の町に戻れるんじゃないか」。笑みがこぼれた。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180401-118-OYTPT50106

    https://koibito2.blogspot.jp/2017/04/2011311-fukushima-2.html?showComment=1522534870652#c7513677034623615754

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  33. 被災地長期支援の自治体・NPOも支援 交付金146億円に
    4月2日 4時25分

    東日本大震災の被災者の生活再建などを支援する交付金について、復興庁は、長期にわたり被災者を支えている自治体やNPOの職員への支援も含め、およそ146億円を交付することを決めました。

    復興庁は東日本大震災で被災した人たちの生活再建や心のケアを支援するため、おととし創設した交付金について、今年度(平成30年度)の1回目の交付分として、岩手、宮城、福島など62の自治体と2つの団体におよそ146億円を交付することを決めました。

    この中では、災害公営住宅の入居者の相談や、高齢者の健康教室の開催など「被災者生活支援事業」に、全体のおよそ2割に当たる30億9000万円が充てられ、被災者の「心の復興」を支援するため子どもたちにボランティアの体験型授業を行う事業などに10億4000万円が計上されました。

    また今回の交付金には、震災から7年が経過する中、長期にわたり被災者を支えている自治体やNPOの職員への支援にも重点を置き、およそ2億4000万円が盛り込まれました。

    復興庁は今年度予算で交付金の財源として190億円を計上しており、今後、残る44億円についても、各自治体の要望を踏まえ交付することにしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180402/k10011387761000.html

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  34. 古里の学校 7年ぶり…飯舘、避難指示解除1年
    2018年4月2日5時0分

     東京電力福島第一原発事故に伴う避難指示の解除(帰還困難区域を除く)から1年となった福島県飯舘村で1日、避難先の仮校舎から7年ぶりに戻った小中学校4校の再開と、認定こども園の開園を祝う式典が開かれた。保護者や村民の見守るなか、子供たちはそれぞれの校歌を歌い、古里での学校生活に胸を膨らませた。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180402-118-OYTPT50142

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    1. 飯舘「もう一度歴史作る」…通学・通園104人 再スタート
      2018年4月2日5時0分

       東京電力福島第一原発事故による避難指示の解除(帰還困難区域を除く)から1年、福島県飯舘村に子供たちの元気な声や足音が7年ぶりに帰ってきた。小中学校の地元再開などを祝う1日の式典では、教職員や保護者に加え、帰還した住民も、子供たちの姿に目を細めた。

       地元で再開するのは村立飯舘中、村立草野、飯樋いいとい、臼石小。改修された飯舘中の校舎に3小の児童も通い、計75人が学ぶ。同じ敷地内に新設された村立までいの里のこども園には29人が通園する。住民帰還が進まないなか、通学・通園する子供は計104人と、原発事故前の7分の1に減り、大半は避難先の福島市などからスクールバスで村に通う。

       それでも、村に戻った住民らは、地域のつながりの核になってほしいと、学校の再開を心待ちにしてきた。この日の式典では、飯舘中3年川井萌映もえさん(14)が「生徒、児童、園児の仲が良い学校を実現したい。もう一度この学校で、歴史を作っていけると思うと胸が弾みます」と述べた。式典後には、子供と大人が一緒になって校舎前で風船を飛ばし、村の復興への願いを込めた。

       福島県内では昨春、飯舘村のほか、浪江、富岡、川俣町でも帰還困難区域を除いて避難指示が解除され、この3町でも今年度から、小中学校などが地元で授業を再開する。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180402-118-OYTPT50083

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    2. それがほんとうに住民の、もっといえば、将来ある子供たちのためになるのだろうか?

      「自治体」の形を維持するだけのために利用されているだけなのではないのか?

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  35. 経済産業省
    @meti_NIPPON

    事故から7年。
    福島第一原子力発電所の汚染水対策や労働環境改善の進捗に加え、
    燃料デブリ取り出しに向けた取組の様子などを8分間で
    分かりやすくお伝えします。#福島 #復興 #原発
    tps://www.youtube.com/watch?v=6WniiOvfYUM&feature=youtu.be …

    https://twitter.com/meti_NIPPON/status/981471134699814912

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  36. 原発事故後初めて 認定こども園が開園 福島 浪江町
    4月5日 12時41分

    原発事故に伴う避難指示が去年一部の地域で解除された福島県浪江町で、事故後初めて、認定こども園が開園しました。

    福島県浪江町では原発事故のあと全域に避難指示が出され、町内の保育所と幼稚園が休園になりましたが、去年の春一部の地域で避難指示が解除されたことから、認定こども園を整備していました。

    5日の開園式にはこども園に通う3歳から5歳までの13人が母親や父親とともに出席し、園長から一人一人名前を呼ばれると元気よく返事をしていました。

    浪江町の馬場有町長は「子どもたち一人一人に寄り添い、ご家族の皆様が『ここに入園してよかった』と言って卒園できるよう、職員一丸となって取り組んでいきます」と述べました。

    認定こども園には保育士4人のほか栄養士と調理師が常駐し、食材ごとに放射性物質の値に問題がないことを確認してから給食を提供することにしています。

    また、施設内の放射線量も全国の大気中の平均値とほとんど変わりませんが、保育士がデータに変化がないか、毎日周辺で測定することにしています。

    26歳の父親は「子どもたちも喜んでいます。いちばん大切なのは子育てなので、こういう施設ができてうれしい」と話していました。また24歳の母親は「子どもを預けて働くことができます。放射線量も測ってくれているので特に心配ありません」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180405/k10011391691000.html

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    1. 原発避難から7年ぶり地元で授業再開へ 学校維持には課題も
      4月5日 13時01分

      原発事故により避難していた福島県川俣町の小中学校が7年ぶりに地元で授業を再開するのを前に、5日、開校式が開かれました。

      原発事故で避難指示が出された川俣町山木屋地区では、去年、避難指示が解除されたことを受けて小学校の校舎が改修され、6日、事故から7年ぶりに小中一貫校として地元で授業を再開します。

      これに先立って5日、子どもたちも出席して開校式が開かれ、佐久間裕晴教育長が「夢みていたふるさとの学びやで一層充実した生活を送ってください」とエールを送りました。

      続いて小学6年の鴫原大翔さんが「新しい図書館で本を読み、新しいプールで泳ぎ、たくさんの思い出を作ります」と話したほか、中学3年の高野大祐さんは「勉強や部活に一生懸命取り組むことが復興につながると思って頑張ります」と抱負を語りました。

      山木屋地区の小中学生は原発事故の前は合わせて100人ほどいましたが、6日からこの小中一貫校に通う子どもは15人だということです。また、地区の幼稚園に通う子は現在1人もいないということで、将来にわたって学校を維持していけるか、課題を抱えての再出発となります。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180405/k10011391711000.html

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  37. 震災から7年 閖上地区に小中学校の校舎完成 宮城 名取
    4月7日 17時43分

    東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県名取市の閖上地区に、小中一貫の学校が7年たってようやく完成し、7日、開校式が行われました。

    名取市の閖上小学校と中学校は、震災の津波で校舎が使えなくなったため、小中一貫の閖上小中学校として再建されることになり、新しい校舎の整備が進められてきました。

    7日は新しい学校の開校式が開かれ、児童や生徒、それに地域の人たちなどおよそ700人が出席しました。

    式では生徒を代表して9年生の南部陽向さんが「充実した学校生活が送れるよう、みんなで力を合わせ新しい学校を築き上げます」と決意を述べました。

    続いて、閖上の浜にかつて自生していた植物をあしらった校章が披露されたあと、新しい校歌を歌って開校を祝いました。

    新しい校舎は災害時には避難所となる予定で、外から直接屋上に上がることができる階段や食料を備蓄できる倉庫が設けられています。

    開校式のあと内覧会が行われ、子どもたちや地域の人たちが真新しい校舎を見て回っていました。

    開校にあわせて閖上地区に戻ってくるという5年生の男子児童は「故郷の閖上で勉強できうれしいです。きれいな学校でにぎやかに過ごすのが楽しみです」と話していました。

    また、八森伸校長は「小中一貫校の特色を生かし、きめ細かい授業を行うとともに、震災で当時の生徒たちが亡くなった教訓を伝えたい」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180407/k10011394361000.html

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  38. 福島 富岡町 夜の森地区の桜並木で歩行者天国
    4月7日 16時38分

    原発事故の影響が続く福島県富岡町の桜の名所、夜の森地区の桜並木で歩行者天国が行われ、避難先から駆けつけた人などが散りゆく花を惜しむように眺めていました。

    富岡町の桜の名所、夜の森地区の桜並木では7日、歩行者天国が行われ、避難先から駆けつけた人などが風に吹かれて花びらが舞い散る中、惜しむように眺めたり、カメラに収めたりしていました。

    町のシンボルとなっているこの桜並木は、2キロ余りにわたって続きますが、歩行者天国が行われたのは、去年、避難指示が解除された300メートルほどの道路だけです。
    大部分の桜並木は「帰還困難区域」に指定されて今も立ち入りが厳しく制限されています。

    帰還困難区域に自宅があり、避難先の福島市から訪れた67歳の男性は「桜を楽しみに来ましたが、かなり散っていて残念です。周辺の住宅も解体されたりして風景が変わってしまいました。自分も町に戻るのは難しいですが、桜があるかぎり見に来たいです」と話していました。

    歩行者天国は8日も行われます。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180407/k10011394281000.html

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  39. 大熊町 一部で長期宿泊…24日から 福島原発、立地地域で初
    2018年4月12日5時0分

     政府は11日、東京電力福島第一原発事故で全域が避難指示区域となった福島県大熊町の一部で、避難指示解除に向けて住民が自宅に泊まる「長期宿泊」を4月24日から実施すると発表した。同原発の立地自治体で長期宿泊が行われるのは初めて。

     対象は、居住制限区域の大川原地区と避難指示解除準備区域の中屋敷地区で、町の面積の38%、人口の3・6%(139世帯379人、1日時点)に当たる。帰還困難区域では実施しない。

     2地区では2016年8月から、住民が期間限定で自宅に泊まれる「特例宿泊」を実施してきた。今回の長期宿泊に合わせ、隣接する富岡町の「ふたば医療センター付属病院」が診療を始めるほか、大川原地区で来春、役場新庁舎が完成する。

     2地区の避難指示の解除時期について、渡辺利綱・大熊町長は「19年春が目安」としており、今後、長期宿泊で生じた課題を検証しながら国と協議していく。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180411-118-OYTPT50521

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  40. 福島の放射線測定継続を要請
    市民団体が規制委に
    2018/4/16 17:25
    ©一般社団法人共同通信社

     原子力規制委員会が福島県内に設置した放射線監視装置(モニタリングポスト)の一部撤去を決めたことを巡り、同県の市民団体が16日、東京都内で規制委の担当者と意見交換し、測定の継続を求める要請書を手渡した。規制委は3月、約3千台のモニタリングポストのうち、避難区域以外にある約2400台の撤去を決定していた。

     市民団体は同県郡山市の「モニタリングポストの継続配置を求める市民の会」。要請書は、モニタリングポストは東京電力福島第1原発の廃炉作業が全て終わってから撤去すべきで、住民らの安全や健康を軽視しているなどと指摘。規制委に決定の取り消しを求めた。
    https://this.kiji.is/358513600081495137

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  41. 群馬 NEWS WEB
    福島からの避難者 実態把握困難
    04月25日 18時24分

    東日本大震災に伴う原発事故のあと、福島県から群馬県に避難している人たちを支援している団体が、福島県から提供された名簿をもとに、はじめて訪問などによる生活実態の調査を行ったところ、60%以上の世帯と連絡が取れず、実態の把握が困難となっている現状が浮き彫りとなりました。

    この調査は、福島県などからの委託を受けて群馬県に避難している人たちを支援している市民団体「ぐんま暮らし応援会」が、はじめて行いました。
    団体は、先月まで1年間をかけて、福島県から提供された名簿のうち、今も群馬県内で生活しているとされていた314世帯の避難者に対して、訪問や電話で生活実態に関する調査を行いました。
    その結果、連絡が取れたのは全体の36%にあたる112世帯にとどまり、そのほかの60%以上の世帯は、空き家になっていたりして連絡が取れず、実態の把握が困難となっている現状が浮き彫りとなりました。
    また、郵送による別のアンケート調査では「話し相手がいない孤独感」や「自主避難による過大な費用負担」などを訴える人がいたということです。
    団体の役員の1人は「震災に伴う原発事故から7年たった今も、避難者の生活実態はわからず、寄り添おうと思っても届かない。解決策はわからないが、逃げずに支援していきたい」と話していました。
    また、団体の運営委員長の向井美代子さんは「今回の調査結果をもとに、今後の支援のあり方をみんなで考えていきたい」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/lnews/maebashi/20180425/1060001704.html

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  42. 外国人技能実習生6人が福島第一原発で作業
    5月1日 14時02分

    日本で働きながら技術を学ぶ技能実習制度で来日した実習生6人が、福島第一原子力発電所でがれきなどを焼却する施設の建設工事に携わっていたことがわかりました。東京電力は、実習生を福島第一原発で働かせないことを自主的に定めていて、「元請け企業に契約内容の確認を徹底させたい」としています。

    東京電力によりますと、技能実習制度で来日した外国人実習生6人は、大手建設会社の下請け企業に雇われ、去年11月から、福島第一原発の敷地で始まったがれきなどを焼却する施設の建設工事に携わっていました。

    工事が行われた場所は、放射線防護が義務づけられている管理区域の外ですが、東京電力は、去年4月以降、福島第一原発の廃炉に関わる作業に従事させることは技能実習制度の趣旨にそぐわないとして、実習生を敷地内で働かせないことを自主的に定め、元請けの企業にルールを守るよう求めてきました。

    しかし、今回、問題が明らかになったことを受けて、東京電力は「改めて元請け企業に契約内容の確認を徹底させたい。同様の事案がないか調査していきたい」としています。

    法務省「制度上 違反ではない」
    福島第一原子力発電所の構内で技能実習制度で入国した外国人が働いていた問題について、制度を所管する法務省は、個別の事案について答えられないとしたうえで、「受け入れ企業が事前に提出した実習計画と異なる作業をさせていた場合は問題だが、福島第一原発の敷地内で技能実習生が働くこと自体は、制度上、違反ではない」と話しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180501/k10011424191000.html

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  43. 原発事故で中止の祭り 10年ぶり復活 福島 飯舘村
    5月4日 18時02分

    東京電力福島第一原発の事故の影響で中止されてきた、福島県飯舘村の五穀豊じょうを願う伝統の祭りが10年ぶりに復活しました。

    350年以上の歴史がある飯舘村の飯樋地区にある大雷神社では「遷宮大祭」と銘打って五穀豊じょうを願う祭りが10年ぶりに行われました。

    神社の前で、地元に伝わる獅子舞が披露されたあと、田んぼの神様とされるご神体を載せたみこしを中心に、武士の衣装などに身を包んだおよそ120人の行列が神社を出発しました。

    それまで、3年ごとに行われてきた五穀豊じょうを願う祭りは、原発事故後は中止を余儀なくされてきましたが、去年の春に飯舘村の大部分で避難指示が解除されことや神社の改修も終わったため復活しました。

    行列が、避難指示が解除され少しずつ人が戻ってきた住宅地や鮮やかな黄色い菜の花が咲く農道を進むと見物客が手を振ったり写真に収めたりしていました。

    避難先の福島市から参加した村出身の70代の女性は、「ここで育ったので祭りを楽しみに帰ってきました。やはり懐かしいです」と話していました。

    また、村出身で、福島県郡山市に避難している中学1年の女子生徒は「みこしがすごかったです。伝統が10年ぶりに復活してよかったです」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180504/k10011427261000.html

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  44. 一部の市で仮設住宅の整備可能に 閣議決定
    5月8日 15時16分

    地震などの災害のあとに仮設住宅を整備する権限について、政府は8日、これまでの都道府県だけでなく、一部の市にも与えることを盛り込んだ災害救助法の改正案を閣議決定しました。

    これは、小此木防災担当大臣が、8日の閣議のあとの記者会見で明らかにしたものです。

    仮設住宅の整備については、これまで災害救助法で都道府県が行うよう定められていましたが、7年前の東日本大震災では、仙台市が震災発生直後に仮設住宅の建設用地を見つけたものの、建設会社の選定や契約は県が行うため、建設の開始が大幅に遅れたと主張し、仮設住宅を整備する権限を移譲するよう国に求めていました。

    こうした意見はほかの複数の市からも出ていて、これを受けて政府は8日、仮設住宅を整備する権限を一部の市にも与えることを盛り込んだ災害救助法の改正案を閣議決定しました。

    対象となるのは、財政基盤などが強固な一部の政令指定都市になる見込みで、仮設住宅の建設や、入居期間の延長を国と直接交渉する権限などが与えられる予定です。

    また、みなし仮設として利用するアパートなどの賃貸契約も、独自に進めることができるようになる見込みで、政府は、この改正案を今後、今の国会に提出する予定です。

    ただ、この法改正をめぐっては、全国知事会が反対する意向を示していることから、小此木大臣は会見で、国と都道府県、それに、市などの間で今後も丁寧な議論や調整が必要だとする考えを示しました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180508/k10011430641000.html

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    1. 一部の市で仮設住宅の整備可能に 法律改正へ
      5月2日 4時24分

      地震などで家を失ったり住めなくなったりした人のための仮設住宅を整備する制度が変わる見込みです。政府はこれまで都道府県しかできなかった仮設住宅の整備を一部の市もできるようにする法律の改正案を大型連休明けに閣議決定し、国会に提出する方針を決めました。

      仮設住宅の整備は災害救助法に基づいて都道府県が行うよう定められています。

      しかし、7年前の東日本大震災で、仙台市は震災発生直後に仮設住宅の建設用地を見つけたものの、建設会社の選定や契約は県が行うため、建設の開始が大幅に遅れたと主張していて、仮設住宅を整備する権限を移譲するよう国に求めていました。

      こうした意見はほかの複数の市からも出ていることから、政府は一部の市についても仮設住宅の整備ができるようにする災害救助法の改正案を大型連休明けに閣議決定し、今の国会に提出する方針を決めました。

      対象となるのは、財政基盤などが強固な一部の政令指定都市になる見込みで、仮設住宅の建設のほか、入居期間の延長を国と直接交渉する権限などが与えられる予定です。また、みなし仮設として利用するアパートなどの賃貸契約も独自に進めることができるようになる見込みだということです。

      ただ、この法改正をめぐっては、ことし3月、全国知事会が「実際に支障が出たという事実は確認されておらず、制度を変更する理由は見当たらない」と反対する意向を示していて、政府は今後も説明を続けることにしています。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180502/k10011424601000.html

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  45. 国、都道府県、市町村…

    都道府県を中抜きするとか、国、都道府県の垣根をとっぱらって道州制にするとか、行政のかたちもいろいろな試行錯誤があってよいと思われ…

    一番邪魔なのは、ヘンな小役人根性のナワバリと権力意識。

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  46. 福島銀行 年間決算が最終赤字見通し 地銀では異例
    5月9日 17時28分

    福島市に本店を置く福島銀行は、不良債権処理の費用がかさんだことなどからことし3月までの1年間の決算が、最終赤字の見通しとなったことがわかりました。経営の健全性に直ちに問題が生じるわけではありませんが、地方銀行の年間の決算が最終赤字となるのは、全国でも異例です。

    福島銀行は、当初、去年4月からことし3月までの1年間の決算について、最終損益が12億円の黒字になる見通しだとしていました。

    しかしその後、融資先の建設業者などが相次いで経営破綻し、不良債権の処理にかかる費用がかさんだことや、保有する投資信託で多額の損失が発生したことなどから、関係者によりますと、最終損益が赤字の見通しとなったことがわかりました。

    経営の健全性に直ちに問題が生じるわけではありませんが、全国に100余りある地方銀行の中でも、年間の決算が最終赤字になるのは異例です。

    福島銀行は、今月14日にこの決算を発表することにしていますが、日銀のマイナス金利政策を背景に厳しい経営環境が続いているだけに、今後いかに収益力を回復させられるかが課題となります。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180509/k10011432351000.html

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    1. 福島銀社長、辞任を発表
      6月、30億円赤字
      2018/5/11 16:07
      ©一般社団法人共同通信社

       福島銀行の森川英治社長は11日の決算会見で、6月に辞任すると正式に発表した。次期社長には東邦銀行(福島市)子会社社長の加藤容啓氏が就任する。

       福島銀によると、2018年3月期の純損益が30億7700万円の赤字となった。前期は12億6400万円の黒字。赤字となるのは11年3月期以来7年ぶり。

       18年3月期は6億7千万円の黒字を予想していたが、保有する投資信託で多額の損失が発生した。このほか東日本大震災の復興需要がピーク時から落ち着き、建設業を中心に融資先企業の倒産が相次ぎ不良債権の処理費用が膨らんだ。
      https://this.kiji.is/367568894321378401

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    2. 原発事故の影響がじわじわと…

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  47. 「甲状腺がん子ども基金」療養費の給付年齢を拡大
    5月17日 4時13分

    東京電力福島第一原発の事故のあと甲状腺がんと診断された子どもの支援を行っている民間の基金は、これまでに120人に療養費を給付し、さらに対象の年齢を拡大して支援を強化しました。

    民間の基金、「3・11甲状腺がん子ども基金」は、原発事故後に甲状腺がんやがんの疑いと診断された子どもたちに1人当たり10万円の療養費の支援を行っています。

    16日都内で行われた記者会見で、おととし12月から始めた支援で、これまでに120人に療養費を給付したことを報告しました。

    そのうえで療養費の給付の対象年齢を現在の「25歳以下」から「事故当時18歳以下」に変更し、支援を拡大したことを明らかにしました。

    震災から7年を迎え、事故当時18歳だった子どもが、ことし26歳となり、現在の条件では、対象から外れるためで、基金では震災から10年に当たる2021年までは支援を続けたいとしています。

    原発事故のあと福島県が事故当時18歳以下の子どもおよそ38万人を対象に行っている甲状腺検査では、これまでに197人ががんやがんの疑いと診断されています。

    基金の吉田由布子理事は「10代後半から20代までの世代では、就学や就職、結婚などを迎える一方、がんの診療や支援体制が十分ではない。悩みや相談を受けて支援を続けたい」と話しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180517/k10011441081000.html

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  48. 使用済み燃料取り出しへ 壁の穴開け開始 福島第一原発2号機
    5月28日 18時11分

    廃炉作業が進む福島第一原子力発電所2号機の使用済み燃料プールに残された核燃料の取り出しに向け、東京電力は28日から、原子炉建屋の壁に幅5メートル、高さ7メートルの穴を開ける作業を始めました。

    福島第一原発2号機の原子炉建屋の最上階にある使用済み燃料プールには今も615体の核燃料が保管されたままで、東京電力は、地震などによるリスクを下げるために、核燃料を原子炉建屋から別の場所に移すことにしています。

    2号機は水素爆発を免れたものの建屋の中の放射線量は高く、東京電力は、ロボットを投入して線量を測定するなど内部の状況を詳しく調べることにしています。

    今回は、厚さ20センチの建屋の壁に、燃料プールがあるフロアに通じる幅5メートル、高さ7メートルの穴を開けることにしていて、壁を29のブロックに分けて切れ目を入れ、機械で引っ張って取り外すことができるよう取っ手が付けられています。

    28日から始まった作業では、建屋から離れた場所にある免震重要棟でオペレーターが映像を見ながら遠隔で機械を操作し、ブロックを引き抜き穴を開けていました。

    作業は来月中旬まで続けられ、東京電力はその後、放射線量の調査を行ったあと、具体的な燃料の取り出し方法を検討し、2023年度をめどに取り出しを始める計画です。

    東京電力福島第一廃炉推進カンパニー2号機建築グループマネージャーの野田浩志さんは「2号機の廃炉はスタート地点に立ったばかりだが、調査ができるようになり、大きな一歩が踏み出せた。周辺環境に影響を与えないよう取り組んでいきたい」と話していました。

    使用済み燃料プールの状況

    福島第一原発の1号機から3号機では今も核燃料が使用済み燃料プールに残されたままで、3号機でことし秋にも、1号機と2号機では2023年度をめどに、取り出しを始める計画です。

    それぞれの原子炉建屋の最上階に設けられた燃料プールには、1号機に392体、2号機に615体、3号機に566体の核燃料があり、今も冷却が続けられています。

    いずれも原子炉の核燃料がメルトダウンした影響で建屋の中の放射線量は高く、1号機と3号機では水素爆発の影響で散乱したがれきの撤去などが進められてきました。

    3号機では、放射性物質の飛散や作業を妨げる風などを防ぐドーム型のカバーを建屋の屋根に取り付ける作業がことし2月までに終わり、遠隔操作の訓練などを行ってことし秋にもプールから核燃料を取り出す作業が行われる予定です。

    1号機では今後、除染や燃料を取り出すクレーンを新たに設置する必要があり、2号機でも今あるクレーンが使えない可能性が高く、取り替えも含めて検討が必要です。

    原子炉建屋の最上階にある核燃料を取り出す作業は、地震などによるリスクを下げるために重要な工程で、作業員の被ばくを抑えながらいかに安全に進められるかが課題になります。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180528/k10011455971000.html

    https://koibito2.blogspot.com/2018/03/blog-post_23.html?showComment=1527602610961#c5283394275698330540

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  49. 福島第一原発事故の裁判 地震の可能性「ほかの専門家も同意」
    5月30日 18時52分

    福島第一原発の事故をめぐり、東京電力の旧経営陣3人が強制的に起訴された裁判で、古い文献を調べている学者が、東日本の沖合では過去に繰り返し津波を伴う地震が起きていたと説明しました。国の機関は、この学者の見解などをもとに、事故の9年前に福島県沖でも地震が起きる可能性を示していて、学者は、ほかの専門家も同意していたと証言しました。

    東京電力の元会長の勝俣恒久被告(78)、元副社長の武黒一郎被告(72)、元副社長の武藤栄被告(67)の3人は、原発事故をめぐって業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されています。

    30日、東京地方裁判所では、平成14年に政府の地震調査研究推進本部が公表した長期評価の取りまとめに関わった地震学者の都司嘉宣氏が証言しました。

    長期評価は、福島県沖を含む三陸沖から房総沖にかけて30年以内に20%の確率で巨大地震が発生するという内容でしたが、被告側の元会長ら3人は「長期評価には専門家の間で異論があり、津波は予測できなかった」と主張しています。

    30日の法廷で、都司氏は、過去に起きた地震の回数が長期評価の根拠になっていると説明し、古い文献を調べた結果、三陸沖から房総沖にかけての領域では津波を伴う地震が過去400年間に3回起きていたと証言しました。

    その見解について、地震調査研究推進本部の部会では、ほかの専門家から疑問を投げかけられたものの、文献の内容などを詳しく説明すると全員が同意したと証言しました。

    都司氏は、次回、来月1日も証言する予定です。

    “福島沖津波”根拠は歴史地震

    30日の裁判で注目されたのは、平成14年に三陸沖から房総沖のどこでも巨大な津波を伴う地震が起きるとする長期評価の取りまとめに当たって根拠となった、古い時代に起きたとされる津波です。

    30日に証言に立った元東京大学地震研究所准教授の都司嘉宣氏は、歴史地震研究の第一人者で、政府の地震調査研究推進本部で長期評価の取りまとめに関わりました。

    都司氏によりますと、歴史地震とは、近代的な観測が始まった明治時代より前に起きた地震や津波で、古い文献などに記されている記録をもとに震源や規模を推測します。

    長期評価では、福島県沖を含む三陸沖から房総沖にかけての領域で30年以内に20%の確率でマグニチュード8クラスの巨大な地震が発生するとされましたが、その根拠となったのは、歴史地震の研究から、この領域で400年の間に3回の巨大な津波を伴う地震が起きていたとされたことでした。

    しかし、長期評価を取りまとめる専門家の部会で、実際にそうした地震があったのか異論が出されていたと、今回の裁判で指摘されています。

    30日の裁判で、都司氏は、部会の中で歴史地震の研究者は自分だけだったと述べたうえで、3回の津波のうち、1611年に三陸沿岸を襲った津波については発生場所が議論になったものの、岩手県に残された文献で、大きな音がした30分後に津波が来たとされていることなどから、三陸沖で起きた地震による津波だったと説明し、理解を得たと証言しました。

    また、1677年に房総半島の沿岸を襲った津波についても、ほかの専門家から、陸に近い領域で起きた規模が小さい地震によるものではないかという指摘が出されたということですが、都司氏は、今の仙台市の近くまで被害が及んでいたという記録が残されていて、規模の小さい地震では説明がつかないと説明した結果、ほかの委員から異論は出なかったと証言しました。

    その結果、平成14年の長期評価の取りまとめで、三陸沖から房総沖にかけての領域では、1896年の明治三陸津波を含め、合わせて3回の巨大津波を伴う地震があったと結論づけられたと証言し、その信頼性に問題はないとの考えを示しました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180530/k10011458571000.html

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  50. 原発事故訴訟 学者「巨大地震の予測 根拠に問題なし」
    6月1日 20時56分

    福島第一原発の事故をめぐり東京電力の旧経営陣3人が強制的に起訴された裁判で、過去の地震について調べている学者が証言しました。事故の9年前に国の機関が福島県沖でも地震が起きる可能性を示したことについて、過去の巨大地震の回数が根拠となっていて問題はないと説明しました。

    東京電力の元会長の勝俣恒久被告(78)、元副社長の武黒一郎被告(72)、元副社長の武藤栄被告(67)の3人は、原発事故をめぐって業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴され、無罪を主張しています。

    1日、東京地方裁判所では前回に続いて平成14年に政府の地震調査研究推進本部が公表した「長期評価」の取りまとめに関わった地震学者の都司嘉宣氏が証言しました。

    「長期評価」では、福島県沖を含む三陸沖から房総沖で過去400年間に3回の大きな津波を伴う地震が起きたことなどを根拠に、30年以内に20%の確率で巨大地震が発生するとされました。

    法廷で被告側の弁護士が3回の地震のうち1回は違うタイプの地震ではないかと質問したのに対して、都司氏は「その可能性も3割ほどある」と答えました。一方で、「古い文献には地震の揺れによる被害の記録がなく、7割ほどの可能性で正しいと思っている」と述べ、数え方に問題はないと説明しました。

    次回は、今月12日に開かれ、別の証人が呼ばれる予定です。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180601/k10011461931000.html

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  51. 裁判・訴訟をシノギにするヒトビトのための…

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  52. 福島県訪問の両陛下 いわき市で原発事故の避難住民と懇談
    2018年6月9日 18時45分

    全国植樹祭に出席するため、9日から福島県を訪問している天皇皇后両陛下は、いわき市にある災害公営住宅を訪れて、福島第一原発の事故の影響で周辺の町から避難している住民たちと懇談されました。

    9日昼すぎ、新幹線でJR郡山駅に到着した両陛下は、駅前に集まった大勢の人たちの歓迎に笑顔で手を振ってこたえられました。

    このあと車に乗り換えておよそ80キロ移動し、午後3時前、福島県いわき市にある県内最大規模の災害公営住宅「北好間団地」に到着されました。
    この団地では、原発事故の影響で多くの人たちが避難を余儀なくされている富岡町、大熊町、双葉町、浪江町の4つの町の住民を中心に、合わせておよそ440人が暮らしています。

    両陛下は、午後3時前にいわき市にある災害公営住宅に到着し、出迎えた住民の代表たちに「災害の時は大変だったでしょう。少し落ち着きましたか」などと声をかけられました。そして横断幕を掲げたり、旗を振ったりして歓迎する住民たちに笑顔で手を振られていました。

    このあと集会室で、それぞれの町の住民の代表との懇談に臨まれました。
    このうち、浪江町の佐々木繁子さん(68)が、震災前から取り組んできた地元の踊りの継承の活動を、災害公営住宅でも続けていきたいという思いを両陛下に伝えると、天皇陛下は「いろいろと人を結びつける機会になるのでしょうね」と言葉をかけられました。

    また富岡町の伏見敏夫さん(78)が、手足の不自由な妻と暮らしていて、障害者に優しい住宅のつくりがありがたいと話すと、皇后さまは「ここに落ち着くまで、大変だったでしょう」などと優しくいたわられていました。

    両陛下は20分余りにわたって、住民たちから避難生活の苦労や現在の暮らしぶりについて話を聞かれ、最後に天皇陛下が「いろいろご苦労もあったと思いますが、乗り越えて、よい生活を築いていかれることを願っています。どうぞお元気で」と語りかけられました。

    両陛下は3日間、福島県に滞在し、10日は南相馬市の沿岸部で開かれる全国植樹祭の式典に出席し、海岸防災林となる木々を植えられることになっています。

    佐々木繁子さん「励ましの言葉をいただき頑張ろうと思った」

    福島県浪江町の佐々木繁子さんは(68)、避難者を代表して天皇皇后両陛下との懇談に臨みました。

    佐々木さんは地元の請戸地区の芸能保存会の副会長として、およそ200年の歴史がある「請戸の田植踊」の継承に取り組んできました。

    田植踊は、地元の小学生が踊り手となり、毎年2月に漁の安全や豊作を願って地区の神社の祭りで奉納されてきました。
    しかし7年前、佐々木さんは津波で自宅を失い、神社で保管していた衣装や花がさもすべて流されました。
    さらに原発事故の影響で、佐々木さんや踊り手の小学生たちは避難を余儀なくされ、離れ離れになりました。

    佐々木さんは一時は踊りの継承を諦めかけましたが、県内各地の人たちから「踊りを絶やさないでほしい」という励ましを受けて復活を決意。
    専門家の協力を得て写真をもとに衣装や花がさを新調し、離れ離れになった子どもたちにも参加を呼びかけ、震災から5か月後、いわき市で開かれた公演で踊りを披露することができました。

    佐々木さんはその後、仮設住宅などで公演を続け、現在も災害公営住宅に子どもたちを招いて踊りを教えていますが、避難生活の長期化で担い手となる子どもたちは年々少なくなっていると言います。

    請戸地区に出されていた避難指示は、去年3月末で解除されましたが、住宅が流された地域は災害危険区域に指定されていて住むことはできません。

    佐々木さんは「請戸は帰ることができない場所になってしまったので、ふるさとをつなぐものは、田植踊しか残っていないと感じます。踊りを通して請戸を思い出すようになってほしい」と話しました。

    9日の懇談で佐々木さんは、今後も田植踊を継承していきたいという思いを両陛下に伝えました。

    これに対し、天皇陛下は「いろいろと人を結びつける機会になるのでしょうね」と述べられ、皇后さまは「震災のあと、どれだけ郷土の芸能が心の支えになったでしょう。これからも続けられてね」と話されました。

    懇談を終えた佐々木さんは「これまで苦しいときや心が折れることが何度もありましたが、両陛下から励ましの言葉を頂き、これからも継承のために頑張ろうと思いました」と笑顔で話していました。

    伏見敏夫さん「富岡に戻る決意をお伝えできてよかった」

    天皇皇后両陛下との懇談に臨んだ福島県富岡町の伏見敏夫さん(78)は、手足に障害のある妻と2人でいわき市の災害公営住宅で避難生活を送っています。
    これまで避難先を6回も変えましたが、祖父の代から引き継いだ家の跡取りとしてふるさとに帰ることを決め、今は週に1回、自宅の手入れに通っています。

    自宅のある地域は去年、避難指示が解除され、伏見さんは震災前の風景と活気を取り戻そうと、手足の不自由な妻に代わって妻が好きな花を植え始めました。
    今月3日には、町に戻った友人や避難を続ける友人も招いて、自宅前の道路沿いの花壇に赤や黄色など色とりどりの花を一緒に植えていました。

    妻の淳子さんは「大好きな花がふるさとに増えてうれしいです。町にはあまり人が戻っていないので、花を植えておくと富岡に来ても気持ちが和やかになります」と話していました。
    伏見さんは「前のようにきれいな花がいっぱい咲くようにしたいと思います」と話していました。

    9日の懇談で伏見さんは、障害のある妻と避難生活を送っていることや、今後、夫婦でふるさとに戻る決意を伝えました。

    これに対し、皇后さまは「ここに落ち着きになられるまで大変だったでしょうね、お大事になさってください」と優しくいたわられていました。

    そして、最後に天皇陛下が「いろいろとご苦労が多かったと思いますが、それを乗り越えてよい生活を築いていかれるよう願っています」と言葉をかけられていました。

    懇談のあと伏見さんは「富岡に戻る決意をお伝えできてよかったです。特に妻を気にかけるお言葉まで頂き感謝の気持ちでいっぱいです。これまでの避難生活の苦労もきょうで吹き飛びました。両陛下からのお言葉を励みに、町に戻って復興に少しでも力を注いでいきたいです」と話していました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180609/k10011470601000.html

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    1. 両陛下 復興への願い込めたフラダンスご覧に
      2018年6月10日 1時23分

      福島県を訪問している天皇皇后両陛下は、9日夜、宿泊先の温泉リゾート施設で、被災地復興への願いを込めたフラダンスをご覧になりました。

      両陛下は、9日午後、いわき市にある災害公営住宅を訪れ、原発事故の影響で周辺の町から避難している住民らに励ましやいたわりの言葉をかけられました。

      このあと宿泊先の温泉リゾート施設に到着し、夜には施設のフラダンスチームによるダンスをご覧になりました。

      この施設のフラダンスチームは震災のあとおよそ5か月間にわたり県内外の避難所などでダンスを披露して被災者を元気づけ、復興のシンボル的な存在となっています。

      それから7年がたちメンバーの多くは入れ替わりましたが、当時の経験や復興への思いは受け継がれていて、フラガールたちが情感豊かに踊りを披露すると両陛下は笑顔で拍手をおくられていました。

      ダンスが終わると、両陛下はフラガールたちに歩み寄り、「いろいろなところをまわられて大変だったでしょう」などとねぎらいの言葉をかけられたということです。

      キャプテンの鈴木晴奈さんは「両陛下は、震災後何度も福島に足を運んでくださり、そのことが復興にもつながったと思います。感謝の気持ちを忘れず、これからも復興に向けてお力添えできればと思います」と涙を流しながら話していました。

      復興のフラダンスに思いを込めて

      天皇皇后両陛下が9日夜ご覧になったいわき市の温泉リゾート施設のフラダンスチームは12年前、映画の題材になったことがきっかけで、一躍有名になりましたが、震災で施設が大きく壊れ、長期間の活動休止に追い込まれました。

      被災したフラガールもいましたが、チームは震災2か月後には全国をまわるキャラバンに出発しました。

      各地で避難生活を送る被災者を励まし、元気な福島を発信するためです。

      当時、中心メンバーだった猪狩梨江さんは福島第一原発があり、いまもすべての住民が避難している双葉町の出身です。全国をまわる中で双葉町の人たちが大勢避難していた埼玉県の避難所でもダンスを披露しました。

      猪狩さんはそのときのことを振り返り「いちばん前に近所のおじさんとおばさんがいて、すぐ声をかけてくださいました。勝手に涙が流れてしまって、ありがとうというそのひと言でした。すごく自分の中でずっしり来ました」と話しました。

      公演は5か月間に、避難所やデパートなど延べ125か所、247回にのぼりました。

      被災者を笑顔で励ますフラダンスチームは、いつしか「復興のシンボル」と呼ばれるようになり、猪狩さんは「津波被害のほかに原発事故があり福島に人が来ないという状況でした。町も一時は本当に人がいなくてゴーストタウンのようだったので、どうしても元気にしたい、絶対に希望は捨てないっていう思いがすごく強くありました」と話しました。

      現在はチームを裏方として支えている猪狩さん。震災から7年がたってメンバーの多くが入れ替わりましたが猪狩さんはみずからの経験を後輩たちに伝え、繰り返し被災地に足を運ばれてきた両陛下に、最高のダンスを見せたいと準備を進めてきました。

      そして9日夜、猪狩さんは両陛下への説明役をつとめました。

      披露したのはキャラバンで被災者の前で踊った演目です。

      ダンスが終わると、両陛下はフラガールたちに歩み寄り、「いろいろなところをまわられて大変だったでしょう」などとねぎらいの言葉をかけられたということです。

      猪狩さんは「両陛下ははじからはじまでダンサーを優しくご覧になっていてとてもじーんときました。短い時間ではありましたが『ありがとうございます』という感謝の思いを伝えられたんじゃないかなと思います。フラガールたちにもよい経験になりましたので引き継いでいってほしいと思います」と話していました。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180609/k10011470711000.html

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    2. 両陛下 最後の全国植樹祭に 福島
      2018年6月10日 5時10分

      福島県を訪問している天皇皇后両陛下は、10日、東日本大震災の被災地、南相馬市で開かれる全国植樹祭の式典に臨まれます。来年4月の天皇陛下の退位を前に、両陛下にとって最後の植樹祭となります。

      両陛下は、福島県への訪問初日の9日、いわき市にある災害公営住宅を訪れ、福島第一原発の事故の影響で周辺の町から避難している住民などと懇談し、励ましやいたわりの言葉をかけられました。

      10日は常磐自動車道を北上して原発周辺の「帰還困難区域」を通り抜け、全国植樹祭の式典が開かれる南相馬市を初めて訪ねられます。

      そして式典に先立ち、震災の津波で亡くなった人たちの慰霊碑に足を運んで犠牲者の霊を慰められます。

      植樹祭の式典会場は沿岸部の海岸防災林の整備地に設けられていて、両陛下は、将来、防災林の一部となるクロマツやアカマツなどの苗木を植えられます。

      また皇居で採取された種から育てられたエノキの苗木が植えられる様子をご覧になります。

      天皇陛下は即位以来、森林の大切さについて人々の理解が深まっていくことを願い、毎年皇后さまと植樹祭の式典に臨まれてきましたが、来年4月の退位を前に今回が最後の出席となります。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180610/k10011470821000.html

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  53. 東北農政局の現役職員7人が便宜供与
    2018/6/14 17:10
    ©一般社団法人共同通信社

     農林水産省東北農政局が発注した東日本大震災後の農地復旧工事入札を巡り、農政局現役職員7人が業者に天下ったOBの働き掛けに応じて便宜を図っていたことが公正取引委員会の調査で14日分かった。公取委は農水省に改善を要求した。
    https://this.kiji.is/379906060879905889

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    1. 入札不正でフジタに排除措置命令
      2018/6/14 17:11
      ©一般社団法人共同通信社

       農林水産省東北農政局発注の農地復旧工事の入札を巡り、天下りした農政局OBを通じて不正に便宜を受けたとして、公正取引委員会は14日、準大手ゼネコン「フジタ」の独禁法違反を認定し、再発防止を求める排除措置命令を出した。
      https://this.kiji.is/379906185509782625

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    2. 東北農政局の7人、OBに便宜
      東日本大震災復旧工事の入札不正
      2018/6/14 17:40
      ©一般社団法人共同通信社

       農林水産省東北農政局(仙台市)が発注した東日本大震災後の農地復旧工事の入札を巡り、農政局の現役職員7人が建設業者に天下りしたOBの働き掛けを受け、便宜を図っていたことが公正取引委員会の調査で14日分かった。公取委は同日、農水省に改善を求めた。

       また公取委は同日、OBを通じ不正に便宜を受けたとして準大手ゼネコン「フジタ」の独禁法違反(取引妨害)を認定し、再発防止に向けた排除措置命令を出した。課徴金の対象となる談合は認定されていない。同社は「厳粛に受け止め、再発防止策の徹底を図る」とのコメントを出した。
      https://this.kiji.is/379913484038800481

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  54. 農地復旧工事の情報漏えい 農水省 職員4人を免職など懲戒処分
    2018年6月22日 12時12分

    東日本大震災の農地復旧工事をめぐり、農林水産省の職員が入札情報を漏らすなどしていた問題で、農林水産省は、関与していた職員1人を免職、3人を停職の懲戒処分としました。

    公正取引委員会は、東日本大震災の農地復旧工事で非公表の入札情報を聞き出しほかの業者の取り引きを妨害したとして、準大手ゼネコンの「フジタ」に排除措置命令を出し、発注元の農林水産省に対しても、東北農政局の職員7人が入札情報を漏らすなどしていたと認定しました。

    これについて、齋藤農林水産大臣は22日の閣議のあとの記者会見で、内部調査の結果、6人の職員の関与が確認できたことを明らかにしました。

    そして、22日付けで、当時の東北農政局の鎌田重孝専門官を免職、3人を停職1か月から6か月の懲戒処分にしたと発表しました。

    このほか、1人については他の省庁が処分を行い、残り1人はすでに退職しているため不処分としました。

    また、「フジタ」に対しても、1か月の指名停止措置をとるとしています。

    関与した職員の一部は見返りに、金券や接待を受けていたということで、齋藤大臣は「極めて遺憾で、国民の皆様に深くおわび申し上げる」と陳謝しました。

    そのうえで、今後、全国の農政局で同じような不正がないか、調査する考えを明らかにしました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180622/k10011490761000.html

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  55. 福島の甲状腺がん集計漏れ11人
    検査の信頼性揺らぐ
    2018/7/7 20:20
    ©一般社団法人共同通信社

     東京電力福島第1原発事故の後、福島県が県内全ての子ども約38万人を対象に実施している甲状腺検査で、集計から漏れていた甲状腺がん患者が11人いることが7日、関係者への取材で分かった。事故当時4歳以下も1人いた。県内で多く見つかっている子どもの甲状腺がんと事故との因果関係を調べる検査の信頼性が揺らいだ格好だ。

     福島市で8日に開かれる県の「県民健康調査」検討委員会の部会で報告される。

     県の検査は2011年度に開始、今年5月から4巡目が始まった。これまでがんと確定したのは162人、疑いは36人に上る。
    https://this.kiji.is/388252809335882849

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    1. 「甲状腺がん」のニュース
      https://www.2nn.jp/word/%E7%94%B2%E7%8A%B6%E8%85%BA%E3%81%8C%E3%82%93

      「甲状腺検査」
      https://www.2nn.jp/search/?q=%E7%94%B2%E7%8A%B6%E8%85%BA+%E6%A4%9C%E6%9F%BB&e=

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  56. 加須避難者、持ち家58%…市調査 =埼玉
    2018年7月31日5時0分

    東日本大震災後 最高

     東京電力福島第一原発事故で、福島県から加須市に避難している住民のうち、持ち家に住んでいる世帯の割合が58・2%と東日本大震災後最高になったことが、5~6月の加須市の調査で分かった。震災から7年以上が経過しても、いまだに古里に戻るメドがたたないことが理由とみられる。

     調査は半年に1回程度行われている。今回は、福島県に住民票を残し、加須市に避難している177世帯(511人、5月1日時点)を対象に、戸別訪問を行うなどして生活の実態や市への要望などを聞き取った。

     今回の調査までに「持ち家に住んでいる」と答えたのは103世帯で、58・2%。昨年12月の前回調査(57・8%)より0・4ポイント増加した。自治会に加入している世帯の割合(124世帯、70・1%)も、前回調査(68・3%)から1・8ポイント上がって7割を超えた。

     同市には、5月1日時点で双葉町147世帯(426人、同居の川内村出身者を含む)、浪江町10世帯(23人)、南相馬市6世帯(18人)、富岡町5世帯(10人)、楢葉町4世帯(11人)、大熊町3世帯(18人)、飯舘村2世帯(5人)が避難している。双葉町は、役場機能を約2年間加須市に移し、現在も町のほぼ全域が帰還困難区域に指定されていることから、世帯数、人数ともに避難者の8割超を占めている。

     加須市の大橋良一市長は「避難者が最後の1人になるまで支援を続ける」と話している。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180731-119-OYTNT50120

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    1. 戻るメドたたず、加須への避難者58%が持ち家
      2018年7月31日12時1分

       東京電力福島第一原発事故で、福島県から埼玉県加須かぞ市に避難している住民のうち、持ち家に住んでいる世帯の割合が58・2%と東日本大震災後最高になったことが、5~6月の加須市の調査で分かった。震災から7年以上が経過しても、いまだに古里に戻るメドがたたないことが理由とみられる。

       調査は半年に1回程度行われている。今回は、福島県に住民票を残し、加須市に避難している177世帯(511人、5月1日時点)を対象に、戸別訪問を行うなどして生活の実態や市への要望などを聞き取った。

       今回の調査までに「持ち家に住んでいる」と答えたのは103世帯で、58・2%。昨年12月の前回調査(57・8%)より0・4ポイント増加した。自治会に加入している世帯の割合(124世帯、70・1%)も、前回調査(68・3%)から1・8ポイント上がって7割を超えた。

       同市には、5月1日時点で双葉町147世帯(426人、同居の川内村出身者を含む)、浪江町10世帯(23人)、南相馬市6世帯(18人)、富岡町5世帯(10人)、楢葉町4世帯(11人)、大熊町3世帯(18人)、飯舘村2世帯(5人)が避難している。双葉町は、役場機能を約2年間加須市に移し、現在も町のほぼ全域が帰還困難区域に指定されていることから、世帯数、人数ともに避難者の8割超を占めている。

       加須市の大橋良一市長は「避難者が最後の1人になるまで支援を続ける」と話している。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180731-118-OYT1T50116

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    2. 忌まわしいと過去とは決別して別の地の住民として生きるほうが賢明。

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  57. 福島第一原発3号機 核燃料つり上げる機器が自動停止
    2018年8月10日 4時33分

    福島第一原子力発電所3号機で計画されている使用済み燃料プールからの核燃料の取り出しに向けて、東京電力は8日、核燃料をつり上げる機器の性能を確認する国の検査を受けていたところ、警報が鳴って機器が自動停止していたことがわかりました。東京電力はことし11月に核燃料の取り出しを開始する計画で、原因の究明を急いでいます。

    福島第一原発3号機の使用済み燃料プールには566体の核燃料があり、東京電力は取り出しに向けて機器の試運転などを続けています。

    こうした中、東京電力は8日午後3時ごろ、「燃料取扱機」と呼ばれるプール内の核燃料をつり上げる機器の性能を確認するため、原子力規制庁の検査を受けていたところ、部品の故障を知らせる警報が鳴り、機器が自動停止したということです。

    実際には故障は確認できなかったものの、警報が鳴った原因がわからないということで検査は受けられず、東京電力は原因の究明を急いでいます。

    核燃料の取り出しに向けてはことし5月、クレーンの制御盤に不具合が見つかり、制御盤の交換が行われています。

    東京電力は核燃料の取り出しを開始する時期について「11月に向けて鋭意努力する」としていますが、原子力規制庁は10日、工程への影響を詳しく確認することにしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180810/k10011571301000.html

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    1. クレーンで不具合、福島第1原発
      3号機原子炉建屋、警報鳴り停止
      2018/8/15 20:11
      ©一般社団法人共同通信社

       東京電力は15日、福島第1原発3号機の原子炉建屋上部の屋根カバー内に設置されたクレーンが、片付けのため資機材をつり上げた際、異常を知らせる警報が鳴り、自動停止する不具合があったと発表した。クレーンは、建屋上部プールに残された使用済み核燃料などの取り出し作業で、輸送容器のつり下ろし用に使う予定。クレーンは5月にも制御盤がショートするトラブルがあったばかり。

       また、同じ建屋上部にある燃料取扱機も今月8日、異常警報が鳴り自動停止している。東電は「原因は調査中だが、11月中に始める燃料搬出作業に向け、復旧を進める」としている。
      https://this.kiji.is/402419782626935905

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  58. 「防護服のよう」福島市設置の人形に批判相次ぐ
    2018年8月14日8時59分

     福島市の教育文化施設「こむこむ」前に市が設置した人形のモニュメント(高さ6・2メートル)に、住民らから批判が相次いでいる。人形が防護服姿のような格好をしていることが主な理由だ。市側は「原発事故の風化を防ぐ」と趣旨を説明するが、「新たな風評被害につながる」との声も少なくない。木幡浩市長は13日、「市民などの意見をよく聞いて取り扱いを検討する」と発表した。

     人形は現代美術家のヤノベケンジさんが制作した作品「サン・チャイルド」。黄色の防護服のような服を着た少年像で、胸元の放射線測定装置は「000」と表示している。

     木幡市長は7月6日の記者会見で、「放射線量ゼロの環境で、防護服のマスクを外した男の子がほほえむものだ。復興・再生する希望をイメージしている」と歓迎した。

     ところが今月3日の除幕式後、市には「福島市が、防護服が必要なほど汚染された地域だったと誤解される」、自然界にはもともと放射線が存在するため「線量ゼロにはならず、現実離れしている」といった批判が、インターネットや電話、メールで多数寄せられた。

     批判を受け、木幡市長は13日、取り扱い方針を発表。ヤノベケンジさんも10日、「衣装は甲冑かっちゅうであり宇宙服のようなイメージ。胸のカウンターは『原子力災害がない世界』という象徴的な意味」とコメントした。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180813-118-OYT1T50068

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    1. 「サン・チャイルド」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89

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    2. 防護服着た子どもの像 誤解招くと批判受け撤去へ 福島
      2018年8月28日 19時55分

      原発事故からの復興への願いを込めて福島市に設置された防護服を着た子どものアート作品をめぐり、「福島市でも防護服が必要だったという誤解を招く」といった批判が寄せられたことから、市は作品を撤去することを決めました。

      撤去が決まったのは、現代美術家のヤノベケンジさんが平成23年に制作した「サン・チャイルド」という現代アートの作品で、防護服を着た子どもがヘルメットを外して立ち、遠くを見つめてほほえんでいる高さ6.2メートルの像です。

      この像は各地で展示されたあと福島市に寄贈され、先月28日から中心市街地にある子育て支援施設「こむこむ館」の前に設置されましたが、「原発事故のあと福島市でも防護服が必要だったという誤解を招く」といった撤去を求める批判的な意見が市に寄せられていました。

      福島市の木幡市長は28日午後、記者会見を開き、像を撤去する考えを明らかにしたうえで「設置の継続を求める声がある一方で、設置に反対する声も多い。賛否が分かれる作品を『復興の象徴』として市民の皆様の前に設置し続けることは困難と判断した」と述べました。

      撤去する時期は未定で、木幡市長は今回の混乱の責任を取って給与の一部を返上することにしています。

      市民の反応は

      像の撤去について、福島市の女子大学生は「SNSで写真を投稿する友達がいてよく目にしていました。像の設置について賛否の意見が寄せられていることをニュースで知り、設置に関してそこまで神経質にならなくてもいいのではないかと感じています」と話していました。

      また、福島県郡山市の子育て中の40代の男性は「この像があることで風評被害が出るのであればいやだと感じます。しかし、設置するにもたくさんお金がかかったと思うので、この短期間での撤去はもったいないとも思います。すぐに撤去という結論には何とも言えません。複雑です」と話していました。

      制作者は

      ヤノベケンジさんは、NHKの取材に対して「不快に思われた福島市民のみなさま、応援してくださった市民のみなさまに改めておわびを申しあげます。大変残念ではありますが、『こむこむ館』前に置き続けることで苦しむ市民の方々がおられるならば、展示を取りやめた方がよいという結論に至りました。また、これ以上、市内外の人々を巻き込み対立が生まれることは避けたいと思いました」というコメントを出しました。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180828/k10011597621000.html

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    3. 惜しい、見る人によって意味の異なる「両義性」をもったものほど稀有な価値があるものを、なぜにこうも「排除」したがるのだろう…

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    4. 「ヤノベケンジ」のニュース
      https://www.2nn.jp/word/%E3%83%A4%E3%83%8E%E3%83%99%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%82%B8

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    5. 福島「少年像」撤去の教訓…公共空間、市民の声反映必要
      2018年10月4日5時0分

       福島市中心部の教育文化施設に同市が設置した現代美術の少年像「サン・チャイルド」が、市民の反発で9月中旬に撤去された。像の姿形が、原発事故の苦しみを思い起こさせるなどの理由からだ。作家、市双方の判断を検証すると、皆の目に触れる公共空間のアート設置について、市民の声を反映する必要性など教訓が浮かび上がる。(文化部 岩城択、森田睦)

       この像は、現代美術家ヤノベケンジさんが2011年、東日本大震災を受けて作った。高さ6・2メートル。黄色いスーツは防護服の意味合いも持つと共に、「巨大な問題を克服するための甲冑かっちゅうや防具」(ヤノベさん)という。ヘルメットを脱ぎ、胸元の線量計が「000」を示す姿は、苦難の克服と、原子力災害のない未来を象徴していると説明する。

       ヤノベさんは12年から継続的に、福島県での芸術祭や展覧会に参加してきた。ヤノベさんによると、その際に関係が出来た団体「ふくしま自然エネルギー基金」に像を寄贈することになり、同基金が受け入れ先を探していたところ、今年になって福島市が手を挙げた。

       その後、市と同基金が設置場所を協議。ヤノベさんも候補地を視察して意見を述べたが、「最終的な判断は福島市にお任せした」とする。結局、JR福島駅近くの施設「こむこむ」館前に置かれたが、8月3日の除幕式後、「防護服が必要なほど汚染された地域だったと誤解される」「新たな風評被害につながる」などの批判が噴出した。

       ヤノベさんは、様々な事情を考慮しなければならない公共空間に像を据えるにしては、「手続きが早すぎると感じていたが、ここまで反発があるとは思っていなかった」と打ち明ける。「地元住民、市民との合意形成の機会がほとんどないまま、屋外の公共空間に常設を前提に設置してしまったことは大変残念に思っています」と述べる。



       一方、福島市の手続きはどうだったのか。計画は当初から、子供にこそ像を見せたいとする木幡こはた浩市長のトップダウンで進んだ。各部署で候補地を考え、5月頃には「こむこむ」館前の設置が決定した。同館が寄贈を受け入れる書類を作り、市長まで各段階の決裁を受けた。

       寺内勝宣かつのり館長によると、被災地の市民を刺激しかねない造形について、内部で設置を問題視したり慎重な手続きを求めたりする声はなかったという。12年の芸術祭で像が福島空港に展示されて好評だったことが念頭にあり、夏休み中の除幕を目指して急いでいた事情もあった。

       7月6日の発表後、目立った批判はなかったが、実際に大きな像が立つと苦情などが殺到。同館が行ったアンケート調査では、回答110件のうち「怖い」「子供の施設に相応ふさわしくない」などの反対が75件。賛成22件の中には「可愛かわいいと思う人が多いと思う」「未来に希望を込めて『000』でもいい」などの意見もあったが、ヤノベさんの意図を広く浸透させた上での展示だったとは言い難い。

       寺内館長は「可愛い姿だと思っていたので、これほど生理的な激しい拒否反応が寄せられるとは思ってもみなかった。住民の声を聴く場を設けるなどの考えが足りず、暫定的な展示テストを行うことや、寄付を募って設置することも考えるべきだった」と話す。像の設置と撤去の費用は約285万円。像は市が保管しているが、今後の取り扱いに苦慮しているという。

      ◇過去には長崎「母子像」の問題

       公共空間に置かれた作品を巡っては、そのメッセージ性などに対する住民感情は様々だ。公共彫像やモニュメントを研究し、『彫刻1』『彫刻の問題』(トポフィル)などの編著がある彫刻家の小田原のどかさんは、「一般的に、美術空間と、嫌でも作品が目に入る公共の場とでは、性格が大きく異なることが認識されず、設置までに住民に向けた議論が全く行われていないのが問題」と指摘する。

       公共彫刻と社会との衝突は、日本のみならず昔から続いているとも話す。長崎市では1990年代、市が原爆落下中心碑を移設して設置しようとした「母子像」が被爆者らの反対を受け、違う場所に建てられた。このため、「公共彫刻の永久設置は、コンペ形式で有識者の審議を経て、設置前に市民の声を反映する場を設けるほか、その過程を透明にすべきだ」と話す。

       また、街中に彫刻が林立するような町づくりは下火になったものの、最近はアニメキャラクターのような分かりやすい造形も目に付くという。「福島でも、アニメっぽい造形が受け入れられやすいと考えたかもしれないが、巨大さゆえに威圧感や拒否感が生じたのでは」と語る。
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20181003-118-OYTPT50406

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  59. 住民の帰還に向け放射線防護ガイドライン作成へ 内閣府
    2018年8月22日 16時28分

    福島第一原子力発電所が立地する福島県双葉町など6つの町と村で、限定的に除染などを行って人が住むことができるようにする「特定復興再生拠点区域」について、内閣府は、住民の帰還に向けた放射線防護のガイドラインを作成することになりました。

    政府は福島第一原発が立地する双葉町など6つの町と村の一部の地域を、除染やインフラ整備を行って人が住むことができるようにする「特定復興再生拠点区域」に認定しています。

    このうち、JR常磐線の沿線にある地域を2020年3月までに先行して解除することを目指していて、22日、原子力規制委員会の定例会で内閣府の担当者が計画を説明しました。

    この中で、住民の帰還に向けた放射線防護のガイドラインを整備することを報告し、規制委員会と協力して作成することになりました。

    ガイドラインには、住民が区域に入る際の被ばく線量を管理する態勢や、不安を感じた場合の相談窓口の整備などを盛り込むということです。

    内閣府は今年11月にかけて現地で放射線を観測したり、汚染の分布状況を調べたりしたうえで、年内にガイドラインの案を作成し、規制委員会の評価を受けることにしています。

    原子力規制委 委員長「個人が受ける線量 追跡する努力重要」

    「特定復興再生拠点区域」への住民の帰還に向けて、内閣府が放射線防護のガイドラインを作成することについて、原子力規制委員会の更田豊志委員長は、「区域の中は線量の状況が一様ではなく、ホットスポットもあるだろうから、個人が受ける線量をきちんと追跡する努力が重要だ。内閣府の支援チームと連絡を取りつつ、段階に合わせた防護策を取っていきたい」と述べました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180822/k10011585911000.html

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  60. 撤去方針のモニタリングポスト 今年度と同規模の維持費要求へ
    2018年8月23日 4時05分

    福島第一原子力発電所の事故を受けて福島県内に設置された放射線量を測定するモニタリングポストについて、原子力規制庁は、今年度から3年かけて一部を除き撤去する方針を示していましたが、維持費として来年度予算案の概算要求に今年度とほぼ同額の6億円を盛り込む方針を決めました。

    これは22日、福島県三春町で開かれた住民説明会で原子力規制庁の武山松次監視情報課長が明らかにしました。

    この中で武山課長は「今年度と同等の規模の予算を継続して要求する」と述べました。

    原発事故のあと、福島県内には学校などを中心に放射線量を測定するモニタリングポストがおよそ3000台設置され、維持費として年間およそ6億円の予算が計上されてきました。

    モニタリングポストについて原子力規制委員会は、今年度から3年かけて、避難指示が出ている自治体などを除き、線量が低くなっている場所の2400台を撤去する方針をことし3月に示しました。
    しかし、住民から反発の声が上がり、これまでのところ撤去は行われていません。

    来年度予算で同じ規模の維持費が確保されれば来年度は、財源面で現在の態勢が維持できることになります。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180823/k10011586681000.html

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    1. >福島県が放射線量を測定するため県内に設置したモニタリングポストの一部で、一時的に異常に高い値が示されていた
      https://koibito2.blogspot.com/2015/04/blog-post_25.html

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    2. 神社の御札、田んぼの案山子のようなもの…

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  61. 原発事故避難 仮設住宅の無償提供原則終了へ 大熊・双葉は継続
    2018年8月27日 15時16分

    原発事故で避難している人たちが入る仮設住宅について、福島県は、これまで行ってきた無償提供を、大熊町と双葉町を除くすべての地域で、原則2020年3月に終了する方針を決めました。

    原発事故で避難している人が入る仮設住宅は、プレハブ造りのものや民間の賃貸住宅の家賃を行政が負担するものなどがあり、ことし4月1日現在で、7348戸に1万4366人が入居しています。

    このうち、川内村、葛尾村、南相馬市、飯舘村、川俣町の避難指示が解除された地域の人たちが利用する仮設住宅については、来年3月での無償提供の終了が決まっています。

    福島県は新たに、富岡町と浪江町の全域が対象の3253戸と、葛尾村と飯舘村の帰還困難区域が対象の45戸について、無償提供を2020年3月に終了する方針を決めました。

    災害公営住宅の整備がほぼ完了し、帰還困難区域からの避難者を含めて、安定した住まいの確保に向けた環境が整備されつつあるためとしています。

    これで、双葉町と大熊町を除くすべての地域で、原則として無償提供が終了することになります。

    これについて福島県の内堀知事は「今後の生活再建の見通しを早い段階から立ててもらうためにも、終了時期を示すことが重要という判断に至った。国や避難元の自治体と連携し、安定した住まいの確保に向けて取り組みたい」と述べました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180827/k10011595641000.html

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    1. 踏ん切りをつけるためには、過去と決別する覚悟と決断が必要…

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    2. これは「満州引き揚げ」に等しい事象…

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  62. 復興関連予算は過去最少に 来年度予算案の概算要求 復興庁
    2018年8月28日 4時24分

    復興庁は来年度予算案の概算要求で、東日本大震災の復興関連予算について1兆5420億円とする方針を固め、この結果、要求額は6年連続の減額で、これまでで最も少なくなりました。

    復興庁は来年度予算案の概算要求で、東日本大震災の復興関連予算について、インフラ整備などが進んでいることなどを踏まえ、今年度の当初予算よりおよそ940億円少ない1兆5420億円とする方針を固めました。

    この中では原発事故の風評被害への対策として、福島産の食品を対象に国際基準に基づいた品質管理などを行うために2億1000万円を新たに計上しました。

    また、原発事故のあと原則として立ち入りが禁止されている福島県内の帰還困難区域で、住民などが居住できる拠点を整備するための費用として1013億円、福島県の農林業の再生に向けた先端的な研究開発事業に1億5000万円を盛り込みました。

    来年度の復興関連予算の概算要求額は6年連続の減額で、これまでで最も少なくなりました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180828/k10011596321000.html

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  63. [原発と福島]弔いのかたち<1>にぎやかなお盆 消えた
    2018年8月28日5時0分

     東京電力福島第一原発事故によって、避難生活が長引く福島では、日々の営みがことごとく滞るようになっている。「原発と福島」第39部は、先祖の供養や肉親の弔いから、原発事故を考えてみる。

     

     その納骨堂は、プレハブの集会場のようにしか見えない。いまも全町避難が続く福島県大熊町の国道沿いに、環境省が設けた。国は、除染作業で出た大量の汚染土を収容するため、放射線量が高い福島第一原発周辺で中間貯蔵施設の建設を進める。広大な建設用地の中には、住宅以外にも、多くの墓地が含まれる。納骨堂は、その仮の移転先だ。

     原発事故は、安らかに眠っていたはずの死者にさえ避難を強いる。

     大熊町小入野地区の旧家の家督を継いだ根本友子(71)はこの夏、夫充春(78)と一緒に、先祖の遺骨をここに運び入れた。母秀子(92)は納骨堂の前まで来たが、「中には入らない。見なくていい」と車の中にとどまった。2か所ある墓から掘り返した先祖は、29年前に71歳で亡くなった父芳友を含め、20人に上る。

             ◇

     2011年3月の原発事故後、3人は同県会津若松市に避難した。その3年後、中間貯蔵施設の住民説明会が始まった。友子は自宅に戻ることをあきらめ、15年には同県いわき市の新居に引っ越した。しかし、墓をどうするのかは決めかねていた。

     長年世話になっている寺が、いわき市の隣の広野町で再建し、墓地も整備していると聞いた。墓参りはしやすくなるだろう。しかし、「死んだ者まで町外に避難させるのか」、充春の言葉にはっとした。

     中間貯蔵施設用地にかかる町内の墓地は約450区画。墓の移転先が決まらない住民のために、環境省が設けたのが納骨堂だ。町は現在、住民の帰還を促すため、除染や環境整備を優先的に進める区域に、町営墓地も造成しており、来年2月に完成する。友子はそれまでの間、納骨堂に預けることにした。ただ、大熊には、平成の初期まで土葬の風習があった。遺骨は掘り起こさないといけない。

     今年7月、静まりかえった共同墓地に、業者の重機の轟音ごうおんが響いた。骨のかけらや周辺の土を、五つの骨壺つぼに納めた。「申し訳ない」。先祖がこの土地で生きた証しまで、根こそぎにした気分がした。

     費用こそ全額、国の負担だが、納骨堂に持ち込むには、改葬許可証などを提出し、誰が葬られていたのかを明確にしないといけなかった。書類の不備を指摘されるたび、やりきれなくなる。こんなこと、望んでやっているのではないのに。

     納骨堂には、コインロッカーのような納骨壇が45個並んでいた。読経は別室の礼拝堂で行われた。環境省職員が骨壺を一つずつ緩衝材で包み、割り当てられた区画に安置した。

     代々の墓を壊してしまった。7年半前の原発事故を恨む気持ちは残る。それでも、壇の扉が閉まった瞬間、友子は、言いようのない安堵あんどを感じている自分に気づく。

             ◇

     根本家のお盆はにぎやかだった。息子や孫、3人いる妹の家族もそろうと、計33人。臼で餅をつき、そばを打ち、お供えのおはぎを作る。あんこ、ごま、枝豆をつぶしたずんだ。手伝いにならない孫たちも加わって、いつも大騒ぎだった。

     あの日から、全員が集まる場所はなくなった。墓参も各自が思い思いにするだけだ。納骨堂の取り決めで、壇の前で線香は上げられず、花やお菓子は持ち帰る。

     友子たちはこのお盆、納骨堂に行かなかった。むろん、遺骨のない墓地にも。墓参をしなかったお盆は生まれて初めてだ。ずっと作り続けたおはぎも、今年は作らなかった。 (敬称略)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180828-118-OYTPT50148

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    1. [原発と福島]弔いのかたち<2>亡き娘のもとへ帰還
      2018年8月29日5時0分

       福島県浪江町の長岡惣一(78)が、まだ早いかと思いながら、地元の共同墓地の一画を買ったのは、20年ほど前だ。「長岡家」と刻んだ中央の墓石の下にはいずれ、自分と妻敏子(72)が入るだろう。右隣に立つ小さな墓石には「吉田紀美恵 享年四十二歳」。長岡姓でもないこの女性は誰だ? 子孫がいぶかしむことがないよう、裏にこう刻んだ。

       「東日本大震災の大津波で犠牲になり、福島第一原子力発電所の事故で捜索できず、浪江町両竹字的場地内の自家用車の中で発見される 父惣一建立」

       惣一と敏子は昨年11月、避難指示の解除を受けて、町に帰還した。この夏、やっと故郷で次女・紀美恵のためのお盆を迎えられた。

              ◇

       紀美恵の誕生日は惣一と同じ。「笑った時の表情が、3姉妹の中で一番似ている」とも言われた。2000年に、双葉町に住む会社員の正志(55)のもとに嫁いでからも、平日はしょっちゅう実家に来て、昼食を食べていった。子供のいない紀美恵は、おいやめいも、よくかわいがってくれた。

       震災の日も、紀美恵は実家にいた。揺れが収まると、「お義母かあさんが心配だ」と、双葉町の海沿いにある家に帰っていった。「じゃあ行ってこ」。惣一はそう言って送り出した。

       義母は無事だったが、紀美恵は行方不明になった。浪江町も、双葉町も、全域に避難指示が出た。捜索は打ち切られ、惣一たちも避難を余儀なくされた。

       遺体が発見されたのは、4月17日。避難先の福島市で連絡を受けた惣一は、相馬市に設けられた遺体安置所で対面した。数多く横たわる遺体の中で、傷も少なく、きれいな肌をしていた。惣一は、あの時、引きとめなかった自分を責めた。

       狭い車の中に1か月も置き去りにしてしまった娘のために、供養だけはちゃんとしてあげたかった。

       しかし、原発事故による混乱で、正志が避難先のいわき市で葬儀を営めたのは9月だった。納骨もままならない。双葉町の墓地は津波で流され、全町避難が続く中、再建のめども立っていなかったのだ。

       「いつまでもこんな状態じゃ、かわいそうだ」。惣一は、自分たちのために買っておいた地元の墓地に紀美恵の墓をと思い立った。骨の一部でも、と申し入れると、正志は、すべて預けますと応じた。不憫ふびんに思う気持ちは同じだった。

       それでも先はまだ長かった。事故の影響が続く中、石材業者も墓石の修理や再建に走り回る状態。惣一たちは、避難する借り上げ住宅のマンションに祭壇をつくり、毎日、手を合わせた。墓地の除染が終わり、墓石の設置と納骨を終えると、14年の夏になっていた。

              ◇

       浪江町の一部で避難指示が解除されてから間もなく1年半。7月末現在、町内で暮らす人は惣一らを含め805人、原発事故前の人口の約5%にとどまる。

       惣一は毎週、そんな町内を防犯パトロールで巡る。紀美恵が発見された住宅地はいま、ただの草むらだ。いずれ復興祈念公園になるというが、帰還も復興もまだまだだと思う。

       それでも、再建した自宅に、紀美恵の位牌いはいと写真を立て、居間から骨を納めた墓地を望むと、「やっと落ち着けた」と惣一は感じる。

       この夏、福島市などに避難する長女ら8人が集まった。紀美恵の墓前で、一緒に手を合わせた。「いつも一緒だからな。俺が墓に入ってからも、ずっと」(敬称略)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180829-118-OYTPT50102

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    2. [原発と福島]弔いのかたち<3>掛け軸 あえて引き取る
      2018年8月30日5時0分

       福島県飯舘村・善仁ぜんにん寺の住職杉岡誠順せいじゅん(42)が避難生活を続ける借り上げ住宅の一室には、60幅ほどの掛け軸が保管されている。村への帰還をあきらめ、自宅を解体した檀家だんかの仏壇にかけられていたものだ。

       本尊の阿弥陀如来あみだにょらいが描かれている。先祖を懇ろに供養しながら、その土地に生きる。掛け軸は、そんな村人を毎日、静かに見つめてきた。

           ◇

       杉岡は東京・世田谷生まれ、東京工業大の大学院で原子核物理の研究に打ち込む青年だった。

       善仁寺は母の実家だ。住職の祖父誠見せいけんは、9人いる孫の中でただ一人の男の子だった杉岡に目をつけ、帰省するたび、後継ぎにならないかと口説き続けた。

       祖父のことも、田舎暮らしも好きだった。小学6年で養子縁組をした。高校2年で京都・西本願寺の試験を受け、僧侶になった。誠見は5年後、83歳で亡くなったが、法事がある時だけ村に通い、研究は続けた。「継ぐのは好きなことをやってからでいい」。それが祖父の遺言だったからだ。

       ただ、次第に自問するようになっていた。檀家とたまに話をして、すぐ研究室に戻る。そんな関係のままでいいのだろうかと。悩んでいた時期、祖父あての檀家の手紙を何通も見つけた。行間に、住職への信頼と敬愛がにじんでいた。

       研究をやめ、村に移住した。25歳。祖父と同じく、村役場で働きながらの住職だ。慌ただしく働く若い住職を、村に100軒ある檀家たちが支えてくれた。毎日が充実していた。

       二足のわらじは、2011年の東京電力福島第一原発事故で、どちらも一変した。

       役場は庁舎ごと福島市に避難し、職員は一丸となって村民の避難生活の支援にかかりきりになった。農政係の杉岡は、村に置き去りになった家畜の引受先を見つける仕事や、避難先で農業や土いじりが再開できるよう土地探しに奔走した。

       寺の本尊や仏具は、福島市に隣接する桑折こおり町の借り上げ住宅に移した。「じいさんが亡くなった」「そろそろ三回忌を」。仕事の合間を縫って、各地に避難する檀家たちを回り続けた。物理学に詳しい住職は頼りにされ、放射線などについて質問されることも多かった。

           ◇

       同じ相談が寄せられるようになったと感じたのは、15年頃だ。帰還をあきらめた檀家たちが、古くから伝わる仏壇を壊し、先祖が代々手を合わせた阿弥陀如来の掛け軸を外す、という現実に直面し始めたのだ。

       檀家たちの後ろめたさが少しでもやわらぐならと、杉岡は、遷仏という儀式を営むことにした。読経し、香をたく。掛け軸は、本尊が抜け出たものとみなされ、焼かれるのが流儀だ。

       しかし、杉岡は、住職として、掛け軸を引き取ることにした。仏壇に戻すこともできないただの紙にすぎない。そんなものを預かる僧侶は、後にも先にもいないかもしれない。それでも、原発事故によって家々が消えても、祖先を供養し続けた村人の思いが形として残る、そんな気がしたのだ。

       けして多くはないが、20軒の檀家が村に戻った。杉岡はこの夏、寺にすみついたシロアリを取り除き、床板を張り替えた。住める状態になるのはまだ先だが、本尊と、あの掛け軸を運び込む時期は、ようやく見えてきた。(敬称略)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180829-118-OYTPT50454

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    3. [原発と福島]弔いのかたち<4>故郷思い念仏踊り
      2018年9月4日5時0分

       福島県の沿岸部一帯で江戸時代から続くじゃんがら念仏踊りは、にぎやかに死者を供養する行事だ。腹に響く激しい太鼓に、軽やかな鉦かねの音を重ねて、浴衣に鉢巻き姿で輪を描くように踊る。

       双葉町は伝承の北限とされ、135世帯が暮らす山田地区には10人の担い手がいた。最年長は20歳から続ける大工菊地安やすし(66)だ。

       毎年8月14日の午後、新盆を迎えた家々を訪ね、仏間や庭先で30分ほどかけて踊る。汗だくの一同を待つのは酒とつまみ。5軒も続けば、足元はおぼつかない。受け取った謝礼は、「飲むことは供養」と、地元の居酒屋などで、その晩のうちに使い果たした。

       酒を浴び、大騒ぎをして死者の魂を慰める。そんな供養の風景も、東京電力福島第一原発事故の後、全町避難の住民とともに山田から消えた。

           ◇

       菊地は、妻(65)や娘(38)ら5人で、同県白河市のアパートに避難した。担い手たちも散り散りになった。夏になっても踊ることはない。じゃんがらも終わりか。菊地はあきらめていた。

       思いがけない話が舞い込んできたのは、その年の秋だ。「じゃんがらを披露してくれないか」。白河市内で震災1年の追悼行事を計画していた関係者が、双葉町での菊地の活動を知って、参加を依頼してきた。

       山形、石川、埼玉、神奈川など各地に避難するメンバーに声をかけた。誰もが乗り気だった。仮の住まいをやっと見つけたばかりのメンバーも。声がかかる日を、心のどこかでみんな待ってくれていたのだ。

       太鼓や鉦は、避難指示が続く故郷の公民館に置きっぱなしになっていた。菊地は喜々と取りに向かった。鉦は10個。明治時代からとされるもの、使い込んで大きな穴が開いた菊地の鉦もちゃんとあった。

       内陸に位置する白河の冬は長い。初めて盆以外に舞うじゃんがらは、地面に雪が残る中での披露になった。避難中の町民から、「ありがとう」と声をかけられた。仲間と久々に飲むその晩の酒は格別だった。

           ◇

       菊地たちには、やるべきことがある。津波で20人の死者・行方不明者を出し、避難に耐えきれず亡くなる人が続出する故郷で、霊を慰めるために踊りを奉納すること。避難生活を続ける双葉町の次の世代に、じゃんがらを伝えていくこと。

       一つ目は昨年3月11日にかなえた。町北部の中浜海岸に仲間が集まった。太平洋に向かって献花し、手を合わせた後、冷たい風を浴びながら踊った。菊地は、あの日に亡くなった親戚や知人たちの無念を思い、一心に鉦をたたき続けた。震災7年の今年3月にも、5人の担い手で供養した。

       この夏、菊地は二つ目に手をつけた。同県いわき市に避難中の町立双葉小・中学校で、用務員として働く縁で、中学1年の総合学習の時間にじゃんがらを教えることになったのだ。

       1年生4人を前に、蒸し暑い体育館で汗をかきながら、鉦のたたき方からしぐさまで、じっくり手ほどきした。菊地はしかし、いつも同じ壁にぶち当たる。

       帰還困難区域になっている山田の、避難指示が解ける見通しは立っていない。新盆の家をにぎやかに回ったあの夏から、もう8年になる。(敬称略)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180904-118-OYTPT50007

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    4. [原発と福島]弔いのかたち<5>母の仏壇 この手で
      2018年9月5日5時0分

       福島県南相馬市の大工、菅野精一(66)はいまも、妻かねよ(64)と仮設住宅暮らしだ。2011年の東京電力福島第一原発事故で、避難指示区域になった同市小高区の自宅は、人が住まないうちに傷みがひどくなり、取り壊した。柱から、備え付けの仏壇まで、自分が手がけた築約40年の自慢の家だった。

       避難指示は2年前、ほぼ全域で解除された。来年には仮設の入居期限を迎える。しかし、自宅再建の準備はまだできていない。仕事に追われたせいだ、と菅野は言う。「大工が、他人に家を建ててもらうわけにいかない。けれど、仕事がひっきりなしで、自分の家に手が回らなかった」

       仮設の部屋には、6年使い続ける観音開きの「棚」がある。実は仕事先でもらったゲタ箱だ。母カツヨらの位牌いはいには、ここで我慢し続けてもらっている。

                ◇

       原発事故後、菅野はカツヨと2人、自宅に残った。2年ほど前から自宅1階のベッドで寝たきりだった。

       3月16日の朝、息がないことに気づいた。前夜は会話を交わした。体はまだ温かかった。消防団時代に習った心肺蘇生を施しても、意識は戻らなかった。救急車を呼ぼうにも、「避難指示区域では……」という反応だった。警察の検視結果は心不全。87歳だった。

       市営の火葬場は、津波の犠牲者が次々と運び込まれていて、順番待ちだった。「すまない、こんなことになって」。腐らせては申し訳ないので、朝と晩に棺おけの蓋を外し、凍らせたペットボトルを取り換え、冷やし続けた。

       火葬できたのは28日。親戚に借りたトラックの荷台に棺おけを載せて、火葬場に向けて人けのない街を走った。避難先から駆けつけた身内ら5人だけのさみしい葬式だった。

       原発事故さえなければ、もっと長生きできたかもしれない。それでも、菅野はいつもこう思う。「事故の混乱に巻き込まれず、ベッドの上で、それも息子のそばで死ねた。幸せな死に方だったんじゃないか」

                ◇

       この夏、小高区の墓の墓誌にやっと、母の名を刻むことができた。石材業者も大工同様、さばききれないほどの仕事を抱えている。

       かつて住民は、火をともした盆提灯ちょうちんを手に、それぞれ暗がりの墓地に向かい、提灯で墓を飾った。故郷に伝わる盆の入りの習わしだったが、いま、墓地のあちこちで揺れる提灯は、どれも火がついていない。

       あれから7年半になる。

       次から次へと仕事が舞い込んだ。仮設住宅の点検や修繕、自宅の再建。どこもかしこも、避難のために、大工の人手を必要としていた。ここ最近は、農家の作業小屋や、地元の集会所などの新築・改修の現場に呼ばれる。暮らしの再建が少しずつ進むのを感じる。

       しかし、小高区に帰還した住民は、原発事故前の3割にも届かない。日が落ちれば、出歩く人はほとんどいない。帰還した人も、昼間のうちに墓参し、提灯を供えていくのだろう。

       菅野もまた、火をともさないまま、提灯を墓に飾り、手を合わせる。朝から畑仕事に精を出した母の姿がまぶたに浮かぶ。家を建て直すときには、立派な備え付けの仏壇を作ってあげなくては。

       顔なじみの老夫婦に声をかけた。「盆の風習もすっかり変わっちまったな」

       提灯は、霊の道しるべだと聞かされたことがある。母の霊は、迷わず故郷に戻ってこられるだろうか。提灯のあかり一つともらない墓地を菅野は見つめた。

      (敬称略、おわり)

      (この連載は、福島支局・松尾彩花、大月美佳、高倉正樹、編集委員・清水美明が担当しました)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20180905-118-OYTPT50077

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  64. もっと地面に縛られない生き方を選択できるようにしておく方策もあろう…

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  65. 原発事故後の子どもの甲状腺がん 医師が無料電話相談
    2018年9月16日 12時14分

    東京電力福島第一原発事故のあと、甲状腺がんと診断された子どもの支援を行っている民間基金が、医師による無料の電話相談を行っていて、就職で福島県外に出た子どもの経済的支援などについて、相談が寄せられています。

    電話相談を行っているのは、民間の基金「3・11甲状腺がん子ども基金」で、16日午前10時から、都内の事務所で4人の医師が相談に応じています。

    原発事故のあと、福島県が事故当時、18歳以下の子どもを対象に行っている甲状腺検査では、3巡目までの検査で202人ががんやがんの疑いと診断されています。

    基金によりますと、震災から7年がたち、就職で親元を離れたあと、がんを再発するケースも出ているということです。

    午前中は、手術のあと、微熱が続いていて不安だという相談のほか、就職で福島県外に出た子どもが検査のために、福島に戻る際、交通費の負担が重いなどの相談が寄せられていました。

    基金の脇ゆうりか事務局長は「進学や就職などで事故当時と環境が変わっている人たちも多い。悩んでいることを気軽に相談してほしい」と話していました。

    基金では、がんと診断された患者に1人当たり10万円の療養費の支援を行っていて、16日の電話相談は、午後4時まで受け付けています。
    電話番号は0120-966-544です。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180916/k10011632361000.html

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  66. 救急医療体制を強化 多目的医療用ヘリを配備 福島 富岡町
    2018年9月22日 8時16分

    福島県富岡町のふたば医療センター附属病院に救急患者や医師などを運ぶ「多目的医療用ヘリ」が配備され、救急医療体制の整備が進むことになります。

    震災ニュースピックアップ

    多目的医療用ヘリは、県の予算年間およそ2億9000万円で運航され、平日の日中は、ふたば医療センター附属病院で待機して、双葉郡で発生した救急患者に対応します。

    専門的な治療にあたる医師を運ぶことも想定していて、福島市の県立医科大学附属病院との間を15分から20分程度で移動できるということです。

    双葉郡では、原発事故のあと重症患者を受け入れる救急病院がすべて休止しましたが、ふたば医療センター附属病院がことし4月に診療を開始し、今回のヘリ導入で、救急医療体制の整備がさらに進むことになります。

    ふたば医療センター附属病院の田勢長一郎院長は「患者の状態によって適切な病院を選定し、早急に搬送できるようになります。地域の救急医療の質が上がると思う」と話していました。

    石巻 雄勝町に「恋する灯台」

    東日本大震災を乗り越えて海を照らし続ける石巻市雄勝町の灯台が、宮城県内で初めて「恋する灯台」に選ばれました。

    「恋する灯台」に認定されたのは、石巻市雄勝町にある大須埼灯台です。

    「恋する灯台」は、日本全国から“ロマンスの聖地”にふさわしい灯台を選ぶもので、景観や形、歴史などを踏まえて40か所の42基が選ばれています。

    大須埼灯台は、昭和24年に建てられた高さおよそ12メートルの灯台で建物の中は公開されていませんが、太平洋を一望できるほかふもとの大須漁港がハート型に見えるなど、美しい景色を眺めることができます。

    「恋する灯台」として認定した日本ロマンチスト協会は、選定の理由について、「震災の苦難を刻みながら立ち続ける姿が見る人の心を温める」としています。

    石巻市では、灯台付近の道路やトイレ、休憩所などを整備して、観光客の増加につなげたいとしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180922/k10011640021000.html

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    1. ヘリをタクシー代わりに使わなきゃいけない過疎地…

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  67. 女川原発1号機 “廃炉も視野に検討” 東北電力社長
    2018年9月27日 18時05分

    宮城県にある女川原子力発電所の1号機について東北電力の原田社長は27日の定例会見で、廃炉も視野に検討を進める考えを初めて明らかにしました。

    女川原発は東日本大震災で1号機から3号機のすべてが想定を超える地震の揺れや津波に襲われ、設備や機器に大きな被害が出て、その後、運転が停止したままで、このうち2号機については、再稼働を目指して原子力規制委員会の審査を受けています。

    27日開かれた定例の記者会見で東北電力の原田宏哉社長は「2号機の審査が進み、どんな安全対策工事が必要か見極めが可能になったことから、1号機については廃炉も選択肢の一つとして具体的な検討を進めるにいたった」と述べ、廃炉も視野に検討を進める考えを初めて明らかにしました。

    東北電力はその理由について、1号機は運転開始から34年がたち、格納容器などの設計が古いことから、2号機で進めている安全対策のノウハウを生かすのが難しいことを上げています。

    一方、3号機は再稼働の申請に向けて準備を進めているとしています。

    福島第一原発の事故のあと、廃炉が決まった原発は合わせて6原発9基で、それぞれ安全対策に多額の費用がかかることなどが廃炉を決めた理由となっています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180927/k10011646771000.html

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  68. 「住民の被ばく線量の基準の考え方示すべき」審議会で意見
    2018年9月28日 17時08分

    福島第一原発の事故のあと、除染の基準になっている1時間当たり0.23マイクロシーベルトという放射線量について、28日に開かれた国の放射線審議会で、委員から、除染で数値がなかなか下がらず、住民の帰還が進まない状況を踏まえ、審議会として基準の考え方を示すべきだという意見が相次ぎました。

    国の放射線審議会は福島第一原発の事故を教訓に、除染や食品に関する被ばくの基準などについて議論していて、28日の会合では、事務局の原子力規制庁が再び原発で事故が起きた場合の放射線から住民を守るための考え方の案を示しました。

    このなかでは、現在、除染は被ばく線量を年間1ミリシーベルト以下になることを長期的な目標に、1時間当たり0.23マイクロシーベルト以上の地域で進められていますが、実際に測定された住民の被ばく線量はこれより低い傾向であることなどを例に、基準が本来意図する目的とはかけ離れて使われているなどと説明されています。

    また、事故直後の緊急時から状況が変化していくことを踏まえ、基準の数値が余裕を持って定められていることを説明する必要があると指摘しています。

    これについて委員からは、0.23マイクロシーベルトという値について被災地に住民の帰還が進まない状況を踏まえ「0.23は、住民にとって安全かどうかの固定観念になっている」とか、「除染をしても線量が下がらないなかで、0.23が大きな問題として残っている」など、審議会として住民の被ばく線量の基準の考え方を示すべきだという意見が相次ぎました。

    審議会では、年内には取りまとめに向けた会合を開きたいとしています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180928/k10011648321000.html

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  69. 東日本大震災 遺体取り違え 7年後判明…岩手の女性 別の遺族に
    2018年10月3日5時0分

     2011年3月11日の東日本大震災直後、犠牲になった岩手県山田町の女性の遺体を、県警が別の遺族に引き渡していたことが遺族らへの取材で分かった。7年後の今春、身元不明遺体のDNA型鑑定などの結果、誤りが判明した。遺体の取り違えはこれまでに岩手、宮城、福島県で少なくとも20件確認されている。

     女性の遺体は、岩手県釜石市に住んでいた80歳代の母親を捜していた長男らが11年3月20日頃、同市の遺体安置所を訪れ、引き渡しを受けた。外見や手術痕で判断し、DNA型鑑定は行われないまま火葬された。

     その後、母親の自宅近くで、同じ名字が記入された服を着た身元不明遺体が見つかっていたことを長男が知り、昨年、県警に連絡。今春、身元不明遺体から火葬前に採取されていた検体を使ってDNA型鑑定などを行い、母親と確認された。当初引き取ったのは山田町の同年代女性と分かり、県警はそれぞれの遺族に謝罪し、今後遺骨を引き渡す。

     誤って引き渡しを受けた長男は「きちんと確認してほしいと警察に言えば良かったが、早く見つけてあげたい一心だった。7年以上待ち続けた相手家族と、身元不明のままだった母に申し訳ない」と悔やんだ。

    尊厳守るため DNA鑑定を

     東日本大震災から7年が過ぎて判明した遺体の取り違えは、科学的な身元確認の重要性を示している。

     震災直後、損傷が激しい遺体もあり、身元確認は難航した。遺体を早く返してほしいという遺族の心情もあり、時間がかかるDNA型鑑定が行われないことも少なくなかった。警察庁の集計では岩手、宮城、福島県で昨年9月までに身元が特定された1万5756人中、88%は身体的特徴や所持品を主な根拠にしていた。

     しかし、年月を経て取り違えが判明すると、大切な人の死を受け入れ始めた遺族は再び苦しむ。他の遺族にも「うちは大丈夫か」という不安が広がりかねない。岩手医大の出羽厚二教授(法医学)は「身元確認は科学的でなければ混乱を招く。死者が多い災害でこそ、DNA型鑑定や歯科所見で確認を行うべきだ」と指摘している。死者の尊厳を守るために徹底が必要だ。(盛岡支局 柿沼衣里)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20181003-118-OYTPT50109

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    1. 「DNA鑑定」という科学風ウソも方便…

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  70. 福島第一原発事故で新たな事実 事故直後の首都圏で高レベルの放射線量が計測されていた
    立岩陽一郎 | 調査報道NPO「ニュースのタネ」(旧iAsia)編集長
    10/9(火) 10:08
    https://news.yahoo.co.jp/byline/tateiwayoichiro/20181009-00099800/

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    1. 東京電力福島第一原発事故から7年半。事故直後からアメリカ政府が日本各地の2万件を上回る地点で放射線量を計測したデータがある。調査報道を専門にするNPO「ニュースのタネ」は、このデータを入手して分析に着手。その結果、事故直後の首都圏で極めて高い放射線量が計測されていたことがわかった。(鈴木祐太、山崎秀夫、立岩陽一郎)

      データは、アメリカ軍とアメリカ・エネルギー省が日本の各地で行った調査の結果を記載したもので、現在も一部はアメリカ政府のウエブサイトに掲載されている。

      そのデータによると、アメリカ政府は、事故発生直後の2011年3月12日から5月11日までの2か月間にわたってのべ22000か所で放射線量の調査を行っている。その場所は福島県や宮城県、茨城県にとどまらず、東京都や神奈川県などの首都圏一帯を含む広い地域だった。

      調査対象は、土壌や大気中の放射性物質に由来する地上での空間線量や放射能濃度の他、航空機を使った浮遊粉じんの放射能濃度や核種分析などだ。

      今回「NPOニュースのタネ」が分析したのは、3月12日から4月1日までについてのガンマ線についての約1万か所の数値だ。

      その結果、政府が、被ばくの許容量としている0.23マイクロシーベルト/時を超える数値を示した場所は、6698件にのぼった。何れも空間の線量だ。

      この0.23マイクロシーベルト/時は、国際放射線防護委員会(ICRP)が推奨している一般人の許容被曝線量である年間1ミリシーベルトを時間あたりに換算したものだ。

      驚かされるのは、こうした許容量を超えた地点に、東京の中心部である東京港区のアメリカ大使館や東京都福生市のアメリカ軍横田基地、神奈川県の厚木基地などが多数含まれていたことだ。

      特に横田基地では、3月14日に、4.9マイクロシーベルト/時の数値を計測していた。上記許容量の実に21倍だ。仮に、この数値を年間で浴び続あけた場合の被ばく量は42.9ミリシーベルトを越える極めて高いものとなる。ちなみに、福島県内で今も立ち入りが禁止されている帰還困難区域は年間20ミリシーベルト以上となっている。

      勿論、これは一時的な数値であり、現在もこれだけ高い放射線量が計測されているということではない。また、この計測後の数日間に雨は観測されておらず、これらの放射線を発する物質が地上に蓄積されたとは考えにくい。アメリカ大使館は勿論だが、極めて高い数値が計測された横田基地でも、今は通常の活動に戻っている。

      ただ、一時的なものでも懸念は残る。

      このデータをダウンロードして保管していた元近畿大学教授の山崎秀夫氏は、次の様に指摘する。

      「懸念されるのは放射性ヨウ素だ。これは子どもの甲状腺がんの原因となる。現在、福島県内では継続して調査が行われているが、このアメリカ政府のデータから考えると、同じ状況が首都圏でも起きていると考えられる。首都圏の子供は検査をしなくて良いとは考えにくい」

      そもそも、日本政府は、このデータの存在を把握しているのだろうか?現在は原子力規制委員会を所管した形となっている環境省に問い合わせると、「事故前は放射能については担当しておらず、そうしたデータの存在は把握していない」ということだった。その際、アメリカ政府からの情報の提供は外務省が窓口になるので、外務省が把握している筈だと指摘を受けた。

      そこで外務省に問い合わせたところ以下の説明だった。

      「当時アメリカ政府より日本側に本件情報の提供があった由ですが,どのようなルートで提供がありどのような取り扱いがされたかについては,現時点では,当(外務)省では確認できませんでした」

      つまり、詳細は不明だが、データについて日本政府に提供されていたということだ。それでは、そのデータはどう扱われたのか?その点も含めて更に取材を続けたい。

      「ニュースのタネ」では、更にこのデータの解析を進めて判明した事実を発信していくとともに、精査したデータの公表を近く行う予定だ。また「ニュースのタネ」のウエブサイトには入手したアメリカ政府の生のデータを載せている。誰でも自由にアクセスして今後の検証に役立てて頂ければと考えている。

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  71. 原発周辺の放射線測定装置 停電でも停止しない対策検討へ
    2018年10月17日 16時53分

    先月、北海道で起きた地震の影響で、泊原子力発電所周辺に設置された道が所有する放射線量を測定する装置モニタリングポストの一部が停止しましたが、原子力規制委員会は、停電になっても自動で起動する非常用の発電機の整備を自治体に促すといった対策を検討することになりました。

    先月6日に起きた北海道胆振東部地震では、大規模な停電の影響で泊原発から30キロ圏内にあるモニタリングポスト11台が停止し、最大で9時間にわたって測定が中断されました。

    17日の原子力規制委員会の会合では、事務局の原子力規制庁の担当者が、停止したモニタリングポストは道が所有するもので非常用の発電機があったものの手動で起動する必要があり、停電のあと、すぐに動かすことができなかったなどと報告しました。

    そして、全国の自治体が設置したすべてのモニタリングポストについて緊急点検を進めており、来月末をめどに対策を取りまとめると説明しました。

    これに対し、委員からは「モニタリングポストの配置は自治体が決めるので、対策の内容は共有してほしい」といった意見が出されました。

    規制委員会は停電になっても自動で起動し、3日間以上稼働し続けることができる非常用の発電機の整備を自治体に促すなどの対策を検討することになりました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181017/k10011674941000.html

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  72. 国連の特別報告者 福島への子どもの帰還見合わせを求める
    2018年10月26日 13時03分

    国連人権理事会が任命した特別報告者が、25日の国連総会で、福島の原発事故を受けた日本政府の避難解除の基準ではリスクがあるとして、子どもたちの帰還を見合わせるよう求めました。これに対して、日本側は、国際的な専門家団体の勧告に基づいていると反論し、日本側との立場の違いが浮き彫りになりました。

    国連の人権理事会が任命したトゥンジャク特別報告者は、25日の国連総会の委員会で、東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、日本政府が避難指示を解除する基準の1つを年間の被ばく量20ミリシーベルト以下にしていることについて「去年、人権理事会が勧告した1ミリシーベルト以下という基準を考慮していない」と批判しました。

    これに対し、日本政府の担当者は、この基準は専門家で作るICRP=国際放射線防護委員会が2007年に出した勧告をもとにしており、避難指示の解除にあたっては国内の専門家と協議して適切に行っているとして、「こうした報告が風評被害などの否定的な影響をもたらすことを懸念する」と反論しました。

    この反論に、トゥンジャク特別報告者は、同じ専門家の勧告で、平常時は年間の被ばく量を1ミリシーベルト以下に設定していると指摘し、これを下回らないかぎりリスクがあるとして、子どもたちや出産年齢にある女性の帰還は見合わせるべきだと主張し、日本側との立場の違いが浮き彫りになりました。

    政府「指摘は誤解に基づいている」

    トゥンジャク特別報告者の批判について、政府の原子力被災者生活支援チームは、「ICRPの勧告では避難などの対策が必要な緊急時の目安として、年間の被ばく量で20ミリシーベルトより大きく100ミリシーベルトまでとしていて、政府は、そのうちもっとも低い20ミリシーベルト以下になることを避難指示解除の基準に用いている。また、除染などによって、長期的には、年間1ミリシーベルトを目指すという方針も示している」と説明しています。

    そのうえで「子どもなどの帰還を見合わせるべき」という指摘については、「子どもたちに限らず、避難指示が解除されても帰還が強制されることはなく、特別報告者の指摘は誤解に基づいていると言わざるをえない」と反論しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181026/k10011686691000.html

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  73. [原発と福島]支える理由<1>「救えた命」今度こそ
    2018年10月30日5時0分

     福島にはいまも、2011年の東京電力福島第一原発事故後に停止したまま、復興どころか、復旧さえままならないシステムがある。医療や介護もそうだ。「原発と福島」第40部は、そんな現場で格闘を続ける看護師や医師たちの記録だ。

              ◇

     福島県双葉町の双葉厚生病院で、津波被災者の救急に追われた翌日、福島第一原発で水素爆発が起きた。看護師の志賀美和(53)は、同じ沿岸部のいわき市に家族6人と避難し、系列の病院で働くようになった。何かが狂い始めた。

     注射の針がうまく刺せない。まるで新米のようだ。いわきの中学に進んだ次男がぐれ出した。たばこ、けんか、補導もされた。

     双葉厚生病院に勤務して20年近く。志賀が手がけた新しい救急体制への移行も間近だった。自分はもう必要とされていない。志賀はうちひしがれていた。

              ◇

     看護師になったのは30年前。結婚を機に、双葉町の夫(55)の家に入り、双葉厚生病院を2か所目の勤務先にした。3人の子の育休は半年も取らず、復帰した。

     原発周辺8町村の双葉郡には、重症の2次救急患者に対応する病院が双葉厚生を含めて四つあるが、心筋梗塞こうそくなどで重篤だと、1時間以上かけて3次救急病院に搬送された。手遅れになる患者も少なくなかった。

     原発事故の1年ほど前、改善案が持ち上がった。隣の大熊町にある県立病院にヘリを常駐させ、救急患者の受け入れを集約するという計画だ。志賀は、県立病院のシステムづくりの担当に抜てきされ、訓練と話し合いを重ねた。「助かる命がきっと増える」。ヘリ導入まで残り3週間を切ったとき、震災が起きた。

              ◇

     すべて水の泡。注射もまともに打てない。せめて次男との時間を増やすため、遠距離通勤の系列病院をやめ、近くに職場を変えた。がんの拠点病院だった。

     患者たちは日常を失い続けていた。食べること。歩くこと。自分も多くのものを失ったからか、以前より患者の気持ちが分かる気がした。ある日、上司が首をかしげた。「どうして患者さんたち、志賀さんにだけ本音打ち明けるのかしら」

     患者に頼られて、志賀はようやく前を向けた。

     16年春、県立の救急病院が富岡町に新設されると知った。郡内の2次救急が全面休止する中、帰還住民らを支える病院になる。片道1時間。「人の戻らない場所にわざわざ行くのか」。夫はため息をついたが、志賀は決めていた。「やり残したことをしに行くの」

     準備に1年かけた「ふたば医療センター付属病院」は今春、開院した。29人の看護スタッフでは足りず、外来を仕切る看護師長の志賀でも、月4~5回の当直がある。外来は1日平均7人弱と多くはない。それでも、点滴台や内視鏡の扱い方まで仲間と相談して決めた。全力で支える体制を今度こそちゃんと作れた。

              ◇

     11年3月。双葉厚生病院の外来ホールには20人以上の住民が横たわっていた。治療の優先順位を決めるタグの色はことごとく黒。死亡または救命困難だった。「大丈夫」と応えてくれたのに、容体が急変した高校生がいた。気管挿管すると大量の泥を吐き出した。

     翌日、原発の建屋から飛散したとみられる粉が降った。志賀らは避難する入院患者に付き添い、後は災害派遣医療チームに託した。しかし、後日、大半が助からなかったと聞かされた。

     志賀があの日の経験を語ることができるようになったのは最近だ。3月11日の勤務を避けなくなったのも。次男も20歳になり、落ち着いた。志賀はいま、苦しみをそのまま受け止める。それは、苦しみが続く福島のためにも必要なことだ。

     バ・バ・バ・バ……。外から爆音が響いてくる。新しい職場ではヘリ搬送も始まった。(敬称略)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20181029-118-OYTPT50455

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    1. [原発と福島]支える理由<2>「医療守る」 覚悟いつか
      2018年10月31日5時0分

       2016年の大みそかだった。外科医の尾崎章彦(33)が勤務する福島県南相馬市の市立総合病院に、老人の遺体が運ばれてきた。81歳。たばこの失火による不慮の死という。警察官が遺体の身元を告げた。尾崎は耳を疑った。あの高野病院(広野町)の院長、高野英男だというのだ。

       東京電力福島第一原発の事故後、広野を含む双葉郡8町村内の病院が相次いで閉鎖される中、地元に踏みとどまったのが高野。「30分の移動も命取りになる」と判断し、自力呼吸できない重症入院患者らと残ることを選んだと聞いていた。

       面識こそなかったが、同じ医師として、ひそかに尊敬していたその老医師がいま、遺体となって目の前にいる。無言でバトンを渡された。尾崎の胸に、そんな思いがこみ上げてきた。患者を守らなければ。

       高野は、高野病院の常勤医でもあった。その病院には約100人の入院患者がいる。「このままでは患者の命が危ぶまれます。皆さんの協力を」。尾崎は同世代の医師仲間と、ボランティアや交通・宿泊費の寄付を募った。3日で20人ほどの医師が名乗り出て、全国から約890万円を集めた。尾崎も病院に泊まり込み、新しい常勤医がやって来るまでの1か月間、仲間たちと患者を支え続けた。

                ◇

       東日本大震災の当日は、千葉県旭市の病院にいた。外科医を目指す研修医だった。津波にのまれた人が続々と運び込まれてくるのに、まるで戦力にならなかった。苦い記憶だけが残る。

       6年前、会津若松市の病院を新たな研修先に選んだ。ただ、被災地に行く、と決めただけのこと。医師の少ない地方なら多くの手術経験が積める。そんな皮算用もあった。

       2年半の研修を終え、南相馬の市立総合病院に移った。乳腺外科の担当として診察や治療、手術をこなすうち、目指すものが見えなくなっている気がした。

       そろそろ帰る潮時かもしれない。関東で職場探しを始めたころ、大学時代の恩師(50)と再会した。「そんな中途半端な気持ちでは、どこに行っても通用せんぞ」。高野の遺体と巡りあったのは、厳しく一喝された後だった。

                ◇

       尾崎は今年1月、勤務先を、同じ南相馬市にある大町病院に変えた。この病院では昨夏以降、常勤の内科医2人が立て続けに退職。SOSを聞きつけた尾崎らが代役を探したが、見つからなかったからだ。

       短期間で関係が終わることの多い外科とは違う。患者の言葉をじっくり聞き、その人の暮らしを考える。家族構成を尋ね、「みんな津波で死にました」と打ち明けられることもあった。内科では手術経験の機会が減るぞ。そんな同僚の警告も、もう気にならない。

       ただ、自問することがある。もし高野院長の立場だったら、自分はどうしたかと。自分の決断が、看護師や技師らスタッフを危険にさらすかもしれない。引きとめる勇気はあるか。尾崎は答えを出せずにいる。

       この夏、勤務先がまた変わった。尾崎の存在を知ったいわき市の常磐病院から、外科医が足りない、と声をかけられた。引っ越し続きだが、妻(29)も理解してくれた。大町病院の内科はやめていない。週1回引き受け、片道1時間半かけて通っている。

       あの自問の答えは、いずれ見つかるかもしれない。この福島で、逃げずに、長くやっていくうちに。(敬称略)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20181030-118-OYTPT50480

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    2. [原発と福島]支える理由<3>父の医院 再興へタッグ
      2018年11月1日5時0分

       空き地が目立つ福島県南相馬市小高区のJR小高駅近くにこの夏、1軒の歯科医院が開業した。2011年3月の東京電力福島第一原発事故後、5軒が休業に追い込まれた小高にようやく来た、待望の歯医者だ。

       その「今村歯科・矯正歯科医院」の院長、今村隆一(63)は、日本大学松戸歯学部(千葉)の元教授。歯並びやかみ合わせを治す矯正のプロだ。原発事故後に亡くなった父の医院を再興させるため、昨年3月、定年まで4年ほど残してポストをなげうった。

       今村を支える強力な助っ人がいる。大学の先輩の磯部誠一(68)。福島のために一肌脱ごうと、神奈川県・江の島の医院を畳んで、小高に単身乗り込んできた。

           ◇

       今村の父隆馬が心臓病を悪化させ、休診したのは原発事故の半月前だ。事故が起き、入院先から避難した。「小高に戻りたい」とこぼしては、入れ歯を作る手つきをして見せた。診察を再開することなく、14年1月、今村の自宅がある東京都内の老人ホームで亡くなった。91歳だった。

       「痛むのに放っておいて、今更わめくんじゃない」。南方戦線から復員し、1952年に開業した隆馬は、平気で患者を叱り飛ばす医者だったが、腕は確か。多くの住民に慕われていた。夜も技工室にこもり、入れ歯を作って、直す。今村はそんな背中を見て育った。

       日大に進み、大学院で歯科矯正を専門的に学んだ。30歳で歯科衛生士の共子(60)と結婚した。その共子を連れ、月に1度は小高に通い、隆馬の診療を手伝うようになった。まだ矯正歯科が珍しい時代で、子供のいる家庭に喜ばれた。「仕事をとられた」。そう言って笑う父の顔を、今村はいまもよく覚えている。

           ◇

       県の職員から電話がかかってきたのは、父が他界した数か月後だった。「こっちに来てくれませんか」。小高は、避難指示の解除を控えていた。医療機関の再開が復興に欠かせない、と職員は訴えた。

       無理だろう。それが本音だった。故郷の苦悩も、晩年の父の無念もわかる。しかし、日大松戸歯学部の教官を務めるとはいっても、自分は矯正部門の診療教授。高齢化が進む故郷の役に立てない。そう思った。

       そんなときに飲んだ相手が磯部。東京・新橋の居酒屋で、電話の内容を語って聞かせた。思わぬ言葉が磯部の口から出てきた。「では僕が一般診療をやるか」

       2人のベテラン歯科医が動き出した。今村は、2人の息子の自立を見届けると、17年3月、35年勤めた大学を去り、小高の実家に戻った。磯部も自分の医院を閉じて、南相馬に住民票を移し、アパート暮らしを始めた。「歯科医の総仕上げとして、福島の人たちのために働くのもいいと思った」と磯部は言う。

       新医院のメンバーは今村、磯部、共子、事務員の4人。「まだお煎餅やたくあんを食べたい」「乳歯が抜ける前に永久歯が出てきて」。お年寄りも若い母親もやって来る。避難生活の間に歯茎がやせ、顎の筋肉がこわばり、かみ合わせが悪くなった人が目立つ。入れ歯を作れずにいたという人も。

       避難指示の大半が解除されて2年余。小高に帰還した人は、原発事故前の人口の2割にあたる3000人ほど。3か月間に診た延べ約400人という患者数には重みがある。

       医院を建てた借地は30年契約だ。全うできたら、父が引退を余儀なくされた88歳を超えることになる。小高は、どんな街になっているのだろう。

      (敬称略)

      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20181031-118-OYTPT50492

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    3. [原発と福島]支える理由<4>仲間と老いる 幸せ
      2018年11月6日5時0分

       福島県南相馬市の集会所に、近隣のお年寄り20人が集まってきた。月1回開かれる地域サロン。全員が80歳以上だ。世間話に花が咲くあちこちを回り、お茶をつぎながら声をかけるのが荒ヒサエ(77)。物忘れが多いとこぼす女性には、「私もそう。年相応よ」。庭の草むしりが楽しくてと耳にすれば、真顔で「無理しちゃだめ」とクギを刺す。このサロンをつくるきっかけは、親しかった近所の女性(93)の自殺だ。東京電力福島第一原発事故の3か月後、2011年6月のことだった。

       当時、緊急時避難準備区域になった荒の住む一帯では、避難をめぐって住民の判断がわかれていた。荒は夫(82)と息子夫婦と残った。女性は息子夫婦と2人の孫と同居していたが、事故後ばらばらになり、隣の相馬市に身を寄せていた。

       しばらくして、「帰ってきたわ」と荒に電話があった。住み慣れた家に戻りたいと、一人で自宅に戻ってきたのだという。荒はたまに家を訪ね、話を聞いたり、作ったおかずをお裾分けしたりした。

       <お墓に避難します>。突然だった。遺書には、世話になった荒への感謝の言葉もあった。もっと力になれたはず。自分を責めた。荒が呼びかけ、翌年5月、地域サロンが始まった。

              

       荒は、全国組織「認知症の人と家族の会」(公益社団法人)の地区代表も務める。70代後半から認知症が進んだ義父母を介護した経験がある。

       ふだんは足がおぼつかない父が突然、何キロもすたすたと歩いていく。そのたびに車で追いかけた。「あっちに出かけたぞ」と近所の人たちが知らせてくれるのが、ありがたかった。1995年に父を、その4年後に母をみとった。

       誰もが義父母のようになりうる。周囲から隠すのではなく、支え合って見守る地域をつくりたい。東京に通って研修を受け、62歳で行政の介護相談員になった。そんな荒に12年前、家族の会から「地区組織をつくってほしい」と声がかかった。

       家族の会では、定期的に相談会を開き、悩みを打ち明け合う。「大変なのは、うちだけじゃない」。認知症の親を介護する嫁の険しかった顔が、みるみる穏やかになっていく。

       しかし、原発事故を境に、兆候もなかったのに認知症になる人や、症状を悪化させる人が増えた。県外に避難した家族からの電話相談も殺到した。「親が認知症になって、避難先の町を徘徊はいかいしている」「福島に一人で帰りたいと言っている」……。連絡先は荒の自宅だ。長い場合は90分にも及ぶ相談に耳を傾け、荒は思う。

       福島ではかつて、3世代が当たり前のように同居し、近所に茶飲み友達がいた。畑仕事を楽しむこともできた。認知症の高齢者を支えてきた家族と地域が、原発事故で壊れ、問題が噴き出しているのだと。

              

       だから荒はいま、原発事故に揺さぶられたこの小さな地域のサロンに、喜びを見いだしている。

       サロンを手伝う主婦は全員がボランティア。毎回、提供する食事を作り、参加者の送迎を買って出てくれる。感謝の言葉をかけたら、こんな言葉が返ってきたことがある。「わたしたちも行く道だからね」

       いつかは自分の番がくる。仲間と声をかけ合い、なじみの土地で老い、命を終える。それを幸せと呼ぶ人がいるなら、このサロンには意味がある。(敬称略)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20181106-118-OYTPT50089

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    4. [原発と福島]支える理由<5>命預かる介護 一歩ずつ
      2018年11月7日5時0分

       特別養護老人ホーム「リリー園」(福島県楢葉町)の介護職員・河原明日香(19)は、カフェテリアの長椅子で目が覚めた。午前2時半。ほんの少し、疲れを取るつもりで目を閉じたのがいけなかった。夜勤の見回りの時間を30分も過ぎている。働き始めて3か月がたった今年7月のことだ。

       「来なかったわね」

       「寝ていました」

       指導役の先輩職員(38)に初めてきつく叱られた。「命を預かっていることに責任を持ちなさい」

       生まれ育った楢葉で働き、感謝される喜びを日々かみしめていた。しかし、介護の現場では、小さな気の緩みが命にかかわるということがまだ身にしみていなかった。リリー園の入居者は平均86歳。体調が急変する人もいるのだ。なんて未熟なんだろう。明日香はその場で泣き続けた。

           ◇

       お菓子作りが好きで、パティシエになるのが夢。そんな小学5年生の女の子には、どうして家にいてはだめなのか、理由がよくのみ込めなかった。2011年3月の東京電力福島第一原発事故。楢葉町のほぼ全域に避難指示が出た。父(52)と母(53)、妹弟の5人で内陸部の会津地方に避難した。

       12年春、楢葉に近いいわき市の仮設住宅に引っ越し、同市で授業を再開した楢葉中の1年生になった。その2年後、そろそろ受験する高校を決めなければならない時期、母の目に腫瘍が見つかった。

       さいわい腫瘍は良性だったが、手術後、視力が落ちた。それでも母は台所に立った。包丁で大けがしないかとはらはらした。父は仕事の都合で単身赴任していて、家にいない。見かねた明日香は、家事を手伝うようになった。

       「ありがとう」と言われた。ぶっきらぼうに「別に」と返してから、人を支え、その人に感謝されるのは、くすぐったくて気持ちがいいことだと気づいた。

       明日香は進路を決めた。県立ふたば未来学園高校。福島の復興を担う人材育成を目標に、広野町に新設されるという。コースは四つある。明日香が選択したのは、もちろん「福祉」だ。

       3年生になった17年の夏、リリー園を見学した。原発事故で休止に追い込まれたが、15年9月に町の避難指示が解除されたことを受け、翌春から再開していた。ただ、人手は足りず、90人分のベッドは半分しか埋まっていなかった。

       明日香たちは、弟の進学に合わせて楢葉町に帰還していた。明日香が地元の子と知ると、施設長の目の色が変わった。「ぜひ、うちで働いて」。きびきびと動き回る園の職員たちがまぶしかった。

           ◇

       仕事は、ちょっとしたことの積み重ねだ。たとえばトイレの排せつ介助。終わってズボンを上げるのを手伝う際、離れていると転ぶ危険がある。自分の膝を相手の膝の裏にあてがうように密着して支えると安定する――。介護のコツや気づきをびっしり書き留めたメモ帳は、もう2冊目。10分かかったおむつ交換も、5分でできるようになった。

       「あんた、いい子だねえ」。そんな言葉をかけられるたび、明日香は思う。国家資格の介護福祉士になる前に、まずは、入居者全員から「河原さん」と呼ばれるようにならないと。

       うまくいかず、もどかしい時もある。でも、あの日以来、涙は流していない。(敬称略、おわり)

      (この連載は、福島支局・石沢達洋、松尾彩花、大月美佳、服部牧夫、高倉正樹、編集委員・清水美明が担当しました)
      http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20181106-118-OYTPT50443

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  74. [大震災 再生の歩み]2018年11月
    2018年11月11日5時0分

     東日本大震災の集団移転で、人が住まなくなった沿岸部の風景が様変わりしつつある。いち早く内陸部への移転事業に乗り出した宮城県岩沼市では、人々が暮らし、多くの住民が亡くなった場所が、公園や農地、産業用地などに生まれ変わる。

     

    被災の浜 芽吹く産業
     岩沼市の沿岸部は全長約10キロ。6集落に約1800人が暮らしていたが、津波で111人が命を落とした。海岸から約4キロの内陸まで浸水し、被害が大きかった1057ヘクタールは災害危険区域に指定された。

     6集落の跡地には公園が造られ、円すい形の「避難丘」14基が点在する。この丘を全て、3メートルかさ上げした散策路で結ぶ計画だ。いざという時、津波から逃げるためで、市はベルト状の公園全体を「千年希望の丘」と名付けた。

     北端にある相野釜公園(約14ヘクタール)には慰霊碑が立ち、震災前の集落を描いたイラストも添えられている。その相野釜集落で生まれ育った中川勝義さん(80)は園内を歩きながら「この辺りに住んでいたんだよ」と懐かしむ。実家があった場所には、津波被害を伝える施設「交流センター」が整備された。

     相野釜では136世帯417人のうち、39人が亡くなった。住民の多くは海岸から約3キロの内陸に集団移転し、中川さんはその取りまとめ役となった。「楽しい思い出も、つらい記憶もつまった場所。新しい公園に人々が集まり、震災について学んでもらう場になってくれれば」と話す。

     相野釜の南西に広がる土地は震災前、主に農地として使われていた。今は南北約1キロ、東西約400メートルの敷地に太陽光発電所「いわぬま臨空メガソーラー」のパネルが並ぶ。大手商社「丸紅」の出資で2015年春から稼働。市内の半数超の約9200世帯分に相当する電力を生み出し、市には法人事業税などが入る。

     メガソーラーの隣も産業用地に変わった。仙台市まで車で30分という好立地を背景に事業所の建設が進む。仙台から移転した農業用品卸売会社の千葉久義社長(64)は「地価が安く、福島県北部への輸送にも適している」と語る。

     岩沼市南部にある蒲崎集落の跡地を活用した農地約1・5ヘクタールでは今年、地元の農業法人がソバの試験栽培を始めた。もともと宅地が混在していた上、土を入れ替えたため稲や大豆などは育ちにくい可能性がある。代表の八巻文彦さん(49)は「ソバなら厳しい土壌でも育つ。後ろは向かずに、一歩でも二歩でも進まなければ」と力を込める。

     岩沼市にとって今後の課題は、多くの人たちに沿岸部へ足を運んでもらうことだ。マラソンコースを設けるなど、スポーツやレジャーを軸にした活性化策を打ち出す。市復興創生課の大友康弘課長は「人は住めなくなったが、集落があった時のようなにぎわいを取り戻したい」としている。

     

    用地点在 活用に苦心…大船渡
     岩沼市は震災の8か月後に住民から合意を取り付け、2012年8月に集団移転先の造成を開始した。平野部のため跡地の活用計画も早く決まり、「復興のトップランナー」と言われる。一方、他の被災地では住民の意見が分かれたり、十分な土地を確保できなかったりして、苦心するケースも多い。

     岩手県大船渡市は、入り組んだリアス式海岸の湾奥部が津波被害を受けた。市は点在する26地区の計約770ヘクタールを災害危険区域に指定。住民から買い取った12地区の24・6ヘクタールで公園整備や企業誘致などを進めているが、利用が決まったのは4割にとどまる。市は「事業者のニーズを聞きながら道路や上下水道を整備し、活用を促したい」とする。

     そんな中、同市三陸町越喜来おきらいの浦浜地区(3・6ヘクタール)の事業には、市内のイチゴ農家太田祐樹さん(41)が手を挙げた。約1ヘクタールを買い取り、来春から農業用ハウスを建て、年2回収穫できるイチゴの栽培を始める予定だ。

     太田さんは大学院で、果実を肥大化させる植物ホルモンについて研究した。震災後、県農業研究センターの任期付き研究員となり、イチゴの栽培技術の開発にあたった。「新しい事業を始めることで、少しでも地域を盛り上げる力になりたい」と話す。

     

    [備える…3.11の教訓]液状化予測 古地図でも
     今年9月に発生した最大震度7の北海道地震。震源から約50キロ離れた札幌市清田区で、普段は固そうに見えていた地盤が液体状となって多数の家が傾く被害が出た。地盤の「液状化」と呼ばれる現象で、2011年の東日本大震災では、宮城県沖の震源から遠く離れた東京湾沿岸の埋め立て地でも被害が生じた。

     普段は砂粒同士がくっついて地盤を支えているが、地震で強く揺さぶられると砂粒はバラバラとなり地下水の中で浮いた状態となる。これが地盤の液状化で、建物が傾いたり、下水道のマンホールが浮き上がったりする。

     液状化の恐れのある場所は、河川沿いの低地や、海岸や河口付近、埋め立て地などで、地下水の水位が浅いほど起こりやすい。震度5以上の強い揺れに長く揺さぶられると、被害は大きくなる傾向がある。

     対策の第一歩は、自宅の敷地が液状化する恐れがあるかどうかを調べることだ。住んでいる自治体が液状化のハザードマップ(災害予測地図)を作っていれば、確認する。古地図を見れば、埋め立て地かどうかなど、土地の歴史を知ることもできる。液状化の可能性が高ければ、地盤や建築の専門家に相談して備えたい。 (編集委員 吉田昌史)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20181110-118-OYTPT50311/

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  75. 原発事故発生1か月で「感情的」ツイートに勢い
    2018年11月18日11時18分

     東京電力福島第一原発事故後に発信されたツイッターの発信内容について、事故約1か月後には「事実」を伝える発信が弱まり、「感情的」な発言が勢いを増していったことが、相馬中央病院(福島県相馬市)などの医師らの研究で分かった。分析結果は、災害時の情報伝達のあり方を考える手がかりになると期待される。研究成果をまとめた論文が、米科学誌「プロスワン」(電子版)に掲載された。

     同病院の坪倉正治特任副院長らは、原発事故の前後となる2011年3月2日から同9月15日の間、世界中で交わされたツイッターの発信約2400万件を分析した。ツイッターには「ツイート(つぶやき)」と「リツイート(他人のつぶやきの転載)」という主に二つの発信方法がある。今回はリツイートに着目し、「被曝ひばく」「セシウム」などのキーワードを含むデータを分析対象とした。

     その結果、リツイート数全体の約3割は、わずか100の人やグループの発信を元になされていた。このうち17年6月時点でツイートが取得でき、発信内容の分類が可能なのは94人だった。94人は発信内容に応じて、「事実や科学的内容が多い人やグループ」(14人)、「感情的表現や政府や東電への批判が多い人やグループ」(67人)、「メディア・ジャーナリスト」(13人)に3分類できた。

     事故直後は「事実」と「感情」のリツイートはおおむね同じ数だった。ところが1か月後には「感情」が過半数となり、その後約半年間大きな変化はなかった。

     リツイート数が上位20番以内に入った発信者数は11年3月に「事実」6人、「感情」8人だったが、同年9月には4人、11人と大きな差となった。約半年を通してのリツイート数の割合は、「事実」26%、「感情」61%、「メディア」13%だった。

     その原因を分析したところ、「感情」のグループ間では相互のリツイートが多い一方、「事実」の方はお互いにリツイートしあうことが少なかった。坪倉さんは「『感情』グループは同じグループ内でリツイートを繰り返す。別の意見が入りにくく、考えが硬直化しやすいので注意が必要だ。一方、『事実』グループは相互の協力ができなかった」と話している。

     「事実や科学的内容が多い」の一人とされた早野龍五・東大名誉教授(原子核物理)は、「リツイートは感情的、自動的にクリックすることが多いのだろう。他方、『事実』グループは他人の発言をリツイートせず、元の情報を探して自分で発言する傾向がある」と分析。その上で「SNSの世界では、論理が感情に勝つことは難しい」として、「様々なメディアを活用することが大事だ」と呼びかけている。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20181118-118-OYT1T50042

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  76. 放射線量測定のモニタリングポスト 約140基で災害備え不十分
    2018年11月29日 22時35分

    原子力発電所などで事故が起きた際に放射線量を測定する装置、モニタリングポストについて、全国およそ140基が、停電になると3日間以上稼働できないなど、災害への備えが不十分だったことが国の調査でわかりました。

    ことし9月に起きた北海道胆振東部地震にともなう大規模停電では、泊原子力発電所周辺のモニタリングポストの一部が停止したことなどから、国は24の道府県が設置した、およそ1600基のモニタリングポストを調査しました。

    その結果、13の道府県にあるモニタリングポスト、およそ140基が、停電になると起動する非常用発電機が3日間以上稼働できないことがわかりました。

    さらに、20の道府県にあるモニタリングポスト、およそ860基は測定したデータを送信する手段が多重化されていなかったということで、災害への備えが不十分だったということです。

    モニタリングポストをめぐっては、原子力規制委員会が先月、非常用発電機の整備や通信機能を複数に増やすなどの対策を取るよう自治体に促すことを決めています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181129/k10011728711000.html

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    1. どのぐらい正確に測定できるのかも疑わしいものだな…

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  77. 福島第一原発 HPで公開の放射性物質濃度データに誤り
    2018年11月30日 0時16分

    福島第一原子力発電所の敷地などで測定し、ホームページで公開している放射性物質の濃度に関するデータについて、東京電力は29日、一部に誤りがあったと発表しました。東京電力では、先月も国の有識者会議に提出された資料で、1200か所余りのデータに誤りがあったと発表していて、ほかにも誤りがないか点検することにしています。

    誤りが見つかったのは、東京電力が福島第一原発の敷地などで測定し、ホームページで公開している放射性物質の濃度に関する平成27年8月からよくとし3月までのデータの一部で、正しくは検出限界の値を下回っていましたが、そのことを示す記号がなく、検出限界の値がそのまま記されていたということです。

    具体的には、原発から出る汚染水から放射性物質を取り除く設備を通る前とあとの水に含まれる放射性物質の濃度のデータ62か所で、このうち18か所については、先月に開かれたトリチウムなどを含む水の取り扱いを検討する国の有識者会議に提出されていました。

    原因はシステムの不具合だということです。東京電力はほかにも誤りがないか点検することにしています。

    東京電力では、先月も有識者会議で提出された資料に、別の原因で1200か所余りのデータに誤りがあったと発表していて、福島第一廃炉推進カンパニーの小野明代表は「放射性物質の種類が違うとか、過小評価はないが、データはコミュニケーションの原点なので、誠に申し訳ない」と話しています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181130/k10011728751000.html

    https://koibito2.blogspot.com/2018/03/blog-post_23.html?showComment=1543666997841#c5551601265327667679

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  78. 福島第一原発事故 国会事故調の提言実現に向け実施計画を
    2018年12月7日 18時19分

    東京電力福島第一原発事故の調査を行った国会の事故調査委員会の元委員長らが衆議院の特別委員会に招かれ、元委員長らは、事故調査の継続などを求めた国会事故調の提言の実現に向け、実施計画を策定するよう求めました。

    衆議院の原子力問題調査特別委員会は、国会の事故調査委員会の提言に基づき設置された委員会で7日は、国会事故調の黒川清元委員長など専門家4人が参考人として招かれました。

    国会事故調は報告書の中で、電力会社の監査体制の整備や原子力規制を見直していく仕組みの構築、それに事故の調査を継続する第三者機関を設置することなどを国会に提言し、実施計画を作って進捗(しんちょく)状況を公表するよう求めていますが、具体的な議論は全く進んでいません。

    黒川元委員長は「調査報告書をまとめて6年がたつが、将来を見据え、国会がどういう方向を向いて、何を打ち出すか世界中が見ている」と述べ、提言が守られていないことに苦言を呈しました。

    また、参考人の1人で、事故調の事務局を務めた石橋哲さんは「報告書では、事故の根本的な原因は、自己正当化や責任回避を優先する組織的、制度的な問題であり、これを解決しなければ再発防止は不可能だとしている」と述べ、そのための実施計画を策定するよう強く求めました。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181207/k10011738841000.html

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  79. 個人線量データを同意得ず研究者に提供 福島 伊達
    2018年12月14日 13時00分

    原発事故のあと、福島県伊達市が住民に線量計を配って測定した被ばく線量のデータ、少なくとも2万7000人分を、本人の同意を得ず研究者に提供していたことが分かりました。

    伊達市によりますと、市は原発事故のあと「ガラスバッジ」と呼ばれる線量計を住民に配って個人の被ばく線量を測定し、データの分析を福島県立医科大学の研究者に依頼していました。

    その際、データの提供は事前に同意を得た人を対象にするとしていましたが、平成24年の7月から9月の調査では、測定に参加した5万8000人余りの全員のデータが提供され、この中に同意しなかった97人と同意書が提出されていない2万7233人が含まれていたということです。

    発表された論文を読んだ専門家や住民から「詳細な個人情報がなければ分析できない内容だ」という指摘を受けて市が調べたところ、同意を得ていないデータがあることがわかったということです。

    伊達市は、別の時期に行った調査の提供データについても同意を得たか確認していますが、同意書を配っていない時期があるほか、名前や住所などの個人情報も提供していた可能性があるということです。

    市は当時の担当者から聞き取りをするなど、詳しい経緯を調べています。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181214/k10011747051000.html

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    1. 住民の被曝線量情報2万7千人分、市が無断提供
      2018年12月16日 17時22分

       福島県伊達市は福島第一原発事故後に収集した住民の被曝ひばく線量データ約2万7000人分を、住民に無断で県立医大の研究者に提供していた。

       市によると、市は2011年8月から、希望者に線量計「ガラスバッジ」を配布。12年7月~13年6月には全住民に配り、3か月ごとに回収してデータを集計した。その際、市は研究者への情報提供の可否について、各住民に「同意書」の提出を求めていた。

       しかし、市は12年7~9月の計測データについて、「同意しない」と回答した97人と、同意書を提出しなかった2万7233人を含む全参加者5万8000人のデータを同大の研究者に提供していた。住民の名前や住所などの個人情報も含まれていた可能性があるという。

       市は別の時期の計測データについても、住民の同意があったか調べている。
      https://www.yomiuri.co.jp/national/20181215-OYT1T50025.html

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    2. 個人被ばく線量論文、同意ないデータ使用か 東大が予備調査
      12/27(木) 21:48配信 毎日新聞

       東京電力福島第1原発事故後に測定された福島県伊達市の住民の個人被ばく線量のデータを基に、早野龍五・東京大名誉教授らが英科学誌に発表した2本の論文について、東大は27日、「本人の同意のないデータが使われている」などとする住民からの申し立てを受けて予備調査を始めたことを明らかにした。

       個人線量は、同市が2011~15年ごろ、「ガラスバッジ」と呼ばれる線量計を住民に配布して測定。論文では、市の人口の約9割にあたる約5万9000人分のデータを解析し、生涯にわたる被ばく量の予測などをしている。同市は約2万7000人分について本人の同意のないまま研究者に提供したとして、経緯を調べている。

       申立書では、論文の著者の一人が所属する福島県立医大の倫理委員会に研究計画書の承認申請を行う前の15年9月に早野氏が解析結果を公表していることも国の医学系研究の倫理指針に違反していると指摘。また、図の一部に不自然な点があり、「線量を過小評価するための捏造(ねつぞう)が疑われる」としている。

       早野氏は毎日新聞の取材に「適切なデータを伊達市から受け取ったという認識で対応していた」とメールで回答。「計算ミスがあり、線量を3分の1に過小評価していた」として出版社に修正を要請したという。【須田桃子】
      https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181227-00000098-mai-sctch

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  80. 原発被曝線量 計算に誤り…福島第一事故 東大名誉教授論文
    2018年12月30日5時0分

     東京電力福島第一原子力発電所の事故による周辺住民の被曝ひばく線量を分析した学術論文の計算式に誤りがあり、著者の早野龍五・東京大名誉教授が11月、出版社に修正を打診したことがわかった。この論文については専門家から、被曝線量を過小評価しているとの指摘が出ていた。

     早野氏は宮崎真・福島県立医科大講師とともに、福島県伊達市の住民約5万8000人の線量計データを分析、被曝線量と空間線量率の関係や、生涯の被曝線量などを計算した。2016年と17年の2回に分けて、英科学誌に論文が掲載された。これらの計算結果は、国の放射線審議会の議論などに使われている。

     早野氏は本紙の取材に「修正の内容も含めて論文誌の判断になるため、詳細は差し控える」とメールで回答した。福島県立医大の広報担当者は「論文の計算式に誤りがあったことは事実」と認めたが、この誤りで被曝線量がどのように変化するかは「コメントできない」とした。

     同じ論文をめぐっては、伊達市の住民の線量計データの無断使用も判明している。データの提供に不同意の約100人分と、同意書を出していない約2万7000人分のデータが使われていた。これについて早野氏は「適切なデータを伊達市から受け取ったという認識で対応していた」とコメントした。

     被曝線量の評価やデータの無断使用について、伊達市民のひとりが今月、東大に対して調査を申し立て、受理された。伊達市も調査委員会の設置を決めている。
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20181230-118-OYTPT50000

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    1. 【個人情報】情報提供の同意書未提出の住民の被曝線量情報2万7千人分、全参加者5万8千人分のデータ 福島県伊達市が無断提供
      https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1544955908/

      「被曝線量」
      https://www.2nn.jp/search/?q=%E8%A2%AB%E6%9B%9D%E7%B7%9A%E9%87%8F&e=

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    2. 「早野龍五 被曝 データ」
      https://www.google.co.jp/search?q=%E6%97%A9%E9%87%8E%E9%BE%8D%E4%BA%94+%E8%A2%AB%E6%9B%9D+%E3%83%87%E3%83%BC%E3%82%BF

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    3. ryugo hayano
      @hayano

      早野龍五事務所.東大名誉教授.スズキ・メソード会長.ほぼ日サイエンスフェロー,2022年国際物理オリンピック出題委員長.放射線影響研究所評議員.重田教育財団理事.

      https://twitter.com/hayano

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    4. >CERNから福島へ 測定を重ね事実を紡ぐ:早野龍五 | 日経サイエンス
      http://www.nikkei-science.com/201707_008.html


      日経サイエンス  2017年7月号
      フロントランナー挑む 第70回
      CERNから福島へ 測定を重ね事実を紡ぐ:早野龍五
      小玉祥司(日本経済新聞シニアエディター)

      宇宙から消えた反物質の性質をスイスで探り
      福島第1原発事故で起きた被曝の実態を調べる
      共通するのは,膨大な測定データから事実をあぶり出す科学の手法だ



      早野龍五は,スイスのジュネーブ近郊にある欧州合同原子核研究機構(CERN)で反物質を探究する国際共同実験グループのリーダーだ。だが研究者以外にとっては,福島第1原子力発電所の事故で飛散した放射性物質による「被曝を測定した先生」として記憶されているだろう。まったく異なるかに見える2つの活動に共通するのは,膨大な測定データを積み上げることで事実を見極めようとする科学者としての眼差しである。



      「ここからこっちは物理関係者,こっちは福島の人の席です」。この春,東京大学を退官した早野は3月半ば,東京大学本郷キャンパスの小柴記念ホールで,最終講義に詰めかけた来場者の交通整理に声を張り上げていた。来場者は定員を大幅に上回り,立ち見でも入りきれず,隣室にはテレビ中継が用意された。弟子たちが集まる通常の最終講義とはかけ離れたこの光景が,早野の活動範囲の広さを物語る。最終講義の演題は「CERNと20年 福島と6年」。和服姿で登壇した早野は用意した222枚のスライドを使いきり,約2時間の講義を駆け抜けた。



      早野が率いる反物質の研究グループASACUSA(「低速反陽子を用いた原子分光と原子衝突」の英語表記の略)は20年にわたり,CERNの加速器を使って反物質を作り,その質量を計測する実験を続けてきた。物質と反物質は,電荷の正負が逆なだけで,あとはそっくりだ。宇宙ができたときには同数あったはずだが,今の宇宙には物質しかない。その理由とされるのが「CP対称性の破れ」で,すでに様々な実験で確認されている。ASACUSAが目指しているのは,さらにT(時間)を足した「CPT対称性の破れ」の有無の検証だ。



      続きは5月25日発売の日経サイエンス7月号で。

      早野龍五(はやの・りゅうご)
      東京大学名誉教授。1952年岐阜県大垣市生まれ。1979年東京大学大学院理学研究科修了,理学博士。高エネルギー加速器研究機構助教授などを経て,1997年から2017年3月まで東京大学教授。2008年度仁科記念賞受賞。2016年からスズキ・メソードの才能教育研究会会長。放射線影響研究所評議員,ほぼ日サイエンスフェローを兼務。

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  81. [原発と福島]避難者の街<1>災害住宅 越えた深い溝
    2019年1月29日5時0分

    下神白団地の佐山さん(右)と永崎団地の藁谷さん。腹を割って話し合い、多くの共通点に気づいた(17日、福島県いわき市で)=関口寛人撮影

     東京電力福島第一原発事故の後、原発周辺の自治体から、最大2万4000人の住民が向かった先。福島県いわき市。「原発と福島」第41部は、“避難者の街”となったいわきの今を見つめる。

     ありえない組み合わせでも、経緯は意外と単純だったりする。いわき市に建設された二つの災害公営住宅団地も、まさにそうだ。

     原発事故に伴う避難者が暮らす県営下神白しもかじろ団地(約160世帯)と、津波で被災したいわき市民向けの市営永崎団地(約190世帯)。市が、永崎団地の用地として民有地を買い取った後、避難者向け団地の建設先を探していた県に、隣地を紹介した。「建設を急いでいた。他に適地がなかった」と県の担当者は言う。

     境遇の異なる被災者が、道路を挟んで暮らすことになった。2015年に入居が始まると、問題が起きた。下神白団地の住民に対する心ない中傷だ。二つの団地の間を通る何の変哲もない幅10メートルの道が、深い溝と化した。

        ◇

     元銀行員の佐山弘明(64)は、原発から約5キロ、海沿いの浪江町請戸地区で暮らしていた。11年3月の津波で自宅は全壊し、一帯に避難指示が出た。福島市などを転々とした後、15年の春、妻(65)と下神白団地に引っ越した。自治会の役員も引き受けた。ようやく落ち着ける、と思った。

     それから間もない時期、妻が浮かない顔で庭から戻ってきた。通りがかりの永崎団地の住民にあいさつすると、耳を疑う言葉を返されたという。「賠償金もらって、いいな」

     かつて勤務したいわきの支店の行員と再会した際には、「スーパーで買い物かごの中を見ると、いわき市民か避難者か判別できる」と言われた。東電の賠償金がある分、ぜいたくをしている、という意味らしい。

     原発事故前のいわき市民は34万人ほど。その人口も少しずつ減っていた街に、12市町村から約2万4000人が避難してきた。不動産物件がどんどん売れる反面、病院の待ち時間や道路渋滞がひどくなった。

     津波で自宅を流されたいわきの被災者には、見舞金の100万円などが支給されるが、避難指示が出た原発避難者への賠償金は、人によってその10倍になる。

     急変する街と金が人の心を乱していた。「避難者はレジで、賠償金が振り込まれる銀行の封筒を取り出す」。心ないうわさも耳にした。市役所でひどい落書きが見つかったこともある。

     永崎団地の自治会役員との会合では、「あんたらの生活は、我々の税金で負担してる」と言われた。故郷に住民票を残したままの避難者に対する誤解だ。避難先の自治体には、避難者1人あたり年約4万2000円が国から交付される。しかし、偏見は根強い。佐山はそのたび、交付金の説明を繰り返すしかない。

        ◇

     NPOなどが仲立ちし、両団地共同の秋祭りやお茶会などの交流が始まったのは16年秋からだ。わだかまりはそれほど深刻だった。

     永崎団地自治会長の元漁師藁谷わらがい鐵雄てつお(77)が声をかけてきた。イベントの会計で教えてほしいことがあるという。

     2人とも、事務的な関係と割り切っていた。それでも自宅を失った2人には、話すことが山ほどあった。津波や原発事故の記憶、避難指示の解除、帰還、補償……。次第にうち解け、互いに漁師の息子だと知ってからは、友人になれた。

     正対したことで与えてしまった傷は、正対することでしか癒やせないのだ。

     下神白団地にこの冬、イルミネーションが点灯し、双方の子供たちの歓声が上がった。入居する浪江、富岡、双葉、大熊四つの「町の鳥」がモチーフだ。計画中、「いわきの鳥も」との声が上がった。佐山が調べると、カモメだった。浪江と同じだった。(敬称略)
    http://premium.yomiuri.co.jp/pc/#!/news_20190129-118-OYTPT50028

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    1. [原発と福島]避難者の街(2)福祉も「よそ者」扱い
      2019年01月30日

       福島県いわき市の特別養護老人ホーム「オンフール双葉」で施設長を務める吉田善子(よしこ)(49)の元には、市役所から1年近く、何度も確認の電話がかかってきた。「職員の引き抜き、してませんよね」
       オンフール双葉は2016年春、東京電力福島第一原発事故で帰還困難区域になった浪江町から、いわきに移転した。ただし、市内にあっても、市の認可は受けていない。特例で容認された浪江町の施設だ。
       市内の介護施設で勤務経験がある人を採用した際、その施設からクレームを受けたことがある。「震災で面倒を見た恩を、仇(あだ)で返しやがって」。引き抜いたわけでもないのに、目の敵にされていた。
       市役所の確認電話は、こうした事情が絡んでいた。吉田はある日、知り合いから経緯を耳打ちされた。「市役所は、いわきの業界の意向を汲(く)んでるんだよ」
            ◇
       吉田は、いわきで生まれ育った。大学卒業後は、大熊町の病院で、精神科患者のケアにあたる精神保健福祉士として働いた。オンフール双葉は、この病院の系列だ。出産を機に、いわきに戻り、市の地域包括支援センター職員として高齢者福祉に携わるようになった。11年3月11日は、そのセンターの事務所にいた。
       妊娠中の職員を介助し、津波につかりながら近くの学校に避難すると、高齢者の避難支援などに奔走した。翌12日、原発事故が起きた。担当する地区は原発の30キロ圏内だった。
       まずは、人工透析を受けられなくなった73歳の母親(16年に死去)を茨城の兄の家に預け、5歳の長女を夫(50)に託して避難させてから職場に復帰した。要介護者宅を訪ね、老人ホームや特養の避難支援にあたった。お年寄りを守る。その使命感と睡眠剤で、なんとか持ちこたえた。
       そんな吉田に舞い込んだのが、オンフール双葉施設長の打診だった。
       「荷が重すぎます」。いったん断ったが、最後には引き受けた。双葉郡といわき市の双方で福祉に携わった自分は、この役目を引き受けるべきではないのか、と自問した結果だった。
            ◇
       しかし、市内で着任のあいさつを始めた途端、妙な空気を感じるようになった。「どうしてわざわざ、その施設に?」。眉をひそめる医療関係者もいた。
       施設のオープンが迫った16年3月、微妙な立場にいることを思い知らされた。県といわき市、浪江町の担当者らによる情報交換会。吉田はその場で、いわき市民が入所を希望した場合の対応を聞いた。施設への入所を希望している避難者はまだ数人だったからだ。
       県の答えはこうだ。「浪江町を中心とした双葉郡の避難者が対象。いわき市民の入所は想定していない」
       いわきの施設の仕事を邪魔してはいけない。嫌なら市の認可を受けて、市の事業計画に組み込まれるのが筋、という趣旨だ。
       市内にも、特養に入所できない多くの待機高齢者がいる。データは古いが、17年4月時点で794人いた。オンフール双葉には、そうした家庭から、問い合わせがある。もちろん、「避難者のための施設なので」と断るしかない。
       オンフール双葉にいると奇妙な感覚に陥ることがある。生まれ故郷にあるよその町。普通の街では起きないことが起きている。
       いまの時代はどこも、職員の確保が難しい。オンフール双葉も、110床のうち60床は使えていない。それでも吉田は、新聞広告などの目立った求人を自粛し続けている。(敬称略)
       
       図=地図
       
       写真=施設の2階でたたずむ吉田さん。職員不足のため、基準を満たせず、空室が出ている(17日、福島県いわき市で)=関口寛人撮影
      https://www.yomiuri.co.jp/article-search/detail/20190130J1TYMAL13S0010/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%A8%E7%A6%8F%E5%B3%B6/

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    2. [原発と福島]避難者の街(3)「宝」の工場 退去促され
      2019年01月31日

       大型の工場が立ち並ぶ福島県いわき市の四倉中核工業団地の入り口近くに、66軒ものプレハブ小屋が密集する異質な一角がある。2011年3月の東日本大震災・東京電力福島第一原発事故の被災企業に無償提供された仮設の事務所や工場だ。全32区画ある工業団地のうち8区画分にもなる。
       井出法泰(のりやす)(48)は、利用者の一人だ。福島第一原発に近い富岡町夜(よ)の森(もり)地区に自動車整備工場を残して避難し、翌春、ここにたどり着いた。帰還困難区域の夜の森は、避難指示が出たまま。「故郷に戻れるまで踏ん張ろう」。そんな思いで働く井出の周囲で、「退去」を促す空気が漂い始めたのは、2年ほど前だった。
           ◇
       「井出自動車整備工場」は、父紀之と母節子が始めた。長男の井出は、自動車整備の専門学校を出て、工場に入った。しかし、父は00年に59歳、母は09年に67歳で、共にがんで亡くなった。38歳で後を継ぐことになった井出に、社員16人は全員ついてきた。両親が育てたこの会社と社員は、自分の宝だと思った。
       原発事故が起きた後も、看板を下ろすことなど考えもしなかった。事故の10日後、県外の避難先から戻って、取引先への未払い金を清算したのは、会社の信用を守るためだった。社員たちには生活資金を送った。
       妻は反発した。「こんな時に、あなたは会社のことを優先するの?」。それでも、井出は立ち止まらなかった。その年の夏には、いわき市内の借地で事業を再開した。妻とは離婚した。
       避難していた社員たちが集まってきた。廃炉関連企業のトラックなどが続々と持ち込まれた。防護服と線量計を身につけ、休日もなく工具を握った。
       翌年4月には、もう一つ作業場を設けた。それが四倉の工業団地だ。20人の社員を抱え、得意先もできた。夜の森で再び「井出自動車」の看板を掲げる日を目標にしてきた。
           ◇
       「まだ、ここを出ませんか」。原発周辺で避難指示の解除が相次ぐようになったのと、年1回訪ねてくる担当職員の物言いが微妙に変化し始めたのは、ほぼ同じ時期だった。
       四倉の工業団地は06年、県や市が共同で開発したプロジェクトだ。その4分の1もの区画を井出らに無償で提供できたのは、多くが空き区画だったからだ。2年半前のリーマン・ショックが尾を引いていた。
       しかし、原発事故後のいわき市には、原発周辺から多くの避難住民が集まるだけでなく、復興事業と廃炉作業の関連企業が次々と進出してきた。沿岸部を先端技術の産業集積地にする国や県の構想もあって、再生エネルギーの開発企業もやってきた。
       井出たちに供出された区画は、もうかつての空き地ではない。政府が復興・創生期間と定める20年度末までに、少しでも多くの企業を誘致したい県や市にとっては、企業を呼び込める「優良区画」だ。市の担当者はもはや本音を隠さない。「そろそろ立ち退いてもらいたいと思っています」
       町が掲げる避難指示の解除目標は、23年春頃。まだ4年も先だ。「おれには会社しかねえ」。そう自分に言い聞かせ、走り続けた井出の目の前にいま、壁が迫っている。仕事を終え、借家に帰った井出は、話し相手もいないので、結局、工場のことばかり考えて酒を飲む。このところ、うまくない。(敬称略)
       
       図=地図
       
       写真=工業団地で自動車整備工場を再開させた井出さん。故郷に残した工場は51年前、亡き父と母がおこした(21日、福島県いわき市で)=関口寛人撮影
      https://www.yomiuri.co.jp/article-search/detail/20190131J1TYMAL1300010/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%A8%E7%A6%8F%E5%B3%B6/

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    3. [原発と福島]避難者の街(4)妻の故郷 双葉に就職
      2019年02月02日

       300キロ以上離れた東京電力福島第一原発の事故は、テレビの中の出来事にすぎなかった。東日本大震災が起きた2011年3月、白石亮佑(25)は、故郷の秋田県北秋田市の高校2年生だった。
       その亮佑が昨春、原発が立地する福島県双葉町の役場に就職した。町はいまも全町避難が続き、避難者の3割にあたる2000人余は、いわき市に身を寄せる。亮佑もいわき市のアパートで暮らし、町がいわき市内で借りているビルの一室に出勤する。双葉町で暮らしたことも、働いた経験も一日としてない新人職員だ。
           ◇
       高校で打ち込んできたバレーボールの強豪・福島大に進学した。2年先輩に茉希子(まきこ)(27)がいた。交際が始まってから、双葉町からの避難者だと打ち明けられた。
       町は事故後、埼玉に避難先を求め、多くの町民がこれに続いた。茉希子らの家族も、埼玉に向かったが、90歳の祖母はすぐ体調を崩し、亡くなったという。弱音を吐かない茉希子の顔に苦渋の表情が浮かんだ。
       亮佑は大学を卒業すると、福島市内の民間団体に就職した。2人は17年1月、結婚した。3姉妹の末っ子の茉希子には婿を。亮佑は、茉希子の家族の願いに応え、「白石」姓とした。
       帰還困難区域にある茉希子の実家を訪れたのは、その年の春だった。
       よくある田舎町の風景が広がっていた。しかし、茉希子が姉とバレーボールをして遊んだという道から、敷地に足を踏み入れると一変した。勝手口が壊され、部屋が荒らされていた。イノシシの仕業だ。近くのブルーベリー畑は、見る影もなく、雑草が生い茂っていた。原発は8キロ先にある。
       それでも茉希子は、生まれ育った場所を亮佑に見てほしかった。思い出が詰まった家は、解体されることが決まっていた。常磐道に新設されるインターチェンジの用地になったのだ。
       亮佑は翌年、人が住んでいないその町のために働くことを決めた。
           ◇
       全町避難は間もなく9年目に入る。避難という行為も故郷の意味も、変わっていく。
       教育総務課に配属された亮佑は、仮設校舎で学ぶ双葉の子が、いわきの児童と田植えや稲刈りを体験する活動にも携わった。子供たちは確実に、いわきに溶け込んでいると感じた。
       先月3日には、町の成人式を担当した。新成人38人。小学校の卒業を目前に、原発事故に遭い、そのまま故郷を追われたかつての小学6年生だ。17人は県外在住。避難した埼玉で、そのまま就職した青年もいた。しかし、晴れ着姿で再会を喜ぶその会場は、故郷ではない。いわき市のホテルだ。
       町は、JR双葉駅周辺の避難指示を先行解除し、駅隣接地に役場機能の一部を移す方針を打ち出す。ただ、その時期は、常磐線の全線開通が予定されている来春だ。しかも、大半の区域の避難指示は解除されない。
       町職員は現在93人。震災前は、亮佑のような町外出身者は1割ほどだったが、いまは4割近くになる。
       かつての双葉町を知らない自分が、町の復興にこれからどう関わっていくのか、まだ見えていない。そもそも亮佑は、双葉町で暮らしたことがないのだ。それでも彼は、ある思いを込めて、住民票を双葉町に移した。書類上、もうなくなってしまった双葉町のあの家で、すでに茉希子たちと暮らしている。(敬称略)
       
       図=地図
       
       写真=福島県双葉町の職員として働く白石さん(左)と妻の茉希子さん。2年前の元日に婚姻届を出した(1月21日、福島県いわき市で)=関口寛人撮影
      https://www.yomiuri.co.jp/article-search/detail/20190202J1TYMAL13S0010/%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%A8%E7%A6%8F%E5%B3%B6/

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  82. 空間放射線量6分の1に、福島
    2号機最上階、依然高く

    2019/2/9 16:21
    ©一般社団法人共同通信社

     東京電力は、福島第1原発2号機の使用済み核燃料取り出しに向けた原子炉建屋最上階の調査で、空間の放射線量の最大値が、2012年調査時の最大値に比べて約6分の1に低減したことを確認した。最大値は原子炉の真上にあるコンクリート製ふたで測定された毎時148ミリシーベルトで、12年には付近で毎時最大880ミリシーベルトが測定されていた。

     東電は建屋に流入した雨水で放射性物質が流されたり、汚染された機材などを片付けたりした効果とみている。事故から8年近く経過して自然減衰も進んだが、高い値が計測されており、依然として人は作業できない環境だ。
    https://this.kiji.is/466866740288799841

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    1. 封じ込めに失敗しちゃってるオープンエア原子炉…

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  83. 福島第一原発2号機 デブリで極めて強い線量 廃炉の難しさ示す
    2019年2月28日 19時34分

    福島第一原子力発電所2号機で、今月初めて行われたデブリとみられる堆積物に直接触れる調査で、東京電力は、1時間当たり最大7.6シーベルトの極めて強い放射線が計測され、堆積物がある格納容器の底に近づくにつれて、線量が高くなることを発表しました。東京電力は、福島第一原発2号機で、原子炉を覆う格納容器の底に溶け落ちた核燃料と構造物が混じり合った「燃料デブリ」とみられる堆積物にロボットで直接触れる調査を今月13日に初めて行い、大きいもので直径8センチほどの小石状の堆積物を持ち上げることができたとしています。

    東京電力は28日、調査の際に計測した放射線量と温度を公表しました。それによりますと、放射線量は「燃料デブリ」とみられる堆積物が見つかった原子炉の下では、1時間当たり6.4シーベルトから7.6シーベルトで、堆積物がある格納容器の底に近づくにつれて線量が高くなることがわかりました。

    この値は、人が1時間ほどとどまると、死に至るレベルの被ばくをするとされています。また、格納容器内の原子炉を支える土台の周りでは、1時間当たり推定で最大43シーベルトを計測したということです。

    東京電力は「核燃料が溶け落ちていく過程で発生したガスのようなものが、土台の周りにたまったためではないか」と推定しています。温度は、全体的に22度から23度の範囲でした。

    格納容器の内部は、事故から8年ほどたっても極めて強い放射線が出続けていて、廃炉の難しさを示しています。

    2号機は、燃料デブリの取り出しに向けた調査がもっとも進んでいて、来年度後半に別の装置を使って少量の堆積物をサンプルとして取り出す計画です。
    https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190228/k10011831771000.html

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  84. 除染で出た土や浄水場から出た汚泥を乾燥させた土を盛って埋めて放置しといたほうが賢明…

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  85. 福島・双葉町の住民、6割が「町に戻らない」
    2019/03/03 19:13

     東京電力福島第一原発事故で全町避難が続く福島県双葉町の住民のうち、6割の人が町に帰還しないと考えていることが、復興庁などの実施した住民意向調査で分かった。2016、17年調査に続く3年連続の6割超えで、同庁の担当者は「厳しい数字だ。避難指示が他の町村より長く続いていることが影響したのだろう」と語った。

     調査は18年10~11月、同庁と県、町が行った。対象の3115世帯のうち、48%の1495世帯が回答した。

     「戻らないと決めている」と答えた人は前年比0・4ポイント増の61・5%だった。一方、「(将来の希望も含め)戻りたいと考えている」が同0・9ポイント減の10・8%、「まだ判断がつかない」が同0・5ポイント減の25・6%と微減だった。

     この「まだ判断がつかない」とした人に帰還判断の要素(複数回答)を聞くと、56・7%が「医療・介護福祉施設の再開や新設」を挙げ、「住宅の修繕や建て替え、住宅確保への支援」が49・1%で続いた。「商業施設の再開や新設」「更なる放射線量の低減」なども2割を超えた。

     JR双葉駅周辺に計画する復興拠点に居住するか聞いた質問には、駅西側の「新市街地ゾーン」に住みたいとした人が同0・9ポイント増の15・6%、駅東側の「まちなか再生ゾーン」が同1・4ポイント増の15・8%だった。「判断ができない」も同3・2ポイント増の45・2%に上った。
    https://www.yomiuri.co.jp/national/20190301-OYT1T50138/

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  86. 「震災8年」
    https://www.yomiuri.co.jp/web-search/?word=%E9%9C%87%E7%81%BD%EF%BC%98%E5%B9%B4

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    1. 「震災 8年」
      https://www2.nhk.or.jp/news/nsearch/query.cgi?col=news&charset=utf-8&qi=3&qt=%E9%9C%87%E7%81%BD+%EF%BC%98%E5%B9%B4

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    2. 「震災8年」
      https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000763.html

      「震災8年トップ」
      https://www3.nhk.or.jp/news/word/0000764.html

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    3. 6割の人が今も心身への影響 東日本大震災 被災者アンケート
      2019年3月7日 4時11分

      東日本大震災からまもなく8年となるのを前に、NHKが岩手・宮城・福島の被災者にアンケートを行ったところ、6割の人が心身への影響が今もあると答え、その多くが震災後に住まいを移したあと地域の人との交流が減ったと感じていることがわかりました。専門家は転居を繰り返すことで健康被害が生じるリロケーションダメージが起きているとして、対策の必要性を訴えています。

      NHKは去年12月からことし1月にかけて岩手・宮城・福島の被災者や原発事故の避難者など、合わせて4400人余りにアンケートを行い、全体の36%に当たる1608人から回答を得ました。

      この中で震災による心身への影響が今もあるかどうか尋ねたところ、「ある」が33.4%、「どちらかと言えばある」が30.9%で、合わせて64.3%に上りました。

      どのような影響があるか、複数回答で尋ねたところ、「よく眠れない」が42.4%、「気分が沈みがち」が42.2%に上ったほか、「歩きにくくなった」が26.4%、「介護が必要になったり、重度化した」という回答も4.9%ありました。

      さらに、「影響がある」と回答した人の67.4%は、震災後に住まいを移したあと、地域の人や友人・知人との会話や交流が減ったと回答していて、震災や原発事故の影響で転居を繰り返して、地域のつながりが断たれたと感じている人ほど心身への影響が出る傾向がありました。

      被災者の健康状態を調査している東北大学大学院の辻一郎教授は、転居を繰り返すことで不眠などの健康被害が生じるリロケーションダメージが起きているとして対策の必要性を指摘しています。

      辻教授は「不便だった仮設住宅の暮らしが終わって、ついの住みかの災害公営住宅で楽しく暮らせるかと思っていたら孤立してしまい、心身にダメージを負う人が増えている。孤立を防ぐためにそうした人たちの居場所を地域の中で作る取り組みが必要だ」と話しています。

      自由記述の中で、福島県浪江町から会津若松市に避難している79歳の女性は「地元から離れ、何もすることがなくなった。薬を服用しても眠れず、日々ストレスが積もる。家は解体してしまったが、浪江に帰りたい」と回答しています。

      岩手県陸前高田市の76歳の女性は「いちばん大切な多くの命を失い、生きる目標がいまだに見つかりません。被災の体験は恐怖でますます忘れることができず、とても苦しく悲しいです」とつづっています。

      宮城県石巻市の59歳の女性は「震災後、仮設住宅や復興住宅に移った1人暮らしの方の自死が多くなっているようです。私もいまだに震災前のことが思い浮かび、悲しくなります」とつづっています。
      https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190307/k10011838391000.html

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  87. 福島の旧避難区域、居住率23%
    古里に戻るきっかけ失う

    2019/3/7 18:30
    ©一般社団法人共同通信社

     東京電力福島第1原発事故による国の避難指示が2014年4月以降に解除された福島県の9市町村で、解除地域に住民票がある4万7721人のうち、実際に居住しているのは23.0%の1万1003人にとどまることが7日、各市町村への取材で分かった。

     帰還する住民も一定数はいるものの、事故後の8年間で避難先に住まいを構え、古里に戻るきっかけを失った人が多いとみられる。避難解除が遅い地域で居住率が低い傾向があり、買い物や病院、交通などの生活環境の整備が重要課題となっている。

     居住者数は1月31日か2月1日の時点で各市町村が集計したもので、原発の作業員など転入者も含む。
    https://this.kiji.is/476321490462983265

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    1. 目に見えない(観念的な)放射能汚染という社会破壊案件は、じつは自然災害よりも圧倒的におそろしい破壊力…

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